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2016年2月22日 (月)

旅の終りに

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:立原 岬、作曲:菊池俊輔、唄:冠 二郎

1 流れ流れて さすらう旅は
  きょうは函館 あしたは釧路
  希望も恋も 忘れた俺の
  肩につめたい 夜の雨

2 春にそむいて 世間にすねて
  ひとり行くのも 男のこころ
  誰にわかって ほしくはないが
  なぜかさみしい 秋もある

3 旅の終りに みつけた夢は
  北の港の ちいさな酒場
  暗い灯影(ほかげ)に 肩寄せあって
  歌う故郷の 子守唄

《蛇足》 昭和52年(1977)に日本コロムビアから発売。冠二郎の初の、かつ最大のヒットとなりました。

 作詞の立原岬は五木寛之の別名。昭和52年4月7日から同年9月29日まで25回にわたってテレビ放映された朝日系列のドラマ『海峡物語』の挿入歌に使われました。
 原作は五木寛之の同名小説で、『艶歌』の続編。両作とも、伝説の音楽プロデューサー・馬淵玄三が主人公。馬淵玄三については、『北帰行』の蛇足で少し触れています。

 『旅の終りに』の最初の2行は、戦前に東海林太郎が歌った『流浪の旅』(作詞・作曲:宮島郁芳、後藤紫雲)の歌い出し「流れ流れて落ち行く先は/北はシベリヤ南はジャバよ」に似ています。パクりだという人もいますが、この程度の類似はよくあることで、本歌取のようなものだといっていいでしょう。

 この歌は旅をテーマとしていますが、旅には陽の旅と陰(いん)の旅、もしくは正(プラス)の旅と負(マイナス)の旅があると思います。前者は目的または目的地がはっきりしていて、多くの場合事前に予定を立てて行われるもので、通常は旅行と呼ばれます。
 いっぽう、後者は、その時どきの気持ちや都合で
当ても期限もなくさまようもので、漂泊、流浪、放浪、彷徨、流れ歩き、さすらいといったことばで表現されます。

 江戸時代の旅人いえば、まず浮かぶのが松尾芭蕉。『奥の細道』の冒頭に、「予もいづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ……」とあります。
 漂泊についての当時の語義や、
人びとの語感がどうだったかわからないので、断定はできませんが、私の語感では芭蕉の旅は漂泊とは違うような気がします。

 芭蕉は、ここではこれを見たいと思ったものを見ているし、経路もほぼ予定どおり。宿泊先も、宿屋、俳諧仲間や門人の家です。おまけに、身の回りの世話をする門人も同行しています。
 『奥の細道』の前に東海道を歩いた『野ざらし紀行』もそうですが、漂泊というより長期の吟行あるいは旅行といったほうが当たっていそうです。
 旅行以外の言葉を使うとしたら、回歴、回遊、遊歴、
経巡りでしょうか。

 私が青春期に心惹かれたのは、陰の旅、負の旅のほうです。 大衆演劇に例をとると、赤城山に追い詰められた国定忠治が手下にいうセリフの「当ても果てしもない旅」ですね。これが本来の漂泊、流浪、放浪、彷徨、流れ歩き、さすらいだと思います。
 種田山頭火や尾崎放哉の後半生は、これに近いといっていいでしょう。

 有り余る資金があって、足の向くまま、気の向くまま各地を経巡る、という人もたまにいますが、これは形は漂泊や放浪に似ていても、予定を定めない遊歴、回遊でしょうね。

 陰の旅、負の旅には、うらぶれ感、落魄感が伴っていなくてはなりません。こうした暗鬱な情感は、旅が失望や、それより強い絶望から始まることにより生じます。

 そして、失望や絶望の原因は、多くの場合、失行や自堕落、家庭や仕事の行き詰まりなどによる居場所の喪失ですが、青春期で最も多いのは失恋でしょう。
 厭世感ないし哲学的懊悩から漂泊に出るといった例もありますが、青春期におけるこうした悩みは、たいてい陰に失恋が隠されています。

 それでは、私はなぜ陰の旅、負の旅に惹かれたか。それは、たとえば肌を刺すような寒風の吹く道や、冷たい氷雨の降る道を長時間歩いているようなときに生じる「うらぶれ感、落魄感に似た感覚」が、私の中に一種の快さを呼び覚ましたからです。

 学生時代、自分の愚かさやだらしなさから世の中が嫌になったことがありましたが、実際に漂泊に出ることはありませんでした。
 手持ちの金に加えてわずかばかりの持ち物を売り払ったら、仙台か盛岡あたりまでいけるが、その先はどうするか――こうした計算を始めた段階で、自分が「当ても果てしもない旅」に向いていないとわかりました。

 いろいろ嫌になっても、実家に帰って満面の笑みで迎えてくれる父母を見れば、薄っぺらな厭世感は雲散霧消しました。
 漂泊や放浪は、私の場合、ついに観念的な憧れに終わったのでした。

YouTube=https://youtu.be/on7jAb_Wwkc

(二木紘三)

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コメント

何時もながらの奥深い説明を読ませて頂き、有難うございます。山頭火を知ったのは10代の終わりでした。二人の兄達から【金魚のフン】とか「ひっつきむし」とか言葉で傷つけられながらの日々。父が好きな山歩きのお伴をさせてくれたのは私一人。その時にあれやこれや話をして歩きました。その時の一言、一言が忘れられません。その父から聞いた名前が【山頭火】という名前でした。私が人並みに年を取りしみじみ思うのは「山頭火」に父は憧れていたのでは?・・・・。親族家族を纏めていた立場の父には、彼の人生が内心羨ましく感じたのではと、年を重ねるために申し訳なく思うのです。何しろ喪主を8回も経験したぐらいの父ですから、責任感としがらみにがんじがらめの人生だったのでしょう。ひとしきり「山頭火」の話をしたあと、「彼の話は人にはしない方がいいよ」とぽつりと言いました。正統派じゃないから批判する人も多いからねとも。
あの【小百合さん】は「山頭火」が好きだから【早稲田】に進学しましたとの発言されていました。
60歳代になって、「山頭火」に関する本や句集を買いあさった日もあります。すべてが懐かしい思い出となりました。

投稿: mitsuko | 2016年2月22日 (月) 02時12分

『旅の終りに』は作詞作曲者よし歌手よし背景ドラマよしの3拍子揃いで、昭和50年代カラオケスナックで会社同僚やスナックママと下手クソな音程でよく唄ったものです。
TVドラマ『海峡物語』はレコードディレクター“艶歌の竜”(芦田伸介)が新曲リリース新人歌手と苦闘するといった内容でしたが、挿入歌『旅の終りに』が毎回流れる演出がドラマを盛り上げてました。埼玉秩父出身冠二郎は年齢の5歳サバ読み(66歳→71歳)が去年バレましたが、当方と同年齢で老骨に鞭打ち頑張って貰いたい歌手です。

投稿: 焼酎百代 | 2016年2月22日 (月) 10時16分

 「蛇足」の感想になります。
 山頭火に惹かれる人は、私のまわりにもたくさんいます。なぜでしょうか。
山頭火は、社会的落伍者、社会的不適応者であります。しかし、一本どっこの生き方や、貧苦の中で俳句を追求する姿から、一度知ったら、強い印象をうける人です。
 分け入っても 分け入っても 青い山
いいですねえ、目的のない旅、この年(66歳)になってもあこがれます。

 二木先生の体験、学生の頃、有り金をはたいて仙台、盛岡まで行ってみても、その後どうするかをつい考えてしまった・・リアルなものを感じました。インテリや常識人の弱さでしょうね。先のことを考えろと小さい頃から、ことあるごとに教えられて、大きくなったんですから、それは無理というものです。
 身を捨てて浮かぶ瀬もあれといいますが、あとさき考えずに、身を捨てて飛ぶのは、普通の人には、至難のわざ。ある意味、選ばれた人にしかできない。
 ですが、本当にやりたいことをやろうと思ったら、普通の人にも、身を捨てる瞬間は、かならず訪れると、自分の経験から思います。

投稿: 紅孔雀 | 2016年2月22日 (月) 12時56分

うらぶれ感の快さ、それはうすっぺらな厭世感・・先生の言葉に全く同感です。もう一つ「本歌取りのようなもの」にも啓発されました。長いことこの2つの歌さらに裕次郎最晩年の「北の旅人」が頭の中でもやもやしていました。本歌取りが認められる条件はテーマが異なることですが流浪の唄は日清日露の戦を越え最後の帝国主義国に滑り込んだ日本の海外拡張が下敷きですが、旅の終わりは恋をなくしてやけになった男の心を歌ったということで全然違いますね。

投稿: しょうちゃん | 2016年2月24日 (水) 18時17分

 この種の私の好きな曲を少しあげますと、三橋美智也の「北海の終列車」や小林旭の「さすらい」、水森かおりの「五能線」のように失恋の傷心を癒やしに、旅に逃れる歌は辛く、哀しくなりますが、 織井茂子の「君の名は」や藤圭子の「京都から博多まで」、北島三郎の「伊勢の人」、舟木一夫の「高原のお嬢さん」、美川憲一の「釧路の夜」、石原裕次郎の「北の旅人」のように別れて、去っていった恋人を探しに、あるいは会いに行く歌は、せつない中にもどこか希望があって好きです。例えば「高原のお嬢さん」のように、♬ 東京の空のどこか-あの人は住んでいる-♬・・と言うのが、又、いつか二人がひょっこり逢えそうでいいですね。「釧路の夜」でも、別れてしまったが忘れられなくて、いつもデートをしていた幣舞橋に行けば、ひょっとしたらあの人も来ていて、逢えるかも知れない・・と思う気持は痛いほど分ります。            
 でも、余り恋に盲目になると周囲から次のように笑い者にされますのでほどほどに・・
 それは、昭和の「君の名は」におけるユニークな謎掛けにあります。私も答えを聞いて大笑いした一人ですが、陳腐化した話しで申し訳ありません。高齢者の皆さんは知っておられると思いますが披露させていただきます。 
質問は
後宮春樹の職業とその理由を当てるものです。
 ご存じのように、後宮春樹は北から南まで女《氏家真知子》を探し回っている青年ですが、視聴者から「あの男は仕事もしないで女の尻ばかり追いかけている。一体何者だ?と言う声があったそうです。
 さて、その職業とは何でしょう?
[ヒント]
①国鉄職員 ②航空会社の職員 ③新聞記者 ④警察官
*答えは、交通費が安上がりだから①の国鉄職員?ブー:正解は④の警察官です。警察官も交通費が安いかも知れませんが、でも、その理由は彼は佐田啓二だから刑事だそうです。「何だつまんねい!!」と言う声が聞こえますが、そのとおり、後で調べてみると本当は雑誌社の記者だったとありました。残念!どれも不正解・・ お後がよろしいようで・・・

投稿: 迷える古羊 | 2016年9月14日 (水) 14時57分

実年齢を5歳若くサバ読んで去年カミングアウトした冠二郎は自分と同じ生まれ年のため(昭和19年)、これからも頑張ってほしい歌手です。
毎回『旅の終りに』が流れたテレ朝連続ドラマ「海峡物語」(昭和52年)は、今日ビの原作も脚本もパッとしないTVドラマと違い、五木寛之ワールドにぐいぐい引き込まれ毎週欠かさず視たものです。
主人公「高円寺竜三」(艶歌の竜)のモデルは、伝説の音楽ディレクター馬淵玄三(元日本コロムビア常務→日本クラウンの設立に参加)だそうですが(Wikipedia)、ドラマの進行とともに『旅の終りに』が出来上がっていく盛り上げ方の演出は実に見応えあったものです。

投稿: 焼酎百代 | 2016年9月17日 (土) 19時52分

五木作品で最も好きなのが
「旅の終り」です。
モデルがいらしたのですね。
漢気に満ち溢れた「高円寺竜三」に
魅了されました。
山本周五郎の「さぶ」も同様に時折読み返しては
「漢気」に酔いしれます。

投稿: りんご | 2016年9月18日 (日) 08時07分

 男のホームレスに、悲しいかな逃げたのね、と思いますが、女のホームレスには(めったにいませんが、でも見かけるときがあります)、疑問符を覚えます。容姿は衰えても心は美人でありたいと、女って死ぬまで思うのではないかと思うのは私だけでしょうか・・・

 それでも私も種田山頭火が一番です。紅孔雀さまの好きな山頭火の句「分け入っても 分け入っても 青い山」なんともいえなく私も好きな句です。以下好きな句を並べてみました。
     
     ・ もりもり 盛りあがる 雲へあゆむ
     ・ ほととぎす あすはあの山 こえて行こう
 
 そして ・ ほろほろ酔うて 木の葉ふる
      ・ 酒がうますぎる 山の宿にいる
 
 終わりに・ うしろすがたの しぐれてゆくか

 純米酒「李白」を杯につぎながら気持ちは「過客」です。失礼いたしました。

投稿: konoha | 2017年5月27日 (土) 21時02分

種田山頭火には強く魅かれますが、私にはもう放浪できる足腰の強さがないのが残念です。学生の時、12月、公園のベンチの下で野宿したことがあります。寒さに震えて一睡もできませんでした。あの寒さと野宿の辛さはもうこりごりです。我が家には冬の部屋の暖房器具も夏のエアコンもありませんが、ここ数年夜寝るときは電気毛布を敷いています。冬の電気毛布はいまや私の命綱です。

山頭火の句はどれも好きですが、私は酒が嫌いで、酒のうまさがわかりません。konoha様ご紹介の山頭火の句に似せて私も一句作ってみました。

 ・おにぎりとお茶がうますぎる 田んぼのお昼

これだと山頭火とは全然違うんでしょうね。

投稿: yoko | 2017年5月28日 (日) 23時07分

 yokoさま、お酒はとても個人的なものと思っています。無理に飲まなくたっていいのです。私たちの年代、またそれ以上年代の男性で、飲めないお酒を無理強いされて来た人たちを何人も知っています。罪な時代だったと思っています。
 
良い句ですね。 「おにぎりとお茶がうますぎる 田んぼのお昼」 情景が浮かんできます。山頭火の句にこんなのがあります。
   
   ・山のあなたへ お日さま見送り ご飯にする
   ・てふてふ うらから おもてへ ひらひら

 

投稿: konoha | 2017年5月29日 (月) 06時06分

 「紅(あか)とんぼ」での皆様のコメントからこちらへきました。人それぞれに人生いろいろな意味での仕舞い時があるのでしょうね。何かやり残したことがあるのかなと振り返ってみても、自分の性格を考えると、良い悪いは別にして忘れてきたものはないんじゃないかと思います。あの時ああすればよかった、こうすれば違ったかも知れないと無念さを思っても、人生という旅の途中で起った諸々の出来事への対処は、己の性格を考えるとその時はそれがきっとベストだったんだろうなと、この歳になって判るような気がします・・・・・・  
 旅の終わりに近づいてきて思うことは、自分なりに「終わり善ければ全て善し」をモットーにしようかなと思いました。決して達観出来るような人間ではないし、好奇心の強い人間ですので、どこでつまずくやも知れません。でもそれもありかなと思います。終わり良ければ全て良し。(あまり歌とは関係なかったですね。でも時々考えてしまいます。)

投稿: konoha | 2018年5月11日 (金) 11時44分

越村南様・konoha様
越村様のお名前を久しぶりに拝見して嬉しく思います。ずいぶん長くコメントを拝見しなかったので、ご病気でもしていらっしゃるのではないかと懸念していました。
人生は旅とよく言われますが、「はるけくも来つるものかな」をしみじみ感じています。反面、数十年があっという間に過ぎ、、仕舞支度をしなくてはならない時期が来てしまったようにも感じています。人生って一体何だろうという今更ながらに考えています。

投稿: ふ-にゃん | 2018年5月12日 (土) 13時26分

ふーにゃん様
 お気にかけていただき、ありがとうございます。本当にうれしいです。病気ではありませんでした。毎日2度3度はこのブログを拝見しています。もともと投稿しようと気持ちにムラがあり、発火点に達しないと筆を持つ気がおこりにくい性質(たち)です。
私が、かつてまめに投稿したのは、ウンホア県という田舎に住んでいた頃、そこは日本人が全然いない所で、日本語を全く使わない生活が1年、2年と続きました。毎日ベトナム語に囲まれて、さすがに精神的な何かが崩壊しかけていた時期、このサイトにめぐり逢い、投稿をたくさんしました。日本語で文字をつづれる喜びがあり、救われるような気持ちがありました。今でも、私が発狂せずにすんだのは、このブログのおかげという感謝の気持ちがあります。
 田舎の生活は4年ほどで終わり、今はハノイ市のハドン地区に住んで4年目です。最近は、仕事の上で毎日日本語の堪能なベトナム人と話すので、日本語の会話をしたいという欲求不満はありません。その分、文章を書くという作業に怠惰になっているのかもしれません。これは反省です。
日本の心、日本人の情感はこのブログでなければ、味わえませんね。

 ふーにゃん様、ほんとうに人生ってなんだろう?ですね。
生まれてきた時も一人、死ぬ時も一人ですから、人生は峻厳なものかもしれない。でも難しい顔をして考えることでもなさそうですね。


投稿: 越村 南 | 2018年5月12日 (土) 23時37分

”立って半畳、寝て一畳、天下を取っても二合半”、と言われますね。「旅の終わりに」の支度として私は少しずつ持ち物を減らしてきました。

定年の数年前から、生命保険、医療保険、がん保険を解約し、新聞、テレビを止め、電気のワット数の契約を変更して基本料金を減らしました。運転免許証も返納しました。その他いろいろと生活の工夫をしています。昨年まで使っていた電気毛布も今年の冬は止めました。下着やセーターの重ね着とマフラーを首に巻いて冬の寒さも乗り切ることができました。それも旅の終わりに、楽しいものです。

このようにして退職後の10年間、何とかやりくり出来てきましたが次の10年も頑張ります。

焼酎様が「俺はお前に弱いんだ」で挙げられた各界の著名人、皆さん人生を太く活躍して生き抜かれた方々ですね。私も土光さんに魅せられました。本も一冊持っています。「土光敏夫 21世紀への遺産」、私もかくありたいと感激しました。もう一度読みたく取り出しました。

ただ、残念ながら今の私の命題は、家族に迷惑をかけずに出来るだけ細く長く生きることです。人生の意義はともかくとして、とにかく生き続けなくては・・・。私の年金が私の家族の命綱ですから。

投稿: yoko | 2018年5月15日 (火) 19時05分

〽旅の終りにみつけた夢は 北の港のちいさな酒場・・・歌う故郷の子守唄
菊池俊輔作曲・冠二郎歌唱と相まって唸りたくなるくらいの名調子です。
yoko様はいろいろと工夫されているようですが、年金暮らしはどこの家でも似たり寄ったりです(節約術の例:穴があいた靴下はカミさんの手を煩わせずに自分で何回でもしつこく補修して履いています(笑))。今月は自動車税と浄化槽年間管理料でガバッと持っていかれ、乏しい年金暮らしの身には、今日のような真夏日でも真冬のようにこたえる今日この頃です。
↓演歌Music japoneseさん提供
http://www.youtube.com/watch?v=LWCKfDtIY8Q

投稿: 焼酎 | 2018年5月15日 (火) 20時25分

 焼酎さんお久しぶりです。今夜の薩摩イモ焼酎は「うまか」でしょう^^。
 大河ドラマの西郷どん、奄美の竜郷町に流され、そこであらたな人生がはじまりました。私の卒業した隈府中学校の正門前には菊地武時公の銅像がありました。東の楠公さんと同じように菊地では「武光公の武勲、菊池精神」を人生の先輩から何度も教わりました。菊地俊輔氏の先祖は菊池氏かも?と思いながら「旅の終わり」♪を聞いています。
 
 「人生いろいろ」,「山あり、谷あり」の人生、yokoさんの命題は「家族に迷惑をかけずに出来るだけ細く長く生きる」と控えめに表現されています。
 「人生とは何だろう」と思いながら越村 南 さんは異国で淡々と過ごされている。「この世は芝居の舞台であり、男も女もすべてその役者に過ぎない。(シェイクスピア)」と言った人もいます。
 私は10数年前から脊柱管狭窄症で悩まされ、座っても歩いても左足に「ピリッ」と鋭い痛みを感じていました。60歳までは組織の都合で全国を22回引っ越しました。2人の子供たちは小学校を4回(長女の場合千葉、鹿児島、熊本、札幌)づつ転校しています。経済的には苦労しました。やっと食べるだけの生活だったと思います。最近この頃の話になると妻は「毎朝 まだ 生きている」と思ったそうです。ほぼ2年毎に職場の人間関係、生活環境も変わりました。性格的に合わない人もいました。「嫌な人に会わないように逃げる」と不思議に思わぬところで会ってしまいます。失敗をそれなりにしています。
 しかしkonoha さんのように「終わり善ければすべて善し」と楽観的に、ポジティブに考えるようにしています。いつ旅の終わりがくるかもしれませんが、「生かされていることを感謝しながら今を一生懸命」生きていればいい人生だったと言える気がします。
 吟二さん、りんごさんは長い間、高齢者に「感動」を贈られる活動、芳勝様のお母様を大切にされる心、一章さんの宅配業務、その他二木先生を愛される先輩方の生き方を参考にしています。
 そのため①健康 ②家族の協力 ③社会活動に使える少しのお金の保有 ④感謝 を心がけています。 
 「人間到る処青山あり」が私の人生のような気がします。

投稿: けん | 2018年5月15日 (火) 22時16分

「うた物語」に出会えたことで、自分の心の中に溜まっている淀んでいた水が、皆様から寄せられたご投稿の文面を拝読していく度に、どこからか湧き出てくる透きとおった水を、少しずつ誰かに頂戴しながら、自分の心が浄化されてきたような、そんな気がしています!
時々、胸に散らついていた、歳を経っていく寂しさも、誰かが消してくれているような、漠然としていますが、そんな感じさえも覚えます。

けん様
22回もの引っ越しをされたとか!組織の都合とはいえ、それは想像以上に大変なご苦労がお有りになった事とお察しますが、その都度、奥様、お子様のご理解を得られて実現された、けん様とご家族様との絆の強さを感じます。
先日、広いお庭のあるお宅で、草笛用の葉っぱを数枚頂いてきて、吹いたところ、未だ音を出せていませんが、あきらめずに練習します。
それに、私が憧れを抱くkonoha様も、草笛に前向きに挑戦されておられます。目標に決めた「想い出のアルバム」が、吹けるようになるまでは、楽しみながら続けます。


投稿: 芳勝 | 2018年5月16日 (水) 15時22分

yoko様、焼酎様,年金生活の侘しさ、身につまされました。
私は娘が関西に一人で居る事情から時折上洛するものの、てふてふも韃靼に渡るというのに海を越えることもなく一生を終える運命です。これからは けん様の「生かされていることに感謝して」の言葉を胸に生きていくのみです。草笛で人々に癒しを届けるけん様にも想像を絶する物語があったのですね。

芳勝様の真摯なコメントにもいつもながら胸を打たれます。生涯、海外旅行とは無縁の私も、二木先生のブログで皆様のコメントに触れて広い世界を知る思いがいたします。我以外皆我師です。皆様、ありがとう!!

投稿: りんご | 2018年5月16日 (水) 20時13分

 ここまで来て真実思うのは、物事はどっちに転んでも、なるようにしかならないということでした。
美空ひばりの「川の流れのように」の中の歌詞にあるように「・・・地図さえない それもまた人生・・・」、本当にそう思いました。
 残された時間の中で、けんさまのコメントにありますように、感謝しながら今の一日一日を生きていき、そして「終わり良ければすべて良し」でおさらばしようと思っています。

 芳勝さまのコメントに恐縮してしまいました。芳勝さまも草笛に挑戦なさっているとのこと、私も未だに「ピーピー,ブーブー」しか鳴りません。仲間が出来張り合いがでました(笑)。「思い出のアルバム」を奏でるのに、どのくらい時間がかかるのかわかりませんが、お互いにがんばりましょうね。
 
 けんさま、草笛ありがとうございます。

投稿: konoha | 2018年5月16日 (水) 20時49分

〽旅の終りに みつけた夢は 北の港の ちいさな酒場・・・同じ戦争末期生まれの同世代冠二郎の歌唱と、テレ朝名作ドラマ「海峡物語」の名俳優の演技と相まって心に沁みる名曲です。
「うた物語」に、毎回しょうもない駄文投稿した直後は金輪際投稿などやめたと“反省”?するのも束の間、1~2週間たつとまた駄文投稿している者です。これは、やはり二木先生が長年に渡り手塩にかけて育ててこられた「うた物語」の魅力・吸引力と、うた物語愛好者(一章様、けん様、芳勝様・・・)とのネット交流の面白さに尽きるのではないかと思う今日この頃です。

投稿: 焼酎 | 2018年8月 6日 (月) 13時18分

> 旅には陽の旅と陰(いん)の旅、もしくは正(プラス)の旅と負(マイナス)の旅がある・・と解説があります。

・ 人生は旅である。
・ 生きることは 旅すること(川の流れのように)

 私は でこぼこ道、曲がりくねった道、行き止りの道、日当たりのよい道、日陰の道・・などをつど歩いてきたように思います。陽と陰の中間辺りを一生懸命歩いている(きた)ように思います。

 そんな時、「二木先生の歌物語」に出会い、皆様のコメントを拝読しているうち焼酎様、一章様、芳勝様・・はじめ歌物語愛好者の皆様と励ましあったり、休憩をとりながら旅をするようになりました。

 その中には焼酎好きな方もいて杯を交わすようになりました。
 焼酎さんは 「士魂商才 自主・誠実・健康」を心に秘めながら一章様、芳勝様と同じように「苦しいこともあるだろう、云いたいこともあるだろう、不満なこともあるだろう、腹のたつこともあるだろう、これらをじっとこらえてゆくのが男の修行である。」と旅をされているような気がします。

 健康に留意しながらそれぞれの道を楽しく歩みましょう。

投稿: けん | 2018年8月 7日 (火) 14時00分

Konoha様
貴女の文章に魅せられてこうして読み返していると、既に貴女が2017年に、私も2016年9月にここで投稿していたのですね、忘れていました。ここでもkonoha様の文章は冴えていますね、私の当欄9/14「君の名は」での謎掛けは誰か笑ってくれるだろうと思っていましたが空振りでした。いつも要らんことを書き過ぎるのですよね・・聖書にも「聞くことに早く、語ることに遅く、憤ることに遅く」とありますから気をつけたいと思います。
山頭火ですか、私も年を取る毎に好きになりました。 《中学校の国語の先生が5・7・5ではないがこれも俳句だ・・種田山頭火と言って我が故郷山口県出身の俳人が作ったものだ。》と教えてくださったのを覚えています。

ほろほろ酔うて 木の葉ふる  いいですね ―― ここからKonoha様のハンドルネームを作られたのですか?素敵ですね、白玉の歯にしみとおる秋の夜の酒は・・と続きたくなりますね。
 私が頭によぎった木の葉は、松島アキラ「湖愁」で1番の終わりのフレーズにある♪木の葉舟・・かと思いました。浅学ですね---まさかの御本名だったりして・・・
    2018.9.23  迷える古羊

投稿: 迷える古羊 | 2018年9月24日 (月) 00時25分

皆様にお願い
掲載ページの歌とほとんど関係ない私信のやり取りのような投稿がまた増えてきました。これでは元の木阿弥で、交流掲示板を設けた意味がありません。
投稿する前に、内容をよく吟味のうえ、各ページの投稿欄と交流掲示板のどちらに投稿すべきかお決め下さい。
(管理人:二木紘三)

投稿: 管理人 | 2018年9月24日 (月) 02時32分

管理人様
私が投稿した直後に先生が投稿され、《皆様におねがい》とはなっていますが、私あての注意事項とも受止めましたので襟を正したいと思います。ただ、この際折角ですからご確認させて頂きますが、この『旅の終わりに』に記載必須の文言は、私なりに考えたのですが、先生が書いておられる《蛇足》欄にある文言でしたら、つまり、漂泊や放浪がテーマですのでこの歌に直接関係なくても許されるのですね。私も種田山頭火を上げていますので勝手ながらセーフと捉えて良いことにさせて頂きたく存じます。有難うございます。ほっとしました。これからは先生の蛇足をしっかり理解した上で投稿すれば交流掲示板ゆきにならないで安心できそうですね。
2018.9.24  迷える古羊

投稿: 迷える古羊 | 2018年9月24日 (月) 22時12分

迷える古羊さま
私のハンドルネームの由来は「交流掲示板」に投稿しています。どうぞご覧なって下さい。

投稿: konoha | 2018年9月24日 (月) 23時02分

迷える古羊さま
私が「皆様にお願い」を投稿しようと思った時点で最も新しい投稿がたまたまあなたのコメントだったので、そのあとに入ってしまっただけで、他意はありません。「お願い」があなたのコメントのあとに入る結果になったこと、少し強い言い方をしたことでご気分を害されたのなら、お詫びいたします。

この歌を例に取ると、歌の主題が漂泊や流浪なので、それに多少とも関連する内容――感想や自分の体験、類似のコメントの投稿者宛のメッセージなら、この投稿欄に投稿するのが妥当でしょう。しかし、歌の主題とまったく関係のないコメントなら、掲示板のほうにお願いしたいと思います。

かなり長い間、投稿の内容についてゆるいままにしていたのに、急にやかましいことを言い出してなんだ、と思う方も多いでしょうが、できる範囲内でご協力いただけたらありがたく存じます。
(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2018年9月24日 (月) 23時46分

 学生時代ワンダーフォーゲルをしておりました。山行活動後パーティを現地解散すると、ひとり鈍行停車に乗込み、途中下車を繰返すのが常でした。気になる町で降り、放浪するように路地を徘徊し、駅に泊まり、最後に下宿に帰り着いたら50円玉1枚という状況でした。
 就職以降はそういう余裕はありませんが、先生の名「蛇足」を何回も読み、こころしみじみと若返っております。
 歌の知識と名文の宝庫であるこのサイトに、「文章道場」に入門するつもりで駄文をしたためました。先生に甘えすぎない範囲で時々宜しくお願いいたします。

投稿: hiroboo | 2018年9月25日 (火) 14時28分

素晴らしいサイトを世にご提供頂いていることをいつも感謝致しております。懐メロ好きの私は東海林太郎の「流浪の旅」を既に知っていましたので、「旅の終わりに」をラジオで聞いたときは、その「流浪の旅」を4拍子にしてサビのメロを幾分変えて当時の歌謡曲風に作りなおしたものとすぐに認識出来ました。※音楽的には「類似」や「パクリ」という枠には入りませんでしょうね(笑)。昔の佳曲が新たに蘇って大ヒットしたことをとても嬉しく感じました。

投稿: 手風琴次郎 | 2021年4月17日 (土) 10時04分

この曲は「長良川艶歌」とともに、私の数少ないカラオケの持ち歌です。イントロの「タタターン タタターン」と来ると「あっお前だ」と言われるほどでした。音域が合うのか、音痴の私でもなんとかこなしてきました。今後も大事にしたい歌だと思います。蛇足にも書かれているとおり、この曲は五木寛之の小説「海峡物語」の中でつくられた歌で冠二郎のヒット曲となりました。先日、ネット検索中「青春の門2026年6月完結」の記述に行き当たりました。「青春の門」はやはり五木寛之の大河小説で1969年以来延々と書き継がれ、いつ終わるのかとはらはらしていました。
 この小説には、「旅の終わり」の原作「海峡物語」に登場する音楽プロデューサー高円寺竜三が女主人公「織江」の支援者となり、新曲を作る段取りになっています。私はこの小説が完結し、その織江の新曲がどんなものになるのか。また、その曲をどの演歌歌手が歌うのか興味深々です。水森かおりか、市川由紀乃か、坂本冬美か、はたまた九州出身の名もない新人歌手か胸わくわくです。

投稿: 伊勢の茜雲 | 2023年7月16日 (日) 10時54分

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