(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞・作曲:Stephen Collins Foster、日本語詞:水田詩仙
Massa's In De Cold Ground
1. Round de meadows am a ringing De darkeys' mournful song, While de mocking-bird am singing, Happy as de day am long. Where de ivy am creeping O'er de grassy mound, Dare old massa am a sleeping, Sleeping in de cold, cold ground. Chorus: Down in de cornfield Hear dat mournful sound: All de darkeys am a weeping -- Massa's in de cold, cold ground.
2. When de autumn leaves were falling, When de days were cold, 'Twas hard to hear old massa calling, Cayse he was so weak and old. Now de orange tree am blooming On de sandy shore, Now de summer days am comming, Massa nebber calls no more. Chorus:
3. Massa made de darkeys love him, Cayse he was so kind, Now dey sadly weep above him, Mourning cayse he leave dem behind. I cannot work before tomorrow, Cayse de tear drops flow, I try to drive away my sorrow Pickin on de old banjo. Chorus:
1 小鳥はさえずる 春の空に 悲しき歌声 そぞろにひびく 若草しげれる この丘に 冷たく眠れる 君を慕いて あわれ この歌声に 帰り来ませ いざ 眠れる君よ
2 木々のもみじ葉は 寒く散れど やさしきその声 今は聞えず オレンジは香り 夏たちて 年月めぐれど 君は帰らず あわれ この歌声に 帰り来ませ いざ 眠れる君よ |
《蛇足》 1852年に、ニューヨークのファース・ポンド・アンド・カンパニー社から楽譜が発行されました。
南部プランテーションの園主の死を嘆く黒人奴隷の姿にフォスターが感動して作ったものといわれます。黒人が虐げられていた時代でも、園主の人柄によっては、奴隷たちから慕われることもあったのでしょう。
『オールド・ブラック・ジョー』などと同様、おもにミンストレル・ショーで演奏され、そこから一般の人びとにも広まりました。
ミンストレル・ショーは通例、顔を黒く、唇を白く塗るなどして黒人に扮した白人が黒人の歌や踊りなどを演ずるエンターテインメントですが、1964年に公民権法が施行されてからは、黒人蔑視を助長するものとして行われなくなりました。
原詞では、聯によって語数が1つまたは2つ(各八分音符1つ)違うので、わずかですが、主旋律に違いがあります。
原詞では、何か所か黒人英語が使われています。タイトルのMassaはMaster、deはtheを示します。また、歌詞中では、be動詞がほとんどamになっています。
日本語詞としては、上記のほか、武井君子、植村敏夫、峯陽、津川主一によるものがあります。これらはいずれも、中学校の音楽教科書用に作られたものです。
また、明治時代に小学生用の唱歌として、このメロディに合わせて『春風』という歌詞が作られました。戦後も、歌詞は多少変わりましたが、音楽の授業で使われたので、覚えている人は多いと思います。
(二木紘三)
コメント
この曲は歌詞が違っていましたが中学の音楽の授業で習いました。
黒人の文法の誤用は、ジョージ=ガーシュイン作曲のPorgy and Bessでも多用されています。このオペラは現在ジャズのスタンダードになっているSummertimeで有名ですが、例えば、二人が愛を誓う場面で歌う曲にはBess, you is my woman nowとわざと誤用を用いています。今日では、差別的な演出と取られても仕方がないと思います。
ところで、米語に慣れてくると黒人訛りに気付くようになります。もちろん文法の誤用ではありません。かつての私の在米時の職場にも黒人がいました。現在もラジオから流れて来るアナウンサーの発音から黒人であることがわかります。因みに現在の合衆国大統領も同様の発音をします。尤も彼の場合は黒人訛りを覚えるようにした時期があるということからも伺える様に、彼らの訛りには自分達のアイデンティティーという側面もあるようです。
投稿: Yoshi | 2014年10月11日 (土) 18時40分
フォスターの曲は大好きです。
懐かしいアメリカの農園と、優しい人々の生活が目に浮かびます。
フォスターの曲を通じてアメリカが好きになった人も多いと思います。
しかし、フォスター自身の生涯はと言えば哀しいものだったようです。(以下、wikipediaより)
作曲しては売るものの夜には金がなくなるというひどい困窮状況に陥り、やがて妻子も去っていく。次第に飲酒に溺れ、孤独に苛まれてゆく。
・・・・
37歳没。この時のフォスターの所持品はわずか38セントの小銭と、「親愛なる友だちとやさしき心よ」(dear friends and gentle hearts)と走り書きされた紙片だけであった。フォスターの死を知らされた妻ジェニーは遺体と対面するやその場で泣き崩れたと伝えられている。
・・・
(とあります。)
二木先生にはまたいつかさらなるフォスターの曲を取り上げて頂ける事を楽しみにしております。
投稿: yoko | 2014年10月12日 (日) 23時51分
久しぶりに開いてみました。
一杯飲み屋での、私の♪定番曲でした。その女将も82で亡くなりました。ある夜、常連客らと酔った勢いで車道に飛び出し、学校を卒業して10数年にもなるのに、フランスデモよろしく手をつなぎ、この歌を叫んで騒いだのを思い出させてくれました。本当にありがとうございます。いつまでもお元気で。
投稿: hide | 2014年11月 3日 (月) 19時00分
フォス\~ターの曲は全部好きですがとくにこの[主人は冷たい土の中に ]
は大好きです 。春風 と言うですね、脳トレの名曲演奏 選曲で唯一
100点採れる曲です。大正琴でも演奏しています。
こんなにたくさん好い歌を作って下さった方はが37歳で亡くなるなんて
色々教えて頂いて有難うございました。
投稿: 君恋し | 2014年11月27日 (木) 21時58分
フォースターが作詞・作曲・37歳で死亡とは知りませんでした。彼の作品は庶民的で明るく、親しみやすいですね。37歳死亡はモーツァルトやシューベルトも、この頃亡くなっています。
投稿: 三瓶 | 2014年12月15日 (月) 18時47分
管理人様
この曲が「掲載曲一覧」の【サ行】にあるということは、『主人は‥』を「しゅじん」と読んでのことと思いますが、どちらかというと、「あるじ」
と読んでのほうが浸透していると感じています。【ア行】にも入れておかれたほうが宜しいかと…。 「あるじ」で探される方もいらっしゃるかと
想い、老婆心ながら…。 ごめんください。 フォスターは良い曲を作ってくれましたね。
投稿: かせい | 2015年1月21日 (水) 22時40分
かせい様
そういえば昔そう読んでいたおぼろげな記憶が……。
アドバイスありがとうございました。修正しました。
(二木紘三)
投稿: 管理人 | 2015年1月22日 (木) 01時03分
音楽の授業と言えばフォスターでした。
決して暗くはないのにどこか哀感のただようこの歌は
中学生の私の心象風景そのもでした。
音楽室に通じる渡り廊下を吹き抜ける風が甦ります。
ピアノでこの曲を弾くとき時私の心は少女時代へと帰っていきます。
満たされなかった思いを追体験しています。
yoko様のコメントでフォスターの不遇な生涯を知って
胸が痛みました。
投稿: りんご | 2017年3月15日 (水) 18時39分
私の表現力不足のために
本来の意味とかけ離れたコメントになりました。
「満たされなかった思いを追体験」は大いなる間違いでした。55年の時を経て中学時代の夢が実現されたことを
自分自身に告げている思いがするのです。
もう身も心も中学生の自分になれるのです。
(フォスターの曲を弾くとき)
ピアノを弾ける環境の幸福な中学生の自分です。
投稿: りんご | 2017年3月16日 (木) 12時42分
りんご様
フォスターの歌はどれも好きですが、ビューティフルドリーマー(夢見る人)もいいですね。youtubeで視聴しますとピアノの伴奏にうっとりとしてしまいます。
フォスターが死の数日前に作曲した最後の歌曲だそうです。
私は楽器も使えず歌も歌えませんのでフォスターの曲はいくつか街を歩きながら口笛で楽しんでいます。
投稿: yoko | 2017年3月16日 (木) 19時58分
yoko様
くちびるに歌をですね。
口笛も芸術です。
一昨年の夏 シニアのハーモニカ愛好サークルの
大会で 口笛にもプロの方がいるのを初めて知りました。
とても感動的でした。
フォスターの 「夢路より」~夢見る人
数少ないピアノ演奏のレパートリーです。
彼の不遇な生涯とは裏腹なあかるい曲
「オースザンナ、草競馬」も懐かしく甦ります。
「オールドブラックジョー、スワニー川」が特に好きでした。
投稿: りんご | 2017年3月17日 (金) 16時37分
(文中敬称略)
>ミンストレル・ショーは通例、顔を黒く、唇を白く塗るなどして黒人に扮した白人が黒人の歌や踊りなどを演ずるエンターテインメントですが、1964年に公民権法が施行されてからは、黒人蔑視を助長するものとして行われなくなりました。
私はアメリカの公民権法施行以後の生まれなんですが、日本では平成初頭あたりまで「ミンストレル・ショー」に類似したようなエンターテイメントが存在していました。
「シャネルズ(→ラッツ&スター)」は言うに及ばず、それ以前にも『第16回NHK紅白歌合戦』(1965年12月31日に旧東京宝塚劇場から生中継、NHK総合テレビ・NHKラジオ第一放送)において雪村いづみ(朝比奈知子、1937~)が「ミンストレル・ショー」の第一人者だった同曲のオリジナル歌手、アル・ジョルソン(Al Jolson、1886~1950)のいでたちで『スワニー(Swanee)』(作詞:Irving Caesar、作曲:George Gershwin)を歌ったり(私はリアルタイムでは生まれてないので小学生の頃紅白傑作選みたいな番組で見ました)、アメリカを代表する喜劇アニメ映画シリーズ『トムとジェリー』(第1作は1940年公開)ではトム(Tom Cat)に葉巻の煙で顔を黒くされたジェリー(Jelly Mouse)が熱した盆の上でタップダンスを踊らされるシーン(BGMは『Massa's In De Cold Ground』と同じフォスター作曲の『Old Folks at Home』、アメリカではそのシーンはカットされている)がそのまま放送されたりしていました。
特に『トムジェリ』においては、私がその作品を初めて見たのは小学2年生当時平日夕方に名古屋テレビでやっていた再放送であり、意味もわからず「ジェリーのタップダンスに」大爆笑してしまったことを記憶していますが、いかに当時の日本は差別の問題に対し無頓着だったか、それに限らずあらゆる不適切なことがまかり通っていたかがわかるような気がします。
また『Massa's In De Cold Ground』の出だしの部分は、「浪花のモーツァルト」ことキダ・タロー(木田太良、1930~2024)が作曲した往年のカップリングバラエティ番組『プロポーズ大作戦』(1973~85、朝日放送テレビ・CBCテレビ→名古屋テレビ・テレビ朝日(「腸捻転」時代のTBSは未ネット)など)のテーマ曲の一部によく似ていますが、キダ自身がゴスペルに造詣が深かったから参考にしたのかどうか気になります。
投稿: Black Swan | 2025年3月15日 (土) 08時36分