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2015年9月29日 (火)

新雪

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:佐伯孝夫、作曲:佐々木俊一、唄:灰田勝彦

1 紫けむる 新雪の
  峰ふり仰ぐ このこころ
  麓の丘の 小草を敷けば
  草の青さが 身に沁みる

2 けがれを知らぬ 新雪の
  素肌へ匂う 朝の陽よ
  若い人生に 幸あれかしと
  祈るまぶたに 湧く涙

3 大地を踏んで がっちりと
  未来に続く 尾根づたい
  新雪光る あの峰越えて
  行こうよ元気で 若人よ

《蛇足》 昭和17年(1942)10月1日にビクターから発売。ビクターは、翌年4月、敵性語排除政策により、日本音響(株)に改称しました。

 この曲も、佐伯孝夫・佐々木俊一のコラボになる青春歌謡の傑作で、同日に公開された大映映画『新雪』(五所平之助監督)の主題歌です。
 原作は、昭和16年
(1941)11月24日から翌年4月28日まで『朝日新聞』に連載された藤澤桓夫(ふじさわ・たけお)の同名小説。小説も映画も大好評で、歌も大ヒットしました。

 内容は、情熱をもって教育に取り組む小学校教員とその恩師の娘や勝気な女医とのさわやかな恋模様。
 私は、歌詞から漠然と中部山岳地帯をイメージしていましたが、映画の舞台は阪急六甲駅とその周辺だそうです。そうすると、歌詞に出てくる峰は六甲山系ということになるのでしょう。

 公開後しばらくすると、このような明るく楽しい映画は青年の戦意を損なうものとして軍部により焼却されため、プリントもポジも残っていないとされていました。
 ところが、ソ連崩壊後の1996年と1998年の2回、東京国立近代美術館フィルムセンターが
ゴスフィルモフォンド(ロシア国立映画保存所)を調査したところ、オリジナル124分のうち84分のフィルムが保存されていることがわかりました。
 『新雪』のほか、『土』『父ありき』など、戦中・戦後の作品が多数見つかりました。

 それらのなかには、ソ連が対日参戦(昭和20年〈1945〉8月9日)する前に日本から輸入したものもあったでしょうが、大部分は満州侵入後、日本人居住地の映画館などから接収したものだと思われます。
 戦前、日本の傀儡国
(かいらいこく)だった満州国には、満州映画協会という機関があり、在留邦人のために多くの日本映画を輸入・公開していたのです。  

 『新雪』の歌・映画が公開された年の4月18日には米軍機による本土初空襲があり、5月7日の珊瑚海海戦、6月5日のミッドウェー海戦で日本軍は大打撃を受け、さらにキスカ島、アッツ島、ガダルカナル島と敗北を続けていました。しかし、国民の大部分は「勝った、勝った」の大本営発表を信じていたのです。

YouTube=https://youtu.be/APRjKBJr438

(二木紘三)

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コメント

灰田勝彦の名曲を有難うございます。六甲山頂は北海道と同じような気候だそうですが、この歌は中部山岳地帯でないと。

投稿: 海道 | 2015年9月29日 (火) 12時26分

この歌がなかなか載らないのをずっと不思議に思っていました。青春の輝きが目の前にパッと広がってくるような歌ですね。2番の「けがれを知らぬ新雪の 素肌へ匂う朝の
陽よ」というところに来ると鳥肌が立つと言った友人がいました。私もそう思います。作詞者の鋭敏な感性が並外れていると思います。素晴らしい歌を有難うございました。

投稿: ハコベの花 | 2015年9月29日 (火) 22時28分

 ハコベの花さん同様この歌を待ち焦がれていました。そしてこの映画の舞台が六甲駅や六甲山周辺だったということを知り無性に映画を観たくなりました。
目の前の遥か近く?の六甲山を眺めながら、新西国33所第22番札所摩耶山天上寺・六甲山牧場・ワイナリー・髙山植物園等々以外のハイキングで猪も度々出会った思い出が楽しく、年に1~2回訪れますが雪は山頂にうっすらと降る程度でスキー場は殆ど人工雪です。
 1月第3土曜日恒例で地域の「新春コンサート」では、元気が出る冬の歌としてこの「新雪」と「銀色の道」を隔年交互に演奏しみんなで歌っています。
 本当にいい歌を有難うございました。もしよろしければ井田・利根の「水色のスーツケース」、佐伯・佐々木の「きらめく星座」をお願い致します。

投稿: 尾谷光紀 | 2015年10月 2日 (金) 11時54分

先生の「蛇足」で映画の舞台が六甲と知りびっくりしました。曲はよく知っていて自分でも歌うことがありますが映画を知らないのはそんな事情があったのですね。阪急六甲は昔からの高級住宅地であり、今話題の山口組の本拠地でもあります。尾谷さんも書かれているように六甲山は最高で標高900m、雪が多いとは言えません。山上の小学校でのストーブ火入れが毎年の新聞ネタになりますが。摩耶山へのコースは確かに「尾根づたい」で、わが仏壇には亡妻と訪れた天上寺(火災で移転後の)で買った「お願い地蔵」を置いています。これからは「新雪」を歌ってやります。

投稿: しょうちゃん | 2015年10月 2日 (金) 19時59分

二木先生
一昨日 六甲の山荘から下りてきたばかりで、多少風邪気味です。ひょんなことから六甲山頂に近い山荘の管理人を頼まれ、家でぶらぶらしてるより…と、簡単にひき受けたものの宿泊客の料理までというのはかなり疲れます。
幸いパートナーの助手が頑張って頂けますので助かります。豊中の自宅から山頂まで車で約1時間、春から初夏にかけては 尾谷さんのお好きな「恋を呼ぶ歌」を口ずさみながら山頂まで~翌日夕方、山を下りる時は「朧月夜」等を歌いながら週に1~2回のドライブが、まる4年間続いています。(後任が見つかるまで)
“紫けむる~新雪の~”と歌いながら、山頂までのドライブも今月末まで、12月~3月までは閉館します。

10月2日投稿の 「しょうちゃん」は、わたしの本名と同じ、夢見る乙女 素敵な「 はこべの花」さんは、私の妻と同郷、因みに私達は昭和43年に浜松で結婚式を挙げました。私が28才、妻が24才(誠心女学校卒)の初春でした。

能勢の赤ひげ様 去る9月27日 能勢のコスモス園に
行きました。秋の長雨が続いた中で、この日だけは絶好の秋晴れで満開のコスモスを満喫しました。彼岸花は
やや時期遅れの感じでしたが…。野間の大けやきも毎年のように散策します。

あまりに好きな歌が多すぎて、そこに二木先生の名解説とヘッドホーンを通して流れてくる素晴らしい演奏に酔いながらみなさんのコメントに涙したり、感動したり
お会いしたこともない方々なのに、とっても身近に感じたり…日々の楽しみが増えました。
二木先生 本当にありがとうございます。


投稿: あこがれ | 2016年11月 5日 (土) 15時03分

私は何の疑問もなくこの歌を聴いていましたが、昨年ふと「新雪」という言葉がどういう意味か知りたくなりました。辞書には新しく積もった雪と書いてあります。すると秋の終わり頃の季節でしょうか。でも1番の歌詞の「草の青さが目にしみる」と合いませんね。山にもスキーにも縁がありませんので、これは何月頃を歌った歌なのかわからなくなりました。どのように解釈すれば良いのでしょうか。山をご存知の方お教え下されば嬉しく思います。

あこがれ様 奥様が遠州人とは嬉しいですね。「まぶしい」を「ひずるしい」と言いませんか。熟していないことを「みるい」と言いませんか。私は多分,貴方と同年配だと思われますが、まだみるくて16歳ぐらいだと勝手に思っています。私はフォレスタの吉田静さんと同じ学校です。徒歩で通えるので親が嫌がる私を無理やり入れてしまったのです。毎朝すれ違う男子高校生の容姿に点数をつけて楽しんでいました。一見真面目でしたが心は不良だったかも。今もそうです。隠れ不良かも。楽しいですね。

投稿: ハコベの花 | 2016年11月 5日 (土) 22時41分

二木先生こんばんは

 あこがれさまは 小生と行動範囲のほぼ一致する場所におられるのですね  六甲 豊中 能勢  投稿を前にもどると  天上寺の一願地蔵さんのこともーー

 この 新雪 はスマートという言葉は彼のためにあるような灰田勝彦さんのうたう 大好きな曲なのですが   時代が 僕ら段階世代の一回生には すこし過去のものであり 二木先生の書かれた蛇足から この曲が六甲山系と阪急六甲駅を背景にえがかれたものだとのこと  六甲 摩耶のふもとの学校に通った小生とすれば 何か異和感を感じたのでーー  昨年はコメントしませんでした

 この曲のつくられた時代には 六甲には雪も多く 交通事情の問題 戦争という抑圧もあり 三番の ーーー 尾根づたい  新雪光る あの峰越えてーー という歌詞も自然だったのでしょうか  

 僕の通った高校では 年二回のマラソンがありました 
 もちろん 42.195㌔のものではない 短縮版です
 そのうち一回は 六甲山頂近くを走ります   全員参加ですから 仕方なく走りました  冬 白い息をはきだしながらーー

 摩耶山の天上寺近くには高校のヒュッテもあり クラブとか 何かの行事でよく泊まりました  キャンプファイアー も フォークダンスも 懐かしいいい思い出です 

 一願地蔵さんは 僕の部屋で 僕を向いてにこやかに立っておられます  僕の地獄の時代に 友がわざわざ天上寺まで行き 求めてくれたものです  きつい試練だけれど あなたは乗り越えれるはずだから 神さまがお与えになられたのよ といわれたのが 昨日のようです   人のことだと思ってよくいうよ とひねくれたりもしましたが
 それから十六年たったのでしょうか  今では大変素晴しい言葉と心遣いだったと感謝しています  ほんとうなら 天上寺に願がかなった御礼に行かなければならないのですがーー   きっちりとしないといけないですね 

 あこがれさま 野間の大けやき のことまでかかれていて これは ご挨拶をしておかねばという気持ちになりました  けやき に近いところで 毎日のように雑事におわれています   ついさっきも つらいことを経験してきたところです  また 能勢にくるきっかけになったのは 阪急六甲のたばこ屋さんの 看板娘の一言 だったと思うと 人の世のつながりの不思議さを痛いほどに感じます

 こういう流れで心は浄化されていきます  よし また がんばっていこう

 あこがれさま ありがとうございました 
 人生の後輩です 今後とも よろしくお願いします

 ハコベの花さま りんごさま ひろしさま いつも 何かしら気づかせていただいております
  ありかとうございます

投稿: 能勢の赤ひげ | 2016年11月 6日 (日) 01時21分

能勢の赤ひげ さま

今日の六甲は あつい雲におおわれて山頂を望むことはできません。つい今しがた日曜礼拝を終えて神戸市内の教会から帰ってきたところです。シーズン中は土日は殆ど山で、礼拝に行けませんので、せめて行ける時には必ず行くようにしています。私も「新雪」がまさか六甲山系を背景に書かれたものとは全く知りませんでしたが、我が事のように嬉しくなりコメントしました。
二木先生の解説からは、いろんな事を勉強させられて楽しくなります。ありがとうございます。

ハコベの花 さま
さすが浜松きっての 名門お嬢様学校 のご出身だけあって、才能豊かな方だと納得いたしました。
ハコベの花さまは、白い花とか白い雲とかがお好きのようですね。花ことばの歌では、白い花なら 別れの涙~と
歌われていますが、純白なカラー(calla)の花言葉は
素敵な美しさ、素晴らしい美と言うそうで、貴女にぴったりのような感じがすると、私の家内が言ってます。
りんご さまとハコベの花さまのお互いを思いやる やりとりも楽しく拝見させて頂いています。

投稿: あこがれ | 2016年11月 6日 (日) 15時28分

前の投稿に身にしみるを目にしみると書いてしまいました。私が間違えてこの歌を覚えていたせいです。すみません。それで考えたのですが、山に新雪が積もったころはまだふもとの丘には夏草が青々と茂っているのではないかと思ったのですが、間違っているでしょうか。山際にお住まいの方ならご存知ではないかと思いますが、いかがでしょうか。季節の感覚がわからないのでお教え下されば嬉しく思います。

あこがれ様 私は男兄弟の中で育ちましたので、箒とハタキで兄と取っ組み合いをして育ちました。白い花は好きですがお上品にはなれませんでした。上級生に白い花のような方がいました。憧れでした。今でも美しいそうです。振り返れば夢のような中学、高校時代でした。あこがれ様の奥様の学校も垢ぬけた制服で素敵でしたよ。いつかお会いしてみたいです。

投稿: ハコベの花 | 2016年11月 6日 (日) 21時34分

ハコベの花さまと同じ境遇の私は、兄達には全く優しくしてもらえず、ただ兄の一人の友人がスキーを始めて【六甲山ゴルフ場」で、教えてくれました。阪急六甲駅からスキーを担いで登りました。20歳を過ぎていましたが、ほんとうに「しんどかった!」けど、忘れられない思い出です。
何十年振りかの豪雪で、登山バスも通らず前も後もスキーを担いだ若者の列でした。ゴルフ場の柵をのりこえてから、はじめてスキー靴をはかせてくれた兄の友人は「いけるところまでいけ!」と大声でさけび、はじめて雪の上に立つ私の背に向かってさけび、ど~んと背を押したのです。おそらく平坦な場所だったでしょうが、嬉しいのと恐い思いが胸いっぱいに広がったのです。その夜に風呂場の鏡で見ると、後ろ全体に「アザ」らしき跡が見事に・・・・・
翌日全身の痛みも忘れて、どうしたら次連れて行ってもらえるかという「悪だくみ」にわが身の痛みも忘れる始末でした。結局職場の「登山部」に入っていたのが幸いして、登山部の冬の行事に、母の反対も父の後押しが功を奏して成功しました。それ以来息子ふたりと夫も巻き込んでの趣味となり、毎年年末年始は【大山】で年越しが我が家の行事に・・・・・。
おかげさまで「生れた時から、長生きしそうでない」と陰口を言われていたらしい私が今では【後期高齢者】にまで、生きてこられました。
母の口癖は、「娘なのに、ドタグツをはいて汚らしい服装では、暗くなってから帰ってくるように」と絶縁の宣言も受ける羽目になりましたが、後悔は一切ありません!
二人の息子たちは腕をあげて、私は見捨てらましたが、それはそれでうれしい結果となりました。

投稿: mitsuko | 2016年11月 8日 (火) 01時04分

mitsuko様は運動神経が発達されているのですね。私は動くこと自体が嫌いな人間で、山は遠くから見るものだと思っていました。スキーをする人にも出会ったことがないのです。野球好きの人がプロ野球の話をしてきたので、「私は金田と青田と別当と別所と大下しか知らない」と言ったらカンカンに怒って半年口を効いてくれませんでした。昔,少年クラブで覚えた名前です。彼女は何を怒っているのだろうかと思いました。今でも理解できません。運動会の朝、兄が姪に「速く走って転ぶと痛いから、ゆっくり走れ」と言ったそうです。私もそう思います。
登山は荷物を見ただけでダウンしそうです。リンゴ様もmitsuko様も私と正反対の活動的な方だと尊敬します。何事もさっさと動いてきれいにされているのでしょうね。でも、私は「新雪」も「野球小僧」の歌も大好きです。憧れなのかも知れません。数学が好きな人も憧れます。ここで色んな方々と出会うことが出来て本当に楽しいと思います。尾谷様またいつか「新雪」の演奏聴かせて下さいね。

投稿: ハコベの花 | 2016年11月 9日 (水) 22時06分

ハコベの花さま。
いつもあなたの文章を拝見した日は、私も頑張って生きなくてはと、あらためておもうのです。弱く生まれた私は(姉は誕生を待たずになくなったそうです)父がいつも膝に抱いて(食事中も・マージャンをするときも)気遣ってくれていたのですが、戦時中と戦後「裏六甲方面」に住みついたお陰で、父が好きな山歩きに私を連れて行き二人の時間を持ったおかげで、今も元気にいきております。
お陰で母とは溝が深く、最後まで母は兄達を生きがいにして、私は冷遇されました。
さてこの曲をを聴いたとき、「灰田勝彦」の声が子供心に【聞いたことのない不思議な声】と気になっていました。メロデイも魅力的でしたが・・・・・
ずっと大人になって「うらごえ」だったのだと理解しました。裏声と言えば「ウイリー・沖山さん」がリサイタルでは「ヨーデル」とか聞いた記憶がありますが、最近の歌手は声の良しあしでなく、歌詞が心に響かなくて「サザン」の曲などは、聴きとるだけで疲れてしまいます。何とか戦争を超えて生き延びた私たちだけでも、古い曲や懐かしい曲を大切にして、歌い続けたいですね。
作詞家と言えば私の頭では「さだまさし」辺りでストップしています。じわじわと「老化」が押し寄せてくる気配がします。あ~あ、おそろしや!

投稿: mitsuko | 2016年11月10日 (木) 00時57分

 戦時中の歌謡です。素晴らしい。小学生の頃ですが姉たちが歌っているのを心地よく聴いていたものです。

投稿: 波路 | 2017年12月20日 (水) 11時14分

清々しい青春の歌ですね。いつ聴いても気持ちが若くなります。雪山もスキー場も全く知らない私ですが、寒いのは苦手ですからこの歌を聴いて想像しています。あと1月も経てば遠くの赤石山脈に雪が積もって、お天気の良い日にきらきら光って姿を見せてくれると思います。
何と言っても歌詞が素晴らしいですね。詩人の才能が雪山の様に光っています。

投稿: ハコベの花 | 2017年12月20日 (水) 21時05分

 明るく軽快に歌う灰田勝彦さんの歌は、「森の小径」、「燦めく星座」、「東京の屋根の下」など好きな歌が沢山ありますが、「新雪」もその一つです。
  二木先生の《蛇足》によりますと、”歌詞から漠然と中部山岳地帯をイメージしていましたが、(途中略)、歌詞に出てくる峰は六甲山系ということになるのでしょう。”と、歌の舞台について述べておられます。私自身、映画『新雪』を見たことがなく、どのようなシーンで主題歌「新雪」が登場するのか分かりませんので、映画と主題歌の係わり具合を捉えること能わずです。
  そこで、この歌が作られた時代背景に思いを馳せつつ、歌詞だけから、私なりに歌の舞台についての想像を膨らませてみました。やはり、二木先生のご説(前記)にありました中部山岳地帯を思い浮べます。例えば、安曇野から仰ぐ常念岳のように…。
  歌詞1番では、♪紫けむる…峰ふり仰ぐ…♪とあることから、峰は遠方の高い山ではないでしょうか。近い低山が”紫けむる”ことは余りなさそうに思いますので。また、麓で青草が身に沁み、山で新雪なら、季節は春か、初夏あたりと想像されます。
   歌詞2番では、♪…新雪の 素肌へ匂う…♪から、わが身の間近に新雪がある状況、つまり、登山して積雪地帯にわが身を置いている状況ではないでしょうか。また、♪…幸あれかしと 祈る…♪の部分は、自分は若いが人生の先を見通せないという漠然とした不安の裏返し表現とも思えます。
  歌詞3番では、重苦しい戦時世相の中、困難が待ち受けようとも、将来に向けて元気でしっかり前進しようと若者に呼びかける気持ちを込めて、新雪の山々の縦走に向けて出発しよう、と謳っているのではないでしょうか。

投稿: yasushi | 2018年1月 8日 (月) 16時02分

 概して、七五調の歌詞は歓喜・明朗な歌に、五七調の歌詞は悲哀・陰鬱な
歌になるそうですね。 歌謡曲だけでなく、童謡・唱歌でもそれはいえそうです。
 佐伯孝夫 佐々木俊一コンビは、七五調の明朗快活な作品を好んで作りました。この「新雪」を始め、「僕の青春」「野球小僧」。
 佐々木俊一はメソメソした歌が嫌いだったようで、ウィキペディアによると、「酒と女をこよなく愛し、豪快な生涯だった」そうです。
 もう少し酒を控えめにして長生きしてくれたら、佐伯孝夫とのコラボ作品は、もっと生まれていたと思います。残念ですね‥‥。

投稿: かせい | 2018年2月16日 (金) 19時45分

二木先生こんばんは!初めて投稿致します。以前から素晴らしいサイトだ!と感激して訪れております。
「新雪」は大好きな歌ですので、書かせて頂きます。
新雪を頂く山は、六甲山系でも中部山岳系でも、はたまた北海道でも、歌い手・読み手・聞き手の自由で良いと思います。ただ、映画の中では、何とボルネオ島の北部、現在マレーシア領サバ州のキナバル山(富士山より高い標高
4095.2m)です。
当時イギリスから日本が奪取(解放?)し、現地の人々も日章旗を作り掲げるのに大わらわ、という映画ニュースが映画の中で流れます。
そして、(京都)帝大の老先生とその娘、および蒙古語(縦書き)で愛情を伝え娘に結婚を決意させた、ハイラルの図書館員で古代満州語・蒙古語を研究している教え子が、南方に言語研究や通訳等で赴任する直前でストーリーは終わります。そのあと、結果的に、娘と共に、水島道太郎演ずる、若き、情熱的でユニークな国民学校教師(彼も帝大出で老先生の教え子という変り種)に想いを寄せる女医(何と満19歳で演じている月丘夢路)の恋心が成就する、というハッピー・エンディングの映画です。
この、「隣組」の壮行会(若き国民学校教師も教育招集で3か月入隊しますので、壮行会=お別れ会、に出席します)で、女医の弟が、老先生に南方・赤道にも雪はあるのか尋ねるのです。老先生は「あると思う。4000mを超えるキナバル山には古代の新雪が谷間などにも眠っているはずだ。」と答えます。若き教師や他の登場人物たちが口々に「それこそ永遠の新雪!」「希望の新しい雪!」「ホットアイス!」などと言うのです。
南方に赴任する人達は新雪光るキナバル山に日章旗を立てる決意は表しますが、その場面は勿論ありません。教育召集で入隊した水島道太郎から「戻ったら重大なる相談事(プロポーズを含意)がある」という手紙が届いた月丘夢路が、灰田勝彦が歌う「新雪」の朗々たるハミングメロディとともに、嬉しくて希望に瞳を輝かせる所で、映画は幕を閉じるのです。
司馬遼太郎が大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)蒙古語学科へ進むきっかけとなったとされる、朝日新聞連載小説「新雪」ですが、私は映画(DVD)で見た範囲で書かせて頂きました。勿論、映画の舞台は神戸・六甲山(電車の駅も登場します)あたりです。
玉登は神戸出身の当時の幕下力士(愛称はコーベさん・師匠横綱玉錦と、その後援者で元の所属長であった山口登氏から付けた四股名です)、力道山は昭和17年1月に三段目で全勝優勝して5月幕下に突入し、勝越しを続けた、当時最高の有望力士(ともに二所ノ関部屋)、青春真っ盛りでした。

投稿: 玉登力道 | 2018年4月25日 (水) 23時28分

 玉登力道様のコメントを興味深く閲覧させて頂きました。映画「新雪」に出てくる”新雪”の山が、南国の高峰・キタバル山であったとは、まさに、”目から鱗”の感です。
 ともあれ、「新雪」はいい歌ですね。

投稿: yasushi | 2018年4月26日 (木) 14時50分

ある方のブログより

「紫けむる 新雪の
峰ふり仰ぐ この心」

ここが、実力のある職業作家が作った詞だなと感心するところです。難しい言葉は何もないのに、よくよく考えると、内容を理解するのが難しいです。「紫にけむっている」のは、「新雪」(や「雪の残る山の峰」)なのでしょうか、「この心」なのでしょうか。同様に感じます。

投稿: 海道 | 2018年4月26日 (木) 17時02分

大阪の娘夫婦が孫とよく訪れているスキージャム勝山に行った時の写真。アマゾンにアップしていたのを思い出しました。今年12歳の孫ですが随分上手に滑れる様になったみたいで、純白のスノーワールドを楽しんでいた時の様子が写真から実感で出来ます。背景の雪山の景色は最高に奇麗です。二木先生はいつも奇麗な景色を堪能していらっしゃるんでしょうねきっと。孫達は今年も又行くのかしら。娘が25歳頃は冬季オリンピックの白馬の八方尾根にも良く行っていました。運動神経が抜群でハワイのグランドキャニオンに立ったり又オーストラリアではスカイジャンプを楽しむ位に度胸が有る娘です。主人に似たみたいです。星野リゾートにスキーのインストラクターで中学生達を教えに行ったのが20年前で私とはまるで違った経験をしております。【新雪】軽快な歌声が皆を幸せな気分にさせてくれます。

投稿: 細川 和代 | 2022年12月21日 (水) 06時18分

いつの間にか、”山の日”(8/11)が過ぎ、お盆も過ぎ、残暑厳しいながら、秋の到来もそう遠くないと感じる昨今です。

さて、今朝ふと思い立って、前(7月)に録画してあった歌番組『BS日本・こころの歌 「歌謡史~昭和10年代」』を再生し、観ておりましたら、若い男性の歌い手さん達がピアノ伴奏で歌う『新雪』が登場しました。この(山の)歌が世に出た時代背景に思いを馳せつつ、歯切れのよいタンゴ調の、心地よいコーラスの歌声に、しばし聴き入りました。

ついでながら、”山の日”といえば、この祝日が制定された年(2016)の”山の日”に、たまたま、上高地を訪れたこと(初の訪問)を思い出します。

投稿: yasushi | 2024年8月19日 (月) 15時30分

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