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2014年7月19日 (土)

黒い傷あとのブルース

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:John Schachtel、日本語詞:水島 哲、唄:小林 旭

1 霧降る夜の この街角に          
  今日もまた 俺ひとり
  ああ あの娘(こ)の思い出に
  誘われて つい一人来てみたが
  なぜかしら 痛むのさ
  黒い心の傷あと

   (セリフ)
   霧の深い夜だった。
   俺から言い出した突然の別れの言葉に
   必死に涙をこらえていたあの娘。
   黙って俺を睨んでいた。きつい別れだった。
   あれから3年、つい、この街に立ち寄ってみたが……。
   今夜も霧が深い。あの娘は幸せになってるだろうか。
   いつの日に消えるのか、俺の黒い心の傷あとも。

2 ちぎれて消えた あの恋だけは
  大切にしたいのさ
  ああ あの娘の思い出が
  いつまでも この胸に焼きついて
  いつの日に 消えるのか
  黒い心の傷あと

  Broken Promises

Love untrue will fade away
Like the leaves
When the summer is through.
Broken promises, broken promises
That's all, all I ever got from you.
You promised me a love that's true,
And vowed by all the stars up above.
But your promises, broken promises.
Broke my heart
And left me all alone without my love.
Broken promises, broken promises.
With a tear I will can hear broken promises,
Broken promises, broken promises.

《蛇足》 どうも記憶が曖昧ですが、私がこの曲をラジオで初めて聞いたのは、昭和35年(1960)だったような気がします。そのときはインストゥルメンタルで、小林旭の歌を聞いたのは、翌年か翌々年だったと思います。
 アンリ・ド・パリ楽団が日本ビクターからEP盤で出したのは、昭和36年
(1961)だったそうですから、たぶん私の記憶がずれているのでしょう。

 青春前期は、感情の振幅がとりわけ多い時期で、野放図な明るさを好む一方で、引き込まれるような暗さに惹かれることもあります。この曲の鬱々とした情趣は、当時の私の負の心情にぴったり収まりました。
 私だけでなく、外国のポピュラーソングには珍しい演歌的なフィーリングが多くの日本人にアピールし、大ヒットとなりました。昭和36年に同名の日活作品の主題歌として発売された小林旭のレコードも、ベストセラーになりました。

 私は、この曲は世界的なヒットだと思っていましたが、どうもほとんど日本でだけの大ヒットだったようです。日本での大ヒットを逆輸入する形で、アメリカでも多少ヒットしたようですが。
 ウィスコンシン州の地方紙"The Milwaukee Journal"の1961年12月28日号に、次のような記事が載っていました。同紙は1837年創刊の老舗で、現在は"
Milwaukee Journal Sentinel"という名前になっています。

 下図がその記事で、「無名のアメリカ人作曲家が日本のレコード市場でビッグヒット」という見出しになっています。抄訳してみましょう。

 ジョン・シャハテルという、わが国のヒットパレードには一度も名前が出たことのない無名のポピュラー音楽の作曲家が日本のレコード市場で大暴れしている。
 いちばん驚いているのはシャハテル自身だろう。彼は補聴器のベテランセールスマンで、暇なときにクラリネットで作曲していたのである。彼の"Broken Promises" (日本語題名:Kuroi Kizuato No Blues)は、日本のヒットパレードのポップス部門で17週間1位を維持し、現在も2位につけている。
 「この曲はニューヨークでは1人も買い手が見つからず、結局自費でマスターレコードを作るしかなかった……コロムビア映画音楽産業が引き取ったという話を聞いてから18か月間、どこからもレスポンスがありませんでしたが、今年の4月になってから、日本のいくつかのレコード会社から契約を求める電報が舞い込み始めました」
 シャハテルは、最初の月の印税として4000ドル(当時のレートで144万円)受け取り、さらにこの年末までに5万ドル(同1800万円)を受け取ることになるだろう。

Kuroikizuato_2

 このあとシャハテルは、「ニューヨークのレコード会社が私のすべての作品に多大の関心を示している」と自信を示すのですが、その後彼の作品がヒットしたという話は記録されていないので、どうもこの1曲の成功だけで終わったようです。

 "Broken Promises"の演奏では、テナーサックス奏者のサム・テイラーやシル・オースティン、イタリアのアルトサックス奏者のファウスト・パペッティが有名です。
 サム・テイラーやシル・オースティンは、日本的フィーリングが彼らの演奏者魂に合っていたのか、あるいは逆に2人の演奏法が日本人の心情にマッチしていたためかわかりませんが、何度も来日して、数多くの歌謡曲を吹き込んでいます。

 サム・テイラーは『影を慕いて』『誰よりも君を愛す』『花と涙』『命預けます』『知床旅情』『わたしの城下町』など、シル・オースティンは『船頭小唄』『傷だらけの人生』『兄弟仁義』など。
 演歌の吹き込みがとくに多かったサム・テイラーは、「エンカテナー」と呼ばれたこともありました。

(mp3は日本語詞に合わせてアレンジしました)。

(二木紘三)

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コメント

あのころ聞いた記憶はありませんが、このメロディと演奏がどちらも異様に素晴らしく、心を揺さぶります。こういう切々たるメロディは、今の時代にはあまり聞かれませんね。二木さんもふくめて、当時の若者たちは、それだけ突き詰めた思いで生きていたということでしょうね。映画「アラモ」の総攻撃前夜に敵陣地から聞こえる「皆殺しの歌」ーー二木さんのブログにもありますがーーをちょっと思い出させますが。

投稿: Bianca | 2014年7月21日 (月) 18時05分

若い頃自然に耳にしていた好きな曲です。「暗い港のブルース」と「黒い傷跡のブルース」はよく似ている印象がありました。カラオケで私が時々歌う「暗い港のブルース」はキングトーンズが外国のヒットソングを歌っているものだと思っていた時期がありました。この曲は日本が世界に誇るブルースだと言えましょう。「暗い傷跡のブルース」は日本のものか外国のものか区別がつきませんでした。2曲とも歌から受ける感じは国籍不明ですが、「暗い傷跡のブルース」が外国でそれほど受けなかったというのは意外でした。トリオ・ロス・パンチョスも外国では日本ほどの人気がなかったようですね。

投稿: 山下仁平 | 2014年7月22日 (火) 21時59分

 とても懐かしい曲・・・山下さんと同じで「暗い港のブルース」にどこか似ていますね。
そして大好きなS.オースティンのこの曲はバック・コーラスが盛り上げています。
彼の演奏のダントツはH.カーマイケルの「Stardust」でサブ・トーンもすばらしく説得力もあり、ヴァースからの演奏はつまりジャズの中でも最上位の名曲だからではと6ヵ月かかりコピーして持ち曲に、S.テーラーのダントツはE.ハーゲンの「Harlem Nocturne」で10ヵ月近くかかりこれも持ち曲にしていますが、サビのところの6連符はスタッカートがアマチュアでうまく出来ず4~5連符でやっていますす。
 忘れそうないい曲に再会しそして曲の背景や経緯も《蛇足》で知り何時も感謝しています。

投稿: 尾谷光紀 | 2014年7月24日 (木) 22時13分

初めまして。
1950札幌生まれ&育ちです。
小6から(中学受験勉強のフリをして)毎晩洋楽番組を聞いていました。70年代初め迄洋楽最高でしたね。

先日突然トランペット曲を聞きたいと思いYouTubeへ。
白い渚のブルース・鞄を持った女のブルース等聞き覚えがありましたが『いや、もっと寂しげな〇〇ブルースって曲、なんだっけ?』ともやもやしていました。
するとある朝突然にこのフレーズが頭に!スマホで「この曲なぁに?」でハミングしてみても音痴な為、「該当曲無し」と。。

やっと解ってここに来ました。
小林旭ってことで「暗い港のブルース」同様日本の曲かと思いきや・・
思ってもみなかった詳細解り、感激の最中ですw
今後少しずつ他の記事も読みます!楽しみです♪

投稿: marico | 2022年6月 9日 (木) 11時09分

「黒い傷あとのブルース」40年ほど前に私が購入した、LPレコード『小林 旭・哀愁』と云うタイトルのそのアルバムには、<蛇足欄>に記してあるそのセリフが入っておらず、また歌詞自体も一部カットされています!

数年前に見つけたこの曲のページで、私はこの映画の主題歌が実はセリフ入りだったんだとその時に初めて知りました。

2:『ちぎれて消えた あの恋だけは 大切にしたいのさ』

私のそのアルバムでは、上記の詩の部分がカットされており、そしてこの唄は4行3番で構成されています。

『・・俺から言い出した突然の別れの言葉に必死に涙をこらえていたあの娘。黙って俺を睨んでいた。きつい別れだった・・』
私は、上記の昔ならではこの男臭さが漂うニヒルなセリフに何ともいえない魅力を感じています。

この曲を聴きながら私が思わされるのは、幼いころにラジオで聴いていた、平尾昌晃の「星は何でも知っている」や、西郷輝彦のデビュー曲「君だけを」をはじめ、若者の清らかさを謳った一連の青春歌謡、また布施明が歌った「霧の摩周湖」などのヒット曲とは、明らかに作風の異なるこの唄が、あの作詞家水島哲氏の作品だというのにも私には驚きでした。そこにプロの作詞家たる実力の凄さを今改めて感じさせられます。

「黒い傷あとのブルース」私が最近視聴したYouTube動画で、小林旭が主演したこの映画について、当時日活の押し女優ということでこの映画の恋人役に抜擢され、共演した吉永小百合が、当時はあまりにも幼なすぎて、どうしても恋人という感情が湧いて来ずに、かなり大変だったと語っていました。考えてみるとこの映画を撮影していた当時の吉永小百合はまだ16歳です。その動画を視聴しながら私は小林旭の当時の気持ちは無理もないようなそんな気がしました。

投稿: 芳勝 | 2022年6月30日 (木) 22時56分

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