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2015年8月14日 (金)

秋でもないのに

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:細野敦子、作曲:江波戸憲和、唄:本田路津子

1 秋でもないのに ひとこいしくて
  淋しくて 黙っていると
  だれか私に 手紙を書いて
  書いているような
  ふるさともない 私だけれど
  どこかに帰れる そんな気もして

2 秋でもないのに ひとりぼっちが
  切なくて ギタ-を弾けば
  誰か窓辺で 遠くをながめ
  歌っているような
  恋人もない 私だけれど
  聴かせてあげたい そんな気もして

3 秋でもないのに 沈む夕陽に
  魅せられて 街に出ると
  誰か夕陽を 悲しい顔で
  見ているような
  空に瞳が あるならば
  あかね雲さえ 泣いているだろう

《蛇足》 昭和45年(1970)9月1日にCBSソニーから発売。フォークシンガー本田路津子(るつこ)のデビュー曲です。

 この頃、森山良子は出産・育児のため、音楽活動を一時休止していました。たまたまその穴を埋めるかのように登場したのが、本田路津子でした。
 森山良子同様、澄んだ声で正統的な歌い方をする路津子は、『秋でもないのに』や、昭和47年
(1972)の『耳をすましてごらん』のヒットで、女性フォークシンガーの代表格のようになりました。

 路津子とは変わった名前ですが、両親がキリスト教徒だったことから、旧約聖書の『ルツ記』から取ったものだそうです。
 この時期、路津子はまだキリスト教徒ではなく、入信するのは昭和50年
(1975)に結婚したときだったといいます。結婚後渡米した路津子は、フォークからゴスペルへと音楽活動を転換しました。

 さてこの歌ですが、思春期から青春期にかけて、これと同じような心的状況を経験した人は多いのではないでしょうか。寂しさと憧れが入り交じったような気分。具体的に恋しい人がいるわけではなく、胸の空洞を埋めてくれそうな何かを求めて、夕焼け空を眺めたり、街に出てみたりする。

 私も、友達と会わなかった日や、人とほとんど口をきかなかった日には、読むつもりもない本を1冊かかえて、街をさまよったものでした。
 この歌では、「ふるさともない私だけれど」とありますが、田舎から出てきた私の場合は、思郷の気分が混じっていたような気がします。

 こうした"軽い孤独感"は、思春期・青春期における一種のモードであり、恋人ができたり、夢中になれるものが何か見つかったりすると、簡単に取り替えられてしまいます。漱石がロンドンで味わったような深刻な孤独感なら、そうはいきません。

(二木紘三)

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コメント

 私も思春期の頃に、二木先生の叙述するところの『寂しさと憧れが入り交じったような気分』をいつも感じていました。精神分析の礎を築いたジークムント=フロイトによると、人の深層心理には性欲があり、人の行動は種族保存の欲求が動機になっているとされています。彼によると、胸の空洞を埋めてくれそうな何かを求めて、夕焼け空を眺めたり、街に出てみたりするのもその深層心理には異性と出会いたいという欲求があるということになります。ただし人の場合は、他の動物と異なって種族保存の欲求に起因する動機が直接の求愛行動に結びつかず、極めてsophisticateされた行動、即ち文学や芸術の創造に向かったりすることもあるというのです。
 初めて彼の理論に接した時に私は全く馴染めませんでしたが、彼の理論は神経症(ノイローゼ)の患者の詳細な観察から帰納されたものであることを後に知り、今ではフロイトの理論をかなり正しいと感じています。

投稿: Yoshi | 2015年8月16日 (日) 18時49分

澄んだ美しい歌声ですね。YOUTOBEで本田路津子さんの歌声に聴き惚れてしまいました。
WIKIPEDIAによりますと私の誕生日は彼女と同年同月でした。
嬉しいです。懐かしのフォークソング世代です。

彼女はまだまだ頑張っていらっしゃるのでしょうか。
エールを送りたいです。

投稿: yoko | 2015年8月17日 (月) 22時20分

二木先生
懐かしい歌のアップをありがとうございます。
先生の解説にほれぼれと致しました。
「こうした"軽い孤独感"は、思春期・青春期における一種のモードであり、恋人ができたり、夢中になれるものが何か見つかったりすると、簡単に取り替えられてしまいます。漱石がロンドンで味わったような深刻な孤独感なら、そうはいきません。」(二木紘三)

長女の一級上と、一級下に 優秀な兄妹がおり兄はイサヤ妹はルツでした。2人とも地元の名門校に進学。
痛ましいことに兄のイサヤ君は山岳部のの冬山訓練で凍死。その通夜の際に棺を閉じるやお父様が「イサヤ万歳」と唱えたとのエピソードを思い起こしました。
田舎には珍しい家庭であったために印象深い事件として記憶に残っております。このコーナーで不意に思い出した次第です。

投稿: りんご | 2015年8月19日 (水) 11時49分

秋でもないのに何故かちょっとセンチメンタル・・60年前を思い出しています。あの人が大学に帰る日と時間をなぜ聞いておかなかったのかと、最後になるなら見送りに行きたかった。優しい笑顔も見せてくれたのに、別れの挨拶もしないまま、会えなくなるなんて、思っても居ませんでした。いつか会えるとおもっていたのに、60年も経ってしまいました。この8月の終わりの日に18歳の私に戻って貴方に手紙を書きたいなんて、貴方は考えた事もないでしょうね。夏の雲の中に秋のうろこ雲が少し混ざっています。青春の夏はすれ違いばかりでした。せめて一言「さよなら」が言えたら、もっと秋の悲しみは深くなっていたでしょう。その悲しみの中に私は浸ってみたいのです。秋の夕暮れに遠い貴方を思っています。

投稿: ハコベの花 | 2018年8月21日 (火) 23時27分

放課後の図書室で、一人静かに「草の花」を読みながら、時々ふっと物思いに耽って、窓の外に目をやれば、西の空にあかね色に染まった美しい夕焼けが・・・。

その、ノーブルでナイーブな横顔に、窓のガラスを通してきらきらと光の帯が輝く。少女は一瞬眩しそうに瞬きをして、三つ編みの髪にそっと片手を添え、静寂の中に身をゆだねる・・・。研ぎ澄まされた感性と理知的な感じの横顔に、ふっと例えようもない寂しさがただよう・・・。

そんな感じの、はこべの花さんの名門女子学園時代を彷彿とさせる、アンサーコメントでした。

投稿: あこがれ | 2018年8月22日 (水) 13時44分

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