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2015年8月20日 (木)

耳をすましてごらん

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:山田太一、作曲:湯浅譲二、唄:本田路津子

1 耳をすましてごらん
  あれは遥かな 海のとどろき
  めぐりあい 見つめあい
  誓いあった あの日から
  生きるの強く ひとりではないから

2 旅を続けてはるか
  ひとり振り向く 遠いふるさと
  想い出に 幸せに
  淋しくないわと 微笑んで
  生きるの強く あの海があるから

3 空を見上げてごらん
  あれは南の 風のささやき
  時は過ぎ 人は去り
  冬の世界を 歩むとも
  生きるの強く あの愛があるから

《蛇足》 NHK連続テレビ小説の12作目として、昭和47年(1972)4月3日から1年間放映された『藍より青く』の主題歌。

 『藍より青く』は、山田太一の同名の小説を作者自ら脚本化したもの。主題歌の歌詞も彼が書きました。
 ドラマは、熊本県天草を舞台に、戦争末期から敗戦後に至る苦難の時代を、明るく、たくましく生き抜いた女性の物語。
 松竹が映画化し、昭和48年
(1973)2月に公開されました。
 上の写真は、実際の舞台とされる天草の牛深
(うしぶか)。昭和38年(1963)ごろの撮影と推測されます。

 主題歌を歌ったのは本田路津子で、レコードは昭和47年(1972)7月に発売され、『秋でもないのに』に続く2発目のヒットとなりました。

 本田路津子といい、昭和54年(1979)に『異邦人』を大ヒットさせた久保田早紀といい、最盛期を過ぎたと思われるころ、宗教に行っちゃったのはなぜでしょう。無信仰の俗物としては、神様に焼き餅を焼きたくなります。

(二木紘三) 

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コメント

昭和47年4月は、私が社会人一年生になった月です。会社と会社の寮と喫茶店を往復する毎日でテレビも観ず歌謡曲とも縁遠い日々でした。

本田路津子さんの名も’藍より青く’のドラマも知りませんでしたが、”耳をすましてごらん”の美しいメロディと本田さんの綺麗な声に強く印象づけられました。きっとこの時期、街中あるいは喫茶店でインプットされたんでしょうね。

WIKIPEDIAに次の記述がありました。

「NHKのアーカイブには、(藍より青くの)第1回しか残されていない。当時、家庭用ビデオデッキは存在したが、テープの経年劣化も考えると、視聴者が録画して現在まで保存している可能性は低く、放送映像が民間から発見される可能性はほとんどない。そのため全話の再放送および全話収録の完全版映像ソフトの製作・発売は困難である。
・・・・・
第23回NHK紅白歌合戦において、テーマを歌っていた本田路津子の歌唱の前に、審査員を務めていたヒロインの真木洋子とステージ上のほかの出演者が掛け合いをする映像が残っており、これがドラマのにおいを感じさせてくれる貴重な資料といえる。」

このyoutubeはこれ(↓)ですね。
https://www.youtube.com/watch?v=OIl5uXdSS-k

お元気なお姿の真木洋子さん、高松英郎さん、はもうお亡くなりになったんですね。

懐かしくてやがてかなしき録画かな・・・、の思いです。

投稿: yoko | 2015年8月21日 (金) 23時15分

 『藍より青く』放映時、私は高校生であったため視聴していませんが、本多路津子の歌は時々耳にしました。しかし、『藍より青く』という表題はとても文学的ですね。藍染は世界中で古くから用いられており、また藍染には防臭・防虫効果があるとされています。私は剣道を嗜みますが、藍染の剣道着は化繊の剣道着に比べてカビが生えにくいことは確かです。防具が藍染であるのは、先人の知恵と工夫の結果なのだと感心します。

投稿: Yoshi | 2015年8月23日 (日) 11時01分

 久し振りに開いたら連続テレビ小説の中でトップクラスの感動の名曲! 有難うございました。
湯浅譲二氏は独学で作曲家なられたとのこと・・・それにしても合唱曲・交響曲・映画テレビ関連・校歌 等々を作曲され、沢山の受賞(受章)もされて・・・しかし知っている曲はこの名曲の「耳をすませてごらん」のみでドラマはずっと観ていました。
 もう1曲は同じくテレビ小説『だんだん』の挿入歌で作詞:Mitabi(NHKへ問い合わせたら竹内まりやとのこと)作曲:村松崇嗣の「いのちの歌」、自分のふるさとを舞台にしていたし2年後の東日本大震災の発生(3.11)への思いもあり、この2曲は歌うよりずーと聴いていたい曲です。

投稿: 尾谷光紀 | 2015年8月26日 (水) 12時33分

今までずっと不思議に思っていましたが、『藍より青く』が昭和47年放送と知り、この歌がなぜ私の耳に残っているか?分かりました。
昭和47年は大変な出来事が続発した年ですが、私が高校を卒業した年で、私は土木作業のアルバイトに出ては小銭がたまると北アルプスの山に入るという、当時では珍しい自堕落で親不孝な生活を送っていました。
それでNHKの朝のドラマ(テレビ小説と言っていましたか?)を時折見る機会がありました。
ドラマの内容については、(『旅路』というドラマとの混同があって)「鉄道員の家族の物語」だったか?位の頓珍漢な印象しかありませんが、主題歌の印象は強烈でした。
歌詞やメロディーはともかく、歌手の歌唱力と言う以前にその歌声の美しさは私にとって衝撃的と言うにふさわしいものがありました。心の糸の波長は人それぞれと思いますが、私の心の琴線がこれほど振える歌声は他にありません。
「秋でもないのに」「風がはこぶもの」「一人の手」・・・本田路津子の歌唱でなかったら、これほど深く長く心に残っていなかったと思っています。本当にありがとうさん。

投稿: 慎兵衛 | 2016年7月 3日 (日) 00時19分

「耳をすましてごらん」本田路津子のあの透きとおるようなその歌声を初めて聴いた瞬間、私は思わず感激したことを今でも鮮明に憶えています!

思えばもうあれから五十年の月日が経ったのですね。当時はフォークギターを弾くことに無我夢中だった18歳の私でしたが、初めて聴いた彼女の素晴らしいその歌声は、私にとって本当に新鮮そのものでした。
私は長年が過ぎた今でも彼女の歌声が無性に聴きたくなる時があり、YouTubu等で彼女の歌を時折視聴をしています。
また、本田路津子がこれまでにカバーしている数々のフォークソングの中には、私の好きな「素晴らしい愛をもう一度」「遠い世界に」など数多くの素敵な曲がありますが、そんな中の一曲、あがた森魚の「赤色エレジー」を聴いていると、切なげで哀切が漂う、そんな淋し気な歌さえも、彼女が歌うとどこかにさわやかさが感じられるから不思議です。これも彼女の卓越したその透きとおるような歌声がそうさせるのでしょうか・・・。

2016年7月3日・慎兵衛様ご投稿コメント
>『・・・「秋でもないのに」「風がはこぶもの」「一人の手」・・・本田路津子の歌唱ではなかったら、これほど深く心に残っていなかったと思います。』

今では慎兵衛さまのこの上記ご意見に私も全く同感です。

投稿: 芳勝 | 2023年5月 7日 (日) 15時29分

作曲の湯浅譲二さんが2024年7月21日に94歳でお亡くなりになりました。合唱曲なども多数作曲されていますがフォーク曲はこれだけのようです。

投稿: Hurry | 2025年1月 5日 (日) 12時49分

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