私の焚火
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 夜霧にまたたき 燃える焚火よ |
《蛇足》 第二次大戦後の歌声喫茶でロシア民謡として歌われた歌の多くが、実はソ連体制下に作られたポピュラーソングでしたが、この曲はそれより半世紀ほども前、ロマノフ朝がまだ比較的安定していた頃のロシアで作られたものです。
詩人で散文作家のヤーコフ・ポローンスキィが1853年に発表した詞に、1863年にピアニストで作曲家のヤーコフ・プリゴージィが曲をつけたもの。
プリゴージィのあと、チャイコフスキィなど、何人かの作曲家がこの詞に曲をつけています。
原題の"Мой костер в тумане светит"は「霧の中の私の焚き火」の意。
日本語詞は、焚き火の前に立って、去っていったロマ(ジプシー)の娘のことを偲んでいるといった内容です。
ただし、原詞はロマの娘が霧の中で燃える篝火を見ながら、「私はロマの人たちといっしょに行くわ。だって私は流浪の民ですもの」といって、橋の上で恋人に別れを告げるといった設定になっています。
似たメロディの繰り返しで、歌いやすい曲ですが、どういうわけか日本ではあまり広まりませんでした。
曲の雰囲気は『小さいグミの木』に似ていますね。両方ともロシア・ロマンスに属する曲です。ロマンスはロシア民謡・歌謡の重要なジャンルの1つ(『一週間』の蛇足参照)。
(二木紘三)
コメント
この曲初めて聴きました。
確かに覚えやすいメロディですが、サビと言われる部分が乏しく音域も8度(?)位でメリハリが無くて、焚き火は燃え尽きても心の中の火は大切に燃やし続けようとの思いの歌だと、確かに日本人好みの曲ではないようです。
フッと霧島昇の「石狩エレジー」を思い出しました。
投稿: 尾谷光紀 | 2014年2月 4日 (火) 23時06分
実に久しぶりに聴くほんとうに懐かしい曲です。私はそのころ歌声運動の片隅にはいても、流行の歌声喫茶に足を運んだことは一度いや、二度しかありませんでした。この歌は歌声喫茶で聴いたわけではなく、いつとはなしに覚えたのですが、多分いろいろな曲集を眺めているうちに、ここに流れている感傷に胸を打たれたのでしょう。ロシア人というのは心にしみる単純で素晴らしいメロディーを生み出すものだなあ、と感に堪えて彼女(亡妻)に歌ってきかせたことが思い出されます。ロシア語はわからないので、「ジプシーの娘」の方が歌っているのだとは知りませんでした。「蛇足」で教えられましたが、どちらの設定でも素敵なたき火ですね。
投稿: dorule | 2014年2月 5日 (水) 11時47分
シンプルでしんみりした曲ですね。
たたずんでいつまでも口ずさんでいたくなるような曲です。
詞でも男心を揺さぶられました。
思い出偲びて われはたたずむ
花摘み歌いし ジプシーの娘
日本では広まらなかったということですが、男の悲しみとか涙と言うのは受けないということもあるのでしょうか?
投稿: yoko | 2018年7月 9日 (月) 07時29分