東京アンナ
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 ライトの虹を 踏みながら |
《蛇足》 昭和30年(1955)10月にキングレコードから発売されました。『ここに幸あり』『いのちの限り』『銀座の蝶』などと並ぶ大津美子のヒット曲。
ラテンのリズムが快いですね。落ち込んでいるときに聞くと、気持ちが昂揚してきます。
ナイトクラブやキャバレーのフロアダンサーをテーマとした歌ですね。
私は、フロアダンサーが踊るような店に行ったことがないので、実物を知りません。その昔、日活の無国籍映画で白木マリ(のち万里と改名)がキャバレーで踊るのを見て、フロアダンサーというものの存在を知っただけです。
学生で若かったので、白木マリが半裸で踊るのを見て興奮したものです。小林旭がすぐ金子信雄の子分たちと乱闘を始めたりして、ダンスはおしまいになってしまいました。
そんな程度で興奮するなら、多少収入があるようになったとき、そういう場所に行けばよかったのに、1人ではもちろん行かないし、友人たちに誘われても、できるだけ避けるようにしていました。『東京ナイトクラブ』に書いたように、ホステスさんと話すのが苦手だったからです。
久しぶりに会った友人たちは、私と話すより、ホステスと話したり、ダンスをしたりするほうがおもしろいらしく、私が話しかけても上の空でした。彼らは、冗談をいってホステスたちをキャーキャー笑わせ、高い酒を飲ませているのに、お金をもらうのではなく、払います。これは、なんとも不思議な経済関係だなんて思っていました。まあ、バブルのころの話ですが。
てなこと考えているから、私は、ホステスさんに「コチラ、お静かね」と冷笑され、放っておかれるわけです。もてない男のひがみでしょうか。ひがみでしょう。野暮の骨頂。
(二木紘三)
コメント
「渡久地政信の『踊子』『東京アンナ』と『池袋の夜』『長崎ブルース』とでは同じ作曲家かと思うくらい曲風が激変?」と投稿した翌日、「うた物語 最近の記事」に『東京アンナ』がアップされたので、偶然にビックリしている今日この頃です。ラテンリズムと盛り場演歌とでは、曲風の激変は当たり前と言えば当たり前の話ですが…。
《蛇足》の「白木マリが半裸で踊るのを見て興奮…小林旭がすぐ金子信雄の子分たちと乱闘…ダンスはおしまい」は、二木先生とほぼ同世代なのでよく分かります(当方は終戦前年生まれ)。日活無国籍アクションの定番だった白木マリのフロアショーには当方も興奮したものです(その話をするとカミサンは顔をシカメますが)。昔々の思い出です。
投稿: 焼酎百代 | 2014年12月30日 (火) 12時47分
『東京アンナ』は、今聞いても軽快な旋律、モダンな感じの曲です。
と簡単にコメントして・・<蛇足>の言葉に関連して思うことをのべてみたい。
「半裸で踊るのを見て興奮・・」昔の自分を思い出して、まったく同感の思いがあります。露出過剰の風潮の今、そういう姿をなんとも思わなくなった、そういう自分は何なのか、戦後の日本文化とは何であったのか・・などと大仰な思いが広がります。
今や「半裸」という言葉にインパクトがない。超ミニスカートなど、すでに日常的半裸ではないか・・
過ぎたるは及ばざるが如しとは、こういう露出文化の運命を言い当てたものではないでしょうか。
キャバレーなどの「コチラ」という言い方も含みのある言葉ですね。「アチラ、軽薄、賑やか、巧言令色」「コチラ、重厚、沈思黙考、冷静沈着」というところでしょうか。あるいは「アチラ、恥知らず」「コチラ、恥ずかしがりや」でしょうか。
浅草や玉の井に出没した作家の永井荷風は両方できたということか。観察するという執念があれば、アチラもコチラも可能なのか・・
いやいや、もって生まれた性分というものではないかと思います。
投稿: 音乃(おとの) | 2014年12月30日 (火) 13時36分
渡久地先生の、名曲のひとつですね。
「昭和30年代、接待なんかに、よく利用した。」と、職場の先輩に聞いたモンです。
二木さんの仰るとおり、日活映画で白木マリさんが、よく演じてらしたのを、名画座で観ました。
聴くと踊りたくなります。
投稿: みやこ路快速 | 2014年12月31日 (水) 11時32分
二木先生、素晴らしい曲をありがとうございました。
演奏で聴く「東京アンナ」もリズム感に溢れ最高です。
独身時代、社交ダンス教室に通っていた頃を想い出し自然とステップを踏んでしまいました。
投稿: あきら | 2015年1月26日 (月) 20時39分
「東京アンナ」大津美子さんの数あるヒット曲の中でも、乗りの良いマンボのリズムで、パンチを効かせたこの歌が、私は特に大好きです!
昭和歌謡界に燦然と名を残す作曲家の大御所、古賀政男・服部良一・𠮷田正・遠藤実・船村徹などの曲はもちろんですが、最近では「東京アンナ」この歌を作曲した渡久地政信氏の作品に強く興味が湧くようになりました。
そのきっかけは、2018年の夏、ここで初めて知ることになった、三浦洸一歌唱の「少年の秋」の作曲者が渡久地政信氏だと知ってからです。
「小年の秋」のメロディを私が初めて聴いた時、この曲を作曲した人物が「お富さん」を日本中にヒットさせた渡久地政信と知った時、両曲の作者が同一人物とはとても思えないほどでした。
「踊子」をはじめとする同氏の数ある一連のヒット曲にはどれも魅力を感じてきましたが、それにしても佐藤春夫のあの秀逸の詩に、琴線を震わすような、あんなにも素晴らしいメロディを付けた彼の曲作りの才能の凄さに感激してからでした。
また、今でもそのページを開き聴いている「少年の秋」この短調のメロディがここまで私の脳裏に焼き付いたまま少しも離れないのは、二木先生の研ぎ澄まされたそのアレンジ力と卓越した演奏スキルが大きいとも実感しています。
「東京アンナ」このテンポのいいマンボのリズムを聴いていると、思わず手足を動かしたくなり、そしていつの間にか不思議と元気が湧いてきます。
今、私が素直に思うのは、作曲家渡久地政信氏は、先に名をあげた錚々たる有名作曲家にも、けして勝るとも劣らない偉大な作曲家だとしみじみ実感しています。
投稿: 芳勝 | 2019年12月 2日 (月) 19時20分
「野暮の骨頂」様 貴方は正しかったのです。キャバレーの女性に騙されて、家屋敷を取られたり、大金を貸したままドロンされたおじさんたちがどれほどいたことか、私の回りにも数人います。真面目だけが取り柄の男が家庭を壊し、借金に追われ、ついにヤクザの三下になって、哀れな姿で我が家にお金を借りに来ました。家屋敷を無くした男の多かった事、何人も見ました。男はバカだと夫の頭に真冬にバケツの水を掛けた事もあります。今、夫が家に住んでいられるのは、私が賢妻だったからだと思っています。それはともかく、大津美子の声はすばらしかったですねぇ。歌は良い歌なのですが、女に騙されたおじさんたちはどうなったのでしょうか。寒くなると思い出します。
投稿: ハコベの花 | 2019年12月 2日 (月) 22時40分