« 芽ばえて、そして | トップページ | 秋でもないのに »

2015年8月 6日 (木)

死んだ男の残したものは

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:谷川俊太郎、作曲:武満 徹

1 死んだ男の 残したものは
  ひとりの妻と ひとりの子ども
  他には何も 残さなかった
  墓石ひとつ 残さなかった

2 死んだ女の 残したものは
  しおれた花と ひとりの子ども
  他には何も 残さなかった
  着もの一枚 残さなかった

3 死んだ子どもの 残したものは
  ねじれた脚と 乾いた涙
  他には何も 残さなかった
  思い出ひとつ 残さなかった

4 死んだ兵士の 残したものは
  こわれた銃と ゆがんだ地球
  他には何も 残せなかった
  平和ひとつ 残せなかった

5 死んだかれらの 残したものは
  生きてるわたし 生きてるあなた
  他には誰も 残っていない
  他には誰も 残っていない

6 死んだ歴史の 残したものは
  輝く今日と また来るあした
  他には何も 残っていない
  他には何も 残っていない

《蛇足》 昭和40年(1965)4月24日に開かれた「ベトナム平和を願う市民の会」で発表されました。

 この前日、詩人の谷川(たにかわ)俊太郎が作曲家・武満徹(たけみつ・とおる)のところに詩をもって現れ、明日の市民集会で歌えるように曲をつけてほしいと依頼しました。武満はその夜のうちに作曲、「ベトナム平和を願う市民の会」の関係者に渡しました。
 翌日の市民集会では、バリトン歌手・友竹正則が歌うとともに、歌唱指導も行い、以後、反戦集会などで盛んに歌われるようになりました。

 『原爆を許すまじ』や『さとうきび畑』と並ぶ代表的な反戦歌。『原爆を許すまじ』は、反核のメッセージを直截に伝えていますが、この歌や『さとうきび畑』は、詩・曲とも、戦争の無残、暴戻、悲惨、無意味さが徐々に、かつ深く心に染みんでくるような表現方法をとっています。

 実際、武満はできあがった曲に「メッセージ・ソングのように気張って歌わず、『愛染かつら』(正題は『旅の夜風』)でも歌うような気持ちで歌ってほしい」という手紙を添えて受け取りに来た人に渡したといいます。

 武満徹は世界的に知られた現代音楽の作曲家ですが、クラシック系の歌曲や、この歌のように歌いやすい大衆的な曲もかなり作っています。
 この歌は、のちに林光がピアノ伴奏付きの混声合唱曲に編曲、その後、武満自身も無伴奏の合唱曲に編曲しています。

 4月24日の「ベトナム平和を願う市民の会」で、ベトナム反戦を訴えるさまざまな団体やグループを結集した「ベトナムに平和を!市民文化団体連合」の結成が決まりました。代表は作家の小田実。
 この組織は、翌年、名称を「ベトナムに平和を!市民連合」に変更、略称「ベ平連」で広く知られるようになります。

 組織といっても、政党のようながっちりしたシステムではなく、「来る者は拒まず、去る者は追わず」式のゆるい連合体でした。そのため、ベトナム反戦を訴える一般市民や学生、文化人から、反米右翼までさまざまな人が集まりました。

 ベ平連の母体は、昭和35年(1960)の第一次反安保闘争のときに、哲学者の鶴見俊輔や政治学者の高畠通敏らが結成した「誰デモ入れる声なき声の会」です。
 新安保条約の強行採決→自然承認後、この運動は終息しましたが、
昭和40年(1965)2月7日に始まった米軍による北ベトナムへのいわゆる「北爆」で一般市民の死者が増えたことが報道されると、ベトナム反戦運動として復活しました。そのスタートが前述の「ベトナム平和を願う市民の会」だったわけです。

 ベ平連は反戦広報活動やデモを展開し、別組織で脱走米兵の支援を行いましたが、昭和48年(1973)1月27日に南北ベトナムとアメリカの間で和平が成立したことを受け、翌年1月に解散しました。
 運動に関わった小田実、鶴見俊輔、
高畠通敏、武満徹、友竹正則、吉川勇一、岡本太郎、林光などは鬼籍に入りましたが、谷川俊太郎は健在です(平成27年〈2015〉現在)

(二木紘三)

« 芽ばえて、そして | トップページ | 秋でもないのに »

コメント

平成11年広島に二度目の単身赴任で着任の際、ベランダでこの歌を歌っていると、隣の棟で帰任で荷物の整理に来ていた先輩の奥様が懐かしそうに聞いておられました。広島の歌では、高月ことば詞、大沢浄二曲の「ヒロシマ」が思い出さます。
はるかに遡って、昭和37年だったか、高知県の海岸線未舗装だった55号線の道路を片道1時間半かけて自転車通学していたとき、その時は曇り空だったか、米軍の迷彩服をまとった若者がうつむいて想えば思いつめた表情で歩いてくるのに出会いました。翌日の新聞に、脱走兵がつかまったと出ていました。

投稿: 樹美 | 2015年8月 7日 (金) 11時25分

終戦記念日が近づいているからでしょうか、"火垂の墓フルムービー"がyoutubeに公開されています。戦争孤児となった清太と節子の物語ですが、実は清太も節子もすでに死んでおり物語はゴーストである清太の回想です。

清太と節子は人里離れた山腹の横穴を住居とすることにしました。節子は、「ここは台所、ここは玄関・・・」と喜びに跳びはねています。そして「はばかりはどこでするの」と・・・

この場面で私もふと幼児の頃を思い出しました。戦後私の父と祖母(父の母)は土蔵の中で暮らしていました。土蔵の壁の一部がくり貫かれて窓がはめ込まれていました。土蔵の中の狭い板間にはゴザが敷かれていたと思います。私はその土蔵の中でラジオのダイヤルを回して遊んでいました。ラジオは東京駅のように真ん中がドームのように盛り上がっており、そこにスピーカーがありました。音は出たり出なかったりしました。

節子の疑問は私をも触発しました。ところで、トイレは土蔵の中にあったのだろうか、お風呂もあったのだろうか、炊事の煮焚きはどこでしていたのだろう。

その土蔵は最近まで存在していたのですが私が物心がついた頃そのような痕跡あったとはとても思えませんでした。謎です。もう父母も近所のお年寄りたちも亡くなってしまい、お聞きすることもできません。土蔵の中で遊んでいた思い出だけはぼんやりと残っているのですが不完全です。残念です。

投稿: yoko | 2015年8月 8日 (土) 10時35分

蛇足に触れられた故吉川勇一は元ベ平連事務局長ですが、私は東大学生自治会中央委員会議長として記憶しています。「警察手帳事件」を覚えていますか。安田講堂攻防戦よりも二昔前になります。(一昔前が60年安保)。法文系教室での劇団ポポロ座発表会場に潜入した本富士警察の私服刑事を、逆にマークしていた学生側が取り囲んで警察手帳を取り上げて預かり、大学自治侵害行為の謝罪文を書かせた事件。手帳にはかねてキャンパスの中をさぐっていた経過が記録されていた。劇団ポポロ事件とも。警察手帳返却は、学長立ち会いの下でのセレモニーだったが、最後は「手帳を握ったぼくの手の指を学長が一本一本剥がすようにして取り上げられた」と報告する吉川議長の悔しそうな表情が印象的でした。最高裁で覆ったけれど、一、二審判決では大学自治尊重の観点から学生側無罪でした。今は大学の権威が地に落ちて行く一方のようで、警察も文部官僚も、大学自治という言葉など知らないみたいですね。

投稿: dorule | 2015年8月 8日 (土) 14時27分

 たった1日でこの曲ができたとは、おどろきですね。『みかんの花さく丘』も、短時間でつくられたと、かつて「蛇足」で勉強しましたが、作曲家というのは、特別なひらめきがある人たちなのでしょう。 
 発明はひらめきからうまれる。ひらめきは執念からうまれる。執念のない人に発明はない、という安藤百福(日清食品の創業者)の言葉を思います。
 武満氏はできた曲を渡す時「『旅の夜風』でも歌うような気持ちで歌ってほしい」と伝えた。
このくだり、私は静かな感動がありました。
 声高に何かを主張をしても、伝わらないことが多い。むしろ静かに伝えた方が効果がある。
 人間は、逆説的存在であり、メッセージの強烈な伝え方には、耳をふさぎたくなる、押し付けがましいような気がして。静かな表現には、耳を傾けでしまうし、言葉も心に染みこんでいく。
谷川氏の詩の内容も、単に反戦のスタンスにとどまらず、人間の歴史というさらに大きなテーマのように思われます。
 武満氏の『旅の夜風』でも歌うように・・という、ある種謎めいた言葉は、そういうことをいっているのではないでしょうか。

投稿: 越村 南 | 2015年8月 8日 (土) 18時42分

蛇足を読んで感慨を深く致しました。
そのような経緯でたったの一晩で仕上がった歌とはじませんでした。改めて二木先生の博覧強記ぶりに感動致しました。

又谷川俊太郎さんの多様な感性にも圧倒されました。

谷川俊太郎さんには先日(8月2日)にお会いしてその元気の源をお聞きしたいと思いました。
近い距離でご尊顔の谷川さんは少年のような趣でした。お話も決して気張らず、一方で言いたいことは
歯に衣着せず「変化自在」。

二泊三日のさる研修会にて、一日目は大江健三郎、
二日目は金子兜太、谷川俊太郎、フェイナーレは主催者の落合恵子さんの講義。
その直後にこの曲のアップとはタイムリーです。
これまでは悲運のテナー 本田武久さんのCDの一曲としての認識しかなかったとは我ながら迂闊でした。
本田さんの命の歌声と共に、この歌に込められたメッセージに熱く共感するりんごでもあります。
余談ですが。95歳金子兜太さんの「戦争体験を語る」の切実な訴えが残響のように胸に鳴り渡っています。
金子さんが1年半のアメリカでの捕虜生活から解放され、
船上で詠んだという一句に涙が込み上げました。
澪の果て炎天の墓碑を置きて去る  金子兜太

餓死した戦友、事故死した工員、等々の無念の思いを
命の限りに語り続けたいという金子さんなのでした。

投稿: りんご | 2015年8月 9日 (日) 16時52分

日本が世界に誇る現代音楽作曲家の武満徹が、ベ平連に関係していたことは知っていましたが、この歌が作られたことは知りませんでした。死者に対する鎮魂の想いが、静かに伝わってくるメロディですね。谷川俊太郎の詩もいいので、YouTubeで聴いてみようと検索しましたら、いや驚きました。この歌を歌っている歌手や合唱団のなんと多いこと。クラシック系あり、フォーク系はもとより、ポップス系、歌謡曲系、さらに外国の歌手までヒットしました。それだけ、反戦メッセージソングとして広く愛唱されているんですね。個人的には、本田路津子のものが、合唱曲ではダークダックスのものがいいと思います。
 武満徹は、世界のローカル音楽や伝統音楽、邦楽では、琵琶や尺八などを取り入れた、異色の作曲家ですが、大衆(民衆)音楽も愛好し、名声や権威を嫌ったとも言われます。かれが、この歌を作ったとき、「愛染かつらを歌うように」と注文をつけたと、解説(蛇足)にありますが、かれの飾らない人間性が出ていますね。
 政治的には、平和や反戦運動には積極的に発言し、旗幟を鮮明にしていました。かつては、ガチガチの軍国少年だったことの反動でしょうか。

投稿: ひろし | 2015年8月13日 (木) 15時19分

「歌いやすくメッセージ性の強い曲」とありますが、私には音を掴みにくい難解な旋律で、10回歌っても微妙に違ってきちんと唄えないでいます。
プロの歌手たちの音源を聞いても少しづつ音が違っているように思えてしまいます。

でも私も好きではあるのです!!

投稿: ゆく | 2015年8月21日 (金) 16時58分

”死んだ女の子”の歌でコメントさせていただきましたが、そのコメントと同様にこの歌も好きにはなれません。

題名にも詩の中にも、”死んだ”、”死んだ”、と何度も繰り返されており、嫌な押しつけがましさがあります。

ただ、youtubeでお聴きする本田路津子さんの歌声は澄みきって流れるように美しいです。私は彼女の歌声はこの詩の内容に相応しくないように感じます。

その他の方々、コーラスなどの歌声はこの詩とマッチしているように感じます。深い地の底から得体の知れない何者からか漏れ出てくる怨念のつぶやきのように聞こえます。

私は反戦歌だと何でも嫌いというわけではありません。
ジョンバエズの「花はどこへ行ったの」という歌は大好きです。その詩の構成はこの「死んだ男の残したもの」と似通っているところがあります。しかしその詩もメロディも素晴らしいと思います。
(ご参考までに)

”Where have all the flowers gone”

Where have all the flowers gone?
Long time passing
Where have all the flowers gone?
Long time ago

Where have all the flowers gone?
Young girls have picked them everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the young girls gone?
Long time passing
Where have all the young girls gone?
Long time ago

Where have all the young girls gone?
Gone for husbands everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the husbands gone?
Long time passing
Where have all the husbands gone?
Long time ago

Where have all the husbands gone?
Gone for soldiers everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the soldiers gone?
Long time passing
Where have all the soldiers gone?
Long time ago

Where have all the soldiers gone?
Gone to graveyards, everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the graveyards gone?
Long time passing
Where have all the graveyards gone?
Long time ago

Where have all the graveyards gone?
Gone to flowers, everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the flowers gone?
Long time passing
Where have all the flowers gone?
Long time ago

Where have all the flowers gone?
Young girls have picked them everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?


投稿: yoko | 2015年9月 3日 (木) 23時11分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 芽ばえて、そして | トップページ | 秋でもないのに »