もしも明日(あした)が
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もしも あしたが晴れならば |
《蛇足》 昭和51年(1976)10月6日から昭和61年(1986)9月24日まで、テレビ朝日系列で放送されたバラエティ番組『欽ちゃんのどこまでやるの!?』の挿入歌で、昭和58年(1983)12月21日に発売されました。
通称『欽どこ』と呼ばれたこの番組は、40パーセントを超える視聴率を記録したこともある人気番組でした。萩本欽一と真屋順子が夫婦に扮し、その一家のお茶の間でいろいろなことが繰り広げられるというホームドラマ風の公開録画番組でした。
この夫婦の娘という設定のぞみ(高部知子)・かなえ(倉沢淳美)・たまえ(高橋真美)が「わらべ」というユニット名で、『めだかの兄妹』という挿入歌を前年にヒットさせていました。その後、高部知子がスキャンダルで抜けたため、この歌はかなえとたまえの2人だけの「わらべ」が歌いました。
『めだかの兄妹』は約89万枚売り上げましたが、『もしも明日が』はそれを上回る100万枚近い大ヒットとなりました。
昭和には末期になっても、このような韻律のある歌詞と歌いやすいメロディの歌が作られていたのだと思うと、いささかの感慨があります。ラップのようなリズム優先の散文歌謡が氾濫しだすのは、平成に入ってからなのでしょうか。
(二木紘三)
コメント
“しゃべる歌 ”現れ昭和遠くなり 拙句
二木様も《蛇足》の中で感慨深げに述べておいでですが、ヒップホップに代表されるラップ唱法には、昭和も一桁に近い、わたしのような化石人間には、「これが歌か?」と、ただ驚きあきれるばかりです。「歌は詞と曲から出来ているもの」という観念が牢固にこびりついているせいか、リズムだけでメロディそっちのけ(ではないのでしょうが)、それに早口ことばのオンパレードというラップ音楽にはとてもついていけません。
とはいうものの、やはり気にはなります。そこで「ラップ」音楽をネットで検索してみました。そうしましたら、吉幾三の『俺ら東京さ行くだ』も、日本のラップの草分けだと知って、またまたびっくり。何のことはない、多分ラップ音楽も先入観をもたず聞いていれば、耳になじんでくるのかもしれません。しかし、その頃には多分、わたしは黄泉の国で懐かしい“昭和のメロディ”に聴き入っていることでしょう。
投稿: ひろし | 2014年5月16日 (金) 14時20分
とてもとてもやさしい歌をありがとうございました。
結婚5~6年後でちょっとした喧嘩の気まずさの時に、番組に会わせてお互いに横を向いて口ずさみ歌が終わる頃には笑い合い自然に仲直り出来たのもこの歌でした。
今頃は友人の訃報がある度にお互いどちらが先きに逝くか・・・と言いながらこの歌を歌い歌に励まされています。
ラップと言える阿木・宇崎ご夫婦の「港のヨーコヨコハマヨコスカ」当時飛び抜けた新鮮さを感じたことを思い出しました。
投稿: 尾谷光紀 | 2014年5月18日 (日) 23時07分
あの『四季の歌』の作詞家、荒木とよひさの歌なんですね。へえ~そうか・・、です。
歌は、その歌との最初の出会い方が大事で、その後の歌の印象を形作るような気がします。
ラジオから流れてくる歌、喫茶店で偶然聞いた歌に「あ、この歌いいな、何という歌だろう」という出会い方もあれば、最初からわかりきった映画の挿入歌などの場合もある。
じわじわ人気の出る歌もあれば、売る側の企画でヒットすることもある。
この歌は、人気番組『欽どこ』の視聴者向けに作った歌のような気がします。テレビ番組と歌が、完全にパッケージ化されたようで、最初からすこし拒反応がありました。
歌を聞けば、いつもお茶の間で女の子が歌っている風景が眼に浮かぶ。
悪くはないんですが、絵にかいたような小市民の生活の中の愛、毒にも薬にもならぬというか、屁のような愛のように感じます。
のめりこんで我を忘れる愛もあり、人生を狂わす恋もあるんですが・・
投稿: 浮舟 | 2014年5月22日 (木) 15時53分