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2016年5月18日 (水)

帰らざる河

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:Ken Darby、作曲:Lionel Newman、
日本語詞:穂高五郎、唄:Ernie Fords/Marilyn Monroe

ああ 帰らざる河
悲しみ込めて
静かに流れゆくよ
果てなき荒野を はるばると
音もなく 流れゆく

ウェラリー もう帰らない
(ノー・リターン ノー・リターン)
遠い日の夢 ウェラリー
岸辺に ひとり立てば
(ノー・リターン ノー・リターン)
かすかに聞こえる いとしい人の声
波の間(ま)に 微笑んで消える
遠く帰らない 河の流れよ
(ノー・リターン ノー・リターン
ノー・リターン ノー・リターン)


           River of No Return

There is a river called the "River of No Return"
Sometimes it's peaceful and sometimes wild and free!
Love is a trav'ler on the "River of No Return"
Swept on forever to be lost in the stormy sea

Wail-a-ree
I can hear the river call (no return, no return)
Where the roarin' waters fall wail-a-ree
I can hear my lover call "Come to me" (no return, no return)
I lost my love on the river and forever my heart will yearn
Gone, gone forever down the "River of No Return"
Wail-a-ree wail-a-ree
She'll never return to me!
(no return, no return, no return, no return)

《蛇足》 二十世紀フォックスの西部劇『帰らざる河(River of No Return)』の主題歌。主演はロバート・ミッチャムとマリリン・モンローで、日本での公開は昭和29年(1954)8月13日。

 ウェスタン歌手テネシー・アーニー・フォードの渋い歌声がタイトルバックに流れましたが、多くの人の記憶に刻まれたのは、モンローが劇中で歌ったほうでした。現在でも、『帰らざる河』はマリリン・モンローの持ち歌、ということになっています。

 モンロー版では、最初に"If you listen you can hear it call/Wail-a-ree wail-a-ree"が入り、最後のヴァースが"She'll...."ではなく、"He'll..."となっています。

 1954年1月14日、モンローはヤンキースの4番打者、ジョー・ディマジオと結婚、2月1日に新婚旅行で来日しました。
 ディマジオは、ベーブ・ルース引退後、続いてルー・ゲーリック引退後のヤンキースを支え続けた大打者で、その背番号5は永久欠番になっています。
 ところが、日本での記者会見では、質問はモンローにばかり集中し、ディマジオにはおざなりの質問が1、2度向けられただけでした。球界のスーパースターは、誇りをいたく傷つけられたようです。

 帰国後も、自由奔放で映画の仕事に忙しいモンローと、誠実で彼女を独占したいディマジオとの間に摩擦は絶えませんでした。そして、その年の10月、ついに離婚。わずか274日間の結婚生活でした。
 離婚後もディマジオは、マスコミの攻撃などで孤独感に悩まされたモンローを支え続けたといいます。

 モンローは、マフィアと関係が深かったとされるフランク・シナトラの紹介で、J. F. ケネディ大統領と知り合い、まもなく不倫関係に陥ります。また、彼の弟、ロバート・ケネディ司法長官とも肉体関係があったといわれます。

 そして、1962年8月5日の衝撃的な死。自殺ともいわれていますが、その死は謎に包まれています。
 当時、ケネディ兄弟は、
マフィア撲滅に立ち上がろうとしていました。モンローとの関係をマフィアに暴露されると、その政策が烏有(うゆう)に帰しかねません。それを恐れたケネディ兄弟の意を受けた何者かによってモンローは殺された、という噂が公然と囁かれました。
 ディマジオはこの噂を信じ、ケネディ一族を終生憎み続けたといいます。

 ディマジオが離婚後もモンローを愛し続けたのはまちがいないようです。葬儀で、彼は棺の前で涙を流しながら「愛している」と呼びかけ続け、ある女性誌から巨額の報酬を提示されても、モンローとの愛について語ることを拒否したと伝えられます。また、その後だれとも再婚せず、独身を通しました。

 ところで、美空ひばり『川の流れのように』のように、川はよく人生に喩えられます。
 山地の水源を出た頼りなげな細流は、あちこちからしみ出す水を合わせて、やがて急流、激流となり、平地に流れ出ると、いくつもの支流を合わせて力強く、堂々とした流れに変わります。そして、河口が近づくにつれて、川幅が広がり、老人の歩みのようにゆったりと流れるようになります。

 急流、激流が川の中の岩にぶつかり、両岸を削りながら流れるように、人を傷つけ、自分も傷つきながら、自己のアイデンティティを探し求めた青春の日々。河口が近づくと、そんな惑いと彷徨の時代がひたすら懐かしくなります。しかし、そこに戻るすべはなく、やがて忘却の大海へと流れ込みます。
 「帰らざる河」でなく、「帰られざる河」なのです、だれの人生も。

(二木紘三)

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コメント

映画の最後では、酒場でこの歌を悲しく歌うモンローをミッチャムが強引に肩に抱えて連れていくシーンがあります。 米国映画らしいハッピーエンディングです。
ミッチャムの息子を演じた少年は、テレビドラマ「名犬ラッシー」でジェフを演じています。
おっしゃるとおりに、人生は「帰られざる河」ですね。

投稿: 寒崎 秀一 | 2016年5月19日 (木) 04時08分

 この映画は、なんといっても激流を筏で下るシーンが印象的でした。筏の上でインディアンの執拗な襲撃をかわすシーンもあったりして、手に汗を握りました。マット(ミッチャム)が激流に放り出され、ケイ(モンロー)の舵にしがみつきますが、はらはらしました。にくい監督ですね、観客の心をもてあそんで。しかし、もてあそばれた当時の観客も、ピュアというか擦れてなかったようにおもいます。今の観客は素直じゃない、一筋縄で行かない。
 それにしても川を下るというのは、かっこいいなあと、深層心理レベルで心に響いてきました。天竜川や木曽川のそばで育った男の子が、筏師にあこがれたという話がわかったような気がした。
 最後に、ケイ(モンロー)が、マック(ミッチャム)と息子の乗る馬車に乗っていきます。赤いハイヒールがすてられ、路にころがります。酒場の女には二度と戻らないという決意、あれも彼女の帰らざる河でしょう。
 この映画は5歳の時にできた映画ですが、大きくなってから見て、文句なしの名画だと思いました。

投稿: 越村 南 | 2016年5月19日 (木) 14時22分

この映画は確か長兄と観に行きました。中学生(?)でしたが母がいつも【映画館は兄の誰かと行くように】との命令でしたから・・・。ずるい性格の兄のひとりは切符を買う間際に【お金!】と手を出して私が払うこともたびたびでした。悔しかったですが【観たい!】思いに負けての妥協の連続!!正直この映画での「モンロー」の良さは中学生の私には伝わりませんでした。年の近い叔母とみる映画は「グリア・ガースン」とか「リズ・テイラー」とか「デボラ・カー」とか美女ばかりが出ていましたから。「モンロー」の映画では悪女の役を演じた映画を見た記憶があります。その映画の記憶と実生活であの「ケネデイ」の誕生日に登場して「ハッピーバースデイ」をうたった違和感とが、合わさって印象の悪い女優でした。でも死後多くの本に出る彼女の人生の悲運を知り、同情してましたが野球選手との出会いを二木先生の解説で知り、ホッとしました。たった一人からでも【心から愛されていたこと】彼に出会えた人生は決して不幸ではなかったと、信じたい気持ちでいっぱいです。二木先生いつも解説をありがとうございます。

投稿: mitsuko | 2016年5月20日 (金) 02時38分

 『帰らざる河』の映画を見たのはTVで、まだ高校生くらいだったと思います。印象に残っているのは、ケイ(モンロー)を略奪して行くようなマット(ミッチャム)の行動です。大人の恋とはこんな激しいものかと思いました。私は『帰らざる河』とは生きて帰れない(危険な)河という意味に取っていましたが、下流に下ったら二度と上流に戻れない(急流の)河という意味のようです。
 『帰らざる河』のラスト、3人の乗る筏が激しい濁流に飲まれるシーンのロケ地はアメリカではなく、カナダのバンフ国立公園だと言われています(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%A6%E6%BB%9D)。私が初めて北米の地を踏んだのはカナダのバンクーバーで、この時バンフにも訪れています。いわゆるカナディアン⁼ロッキーの入り口で、そのあまりに雄大な自然の景観に圧倒されました。結婚してから滞米生活を3年程経験しましたが、その時にも家内を連れてバンフを再訪しています。

投稿: Yoshi | 2016年5月22日 (日) 13時37分

 この映画は、専門家ならずとも、マリリンモンローの魅力が中心だと思います。当時、セックスシンボルという悪態に悩まされていたモンローは、演技力の習得につとめていて、その時、この映画に出会った。
 映画の中で、ミッチャムの息子が「パパが言ってたけど容姿端麗な女の人は、頭が空っぽって本当?」とモンローに聞くシーンがある。モンローは「ブスな女の人の作った諺よ」と返します。
いいですねえ、このやりとり。
 私も、ブスで頭の悪い人にたくさん出会ったし、容姿端麗で賢い女性にも会いましたから、このうそは見抜けます。
 この脚本家、この監督はモンローを再生したかったのだと思います。
 もうひとつ、モンローは男性遍歴はたしかに多いけど、どこまでも無垢なものを持った、永遠の少女という天性の雰囲気がありますね。「マリリンモンロー、ノーリターン」と言った野坂昭如の気持ちがわかります。

投稿: 紅孔雀 | 2016年5月22日 (日) 16時33分

マリリン・モンローがプールサイドから語りかけている様子を昔、岩田宏が歌っていたな、と大概思い出しました。

タオル貸して!
水は詩のように流れてなめらかで
拭くのがもったいないけれど
この一年間あなたは
いったい何をしてらした?
死は夢みたい
夢は水みたい
この世でも
あの世でも
まじめは まじめ
ぐうたらは ぐうたら!

投稿: 樹美 | 2016年5月22日 (日) 17時40分

ジョー・ディマジオとマリリン・モンロー――片や大リーグのスーパースター、他方は世紀のハリウッド女優。この二人はよくも悪くも、アメリカ社会の光と影の部分を演出した人物のように思われます。かれジョー・ディマジオは、貧しいイタリア移民の子でしたし、彼女マリリン・モンローは、片親家庭に生まれ育ち、愛情に飢えていた女の子でしたが、共に「アメリカンドリーム」を成功させたことで絶大な人気を博しました。こうして「アメリカンドリーム」を体現した二人の結婚は、幸せを約束されていたように見えましたが、長くは続きませんでした。夫ジョー・ディマジオは、純真・無垢な生身の人間モンローを愛してはいましたが、誇り高い元大リーガーには、如何に演技の上とはいえ、「セックス・シンボル」として、全世界の男性の目に曝されている「仮面」の妻を許すことは出来なかったのでしょう。破局の決定的契機は、妻マリリン・モンローが出演した「七年目の浮気」で、例のニューヨーク地下鉄の通気口から吹き上げる風に、彼女が必死にスカートを抑える煽情的なシーンだったと言われています。
 破局の原因は、お互いに相手の世界をよく知らずに結婚したからというよりも、愛情の受け入れ方に食い違いがあったから、のようにわたしは思います。それが証拠に、ジョー・ディマジオは離婚後も彼女を愛していましたし、彼女も「セックス・シンボル」を武器に男性遍歴を重ねながらも、かれの愛情を真摯に受け止めていた手紙が存在していることからも判ります。
 光は当たる部分が強ければ強いほど、その影は深く濃くなります。彼女が悲劇的な死を遂げてから既に半世紀以上経過していますが、未だに死亡原因が謎めいているのも、その陰の深さを表しているように思います。
 

投稿: ひろし | 2016年5月27日 (金) 16時52分

2002年カルガリーを訪れた時、街のどの店にも必ずモンローの黄色くなったブロマイドが飾ってありました。何で今頃モンローなのかと思い、店の人に聞くと1951年にモンローはその町に来たというのでした。帰らざる河のロケはボウ河とサーモン河で行われ、ロケ中のモンローは岩場で足を捻挫したそうです。ディマジオがカルガリーまで見舞いに来たそうです。
雪村いずみが歌っていますが歌詞は次のようになっています。

Humuuu 帰らざる河よHumuuu(ウエラリー)

ああ夕日に 燃えて流れ行く
思い出の悲しい河 果て無き荒野をはるばると
音も無く流れてゆく(ウェラリー)
もう帰らない(ノーリターン ノーリターン)
遠い夢よ(ウエラリー)
岸辺にひとり立てば(ノーリターン ノーリターン)
聞こえるあの声 いとしい人の声
まぼろしか 波間に微笑むよ
もう帰らない 河の流れよ(ノーリターン ノーリターン)
以下は英語なので省略します。

投稿: 高須雅紀 | 2016年6月 5日 (日) 05時12分

 参院選の投票率アップ活動も終わり久しぶりに訪問しましたら、西部劇ナンバーワンの『帰らざる河』が・・・
FoxVideoを10回以上見ましたが、特にラストシーンでミッチャムがモンローを肩に担いでの「マイ・ホーム!」には何時も痺れています。
部屋に自分の柳句<高知から 空を泳いで 来た鰹>と、岸本水府先生の<仲の良い 二人のような 山と水>の額縁の間に、金色の袖なしつなぎ?の服を着て両手はポケットに入れたモンローの額縁は30数年間も・・・飽きないですね。
 そして二木先生の《蛇足》<産地の水源を出た頼りなげな細流は ~ 「帰られざる河」なのです。だれの人生も。>  このコメントが心に深く心地よく突き刺さりました。
 Hi-FiVHSビデオには音楽:シリル・モックリッジとなっていますが、全体のバック・ミュージックの作曲者なのでしょうか? 

投稿: 尾谷光紀 | 2016年7月 9日 (土) 11時39分

今から30年ほど昔の出来事・・・
当時、SP盤(特に戦前戦後の流行歌)を収集していたある日、私の住んでいる近くの骨董屋へぶらりと訪問、ご主人に「今、昔のSP盤はありますか」と尋ねたところ、そこに1枚あるだけだと・・・
見てみると、何と、あのモンローの「帰らざる河」(ビクター)の主題歌のSP盤が、それにはビックリ、新品同様のままの姿で、早速購入しましたが、なんと1枚100円也・・・これまたビックリ!
その後のある日、SP盤仲間の一人にこのことを話したところ、何と1万円で譲ってほしい・・・今は、私の宝物になっていますが。
映画の中では、ラストシーンのあたりで、モンローがピアノに腰かけて、この主題歌を唄った姿が今でも想い出されます。
それにしても、蓄音機で聴くモンローの「帰らざる河」・・・
彼女が目の前で唄っているようにも聴こえます。
不思議なものです。感動です!

投稿: 一章 | 2016年7月14日 (木) 23時15分

 脳梗塞で入院・退院後1年が経過し、現在細々と地域のコンサート等に参加しております。ハコベの花さんは私のFacebookをご覧になっていたようですが、吟二さんがこの欄のコメントがないのを心配されていたことを知り、この《二木紘三のうた物語》を通じた友情が嬉しく心から感謝しております。有難うございました。
 若い頃は映画も趣味の一つでしたが、一番心に残り一度だけでも体験したいシーンは皆さんと同じ断然「帰らざる河」の最後の・・・酒場で歌っているケイを肩に担いで出て行くマット、「May home!」、そして彼女は大事な紅い靴をポイと・・・何度観てもO.プレミンジャーの総括の素晴らしさに感動しウルルンと・・・
「The River Of No Return」作詞:ケン・ダービー、 作曲:ライオネル・ニューマンということを知り、バック音楽のモックリッジ共にこの映画を輝かせています。 


投稿: 尾谷光紀 | 2018年11月 7日 (水) 21時35分

この映画『帰らざる河』が大好きで、カナダのバンフへ行った時にドイツの古城のようなホテルの裏に流れるボウリバーへいってみた。この川にある、このボウ滝(川幅50m、高さ20mぐらい)で筏に乗った3名が下るシーンのロケがあった。モンローのジーズ姿も良かったが、ミッチャムの虚無的な風貌がよい。なによりもモンローの歌うこの曲がいい。あまり上手とはいえないが、ウエラリ- ・・・ウエラリー・・・。

投稿: lefty sige | 2019年4月22日 (月) 20時29分

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