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2015年4月27日 (月)

君がすべてさ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:稲葉爽秋、作曲:遠藤 実、唄:千 昌夫

1 これきり逢えない 別れじゃないよ
  死にたいなんて なぜ云うの
  遠く離れて 暮らしても
  ただひとすじに 愛しているよ
  君がすべてさ 君がすべてさ

2 心の小箱に しまっておくよ
  やさしい君の 面影を
  頬をぬらして 光ってる
  その涙さえ 愛しているよ
  君がすべてさ 君がすべてさ

3 希望(のぞみ)を果たして 迎えに来るよ
  必ず待って いておくれ
  かたく結んだ 約束の
  指先までも 愛しているよ
  君がすべてさ 君がすべてさ

《蛇足》 昭和43年(1968)12月1日発売。この9日後に、例の3億円強奪事件が起こりました。

 この年のNHK紅白歌合戦に、千昌夫は大ヒット中の『星影のワルツ』を引っさげて初出場を果たしました。
 『君がすべてさ』は、翌44年
(1969)に大ヒットし、千昌夫は再び紅白に出場しました。

 昭和44年は、私が初めて事務所を構えた年です。私のあとで同じ出版社をやめてきた男と、演劇青年からライターに転向したと男との3人で、渋谷の場外馬券売り場の近くに小さい部屋を借りました。

 そこで、私はよくこの歌を口ずさみ、2人から「(この歌の)どこがいいんだか……」と笑われました。歌謡曲ではありふれたフレーズなのに、(君がすべてさ)に感じるものがあったのかもしれません。
 過ぎた日々の惑いは、消し去ったつもりでいても、意識の奥でいつまでも後を引くもののようです。

 3人とも、高い志があってライターになったわけではないので、事務所はほどなく解散となりました。

(二木紘三)

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コメント

二木さま

歌は一つ一つに誰かの想いがあるものですね。二木先生がこの歌に思い入れがあると聞くのも楽しいです。

この歌は哀愁があっていい歌ですね。千昌夫はその後大金持ちになって、得意絶頂の頃に凋落の目が潜んでいたのでしょうか。その後地道に一生懸命汗かきながら歌っている彼に好感を覚えていますが、債権者の目は違うのでしょうね。

投稿: 吟二 | 2015年4月27日 (月) 21時58分

女性の私としては、言われたい。
言われたら、天にも昇る心地です。
素敵な歌詞ですね。
一度位、言われたい。
今度、聴いてみたいです。

投稿: みやこ路快速 | 2015年5月 2日 (土) 08時06分

信州生まれとしては「北国の春」を歌うべきかも知れませんが私は「君がすべてさ」と「夕焼け雲」が好みです。
いつも歌うたび、「こぶし」の使い方が難しい曲だと感じています。それにしても千昌夫はこのころから金髪を意識していたのでしょうか。?

投稿: 海道 | 2015年7月11日 (土) 13時30分

 五十年ほど前に、佐々木新一が歌ってヒットした『君が好きだよ』とよく似ているように思います。特に歌詞が。
 作詞は、あの 横井弘 ですが、こちらの 稲葉爽秋 横井弘の、別名、という可能性は、ないでしょうか。

投稿: MAEDA | 2015年7月15日 (水) 23時48分

「君がすべてさ」この歌を聴くと、当時交際中だった妻に、私の胸の内を打ち明けた日の、その40年前を想い出します!
その頃、いつも待ち合わせをしていた名古屋駅前のビル内にあった大きな喫茶店「不二家」の2階席でのことでした。
それは我が家の次姉の結婚が決まり、その嬉しさと感激をどうしても伝えたかった私は、今思っても、到底、誰にも信じられないような話を彼女に打ち明けました。

我が家の次姉は幼い頃からの病気が続き、小学校も中学校へも行っていない事。
その頃は外には一歩も出れず、家にあったそろばんをさわることと、編み物をすることだけを楽しみに、ひたすら家の中で生活していた事
一時は病状の悪化により命が危ぶまれたりしながら、運よく後年になり、強制入院治療により、少しずつ元気になれた事などでした。
そして次姉が退院したのは18才でしたが、それまでは外に出たことはありませんでした。
実はそんな姉が二十歳を過ぎた頃、我が家の近くにあった饅頭屋さんの店先のお手伝いをするアルバイトを、次姉一人で探してきました。それを知った私たち家族は皆驚きました。
そして二年ほど経ったとき、その店のご主人が次姉のことを気に入って下さり、親類の男性(大工さん)とのお見合いを勧めてくれましたので、私達家族は不安ながら、それに従いましたところ、その男性の方も次姉を気に入って下さり、後日結婚することが、決まりました。

そんな私の話を長時間にわたり、彼女は何にも言わず、ただ黙って耳を傾けてくれました。そして私が話終えると、微笑みながら次姉のことを、我が事のように一緒に喜んでくれました。その時に見た彼女は、目にいっぱいの涙を浮かべていました。
私は心のどこかで、彼女にだけは、包み隠さずその話をしておきたかったという、そんな思いがありました。

頬をぬらして 光ってる

その涙さえ 愛しているよ

「君がすべてさ」の、この歌詞には、私が妻との結婚を決意した瞬間の、あの40年前の「不二家」での、その時の光景が想い出され、この歌は、いつまでも私の心に残る歌になりました。


投稿: 芳勝 | 2018年3月 7日 (水) 21時49分

芳勝様
 素敵なお姉さんのお話を書いていただき有難うございました。まだ薄暗く、冷たい小雨の降る朝ですが、芳勝様の40年前の名古屋「不二家」でのお話に感動しました。
 心が温まりました。
お姉様をご結婚まで導かれた芳勝様のご家族の思いやり、優しさに涙してしまいました。
 包み隠さず交際中の女性にお姉さまのことを話された芳勝様もご立派ですが、黙って耳を傾け、涙をうかべながら喜んでくれた女性も素晴らしいですね。
 皆さまのご健康とお幸せをお祈りします。

投稿: けん | 2018年3月 8日 (木) 06時00分

今朝は二木先生の抒情的な演奏を聴き、哀切な歌詞をなぞり、三篇の小説を読む思いがしました。

「これ切り逢えない別れじゃないよ」で不覚にも泣いてしまいました。詮無い事とは知りながら涙がとまりませんでした。

次に先生の蛇足を読んで  これこそ一編の小説よりも
しみじみと胸に染みる逸話。先生遅咲きの芥川賞に挑戦してください。

芳勝様のコメントに又泣きました。
けん様同様の共感に胸を熱くしました。

未明にベートーベンの運命に感銘し「やはりクラシック」
の私が半日も経たずに演歌に涙です。

投稿: りんご | 2018年3月 8日 (木) 08時51分

芳勝さま
 昨今のニュースに鬱々していました。今朝は雨模様で肌寒いのですが、心温まるお話を読むことができ、気持ちが明るくなりありがとうございます。
  芳勝さまの日頃のコメントからお人柄が立ち上ってきています。出会った人たちとの結びつきが如何ばかりに、その人の人生に関わりをもつか計り知れません。この歳になって、それがやっと解るようになりました。芳勝さまのご家族みなさまの素晴らしさが文面より察しられます。素敵なコメントいつもありがとうございます。

 このサイトに寄せられる同好の皆さまのコメント、特に男性諸氏の自然なお気持ちに触れられることができ、私の世界がとても広がっています。ありがとうございます。
 また『蛇足』による二木先生のお人柄にいつも感謝の念が絶えません。重ねてありがとうございます。
                                  (今日は感謝デーになりました。☺️ )

投稿: konoha | 2018年3月 8日 (木) 10時42分

芳勝 様

コメントいつも拝見してます。
丁寧で、一つ一つ心に沁み入るような表現をされる方だな~と、頷きながら 拝見していましたが、今回のお姉様に対する思いやりと心優しい奥様との出会いが、胸をう打ちました。
名古屋は 私にとっても、青春を燃やし尽くした街であり、忘れることの出来ない懐かしい街であり、不二家の2階席での芳勝さんと奥様との感動的な語らいの場面が、まるで あの広小路通りの「パーラー小林」で語り合った「私の思いでの人」との場面と重なって、なんだか切なくなりました。
最近、TV等で、名古屋が魅力の乏しい町などと報じられていますが、名古屋には、心優しい人がたくさんいますよ!と、叫びたいですね。

素敵な、コメント有り難うございました。

投稿: あこがれ | 2018年3月 8日 (木) 11時40分

けん様 りんご様 konoha様 あこがれ様

この度は実にもったいない、心のこもったコメントを賜り、本当に有難うございました!
皆様から寄せて頂いたコメントを拝読し、私は感激のあまり、皆様へのお礼の言葉が見つかりません。

少女期をこのように過ごしてきた姉も、その後は優しい義兄に大切にされ、子供にも恵まれ、孫もでき、現在は名古屋空港すぐ近くの住宅街で、幸せに暮らしています。

私は常々「うた物語」に出会った幸運を強く感じています。ここを通して、皆様から教わることは実に多く、また勉強にもなり、今ではそれが、私の生きがいの一つにもなっています。

このブログを存続して頂いてる、二木紘三先生と、この度、コメントして頂いた皆様には、心より感謝申し上げます。

芳勝

  

投稿: 芳勝 | 2018年3月 8日 (木) 18時14分

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