たそがれの夢
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 たそがれの 窓を展(ひら)き |
《蛇足》 昭和22年(1947)にNHKラジオ歌謡として放送され、翌23年(1948)にコロムビアからレコードが発売されました。
田村しげる独特の抒情的なメロディは、過ぎ去った恋を偲ぶ歌詞にみごとにマッチしています。
戦前から戦後の昭和3,40年代あたりまでは、竜胆、鈴蘭、白樺といった草花や樹木、日記、手紙、ランプといった小物を使って繊細な感情のひだを表現した歌詞が多く見られました。
今のポップスも、主流は恋の歌ですが、かつてのような修辞技法はあまり使われず、恋しい、悲しい、辛いといった感情を直截に歌うものがほとんどのような気がします。今のポップスをそんなに聞いているわけではないので、断言はできませんが。
夕暮れはいつも寂しい。私の長女は幼児のとき、それまで機嫌よく遊んでいても、夕方になるといつもめそめそ泣き出したものでした。
日暮れを寂しいと感じるのは、おとなになったも変わらないようです。ビリー・バンバンの『白いブランコ』にも、「日暮はいつも淋しいと/小さな肩をふるわせた」とあります。
人はみな、誕生→活動→衰微→死という人生を朝、昼、夕方、夜というサイクルで毎日再演しながら生きているといわれます。夕方になって光量が減ってくると、終末が近づいるように感じるので、寂しさが生まれるのでしょう。
もっとも、バブル期には、夕方になるとやたら元気になる「5時から男」もいたようですが。
(二木紘三)
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コメント
秋の日暮れはなぜか淋しく悲しく、想い出まで愁いに包まれてしまうような気がします。2番の歌詞の「白きバラは愁いにゆれつつ・・・」この作詞者の詩情に感服してしまいます。この歌がラジオから流れていたころ、日記は書いて居りませんでしたが、記憶はいつも鮮明に甦ってきます。遠いあの日の思い出はみんな茜色に包まれているような気がしてきます。静かに一人で聴きたい歌です。
投稿: ハコベの花 | 2015年10月24日 (土) 23時44分
忘れかけていた歌を思い出させて下さいました。歌手の朗々と響く歌唱のお陰でしょうか、メロディーは私の記憶の中に健在でした。
蛇足中の、「過ぎ去った恋を偲ぶ歌詞」「かってのような修辞法」は暫くの間は健在でした。例えば、昭和30年西條八十、古賀政男コンビの「シクラメン咲けど」奈良光枝唄など。
投稿: 槃特の呟き | 2015年10月25日 (日) 00時04分
初めて聴く戦後ラジオ歌謡です。
ゆるりとしたテンポの、ほのぼの感溢れるメロディが安堵感を与えてくれます。眼をつぶってメロディだけを聴いていると、黄昏れて茜色に染まって行く北アルプスの高い峰々の風景が私には浮かんできます。過ぎ去った日々、遠くに流れて行くあの日の思い出。移ろい行く時間…。黄昏時はいつも寂しいですね。 伊藤久男の朗々とした歌唱を聴いてみます。
投稿: かせい | 2015年10月25日 (日) 00時59分
素敵な曲をありがとうございました。
いつ頃のことか忘れましたが、何度かラジオから流れてきたのを聴いた記憶があります。
スローテンポで、ジーと耳を傾けていたら心が和み、独身時代の「一コマ」が蘇ってきました。
当時、「社会人」という若者向けの月刊誌を愛読していました。
現在では、「メル友」の時代ですが、当時は携帯電話もなく「文通」が何よりの意思表示の手段でした。
ある日、「読者コーナー」欄の「文通を求む」の記事に目が留まり、・・・数人の女性の方に丁寧に手紙を出したつもりでしたが、2週間ほど待っても一通の返事もありませんでした。
それには、「がっくり」、そこで今度は私が「文通を求む」欄に掲載を依頼したところ、発刊された数日後から毎日のように何通もの手紙が来るように・・・それにはびっくり・・・そして、返事を出すのにも一苦労・・・そんなことがあり、一人の方と約2年ほど日頃の「日常生活日記」的なことを中心にお付き合い(文通で)をいたしましたが、結果的に自然消滅に・・・
二番の歌詞にあるように、
遠いあの日の おもいでも
ああ夢よ ほのかなる悲しみよ
わが胸に流れて
やがて消えゆく愛のワルツよ
の心境です。
投稿: 一章 | 2015年10月26日 (月) 21時57分
久しぶりに書かせていただきます。
大好きな歌を聞きながらつい筆を(?)とりました。
名曲あまたあるラジオ歌謡の中でも一番好きな歌です。田村しげるの「白い花の咲くころ」「リラの花咲くころ」もすばらしいけれど・・・・。
力強さとやさしさを併せ持っている伊藤久男も大好きです。
投稿: 周坊 | 2015年10月29日 (木) 13時41分
【夕暮れはいつもさみしい】と書かれた先生の一文で私も本当にさみしかった新婚時代の夕暮れを思い出しました。
日暮れになると、いつ帰ってくるかわからない【鉄砲玉】のような亭主に腹が立って、ベランダにでて実家の方角を見ながら、今頃は兄達と父親がにぎやかに議論したり
談笑してる様子が思われて、飛んで帰りたくなる思いをじっとこらえて・・・・・
そんな日々が続いていました。ある日亭主のお布団の敷布団の上に大きな紙に【思いつく限りの罵詈雑言】を太字で書いて広げて先に休みました。
翌朝亭主の出た後でお布団の中を見ると、紙がありません!読んだ後処分したもかなと思って、よ~く見ると足元の方で見事に皺くちゃになって、見つかりました。
朝日の中で見直すと、自分の浅はかさが恥ずかしかったり、おかしかったり・・・・・。
小説家はほとんど夜に書いていると人から聞きましたが、
そのことがあってから、夜は何も深く考えないことにしました。もちろん喧嘩も夜はこちらから吹っ掛けることは、絶対にしませんでした。
投稿: mitsuko | 2016年1月13日 (水) 04時37分
mitsuko様の投稿を読んで同じような夫を持った人が居たんだと共感を覚えました。我が家は結婚して50年それが続きました。しかし、男兄弟の多い家で育ったので、喧嘩慣れをしていて、頭からバケツの水を浴びせるなんていうのは軽い方に属します。後のすごさはご想像にお任せします。夫が、まだ生きているのが不思議なぐらいです。
結婚前の青春時代の夕暮れの淋しさにはロマンがありました。憧れの人が夕陽を背に我が家にやってくる姿を想像していました。本当に現れた時の喜びは今でも忘れる事はありません。それがあったおかげで私は生きていられるのだと思っています。遠いあの日の思い出は何にもかえられません。息子の名前にその人の名前の1字を貰って付けました。私の大切な青春の思い出の為です。
投稿: ハコベの花 | 2016年4月18日 (月) 14時40分
ハコベの花さま、いつもあなた様の文章を見つけると嬉しくなって楽しませて頂いています。ほぼ同じ時代に生きたものだけが理解出来る世界が伝わってきて文章に書かれていない部分にも、思わず【そう、そう】と一人うなづいたり・・・・・。少女の時代の心や娘時代のときめきは同年代を生きたものだけが、理解出来るのではないでしょうか。ハコベの花さまはご主人さまがお元気のご様子ですが、私の亭主は「人より少し長生きするために、好きでもないものを食べたりしない」と大口をたたいていたとおり、60歳ちょうどで旅立ちました。呑みたいだけ呑み、吸いたいだけプカプカ煙をだして、【ごく楽トンボ】のあだ名どおりの人生!!分不相応なくらいに「孝行息子ふたり」に、最後まで大事にされて少しは心が痛まなかったのか、聞いてみたかったです。でも私が元気なうちに一人になった【幸せ】も手にしました。一人になってから周りからなぜか優しくされています。特に昔からの知り合いだった男性たちが、気遣って下さるのがうれしいです。
中には次男の結婚式には【父親代わり】で堂々とあいさつもしてくださり、役目をはたして下さいました。
未亡人になった先輩たちが良く口にされます「こちらが元気なうちに一人にしてくれたのは、せめてもの主人のおもいやり」と思いなさいと・・・・・・
ハコベの花さまと同じく、私の胸の中の思い出を大切にして、ときおりそれらのページを、時折開いて一人楽しむ毎日を大切に、生きてゆくつもいです。
ハコベの花さま、どうぞお元気で楽しい文章をお書き下さい。
投稿: mitsuko | 2016年4月18日 (月) 19時54分
聴けば聴くほど格調高いメロディですねぇ。
歌詞も詩情豊かですし、それなのに、あまりポピュュラーに知られていないのは何故なのでしょう。格調高すぎて、リズム取りも難しく、今ひとつ大衆受けが芳しくなく、伊藤久男の歌唱がテレビ・ラジオから流れる頻度が低かったようで…‥。息長く唄われた曲とは成らなかったのでしょうか。どうしても伊藤久男の戦後の代表曲は『あざみの歌』『山のけむり』『イヨマンテの夜』となり、それらを唄うことが多くなってしまいますものね。 さて、作詞をしているのがこの『たそがれの夢』から8年後に、小林旭の『ズンドコ節』『ダンチョネ節』を世に出す「西沢爽」だとはねぇ。間に『からたち日記』が入りますが…。ちょっと驚きです。
投稿: かせい | 2016年4月19日 (火) 00時56分
若い頃は体調が悪くても、明日になれば元気になるると思いましたが、最近はこのまま寝付いてあの世に逝くのではないかと思ってしまいます。自律神経失調症と言う厄介な病を持っていますので、低気圧が近づく梅雨時は要注意です。空が少し明るくなった夕方、ふっとこの歌が口をついて出てきました。気持ちが少し楽になりました。「ああ、夢よ ほのかなる悲しみよ わが胸にながれて・・・」ほのかなる悲しみには甘いロマンがありますね。今頃、どこであの人はこの空を眺めているのだろうか・・・少女の私があの人の胸のどこかに生きているのだろうか、16歳のおさげ髪の自分が生き生きと甦ってきます。すると少し元気になってきます。彼の胸にこの歌が届きます様に。
投稿: ハコベの花 | 2016年6月28日 (火) 21時50分
こんにちは。
いつも練習用に使わせていただき、一方的にお世話になっております。
この曲は、3週間くらい前に練習し始めてここのところマイブームになっていたのですが、今日当地で開催されたかなり大掛かりなカラオケ大会で歌ったところ、「昔のお嬢さん」の方々の琴線に触れて聴衆者票が入ったのか、優勝してしまいました。曲の力が素晴らしかったのだなあ、と思っています。
皆さん書かれていますが、「あざみの唄」「山のけむり」と比べてあまり知られて、歌われていないのがもったいない名曲ですね。
長年の趣味の合唱活動に加えて、こういう曲を聴いていただくこともやって行きたい、と改めて思ったことでした。
尚、今年使っている変な?HNは、合唱に出演したオペラ「ラ・ボエーム」での端役の役名です・・・念のため。
投稿: 税関兵 | 2017年11月 5日 (日) 19時53分
税関兵様
カラオケ大会優勝おめでとうございます。私も聴いてみたかったです。この歌はいつ聴いても青春時代の憧れと愁いが甦ってきます。聴いて居られた皆様の胸にも楽しかった青春時代が甦り、気持ちが茜色に染まったのではないでしょうか。歌って下さって有難うございました.お礼を申し上げます。
投稿: ハコベの花 | 2017年11月 5日 (日) 21時02分
こんにちは。
昨年11月には「税関兵」のHNで書き込んだものです。
ベタですが、本名由来のHNに戻しております。
先日、小規模なコンサートで歌わせてもらったのですが、
主催者が早々とYouTuveにupしておりますので、
ご興味のある方は覗いてみてください。
「Eiji y」と入れて検索すると、その主催者が
プロデュースした演奏が出てきます。
私は「たそがれの夢」「リラの花咲くころ」「南の薔薇」
を歌っております。
投稿: pika | 2018年3月13日 (火) 18時43分
今日は。伊藤久男、いいですね。戦前の軍歌中心から戦後は抒情歌謡で本領を発揮しました。
随分前、東京12チャンネル時代に八木次郎アナ司会による「人に歴史あり」に伊藤久男が出ていました。その中で、ご本人が「こんないい歌は滅多にない…」と言っていたのが「たそがれの夢」でした。ビデオ録画したテープが我が家のどこかにありますので、探して見てみようと思います。
この番組かどうかは忘れましたが、霧島昇が「ちゃーさん(伊藤の愛称)は風呂に入らない人で、いつもアルコールで体を拭いていた…」と話していたのを覚えています。
この際、ついでに、私は双葉あき子のファンでして、伊藤との二重唱「白蘭の歌」「お島千太郎旅歌」等など好きですねえ…。
投稿: ジーン | 2018年4月 1日 (日) 21時02分
「ああ夢よ ほのかなる悲しみよ」 青春時代がよみがえります。2階の帰省した兄の部屋にお茶を持っていくと、兄の友人のその人が私に優しい笑顔をみせました。いつも緊張した顔で冷たい大きな目でじっと私を見るだけなのに、珍しい笑顔でした。春休み、夏休み、冬休みには必ず顔を見せてくれました。
窓枠に腰かけて、私が書いた唐紙の『五丈原』の詩を読んだのでしょう。下手な字で恥ずかしい思いをしました。春の日差しが暖かくその人を包んでいました。「好きです」と言えないまま別れてしまいました。18歳の私のほのかなる悲しみが今もふっと胸によみがります。
投稿: ハコベの花 | 2018年4月 2日 (月) 00時25分
久しぶりに、たそがれの夢 を聞かせて頂きましたが、いいですね~。
ゆったりとして流れるようなメロデイー、それになんといっても詩が素晴らしい!
なんで今まで この曲にコメントしなかったのか 不思議なくらい私の感性に響いてくるものがあります。
二木先生の名解説を擦るようで申し訳ありませんが、過ぎ去った恋を偲ぶ歌詞に 見事にマッチした田村しげるの叙情的なメロデイーが、今更のように私の感情のひだを刺激して、新鮮な気持ちで心を寄せることができます。
はこべの花様や 越村南様の言をお借りするまでもなく 名曲とは、まず 名詩あってのことだと、しみじみ思い知らされています。
ちなみに、私は 西沢爽さんの曲の中では 「東京ワルツ」も好きな曲の一つです。
特に、♪七色の雨にうたう ああ東京ワルツよ~ というところからが いいですね~。
投稿: あこがれ | 2018年4月 2日 (月) 09時31分
標高940mの六甲の山頂から、遥か西 丹南の山並みに消え残る茜色に染まった夕空を眺めていたら、自然にこの懐かしいメロデイーを口ずさんでいました。
今シーズン初めての六甲山荘一泊二日の勤務でしたが、ハードではあるものの、なんとか無事に終えて日曜日の夕方、山を下りてきました。
丁度一年ぶりに この曲へのコメント投稿ですが、過去に、かせいさまが仰った通り、格調高く歌詞も詩情豊かなこの曲が大好きで、何十年も前に聞き覚えたであろう筈ですが、無意識のうちに なんども口ずさんでいます。
ハコベの花さま ではありませんが・・・
白きバラは うれいに揺れつつ
くちづけに 涙あふれた
なんて表現は、凡人がどんなに考えても 浮かんではきませんよね。抒情派詩人の面目躍如といったところです。
本当に この詩にして、この曲あり!と、しみじみと思いますが、うちの山荘も LEDをやめてランプにしてくれたら風情があっていいだろうに・・・と、思いますけど・・?
ああ夢よ
ほのかなる悲しみよ
投稿: あこがれ | 2019年4月15日 (月) 16時07分
「たそがれの夢」は、少し地味な感じはありますが、歌詞、メロディとも素晴らしく、聴き重ねるごとに、その良さが心に響いてくるいい歌だと思います。
歌い手の伊藤久男さんの歌では、「イヨマンテの夜」(S24)、「あざみの歌」(S26)、「山のけむり」(S27)を、直ぐに思い浮かべます。これらが短調の歌であるのに対して、「たそがれの夢」は長調の歌です!
また、作曲者・田村しげるさんの歌では、「白い花の咲く頃」(S25)、「リラの花咲く頃」(S26)がよく知られていると思います。これらも短調の歌であるのに対して、「たそがれの夢」は長調の歌です!
恐らく、その根源には、作詞者・西澤爽さんによる歌詞に、メロディを付けるに際し、長調のメロディがふさわしいとの判断があったからと、想像します。
私は、根暗の性格からか、どちらかと言えば、明るいもの・明るい歌(長調の歌)への憧れが強く、「たそがれの夢」は、このような意味で、私にとって、かけがえのない1曲と言えます。
ついでながら、常々思うのですが、わが身と対比して、カラオケで短調の歌を歌う人が何と多いことよ、と。短調の歌の方が、より心に訴えるということでしょうか。
投稿: yasushi | 2019年4月17日 (水) 13時35分
「白きバラは 憂いに揺れつつ」そんな経験があったら青春はもっと素晴らしかっただろうと考えてしまいます。残念な事をしました。最も白バラとは程遠く棘アザミだったかもしれません。言うべきことをキチンとはっきり言ってしまって、彼の心を傷つけてしまった青春、本当は涙が胸にあふれるほど溜まっていたのに、相手を傷つける残酷さに気が付きませんでした。それ故、今もこうして素晴らしい彼だったと思い出すことが出来るのですが、もし、結婚していたら私は鬼アザミで彼は家庭を顧みない自己中な嫌な男になっていたと思います。綺麗な思い出は金銭には替えがたいものです。彼は私の素晴らしい財産となって今も胸の中で輝いています。
投稿: ハコベの花 | 2019年4月17日 (水) 13時42分