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2014年12月 9日 (火)

旅役者の唄

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:西條八十、作曲:古賀政男、唄:霧島 昇

1 秋の七草 色増すころよ
  役者なりゃこそ 旅から旅へ
  雲が流れる 今年も暮れる
  風にさやさや 花芒(はなすすき)

2 桜三月 菖蒲(あやめ)は五月 
  廻(めぐ)る町々 知らない町で
  恋もしました あきらめました
  旅の夜風が うすなさけ

3 時雨(しぐれ)ふる夜は こおろぎ啼いて
  なぜか淋しい 客寄(きゃくよせ)太鼓
  下座(げざ)の三昧(しゃみ)さえ こころにしみる
  男涙の 牡丹刷毛(ぼたんばけ)

4 幟(のぼり)はたはた 夕雲見れば
  渡る雁(かりがね) 故郷は遠い
  役者する身と 空飛ぶ鳥は
  どこのいずくで 果てるやら

《蛇足》 昭和21年(1946)9月にコロムビアから発売されました。
 西條八十、古賀政男、霧島昇という名手たちによる、歌詞、メロディとも快調な曲ですが、永く歌われたという記憶が私にはありません。戦前から昭和30年代半ばまでのヒット曲には、10年、20年という長期にわたって歌い継がれるものが多かったのですが。

 『石狩エレジー』や『流れの旅路』にも書きましたが、敗戦からの復興が軌道に乗り、さらに経済成長が始まると、旅芝居の人気が落ち、それに伴ってこのような歌にシンパシーを感じる人が減ったのではないでしょうか。

 それはさておき、旅役者とか旅芝居という言葉を聞いて、私がまず思い出すのが、小津安二郎監督の『浮草』です。これは、昭和34年(1959)公開の大映作品ですが、小津が戦前に作った『浮草物語』を小津自身がリメイクしたもの。内容は次の通り。

 嵐駒十郎(二代目中村鴈治郎)一座が久しぶりにある田舎町に公演にやってきます。そこには、駒十郎がかつて一膳飯屋の女・お芳(杉村春子)との間にもうけた子ども・清(川口浩)がいますが、すでに成人しています。駒十郎は清の伯父という触れ込みで、公演の合間に清と交流します。
 駒十郎と内縁関係にある女優のすみ子(京マチ子)が、駒十郎がしばしばお芳のもとに通うのに焼き餅を焼いていろいろ画策したことから、駒十郎との仲が壊れてしまいます。
 天候不順もあって、客の入りが悪くなり、一座はピンチに陥ります。そんな折、次の公演先への先乗りを命じられた男が、一座の金をごっそり盗んで消えてしまいます。一座は解散せざるを得なくなり、役者や裏方たちはてんでんばらばらに去っていきます。
 映画は、駒十郎とすみ子が、夜汽車の直角座席に並んで座っているシーンで終わります。

 私はこの映画を2回見ましたが、それは、旅役者の物語に心惹かれたというより、映画に描かれた田舎町の風景にたまらなくノスタルジックなものを感じたからです。映画の公開は昭和34年ですが、そこに描かれた風俗はどう見てもその10年前、すなわち昭和20年代半ばの光景でした。

 昭和20年代半ばといえば、私が小学校1、2年生の頃。私が生まれ育ったのは田園地帯ですが、父がもみ療治を受けるとか何かの用件で町に出かける際に、よく連れていってもらいました。そうした折に通った町のたたずまいや人びとの服装などが『浮草』の光景とそっくりだったのです。

 『浮草』の舞台は海べりの伊勢志摩で、私が連れていってもらった町とはいくぶん違いますが、まるで昭和20年代半ばにタイムスリップしたかのようでした。

 昭和2、30年代の映画館では、本編の前に予告編やニュース映画を流すのが常でしたが、その頃のニュース映画がたまにインターネットやテレビに映されることがあります。
 そんなとき、昭和20年代の人びとの服装や貧しげな町並みなどが映し出されると、「わー、懐かしい」と思わず声に出してしまうことがあります。それと同じような気持ちといえば、おわかりいただけるでしょうか。

 旅役者をテーマとした映画としては、ほかに、昭和15年(1940)12月に公開された成瀬巳喜男監督の『旅役者』(東宝)や、昭和37年(1962)4月公開の青柳信雄監督作品『雲の上団五郎一座』(宝塚映画)などがあります。前者は見ていませんが、後者はGyaoだかテレビだかで見ました。

(二木紘三)

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コメント

この曲は、初めて知りました。
豪華なキャストですね。
妖艶な京マチ子さんは、素敵ですね。
以前、名画座で見た「華麗なる一族」での、マチ子さんは、とても妖艶だった事を、思い出します。
調べてみたら、この作品は、リメイクだそうで、戦前に松竹蒲田で製作されてました。
少し、勉強してしまいました。(笑)
聞いた事がないので、ラジオのナツメロ番組に、リクエストしてみます。m(__)m

投稿: みやこ路快速 | 2014年12月10日 (水) 06時29分

私は戦後生まれなので、この唄に触れたのは大川栄策のカバーLPでした。
古賀メロディの歌唱は天下一品とも思える歌手に、
母校の校歌の作詞者でもある西條八十の歌詞は
ぴたりとはまっていました。
八十の実兄は旅役者であったそうで、侘しさとか情景描写には、その影響もあったのでしょうか。

投稿: 山ちゃん | 2014年12月14日 (日) 19時12分

 『旅役者の唄』は、はじめて知りましたが、西条八十は、流浪する芸人の心をみごとに歌詞にしています。
 彼の作った『サーカスの唄』の「とんぼがえりで 今年もくれて」、『越後獅子の唄』の「雁が啼く啼く 城下町」は、それぞれ、この唄の「雲が流れる 今年も暮れる」「渡る雁(かりがね) 故郷は遠い」といささか重なっていますが、それぞれ、ちがった味わいがあります。
 とくに年末のちょうど今時分、故郷を離れた身には、お正月を家族・親族と楽しむ当てもなく、侘しさがひとしおであったであろうと想像され、「今年もくれる」とうたった西条さんの才能には、大きなものを感じます。
 別の話ですが、私も、二木先生同様、映画の筋よりも、昔の町並みに神経が集中することがあります。裕次郎の映画で昭和30~40年代の銀座などが出てくると、高度経済成長の影響を追うような目でスクリーンを見てしまいます。

投稿: 音乃(おとの) | 2014年12月29日 (月) 18時21分

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