« 襟裳岬(島倉千代子) | トップページ | 私の焚火 »

2014年1月27日 (月)

コーヒー・ルンバ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:Jose M. Perroni、日本語詞:中沢清二、唄:西田佐知子

昔アラブの 偉いお坊さんが
恋を忘れた あわれな男に
しびれるような 香りいっぱいの
こはく色した 飲みものを
教えてあげました
やがて 心うきうき
とっても不思議 このムード
たちまち男は 若い娘に恋をした
コンガ マラカス
楽しいルンバのリズム
南の国の 情熱のアロマ
それは素敵な 飲みもの
コーヒー モカマタリ
みんな陽気に 飲んで踊ろう
愛のコーヒー・ルンバ
(2回繰り返す)

    (間奏)

コンガ マラカス
楽しいルンバのリズム
南の国の 情熱のアロマ
それは素敵な 飲みもの
コーヒー モカマタリ
みんな陽気に 飲んで踊ろう
愛のコーヒー・ルンバ
みんな陽気に 飲んで踊ろう
愛のコーヒー・ルンバ
みんな陽気に 飲んで踊ろう
愛のコーヒー・ルンバ
みんな陽気に 飲んで踊ろう
愛のコーヒー・ルンバ

     Moliendo Café

Cuando la tarde languidece renacen las sombras,
Y en la quietud de los cafétales vuelven a sentir
Esta triste canción de amor de la vieja molienda,
Que, en la quietud de la noche parece decir:

Una pena de amor, una tristeza,
Lleva el zambo Manuel en su amargura
Pasa incansable la noche moliendo café

Cuando la tarde languidece renacen las sombras,
Y en la quietud los cafétales vuelven a sentir
Esta triste canción de amor de la vieja molienda,
Que, en la quietud de la noche parece decir:

Una pena de amor, una tristeza,
Lleva el zambo Manuel en su amargura

《蛇足》 ベネズエラのシンガー・ソングライター、ホセ・マンソ・ペローニ(Jose Manzo Perroni)が1958年に作詞・作曲した"Moliendo Café(コーヒーを挽きながら)"が原曲。
 彼の甥のウーゴ・ブランコ(Hugo Blanco)が、1960年に演奏してから世界に知られるようになりました。

 ウーゴの演奏はインストゥルメンタルで、歌はありませんでしたが、現在までに各国語の歌詞による800あまりのカヴァー・ヴァージョンが発表されています。そのなかでも最大のヒットとなったのは日本語ヴァージョン、とくに中沢清二の日本語詞による西田佐知子版でした。発売は昭和36年(1961)8月。
 翌年1月に発売されたザ・ピーナッツ版もよく売れましたが、西田佐知子版が上回りました。

 『コーヒー・ルンバ』は、日本でつけられたタイトルです。原曲はルンバではなく、ウーゴ・ブランコが創り出したオルキデアというハイテンポのリズム形式です。

 ペローニの原詞は、おおよそ次のような意味。

 コーヒー農場に黄昏が迫り、静けさが広がると、聞こえてくる古いコーヒーミルの音。それは悲しい恋の歌のようだ。恋の痛みや悲しみ。それは、夜更けまで休みなくコーヒーを挽き続ける混血児(zambo)のマヌエルが出す響きだ。

 zambo(サンボ)は、南米のスペイン語圏・ポルトガル語圏で、奴隷としてアフリカから連れてこられた黒人と現地のインディオもしくはムラ-トとの混血のこと。ムラ-トは、白人と黒人の混血を指します。
 Manuelは男性の名前で、末尾のlはルとイの混ざったような音。女性の場合はManuelaとなります。

 中沢清二の日本語詞は原詞とはまったく違い、コーヒーが恋の秘薬のようになっています。
 コーヒーはエチオピア原産で、これが中東・イスラム地域からヨーロッパへ、さらに全
世界に広まったもの。イスラム世界では、初期には宗教的な秘薬として僧侶にだけ飲用が認められていました。中沢清二の歌詞は、こうした歴史を下敷きにしたものでしょう。

 『一杯のコーヒーから』(藤浦洸作詞、服部良一作曲)や『喫茶店の片隅で』『学生街の喫茶店』などにあるように、コーヒーを飲む店は、まさしく恋が生まれ、消えていく場所でもあります。

 歌詞に出てくるモカマタリのモカは、アラビア半島南西端にある港町アル゠ムハーから。このローマ字表記Al Mukhaが英語に入ってmochaとなったもの。
 15世紀に入ると、イエメン北西部の高原地帯はコーヒーの一大産地となり、アル゠ムハーはその積み出し港として栄えました。ここから積み出されたコーヒー豆がモカですが、
対岸のエチオピア産の豆もいっしょに輸出されたため、両方合わせてモカと呼ばれています。
 モカのうち、イエメン産がモカマタリ。

(上の絵はコーヒー取引中のアラブの商人を描いた古画)

 『コーヒー・ルンバ』がリリースされた昭和36年、私は同郷の友人を介してマレーシアからの留学生で華僑の息子のK君と知り合いました。友人は中国語のクラスで彼と知り合ったとのことでした。
 あるとき、その友人がK君のアパートに招かれてコーヒーをごちそうになったときのことを、ちょっと興奮した感じで話してくれました。

 「ガラスの容器が2つあり、下の容器に水、上の容器にコーヒーの粉を入れて重ね合わせてから、アルコールランプで熱する。水が沸騰したら、一気に上の容器に上がる。アルコールランプを消してしばらくすると、コーヒーが下の容器に落ちてくる。それをカップに注いで、好みで砂糖とミルクを入れて飲むんだ。きみ、知ってるか?」

 田舎の高校を出て間もない私が知っているわけがありません。怪訝な顔をしている私に、彼は「こんどいっしょに行ってご馳走になろう」といってくれました。
 数日後にK君の部屋で見た光景は、驚くべきものでした。今考えると普通のコーヒー・サイフォンでしたが、コーヒーを淹れる仕組みを見たのはそれが初めてでした。
 それに加えて、喫茶店以外でもコーヒーが飲めること、しかも自分の部屋でコーヒー豆を挽き、淹れて飲む学生がいるということも驚きでした。田舎者丸出しでしたね。

 K君は大学卒業後、アメリカの大学だか大学院だかに留学しましたが、その後の消息はわかりません。勉強好きでしたから、学究になったかもしれません。

(二木紘三)

« 襟裳岬(島倉千代子) | トップページ | 私の焚火 »

コメント

 懐かしい『コーヒー・ルンバ』・・・今でも特に健康体験をを兼ねたコンサートでよく演奏されるほど人気があります。
《蛇足》でモカマタリはイエメン産だったとまた勉強になりました。
 コーヒー関連の歌で霧島昇・ミスコロンビア、松島詩子、ガロの声と歌詞が1番はすぐ思い出され鼻歌まじりでしかし2~3番に戸惑っていますが、もうひとつの好きな歌はピンキーとキラーズの『恋の季節』、“~夜明けのコーヒー二人で飲もうと~”のフレーズが流行にもなったあの頃・・・。
 ウン十年前九州の喫茶店の方がコーヒー豆を栽培されたとの記事が新聞に載っていましたが、日本製のコーヒーは現在あるのでしょうか?

投稿: 尾谷光紀 | 2014年1月28日 (火) 21時59分

昭和30年代前半はコーヒー1杯50円でした。クリームあんみつも50円、女性同士だったら断然あんみつ、コーヒーは香りだけで良いと思っていました。同じ50円ならあんみつのほうが得だと思っていました。コーヒーのブラックを頼む男性をみると「気取り屋」だと思いました。大学の授業料が払えずに退学寸前の青年が50円のコーヒーを奢ってくれたことがありました。10円のコッペパン1個で1日を過ごす事も度々あると話してくれましたが、奢ってもらわないと失礼になると思って飲みました。30年後に大学の教授になったと聞いた時はホッとしました。コーヒーの味と同じ、苦い思い出がやっとその時消えました。貧乏も苦いけれど懐かしい味がします。

投稿: ハコベの花 | 2014年1月30日 (木) 22時41分

ハコベの花さん
ジーンと来るお話をありがとうございました。私と同年代のお方かと思います。
確かに貧乏も苦いけれど懐かしい味ですね。とてもいい台詞です。

投稿: ノムラ | 2014年2月 2日 (日) 04時32分

この曲は私が若い頃西田佐知子の歌で馴染んでいました。何年か前からは、高速道路のサービスエリアにある自販機でコインを入れコーヒーのボタンを押すと流れ出すようになったリズミカルでメロディも美しい何とも魅力的な曲です。浮き浮きして、コーヒーが出来上がるまで他人に分からない程度に腰でリズムをとったりしながら身体が踊り出すのを抑えている感じです。カラオケでも時々歌ったりしています。
you tubeには沢山出ています。「パラグァイアルパ『コーヒールンバ』」のような国内のプロかアマチュアか分からないがアルパとギターの素晴らしい演奏や「コーヒールンバLos Awkis アンデス 上野で」のような南米の人たちのものなど国内外のそれぞれ特徴のある演奏が聴けます。私の「お気に入り」にも10曲以上入っています。
コーヒールンバは時代を超えて世界中の人たちを魅了しているのではないでしょうか。

投稿: 山下仁平 | 2014年2月 2日 (日) 10時32分

 大学の講義に飽きると生協の喫茶部や近辺の喫茶店で学友と話に耽る―というのは多くの方にとって青春の思い出の中の風景だと思います。私の場合、また当時の殆どの友人も、頼むのは紅茶やソフトドリンクでなく必ずコーヒーでした。
 コーヒーに含まれるカフェインはヒトに対して覚醒作用、利尿作用があります。カフェインは本来植物が動物に食べられないように分泌する物質アルカロイドの一種で、特に昆虫にとっては有毒なようで、コーヒーの出し殻を庭に撒いておくと蟻(虫)よけになります。ヒトでも血中濃度が高すぎると神経毒として作用し、様々な症状を引き起こします。アメリカなどでは、カフェインを除去した『デカフェ』を好む人も多いですが、ノンアルコールビールみたいなもので、私は好きではありません。

投稿: Yoshi | 2014年2月10日 (月) 23時57分

 53年以上前の大学生の時でした。 とある農家の屋根裏の様な部屋に下宿させていただいてました。
 大家のおばさんが コーヒーをいれて 小生にご馳走して下さったのですが、コップの底が透けて見えるほど薄い
色が付いただけのインスタントコ-ヒ-でした。
 当時は インスタントコーヒーといえばまだ高級な嗜好品で 中々手に入らないものだったと思います。
後に知ったのですが 大家のおばさんも コーヒーは初めていれたそうでした。
 この「コーヒールンバ」を聞くと、何故か いつもその時のコーヒーとおばさんの顔を 思い出します。

投稿: 邦夫 | 2014年2月14日 (金) 22時06分

 前年に「アカシアの雨がやむとき」を歌う西田佐知子をTVでみたとき、今までの歌手とは違った洒落た雰囲気があり、またその雰囲気とは違ったアルトで投げやりのようでいて、そうでないような、変にべたつかない歌い方にいいなあと思いました。
翌36年、高2の時「コーヒールンバ」の軽快なリズムに嵌まりました。
 
 当時、池袋にクラッシック音楽を流す「コンサートホール」という喫茶店がありました。高校の文化祭の打ち上げで部員たちと行き、注文を取り来たとき、絶対こう言うんだと決めていました。「琥珀色した飲み物を」と、でも言えませんでした。それから何回か喫茶店に入ったときも、言いたくて言いたくて仕方がなかったのですが、言えずじまいでした。
 
 西田佐知子のさらりとした感じとポップスがすごく良かったのですが、早々に音楽界から寿退職してしまいました。歌っていた期間が短かったせいか、とても印象にのこっています。

投稿: konoha | 2018年1月 8日 (月) 19時10分

 私が初めてコーヒーを口にしたのは、なんと高校三年の時です。(S42年)
私の住んでた町は人口3万でしたが、純喫茶店というのが一軒もありませんでした。笑っちゃいますョね。 大阪は茨木市の喫茶店でです。喫茶店デビューもその時ということになります。遠縁のおばさんと二人でした。
 インスタントコーヒーを飲む人も私の近所にはいませんでした。
初めてのコーヒーの味の感想は「苦いっ!」でした。チョコレートの味に近いものだと思っていましたから…。
 上京して、各種学校に通っていた頃は、学校内の喫茶室で特製の「ブルーマウンテン」を飲んでましたっけ…。安価だったので…。
 井上陽水は、この歌を初めて聴いたとき、「コーヒー モカマタリ」のところを、「コーヒーも鎌足」と思ったそうです。ハハハッ…ですネ。 そういえば、高校の生徒手帳に「喫茶店出入り禁止」と記されていましたけど、あれはなんだったのだろう……。

投稿: かせい | 2018年2月20日 (火) 00時28分

エキゾチックなムード、情熱のリズムに一度聞いて魅了されました。当時15歳の私は既に歌謡御三家、春日、三橋、島倉から少しづつ距離を置き、フランク永井、石原裕次郎、ダークダックス、他諸々の抒情歌にハマっていました。
取り分け、西田佐知子さんの美貌と都会的なムードに憧れを知りました。同じころ流れない日はなかった村田英雄の王将。党員教師に 王将が胸に響くと言ったら「あんなのは音楽ではないよ。シューベルトを聴きなさい」と言われました。思えば、彼も未だ青年、30歳でした。当時 テレビも蓄音機もない貧農の娘がどうやって「シューベルト」に出逢えたでしょうか。滑稽ですね。理想のみを語って現実を見てない甘ちゃん。
最近は毎日  ベートーベンやショパンを聞いています。
昔日の感が込み上げます。インターネットの恩恵に浴せる幸いを 少しほろ苦く噛みしめています。

ハコベの花様のコメントも秀逸ですね。
きっとその青年 ハコベの花様に恋をしていたのですね。
告白の勇気がなかったのですね。後年教授になられとは他人事ながら嬉しく思います。

かせい様のコメントにも笑いを誘われました。
も鎌足  いいですね。


投稿: りんご | 2018年2月20日 (火) 09時21分

私は昔、平成元年に「珈琲専門店MUC」を開業し、十五年間家内と営業した経験があります。フランチャイズにに加盟して、楽しい夢のような毎日を過ごし、いろんなお客さんと接したことは、私たちのとって一生の宝物でありました。
この曲は正にその当時を思い起こさせてくれる曲の一つです。
私は今年で70歳、未だに心がウキウキししてくるようです。

投稿: jurian prabhujee | 2020年2月25日 (火) 23時27分

 いやあ、本当に懐かしい曲ですね。昭和36年といえば、12歳の時(小6の頃)、聞いたことになります。高度経済成長時代、当時テレビは家になかったから、ラジオで聞いたはず。曲の印象は強烈で、いまだ飲んだことはなかったコーヒーの不思議な効果、威力について思い、そして西田佐知子の歯切れのよい歌い方に圧倒されました。
 外国の曲とは思っていたが、ベネズエラとはしらなんだ。かせいさんによれば、井上陽水も「モカマタリ」を「も鎌足」と誤解していたとのこと、私もまったく同じで、このブログで歌詞をきちんと見て、わかったしだい。
喫茶店はあまり行かなかった、居酒屋ばかり。しかし、インスタントコーヒーはよく飲みました。コーヒーは好きです。そしてこの歌も大好き。 
特に歌詞の「やがて心うきうき とっても不思議 このムード」のところがいい。
 
コロナ禍が収まって飛行機がつながったら、日本でたくさんコーヒーを買いたいです。

投稿: 越村 南 | 2021年5月10日 (月) 04時22分

 二木先生の「蛇足」は、本当に多岐にわたって調べられており、とても勉強になります。有難うございます。
 この曲は、一聴(?)して南米の雰囲気がありありありと浮かび上がり、とてもエキゾチックな曲だなと思いました。西田佐知子の独特なビブラートのない歌い方がとてもマッチしました。私も「カマタリ」って何だか分からないから「鎌足」という言葉が頭に浮かびました。百人一首や俳優の藤原鎌足がその当時有名でしたからね。
 「異邦人」と共に、この曲はエキゾチックな雰囲気を醸し出している代表曲ですね。

投稿: 吟二 | 2022年12月14日 (水) 21時34分

コーヒーのカフェインは疲労回復効果や利尿効果又心臓病も防いでくれて大変健康に良いそうです。江戸後期に長崎の出島に駐在のオランダ人が伝来した様です。ワインの次にポリフェノールを多く含み抗酸化物質でもあるとか。倉敷へ行った時に倉敷コーヒーで【王女の涙】?だと思いますが名前が素敵だったので注文しました。24時間水だしで抽出したその芳醇な香りが忘れられません。観光の名所と有ってまるで日本の原風景の様で昔にタイムスリップした景色は大好きな処です。【モネの睡蓮】初夏で運良く丁度睡蓮の花が咲いていました。孫と娘夫婦を前に美術館の中庭の舞台で歌いました。又行きたいです。

投稿: 細川 和代 | 2023年2月 1日 (水) 06時55分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 襟裳岬(島倉千代子) | トップページ | 私の焚火 »