« アフトン川の流れ | トップページ | 母 »

2016年1月12日 (火)

ミヨちゃん

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲・唄:平尾昌章

   セリフ
   「みなさん、まあ僕の話を聞いて下さい。
   ちょうど、僕が高校二年であの娘(こ)も
   ミヨちゃんも、高校二年の時でした。」

1 僕のかわいいミヨちゃんは
  色が白くて小ちゃくて
  前髪たらしたかわいい娘
  あの娘は高校二年生

2 ちっとも美人じゃないけれど
  なぜか僕をひきつける
  つぶらな瞳に出あう時
  何にもいえない僕なのさ

3 それでもいつかは逢える日を
  胸にえがいて歩いていたら
  どこかの誰かとよりそって
  あの娘が笑顔で話してる

       (間奏)

4 父さん母さんうらむじゃないが
  も少し勇気があったなら
  も少し器量よく生まれたら
  こんなことにはなるまいに

   セリフ
   「そんなわけで、僕の初恋は
   みごとに失敗に終わりました。
   こんな僕だから恋人なんて、いつのことやら
   でも、せめて夢だけは
   いつまでももちつづけたいんです。」

5 今にみていろ僕だって
  素敵なかわいい恋人を
  きっとみつけてみせるから
  ミヨちゃんそれまでさようなら
  さようなら

《蛇足》 昭和35年(1960)にキングレコードから発売。平尾昌晃の最初の自作・自演曲で、大ヒットとなりました。
 ソロの大ヒットとしては、昭和33年
(1958)に発売された『星は何でも知っている』がありますが、これは水島哲作詞、津々美洋作曲でした。

 昭和33年(1958)から数年間、ミッキー・カーチス、山下敬二郎とともに"ロカビリー三人男"として、「日劇ウエスタンカーニバル」等で爆発的な大人気を博したことは有名。

 『ミヨちゃん』の大ヒットを機に、作曲に軸足を移すようになり、結核で療養していた数年間を除いて、次々とヒット曲を生み出しました。演歌からポップス調、フォーク調までと、そのレパートリーは広く、才能の高さを物語っています。

 高校時代には、たいていの男の子がこの歌のような思いをしたはずです。
 しかし、4番「勇気がない」のは親のせいではなく、自分に意気地がないだけ。
 器量は確かに遺伝が多少影響します
(あの親からなんでこの美形が、という例もたまに見受けますが)。しかし、ブサメンが美人をゲットした例は多々あります。

 私が学生のころ、近くの女子大にまれに見る美人がいまして、その噂は私の大学まで聞こえていました。身長170センチ以上で、脚が長く、さっそうと歩いていました。某劇団に請われて舞台に立ったこともあったそうです。

 自称美男子連中が次々と粉をかけましたが、みなあえなく撃沈。彼女には、前から約束していた男性がいたのです。
 彼は、彼女より背が低く、色黒で、風采が上がるとはいいがたい顔立ちでしたが、彼女はほかの誰にもない何かを彼に見出したのでしょう。

 ……というような例もありますから、見てくれで諦めることはありません。誰にも負けない何かを、1つでも身につければいいのです。高校時代からがんばれば、いつか実を結ぶとオジーサンは思いますよ。

(二木紘三)

« アフトン川の流れ | トップページ | 母 »

コメント

以下の蛇足に笑いが込み上げました。
(しかし、ブサメンが美人をゲットした例は多々あります。)
以下の蛇足は身に詰まされました
(器量は確かに遺伝が多少影響します(あの親からなんでこの美形が、という例もたまに見受けますが)。
我が娘は父親似と言われました。
職場のいじわる先輩から「娘さん、お母さんに似て美人ねえ」と皮肉を言われ傷付きました。
又次女が幼稚園の折、敬愛していた転勤族の知的なママから「まあ、お宅の御嬢さん博多人形のようね。ご主人よっぽどハンサムなのええ」と言われたのも忘れがたい逸話です。できるなら私も吉永小百合さん、風吹ジュンさん、高橋恵子さんのような美形に生まれたかったもです。
其々タイプが異なるが~。

さて、みよちゃん♪懐かしさでいっぱいです。
テレビ全盛の未来ある時代でしたね。

投稿: りんご | 2016年1月14日 (木) 16時25分

 美人は、ほとんどの場合、自分の美貌を自覚し、男たちの間でどれほどの価値があるか、熟知している。
したがって、若い頃から、美人=狡猾な存在=災いをよぶ存在としてさけてきた。
ブサメンゆえの処世訓かもしれないが、、
 立てば芍薬、すわれば牡丹などというが、たんなるド派手な花にすぎない。
野に咲く花の可憐さには及ばない。そういう気構えで美人の前に立ったものだ。
ブサメンゆえの人生観かもしれないが、、
「ちっとも美人じゃないけれど なぜか僕をひきつける」というフレーズは深い。
いや、美人じゃないからこそひきつけられる一面もある。
「色が白くて小ちゃくて」というフレーズ。
うーむ「色が黒くて小っちゃくて」までは、さすがにあの時代では無理だったのだろう。

投稿: 紅孔雀 | 2016年1月15日 (金) 16時06分

美しく、品が良く、優しく、頭が良く、家に資産がある。2000人近い女子ばかりの学校の中で何人ぐらい条件を満たす人がいると思いますか。おそらく5人以下だと思います。本物の美人はこの条件を満たしている人だと思います。いくら美人でも行儀が悪く、言葉が汚い人はだめですね。美人は根性が悪いと言われますが、醜女のほうが意地悪な人が多いと思います。本物の美女はおっとりしていて優しいです。しかし、幸せになれるかどうかは別ですね。美人が不幸になる確率は高いようです。美人過ぎて怖いお兄さんに狙われて不幸のどん底に落ちた同級生がいます。
番茶も出花の頃は女性は皆、みよちゃんと同じです。もう一度出花の頃に戻りたいと切に願っています。

投稿: ハコベの花 | 2016年1月15日 (金) 21時49分

「家に資産がある」については美人と関係がないと思われると思いますが、女子ばかりの中学に入った時、高等部の中に綺麗な方が2,3人居られました。所作や言葉がとても美しかったのです。生まれた時からきっちり躾けられているのでしょうね。いずれも代々の資産家の娘さんたちでした。私の仲良しにも1人いますが、彼女の家を訪ねた時、学校で話す言葉と家族中の言葉が違っていました。本当に驚きました。次第にこういう格差はなくなっていくのでしょうね。ミヨちゃんのほうが幸せです。憧れより愛されるほうが気楽で楽しいですものね。

投稿: ハコベの花 | 2016年1月17日 (日) 12時28分

最近の記事のミヨチャンが目に留まりちょつと書き込みしたくなり投稿しました。丁度私が高校2年生・3年(?)の始めのとき、友達からみよちゃんをモデルにしたような、と言われはにかんだ記憶があったのです。
自分で言うのも可笑しいのですが、「色は白くて前髪たらし三つ編みで可愛く、でもちっとも美人じゃない」と歌詞そっくりだったことを懐かしく思い出されました。

投稿: みよちゃん | 2016年1月18日 (月) 19時14分

’みよちゃん’っていい名前ですね。「春よ来い」という歌に”歩き始めたみいちゃんが”、という句がありますが私は長く”歩き始めたみよちゃんが”と間違えて覚えていました。

従姉妹に少し年下になる美代ちゃんがいました。伯父さんは美代ちゃんの話をするときは、「美代ちゃん」、「美代ちゃん」と呼んでいていつも嬉しそうでした。僕は可愛い美代ちゃんを想像していて会いたいなぁと思っていました。初めて会う機会があったのは大学生のときです。おそらくそのとき僕の瞳にはハートのマークが浮かんでいたと思います。

彼女は剣道の道場に通っていて有段者でした。彼女の口から機関銃の弾のように飛び出してくるのは道場の猛者たちの話題でした。私はといえば背も低くスポーツ嫌いの優男です。なんとなくツマラナイなぁと思っていたらそれが通じたのか、彼女にはそっけなく冷たくあしらわれているような気がしてきました。その後会ったことはありません。

”みよちゃん”という呼称は可愛かったんですけどねぇ・・・

投稿: yoko | 2016年1月22日 (金) 10時12分

 滝野川女子高校生たちが下校するとき、私と友人は彼の家のベランダから、ヒューヒュー口笛を鳴らしてアッピールするバカ学生でした。「ミヨちゃん」はその頃友人が好きで歌っていたので私も歌うようになりました。
 平尾昌晃たちがロカビリーで日劇を熱狂させた時、私は高校生でしたが、舞台で投げテープまみれの山下敬二郎、ミッキーカーチスとともに平尾は女の子たちに舞台から引きずり降ろされ、もみくちゃにされているのをテレビで見て、熱狂しました。
彼ら、特に平尾昌晃は、その頃から作曲をしていたようですね。何事もまじめに自分の将来を考えて頑張る人に幸はくる。外見だけで人を判断してはいけないと、その頃から思っていました。
 

投稿: 吟二 | 2016年1月22日 (金) 22時45分

たった今、NHKのクローズアップ現代「原節子」の番組を観て私の言いたかった美人の定義のすべてが語られていると思いました。自己を持った凛とした美しさ、特に映画『わが青春に悔いなし』の原節子は私の憧れです。原節子を語った香川京子もすばらしいですね。きちんとした生き方をされていてそれが年を重ねても美しさを維持している原点だと思われます。ミヨちゃん辺りから少し女性の品格が下がってしまいましたね。今夜ぐらいは居住まいを正していたいと思いました。

投稿: ハコベの花 | 2016年1月25日 (月) 20時26分

クローズアップ現代で、原節子さんを取り上げた番組があったのですね。見られなくて残念ですが私にとっての原節子は『青い山脈』です。正義感から町中にはびこっている偏見に立ち向かうという映画でした。欠点のない綺麗さでしたが、【声】が素晴らしくて深みのある声で、耳に残っています。最近の女優さんのお顔、恐くないですか?目がつりあがっていてアップになると「こわい」です。身近にこんな人がいたら、出来るだけこういうお顔の人とはもめたり、トラブルを起こさないようにしたいです。でも反面本来脇役顔だった人が、演技の才能を認められたのか知りませんが、結構主役で良く出演されるのを見ると、なかなか良い世の中じゃないかと、ひとり頬が緩みます。
古い映画や名画と言われるのが、自由に見られるケーブルテレビの存在が、私にとってはなくてはならない存在です。欲を言えばもう少し低料金で見られたら、なお嬉しいですが・・・・・・。
今年は黒澤作品が目白押しです。夜更かしが当分続きそうです。黒澤監督も出演女優をみていると、なかなか美人がお好きだったような気がします。

投稿: mitsuko | 2016年2月 3日 (水) 02時52分

'65年生まれの私にとって、リアルタイムでの「ミヨちゃん」は、平尾さんではなくザ・ドリフターズのVer.でした。
加藤茶さんの「いかにも田舎」というあのイントネーションのイメージが強かった分、オリジナルが平尾さんと知った時は意外な感じがしました。

投稿: 成田無頼庵 | 2016年2月12日 (金) 15時06分

高校の時、流行りました。寮のクリスマスだったと思います。この歌を歌って食堂のおばちゃんから「あんたが歌うってねえ」というようなことを言われました。
 ミヨちゃんはアイドルだったのです。青春の一ページだったことは間違いありません。

投稿: 今でも青春 | 2016年3月22日 (火) 21時07分

みよちゃんはまさに青春のシンボルみたいな存在  当時の男子学生にとってほとんどが同じような思い出があることでしょう  その父親たる平尾氏が逝去されました  さみしいですね
平尾氏と言えば、 “私の城下町” と共に  “瀬戸の花嫁”
ところがなぜか後者はこのうた物語に載っていません 
ぜひお願いしたいと思います

投稿: くろかつ | 2017年7月24日 (月) 08時14分

くろかつ様

「私の城下町」「瀬戸の花嫁」は名曲ですね。私はあるカラオケクラブに属しています。初めにみんなで数曲ボイストレーニングがわりに歌いますが、上記2曲はよく歌います。70歳代なら男女ともに殆どの人が知っていて好きな曲だからです。私もこの「歌物語り」に加えて頂けたら嬉しいです。

みよちゃんは、セリフ入りなので恥ずかしいのか、あまりみんなは歌いませんが、私は昔からちょくちょく歌っています。(昔ベランダから下を通る女学生たちにひゅーひゅー口笛を吹いていたバカ学生より)

投稿: 吟二 | 2017年7月24日 (月) 22時29分

ほんとに懐かしい曲・・・私が社会人となって2年目の頃に流行った歌、平尾昌章のデビュー当時からの大ファンで、私の住む街でもロカビリーブームにノリノリで、周囲の若い女の子を見ると、誰でも「ミヨちゃん」に見えていたようにさえ思えます。
もう一度、当時へタイムスリップしたい心境です。
それにしても、二木オーケストラの演奏、その曲のイメージを見事なリズムで展開・・・拍手喝采です。
くろかつさま・吟二さま、コメントありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。

投稿: 一章 | 2017年7月25日 (火) 00時08分

時代を共有した皆さま方の共通項の
ひとつが平尾昌晃さんですね。
永遠の青年のように思えた明るい笑顔が
懐かしく甦ります。
そして涙が止まりません。
その時々のヒット曲に合わせて 自分の心模様や
暮らしぶりが甦ります。
わけても「瀬戸の花嫁」
豪華な結婚式場の先駆けとなった地元のホールで
甥の結婚式(娘にとっては従弟)当時4年生の娘が
「瀬戸の花嫁」をエレクトーン演奏。
田舎では未だ稀なるエレクトーン演奏に長女は賞賛の声を浴びたものです。

個人的に平尾作品で好きなのは
「星は何でも知っている」でした。
夏の星座のどのあたりに平尾さんの星が輝いているのでしょうか。
平尾さんのご冥福をお祈りいたします。合掌

投稿: りんご | 2017年7月25日 (火) 07時55分

又してもお手つきでした
「星は何でも知っている」が道理で皆さま方の
コメントにも出ないわけですね。
作詞作曲は平尾さんとは違いました。
シンガーソングライター依然の歌だったのでしょうか。
歌ったのは確かに平尾昌晃さんという事実に
免じてお許しください。

投稿: りんご | 2017年7月25日 (火) 08時46分

 この歌は高校生の頃 よく歌っていました。

  まあ 私の話を聞いて下さい。

私は 田舎の中学校から高等学校へ越境入学。500名の定員に私達のような郡部の中学校から県庁所在地の市内の高校に進学するのは毎年1~2名。市内の中学校から各校数十名が入学している。

当然 入学しても私達には話相手がいない。話相手のいない郡部出身者の中に少しづつ友達を作っていく。市内中学校出身者は男女を問わず 同じ学校出身者でワイワイやっている。羨ましい。しかし私は「あの女の子が気になっている」なんて言える友達もいない。

 田舎の中学校では見かけなかったオシャレで可愛く賢そうな女の子を市内中学校出身者の中に見つける。しかしその女の子はよそのクラスで、その女の子に近づく勇気がない。また向こうから私の名前を憶えてもらえるほどの力ももちあわせていない。その女の子を紹介してくれそうな友達もまだいない。しかしその女の子が笑顔で上級生や同級生男子と話しているのを時々見る。 

 当時 軟派で女の子に気軽に話し、女の子を楽しませる上級生・同級生を少し軽蔑しながら羨ましく思っていた。

  4 父さん母さんうらむじゃないが
    も少し勇気があったなら
    も少し器量よく生まれたら
    こんなことにはなるまいに

この歌詞が私の当時の素朴な私の心境にピッタリでよく歌っていました。
高校を卒業して55年以上経つ。風の噂では その女性は結婚後、書道の先生をしていたとか?健康を害されたとか? 離婚・再婚したとか・・?
 高校時代の淡い思い出だけにとどめておいた方がよさそうに思う。

投稿: けん | 2018年2月22日 (木) 19時29分

何ともほのぼのとした思いに誘われます。
可愛いと綺麗では通常可愛い方に男性はなびくのではないでしょうか。吉永小百合や風吹ジュン似に生まれたとて所詮結婚する相手は一人。外面のかわいらしさは彼方此方の男心をくすぐるだけでないかなどと思う様になりました。
今、高齢者向け紙芝居の「愛染かつら」を下読みして可笑しさが込み上げました。医師と看護婦の恋物語~(当時は障害になった身分差 ̄職域の違いも今は昔)
「高石さん、一目見て好きになった結婚してください」を音読しながら笑ってしまいました。一目見て~要するに外見~高石かつえに美貌がなかったらこの展開はあり得ませんね。

けん様も純情な高校生であられたのですね。
なにはともあれ懐かしい曲ですね。

投稿: りんご | 2018年2月22日 (木) 20時56分

 『ミヨちゃん』がリリースされた昭和35年、私は小学5年生でした。
同年リリースされた、守屋浩が唄った『ありがたや節』とともによく口ずさんだことを思い出します。 平尾昌章の作曲家としてのデビュー曲ですね。
 
 ♡ ミヨちゃんの容姿・容貌の私見的考察です
 
 色が白くて — 『色の白きは七難隠す』といいます。美人の条件の
          ひとつです。
 小ちゃくて —  身長が150㎝に届いてないのかな。

 前髪たらした — 三つ編みおさげ? ボブ? ポニーテイルでは
          なさそう。
 高校二年生  — セーラー服は黒? 紺? リボンは白、紺、エン
          ジ、黒?
 ちっとも美人  
  じゃない  — でもかわいい。 あどけない感じ。

 目・まぶた  — 一重?二重?  つぶらな瞳だと二重かな。

 小学生の頃は、二重まぶたの女の子に憧れました。
男の子って概ね、二重まぶたのパッチリ目の女の子を好きになるみたいですね。 でも中学3年生の頃、一重の女子生徒を好きになってしまいました。
「しょうゆ顔(和顔)」を美しく感じるようになったのですね。 
それは今でも変わってはいません。「しょうゆ顔」の美人てそうそういませんね。 今時の女優では『黒木 華』ですね。 ちなみに、幼稚園の頃は『千原しのぶ』が好きでした。
ミヨちゃん考察がちょっとズレてしまいましたね、ご容赦ください。 

投稿: かせい | 2018年9月22日 (土) 17時21分

「ミヨちゃん」昭和35年私が6才の頃ですが、この歌はまわりの大人も子供もみんなが口ずさんでいました!

ちょうどその頃に半年間だけ一時期住んでいた我が家の前の道を挟んだ向かいには神社があり、その裏の山には大きな椎の木が何本かあり、そこで木登り遊びをしたり、椎の実を拾い集めたりして楽しんだ記憶があります。
そこに住んでいる時、我が家の末弟が生まれたのですが、出産の日に我が家に駆け付けてきた高齢の産婆さんが、母が産む間際にすこし苦しんでいる様子の時、もう少しだから大丈夫、大丈夫、安心しな、よしよし、といいながら、突然「ぼくの可愛いミヨちゃんは~」と浪花節調の低いダミ声で歌い始めました。父と隣の部屋で様子を心配しながら見守っていた私たちは、その歌声を聴いた父がクスッと吹き出しながら笑う顔を見て、少しだけリラックスできたことを憶えています。長時間を要す難産でしたが無事赤ちゃんは生まれました。「ミヨちゃん」は、我が家にとっての忘れられない想い出の歌になりました。

余談で誠に恐縮ですが、かせい様の「ミヨちゃん容姿・容貌の私見的考察力」は、恐れながら満点だと思います!また幼稚園の頃に好きだったと仰る「千原しのぶ」はスチール写真で観ましたが、日本顔の本当に美しい女優ですね。
ちなみに「円らな瞳」の女優では、幼少の頃から若き日の「八千草薫」に私は憧れていました(笑)。


投稿: 芳勝 | 2018年9月24日 (月) 13時56分

 「ミヨちゃん」を作った時の平尾昌晃は、やっぱり若い感覚ですね。この少し前にヒットした「星は何でも知っている」も、台詞の所で「あの子もきっと、きっとうれしかったんだよ~う」と臆面もなく言い、さすがに若い私も恥ずかしいくらいでした。この頃は男の子は男らしくなくてもいい、可愛いのが良いみたいでしたね。この傾向はその後も続き、ジャニーズ達も「可愛い!」と叫ぶ女性たちに迎合するように可愛らしさをアッピールしていました。その後のニューミュージックなどの、例えばさだまさしの「無縁坂」や、永井龍雲の「つま先坂」などのセンチメンタルな歌があふれていた時もありました。私は実はこの2曲は好きでよく歌うので歯切れは悪いですが、男らしい曲、例えば河島省吾などの歌より、日本人は女らしい「優しい歌」が好きなんだなと思います。韓国では「冬のソナタ」のペヨンジュンや、女の子のように可愛い男優はあまり人気が高くありません。
 「星は何でも知っている」や「ミヨちゃん」が流行っていたころ、私は友達の家の2階から下を通る女学生たちに「ヒューヒュー」と口笛を鳴らして喜んでいたので、平尾昌晃のこの曲を「若いなあ」と思うのは、自分のあの頃を言っているのかも知れません。ああ、馬鹿だった。

ロカビリーで若い女の子たちからキャーキャー言われて、舞台から引きずり下ろされて、中には股間を掴んでくる人もいたと彼が後年言っていました。

その後、こういう感覚が無くなって大人になって行きましたね。

投稿: 藤森勲夫 | 2023年9月12日 (火) 21時54分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« アフトン川の流れ | トップページ | 母 »