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2015年7月 5日 (日)

月光仮面は誰でしょう

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:川内康範、作曲:小川寛興、唄:近藤よし子・キング小鳩会

1 どこの誰かは 知らないけれど
  誰もがみんな 知っている
  月光仮面の おじさんは
  正義の味方よ よい人よ
  疾風(はやて)のように 現れて
  疾風のように 去ってゆく
  月光仮面は 誰でしょう
  月光仮面は 誰でしょう

2 どこかで不幸に 泣く人あれば
  かならずともに やって来て
  真心(まごころ)こもる 愛の歌
  しっかりしろよと なぐさめる
  誰でも好きに なれる人
  夢をいだいた 月の人
  月光仮面は 誰でしょう
  月光仮面は 誰でしょう

3 どこで生まれて 育ってきたか
  誰もが知らない なぞの人
  電光石火(でんこうせっか)の 早わざで
  今日も走らす オートバイ
  この世の悪に かんぜんと
  戦いいどんで 去ってゆく
  月光仮面は 誰でしょう
  月光仮面は 誰でしょう

《蛇足》 昭和33年(1958)2月24日から翌年7月5日まで、KRT(現:TBSテレビ)系列で放映されたドラマ『月光仮面』の主題歌。

 『月光仮面』は、川内康範原作・脚本による児童向け冒険活劇で、現在も子どもたちに絶大な人気をもつ仮面・変身ヒーローものの元祖というべき作品。放映開始の夕方6時(途中から7時からに変更)前には、銭湯から子どもの姿が消えたといわれるほどの大人気作品でした。

 その後も、実写版の映画やテレビアニメが何度か作られ、『少年クラブ』『週刊少年キング』『週刊少年サンデー』や小学館の学年別学習雑誌に漫画が連載されました。

 私は、元祖『月光仮面』をリアルタイムでは見ていません。放映が始まったのは、私が中学卒業を間近に控えたときで、その前年に修学旅行で東京に行きました。修学旅行生用旅館のロビーめいた場所で、日本語の吹き替えが2,3秒ずれたアメリカのドラマを見たのが、私にとってのテレビ初視聴でした。

 1学年5クラス、計約250人のうち、家にテレビのある者はほとんどいなかったと思います。テレビ受信契約数が100万を超えたと報じられたのは、昭和33年5月のことです。
 
東京など大都市と地方とでは、さまざまな面でタイムラグが大きかった時代でした。

(二木紘三)

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コメント

 まさかのアップに感激してます。
昭和33年といえばまだまだテレビの普及度は低く、近所に所有している家庭は一軒も無く、電気屋か大衆食堂で視聴するしかありませんでした。〈精工舎の時計が7時をお知らせします〉を聴いた時のワクワク感。小学3年の頃です。後年思った事ですが(小川寛興という作曲家は傑作を沢山作ってたんだなぁ)と。
「月光仮面」「七色仮面」「豹(ジャガー)の眼」「快傑ハリマオ」。この「月光仮面は誰でしょう」を歌うと白装束で白いオートバイを駆る月光仮面の映像が鮮明に浮かんできますね。
 川内康範の詞も「疾風のように」とか「電光石火の早技で」とか、「この世の悪にかんぜんと」など少年の心を奮い立たせるのに十分余りあるものでした。上の写真は大型バイクなので、劇場版の大村文武主演のものですね。       
 33年〈ミッチーブーム〉が沸き起こり、翌年〈御成婚〉。
テレビの普及が本格的に始まることになるのですね。

投稿: かせい | 2015年7月 6日 (月) 01時17分

近藤よし子さんと近藤圭子さんは同じ方と聞いたことがあったので、
以前このサイトを見て変だなぁと思っていました。
写真がはっきり見れないので残念です。
http://pasar-raya.at.webry.info/200802/article_8.html

近藤圭子さんの写真が出ますね。
http://blogs.yahoo.co.jp/fnmdn239/34237332.html

動画サイトに近藤よし子さんの「とんぼのめがね」もあります。
近藤圭子さんの同じ頃の歌と聴き比べていました。

投稿: なち | 2015年7月 6日 (月) 08時27分

 我が国には一部の人を除いて日常宗教行事に参加するという習慣がありません。そのためか道徳は学校の教育の一環で教えられています。『月光仮面』は勧善懲悪の物語ですが、子供達に正義の大切さを教えるという意味で大きな意味があったと思います。しかも主人公の正体は不明ということになっています。はやての様に現れて事件を解決し、はやての様に去って行く正体不明のヒーロー像は、無償の愛の表現であり、最近話題になった『伊達直人』を名乗った人達の善意に通ずるものがあると思います。
 月光仮面には主題歌以外に、三船浩が歌った『月光仮面の歌』という挿入歌?がありますが、こちらは大人向けの歌詞になっています。そこでは「貧しい人よ呼ぶがいい、悲しい人も呼ぶがいい」と、高度成長期に必死に日本を支えた人達に対する思いやりが感じられます。

投稿: Yoshi | 2015年7月 6日 (月) 09時45分

主題歌を歌っている近藤よし子と近藤圭子が同一人かどうか判然としませんので、それに関する記述を削除しました。リリース時の近藤圭子の年齢を考えますと、声の質や歌い方が小学生ぽくて、どうも別人のような気がしてきました。
(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2015年7月 6日 (月) 10時35分

「月光仮面」と言えば大瀬康一、大瀬康一と言えば「月光仮面」「豹の眼」「隠密剣士」ということになるわけですが、TV放映:KRT(現TBS)、制作:宣弘社プロダクション、作詞;川内康範、作曲:小川寛興、悪役:天津敏(「豹の眼」「隠密剣士」)…懐かしい限りです。
当方は終戦直前世代(昭和19年)のため、「月光仮面」に熱狂?した団塊世代よりは数年年食ってますが、当時無名?だった大瀬康一がいきなりTV草創期の子供向け番組の主役として登場し主役を張ったという一種の社会現象を思い出すと隔世が感があります

投稿: 焼酎百代 | 2015年7月 6日 (月) 16時16分

「大瀬康一がいきなりTV草創期の子供向け番組の主役として登場し主役を張った」を「大瀬康一がいきなりTV草創期の子供向け番組に登場し主役を張った」に訂正させて頂きます。焼酎で酔っぱらった勢いで投稿したので投稿文が支離滅裂になりお詫び申し上げます。

投稿: 焼酎百代 | 2015年7月 6日 (月) 16時25分

なつかしいとは、久しぶりにこのような曲を聴いた時、わきおこる感情ですね。昭和24年の生まれです。
放映時間には銭湯から子どもの姿が消えたと「蛇足」にありますが、「君の名は」にせまる勢いだったのですね。
私も近くの食堂や、金持ちの家のテレビを見せてもらいにいきました。
入る時、失礼しますと言う、靴をそろえる、行儀よく見る、帰る時、ありがとうございましたと言う、そんなことを母親からしつけられて・・とにかく毎週とんでいきました。
 今、you tubeなどで「月光仮面」をみるとなんとちゃちなヒーロー、ちゃちなバイク、ちゃちなストーリーと思ったりするのだが、そう思うことが間違っています。
あれはあれでよかった、子供向けのヒーローを作ってくれ川内康範先生に感謝です。勧善懲悪の筋立ても入っている、疾風のように去っていく、だらだらと説教などしないところもすぐれたヒーローでした。
 月光仮面が登場する時、ハハハハ、ハハハハという高笑いがありましたが、あれがよくわかりませんが、当時の子どもは、すんなり受け止めていました。そんなこともなつかしい。

投稿: 屋形船 | 2015年7月10日 (金) 15時47分

この歌詞には謎があります。「どこの誰かは知らないけれど 誰もがみんな知っている」とは?私はある日、「その人は戦争に敗れた『日本の父』なのではないか」と思いました。自らを恥じ、仮面をかぶって戦後を生きているが、どこかで不幸に泣く人があれば、かならずはやてのようにやって来て、しっかりしろよとなぐさめる、そのように生きようと決意した、父なのではないかと。そう思うと、戦後のあのころに、みんなに受け入れられた理由が分かる気がしました。

投稿: 三流詩人 | 2015年7月25日 (土) 10時37分

 川内康範氏が晩年、週刊誌の取材で、『月光仮面』について回顧しながら語っていました。「月光仮面は、菩薩の化身であり、仏の意をうけ、この世に派遣された者である。悪をなくし、善を広める役割を果たすために・・」
 仏と菩薩の関係は、天台宗の教義によれば、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞(しょうもん)・円覚(えんかく)・菩薩・仏の十界の最上部に位置し、菩薩は、修業を通じて最終段階の仏に近づくといわれる。
今、話題の派遣社員じゃないが、仏、すなわち如来から差し向けられた者ということです。
月よりの使者とは、如来からの使者ということです。
50歳を越えてこの記事を読み、月光仮面を二度楽しんだような気持ちになりました。

投稿: 越村 南 | 2015年7月25日 (土) 13時06分

<どこかで不幸に 泣く人あれば・・・
しっかりしろよと なぐさめる>

宮沢賢治の”雨にも負けず”が思い出されます。

東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ

<戦いいどんで 去ってゆく
  月光仮面は 誰でしょう>

タイガーマスクの伊達直人が思い出されます。

少し古くなりましたが、ランドセルの記事、感動しますね。今でも検索して読むと泣けてきます。

いつかそんなヒーローになりたいです。

投稿: yoko | 2015年7月25日 (土) 15時22分

幼い頃に私が住んでた部落では、近所にテレビがある家がなく、「月光仮面」を初めて見たのは、母が連れて行ってくれた映画でした!
映画の内容はあまり覚えていないのですが、(近藤よしこキング小鳩会)が歌った「月光仮面は誰でしょう」を、すぐに好きになったことと、悪党だった骸骨の顔をした「どくろ仮面」が、印象に残っています。
それでも、5才の頃の私にとって、この映画のインパクトは大きく、最初に意識した、正義の味方は「月光仮面」でした。
家にあった包帯を顔に巻き、額の部分に紙で作った三日月をのりでつけ、風呂敷をマント代わりにして、月光仮面の格好をして遊んだりしましたが、大切な包帯を勝手に使ったり、汚したりしたので、母に叱られた記憶もあります。
その後、次々と始まった人気番組「七色仮面」や「アラーの使者」は、部落で一件だけテレビがあった、近所の駄菓子屋さんに、子供たちで集まり、少しのお菓子を買っては、何とか毎週見せてもらっていました。
そして36才の頃、会社の視察旅行で行った宿泊するホテルで、カラオケ大会があったのですが、大勢の参加者だったので、私は意表をついて選曲欄にあった「月光仮面は誰でしょう」を歌いました。すると結果発表では思いがけない特別賞となり、景品のパナソニックビデオカメラブレンビーをもらいました。そんな想い出もあり、この歌には特別な愛着があります。

投稿: 芳勝 | 2018年3月 2日 (金) 01時07分

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