« 母 | トップページ | 悲しき雨音 »

2016年2月 5日 (金)

夢見る乙女

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田 正、唄:藤本二三代

1 花の街角 有楽町で
  青い月夜の 心斎橋で
  乙女が燃えて 見るその夢は
  愛の灯影(ほかげ)の スイートホーム

2 窓のフリージャ 小雨の午後は
  何故かしみじみ 一人がさみし
  乙女がいつも 見ている夢を
  知っているのよ あの人だけは

3 夢よいつなる 抱かれて溶けて
  二人一つの すてきな夢に
  乙女がまこと 見ている夢は
  星も輝く スイートホーム

《蛇足》 昭和32年(1957)11月にビクターからレコード発売。美人歌手といわれた藤本二三代の最大のヒット曲。
 『有楽町で逢いましょう』のB面で発売、両面とも同名映画の主題歌となっています。

 藤本二三代は芸名で、本名は三谷綾子。芸者歌手の草分けの1人・藤本二三吉の娘。父親の再婚相手が二三吉だったという関係で、義理の母娘でしたが、実の母娘以上に仲がよかったといわれます。

 二三代が歌手になりたいといいだしたとき、芸能界の厳しさを知り尽くした二三吉は反対しましたが、二三代の再三の希望についに折れ、以後は吉田正に紹介するなど、熱心にサポートしたといいます。

 ただし、芸には厳しく、二三代が二三吉の持ち唄『祇園小唄』を歌うことになったとき、何度歌っても、「おまえの『祇園小唄』は京都の舞妓さんになりきっていない」と、なかなかOKを出さなかったそうです。

 写真は、昭和30年代の心斎橋筋。

(二木紘三)

« 母 | トップページ | 悲しき雨音 »

コメント

昔、藤本二三代のファンでした。澄んだ汚れのない声は私の胸を揺さぶりました。

そんな私が、「夢見る乙女」というタイトルを見て、はて、どんな歌だったかなと思い出せませんでした。そして画面から流れる曲を聞いて、「ああ、なんだ、この歌だったんだ」と歌詞を見てすぐ分かりました。だって、私が大好きな歌だったからです。

私も年取ったなあと思います。ともあれ、藤本二三代の清らかで明るい歌声と、純情だった昭和の乙女の雰囲気が感じられる彼女の歌は大好きです。二木先生、思い出させていただき、ありがとうございました。

投稿: 吟二 | 2016年2月 5日 (金) 22時13分

藤本二三代さんの名曲を有難うございます。彼女の甘い美しい声が耳に焼き付いています。どの曲もカラオケに無いのが残念です。

投稿: 海道 | 2016年2月 6日 (土) 11時07分

海道さんが言われるように、藤本二三代がカラオケのどの会社(DAM,UGA,ジョイサウンド)にも無いのはとても残念です。上記会社の方がこのメッセージを読まれたら、是非、入れて下さい。カラオケで歌ってみたいです。けっこうファンはいると思いますが。

投稿: 吟二 | 2016年2月24日 (水) 11時03分

 この歌は、当時7歳の私には無縁の歌ですが、はじめて聞いても甘く優しい吉田正のメロディーは、日本人の私の心の琴線にふれます。
スイートホームという言葉が、時代がかった、そしてキーワードのように思いました。
 ここでいうスイートホームは、農村ではなく、都市部でしょう。そして、おそらくジジババと同居しない、核家族でしょう。
 この歌は昭和32年の発売、高度成長時代のただ中です。昭和37年の小津監督の『秋刀魚の味』にも典型的なスイートホーム、岡田茉莉子、佐田啓二夫婦の団地生活が登場する。核家族で、家電やゴルフが、庶民生活にも浸透してくる。
 核家族化の行き着く先がわからなかった時代、何も知らなかった平和な時代を感じる歌です。少子高齢化なんてお釈迦様でも御存じなかった頃です。

投稿: 越村 南 | 2016年2月24日 (水) 16時29分

藤本二三代さんの歌は、いつも三浦洸一さんと実演が
ペアーで日本中を実演公演されていたからです。
大劇や梅田方面でもとても可憐で素敵な歌声で、時々
楽屋で「二三代さんは心優しい歌手ですよ」と三浦さんが言われていました。とても懐かしいです。
二三代さんのCD全集がないのが残念です。
ビクターさんどうしてなんですか?私は一番それを
待ち焦がれているファンの1人です。

投稿: odoriko | 2016年2月24日 (水) 16時49分

この歌は「夢見る男」の歌ですね。乙女は多分結婚に対してこんな夢はみないと思います。男の人の夢を壊してしまってすみません。男性のほうがロマンチストなのですね。

投稿: ハコベの花 | 2016年2月24日 (水) 21時45分

『夢見る乙女』1957年11月リリースということは、あの『有楽町で逢いましょう』と同時期ということ。  ビクターは『有楽町で…』にかなりの力を入れたので、『夢見る…』は陰に隠れた存在になってしまい、広く世間に知れ渡ることは無かったのでは…、というように私は推測してます。
 『有楽町で…』に力を注ぎ込み過ぎて、佐伯孝夫も吉田正も『夢見る…』にあまりノらなかったのかなぁという感じが…。
 『有楽町で…』では都会のイメージを出す為にティールーム、ブルース、シネマ、ロードショーなど片仮名言葉を使って、それが功を奏してるのに、
『夢見る…』ではスイートホームがしっくり馴染んでいないようです。
 佐伯孝夫の詞もあまりにも乙女チックで、伝わる何かが足りないような。
藤本二三代の持ち歌の中では大ヒットなのでしょうが今となっては「知る人ぞ知る」曲でカラオケの配信にないのかも。
 カラオケ店さん、顧客の要望をメーカーにしっかりお伝え下さい。

投稿: かせい | 2016年2月25日 (木) 00時39分

かせいさん、

人により、また年齢により感じ方が違うなんて当たり前ですが、私は申し訳ないですが、かせいさんの感性と違います。この歌では「スイートホーム」が効いていると私は思います。新鮮な感じがするからヒットしたのだと思います。しかも、藤本二三代の美しい歌声が醸し出す純情が私たちの心をとらえたのです。「甘い」と感じる方の気持ちはわかりますが、「純真」「純情」が最も心を揺さぶられる人たちもいるのです。私はそうです。でも、かせいさんが言われるように「甘すぎてちょっと」と思われる方々も当然いらっしゃいますね。好きなことを語れるこのサイトは私にとって癒しになります。

投稿: 吟二 | 2016年5月 6日 (金) 19時18分

私はスイートホームが先にあって前後に日本語を付けたような気がしてなりません。「哀愁の街に霧が降る」ではカラーフィルム、ブローチ「東京の人」ではトレモロ、テラス、シルエットなど、はまりすぎのように思います。

投稿: 海道 | 2016年5月16日 (月) 16時34分

 この歌(曲)は私の青春時代からの特別の思い入れのものでした。
 中学生の時だったか、高校生になっていたか、この歌を聴いて何故か特別な喜びを感じた記憶があります。
 当時流行した歌に青木光一「柿の木坂の家」とか、少し後になると思いますが神戸一郎の「十代の恋よさようなら」などが思い浮かびますが、それ以前に自分は藤本二三代さんの「花の街かど……」という歌にみせられたのでした。
 その後の藤本二三代さんの歌にも、「花のマーブル通り」「好きな人」など、非常に魅力を感じました。
 さらにかなり後になって知った歌(「花の十九よさようなら」など)、にもとてもいい曲がある。
 

投稿: utsugi | 2017年10月27日 (金) 00時00分

utugiさま

utugiさまは私と同年代の方と思います。上げられた二三代の数々の歌は私も大好きな歌です。本当に、今のカラオケ屋に藤本二三代の曲が無いのは残念です。このサイトでも海道さん、odorikoさん、越村さん、かせいさん、がカラオケに入れろと言ってくれました。でも私は、今は仕様が無いからこのサイトの伴奏で自宅で歌っています。

二木先生、藤本二三代の「好きな人」もアップして頂けると嬉しいです。

投稿: 吟二 | 2017年10月27日 (金) 21時56分

 つい最近知り得た事ですが、この「夢見る乙女」は、あの「有楽町で逢いましょう」のB面だったのですね。
 1957年11月に同時期リリースというのは実は別々のシングル
レコードでではなく、同じ盤のA面B面だったわけです。
 A面が「有楽町で逢いましょう」
 B面が「夢見る乙女」
 デパート『そごう』有楽町店とのタイアップですから、当然
ビクターはA面である「有楽町で…」を重要視して、テレビ、ラジオにキャンペーン攻勢をかけたことでしょう。
 藤本二三代の「夢見る乙女」があまり世に知れ渡らなかったのも、レコード会社の商業戦略のちょっとしたミスと言えそうです。

投稿: かせい | 2017年10月28日 (土) 01時25分

藤本二三代ファンの皆様「武蔵野に泣く」と言う歌があります。聞いてみて下さい。甘ったるいとか何とか言われようと好きな物は好きなんだから・・・・・・

投稿: 海道 | 2017年10月28日 (土) 15時32分

かせい さま
大変嬉しいコメントありがとうございました
今、藤本二三代の「夢見る乙女」のSP盤を前にしてこのコメントを入力しています。
といいますのは、この曲が流行ったころは、私が高校2年の時で、このブログで初めてこの曲を聴いた時は、昔、ある女性歌手が美しい歌声で歌われていた記憶はありましたが、この度のかせいさまのコメントを拝読し、改めて私の「流行歌SP盤コレクション」(定年退職後、10年ほど県内の古物商等から買い求めたもの約400枚)の曲目索引を見たところ、ありました!ありました! かせいさまのおっしゃるB面が「夢見る乙女」・A面が「有楽町で逢いましょう」のSP盤・・・早速、愛用の「蓄音機」(昭和8年頃のコロムビア製)で再生・・・ジージーと針音がしますが、いかにも彼女自身が目の前で歌っているようにさえ思え,暫し蓄音機の前に釘付けになりました。
これぞ蓄音機での再生の醍醐味ではないでしょうか。
改めて、かせいさま コメント ありがとうございました。


投稿: 一章 | 2017年10月28日 (土) 21時10分

 一章さま
 お役に立てて良かったです。
レコードリリース時は私は小学2年で、TVは近所にも無く、流行歌は殆どラジオで覚えました。 それにしても、SP盤のコレクションの数、凄いですねー。蓄音機もあの独特のアームのものですよね。小学校のとき放送室で操作するところをジーッと見入っていたことを思い出します。どうぞ大切になさって下さい。

 歌詞にある、「花の街角 有楽町で 青い月夜の 心斎橋で」とは、『そごう』の東京店と大阪本店のある場所のことなのですね。 それで納得しました。ビクターレコードさんも、もうすこし「夢見る乙女」を強くプロモートして欲しかったですね。 美しい澄んだお声がもったいない……。

投稿: かせい | 2017年10月28日 (土) 22時48分

 
 二木先生

   こんばんは

 またまた 勝手なことを  綴りたくなりました
      お許しください

 この 夢見る乙女  は聴いたこともないだろうとは
 思うのですが

 歌われている 藤本二三代  を人知れず恋していたというか
 女性として よい感じの方だなぁと思っていた 記憶があるのです

 丁度 テレビが一般家庭に普及しだした頃でしょうか
  藤本二三代さんに 憧れを抱きだしたのは

 何か  その方の 不幸を感じるから 余計に惹かれる
 そういうことだったのでしょうか  影をもつ方にひかれるのですね

 奈良光枝さんも 早く亡くなられましたね
   結核でした

 法律で どう 決めようが
  男性と女性では 役割は異なります

 その 役割の違いをよく認識しながら
  女性を助ける気持ちで 接する これが大切でしょうね
   ーーーハラスメント  駄目です

 無償の愛  謙虚  足るを知る  などの
   言葉が浮かんできます

 思考が 支離滅裂かな

 

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年5月 2日 (水) 22時31分

この歌が流行り始めた昭和32~33年頃の私は、母子家庭の貧しさや悲哀を身にしみて感じていました。
大学進学を目指して、脇目もふらず頑張っている級友達の中で、進学か、就職か、その はざまの中で揺れ動いている
日々でした。

そんな時に、ラジオから流れてくる 「夢見る乙女」 「好きな人」 「花のマーブル通り」等の 甘く乙女チックな彼女の歌声が なんとも新鮮な感じで、私の悩む心を癒してくれました。
藤本二三代の 可愛らしい半泣き顔のような表情が、とても好きで 揺れ動く私の青春期の 好みの女性像を作りあげたような気がします。

特に、「好きな人」の、♪あなたのためなら~ なんでもするわ~ の フレーズの部分が心地よく、好きな曲です。

因みに、私のカミさんは、泣き顔ではなく 「笑い顔」ですが・・・。

今日は、昨日からの鬱陶しい天気で、六甲も雲の中ですが、今から山荘に上がります。

♪あなたのためなら~ なんでもするわ~

カミさんの ”頑張って~” の黄色い?声援を 背中一杯に感じながら・・・。

投稿: あこがれ | 2018年5月 3日 (木) 08時46分

藤本二三代さんの歌声はきれいですね。

藤本二三代さんが♪好きな人 さん、
「ファンでした・・はて、どんな歌」
4回もコメントしておられるのに「夢みる乙女」アップして・・?
「有楽町で逢いましょう」と同じ ヤ行の歌 にあります。
此方を引き上げておきましょう。

投稿: なち | 2018年10月31日 (水) 05時16分

なちさん

アッハハほんとですね。「4回もコメントしておられるのに『夢みる乙女』アップして」」とリクエストしてしまったのは私です。最近とみに自分の記憶に自信がなくなりました。

藤本二三代という名を見ると、嬉しくなっちゃうんです。それ以外の曲もアップして頂ければ幸せです。

投稿: 吟二 | 2018年10月31日 (水) 20時00分

最近の吟二さんとなちさんのおもしろいやりとりをきっかけに、このコメント欄を全部通して読みました。
吟二さん、かせいさん、海道さんたちの藤本二三代へのご執心ぶりが三つ巴のようになって、なんとも面白いです。
ラジオの時代だから、純情な少年が彼女の甘い声にしびれたんでしょうね。歌詞の「抱かれて溶けて」も刺激の強すぎるなやましい言葉です。

 私もこのサイトで藤本二三代を知ってからこの歌以外に『好きな人』『花のマーブル通り』なども数十回聴きましたが、甘えたような声に魔性のようなものを感じました。媚薬のような声といってもいい。純情な少年には危険すぎる声です。
今、YOUTUBEで35歳当時の藤本二三代が、日本髪で『好きな人』を歌う姿を見ることができます。潤んだ瞳、ひかえめそうな表情、かわいい小顔で、思わず魅入ってしまいました。これまた魔性の顔です。もう少し早く生まれていたら、確実にはまっていた歌手でしょう。

 私は、小学校6年生の頃、明石城の菊人形展で行われたイベントとして行われた「あやめ池少女歌劇団」のラインダンスを最前列近くで見ました。その後、1週間ほど女性の太ももがちらついて、寝苦しい夜をすごした経験があります。あの年頃の少年の感受性は、きわめて危ういものです。
 ハコベの花さんの「馬鹿じゃないの」というつぶやきが聞こえてきそうですが、勇気をだしてコメントしました。

投稿: 越村 南 | 2018年11月 1日 (木) 02時34分

藤本二三代さんの娘に藤本じゅりさんがいますが彼女に昔の二三代さんを求めても無理なのは分っていても青春の始まりの頃夢中になって聞いた二三代さんの美声はわすられませんYサイトにあるのはしっていますが、このサイトに無ければ駄目なのです。先生。

投稿: 海道 | 2018年11月 1日 (木) 15時21分

越村様
「馬鹿じゃないの」とは言いません。初恋の清らかな思いが沈んでいくようです。それにしてもこの歌の3番は乙女が見る夢ではない事だけは知っておいて下さいね。

投稿: ハコベの花 | 2018年11月 1日 (木) 17時01分

二木先生  
   こんばんは  ご無沙汰いたしております

 以前にも 書かせていただきましたが
   藤本二三代さん 魅力的な 素敵な方でしたね
   その当時は 芸能人でも 
   余り私生活まであばかれることはなかった
     と記憶していますが 
       どうでしたでしょうか 
 
   大人しい感じで 男の前にでない  
   これも 女性の美徳の一つだったのでしょうね

   美人歌手で こういうタイプの方に
     奈良光枝さん  榎本美佐江さんがおられます
   

   美人薄命 薄幸  この言葉どおりの方たちでした
     (勝手な解釈かな?) 

 
  越村 南さま の書かれた 
   明石の菊人形 懐かしいです

  僕も 祖父に連れられ 幼稚園児のころから 小学生
  前半の数年間は 毎年のように明石城に行きました
   天守のない 小さなお城ですが 城郭内の建物内部
  廊下 などを廻り 角角が菊花で飾られ
  歴史にまつわる場面が(人形の衣装を菊でつくり)
  順に出てくる配置になっているのです
 (毎年 テーマは変わり 源平 太閤記 正成 など) 
  室内ですから 馥郁たる菊の香りの刺激もあり
  こどもながらに 心地よい三感の記憶が強く残っています

  阪神間では 枚方の菊人形も有名でしたが 城という
  窮極の歴史の中にある明石の菊人形への思い入れが強く 
   結局 枚方には 行かなかったですね

  神戸には 相楽園という 都市公園があります
  県庁のすぐ北 諏訪山小学校の前にあります
  元神戸市長 小寺謙吉氏の先代小寺泰次郎氏の
  本邸に営まれた庭園で 
    池泉回遊式日本庭園を中心に
   船屋形(重要文化財)旧小寺家厩舎(重要文化財)
   旧ハッサム住宅(重要文化財)などを周囲に配し
  神戸の真ん中に こんなところがあるの? と思える
  ような所です 
   いろんな会に提供され
   菊花展も催されます  
   こちらは 菊の優秀さを 競うイベントかな
  
  高校の卒業アルバムでは クラスのグループ単位で
  好きな 場所 時 に撮った写真がのるのですが
  相楽園で写した連中 多いです  
  菊花展の菊の前で 写しているグループもあります  
   僕が能勢に来る原因をつくった彼女が
    菊の前に写っていたのも不思議でした
  
  縷縷 藤本二三代さんからの 連想で
   懐かしい思い出に 浸れました

    有り難うございました

   今 藤本二三代「傷心の湖畔」がきこえています

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年11月 4日 (日) 21時36分

何と言われようと彼女の声は少年?の心を揺すったのです。花の大理石通り、好きな人どちらでもアップをせつに望みます。

投稿: 海道 | 2023年5月 3日 (水) 10時54分

この歌が「有楽町で逢いましょう」のB面だったとは・・<蛇足>を読まなければ気づかなかったです。
「有楽町で逢いましょう」の方が断然有名ですが、歌詞を静かに見比べてみると「夢見る乙女」の方が歌詞の生命力が長いような気がします。幸せを得る方法をにおわせているから。「有楽町で逢いましょう」は今週、来週あるいは今月、来月程度の長さの範囲で、楽しい日々の過ごし方を述べているだけ。また横文字表現が嬉しかったらしく、ティルーム、ブルース、デパート、シネマ、ロードショウなど乱発ぎみ。でも当時の人の心しっかりつかんだから立派なものです。昔、忘年会の2次会で行ったカラオケ屋で私が「有楽町で逢いましょう」を歌ったら、「2番を歌わせて」、「3番はボクに」と年下の人にマイクを奪われた経験がある。それほど普及した歌だった。
「夢見る乙女」は忘れられた名歌とよぶにふさわしい歌であります。ただ歌っている藤本二三代さんは美しすぎますね。歌を聞くより美顔に見入っている自分に気づき、これはいかんと思ってしまう。歌手というのは美人すぎるのはよくない。今でいえば藤あや子ですが、この人も歌を聞くのに集中できない。そう思うのは私だけでしょうか。

投稿: 越村 南 | 2023年11月 8日 (水) 11時29分

テレビはほとんど見ない私ですが、ユーチューブで「幻の貴重映像 東洋の魔女」というものがあった。1964年の東京オリンピックの女子バレーボールの決勝戦が丸々写されていた。48年間行方だっだったフイルムが見つかったので幻の映像というそうだ。私は東京オリンピックの時は中学3年生だったがまだ家にテレビはなかった。だから60年ぶりに初めてこの試合を見た。
日本対ソ連の試合は15-11,15-8,15-13という日本のストレート勝ちだったが、臨場感は当時の空気を十分伝えるものであり、1点取るたびに、また取られるたびにどきどきはらはらした。
日紡貝塚のメンバー6人は正直いって身長、体格の点でソ連と比べ貧相で、大丈夫かなと不安を持ったが、相手の強烈なスパイクをしっかりと受け、上手なトスを上げて味方の攻撃を見事に助ける。その技がなんともすばらしく、東洋の魔女とヨーロッパのメディアから呼ばれたのはこれかと思い知った。三島由紀夫がスポーツ映像で初めて涙を流したのがこの試合といったのもわかった。スポーツの枠を超えた大きな出来事でありました。


なお東洋の魔女とは
河西(かさい)昌枝 
宮本恵美子
谷田絹子
半田百合子
松村好子
磯辺サタ 
この6人だが、河西は80歳、宮本は86歳、谷田は81歳、磯辺は72歳でそれぞれ亡くなっています。
自分のもつすぐれた能力をどこまでも高めようと頑張った生き方も素晴らしいが、それが終わったらきっぱり過去を捨てて、皆さん結婚してよき妻よき母をめざしたのですね。私はそこに強く打たれます。そんな平凡な道をめざしていいんですか、いやそれでいいんですね。
そこで東京オリンピックの7年前に作られたこの歌を思い出しました。
♪ 乙女が燃えて 見るその夢は 
  愛の灯影(ほかげ)の スイートホーム
もちろん10人いれば10通りの夢があるんでしょうが、あの頃は夢にも幸せにも共通項のようなものがあったと思います。その時代の空気が吸えたような気がしました。

投稿: 越村 南 | 2024年7月10日 (水) 20時27分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 母 | トップページ | 悲しき雨音 »