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2014年12月29日 (月)

東京アンナ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:藤間哲郎、作曲:渡久地政信、唄:大津美子

1 ライトの虹を 踏みながら
  銀座の夜を ひらく薔薇
  ああ誰(たれ)か呼ぶ 舞姫の
  その名はアンナ 東京アンナ
  噂のアンナ

2 柔(やわら)な肌を 黒髪に
  隠せど甘き 流し瞳(め)
  ああ誰ゆえに 情熱の
  その名はアンナ 東京アンナ
  妖(あや)しきアンナ

3 重ねる酒の 激しさは
  堪(こら)えた恋の しわざやら
  ああ誰が知ろ くずれ咲く
  その名はアンナ 東京アンナ
  吐息のアンナ

《蛇足》 昭和30年(1955)10月にキングレコードから発売されました。『ここに幸あり』『いのちの限り』『銀座の蝶』などと並ぶ大津美子のヒット曲。

 ラテンのリズムが快いですね。落ち込んでいるときに聞くと、気持ちが昂揚してきます。

 ナイトクラブやキャバレーのフロアダンサーをテーマとした歌ですね。
 私は、フロアダンサーが踊るような店に行ったことがないので、実物を知りません。その昔、日活の無国籍映画で白木マリ
(のち万里と改名)がキャバレーで踊るのを見て、フロアダンサーというものの存在を知っただけです。

 学生で若かったので、白木マリが半裸で踊るのを見て興奮したものです。小林旭がすぐ金子信雄の子分たちと乱闘を始めたりして、ダンスはおしまいになってしまいました。
 そんな程度で興奮するなら、多少収入があるようになったとき、そういう場所に行けばよかったのに、1人ではもちろん行かないし、友人たちに誘われても、できるだけ避けるようにしていました。『東京ナイトクラブ』に書いたように、ホステスさんと話すのが苦手だったからです。

 久しぶりに会った友人たちは、私と話すより、ホステスと話したり、ダンスをしたりするほうがおもしろいらしく、私が話しかけても上の空でした。彼らは、冗談をいってホステスたちをキャーキャー笑わせ、高い酒を飲ませているのに、お金をもらうのではなく、払います。これは、なんとも不思議な経済関係だなんて思っていました。まあ、バブルのころの話ですが。
 てなこと考えているから、私は、ホステスさんに「コチラ、お静かね」と冷笑され、放っておかれるわけです。もてない男のひがみでしょうか。ひがみでしょう。野暮の骨頂。

(二木紘三)

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コメント

「渡久地政信の『踊子』『東京アンナ』と『池袋の夜』『長崎ブルース』とでは同じ作曲家かと思うくらい曲風が激変?」と投稿した翌日、「うた物語 最近の記事」に『東京アンナ』がアップされたので、偶然にビックリしている今日この頃です。ラテンリズムと盛り場演歌とでは、曲風の激変は当たり前と言えば当たり前の話ですが…。
《蛇足》の「白木マリが半裸で踊るのを見て興奮…小林旭がすぐ金子信雄の子分たちと乱闘…ダンスはおしまい」は、二木先生とほぼ同世代なのでよく分かります(当方は終戦前年生まれ)。日活無国籍アクションの定番だった白木マリのフロアショーには当方も興奮したものです(その話をするとカミサンは顔をシカメますが)。昔々の思い出です。

投稿: 焼酎百代 | 2014年12月30日 (火) 12時47分

 『東京アンナ』は、今聞いても軽快な旋律、モダンな感じの曲です。
と簡単にコメントして・・<蛇足>の言葉に関連して思うことをのべてみたい。
「半裸で踊るのを見て興奮・・」昔の自分を思い出して、まったく同感の思いがあります。露出過剰の風潮の今、そういう姿をなんとも思わなくなった、そういう自分は何なのか、戦後の日本文化とは何であったのか・・などと大仰な思いが広がります。
今や「半裸」という言葉にインパクトがない。超ミニスカートなど、すでに日常的半裸ではないか・・
 過ぎたるは及ばざるが如しとは、こういう露出文化の運命を言い当てたものではないでしょうか。
 
 キャバレーなどの「コチラ」という言い方も含みのある言葉ですね。「アチラ、軽薄、賑やか、巧言令色」「コチラ、重厚、沈思黙考、冷静沈着」というところでしょうか。あるいは「アチラ、恥知らず」「コチラ、恥ずかしがりや」でしょうか。
 浅草や玉の井に出没した作家の永井荷風は両方できたということか。観察するという執念があれば、アチラもコチラも可能なのか・・
いやいや、もって生まれた性分というものではないかと思います。

投稿: 音乃(おとの) | 2014年12月30日 (火) 13時36分

渡久地先生の、名曲のひとつですね。
「昭和30年代、接待なんかに、よく利用した。」と、職場の先輩に聞いたモンです。
二木さんの仰るとおり、日活映画で白木マリさんが、よく演じてらしたのを、名画座で観ました。
聴くと踊りたくなります。

投稿: みやこ路快速 | 2014年12月31日 (水) 11時32分

 二木先生、素晴らしい曲をありがとうございました。
演奏で聴く「東京アンナ」もリズム感に溢れ最高です。
 独身時代、社交ダンス教室に通っていた頃を想い出し自然とステップを踏んでしまいました。

投稿: あきら | 2015年1月26日 (月) 20時39分

「東京アンナ」大津美子さんの数あるヒット曲の中でも、乗りの良いマンボのリズムで、パンチを効かせたこの歌が、私は特に大好きです!

昭和歌謡界に燦然と名を残す作曲家の大御所、古賀政男・服部良一・𠮷田正・遠藤実・船村徹などの曲はもちろんですが、最近では「東京アンナ」この歌を作曲した渡久地政信氏の作品に強く興味が湧くようになりました。
そのきっかけは、2018年の夏、ここで初めて知ることになった、三浦洸一歌唱の「少年の秋」の作曲者が渡久地政信氏だと知ってからです。
「小年の秋」のメロディを私が初めて聴いた時、この曲を作曲した人物が「お富さん」を日本中にヒットさせた渡久地政信と知った時、両曲の作者が同一人物とはとても思えないほどでした。
「踊子」をはじめとする同氏の数ある一連のヒット曲にはどれも魅力を感じてきましたが、それにしても佐藤春夫のあの秀逸の詩に、琴線を震わすような、あんなにも素晴らしいメロディを付けた彼の曲作りの才能の凄さに感激してからでした。
また、今でもそのページを開き聴いている「少年の秋」この短調のメロディがここまで私の脳裏に焼き付いたまま少しも離れないのは、二木先生の研ぎ澄まされたそのアレンジ力と卓越した演奏スキルが大きいとも実感しています。

「東京アンナ」このテンポのいいマンボのリズムを聴いていると、思わず手足を動かしたくなり、そしていつの間にか不思議と元気が湧いてきます。
今、私が素直に思うのは、作曲家渡久地政信氏は、先に名をあげた錚々たる有名作曲家にも、けして勝るとも劣らない偉大な作曲家だとしみじみ実感しています。


投稿: 芳勝 | 2019年12月 2日 (月) 19時20分

「野暮の骨頂」様  貴方は正しかったのです。キャバレーの女性に騙されて、家屋敷を取られたり、大金を貸したままドロンされたおじさんたちがどれほどいたことか、私の回りにも数人います。真面目だけが取り柄の男が家庭を壊し、借金に追われ、ついにヤクザの三下になって、哀れな姿で我が家にお金を借りに来ました。家屋敷を無くした男の多かった事、何人も見ました。男はバカだと夫の頭に真冬にバケツの水を掛けた事もあります。今、夫が家に住んでいられるのは、私が賢妻だったからだと思っています。それはともかく、大津美子の声はすばらしかったですねぇ。歌は良い歌なのですが、女に騙されたおじさんたちはどうなったのでしょうか。寒くなると思い出します。

投稿: ハコベの花 | 2019年12月 2日 (月) 22時40分

アンナといえば・・・梅宮アンナしか思い浮かばない私です。父親の梅宮辰夫は死んじゃったが、今頃アンナはどうしてるかなと調べてみたら、乳がんで前胸部を摘出したんだって、うわあ、かわいそうに・・でもがんばれよ、明るく生きてくださいね。ファンでしたから。
東京アンナ、なにかやぼったい名前だな、昭和30年の歌だから、まあ当時の人は十分喜んだのだろう。「ライトの虹を踏みながら」で踊り子、フロアダンサーだったことだけはわかるが、どういう女性なのか、なにがあったのかはさっぱりわからない歌詞です。でも渡久地政信の曲が抜群にいいですね。私が6歳の時にできた歌ですが、はっきり覚えてますもの。
<蛇足>に「ラテンのリズムが快いですね。落ち込んでいるときに聞くと、気持ちが昂揚してきます」とありますが、まったく同感です。私も気分転換によく聞きます。
2019年12月2日のハコベの花さまのコメントに笑いました。そうです、あなたの行為は大賢妻です。ほんとうにそう思います。

投稿: 越村 南 | 2024年11月20日 (水) 10時17分

(文中一部敬称略)
『東京アンナ』の時代のキャバレーは、私の出生前なのでリアルタイムではわかりませんが、いわゆる「コロナ禍」以前にはその再現に近い雰囲気が味わえるような場所が東京・浅草六区にありました。
それは、かつて栄華を極めた映画館「大勝館」の跡地に建った「ドン・キホーテ浅草店」の7階に2014年から2021年まで存在した「アミューズカフェシアター」です。
同所では大手芸能事務所「アミューズ」の創業者である大里洋吉(1946~)の「浅草にレビューの灯を再び」という思いで結成された「虎姫一座」(滋賀県長浜市に所在するJR西日本琵琶湖線の虎姫駅とは無関係)というレビュー集団による常打ち公演を行っており、主に終戦直後から高度経済成長期直前までの昭和歌謡や大里がナベプロ時代にマネージメントしたザ・ピーナッツ(1959~75)、キャンディーズ(1973~78)をトリビュートした公演を上演しておりました。
また、公演前や公演後には一座のメンバーがランチorディナー等飲食物のウエイトレスも務めており、その際メンバーと会話することも私が来店した時の楽しみのひとつでした。
特に私のお気に入りだったのが初期メンバーの「まみ」と2017年頃に加入した「のも」で、何となく多岐川華子(阿知波→多岐川→大内華子、1988~)に似ている「まみ」はバレリーナ出身かつスレンダーな長身を生かしたダンスで私たちを釘付けにし、中でも笠置シヅ子(亀井静子、1914~1985)の『ジャングル・ブギー』(1948、作詞:黒澤明(1910~1998)、作曲:服部良一(1907~1993))をモチーフにしたステージでは豹柄のセクシーな衣装に悩殺されました。
「のも」は元AKB48・SKE48メンバーでこのほど愛知県春日井市の広報大使に就任した松井珠理奈(1997~)によく似ており、春日井市に生まれた私も郷土のスターである松井に似てることを「のも」に話すと彼女は「(自分では)おこがましいけど、とても嬉しいです」と返答し、私も嬉しくなったことを記憶しています(蛇足ながら、私は先月開催の「第48回春日井まつり」で本物の松井にお会いしてきました)。
その「虎姫一座」は2019年初夏に同年7月いっぱいを以て一旦の活動休止を発表、私も休止直前に観劇したのを最後に同座の活動再開を待ち望んでいましたが、翌年襲ったコロナ禍がとどめを刺すようなかたちとなり、再開公演をすることもなく2021年3月を以て活動終了となってしまい、「アミューズカフェシアター」も同年閉店しました(現在はアミューズとは無関係のライブハウスになっています)。
「虎姫一座」のメンバーのうち、民謡歌手でもある會澤あゆみ(會澤→橋本あゆみ、1985~)は城島茂(1971~)司会の『民謡魂 ふるさとの唄』(2013~、NHK総合テレビ)で活躍している姿を目にしますが、他のメンバーは今何をしてるのか気になります。
また、私は「虎姫一座」のきらびやかさが忘れられないのか、レビューと称するような舞台を浅草で行っているのはストリップ劇場の老舗「ロック座」くらいになってしまい、浅草に立ち寄る際に「ロック座」で観劇することを常とするようになりました。
先日大阪の同種の某劇場が報道された通りになってしまいましたが、そんなことを行わないパフォーマンス重視の「ロック座」には浅草の戦後昭和からのエンターテイメントの灯を消さないように続けてほしいものです。
また「豊橋の大スター」では先述の珠理奈と共に「W松井」で鳴らした松井玲奈(1991~)の大先輩にあたり、更にはザ・ピーナッツの愛知県出身かつキングレコードの先輩でもある大津美子(1938~)は再来年の年明けに米寿を迎えますが、90代になってもお元気に歌い続けてほしいことを同じ愛知県人として願います。

越村 南さま
梅宮アンナ(1972~)は元夫や羽賀研二(當眞美喜男、1961~)、更に未来永劫全ての野球界に一切関わらないでほしい私の大嫌いなT(1969~、『野球小僧』のコメント参照)などいろんな男に振り回された人生を送った感がありますが、私としてもアンナが変な男のみならず病にも負けないで復活を遂げてほしいことを祈ります。

投稿: Black Swan | 2024年11月24日 (日) 17時38分

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