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2014年5月30日 (金)

お富さん

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:山崎 正、作曲:渡久地政信、唄:春日八郎

1 粋な黒塀 見越しの松に
  仇な姿の 洗い髪
  死んだ筈だよ お富さん
  生きていたとは お釈迦様でも
  知らぬ仏の お富さん
  エーサオー 玄冶店(げんやだな)

2 過ぎた昔を 恨むじゃないが
  風もしみるよ 傷の跡
  久しぶりだな お富さん
  今じゃよび名も 切られの与三(よさ)
  これで一分じゃ お富さん
  エーサオー すまされめえ

3 かけちゃいけない 他人の花に
  情けかけたが 身のさだめ
  愚痴はよそうぜ お富さん
  せめて今夜は さしつさされつ
  飲んで明かそよ お富さん
  エーサオー 茶わん酒

4 逢えばなつかし 語るも夢さ
  だれが弾くやら 明烏(あけがらす)
  ついて来る気か お富さん
  命短く 渡る浮世は
  雨もつらいぜ お富さん
  エーサオー 地獄雨

《蛇足》 昭和29年(1954)8月、キングレコードから発売。

 発売されてから半年あまりは、歌謡曲といえば日本中この歌一色でした。各地の祭礼では若い衆がこのレコードを繰り返しかけ、町場では街頭スピーカーから流れ、ラジオの歌番組では必ずこの歌が歌われました。
 大人はもちろん、歌謡曲は歌ってはいけないといわれた小中学生たちも歌い、やっと言葉を覚えたかと思われる幼児さえも、「ちんだはずだよ、おとみしゃん」などと口ずさむ始末。

 レコードの売り上げ枚数では、この歌を上回る曲はいくつもありますが、"社会現象”とまでいわれた曲は、少なくとも戦後ではこの歌ぐらいでしょう。
 新人だった春日八郎は、この1曲でスターダムにのし上がりました。

 この大成功の一因は、作曲者がブギboogieを基礎としたリズムを取り入れたことでしょう。ブギはシャッフルまたはスイングのリズム形式を反復させるのが特徴です。

  シャッフルまたはスイングは、長めの音符と短めの音符を組み合わせるリズム形式です。この組み合わせを繰り返すと、波のようにうねる感覚や弾む感覚、いわゆるスイング感が感じられるようになります。
 シャッフルでは2つの音符の長さは正確に2対1ですが、スイングでは長さについての決まりはなく、曲の種類や演奏のテンポ、プレイヤーの好みによって変わってきます。テンポが早くなるほど、音の長さは等分に近づき、その分スイング感は弱まります。

 たとえば、1拍が8分音符と8分音符の組み合わせでは、音の長さは1対1ですから、スイング感はほとんど感じられません。
 1拍が8分音符+16分音符の組み合わせだと、音の長さは2対1になり、スイング感は中程度の強さになります。
 1拍が付点8分音符+16分音符の組み合わせでは、音の長さは3対1で、スウィング感は相当強くなります。このような曲を、日本ではピョンコ節といっています。『お富さん』は、曲の大部分がこの組み合わせになっています。これが、うねるような軽快な印象を醸し出しているわけです。

 ブルースやジャズ、ロックンロールでは、スイングのリズム形式がよく使われます。
 日本の歌謡曲では、『東京ブギウギ』『買い物ブギ』『トンコ節』『お座敷小唄』などがこのリズム、それも付点8分音符+16分音符の組み合わせを多用しています。酒席では、この手のスイング感の強い曲が好んで歌われるようです。

 しかし、『お富さん』大ヒットの主因は、歌舞伎の大名題(おおなだい)『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』をテーマにするという新機軸ではないでしょうか。よく知られた演目ですが、粗筋を簡単に記しておきましょう。

 遊蕩に身を持ち崩した江戸の大店の息子・与三郎は、木更津(きさらづ)の親戚に預けられます。そこでお富と知り合い、深い仲になりますが、お富はやくざの親分・赤間源左衛門の妾でした。
 2人の関係を知った源左衛門とその子分たちによって与三郎は滅多斬りにされたうえ簀巻
(すま)きにされます。お富は逃げ出したものの、子分の1人に追い詰められて海に身を投じますが、和泉屋の大番頭・多左衛門に助けられ、その囲い者になります。

 3年後、かろうじて助かった与三郎は、全身の切り傷を売り物にしてゆすり・たかりをするごろつきになっています。その与三郎が、仲間の蝙蝠安(こうもりやす)に連れられてたかりに訪れたのが多左衛門の妾宅で、そこで死んだと思っていたお富と再会するわけです。これが3幕目の「源氏店(げんやだな)妾宅の場」で、『お富さん』はこの場面を謳っています(源氏店については後述)

 その後、何やかやとあって、4幕目では与三郎は捕縛されて島流しに処せられます。島抜けした与三郎は父親とそれとなく会い、さらに赤間源左衛門とも再会します。大詰めでは旧知の観音久次の自己犠牲によって傷痕が消えて大団円となります。

 おもしろいのは、この話が実話に基づいているということです。与三郎のモデルは木更津の紺屋の次男・中村大吉で、お富のモデルはやくざの親分・山本源太左衛門の妾・きち。情事がばれると、大吉は滅多斬りにされて海に投げ込まれますが、運よく漁師に助けられ、きちは江戸に売りとばされます。

 江戸に出た大吉は、自慢の喉を活かして精進を重ね、やがて長唄の名門・芳村伊三郎の名を継いで4代目となります。
 あるとき、顔から体に至る無数の切り傷のわけを、8代目市川團十郎に尋ねられます。
伊三郎がかくかくしかじかと語った話が講談になり、さらに鶴屋南北門下の3代目瀬川如皐
(せがわ・じょこう)によって舞台化されます。
 その初演は嘉永6年
(1853年)5月で、8代目市川團十郎が与三郎、4代目尾上梅幸がお富を演じました。上の絵は初演時の芝居絵で、3代目歌川豊国の筆になるものです。

 なお、歌詞の1番に出てくる玄冶店は、日本橋界隈を指した江戸時代の通称で、江戸初期にその地区に屋敷を構えていた幕府のお抱え医師・岡本玄冶の名前に由来するといわれています。
 
玄冶店が歌舞伎では源氏店と表記され、場所も鎌倉に変わっているのは、当時江戸を舞台にした芝居はご法度だったからだそうです(下記borironさんのコメント参照)

 この歌が流行った頃、私は小学校6年生。身近に歌謡曲の歌集などはありませんでしたから、歌詞は耳で覚えました。当然意味はわかりません。粋な黒塀は、当時読んだ時代劇漫画に黒兵衛という悪役が出ていたので、「行きな黒兵衛」であり、見越しの松は御神輿に飾った松だろうと思っていました。ゲンヤダナにいたっては、皆目見当がつかず、こじつけもできませんでした。

 わかるのは、「死んだはずだよ、お富さん」くらい。男の子は死んだとか、くたばった、うんこ、しょんべん、チン○○といった言葉が大好きですから、このフレーズと調子のいい曲だけで、意味のつながりなど考えずに喜んで歌っていたのです。
 何の話かわかったのは、高校の古典で文学史をかじるようになってからでした。

(二木紘三)

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コメント

忘れもしません、当時小学4年生でした、私の姓名に「富」がつくため、この歌を歌って同級の悪ガキがからかうのに閉口しました。背景を知ると、男女の機微を歌うドラマチックな歌ですね。子供には分りませんが。ついでに「月が出た出た」(炭坑節)も、酔っぱらいの集団がダミ声で歌う、危険かつヒワイな歌だと感じていました。いまでは自分の会社や町を自慢しているだけの素朴で微笑ましい歌だと思いますが……。

投稿: Bianca | 2014年5月30日 (金) 21時18分

 「お富さん」が昭和29年の歌なら、5歳の時に聞いたはず。なぜか、特別、耳に残っている歌です。フラッシユバックのように、デジャブのように当時の人々の姿が、この歌とともに浮かんできます。
 この歌の流行は、社会現象であったという「蛇足」の説明に、なるほとと納得する思いです。当時、テレビも近所になかったし、ラジオを子どもが静かに聴くはずもなく、おそらく街頭スピーカーや盆踊りなどで、たえずこの歌を聞いたのでしょう。
 「いきなくろべい、みこしのまつに、あだなすがたのあらいがみ・・」出だしの言葉が、5歳の子どもには、さっぱり理解できず、「蛇足」にある通り「死んだはずだよ お富さん」だけ、かろうじてわかった。
しかし、歌詞というのは、大きくなるにつれ、だんだんわかってくるというのも、また楽しからずやであります。
 二木先生の最後の段の説明、「男の子は、死んだ、とか、くたばったという言葉は大好き」という考察、たいへんおもしろいですね。同意いたします。
 64歳の私は、今でも「きけ わだつみの声」とか、映画「切腹」(小林正樹監督)を通して、死の意味や死に方について考えます。たしかに男の特徴かもしれません。

投稿: 越村 南 | 2014年5月30日 (金) 23時23分

 昭和29年リリースということは、私は4歳、幼稚園前ですね。
電気屋さんのスピーカー、映画館の宣伝カー、商店街のお店の
ラジオなどから盛んに流れていたように記憶してます。
 そして、長いこと人気のある流行歌だったといえますね。
もちろん、私も歌詞の内容は皆目解らず、小四頃にいくらーか
全体の意味がなんとなく・・という感じですかね。
 でも曲のほうは軽快なリズム・テンポもいいし、メロディラインも馴染みやすく、すぐ覚えたような。なにせ耳コピしか覚える手段が有りませんものね。 作曲の渡久地政信さんは沖縄奄美で育った事で、メロディに沖縄・奄美民謡の音調が巧みに
随所に使われていますね。ブギウギに上手く乗せてるとおもいます。ずーっと後になってTVの舞台中継で「ご新造さんへ、女将さんへ……」の「たかり」の場面を観る事があって、「あぁ
これなのかぁ…」と納得したのが中学二年のときでした。
 市川雷蔵と淡路恵子の映画は観てないなぁ…。

投稿: かせい | 2014年5月31日 (土) 00時39分

舞台が江戸ではなく鎌倉ということになっているのは、当時江戸を舞台にした芝居はご法度だったから、という話を確か戸板康二さんのご著書で読んだ記憶があります。白浪五人男でも、舞台は明らかに隅田川の風景ですが、設定上は鎌倉の稲瀬川だとしなければならなかったとか。

投稿: boriron | 2014年5月31日 (土) 01時06分

boriron 様
なるほど、そういうことがありましたか。ありがとうございました。「蛇足」に反映させていただきます。
(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2014年5月31日 (土) 16時14分

 「雲の上団十郎一座」という舞台劇がありました。その中の一場面にこの玄冶店の場面がありました。切られ与三が八波むとし、その手下が三木のり平。与三は手下にゆすりの段取りを教えようとするが、手下はなかなか覚えられず、与三をいらだたせます。そのからみが絶妙の間で、客席は大爆笑。今、思い出しても、笑い出したくなる場面でした。

投稿: 谷野力 | 2014年6月 6日 (金) 15時31分

当時幼稚園に通っていましたが,帰りには八百屋のY君と肩を組んでこの歌を“熱唱”したものです。勿論意味も判らずに。
それを聞いた母に「そんな歌,歌うんじゃありません」と叱られたもんですが,帰りの放歌高唱はしばらく続きました。

歌舞伎を題材にした歌謡曲では翌年に出た三浦洸一の「弁天小僧」も好きです。ちなみにこの曲を春日八郎は「浜松屋」のタイトルで出していたそうですが,そちらは記憶にありません。

投稿: 西班牙風 | 2014年7月20日 (日) 03時45分

昭和29年に春日八郎によって大流行したお富さん
私が厳しい環境に合った時の青春時代が思い出される曲です。不況によって大学2部もあきらめざるをえない倒産や解雇があった時代。理容の道に進んだのが思い出される。
しかし、誰もが経験したであろう苦い想い出こそ我が命
現在ある幸せは運命を感じます。

投稿: 成田惣平 | 2014年7月25日 (金) 10時21分

私が小学校の4年生の時、父と一緒にびわ湖一周の「はり丸」に乗った時、船上で、のど自慢大会があり、出場して、この「お富さん」を歌いました。

うまく歌えて、確か2位で賞品も貰えたのですが、司会の女性からは、「末恐ろしい坊ちゃんですね。」と言われ、父からは「何でそんな歌を歌うんだ。」と怒られました。

しかし、この歌と三橋美智也さんの「哀愁列車」は、クラス全員が歌っていましたので、「何でそんな事を言われるのか」と納得がいきませんでした。

「哀愁列車」は小学生でも、何となく意味はわかりましたが、「お富さん」はほとんどわかりませんでした。

「いきな黒兵衛」「洗った紙」「げん夜だなあ」とかイメージしていました。

大きくなって意味がわかってきて、言われた意味がわかりました。

私も含めて、意味もわからず、こんなに歌われていたこと自体が、今となっては驚きです。

数年前、只見線にのった時、「会津坂下」駅が春日さんの故郷であることを知り、感慨深いものがありました。

ちなみに、のど自慢大会で優勝したのは、「子鹿のバンビ」を歌った女の子でした。納得です。(笑)

投稿: hiroaki | 2014年8月 4日 (月) 07時35分

死んだ筈だよ女将さんてのもありましな。タモソのアルバムにCD欲しい

投稿: 避難放浪民 | 2015年9月15日 (火) 14時01分

私が中学2年の頃に、この「お富さん」は、「春日八郎」の大ヒット曲として世間では話題の曲であったことを想い出します、
社会人となった昭和30年代前半の頃は、特に居酒屋等では手拍子を交え皆で歌った記憶があります。
この「お富さん」は、はじめキングレコードのスターであった「岡晴夫」が歌う予定がコロムビアレコードに移籍をしたため、急遽「春日八郎」が歌うことに・・・
これが「春日八郎」の出世作となったところですが、勿論「春日節」も味わい深いところもありますが、この曲を聴く度に、もし、あのひっくり返る裏声に特徴のある「岡晴夫」が歌ったとすれば、どのような仕上がりになったのだろうかと、夢にも見るような今日この頃です。

投稿: 一章 | 2015年9月27日 (日) 20時26分

昭和29年といえば 私の田舎ではテレビもなくラジオが唯一の楽しみでした。
当時小学5年生 男の子たちが集まると大合唱をやっていました。先生から禁止されていました。

担任の先生がいない日だったので、みんなで思いっきり
「 粋なア 黒塀エ~ 見越しのオ 松にイ~♪♪」と合唱していました。
突然 校庭から 「こらあ~ 今 歌ってたものは 運動場に集まれ!」と 小学生が最も恐れるO先生から 叱られました。

「2列横隊に 並べ!」と大きな声で命令。

そのあと O先生からみんなビンタを張られました。泣く子もいました。最後にO先生 ニッコリして「規則は守れ!」と気合が入りました。・・あのころは時々 ビンタをくらっていました。 
・・今 まともに前期高齢者になれたのは O先生のビンタのおかげかもしれません。

そのO先生のお孫さんは 現在 東京6大学で大活躍中で応援しています。

投稿: けん | 2016年4月12日 (火) 16時56分

けん様、一章様、yoko様、りんご様、芳勝様・・・うた物語「お富さん」で薩摩芋焼酎で乾杯です(薩摩は値段が高いため(血圧も200手前でかなり高いです)、普段は徳用3ℓ入り安焼酎“大五郎”で晩酌しています)。
↓一章様ご紹介の東京大衆歌謡楽団浅草神社ライブ(青空たのし師匠司会:「お富さん」(50:10頃)他多数、四兄弟長男高島幸太郎の熱唱、青空たのし師匠の名司会、観客大盛り上がり、実に素晴らしいです!)
http://www.youtube.com/watch?v=OPr9bfPhzn8

投稿: 焼酎 | 2018年5月16日 (水) 20時56分

焼酎さま
私も焼酎さま同様、先日の「東京大衆歌謡楽団」の夢のようなステージを思い浮かべながら、「薩摩芋焼酎」は度々には飲めないので、最近では4ℓ、5ℓ入りの徳用ボトルでの乾杯が多いようです!

「浅草神社ライブ」のご投稿、ありがとうございました。
何回も繰り返し聴きましたが、先日のステージを思い浮かべ再び感動が蘇りました。
高島兄弟の演奏・歌はライブの雰囲気の中、最高だと痛感しました。それにしても、青空たのし師匠の司会のうまさは抜群で、しかもハーモニカの演奏も一級品だと思いました。
改めて、ありがとうございました。

Konohaさま
未だに、先日の「東京大衆歌謡楽団」のステージの印象が瞼に残っています。
とにかく生の演奏は、想像以上に素敵なものだと痛感いたしました。
先日のコメントでは、是非、生でお聴きしたいとのことでしたが、
「東京大衆歌謡楽団スケジュール」で検索しますと、
5/27(日)東京「小金井宮地楽器ホール・大ホール」
5/31(木)東京「カナリヤホール」・・・で公演のようです。
もし、ご都合がお付きのようでしたら、ご検討なされてみては如何でしょうか。

投稿: 一章 | 2018年5月17日 (木) 16時13分

一章さま
 明日、日本橋の「お江戸日本橋亭」へ聴きに行ってきます。毎日YouTubeで聴いていますと、居ても立ってもいられず、許し得て(?)、まあ強引に夫を口説いて行ってきます。いまからわくわくしています。
 こうと思うとすっ飛んでしまう悪い虫(?)がまた出てしまいました。
ご案内ありがとうございます。とても感謝しています。嵌まってしまいました。そういえば、私がうた物語に嵌まり過ぎ、日を置かず投稿しているとき、一章さまが励ましのコメントをしてくださり、とてもうれしかったです。重ね重ねありがとうございます。

投稿: konoha | 2018年5月17日 (木) 16時43分

Konohaさま
早速のコメントありがとうございます。
明日、聴きに行かれるのですね!急なことでびっくりしました。
おっしゃるとおり、今から胸をわくわくなされていると思います。
私も、佐賀公演に行く前までは、日頃は、You Tubeに嵌り込み、
路上ライブでの高島兄弟の演奏と歌に感動・感動の連続でした。

さて、佐賀公演当日では、どんなステージが展開されるのかと、これまた胸わくわくでした。
そして、当日の佐賀公演では、先のコメントで感想を述べていますが、まったくそのとりでした。

当日のステージ上で特に私が注目したのが、次男・雄次郎のアコーディオンを奏でる姿勢と指先の動きと、全員をリードする目線、その中でも、長男・孝太郎(歌)の声全域での声量の豊かさと同時に、
歌う曲の前奏が終わるころに左足を少し前に出し、マイクの前に直立で、右手を上に軽く握りながら(時折離す)身体全身の力で歌い始める。・・・声の豊かさに感動しっぱなしでしたが!
それに、三男・龍三郎のウッドベースの重音、四男・圭四郎のバンジョーの軽やかな音色の美しさにも注目したところです。

少し、長くなりましたが、ご参考になればと思い感じたままを綴ってみました。
特に、20代・30代の若者が奏でる昭和期の名曲の数々・・・
十分に楽しみ堪能なさって来てくださいね!


投稿: 一章 | 2018年5月17日 (木) 19時45分

東京大衆歌謡楽団、高島兄弟ファンの皆様。
私は4年ほど前からユーユーチューブで観賞。
そこに集う人々にも微笑ましい共感を誘われています・
特に孝太郎さんの佇まいに惹かれます。投げ銭を入れる人に歌いながらも深々と腰を折り謝意を表す挙措にも感銘。当初は兄弟2人と別の方で構成、ウッドベースが高島龍三郎さんに入れ替わり、遂に4男も4加わり高島4兄弟のユニットになったのですね。

次男の雄二郎さんは189センチの長身、いつも冷静さの伺える賢弟ぶりも好ましくも思えます。飛び入りもこころ広く受け入れての和やかな路上ライブよ永遠なれ!!

konoha様

羨ましい限りです。
10年若かったら浅草までも馳せ参じますが、遠いみちのく暮らしでは叶いません。
私のぶんも楽しんでください。

投稿: りんご | 2018年5月18日 (金) 17時01分

一章さま
 行ってきました。すごく良かったです!
ご案内に感謝あめあられです!!!孝太郎さんのストレートで声量豊かな声に魅了されっぱなしでした。媚らない歌い方にまいってしまいました。おまけに孝太郎さんのあの景色、素晴らしいです。次男の雄二郎さんリードのトークも笑ってしまいましたし、まさに歌謡漫談ですね。雄二郎さんのアコーディオンも目を見張ってしまいました。なにしろ素晴らしかった。
 夫を振り切って出たかいがありました。ありがとうございました。

 それになんと、けんさまとご一緒になりました。本当に解放されたひと時でした。楽団も素晴らしかったし、けんさまのお人柄にふれられたし、今日は近年にない素晴らしい一日でした。

 欲をいえば四男の圭四郎さんのバンジョーの音色がちょっと弱かったかな・・・というところです。(バンジョーの音が好きなので)

一章さまから、また焼酎さまのYouTubeへのご案内がなければ、このようなひと時を味わうことができなかったでしょう。本当にありがとうございました。


りんごさま
 ごめんなさいね、お先に地の利を生かして先に行ってしまいました。
山形で開催されるときは是非是非おすすめです。素晴らしかったです。
 
 

投稿: konoha | 2018年5月18日 (金) 18時18分

追記
 三男の龍三郎さんのコントラバスの重音が素晴らしく、またトークではお兄ちゃんからのボールの受け方にも笑ってしまいました。楽団の素晴らしさを満喫して帰った来ました。余韻の残る中、残念ながら焼酎ではなかったのですが、ジャック・ダニエルの水割りで至福に酔いしれています。

あこがれさま
 奥様のご様子心配していました。よかったですね。この歳になると病いは人ごとではありませんので、ひと安心です。
二木先生が起ち上げられたこのうた物語に出会えたことに心からの感謝の念に絶えません。皆々様のコメントを拝読させていただくことが今の私の大いなる楽しみになっています。今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: konoha | 2018年5月18日 (金) 19時19分

konohaさま
早速のコメント、じっくりと拝読させていただきました。
先ほどまで、ほんとに久し振りで「日本酒」で乾杯したところです。
一日の宅配業務を終えところに、従来から、市の統計調査員の登録をしておりましたので、その仕事が入りまして、家にたどり着いたのは、18時過ぎた頃でした。

ところで、私が、日頃から心にとめておりました「東京大衆歌謡楽団」の佐賀公演に出会い、この「うた物語」にコメントを投稿したのがきっかけで、「うた物語」ファンの皆様にご共感を得られたことについて大変嬉しく思っております。

それにしても、本日、konohaさまが、待ちに待たれた「東京大衆歌謡楽団」の生のステージでの四兄弟の奏でる昭和期の名曲に感動に感動で魅了されたことに、私自身も佐賀公演でのステージでの四兄弟の姿が懐かしく想い出されました。
konohaさまがおっしゃられるとおり、特に、長男・孝太郎の声量豊かな歌声には、絶賛に絶賛と天下一品と思う次第です。

会場を後にするとき、当日の記念にと思い、「CD」を買い求めましたが、
やはり、実際の会場での生の演奏・歌には勝るものはないものだとつくづく思った次第です。

それに、「けん」さまとお会いなされたとの由、偶然でしょうか?よかったですね!

りんごさま
きっと、そちらの山形地方にも公演のお知らせがあると思います。
楽しみにお待ちいただけたらと思いますが。

あこがれさま
奥様のご様子コメントで知りました。
ご大事になさってくださいね!

改めて、konohaさまから、今回の演奏会のお礼のコメントを戴き恐縮いたしております。
今後ともよろしきお願いいたします。


投稿: 一章 | 2018年5月18日 (金) 21時54分

一章様は市統計調査員も担当され地域貢献との由、お疲れ様です!
一章様ご紹介の東京大衆歌謡楽団のYouTube動画を見たのが縁で、「お富さん」に投稿した者ですが、音楽及び歌舞伎に無知な者にとっては、二木先生の本曲解説(渡久地政信の曲に対する音楽用語を駆使した詳細な解説(音楽ド素人なため8分音符とか全く分かりませんが…)、実話も織り交ぜた歌舞伎演目の詳細な解説)にグイグイ引き込まれ、素晴らしいの一言です。
また、20代~30代青年真っ盛りにも関わらず、東京大衆歌謡楽団の高島孝太郎、雄次郎、龍三郎、圭四郎が、例えばエグザイルやジャニーズ系などとは正反対の?戦前戦後正統派歌謡曲を演奏熱唱する姿も素晴らしいの一言です。

投稿: 焼酎 | 2018年5月18日 (金) 23時05分

 5月18日(金)日本橋の「お江戸日本橋亭」にはじめて行ってきました。ほんとに行って良かったと思います。 この「二木先生のうた物語」に出会い「お富さん」の蛇足や先輩方のコメントを楽しんでいました。一章さんが夢のようなステージに感じられた「東京大衆歌謡楽団」や焼酎様のYouTubuの御案内で さらに「東京大衆歌謡楽団」への思いが募りました。
 草笛に挑戦されてるkonohaさんがご主人様を説得され「お江戸日本橋亭」行きを勇断されたことにも触発されました。8日朝ダメ元で受付に電話しましたら「当日券」での入場可能を確認しました。
 はじめての場所・会場で入場されるお客様のこともわかりません。「もしかすれば」と淡い期待もありました。
 日本橋亭に向かう途中で偶然にkonohaさんにお会い出来ました。その後上品で微笑の美しいシニア女性と高島四兄弟の歌謡ショーを楽しみ、人生を語る至福の時間を過ごすことができました。お客様の半分以上は常連でした。
 平成育ち高島四兄弟が歌う昭和初期の名曲に酔いしれた感動はkonohaさんのコメントの通りです。選曲や演奏力・歌唱力で昭和の歌が「ス~ッ」と心に入り、昭和時代の私に若返っていました。少年時代から「あこがれ」ていた歌手のことも思い出しました。
 「人は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早過ぎず、遅過ぎない時に」(森信三一日一語)という言葉を思い出しました。(逢うべき人=合うべき歌に読み替えもできるかも?)
 二木先生のうた物語、一章さん、焼酎さんの御案内、konohaさんの「ご勇断」にあらためて感謝します。

投稿: けん | 2018年5月19日 (土) 07時28分

皆さん 東京大衆歌謡劇団の公演のことで盛り上がっておられますね。
実は、私は一章様が ずっと以前(昨年?)にYOU TUBEで見ては応援している旨 コメントされるまで、全然知りませんでしたが、元々、昭和初期の歌は大好きで、身体に染みついている年代ですので、それ以来時々YOU TUBEで見ては楽しんでいました。
今時の風潮とは真逆(あまり好きでない言い方)な、貴重なグループで、ずっと続いて欲しいなと思っていましたが、各地で公演されるようになったことは、嬉しい限りですね。
一章様の地道に応援を続けてこられた姿から、何事もこつこつと努力を積み重ねて歩んでおられる姿が想像できます。
私も同年配として、まだまだ頑張らねばと勇気を頂きました。 有り難うございました。

投稿: あこがれ | 2018年5月19日 (土) 09時20分

けんさま
早速のコメントじっくりと拝読いたしました。
読み終わったとたんに、前頭が熱くなり涙が込み上げました。
私の佐賀での公演の感想コメント・・・さらには、焼酎さまのYou Tubeでのライブ画像に助けられ、konohaさま・けんさまとご一緒に、ここまで盛り上がり発展するとは想像もつきませんでした。
(それに、konohaさまのご主人さまにもご理解?に助けられ!)
まるで、映画「昭和歌謡史」の一遍を観ているようにさえ思えてきました。
それにしても、konohaさま・けんさまには、当日のステージでほんとに夢のような演奏、歌の展開に、暫し釘付けとなられ感動に感動を感じられたことと思い・・・今、佐賀公演での感想コメントを投稿してよかったなーとつくづく思っています。
「東京大衆歌謡楽団」の四兄弟には、末永く、路上ライブ~ステージで昭和期の歌謡曲の醍醐味を多くの方々にお届け願いたいと思っています。
二木先生~皆々さまありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: 一章 | 2018年5月19日 (土) 09時21分

皆様こんにちは。この歌が「ピョンコ節」ということも蛇足で知りました。昭和29年ですから、私が小学校5~6年のころに流行りました。「いきなくろべえ」というのもこの蛇足から分かりました「見越しの松」も後年知りました。いろいろありがとうございます。

投稿: 今でも青春 | 2018年5月19日 (土) 10時11分

今朝のTV番組で弁護士で盲目のご主人が若い生徒さんの質問に答えておられました。

 生徒 「私は片方の耳に障害があり途中で辛くなって何事も続きません。先生は盲目をどのように克服されて弁護士になられたのですか?」
 
 弁護士「自分のためにだけでやっていると、辛くなってきます。私はだれかのため、私を必要としてくれる人のために頑張りました。」(奥様も盲目で弁護士合格まで8年かかったそうです。)

 一章様、焼酎様は「お富さん」や「東京大衆歌謡楽団」の感動を「二木先生のうた物語」を愛する方々のために提供されたからだと思います。あこがれ様の一章様への応援コメントを拝読しながら感じました。
 また このようなこと(分福)を日頃から心がけ実践されていらっるからでしょう。
 これからもよろしくお願いします。  感謝をこめて
 

投稿: けん | 2018年5月19日 (土) 10時15分

あこがれさま
いつも心におかけ戴き、過分なる励ましのコメントを頂戴し、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
定年退職後、五つ目の仕事に挑戦中で、現在の宅食業務を初め全てがお客様相手の仕事で、神経をすり減らすこともしばしばありましたが、何事にも気にせず、自分なりに一歩前進あるのみと思い、新たなことへの挑戦あるのみと思い頑張っております。
今後ともよろしくお願いいたします。

けんさま
あこがれさまへのコメントでも、申し述べましたが、これまで「うた物語」に集う皆様と出会い、今回の「東京大衆歌謡楽団」の佐賀公演から始まり、今日まで、大いに盛り上がったことについて、改めて、「うた物語」の皆さんの方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: 一章 | 2018年5月19日 (土) 21時18分

軽快なリズムで手拍子で歌われている曲ですが、歌舞伎の演目であることと、物語があったことは最近まで知りませんでした。
「粋な黒塀、見越しの松にあだな姿の洗い髪」という歌詞の出だしも、不思議でなりませんでしたが、物語を知り納得しました。
「お富さん」という人物もそうぞうがつきます。

投稿: jurian prabhujee | 2020年2月28日 (金) 22時43分

二木紘三様

はじめてコメントさせていただきます。最近昭和歌謡についてのブログを始めたaplico7と申します。
戦前戦後の昭和歌謡について、私と同じようにほとんど知識がない世代の人に読んでいただけたらと思い、一曲ずつ調べながら投稿しております。
その過程で二木様のブログを知り、拝読しては勉強する日々です。

その中私のブログ内で、勝手ながら二木様のブログの内容を、2ヶ所で引用させていただきました。
https://aplico7.livedoor.blog/archives/10144456.html
https://aplico7.livedoor.blog/archives/10046904.html

もしご迷惑でしたらすぐに削除いたしますので、その際はお知らせ頂けましたら幸いです。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

投稿: aplico7 | 2021年7月10日 (土) 14時08分

二木先生の懇切丁寧な解説で謎が解けました。

皆様のコメント
再読して何度も何度も
声に出して笑いました。
こんな笑いを提供してくださった皆さまに感謝申し上げます。、
涙を出して大笑いした後に

焼酎さま今何処の思いがふと過りました。

投稿: りんご | 2021年7月10日 (土) 15時29分

『お富さん』の舞台も鎌倉でしたか。『鎌倉』のコメントにも書かせていただきましたが、『白波五人男』の舞台は鎌倉となっています。borironさんが2014年に既にコメントされていたのですね。江戸時代の歌舞伎の多くは鎌倉が舞台になっています。『助六』、『勧進帳』、『しばらく』、『景清』など枚挙に暇がありません。
https://zaimokuza-shobo.jp/oedo/intro
あの『仮名手本忠臣蔵』も鎌倉が舞台にされています。赤穂浪士の吉良邸討ち入りはお上もからんだ事件だったので、そのままノンフィクションで上演されることを幕府が禁じたのは良く理解出来ます。『お富さん』は実話に基づいているとのことですが、当時の慣例なのでしょう、鎌倉を舞台にすることでフィクション化されています。幕府としては庶民の間に良からぬ風潮が蔓延ることを避けようとしたのでしょうね。

投稿: Yoshi | 2021年7月11日 (日) 09時23分

「お富さん」此方東三河地方も昨晩からの厳しい寒波で、何かと塞ぎ込みそうな気持を吹き飛ばしたくなり、今日は久しぶりに軽快なリズムで元気をくれるこの曲を聴きながら、興味そそられる<蛇足>での解説を改めて読み返しました!

その解説によればこの曲が流行った頃、二木先生は小学6年生の頃とありますが、昭和29年5月生まれの私はまだ赤ちゃんだったのですね。
しかし私が物心ついた頃にはすでにこの歌を何かの拍子にいつも口遊んでいたということは、当時この歌が如何に大衆に親しまれていたのかが容易に想像できます。
そして、<蛇足>『新人だった春日八郎は、この一曲でスターダムにのし上がりました。』この解説にも納得できます。

「お富さん」私はこの歌のページを開く度に、2018年5月16日から19日の4日間に集中して寄せられている同好の皆様からの熱のこもった『東京大衆歌謡楽団』に纏わる、この15件のコメントだけは必ず読み返しています。

私信になり大変恐縮ですが、私の故郷佐賀県にお住まいの一章さまはお元気でしょうか?私はこの歌のページを開く度にいつも一章さまのことを思っています。

投稿: 芳勝 | 2023年1月25日 (水) 18時26分

 お富さん久しぶりです。芳勝さまありがとうございます。『蛇足』を以前にも読んだはずなのに、改めて二木先生の解説の面白さを拝読致しました。

 思わずお富さんのリズムに手拍子を打ってしまいました。そう言えば子供の頃「粋な黒塀 見越しの松に・・・」と口ずさんでいました。長じて「粋な黒塀 見越しの松に」ってどんな家だろうと興味を持ちました。住まいの最寄駅の向こうに戦前三業地と呼ばれていた界隈がありました。坂東玉三郎が有名になり始めた頃、その界隈の料亭で育ったということで探索に行ったことがありました。その頃はもう時代も違って普通の住宅街になっていましたが、一軒だけ黒塀の家がありました。見越しの松はありませんでしたが、初めて目にする黒塀、かなり古くなっていましたが、妄想で何かしら「粋」と「密やかさ」を感じました。

 東京大衆歌謡楽団の公演スケジュールを時たま覗く時がありますが、コロナ禍で行くことができなくなりました。
今時、あのような歌い手はいませんね。機会があればもう一度聞きに行きたいものです。

一章さま、お元気ですか?時々切り干し大根を作っています。

投稿: konoha | 2023年1月25日 (水) 22時50分

芳勝さま、konohaさま
ご心配いただき嬉しい限りです。ありがとうございました。
お二人のお便り楽しく拝読させてお頂いております。ありがとうございます。
 この歌がラジオ等で流れてきたのが、私が中学二年生の時で明るい調子のいい曲で心が躍るような思いをしたのを覚えています。
 2018年の「東京大衆歌謡楽団」でのコメント数々懐かしく想い出しています。時々ブログを開いていますが、やはりいつ聴いても当時の雰囲気が伝わってきて心が和みます。
 芳勝さまのご出身の巖木町方面には、以前はよく通っていましたが、また機会があれば「佐用姫像がある道の駅」に寄りたいと思っています。
 Konohaさま 切り干し大根のお味は如何でしょうか。焼酎での乾杯もなさっておられますか。
私は、最近では「パセリ」にはまっています。でもちょっと成長が遅いようです。久し振りで今日、切り干し大根に挑戦しました。  最近、血糖値が少し高くなってきたので、好きな焼酎は、「糖質ゼロの芋焼酎」にしていますが、ちょっと高めなので困っていますが。
ところで、宅配業務を始めて早いもので12年目を迎えています。
朝起床が6時頃で、今は寒いので大変です。帰宅が、13時半~14時頃で食事と明日への準備をすればすぐ夕方になります。
 先日の寒波では道路が雪で凍っていて大変でした。
でも、私を心待ちにしておられるお客様のことを思い、元気を出さねばと思い奮起しています。
 夕食時の「芋焼酎」での反省会でさらに後押しをしてくれているようです。
 長くなってしまいましたが、ご心配のお便りありがとうございました。

投稿: 一章 | 2023年1月29日 (日) 13時24分

一章さま
 お元気なご様子何よりと思っております。「東京大衆歌謡楽団」の孝太郎さんの「お富さん」はいいですね。孝太郎さんが歌っている景色がいいです。媚びることのない姿はストレートに聞く側に入ってきます。

 この季節の大根は甘く本当に美味しいですね。一章さまから伝授された切り干しは欠かせません。3年古酒の泡盛のお湯割でいただいています。マグカップにツーフィンガー分の泡盛を入れてお湯を入れます。体が温まります。私はお米が好きなんですね。(笑)

 12年はすごいです。過日テレビで一人暮らしの高齢者にお弁当届けている映像を見ました。それを見ながら一章さまも心待ちをしている皆さんにこうして喜ばれているんだなぁと思い、だからやめられないのではと思ってしまいました。どうぞくれぐれもお気をつけて運転なさってください。

投稿: konoha | 2023年1月29日 (日) 22時35分

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