硝子(ガラス)のジョニー
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 黒い面影 夜霧に濡れて |
《蛇足》 昭和36年(1961)日本コロムビアから発売。
大ヒットしたので、翌年日活が『硝子のジョニー 野獣のように見えて』というタイトルで映画化しました。蔵原惟繕監督で、主演は宍戸錠と芦川いづみ。アイ・ジョージも準主役で出演しています。
アイ・ジョージは昭和8年(1933)生まれで、本名は石松讓治。アイは苗字の頭文字、ジョージは名前をカタカナにしたもの。母親はスペイン系フィリピン人。
父親の仕事の都合で香港や中国各地、フィリピンを転々としたものの、一家の生活は豊かだったようです。
しかし、幼時に母親が亡くなり、父親も徴兵され、復員後まもなく亡くなったため、讓治は十代半ばで孤児となりました。その後、パン屋や運送屋、ボクサー、競輪選手など多くの職業を経て、流しの歌手になりました。
やがて歌のうまさが認められて、プロデビューします。小柄ながら、分厚い胸板から繰り出す大声量と本格的な歌唱が圧巻でした。
ずば抜けた歌唱力にもかかわらず、ヒットしたのは『硝子のジョニー』と、志摩ちなみとデュエットした『赤いグラス』ぐらい。数多くの曲をレコーディングしていますが、外国のポピュラーソングや民謡のカバーがほとんどでした。
曲に恵まれなかっただけかもしれませんが、彼の歌唱法が日本の演歌的風土に合わなかったのではないでしょうか。平時で、かつ両親を早くに亡くすようなことがなかったなら、音大に進んでクラシック系の歌手になっていたかもしれません。そう思わせるほどの正統的な発声と表現力でした。
後年、活動の舞台をアメリカに移し、日本のファンからはしだいに忘れられました。惜しいことです。
(二木紘三)
コメント
アイ・ジョージさん、本当に良い声をされてましたね。
ラジオのナツメロ番組で、流れる度に、うっとり聴いています。
映画も、観てみたいです♪
投稿: みやこ路快速 | 2015年1月17日 (土) 07時00分
昭和三十年代中頃は『硝子のジョニー』を始め、洋楽ベースの『月影のナポリ』(森山加代子)や、リズムマンボとリズム都々逸が融合したと言われる『東京ドドンパ娘』(渡辺マリ)がヒットした時期でした。
この時期の前後は通常?の歌謡曲や演歌が一般的?だったから、この時期は特異?(突然変異?)な時期だったのではないかと、音楽ド素人なりに独断と偏見で勝手に解釈する今日この頃です。
投稿: 焼酎百代 | 2015年1月17日 (土) 19時50分
この歌大好きでした。日本人離れしたアイジョージの声と、エキゾチックな風貌が、どこか欧米的な歌詞に似合っており、十代の少女の心を遠い世界に連れ去ってくれました。しかし、彼の歌唱法が日本の風土に合わなかったというのは本当でしょう。親戚が、熱唱する彼を無視して談笑する宴会に出たことを証言しています。湿ったこの世界では実力が発揮できなくて本当に気の毒なことでした。
投稿: Bianca | 2015年1月19日 (月) 11時45分
初めまして
光太郎さんのブログからたどり着きました。
懐かしい曲の数々。
思わず涙が込み上げてきます。
当時の自分の心の在りよう、生き方などが重なります。
過去ログを辿りつつこれからも楽しみにしております。
投稿: りんごちゃん | 2015年1月20日 (火) 18時15分
光太郎さんと聞いて・・思わず「帰ってこいよ」(村松和子)です。
細かいいきさつは しりませんが、帰ってこいよ、帰ってきてね~
やはり野におけ蓮華草
やはり、二木ブログの光太郎さんではありませんか、という気がします。
(意味不明の皆様には深謝)
投稿: 浮舟 | 2015年1月20日 (火) 23時05分
浮舟様
ご明察です。
二木ブログの光太郎さんです。
過去ログを辿って浮舟様の秀逸なコメントに接しては感銘。これからも楽しみにしております。
投稿: りんごちゃん | 2015年1月24日 (土) 16時00分
アイ・ジョージの代表的なヒット曲といえばこの『硝子のジョニー』や『赤いグラス』ということになるわけですが、アイ・ジョージはこの曲と同名の日活映画のほかに、昭和39年公開の東宝映画「ミスタージャイアンツ 勝利の旗」にも出演しています。
「勝利の旗」の中で、読売巨人軍の優勝祝賀パーティーでの巨人軍応援歌『闘魂こめて』(古関裕而作曲)を、川上哲治、長嶋茂雄、王貞治、広岡達朗、藤田元司…東宝オールスター(宝田明、加東大介、三木のり平、フランキー堺、香川京子、草笛光子、新珠美千代…)らが歌うシーンがありますが、全員の前でタクトを振った背の小さいオッサンがアイ・ジョージでした。
投稿: 焼酎百代 | 2015年5月 5日 (火) 16時13分
巨人軍選手や東宝俳優女優の前でタクトを振ったのは作曲家・服部良一で、アイ・ジョージは全員の前で『闘魂こめて』の音頭を取って歌うという役どころでした(何しろ51年前の映画なので記憶が混同していました)。訂正させて頂きます。
投稿: 焼酎百代 | 2015年5月 5日 (火) 17時53分
黒い面影 夜霧に濡れて~と、「硝子のジョニー」の歌い出しを聴くと、12年前に62才で亡くなった我が家の長男がギター片手に歌っていた姿が想いだされます!
兄は、古賀メロディからクラッシック、及びラテン系に至るまでギターが弾けるセミプロでした。
昭和36年当時、私が小学一年生の頃でしたが、雑誌で見ていた写真でのアイジョージは、色が黒く彫の深い顔で、見た目からして、外人とばかり思っていました。
ただ子供心にも、物凄く歌の巧い歌手だと思った印象があります。
また長男はトリオロスパンチョスが歌っていた「ベサメムーチョ」や「マラゲーニャ」という曲も歌っていました。
後年、私はトリオロスパンチョスとアイジョージのLPアルバムを買った時、それぞれの「マラゲーニャ」を聴きましたが、アイジョージの歌う「マラゲーニャ」は、トリオロスパンチョスとはまた違った独特の魅力があり、彼の声量の素晴らしさと息の長さに圧倒され、そこにも魅力を感じて大ファンになりました。
その後、志摩ちなみと歌った「赤いグラス」も大好きな歌で、永年にわたり私のデュエット曲の定番となりました。
一時期テレビで「キューピーコーワ」のコマーシャルに出演していましたが、画面で観るアイジョージは、鍛え上げられた筋肉質の持ち主だったとの印象も残っています。
ネット検索によると真偽のところは不明になっており、健在であれば、アイジョージは84才になるんですね!
私は「硝子のジョニー」この歌をバラード調にして、ギターで今でも時々歌っています。
投稿: 芳勝 | 2018年7月 8日 (日) 01時20分
この曲を聴くと昔のガールフレンドとの思い出がよみがえります。僕が20歳、彼女が高校三年生の時でした(平尾昌晃の「ミヨちゃん」みたい)。場所は定かではありませんが、この曲をよく二人でデュエットしました。まだ子供みたいで可愛かった彼女でしたが、その後二人はステディな恋人にもならず、次第に会わなくなりました。淡い恋の一時期ですが、この曲を聴くと彼女がフラッシュバックします。
「二木紘三のうた物語」っていうタイトルですが、ほんとに歌はそれぞれの人の思い出をよみがえらせる懐かしさがありますね。。
投稿: 吟二 | 2019年5月28日 (火) 17時27分
芳勝さま、交流掲示板へどうぞ
投稿: あいら | 2019年5月28日 (火) 20時14分
この曲は好きでよく歌うのですが、状況がよく分かりません。そもそもジョニーとは何者なのでしょうか。
投稿: hurry | 2019年5月28日 (火) 22時16分
アイ・ジョージさんは2025/01/18に亡くなったそうです。91歳。最近も時々歌声を披露されていたそうで残念です。
投稿: Hurry | 2025年2月22日 (土) 21時38分