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2015年6月 7日 (日)

青春のパラダイス

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:吉川静夫、作曲:福島正二、唄:岡 晴夫

1 晴れやかな 君の笑顔
  やさしく われを呼びて
  青春の 花に憧れ
  丘を越えてゆく
  空は青く みどり萌ゆる大地
  若きいのち かがやくパラダイス
  ふたりを招くよ

2 囁くは 愛の小鳥
  そよ吹く 風もあまく
  思い出の 夢に憧れ
  丘を越えてゆく
  バラは紅く 牧場の道に咲く
  若きいのち あふれるパラダイス
  ふたりを抱くよ

3 花摘みて 胸にかざり
  歌ごえ 高くあわせ
  美わしの 恋に憧れ
  丘を越えてゆく
  ゆらぐ青葉 白き雲は湧きて
  若きいのち うれしきパラダイス
  ふたりを結ぶよ

《蛇足》 昭和21年(1946)11月、キングレコードから発売されました。
 この頃、私はまだ4歳でしたが、この歌をよく覚えています。その後何年かにわたってヒットを続け、ラジオで何度も放送されたためでしょう。

 昭和21年11月といえば、敗戦から1年ほど。復興が始まっていたとはいえ、戦争で心身が傷ついたままの人も大勢いました。そうした人たちを力づけ、励ましたのが、並木路子の『リンゴの唄』や、岡晴夫が明るく快調に歌ったこの歌でした。

 岡晴夫は陽気な性格だったようで、岡ッ晴(オカッパル)の愛称で多くの人びとに親しまれました。
 昭和24年
(1949)に芸能雑誌『平凡』が行った「花形歌手ベストテン」では、岡晴夫が1位になり、以後3年連続で1位を占めました。昭和20年代、彼のステージは熱狂的ファンで常に超満員だったそうです。

(二木紘三)

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コメント

抑圧されていた戦争の時代が終わり、例え貧しくても自由になった喜びが胸に満ちあふれてくるような歌ですね。小さい時から聴いていた歌ですが、いつ聴いても焼け跡に光が射してくるような感じがします。今の若い人にはわからない感覚かもしれません。青春は良いものですね。聴いていると白い皮膚とのびやかな肢体が戻ってくるような感じがしてきます。心だけはいくつになっても青春でいたいものです。若者から青春を奪う国にならない様にと願っています。

投稿: ハコベの花 | 2015年6月 7日 (日) 22時16分

岡ッ晴の懐かしい歌です。この歌を聴くと、敗戦後のいろいろな思いが、昨日のように甦ります。焼け跡に建つバラック(粗末な小屋)、ごったがえした闇市、たむろする浮浪者(ルンペン)や浮浪児(戦災孤児)、超満員の買い出し列車などなど……。当時は、戦災を受けた都市だけでなく、田舎にも浮浪者が見られました。わたしたちも、父の任地に一家転住したその日に、浮浪者と見間違えられた苦い思い出があります。引き揚げのときは、下関で乞食と間違えられた笑えない話もあります。田舎にいても食糧難は深刻で、栄養失調寸前にまでなったことがあります。こんな荒んだ、暗い世相を吹き飛ばすような、かれの明るい伸びやかな歌声が、今でも耳の底に焼き付いています。
 蛇足ですが、一言付け加えます。この歌がリリースされた11月の3日に、新憲法(現行憲法)が発布(公布)されたことです。もちろん偶然でしょうが、敗戦後、混乱・混迷を深めていた日本の行き先に、この歌ともども明るい希望の光が差し込んだことも記憶に留めておく必要があります。
 

投稿: ひろし | 2015年6月10日 (水) 10時58分

太平洋戦争末期、海軍燃料所のあった四日市は大空襲に襲われ、妹と一緒に母親の乳母車に乗せられて炎や煙の中を街外れの畑に向かって逃げていたのを覚えています。その日私の家は負傷者の収容所になりましたが、少年が1人亡くなったそうです。母親の話では、その当時、人の死に対しては感覚が麻痺していて、悲しむ余裕も無くなっていたとのことです。その空襲の後、近郊の農村に疎開して、3歳になった直後に終戦を迎えました。高校生の頃、戦争が終わった時どう思ったかを母親に聞いたら「軍人が威張っている世の中が嫌でたまらなかったからとにかくホッとした」と言っていました。敗戦を悲しむというようなことは無かったようです。
戦後の混乱期には、ラジオや闇市のスピーカーからいろんな歌が聞こえてきました。先ず最初に大ヒットしたのが「リンゴの唄」でしょう。この「青春のパラダイス」や「南の薔薇」などもよく覚えていて時々カラオケで歌っています。「シベリアエレジー」も自分としては「異国の丘」より好きです。メロディは耳に残っているものの曲名や歌詞の分からなかった曲をこのサイトで見つけることができたのが「誰か夢なき」と「夢去りぬ」です。良い曲ですね。これからもこのような懐かしい曲をよろしくお願いいたします。

投稿: 山下仁平 | 2015年7月 8日 (水) 22時13分

岡晴夫の仲では一番好きな歌でした。
昭和21年11月と言うと私は2歳10ヶ月なので、その頃の記憶には何にもなくて、戦後7,8年の頃に覚えたように思います。
あの時代にこんないい歌があったことに嬉しくてなりません!

投稿: ゆく | 2015年8月 3日 (月) 20時45分

 山陰地方から卒業後就職した現場は「おっとろしいオッサン」がウヨウヨしていると(あくまでも私の印象)感じた印刷工場でした。その中で、いつもちょっとした休憩時間に津村謙や伊藤久男のはやり歌を口ずさむ先輩がいました。
 そして後に知ったのがこの「青パラ=青春のパラダイス」でした。 オカッパルの全盛期(実演会場の様子)を熱く語るさまにたちまち魅了され、やがて「岡晴夫歌声全集」のCDを購入。二人の息子が幼いころから「魚のようにはねおきて…」とか「ヘビの料理はうれしかないいが~」などと子守歌がわりに歌ってました。今この終戦記念日をむかえるに、「パラオ恋しや」を歌うにはせつないものと感じます。

投稿: 国境の春 | 2015年8月 6日 (木) 22時28分

私感ですが、岡晴夫は藤山一郎と歌い方が似ていて小節の最後を下げずに前音を伸ばすので、歌にスケール感がありましたね。54歳の若さで早世されたのが惜しかった。

投稿: 海道 | 2015年8月30日 (日) 16時41分

戦後の、貧しいながらも歌謡曲黄金時代に少年期を過ごした私にとって、「青春のパラダイス」は、お気に入りの歌の一つです。短調の美しいメロディ、若さと明るさを感じさせる歌詞が、伸びやかな歌声と相まって、”望みなきにしも非ず”という気持ちにさせてくれるところが好きでした。
当時小学生だった私が、学校の休み時間に廊下でこの歌を口ずさんでいるのを、運悪く先生に見つかってしまい、”流行歌を歌うとはけしからん”とお叱りを受けたことが思い出されます。
これからも、この歌と大事に付き合って行きたいと思っています。

投稿: yasushi | 2015年12月23日 (水) 17時04分

川崎の「昭和歌謡の会」に参加するようになって7年になります。歌い継ぎたい昭和歌謡を探し続けています。YouTubeを検索していたら「青春のパラダイス」が見つかりました。岡晴夫さんの明るい歌声、元気をいただける曲だと思います。この曲が戦後わずか1年で発売されたことに驚かされました。
同じく先生のうた物語に出ている「東京の屋根の下」も戦後間もない東京を歌っています。歌詞に キャピタル東京 世界の憧れ とあり、服部良一さんの明るいメロディーに魅了されました。復興した東京は世界でも有数の都市になりました。レコードが発売された昭和23年にはこうなってほしいという願いを託した曲だったのでしょうね。  

投稿: 蒸しパン | 2016年5月15日 (日) 12時40分

洗濯物を干しながら空を見上げると真っ青な空にただ1機飛行機が目の前をまっすぐに飛んでいきました。この歌が口から出てきました。束縛の無い世界、澄んだ空、一気に心が青春時代に戻ります。輝いていた若い命、まだ心の片隅に残っています。少年から青年になったあの人の面影が浮かびます。二人で若草がもえる丘を歩いて見たかったですね。可愛らしい野の花が嬉しそうに揺れています。初恋の優しい想いに心が安らぎます。結ばれなかったゆえに美しい思い出が汚されないで輝くのですね。出会えて本当に良かったと空を見上げながら思っています。若い命が輝いて戻ってくるようです。

投稿: ハコベの花 | 2018年1月13日 (土) 10時32分

はこべの花 様

今日のような 久しぶりの青空のもと、心もうきうきするような 懐かしい軽快なメロデイーの曲のリクエスト ありがとうございます。 でも・・・
 
若きいのち かがやくパラダイス
ふたりをまねくよ~

のところを ブレスなしで一気に歌うのが、苦しくなってきました。  青春も遠くなってきたのかな~?

投稿: あこがれ | 2018年1月13日 (土) 12時21分

思い返すと、二木先生の”うた物語”に初めて投稿させて頂いたのは、2年半ほど前、この「青春のパラダイス」でした。
 岡晴夫さんの歌では、他に、「東京の花売娘」(S21)、「憧れのハワイ航路」(S23)、「東京の空青い空」(S24)など、好きな歌が多いですが、これらの歌を聴くときいつも思うのは、高音部がよく出るなあということです。
 もう一つ私の好きな岡晴夫さんの歌を挙げますなら、♪暗い空だよ きらりと光る…♪の「港に赤い灯がともる」(矢野亮 作詞、八洲秀章 作曲 S22)です。哀愁漂うマドロスものの歌を、長調で明るく伸びやかに歌うのがお気に入りで、カラオケでもたまに歌います。
 最近になって気づいたのは、この歌が八洲秀章さんによる長調の歌で、多くの人に愛される「さくら貝の歌」(S25)、「あざみの歌」(S26)、「山のけむり」(S27)などの八洲秀章さん作曲の短調の歌と対比して、得難い、貴重な存在ではなかろうかと感ている昨今です。 

投稿: yasushi | 2018年5月 9日 (水) 14時42分

朝、窓に射す光を見ていたらこの歌が聴こえるような気がしました。春、青春ですね。爽やかな今の季節にぴったりの歌です。良い声で爽やかに歌って下さる男性募集と広告を出したいほどです。テレビもたまにはこういう歌を聴かせてくれても良いと思うのですが、踊りながら歌う歌詞の悪い歌ばかりでうんざりしています。歌詞もメロディも歌として通用する歌を聴かせてくれないものでしょうか。日本から歌が消えてしまったように思うのは私だけでしょうか。この歌が敗戦日本を元気にしてくれたと私は思っています。

投稿: ハコベの花 | 2019年4月22日 (月) 23時42分

「青春のパラダイス」昨年の5月にこの歌のページを初めて開きこの曲を知ってからというもの、それ以来何度となく聴きながらこの歌の魅力をひしひしと感じてしまう自分がいます!

昭和29年に生まれた私が物心ついた頃には、すでに戦後の名残すら消えていました。幼い頃母に戦時中や戦後の話を少し聞いていたぐらいです。
そんな私が、大変恐れながらも終戦直後の日本を想う時、ラジオから流れてきた「リンゴの唄」や、岡晴夫のこの歌が、如何に心打ちひしがれていた人々に仄かな励ましや小さな希望を与えたのかが想像できます。

1 空は青く みどり萌える大地・・・

2 バラは紅く 牧場の道に咲く・・・

3 ゆらぐ青葉 白き雲は湧きて・・・

二木先生が見事にアレンジされて、そして奏でられているこの素晴らしいメロディを聴きながら、正に明るく清らかでそして希望に満ちた上記の詩を観ていると、私の想像の中でのいろんな想いが駆け巡ってきて、何故だか胸が熱くなってしまう自分がいます。

岡晴夫の「青春のパラダイス」本当に素晴らしい歌だと私は心からそう思います!

投稿: 芳勝 | 2019年10月 5日 (土) 19時22分

「青春のパラダイス」は、私にとって、大の愛唱歌です。
芳勝様には、この歌の魅力をひしひしと感じておられる由、同好の仲間が増えて、嬉しいかぎりです。

そして、”終戦直後の日本を想う時、…、「リンゴの唄」や、岡晴夫のこの歌が、如何に心打ちひしがれていた人々に仄かな励ましや小さな希望を与えたのかが想像できます。”には、芳勝様の感性、想像力の豊かさに、脱帽です。

この歌が流行った頃は、まさに、終戦直後の、貧しくて、苦しい混乱期の最中で、私は小学生でした('15-12-23の拙コメントをご参照)。
生意気ながら、この歌を口遊んで、ひとときながらも苦しさを忘れ、明日への希望を見出そうともがいていた時期であったと、思い起します。

投稿: yasushi | 2019年10月 6日 (日) 13時44分

10月5日ご投稿の芳勝 様

 この歌だけではなく、この時代の唄には、「軍国主義」から解放された本当に明るい響きがあります。
 今から投稿する「うた物語掲示板」をご覧下さい。

投稿: 竹永尚義 | 2019年11月24日 (日) 16時29分

「青春のパラダイス」は、私にとって、ある意味で、記念すべき歌です。

今日は、終戦の日8/15です。例年、暑い晴天の日に終戦の日を迎えることが多かったと記憶しますが、今年は、珍しく、雨模様の中で迎えました。

昭和20年の終戦のとき、”満州生まれの満州育ち”だった私は7歳で、牡丹江在住でした。私達一家は、ソ連軍侵攻の脅威のもと、哈爾浜(ハルビン)に退避して、そこで越年し、日本に引揚げたのは昭和21年秋(10月)で、北陸の一寒村の父の実家に身を寄せました。

その頃、近くにラジオがあったかどうか思い出せませんが、子供心にも、流行歌「青春のパラダイス」(11月)の明るさに惹かれ、よく口遊みました。今も思い出すのは、この歌を、うかつにも、学校で口遊んでいて、先生に叱られたことです(拙投稿 ’15-12-23をご参照)。
というわけで、私にとって、「青春のパラダイス」は、戦後歌謡曲黄金期の始まりの歌といっても過言ではありません。
とは言え、その後憶えた、引揚げ前に作られた戦後の歌「リンゴの唄」(S21/1)、「青いクローバー」(S21/3)、「東京の花売娘」(S21/6)なども、勿論、好きで、今もよく聴きます。

投稿: yasushi | 2021年8月15日 (日) 17時05分

「青春のパラダイス」戦後生まれの私ですが、数年前ここでこの唄の詩とメロディを初めて知ってからというもの、私はそれ以来この曲が無性に聴きたくなります。そして改めてこの唄は本当に素晴らしいと再認識させられます!

Yasushi様へ

12月4日(交流掲示板)『父のこと、おにぎりのこと』この度のYsushi様のご投稿コメントを私は感慨深く拝読させていただきました。
>お父様と並んで畦に腰かけて、こうびりのおにぎりとたくあんをお食べになられた・・・という、この少年時代のご体験は、Yasushi様にとってまさに宝物となる想い出でしょうね。御文を拝読しながら私は思わず胸が熱くなりました。
そして、2021年8月15日ご投稿コメント、>『・・・日本に引き揚げたのは昭和21年秋(10月)で、北陸の一寒村の父の実家に身を寄せました・・・』このコメントをここで再読させていただいた時、この度の交流掲示板ご投稿『父のこと、おにぎりのこと』・・・Yasushi様のこの両コメントにより、ふと私の中で何かが結びついたような、私はふとそんな気がしました。五年前に幸運にもここで巡り合い、今では尊敬申し上げるYasushi様の少年時代に、若輩者の私ではありますが、誠に恐れながら想像の中での様々な思いを巡らせています。

「青春のパラダイス」今では大好きになったこの唄のページを開く度に、この曲が大の愛唱歌と仰るYasushi様の貴重なご投稿コメントを私はいつも読み返しています。そして今では私もこの唄の歌詞は見ずとも一番から三番まで口遊めるようになりました。
本日ご投稿の「知りたくないの」のコメントも拝読させていただきましたが、いつものことですが、そのご配慮のある文章力はとても勉強になります。これからも心豊かなYasushi様のコメントを楽しみにしております。

師走に入り一段と寒さが厳しくなってまいりました。どうかお身体にはくれぐれもご自愛ください。

投稿: 芳勝 | 2022年12月 7日 (水) 22時06分

芳勝様からのお便りを嬉しく拝読しました。
過分のお言葉の数々、痛み入ります。また、拙投稿、本編『知りたくないの』(’22-12-7)、交流掲示板「父のこと、おにぎりのこと」 (’22-12-4)もご覧になられたとのこと、有難く、お礼申し上げます。

『青春のパラダイス』については、”今では私もこの唄の歌詞は見ずとも一番から三番まで口遊めるようになりました ”との由、同好の仲間として嬉しいことです。
私にとって、この歌は、戦後歌謡曲の原点のような存在です。

岡晴夫さんは、大好きな歌い手さんの一人です 。特に、高音部がよく出る点は他者の追従を許さないところであろうと、私は思います。
『青春のパラダイス』のほか、戦後の歌で、割合よく聴いたり口遊んだりするのは、
『東京の花売娘』(佐々詩生 作詞、上原げんと 作曲 S21)
『啼くな小鳩よ』(高橋掬太郎 作詞、飯田三郎 作曲 S22)
『港に赤い灯がともる』(矢野亮 作詞、八洲秀章 作曲 S22)
『憧れのハワイ航路』(石本美由起 作詞、江口夜詩 作曲 S23)
『港ヨコハマ花売娘』(矢野亮 作詞、上原げんと 作曲 S24)
『東京の空青い空』(石本美由起 作詞、江口夜詩 作曲 S24)
『逢いたかったぜ』(石本美由起 作詞、上原げんと  作曲 S30)

大人になってから憶えた、戦前・戦中の歌では、
『国境の春』(松村又一 作曲、上原げんと 作曲 S14)
  ※生まれ故郷の旧・満州が舞台の歌で、親近感を持ちました。
『パラオ恋しや』(森地一夫 作詞、上原げんと 作曲 S16)
  ※明るく伸びやかで、南洋らしい情景が謳われていて、お気に入りです。

投稿: yasushi | 2022年12月 8日 (木) 13時33分

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