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2016年4月 4日 (月)

黒い目(黒い瞳)

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


ロシア民謡、日本語詞:門馬直衛/堀内敬三

(日本語詞:門馬直衛)

1 美しき 黒い目よ
  燃えたてる 君が目よ
  こがれては 忘れえぬ
  わが君の 黒い目

2 その瞳 見ざりせば
  のどかにも 暮らせしを
  なやましき 黒い目よ
  わが幸を うばいぬ

3 いつまでも 燃えさかり
  消え去りぬ 黒い目よ
  わが生命(いのち) 絶ゆるごと
  くるおしき 黒い目

(日本語詞:堀内敬三)

1 黒い目 君の目よ
  狂おしく 燃える目よ
  いつまでも まぼろしに
  うかぶのは 黒い目よ

2 あの日の あの夜の
  悲しさよ くるしさよ
  呪われた 愛情は
  飢えていた 燃えていた

3 いつまでも まぼろしに
  浮かぶのは 黒い目よ
  このいのちを かけた恋
  忘れ得ぬ 黒い目よ

(原詞1 イェウーヘン・パヴローヴィチ・フレビーンカ)
1. Очи чёрные, очи страстные,
    Очи жгучие и прекрасные!
    Как люблю я вас, как боюсь я вас!
    Знать, увидел вас я в недобрый час!

2. Ох, недаром вы глубины темней!
    Вижу траур в вас по душе моей,
    Вижу пламя в вас я победное:
    Сожжено на нём сердце бедное.

3. Но не грустен я, не печален я,
    Утешительна мне судьба моя:
    Всё, что лучшего в жизни Бог дал нам,
    В жертву отдал я огневым глазам!

(原詞2 フョードル・イヴァーノヴィチ・シャリャーピン)
1. Очи чёрные, очи жгучие,
    Очи страстные и прекрасные,
    Как люблю я вас, как боюсь я вас,
    Знать увидел вас я не в добрый час.

2. Очи чёрные, очи пламенны
    И мaнят они в страны дальные,
    Где царит любовь, где царит покой,
    Где страданья нет, где вражды запрет.

3. Очи чёрные, очи жгучие,
    Очи страстные и прекрасные,
    Как люблю я вас, как боюсь я вас,
    Знать увидел вас я не в добрый час.

4. Не встречал бы вас, не страдал бы так,
    Я бы прожил жизнь улыбаючись,
    Вы сгубили меня очи чёрные
    Унесли на век моё счастье.

5. Очи чёрные, очи жгучие,
    Очи страстные и прекрасные,
    Как люблю я вас, как боюсь я вас,
    Знать увидел вас я не в добрый час.

《蛇足》 わが国では、『黒い瞳』というタイトルでも知られています。同じロシア民謡の『黒い瞳の』とよくまちがわれます。

 この曲は、ロマ音楽の影響を受けたロシア・ロマンスとして知られてきました。ロシア・ロマンスについては、『一週間』で少し触れていますが、ロシア風歌曲といったところでしょうか。

 作曲者については信憑性の高い資料が見つかりませんでしたが、ナポレオンロシア戦役の際にフランス軍楽隊の隊長だったフロリアン・ヘルマン(Florian Hermann)が作ったとする説が有力です。
 彼が作った曲は2拍子の軍隊行進曲だったようですが、やがて3拍子のワルツで演奏されるようになり、さらにロマ音楽の影響を受けて、私たちが知る 『黒い目(瞳)となりました。

 ヘルマンは、標準ロシア語では Германнと書き、ゲルマンと発音されます。それがラテン文字表記ではHermannとなるのは、ウクライナ語やベラルーシ語では、Г は咽喉音のうちの声門音(発音記号は[ɦ])で発音されるからです。
 この音は、咳払いするときにのどの奥から出すような音、すなわち日本語の「は、へ、ほ」に似た音になるので、Hermannと表記されるようになったようです。

 1812年、ナポレオンは70万人の大軍でロシアに侵攻したものの、ロシア軍の焦土作戦に遭って惨敗、祖国に帰還できた者は2パーセントに満たなかったといわれます。フロリアン・ヘルマンも、おそらく戦死か餓死したと思われます。

 いっぽう、作曲者はドイツ系ロシア人のフョードル・ゲルマン(Foedor Hermann/Фоедор Германн)であるとする説もあります。ゲルマンという発音、および語末のn/нを2つ重ねている点がその可能性を示しています。しかし、彼の経歴も作曲時期も不明です。

 作曲関係の情報がきわめて曖昧なのに対して、作詞の経緯や時期ははっきりしています。
 ウクライナの詩人で作家のイェウーヘン・パヴローヴィチ・フレビーンカ
(Yevhen Pavlovych Hrebinka 1812‐1848)――ロシア語ではエフゲーニィ・パヴローヴィチ・グリビョーンカ(Evgeny Pavlovich Grebyonka)――が書いたもの。

 フレビーンカは、退役大佐の娘、マリア・ヴァシリヴニェ・ロステンベルグに会ったとき、一目で恋に落ち、その美しさを讃える3聯の詩をウクライナ語で書きました。彼はその詩を自らロシア語に訳して、『文芸新聞(Literaturnaya Gazeta)』に投稿、1843年1月17日号に掲載されました。
 翌年2人は結婚しましたが、フレビーンカは1848年12月3日、結核のため亡くなってしまいました。わずか36年の生涯、4年弱の結婚生活でした。

 その約半世紀後、ロシアの高名なバス歌手、フョードル・イヴァーノヴィチ・シャリャーピン(Foedor or Fyodor Ivanovich Chaliapin 1873-1938)が、フレビーンカの詩を下敷きにして5聯の歌詞を作り、自分のレパートリーに加えました。
 彼はそれをイタリアのバレリーナ、イオーレ・トルナーギに捧げ、2人はのちに結婚しました。上の写真は
シャリャーピン夫妻です。

 余談ですが、シャリャーピンの名は、シャリアピン・ステーキの創始者として多くの日本人に記憶されています。
 昭和11年
(1936)に彼が来日した折、柔らかいステーキが食べたいという彼の希望に応じて帝国ホテルの料理長が考案したもので、簡単にいえば牛肉のマリネステーキです。日本以外ではほとんど知られていないので、外国のレストランで「シャリアピン・ステーキを」と注文しても通じないようです。

 2つの詩の英訳を挙げておきましょう。

(フレビーンカ版)
1. Black eyes, passionate eyes,
   Burning and beautiful eyes!
   How I love you, how I fear you,
   It seems I met you in an unlucky hour!

2. Oh, not for nothing are you darker than the deep!
   I see mourning for my soul in you,
   I see a triumphant flame in you:
   A poor heart immolated in it.

3. But I am not sad, I am not sorrowful,
   My fate is soothing to me:
   All that is best in life that God gave us,
   In sacrifice I returned to the fiery eyes!

(シャリャーピン版)
1. Dark eyes, burning eyes
   Passionate and splendid eyes
   How I love you, How I fear you
   Truly, I saw you at a sinister hour

2. Dark eyes, flaming eyes
   They implore me into faraway lands
   Where love reigns, where peace reigns
   Where there is no suffering, where war is forbidden

3. Dark eyes, burning eyes
   Passionate and splendid eyes
   I love you so, I fear you so
   Truly, I saw you at a sinister hour

4. If I hadn't met you, I wouldn't be suffering so
   I would have lived my life smiling
   You have ruined me, dark eyes
   You have taken my happiness away forever

5. Dark eyes, burning eyes
   Passionate and splendid eyes
   I love you so, I fear you so
   Truly, I saw you at a sinister hour

 私感ですが、これらの詩に描かれたような神秘的で情熱的な瞳に出会い、恋に落ちた場合、その人と結婚するというのはどうなんでしょう。
 憧れは実態を知らないことから生まれるといいます。結婚して生活をともにするうちに、黒い瞳の衝撃力は消えてしまうのではないでしょうか。ドストエフスキーも、「人間は何にでも慣れる動物である」といっています。
 恋に落ちてもあえて抑制し続ける、または告白して手痛い失恋を被る――これによって、神秘的で情熱的な瞳の記憶は永く、ときには一生保たれるのではないかと思います。

 このやや哀調を帯びた官能的なメロディが世界に知られるようになったのは、アルフレッド・ハウゼが自作のコンチネンタルタンゴ『黒い瞳』のなかにこのメロディを取り入れて演奏してからだと思われます。

 また、ルイ・アームストロングは、映画『グレン・ミラー物語』のなかで『オチ・チョー・ニ・ヤ(黒い瞳)』というタイトルで、トランペットを吹き、かつ歌っています。
 スペインの歌手、フリオ・イグレシアスは『黒い瞳のナタリー』というタイトルで情熱的に歌い、70年代から80年代にかけて世界的な大ヒットを飛ばしました。

(二木紘三)

(曲および「蛇足」を全面的に書き直したので、再アップロードしました。そのため、以前にご投稿いただいたコメントとの日付がずれています)。

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コメント

昔、好きだったひとの黒い大きな瞳が思い出されます。

投稿: 白川賀博 | 2008年6月22日 (日) 01時25分

私が記憶している歌詞は

美しい瞳です
朝露に黒バラが
息づいているような
美しい瞳

と言うものです。正確かどうかわかりませんが。
この歌詞は由来はどうなんでしょう。
いつ覚えたかわかりません。

投稿: 坂本 | 2011年6月17日 (金) 11時48分

”黒バラ”ですか。鮮烈なイメージを喚起させますね。ウェブで歌詞を調べてみましたら、いくつものバリエーションのあることを知りました。ただ”黒バラ”という表現は見つかりませんでした。東欧では”黒バラ”は葬儀社のシンボルになっております。僕の知っている歌詞の二番に、「私にはあなたの黒い瞳のなかに、私の心の死を悼む喪章が見える」という句があります。この部分の意味を”黒バラ”と表現したのかも知れませんね。僕がこの歌に出会ったのは、私塾でロシア語を習っていたときのことで、「キャビアを、ウォッカを、そしてバイオリンを」(コンサートホール ソサエティ)という題の書かれたレコードを聴かされました。鬼先生が、こう言ってるのだよ、とハルピン仕込みのロシア語で朗々と歌い上げてくれました。

投稿: イサコフスキー | 2011年6月17日 (金) 18時16分

私も坂本さんと全く同じ歌詞を記憶しております。
学校の音楽の教科書にあったのは確かですが、それが中学か高校かははっきりしません。

投稿: yasogy | 2011年7月21日 (木) 23時21分

 昭和47年の札幌オリンピックで、ロシアのフィギアペアがこの曲で金メダルを獲得したシーンを思い出します。
ロドニナという小柄でポッチャリした女性が黒い瞳の曲で華麗にスケートしていました。

 それとジャネット リンが尻もちついて銅メダルを獲ったときの愛くるしい笑顔がよみがえります。
 彼女が壁に落書きした宿舎は今もあるんでしょうか。

投稿: かんこどり | 2011年7月23日 (土) 09時24分

かんこどりさん、ウィキペディアには、ジャネット・リンの落書きは今も保存されていると書かれています。
一方で、「読売新聞(北海道版)夕刊 1997/01/10  シェルターに覆われた地下鉄南北線の終点・真駒内駅を降りると、右前方に黒っぽいマンション群が目に入る。今から25年前の札幌冬季オリンピック大会の女子選手村となった五輪団地だ。銀盤の妖精の愛称で人気を集めた、ジャネット・リン選手がその一室の壁に残した 「PEACE LOVE」 の落書きは、その後、部屋の住民が五回以上も変わるうちに風化して読めなくなってしまった。 / 現在室内を改修中で、江別市在住のオーナー(個人名省略)(62)は 『落書きは残しておきたかったが、時の流れの前にはしようがない』 と話す。」というネット上の記事もありました。
五輪団地そのものは今もあるようですが、落書きはその後本当はどうなったのでしょうね…。

投稿: 眠り草 | 2011年7月24日 (日) 13時12分

私も坂本さん、yasogyさんと同じ歌詞を記憶しています。

昨日まで2番の歌詞を忘れていましたが突然
本日(2012/01/26)歌詞を思い出しました。

1 美しい瞳です
  朝露に黒バラが
  息づいているような
  美しい瞳

2 微笑みを漂わせ
  優しさに満ちあふれ
  それでいて湖の
  神秘さを秘めた

3 美しい瞳です
  夕暮れに明星が
  またたいているような
  美しい瞳

この歌詞は50年ほど前の姉の高校生の音楽の教科書に載っていたものです。

投稿: ねむねむムサシ | 2012年1月26日 (木) 14時52分

私も坂本さんyasogyさんと同じ歌詞を記憶しています。

私が中学の時、教科書以外に、音楽の先生に教えていただいたのは、1番、2番で、3番があることはねむねむムサシさんのおかげで、初めて知りました。

詩にあるような美しい瞳をもった人が、この世にいるのかしらと思いました。

あれから50年ほど経ちますが、まだこのような瞳をもった人に、なかなか巡り会えません。

どなたの作詞なのでしょうか?

投稿: hatonomine | 2012年4月26日 (木) 19時05分

hatonomineさんのお探しの黒い瞳の美女は、私の記憶に間違いがなければ、イタリア出身のシルヴァーナ バンガーノという女優さんが挙げられると思います。『人間と狼』という映画を50数年前に見た時、その美しさに魅せられてしまいました。黒い髪、黒い瞳だったと思います。『苦い米』も見たのですがあまり記憶がありません。『黒い瞳』という映画にも出ているところをみると、やっぱり漆黒の瞳ではなかったかと思います。外国の女優さんで黒い瞳は少ないですね。

投稿: ハコベの花 | 2012年4月27日 (金) 00時15分

訂正です。女優さんはシルヴァーナ マンガーノです。昨夜半分眠りながら書いたので、バとマを書き間違えてしまいました。真っ白な肌に黒い髪と目、肉感的で妖艶な美しさを持った女優さんでした。

投稿: ハコベの花 | 2012年4月27日 (金) 11時13分

ハコベの花さん、映画を見たくなりました。

投稿: hatonomine | 2012年4月28日 (土) 10時46分

かんこどりさん ジャネット・リンの落書きについて「本当はどうなったのでしょうね」と書いた者です。
その後、ウィキペディアには注釈が加えられました。
落書きは二つあったのだそうです。札幌オリンピック当時のは改装時に消えたようです。
ジャネット・リンはオリンピックの3年後に訪れて、その時に残した落書きは、アクリル板で覆われ今も保存されているそうです。私には時々棘のあることを書く癖があり、人様を傷つけてしまいますので、気になって確かめてみました。

http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000201202030002

朝日新聞デジタル【白銀の祭典 札幌五輪から40年】 五輪団地に残るサイン 大切に守る夫妻(2012年02月03日)

投稿: 眠り草 | 2012年8月13日 (月) 12時15分

ジャネット リンが訪れて、もうひとつの落書きを残したのは、札幌オリンピックの3年後ではなく「翌年」でした。ごめんなさい。

投稿: 眠り草 | 2012年8月13日 (月) 12時32分

 眠り草さん、ジャネット リンの記事紹介ありがとうございました。写真も可愛いですね。

 「私はスケートをした、ただの女の子ですよ。自分の身の丈よりも大きなストーリーの中に置かれているような感じがします」というリンも58歳になりましたか。
 
 東京オリンピック2020招致が成功して、このようなエピソードを再び残してもらいたいものです。
 

投稿: かんこどり | 2012年8月15日 (水) 09時41分

ハコベの花様が挙げられていたイタリア女優シルヴァーナ・マンガーノは、
巨匠ルキノ・ヴィスコンティのお気に入りの女優でしたね。「ベニスに死す」「ルードヴィヒ」「家族の肖像」など、高貴さと妖婉さを備えた、またセクシーさをも漂わせていた、存在感のある女優だったと記憶してます。
 奇才パゾリーニに請われて「王女メディア」など数本出演しましたが、作品の難解さもあってマンガーノの魅力もいまひとつでした。「黒い瞳」が87年作で、その2年後に亡くなってますね。 私は、ダーク・ボガードが主演した「ベニスに死す」のマンガーノに魅了されました。『あの美少年タジオにこの母親ありき』ですね。マーラーの音楽とマンガーノの美しさがベニスの街に、えも言われぬドラマ性を創っていたように思います。
もしかしたら、ハコベの花様はご容貌、マンガーノに似てらっしゃるのかなぁ……と。ごめんなさい。

投稿: かせい | 2012年9月 4日 (火) 01時32分

かせい様 残念ながら私は典型的な日本人の容姿をしております。ところでかせいさんは沢山、映画を見ておられるのですね。私はどちらかというとジェイムズディーンの彼女だったピアアンジェリーのようなほっそりした清楚な女優さんが好きです。でもマンガーノは別格です。女ながら魅せられました。「ヴェニスに死す」観たくなりました。
美しいということは素晴らしいですね。女でも本当の美女を見たくなりました。皆さんの美女はどなたでしょうか(ウ、フ、フ・・・)

投稿: ハコベの花 | 2012年9月 4日 (火) 11時18分

濡れたた様な大きな黒い瞳には、人を迷わす力がありますね。小学校5年生の時、そんな瞳を持つ少年と隣り合わせの席になりました。ものを言うとき、瞬きをしないでじっと私の目をみて話すのです。中学は別の学校になりましたが、道で出会うたびにやっぱりじっと大きな瞳で見つめるのです。好意を持たれているのかと思う時がありましたが、その少年の癖ではなかったかと思います。友人の女の子たちが何人かその少年に恋をしていました。あの瞳に惑わされていたのではないかと思います。幸せな黒い瞳の持ち主ですね。

投稿: ハコベの花 | 2016年4月 5日 (火) 23時12分

 私の「美女」といえば、イギリスの女優ジーン・シモンズでした。目の色は黒だったような気がしますが…。
 ウィリアム・ワイラー監督作品『大いなる西部』でグレゴリー・ペックの相手役を演じましたが、気品があって知的で美しかったですねー。華奢で小柄で、ウットリでした。
 『大いなる西部』のテーマ音楽が流れると、シモンズのあの美麗な容姿が今でも目に浮かびます。今の映画界にはちょっと
いないんじゃないかなぁ……。

投稿: かせい | 2016年4月 7日 (木) 00時47分

ハコベの花さまのコメントを見て思い出した記憶の断片を書かせて頂きます。まず【黒い瞳】という映画は見た記憶があります。大きな瞳の美人女優さんが出演していました。相手役の男優の記憶もなくストーリーさえもまったくおぼえていませんが、セリフが英語ではなかったことだけが鮮明に残っています。当時は神戸には【名画座】というこじんまりとした映画館がありました。ヒットした映画を二本立てで上映しており、すきな映画は何度でも見ることが出来て、一人でも入れる場所でした。当時はイタリア映画に魅せられていたのですが、好きな映画の付属のような映画だったと記憶しています。この映画の結末は多分悲恋だったと思うのです。ハコベの花さまのお好きな女優さん(マンガーノ)は、確かに綺麗でしたね。彫が深くて鼻が高くて、どちらかというと、冷たい感じのする美人でした。「ソフイア・ローレン」の役がらとは対照的にセリフも少なく、神秘的な雰囲気を醸し出す女優さんでした。
印象に残ってるのはあの「ワグナー夫人」役でした。今ではあの映画の題名すら、記憶にありませんが・・・・。
「ワグナー役」は【第3の男】にも出ていた有名男優でした。ワグナーが指揮者の夫人を奪った経由や、公演にも同行させて【事実上の夫人」となったことが、その映画に描かれていました。ずっと無表情で言葉少ない役だったのにあの美貌は記憶に残っています。映画史上に残るような女優は強烈な個性の持ち主でした。私は今も「ソフィア・ローレン」が大好きです。ハコベの花さまのコメントで、昔の消えかかった記憶の一ページを、ひもとくことが出来ました。友人が私に「想い出はたくさん作っておけよ」と残した遺言のようなことば、かみしめて今も生きています。

投稿: mitsuko | 2016年4月24日 (日) 16時18分

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