サボテンの花
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞・作詞:財津和夫、唄:チューリップ
1 ほんの小さな出来事に |
《蛇足》 昭和50年(1975)2月5日にリリース。フォークがニューミュージックへと変質し始めた時期に現れた傑作の1つです。
平成5年(1993)にフジテレビ系で放映された江口洋介の連続ドラマ、『ひとつ屋根の下』の主題歌として使われました。このドラマのパート2は平成9年(1997)に放映されました。
財津和夫は、 山本コウタローとの対談で、「(サボテンの花)は前年の1974年にヒットした山本コウタローとウィークエンドの『岬めぐり』を参考にして"アンサーソングのつもり"で作詞した」と語っています(講談社『月刊現代』 平成19年〈2007〉11月号)。
しかし、この場合、彼は「アンサーソングのつもり」ではなく、「前編のつもり」というべきでした。アンサーソングは、歌詞の内容が元歌より時間的にあとのものをいうからです。
制作年は『サボテンの花』のほうがあとですが、『サボテンの花』→『岬めぐり』とつなげることによって、1つのストーリーが生まれます。
『サボテンの花』の恋人たちは、仲睦まじかったころ、どこどこの岬に行ってみようと話していたのでしょう。破局によって、それがだめになりました。ここから、『岬めぐり』の「二人で行くと約束したが、今ではそれもかなわないこと」につながるわけです。
真冬に彼女が飛び出したあと、彼の胸に生じた「絶えまなく降りそそぐこの雪のように、君を愛せばよかった」という後悔は、春か初夏になって一人で岬めぐりにでかけたときも、「くだける波のあの激しさで、あなたをもっと愛したかった」という哀惜の思いとして残ります。
この歌にも、『結婚するって本当ですか』にも、「ほんの小さな出来事で」というフレーズが出てきます。実際、青春期の恋には、「ほんの小さは出来事で」壊れてしまうケースが少なくないようです。
しかし、「ほんの小さな出来事」は、概して一方の主観にすぎません。一方が「ほんの小さな出来事」と思っていても、もう一人には許しがたい重大な出来事だったりするのです。
もし二人とも「ほんの小さな出来事」と思っていたのなら、口争いぐらいにはなるでしょうが、破局にまでは至らないはずです。
「ほんの小さな出来事」と思っているほうがまず非を認めること――これが別れを避けるための第一歩です。
それでも、相手が受け入れず、別れることになったら、少なくとも愛別という思い出は残ったと思って、諦めるしかありません。思い出は、嬉しいものでも悲しいものでも、いつかは資産になるのです。
ちなみに、『サボテンの花』には、財津和夫の失恋体験が反映されているそうです。
(二木紘三)
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コメント
チューリップの曲のアップは初めてですね。彼らの曲に青春を重ねて想起される諸氏も多いのではないでしょうか。チューリップの流行した頃私は青春真っ只中、『こころの旅』は学園祭のファイアーストームなどで合唱したものです。高校時代に交際した娘はいてもまだ本当の恋愛を知らない年齢でした。あの頃チューリップの曲に恋の楽しさ、苦しさ、はかなさを想像し、何度かの恋愛を経験した後は、チューリップの曲に昔の恋を想い出します。私にとっても取り立てて歌詞が美しいとか、曲が印象的というわけではないのですが、自然に心の中に沁み込んで来るような音楽です。
投稿: Yoshi | 2015年11月21日 (土) 03時26分
こんにちは。どんな曲でも、癒しの音楽になる演奏は、とても素晴らしいです。このサイトに巡り会えて嬉しいです。時々、聞かせてもらいに来ます。宜しく…(*゚▽゚)ノ
投稿: たまママ | 2015年12月 2日 (水) 13時31分
高校を卒業し30過ぎで結婚するまで一人暮らしでした。3畳、4畳半、6畳一間の貸し部屋を指折り数えると9カ所移り住みました。その間、一度のロマンスも、一人の若い女性の訪れもありませんでした。
小学5年生のとき、祖母が山の畑に柿の木を植えました。祖母は、「桃栗三年、柿八年、と言うんだ、お前が大学生になった時柿がなるから送ってやるよ」、と言いました。また、母は、「お婆ちゃんはお前が大学生になると、一緒に付いて行くと言っている、炊事の世話をする、と言っている」、と言いました。
大学に入学した年の7月、祖母が一人で私の部屋を訪ねてきました。歳とっていて、心臓も悪く、ほんの小さな坂道も苦しそうでした。私は昔祖母が’私のために炊事をしたい’といっていた望みを適えてあげたいと思い、3畳一間の部屋でしたが、炊飯器、電熱器など料理用具を一式買いそろえてその部屋で食事の準備ができるようにしておきました。
大学の講義から帰ってみると家主のおばさんが駆けよって来て、’驚いた’、と話されました。日中私の祖母は○○荘の雑巾がけをしていたそうなのです。玄関や一階、二階の廊下に這いつくばって雑巾がけしていたようです。おばさんは、「長年、学生さんに部屋を貸していますが、ご家族にこんなことしてもらったのは初めてです」、とおっしゃっていました。祖母は3畳の間に3晩泊って帰りました。そして翌8月に死にました。その秋、山の畑に柿が生りました。大収穫でした。
私の祖母は興奮すると私にしがみついて泣く癖がありました。私は祖母の恋人だったんですね。
本当は私もこの曲のようなロマンスに憧れ、恋人も欲しいと思っていたのですが・・・
お婆ちゃんが来てくれて掃除、炊事をしてくれたから・・・、ま、いいか、と思うのは負け惜しみですね。
投稿: yoko | 2015年12月 7日 (月) 23時46分
yoko様
胸が熱くなり朝から目頭を押さえました。
某元首相ではないが「感動した」と書かせて下さい。
追記
私も現在は二人の孫(10才、7才男児)が恋人です。
上の孫は「バーバとママにはボク何歳になってもダッコする」といって今夏バーバを泣かせました。
投稿: りんご | 2015年12月 8日 (火) 08時11分
リンゴ様
過分なご感想ありがとうございます。
女性は男の子のお孫さんをひときわ可愛く感じられるようですね。
私のおそらく最も古い記憶は幼い時いつも祖母と一緒に寝ていたことです。夜トイレに行くときは祖母の手を引っ張って行きました。田舎の家は広くてトイレまでには電燈のない真っ暗な部屋二つ、そして廊下を渡らなければなりませんでした。用をたしているとき祖母にはトイレの外で待ってもらっているのですが、怖くて、心配で、「お婆ちゃんいる?」と声をかけ、「いるよ」と言う返事を聞いて安心していました。祖母からしてみるときっと可愛かったのでしょうね。
一人身で何度も引っ越しした経験からこの歌でもっとも感情移入できる部分は次の節です。
♪ 想い出つまったこの部屋を
僕も出てゆこう
ドアに鍵をおろした時
なぜか涙がこぼれた
私の場合、ドアに鍵をかけて数歩あるいて後戻りしました。そしてドアの鍵を開けて、何もなくなった部屋をもう一度見渡して、この部屋とも、もうこれが最後だ、と寂しさを感じました。青春期を思い出します。
投稿: yoko | 2015年12月10日 (木) 09時27分
深夜にこの曲を聴いていると、胸がせつなくなって書けません。年のせいでしょうか?涙もろくなっているこの状態を毒舌の二人の息子に見られたらきっと口をそろえて「オニの眼にも涙?」と、やじられそうです・・・・・・。
若いって、残酷でつらいことをしでかしてしまうものなんでしょうか?
投稿: mitsuko | 2016年1月13日 (水) 04時02分
「サボテンの花」「会いたい」「心の旅」などをはじめ、財津和夫はこれまでに数々のヒット曲を世に輩出してますが、私はこの唄の詩とメロディが特に好きでよくこのページを訪れています!
そして、2015年12月7日にyoko様が投稿されたお祖母さまに纏わる、まるで情景が浮かんでくるような、そんなコメントを拝読しては、いつも胸を熱くしている自分がいます。
>『祖母は3畳の間に3晩泊って帰りました。そして翌8月に死にました。・・』
>『私の祖母は興奮すると私にしがみついて泣く癖がありました。・・』
yoko様がこれまでに寄せられた数々のコメントから、私が絶えず感じてきたその感性の豊さは、もしかしたらきっとお祖母さまの他には類をみない、幼いころからの愛情と強い絆を授かってこられた賜なのではないのかと、恐れながら私はそんなことを感じました。
私は両親それぞれの祖父母の顔を知らずに育ちましたので、なおさらに脳裏を過るのかも知れませんが、一度は祖父母の顔が見てみたかったと、今でもふと思うことがあります。
投稿: 芳勝 | 2021年12月 1日 (水) 15時53分
芳勝さま、私のコメントをお読みいただき、また過分な評価をいただきありがとうございます。記憶を手繰って祖母についての私のコメントを探してみましたら、10編ほど見つかりました。最近では過去の出来事を自分のコメントを読むことで呼び覚まし曲とともに懐かしむことも多くなりました。僭越ですが祖母について、もう一つ、私のコメントを紹介させてください。「サボテンの花」の前編らしきものになります。
「わかれうた」(2018/11/30)です。
投稿: yoko | 2021年12月 2日 (木) 10時56分
数年前のちょうど今頃、NHKFM「歌謡スクランブル」から流れてきたこの曲に、車の運転中にもかかわらず、思わず聞き入ってしまいました。冬から春にかけての時期の歌の特集として取り上げられた曲のひとつでした。
二木管理人が蛇足欄でご指摘の通り、「岬めぐり」のアンサーソングというよりは時系列的にも論理的にもこの「サボテンの花」から「岬めぐり」に向かうほうが自然なストーリーですね。しかし、財津和夫は「岬めぐり」の「僕はどうして生きていこう」という問いかけに真正面から答を用意したかったのかもしれません。「何かを見つけて生きよう。何かを信じて生きてゆこう」という答を用意して「岬めぐり」のアンサーソングとしたかったのではないでしょうか。もっとも、「岬めぐり」の「僕」は岬をまわる旅に出て、窓いっぱいに広がる青い海を見て傷心を癒やし、自分なりに気持をリセットしたので、あえて答は必要なかったのでは、という気もしますが。
それとも、財津はアンサーソングというよりは「岬めぐり」とは全く対照的な歌を意識して作りたかったのかもしれません。「岬めぐり」の季節がどちらかと言えば夏のイメージに対して、「サボテンの花」は冬から春、青い海と降りそそぐ白い雪のコントラスト、情景も「岬めぐり」のマクロ的風景に対して、「サボテンの花」はミクロ的描写に見事なまでに徹しています。詩歌や漢詩の「対句」という言葉を借りるならば「対歌」とでも言いましょうか。
「サボテンの花」というタイトルがやや平板で魅力的に響かないように聞こえるのは私だけでしょうか。歌詞の中から「愛は傷ついて」、「真冬の空の下に」、「窓に降りそそぐ雪のように」、「春はそこまで」というような曲名としたほうが、より惹きつけられるような気がします。結局のところ、財津は徹頭徹尾、対照的な歌を作ろうとして曲名までも対照性を意識せざるを得なかったような気がします。
投稿: Toshi | 2023年2月12日 (日) 23時49分
「サボテンの花」先のToshi様の大変興味深い御文を拝読しながら、そう云えば以前に私自身もこの曲のタイトルについて、僅かな違和感というのか小さな疑問みたいなものを感じた覚えがあったことをふと想い出しました!
この曲が大好きで、当時まだ20代だった私は、ただ単純にこの曲のタイトルは詩のストーリー性から「サボテンの花」も良いけれど「この冬が終わるまでに」なんかの方が・・・という程度のものでしたが。
Toshi様の御文のまとめ、>『結局のところ、財津は徹頭徹尾、対照的な歌を作ろうとして曲名までも対称性を意識せざる得なかったような気がします。』このご意見に、私も歳を経てきた今ではいささか共鳴できるものを感じています。
「サボテンの花」私はこの曲が大好きで時折このページを開きますが、情景が見事に浮かんでくるような詩とその詩をさらに際立たせる秀逸のメロディを聴いている時、私はその都度、財津和夫の曲作りのセンスの良さとその才能の凄さをまざまざと認識させられてしまいます。
投稿: 芳勝 | 2023年2月13日 (月) 16時23分
Toshi 様 芳勝様のご投稿を拝読し、初めてこの歌に聞き惚れました。良い歌ですね。「サボテンの花」を題名にしたのは、彼(おそらくは財津和夫さん)に、彼女が育てていたサボテンの花が彼女そのものであるように思え、胸を締め付けられたのではないでしょうか。この歌を聞いた彼女がサボテンの花の題名に涙してくれたかもしれません。
投稿: kazu | 2023年2月13日 (月) 23時34分
芳勝様、kazu様を魅了したこの歌のメロディーをどのような言葉で表現すればよいでしょうか。私は聴いて心地よく、優しく繊細で、透徹感のある静謐なメロディーと感じました。また、日曜日に広い河原で遠くのほうからこの旋律を奏でる管楽器の音が聞こえてきたら、それはそれで、平和で牧歌的な感じがしていいでしょうね。
投稿: Toshi | 2023年2月14日 (火) 23時08分
チューリップが50周年ライブツアーを終えて、活動を終了したとTVで報じられていました。『虹とスニーカーの頃』、『銀の指輪』、『青春の影』,,,,、チューリップの曲はわが青春のバックグランドミュージックの様なものでした。彼らがツアーの最後に、アンコールに応じて演奏したのは『心の旅』だったそうです。私が学生の頃、誰もがこの曲を好きでしたが、看護婦と恋愛中のある友人は、“愛に終わりがあって、心の旅が始まる”というフレーズは好きでないと言って、皆を笑わせました。懐かしい思い出です。
投稿: Yoshi | 2024年8月20日 (火) 15時26分
『蛇足』が素晴らしいです。
投稿: konoha | 2024年8月20日 (火) 16時10分