アリラン
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1 アリラン アリラン アラリヨ 아리랑 1.아리랑 아리랑 아라리요 |
《蛇足》 『トラジ』とともに朝鮮民謡を代表する曲。南北朝鮮はもちろん、中国領内の朝鮮族の人びとにも愛唱されてきました。
発生の時期は明らかではありませんが、大院君(興宣大院君)が摂政をしていた李朝末期だという説があります。
すなわち、1860年ごろ、傾き始めた朝廷の権威を回復するため、秀吉軍による侵略(壬申倭乱)で焼け落ちたままになっていた王宮・景福宮を再建しようと、大院君が全国から大工や人夫を強制的に徴集しました。そうした男たちの身を案じた妻や恋人たちが歌い出したのが始まりだというのです。1番の歌詞には、そんな女性たちの気持ちがよく表れています。
なお、1番の4行目は、原詞では「十里も……」となっていますが、朝鮮の十里は日本の1里に当たるので、上の日本語詞では1里としたようです。
また、アリランの意味や語源については諸説あり、確定したものはありません。朝鮮半島の何か所かにアリラン峠という地名がありますが、これはこの歌が広まってからつけられたものとされています。
歌詞については、全羅道の珍島アリラン、京畿道のキンアリランなど、地方色を反映したアリランが80以上もあるといわれています。
少なからぬ韓国人たちが信じているという「『アリラン』は世界で最も美しい曲の1位に選定された」は、眉唾ですが、それでも『アリラン』が世界の民謡のなかでも美しい曲の1つであることにまちがいはありません。かつての歌声喫茶でも、よく歌われました。
(二木紘三)
コメント
母が留学生の級友に昭和の初めごろ教わったと言って歌っていました。最初の2行だけはハングルで。何となく哀しみが感じられますね。奈良公園では桜の下で、民族衣装に身を包んだグループが歌い踊っている光景が、これは私の学生時代、1964年ですが、見られました。
投稿: Bianca | 2014年12月22日 (月) 14時10分
日中戦争で動員された大陸から帰還した父親に教わりました。まだ開戦2年を過ぎたころで、小学生の私は「アリラン アリラン アラリヨ アリランコゲルノムカンダ アプチチョンガクドリ モルコクチョンハナ シチブカルコシ コクチョンイリセ」と書いて覚えました。父親の派遣された華北には朝鮮人も多く住んでいたようです。後に大学で2人の朝鮮人と知り合いました。この歌ばかりではありませんが、私がカタカナで朝鮮の歌を歌うと、真剣に耳を傾けていたものです。大学卒業後も永年親交の続いた友人と言えば朝鮮系のこの2人だけで、いずれも故人になったことを、アリランを聴くと思い出します。
投稿: dorule | 2014年12月23日 (火) 15時48分
聴く度、胸がジ〜ンする、「アリラン」。
切なく、哀愁のあるメロディー、国は違えど、愛する人を思う心は一途です。
AMラジオを、夜間に聴いていると、韓国KBSラジオから、アリランのメロディーが…。
アリラン峠が発祥だと思っていたのに、後発だったとは。
勉強になりました。(*^_^*)
投稿: みやこ路快速 | 2014年12月25日 (木) 06時13分
12年前、日本語ボランティアの仲間と中国のフンチュンと言うところに行きました。ここは朝鮮族が多い所で、中国・ロシア・北朝鮮が湾の近くに集結しているところなので、経済特区のひとつになっています。
ある高校で日本語の授業の時間に我々が訪問して、日本語での交流をしました。初めてみる日本人に生徒たちは目をキラキラさせて大歓迎でした。日本語の先生も日本人を見るのは初めてでした。
その晩、校長先生がカラオケボックスに我々を招待してくれました。宴が盛り上がって、校長先生がアリランを歌いながら独特な手つきで踊りだしました。我々もみんな立ち上がって踊りながら歌いました。懐かしい思い出です。
投稿: 吟二 | 2015年1月14日 (水) 10時44分
父の任地の関係で、北朝鮮で生まれ、国民学校6年で終戦を迎え、翌年の末に38度線を突破してにたどり着きました。
幼き頃、現地の友達から唄い聞かされた懐かしい曲で、脱出時の苦しかった思い出とともに懐かしい唄です。
投稿: 日出朗 | 2016年10月13日 (木) 19時37分
私が若い頃派遣されてブラジルの現地法人に出向していました。その時親しくなった友人の中に韓国人がいて彼から保証人を頼まれました。そして私のいる会社に就労したのですが、彼のパスポートは白人となっていました。少しだけ聴けたのですが彼はキムイルソンを襲撃し失敗して国外脱出をしたようです。人に言えない事情と経緯で白人パスポートを手に入れ、生活のため日本人の会社で働いたのです。一年もたたぬうちに彼は行方を知らせぬまま立ち去りました。その後会うこともなく私は日本に帰国しましたが何故か彼のキラキラする眼が記憶に残っています。私のいた安マンションで一度だけ飲んだ時、私がこのアリランを歌ったら彼は下を向いてじっと聞いていました。一緒に歌うことはありませんでした。もう40年も昔の事ゆえ彼は祖国に帰っているのかブラジルの奥地にいるのかそれとも鬼籍に入ったか。何らなすこともなく怠惰な人生を生きて来た不甲斐ない自分と置き比べて考えることも諸々です。
投稿: 林 滋 | 2017年5月15日 (月) 16時16分
毎回≪蛇足≫欄を拝見させていただいております。大変興味深く良く研究されておると深く敬意を表します。
この欄に・・秀吉軍による侵略(壬申倭乱)・・という説明がありますが、壬申倭乱というのは朝鮮側の呼称であり、私個人としては日本での呼称には抵抗があります。確かに侵略戦争ではありますが、朝鮮の臣下としての日本が反乱を起こしたわけではありませんので、倭乱という表現は適切でないと思います。かつては日本でも朝鮮征伐等と呼称した時期もありますが、これは適切ではないと思います。元寇も彼の国で倭国征伐と呼称している聞きますが、お互いナショナリズムを煽っても意味のないことですが・・尚、秀吉軍による侵略(朝鮮での呼称壬申倭乱)・・なら納得できますが・・・・。
投稿: タケオ | 2017年5月30日 (火) 09時20分
今日は何故か
「釜山港(プサンハン)へ帰れ」 にかかれている
越村 南さまの 記述から 心は
この 「アリラン」 へ飛び また 僕の一番すきな 「鳳仙花」作曲 洪蘭坡
へと 流れていきました
もう一度 頭を整理したくなり ネットで「鳳仙花」を 検索
RKB毎日放送制作「鳳仙花‐近く遥かな歌声」(1980 年) を全部見てしまいました
洪蘭坡の悲劇を主題としたもの と考えてみていましたが
「鳳仙花」はBGMで 一二度流れるのみ
この番組の謂わんとすることは もっと大局的な立場からの 韓日 日韓の関係
近くて遠い国 韓国 ということだと理解しました
始終 涙がながれていました
どうして 遠い国なんだろう
DNAを調べても もっとも近似性が高いでしょうにーー
38年前の番組が現在にも そのまま通じる不思議
人間の 馬鹿さ 愚かさ 思い知らされました
これは 世界の歴史を考えれば どこにでもあった過去
侵略 虐殺 皆殺し 近くをみれば ユーゴスラビア でおこった内戦??
アラブとイスラエル 現在のシリア
どうして 人類はこうなのでしょう
ほんの少しの欲望から どれほど大きな過ちにつながるものか
八紘一宇 お題目だけ 偉そうにいっても
(これは 今の政府が 何かあれば
一億総活躍 とか
働き方改革 だとか
お題目を称えるに等しいですね
何年も前に Aが云ってた
最後の一円まで 年金は保証します
100年安心年金にします
なんてキャッチフレーズ どうなった??
皆様 忘れてはいけませんよ!!
Kは 郵政民営化で薔薇色の未来が
といいましたね どうですか)
どれだけの 結果を伴ったのか
他の人々の苦労 苦痛を考え 日々 謙虚に生きたいものです
番組の最後で 作家 吉岡忍 さんの云われた
「思いの深さ」という言葉
人が生きてきたということについての深さ
どうやって生きてきたかの 事実を知ること
これが 「思いの深さ」の根といわれていました
現代日本における 軽すぎる 「思いの浅さ」
に思い当たるとともに
政府自らが先頭に立って つきすすんでいる
虚偽 虚偽 隠蔽 また 不道徳の極みに行き着き
おい A おい K おい M さん方
この番組でも見てみたら と怒鳴りたくなった次第です
投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年3月 6日 (火) 22時37分
この歌と姉妹関係にある「蜜陽(ミリャン)アリラン」を
聞いていると、この歌は暗い悲しい感じ
いっぽう蜜陽アリランは明るい陽気な感じがします
カラオケでは明るい方の蜜陽アリランの方を
もっぱら歌っています。
ただし、常磐線佐貫駅北口の
韓国居酒屋の30代のママさんは
この歌の方は知っていらっしゃいましたが
蜜陽アリランの方は「初めて聞きました」と
おっしゃってました。
投稿: 江戸ふうりん | 2018年8月12日 (日) 00時50分
購読新聞 “海峡を越えて“朝のくに」ものがたり
最終の今日は ♪アリラン でした。
力道山が親しい人の前ではよく歌っていたそうです。
ネットにあるので紹介しておきます。
https://www.sankei.com/life/news/181229/lif1812290022-n1.html
投稿: なち | 2018年12月29日 (土) 14時36分
「アリラン」私が幼いころ、近所にあった駄菓子屋さんのおばさん(在日朝鮮の方)がこの唄をよく歌っていたことを憶えています!
あれから60年以上が過ぎましたが「アリラン アリラン アラリヨ」のおばさんの声は今でも耳に残っています。
『この民謡は朝鮮王朝時代、苦しい生活を強いられていた庶民たちにとってのはけ口であり、また文字を持たない女性たちにとって、唯一心情を吐露できる方法がこの「アリラン」だったと云われています。
アウラジ川の船頭よ 私を渡らせて
向こうの谷に 咲く花が
落ちてしまう前に・・・
落ちた花が 枯れ葉となって積み重なるよ
季節はめぐり 君が恋しくてたまらない
アリラン アリラン アラリヨ
アリラン峠 峠よ 私を渡らせて
「アウラジ川」伝説となっている、はるか昔、恋人を想いこの川を渡ろうとした女性が溺れ死んだ、それがこの地に伝わる「旌善アリラン」でも歌われ、川岸には流れを見守るように乙女像が建てられている。』(韓国ドラマガイドより)
私が幼いころの話ですが、当時のまわりの子どもたちの小遣いは5円か10円ほどでしたが、私にはありませんでした。それでもたまに1円か2円を持って私は駄菓子屋さんに行くことがありました。その店のおばさんは子供たちが帰るころを見計らって、私に目配せしながら内緒でお菓子を何か一個、必ず私の手に握らせてくれました。
「アリラン」私は成人になってからこの民謡には興味を持ちましたが、時々この民謡を聴くと、幼いころに親切にしてくれた駄菓子屋のおばさんの笑顔を今でも想い出します。
投稿: 芳勝 | 2021年5月27日 (木) 18時02分
芳勝さま
駄菓子屋のおばさんいい人ですね。優しいお年寄りに可愛がられた経験がある子は、優しい人になる確率が高いと思います。いわゆるお婆ちゃん子ですね。もちろん例外はどんなことにもありますけれど…。
投稿: 吟二 | 2022年7月 2日 (土) 10時40分