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2015年7月27日 (月)

芽ばえて、そして

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:永 六輔、作曲:中村八大、唄:菅原洋一

あなたのまつげが 震えて閉じて
涙のしずくが 伝って落ちて
私に芽ばえた あなたへの愛
芽ばえてひ弱な 愛の心を
優しく優しく 育てる月日
やがて私を 抱きしめる愛

その愛が 私を育てた愛が
いまは私を 苦しめ悩ませるの
あなたのまつげが 震えて閉じて
涙のしずくが 伝って落ちて
それが終わりの あなたへの愛

      (間奏)

その愛が 私を育てた愛が
いまは私を 苦しめ悩ませるの
あなたのまつげが 震えて閉じて
涙のしずくが 伝って落ちて
それが終わりの あなたへの愛
あなたへの愛

《蛇足》 昭和38年(1963)3月、NHKのバラエティ番組『夢で逢いましょう』の「今月の歌」として歌われたのが初出。ヒット曲を連発していた"六八コンビ"の作品。ペギー葉山が歌いましたが、レコード/CD化はされませんでした。
 昭和42年
(1967)6月、菅原洋一がカバーしてポリドールから発売。彼にとっては、昭和40年(1965)の『知りたくないの』に続くヒットとなりました。

 若いころ(に限ったことではないでしょうが)、女性の涙にグラッときた経験のある人は、けっこういるのではないでしょうか。
 友人か同僚以上ではないと思っていた女性が、何かのことで突然涙を流す。それを見た瞬間、いとおしさのような感情が男性に生じ、それが恋の芽生えとなります。

 恋仲になると、男性はじっくりその恋を育てていこうと思います。ところが、恋が深化するにつれて、お互いの思いにズレが生じ、愛情のバランスが崩れてくる場合があります。そうなると、女性の恋心が男性には重く感じられるようになります。相手の思いに応じきれなくなった男性は、別れを考えます。
 それを告げられた女性は、涙を流しますが、今度は、それで男性を引き留めることはできません。そして1つの恋が終わる……というのがこの歌の要旨でしょう。

 女性の涙は無敵の武器などといわれますが、男の涙も魔力を発揮することがあります。
 ある時期まで、といっても時点を特定できるわけではありませんが、まあ、半世紀以上前のことだと思ってください。「男は人前で泣くな。人前で泣いていいのは親が死んだときだけだ」といった趣旨のことをいわれた男性は多かったと思います。

 そんなふうに育てられて、陰で涙を流すことはあっても、人前では泣かない男性が、何かの折に耐えかねたかのように涙をにじませることがあります。それを見た女性が、「まあ、この強い人が泣いているんだわ」とグラッとくることがあるといいます。

 ふだん泣かない男が泣くから、男の涙が魔力をもつのであって、人前で簡単に泣く、つまり涙の安売りをしていると、男の涙の価値がなくなる……と思ったら、最近はどうも違うようです。

 「泣き男子」といって、むやみやたらに涙を流す男がモテるそうです。大して感動的でもない映画やビデオを見て泣く、任せられた仕事をやり遂げたからといって泣く、上司に怒られたからといって泣く、ペットがかわいいからといって泣く、彼女につれなくされたからといって泣く、友人の結婚式でもらい泣きする、などなど。

 私などは、自分の涙にもう少し価値をもたせろよ、といいたくなりますが、若い女性たちには、すぐ泣くのは感受性がゆたかで優しい証拠と受け取られ、そういう男性と結婚すればいい家庭が築ける、と思われているそうです。

 男は強くあれ、女は優しくあれ、という古い価値観にとらわれているわけではありませんが、昔人間にはよくわかりませんな。まあ、自分の感情に素直な男が増えてきたということなのでしょうが、「やせ我慢の美学」が時代遅れになったのだとすると、いささか淋しい。

 なお、「男は簡単に泣くな」から私、および私と同年配以上の諸氏は除きます。年を取ると涙もろくなるのは自然の摂理ですから(*^_^*)。

(二木紘三)

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コメント

永 六輔さんの感性に感銘あるのみです。
又、二木先生の蛇足にも感銘あるのみです。
最後の~なお、「男は簡単に泣くな」から私、および私と同年配以上の諸氏は除きます。年を取ると涙もろくなるのは自然の摂理ですから(*^_^*)。~
先生のあたたかな人間性がにじみ出ています。
昔、村の古老が(おばあちゃん)がみどりごをみて涙を流すのを不思議に思ったものです。(りんご20代半ば)
今、私はみどりごの無心な表情に涙を誘われます。

さて芽生えてそして♪しゃれたシャンソン風の歌は当時とても新鮮でした。菅原洋一さんの都会的な抒情性も好きでした。
二木先生の蛇足はつまらない小説を読むより胸に響きました。男と女の違いよくわかります。

投稿: りんご | 2015年7月28日 (火) 18時22分

人前で泣くとか、そのような感情が沸き上がることはめったにないのですが、その場面に出くわしたときは心が揺り動かされます。また記憶に残るものですね。

父の通夜のことです。Fさんは部屋に入るや否やガバッと畳みに手をついて泣きだしました。涙が鼻を伝わって畳に落ちるのが見えました。号泣でした。

Fさんと父は子供のときからの変わらぬ友人で戦争が終わって、さてこれから何をしようかという時、薪を割って運ぶ、という仕事を一緒にしていたようです。
私の父と母は仲が悪く分かれて暮らしていたため、母の実家で暮らしていた私は、子供の時、時々父の家に遊びに行きました。しかし、Fさんが訪ねてくると最悪でした。父とFさんは二人で夜延々と世間話を始めますし、あるいは、碁を打ち始めて夜が更けるのに気付きません。私はせっかくの楽しみできた父の家で相手にしてもらえません。
父とFさん、いまでは、二人なかよく天国で碁を打っているのでしょうか。

通夜では、その後、女の人が焼香されました、その人は焼香しつつ泣きだされました。私は彼女だ、と気づきました。その彼女とは・・・。私が小学校1~2年生くらいの頃にさかのぼります。通りで遊んでいると、月に一度くらいの頻度だったでしょうか、小柄な彼女が現れて、「お父さんがこんどの日曜日遊びにおいでっていってるよ」と告げるのです。そして、これをお母さんに渡してください、と言って茶封筒を私に手渡しました。あるとき母に「あの人、誰?」と聞いてみました。母は、「お父さんの仕事場で事務をしている人よ、お父さんが好きなのよ、お父さん良くしてあげるからねぇ~」、と言いました。今でも彼女が誰であったのか解らずじまいです。まだご存命なのかもうお亡くなりになったのか分かりません。父が死んでから43年経ちます。茶封筒は父から母への手紙だと私は長く思っていましたが、お金だったようです。
Fさんの涙、彼女の涙、嬉しいです。

投稿: yoko | 2015年7月28日 (火) 22時49分

「知りたくないの」「今日でお別れ」、どちらも『女唄』だと思いますが、この「芽生えてそして」は『男唄』『女唄』のいずれなのでしょう。『男唄』なら「私」は男性「おまえ」は女性ということになります。 「あなたのまつげが 震えて閉じて」は男性による観察表現ですから、『男唄』ということになりますね。 ところが、二番三番の「いまは私を苦しめ悩ませるの」と「の」を使っての『女唄』になります。
 「男のおばさん」と評されている永六輔の妙味な詞創りなのでしょうか。 『男唄』『女唄』、どちらからでもどうぞ、ということでしょう。
 メロディはシャンソン風ですが、ジャズ畑の中村八大にしてはかなり歌謡曲に近づけた作品に仕上げていますよね。s42年作ということですが、青春歌謡に眼がいってたのか、初めて聴く曲でした。いつものとおり、八大の曲が先で六輔の詞が後なんでしょね。

投稿: かせい | 2015年7月29日 (水) 01時13分

二木様の解説(蛇足)にある「男の涙」から、戦時中に読んだ教科書(国定)の「水兵の母」を思い出しました。
 日清戦争中(1894~95)の高千穂艦内での出来事です。この乗員である一水兵が、手紙を読みながら泣いていました。そこに上官である大尉が通りかかり、あまりの女々しさに叱責します。しかし、その手紙を読んだ上官は、その水兵がなぜ大泣きしていたか、その理由を知ります。その手紙には、日清戦争の帰趨を決した海戦で息子が手柄を立てられなかった、母の無念さがつづられており、終わりに一命を捨てても天皇やお国のために戦い、手柄を立てることこそ、息子を戦地に送り出した母の務めであり、誇りである、と締めくくられていました。
 当時、軍国少年だったわたしは、いたく感激して読んだことを覚えています。
 二木様が「男は人前では泣かないものだ」と言って躾けられた世代にわたしも入るのですが、天下国家の大事のためには「男泣きしてもいい」(むしろ泣くべきだ)という「水兵の母」のような、政治状況や時代は真っ平ご免だ、と思う昨今です。

投稿: ひろし | 2015年7月29日 (水) 10時58分

この歌は、私が好きな歌ベストテンの第1位です。尤も第1位がいくつもあって(同率首位というか)困るのですが、他には同じ菅原洋一の「誰故草」「風の盆」。
島倉千代子:他国の雨、哀愁の落葉松林。
岸洋子:酔いしれて、愛あるかぎり、昔きいたシャンソン。
倍賞千恵子:遙かなる山の呼び声、新妻に捧げる歌(元歌は江梨チエミ)。
加藤登紀子:愛のくらし、時代おくれの酒場、リリ-・マルレーン、さくらんぼの実る頃。


というわけで歌手では菅原洋一と岸洋子、島倉千代子が一番すきです。
これら(だけではありませんが)を、とっかえひっかえカラオケ同好会で歌ってきましたが、コロナのせいで歌えていないのが残念です。

この歌は加藤登紀子の「愛のくらし」と似通ったテーマで、心が震えるような恋の予感から始まり、やがて哀感と共に終わりを告げるまでの心の中のドラマが、歌い手・聴き手の心の中に細かな説明なしに遺憾なく再現できるような、想像力を刺激してくれる名曲だと思います。

何故、恋が終わってしまうのか。いろいろ言えそうな気もする一方で、そんな難しいことではなく、相互誤解、期待過剰、基本的な生活感情などの相違などによると言ってしまえば済んでしまいそうにもおもいます。

ここでゆくりなくもクローニンの「人生の途上にて」の印象深い一節が不意に浮かんできました。
「結婚前の逆上している青年に、私は、必ず、キップリングが女性について書いた「布きれと骨と一束の髪の毛」という言葉を引用したし、若い花嫁には必ずこう言ったものである。「あなたの英雄(ヒ-ロー)、あなたの偉大な愛人は、無数の平凡な男の一人にすぎないんですよ」

こんな文章を読むと、「身も蓋もない」気分になりますが、たとい平凡な男と女であろうと、やがて人も羨むような「おしどり夫婦」として世を過ごせば、それこそ生涯通じて「成熟した恋愛」を貫いたことになるのではないでしょうか。

投稿: ナカガワヒデオ | 2021年8月30日 (月) 12時19分

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