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2014年8月 6日 (水)

輝くひとみ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:J. E. Carpenter、作曲:W. T. Wrighton、日本語詞:龍田和夫

1 相見るまでの 遠き別れぞ
  今宵夢見し わが胸燃ゆる
  きみが言葉を 風よ送れや
  月の浜辺に きみが微笑み
  きみが言葉を 風よ送れや
  月の浜辺に きみが微笑み

2 あかつき染むる 波の彼方に
  きみが姿は 星と輝く
  まなこ閉ずれば 甘き夢見つ
  まなこ開ければ きみが微笑み
  まなこ閉ずれば 甘き夢見つ
  まなこ開ければ きみが微笑み

 Her Bright Smile Haunts Me Still

1. 'Tis years since last we met,
   And we may not meet again.
   I have struggled to forget
   But the struggle was in vain.
   For her voice lives on the breeze,
   And her spirit comes at will,
   In the midnight on the seas,
   Her bright smile haunts me still.
   For her voice lives on the breeze
   And her spirit comes at will.
   In the midnight on the seas
   Her bright smile haunts me still.

2. At the first sweet dawn of light,
   When I gaze upon the deep,
   Her form still greets my sight
   While the stars their vigils keep.
   When I close mine aching eyes,
   Sweet dreams my senses fill,
   And from sleep when I arise
   Her bright smile haunts me still.
   When I close mine aching eyes,
   Sweet dreams my senses fill,
   And from sleep when I arise
   Her bright smile haunts me still.

3. I have sailed 'neath alien skies,
   I have trod the desert path,
   I have seen the storm arise
   Like a giant in his wrath.
   Every danger I have known
   That a reckless life can fill,
   Yet her presence is not flown,
   Her bright smile haunts me still.
   Every danger I have known
   That a reckless life can fill,
   Yet her presence is not flown,
   Her bright smile haunts me still.

《蛇足》 イギリスの劇作家で作曲家のJ. E. カーペンター(Joseph Edwards Carpenter 1813-1885)の詞に、W. T. ライトン(William Thomas Wrighton 1816-1880)が曲をつけたもの。

 カーペンターは多数のミュージカルのほか、ヘンリー・ビショップやスティーヴン・グローヴァーなどの作曲家と組んで、2500曲にのぼる歌を作っています。

 『輝くひとみ』は、失恋なのか死別なのかはわかりませんが、とにかく去っていった恋人の輝くような微笑みがどうしても忘れらない、といった内容です。現代に至っても廃れることなく、メアリー・ホプキンなど多くの歌手が歌っています。

 日本語詞としては、上記のほかに志村建世の『消えぬおもかげ』、近藤朔風の『ほととぎす』、犬童球渓(いんどう・きゅうけい)の『秋夜懐友』があります(下記)。このうち、『ほととぎす』と『秋夜懐友』は、別れた友人を偲ぶ内容で、原詞のような恋歌ではありません。

 近藤朔風は多くの外国曲に日本語詞をつけていますが、その多くが『菩提樹』のように、原詞の内容をできるだけ生かそうとしているのが特徴です。
 ところが、この曲ではそうなっていません。それは、この日本語詞がドイツの詩人ルードヴィッヒ・ウーラントの詩にシューマンが曲をつけた『暗路
(やみじ)』として発表されたからです。それが、どういういきさつかわかりませんが、『ほととぎす』とタイトルを変え、ライトンのメロディに乗せて歌われるようになったのです。

 『消えぬおもかげ』

1 わかれた人の おもかげ今も
  心なやます とおい旅路に
  風にきこえる その人の声
  波間に浮かぶ その人の顔
  払いのけても 去らぬおもかげ
  旅の空にも 消えぬおもかげ

2 夜明けも近く ひかる星かげ
  見上げる空の くらい深みに
  またもほほえむ その人の顔
  まなこ閉じれば 夢をなやます
  払いのけても 去らぬおもかげ
  旅の空にも 消えぬおもかげ  

 『ほととぎす』(近藤朔風)

1 おぐらき夜半を 独(ひと)りゆけば
  雲よりしばし 月はもれて
  ひと声いずこ 鳴くほととぎす
  見かえる瞬間(ひま)に 姿消えぬ
  夢かとばかり なおもゆけば
  またも行手(ゆくて)に 暗(やみ)はおりぬ

2 別れし友よ 今はいずこ
  今宵の月に 君を想えば
  心は虚(うつ)ろ 思い出消えず
  悩める胸に 返るは彼(か)の日
  星影たより ともに語りし
  昔の言葉 今ぞ偲ぶ


 『秋夜懐友』(犬童球渓)

1 手慣れ(たなれ)の小琴(おごと) 共にかき撫で
  澄み行く月を めでしも今は
  夢と過ぎつつ 友また遠く
  吾(われ)のみひとり 淋しき窓に
  変わらぬ月を 眺めぞあかす
  とわたる雁よ 思いを運べ

2 端居(はしい)の夕べ 手をとりかわし
  行く末までも 今宵のままと
  誓いしものを その友今は
  海山遠き かなたの里に
  なきゆく雁を いかにか聞ける
  み空の月よ 俤(おもかげ)うつせ

(二木紘三)

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コメント

投稿: なち | 2014年8月 6日 (水) 12時41分

73才の男性です。
54年前の高校2年生の時でした。学芸会で女性徒が唱歌『ほととぎす』を独唱で歌ったのを聞いていました。なんと素晴らしい!! 聞き惚れてしまいました。二木さんの“うた物語”は世界の名曲が揃っており、この中の『輝くひとみ』別の歌詞「ほととぎす」は大好きで、良く唄っています。美しい昔の思い出を手記しました。

投稿: 斎藤 孝 | 2014年8月27日 (水) 08時54分

訳詞では原詩と関係なさそうなほととぎすが歌われていますが、それには深い深い訳があります。万葉集以来、ほととぎすは「懐旧の鳥」と理解され、その声を聞くと、無性に昔の人が懐かしく思い出されるという共通理解があったのです。訳詞者はそのことを踏まえて、まず1番でほととぎすの声を聞き、2番で旧友を思い出させているのです。原詩は恋人ですが、訳詞では旧友になっているのは、明治という時代の制約があったのかもしれません。
 現代人はそのようなほととぎす理解を学ぶことがなかったため、1番と2番の飛躍に違和感を覚えるのではないでしょうか。詳しくはブログ「うたことば歳時記」の中の「懐旧のほととぎす」「唱歌『ほととぎす』」をご覧下さい。

投稿: miik3 | 2015年6月22日 (月) 21時11分

 「小暗き夜半を独り行けば、 ラララ〜  夢かとばかりなおも行けば  またも行く手に闇はおりぬ」 と忘れた箇所をハミングして口ずさんでいました。タイトルは「なんだっけ?」とこの数日間思い出そうとしたのですが、だめでした。

 またメロディは歌詞のような寂しさはないのに、なんで「行く手は闇」なんだろうと、気になって仕方がありませんでした。今日たまたまページをクリックしたら、気になっていたメロディにぶつかりました。

 「輝くひとみ」だったのですね。これが「ほととぎす」だったのですね。
すぐ通して歌ってみました。まずはひと安心です。

投稿: konoha | 2017年9月 2日 (土) 10時11分

連投をお許しください。メロディが好きなので忘れた箇所はラララで鼻歌で、詩の意味も考えずに歌っていました。

 日本の詩歌に「ほととぎす」が わりと登場しますが、暗いイメージが多い気がします。(勿論、憶測と独断ですが)

 近藤朔風の「ほととぎす」の詩にライトンの曲のイメージが、どうしても私には合わない気がします。それというのも朔風の詩は心の指針としていた友が逝ってしまった「たまらない寂寥感」というものを感じるからです。

 夜に姿も見せず鳴く鳥のイメージから「死」の暗い影を感じとっていたもかも知れませんね。(これも憶測と独断です。)「卯の花に鳴くほととぎす」に出てくる「ほととぎす」とは正反対です。

 朔風のとは違って、「輝くひとみ」の愛した人への想い、また「秋夜懐友」の心穏やかに友を偲ぶ様子にライトンの曲がぴったりだなと思いました。この曲に「ほととぎす」の詩が結びついたのが不思議です。

投稿: konoha | 2017年9月 2日 (土) 18時22分

昭和23年に学制改革があり、それまでの旧制中学校4年生が新制高校1年生に。旧制中学校が同じ町の旧制女学校と生徒を折半交換して私は抽選の結果荒くれの中学からしとやかな女学校に引っ越しました。それまでは音楽の教師もおらず、軍歌しか知らなかった「音楽」に専任の音楽の先生、音楽の教科書が!最初に出会ったのが近藤朔風作詞の「闇路」でした。初めて女学生たちと声をそろえて歌ったこの曲の歌詞・曲とも85歳の今も全部覚えています。
先ほど突然思い出し、このサイトで発見、聞きながら青春の思い出に涙が溢れました。

投稿: 安田 稔 | 2017年12月23日 (土) 08時18分

何度聴いても佳い曲ですね。机周りを片付けながら、なんどもリピートしそうです。

投稿: konoha | 2017年12月23日 (土) 09時29分

 「丘の上の白い校舎」から順繰りで、「輝くひとみ」にきました。一日違いで先の投稿から2年経ったのですね。やはり佳い曲です。メロディにほっとした気持ちになります。どうしてもリピートしたくなりますね。今年は机周りの掃除は終わりました。

投稿: konoha | 2019年12月24日 (火) 19時37分

josame様
 お書きになった「あの日の少年『焼き場に立つ少年』」の歌詞で二木先生のメロディーを聴くうちに、不覚にも涙がこぼれました。
 ご紹介いただいたURLから、この少年の名前は「あきひろ」君で、翌昭和21年春に諫早の小学校を卒業しているらしいことが挙げられていますが(とすれば、この写真の時は小学6年生)、いずれも確定的な情報がなく未確認のようですね。また、この写真をキチンと見た専門のお医者さんによれば、彼はどうやら原爆症にかかっているようだとのこと。このようなことから、やはりこんにちまで存命してはいない可能性が高いのでしょうか。もしご存命なら満87~88歳のはず。何か名乗れない事情があって、いまでもどこかでお元気で暮らしておられればよいがと願うほかありません。

投稿: Snowman | 2020年9月 7日 (月) 15時13分

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