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2016年6月 5日 (日)

孝女白菊の歌・現代語意訳

(原詞はこちら)

(段落は読みやすくなるように機械的に6行ごとに分けただけで、意味内容によって分けたものではありません)。

          その一

阿蘇の山里では秋が深まり、景色も物寂しくなった夕暮れのことである。
どこの寺の鐘かわからないが、諸行無常の響きを伝えてくる。
そんな折、門を出て父を待っている少女があった。
14歳になったばかりで、そのきれいな顔立は、
梅か桜かと思うほどで、大きくなったら大変な美人になりそうだ。
父は数日前狩りに出たきりで、何の音沙汰もないらしい。

屋根に落ちる木の葉や、樋(とい)を流れる水の響きを聞くたびに、
父が帰ってきたのではないかと思って、夜もおちおち眠れない。
とりわけ、雨の降る真夜中は、庭の芭蕉がざわざわ鳴り続け、
いろいろな虫の鳴き声を聞いていると、いっそう悲しくなってくる。
そんな寂しい夜中には、とてもひとりではいられないのだろう。
菅笠をかぶり杖を手に家を出て行く様は、とてもかわいそうだ。

山また山の路を進んでいくと、雨はだんだん激しくなり、
それでなくても涙にくれていたのに、さらに何度涙を拭いたことだろう。
突然空が晴れて、月の光が射してきたが、
父を捜してさまよい歩く心の闇には、何の役にも立たない。
はるか彼方を眺めると、小さい灯火が見える。
どこの村かわからないが、それを目指して歩いて行く。

松や杉が立ち並んでいる粗末な寺から、
お経を読む声が聞こえるが、どんな人が勤行(ごんぎょう)しているのだろうか。
垣根も半ば崩れ、庭には人がいたようすもない。
月光だけがくっきりと鮮やかで、梢は風に揺れている。
門のところで声をかけると、かすかに答える声がする。
しばらくすると、若い僧が出てきた。

不審な人間だと思ったのだろう、しばらくこちらを見ている。
少女はそれを察すると、近くに寄っていき、
わたしは怪しい者ではありません。父を探しに来たのです。
もしどこにいるかご存じなら、その場所をお教えください。
少女の姿をよく見ると、つやつやと美しい顔に
しなやかな髪の毛が乱れたようすは、この世のものとは思われぬほどだ。

僧は気を許しのだろう、少女を奥に案内して尋ねた、
どこのどなたでしょうか、姓名などを詳しく教えてください。
そのとき、風が強く吹いて、あたりの景色は気味悪く、
軒先の木の梢から、むささびの鳴く声さえ聞こえてくる。
少女はますます辛くなり、流れる涙を拭きながら、
私はもとは熊本のある武士の娘です。

はじめは家も豊かで、気持ちにも余裕があったので、
風雅な物事をたしなみ、楽しく暮らしておりました。
ところが、あるときいくさが始まって、緑の草ぐさも血に染まり、
吹いてくる風は血なまぐさく、大砲の音も絶え間なく響いてきました。
親子がばらばらになってしまい、互いに呼び求めながら
逃げていくようすは、哀れで悲しく、いいようもないほどでした。

私は母とともに阿蘇の奥まで逃げましたが、
そこからは朝晩、懐かしい故郷の空が眺められました。
ある人から、父上は賊軍(注:西郷隆盛軍)に入ったと聞いて、
胸がつぶれるようで、袖が乾く間もないほど泣きました。
毎日父を待っているうちに、早くも秋になり、
雁は大空を帰ってくるけれども、父は消息すらもわかりません。

母は心配が重なって、病気になってしまいました。
日に日に病気が重くなり、とうとう亡くなってしまいました。
父の生死もわからぬうちに、母も帰らぬ人となってしまったので、
まるで夢のなかで夢を見ているようで、今もなお辛くてなりません。
なんと不運な我が身かと嘆いていたところ、
神の助けか、去年の春、父がひょっこり帰ってきたのです。

父は、母が亡くなったと聞いて、ひたすら嘆いておりましたが、
これもこの世のさだめと慰めて、何年か暮らしました。
数日前、父は狩りに出かけ、待てど暮らせど帰ってこないので、
また不安になって、このような山道を尋ね歩いてきたのでございます。
私は、姓を本田、名を白菊と申します。
父は昭利、母は竹、兄は昭英と申しますが、その兄は、

素行が悪く、父上の怒りに触れて家出してしまいました。
風の吹く朝も雨の夜も、兄のことを思わないときはないのに、
どこをさまよい歩いているのか、今も行方がわかりません。
これを聞くやいなや、僧は急に顔色を変え、
何もいわずに墨染めの衣の袖を顔に押し当て、泣きだした。
そして、とにかく一晩この寺に泊まりなさいと勧めたのである。

この僧の胸中には、なにか深い悩みがあるのだろう。
少女はそれに気づいたか、気づかなかったかわからないが、
熱心な勧めにいやともいえず、その夜はそこでうとうとと眠った。
寝て少しすると、戸を開けて、不思議なことに父が入ってきた。
枕元に寄ってきて、悲しそうな声で涙ぐんで、
私は誤って谷に落ちてしまい、今深い谷底にいる。

谷は茨が生い茂って、出て行けるような道もない。
いつ死ぬかわからないが、せめて別れを告げたいと、
子を思うという夜の鶴のように、泣き泣きここに訪ねてきたのだ。
その言葉が終わらないうちに、裾をつかんで「父上」と
呼ぼうとすると姿は消え去り、窓辺の灯火が暗く揺れているだけだった。
夢なのか現実なのか思い悩んでいるうちに、
夜明けが近づいてきたのだろうか、木魚の音も緩やかになってきた。

          その二

ようやく夜が明けたが、心は何か釈然としない。
夜明けの月光に照らされて、庭の遣り水の音が物寂しい。
少女は寺を出て、まだほの暗い杉林を
歩いて行くと、遠くのほうに狐の鳴き声も聞こえる。
道の先には、冬枯れのすすきがざわざわと音を立てて揺れ、
吹いてくる風が身を切るようで、寒さがいっそう強く感じられる。

ごつごつした木の根がむき出しになった山坂を、上り下りしているうちに、
山奥に入ってしまったのだろう、人っ子ひとり見えない。
木のてっぺんあたりから聞こえるのは、何という鳥の声なのだろうか。
木陰を走る獣は、熊とかいうものかもしれない。
ここはよほど高い峰なのだろう、白雲が袖のあたりを流れていく。
雲が私を乗せて走るかと思うと、怖くてたまらない。

はるか遠くを見渡すと、どの方向も山また山が続いているばかり。
父はどこにいらっしゃるのだろう。振り返ってみても誰もいない。
そんなとき、後ろのほうから山賊たちが大勢わめきながら押し寄せてきた。
逃げる少女を捕まえて、その手をきつく縛り上げた。
ああ怖いと叫んでも、無人の山の奥なので、
山彦のほかには、応えるものもなかったのだった。

山の崖道をぐるぐる折れ曲がりながら、谷底への道を下りて
連れて行かれると、やがて気味の悪い家に着いた。
破れかかった竹垣に、崩れかけている苔むした壁。
あたりは木々がびっしり生えていて、夕日の光も射してこない。
家の中から乱暴者が出てきて、少女の姿を見るやいなや
素晴らしい獲物と思ったのだろう、腹を打って笑うさまが見苦しい。

あらかじめ用意してあったのだろう、酒と肴を取り出して
飲み食いする様は、世にいう鬼と変わらない。
頭と思われる男がひとり、少女のところに寄ってきて、
お前がここに捕らわれてきたのは、深い縁があってのことだ。
これからはわしを夫として、生きているかぎり仕えてくれ。
我が家に永くしまっておいた、非常に素晴らしい小琴がある。

幾久しく結ばれようとする今日の宴を盛り上げるよう、
それを奏でてわしに聞かせてくれ、歌ってわしを楽しませてくれ。
もしいやだというなら、剣の山に追い上げて、
針の林に追い込んで、このうえなく苦しい思いをさせてやるぞ。
少女はいやだと思ったけれども、断れないと思ったのだろう。
泣きながら小琴を引き寄せて奏で始めたのが痛ましい。

風が梢を吹き渡るようだ。雁が空を飛んでいくようだ。
軒端を雨がしっとり濡らしていくようだ。岸に寄せ来る波のようだ。
絶妙な調べには、尊い神も踊るかもしれない。
みごとな演奏には、淵に潜む龍も出てきて踊ってしまうだろう。
嵯峨野の奥で奏でられたという想夫戀(注:雅楽の1つ)ではないけれど、
父の行方を想うその心は同じはずだ。

山頂の嵐か、松風か、それとも探している人の琴の音か。
ひとり木陰にたたずんで、聞き入っていたのは誰だろう。
探している人の演奏に、これはまちがいないとわかったのだろう、
演奏が終わらぬうちに斬り込んだのは、まことに勇ましいことであった。
刃の光を恐れたのだろうか、あるいは突然のことで怖じ気づいたのだろうか、
斬られて叫ぶ者もいれば、追われて逃げる者もいた。

斬り込んできた人は、顔はわからなかったけれど、
着ているのは墨染めの衣の袖とわかった。
震えている少女の手を取って、月光の射している窓辺まで連れてきて、
驚いてはいけない、私はお前の兄なのだよ。
これから詳しく話してやろう。心を静めて聞きなさい。
父の怒りに触れてから、私は思うところがあって、

京の都に行こうと、筑紫の港から舟に乗った。
波の荒い海を何日も航海して、須磨明石から
淡路島を回り、武庫の入り江に着いた。
そこから陸路を歩いたが、季節は弥生の末だったので、
桜並木に風が吹いて、衣の袖に花びらが舞い散った。
都に着いてからは、ひたすら机に向かって、

さまざまな本を日暮らし読んで、正しい生き方を初めて知った。
父の恩を知るたびに、母の愛を知るたびに、
後悔することばかり多くて、泣きながら毎日を過ごした。
心を入れ替えて父母に仕えようと、故郷へ帰ってきたのだが、
いくさのあとだったので、その寂しさはただ事ではなかった。
どこもかしこも荒れ野になって、昔の面影もなく、荒れ果てている。

すすきの茎さえ折れ曲がり、露の玉だけがあちこちについているばかり。
これは我が家の跡だろうか、あれは父母の亡骸だろうか。
射している夕日の光も弱く、道端の柳では鴉が啼いている。
私には頼る人もいないと、我が身を憐れんでいるうちに、
この世のことがいやになって、あの山寺に逃げ込んだのだ。
朝夕お経を読むたびに、考えてもしかたないことを嘆くばかりで、

読む文字の数よりも、流す涙のほうが多いほどであった。
昨夜お前が訪ねてきて、その話を聞いたとき、
どんなに嬉しかったことだろう、またどんなに悲しかったことだろう。
すぐに私の名前をいおうと思ったが、さすがに
名乗れない我が身の辛さ、名乗るよりいっそう辛かった。
朝早く別れたが、道中何か起こるかもしれないと、

お前を追ってきて、今ここでお前を助けたという次第だ。
お前を助けたからは、もう思い残すことはない。
このあと、どの面下げて父に会うことができよう。
あの世でお待ちしようというと、その言葉も終わらぬうちに、
腰の刀を抜いて、一気に腹を切ろうとした。
少女はそれを見るや大声を上げて、兄の手を固く押さえて、

泣き叫びながらなだめる、その心の内はどんなだっただろう。
そのときちょうど、空がほの明るくなり、夜中の嵐も静まって、
月は雲間に消えていき、遠くから雁の鳴き声が聞こえてきた。

          その三

あちこちから聞こえる虫の音も、ああ静かになってきたと思ううちに、
夜明けの月の光も消えて、横にたなびいていた雲が分かれ始めた。
静かにそこを出て、あたりのようすを眺めると、
軒先の松風も弱まって、荒れ果てた庭には白く霜が降りている。
たがいに手を取り合って、山道を歩いて行くと、
昨夜の山賊の一団であろう、後ろから大勢追ってきた。

僧はそれに気がつくと、少女を先に逃げさせ、
自分はその場にとどまって、山賊たちと激しく斬り合った。
少女は茂った林の中をあちこち辿り、谷に架かった橋を渡って、
どうにか逃げたけれども、兄のことが心配でならなかったのだろう、
斬られて傷を負ってはいないか、兄上どうぞご無事でと、
遠くの高い峰を眺め、兄を思うその心はまことに哀れだ。

道の辺のしめ縄を飾った小さな社(やしろ)は、誰を祭ったものだろう。
涙を流しながら拝礼して、神に祈るその姿は痛々しい。
そこに芝刈りの老人が通りかかって、泣いている少女を見ると、
なんともかわいそうだと思ったのだろう、近くに寄ってきて、
事情を聞いたところ、実に気の毒なことなので、
老人は少女を慰めて、自分の家に連れて帰った。

木の枝を編んだ門は固く閉ざされ、竹垣は崩れかかっている。
へんぴな村は静かで、昼間でも夜と変わらないほどだ。
木の葉が散り乱れ、垣根の菊は色褪せている。
山風は時雨を誘い、虫の音もひどく寒々しい。
父の行方に加えて、兄がどうなったかも、毎日心配でならないが、
老人の深い親切にひかされて、しばらくはそこにとどまった。

時の流れは速く、二、三年が夢のように、
あっけなく過ぎ、またまたのどかな春が巡ってきた。
山里の人たちのように、髪も見た目も粗末だったけれども、
美貌は隠せず、さすがに白菊という名を持つだけあって、
何人かと連れだって若菜を摘みに、近くの沢沿い道を行くときも、
楢の林の中に一本の花が咲いているようである。

村長(むらおさ)のなにがしが、早くもそれを聞きつけて、
仲人をひとり頼んで、結婚を求めてくると、
老人はひどく恐縮して、彼の頼みを受け入れた。
その話を聞いたとき、少女はどんなに驚いたことだろう。
袖で顔を隠したけれども、涙が流れて止まなかった。
思い起こすと、母上がこの世を去ろうとするときに、

私を近くに呼び寄せて、言い遺したことがある。
ある年の秋の末ごろ、お墓参りから帰る際に、
露にぬれた野道を歩いてくると、白菊のいっぱい咲いているところがあった。
美しく咲く白菊の中から、何ということか赤ん坊の泣き声が聞こえた。
このような喜ぶべき子宝を捨ててしまったのは、どんな親だろう。
まことに悲しいことだと、拾い上げたのがお前なのだよ。

菊の咲く野原で出会えたのも、何か深い縁があってのことだろう。
いつまでも幸せに生きていけよと、白菊と名付けたのだよ。
もう一ついっておくことがある。お前はずっと知らなかっただろうが、
お前には兄として頼るとともに、夫とすべき者がいる。
早くに家出してしまい、今もって行方はわからないが、
生きていれば帰ってくるだろう、老いた父もいらっしゃるのだから。

もし帰ってきたら、生涯の契りを結び、
夫、妻と呼びあって、楽しく暮らしてほしいのだよ。
母の言い遺した言葉は、今も耳に残っている。
どうしてその教えに背くことができようか。
そうはいっても、この家に来てから、老人には大変お世話になった。
どうしたらよいだろうと、密かに思い悩むようすは、なんともふびんだ。

ああ思っては泣き沈み、こう思っては嘆いて、
悩みに悩んでいたが、結局死ぬしかないと決心したようだ。
そんなとき、仲人が入ってきて、少女に贈ったのは、
金糸銀糸を織り込んだ絹の晴れ着で、まことにきらびやかなものだった。
少女がどんなに悲しんでいるか、周りの人たちは気づかなかったのだろう。
結納品を見て老人が喜べば、隣の老婆も来てお祝いをいった。

時雨が降って月の光も弱い、薄暗い夜中に、
どこに向かって行くのやら、少女は密かに家を出た。
村を離れて遠くまでくると、寒い川風の吹く笹原があった。
早く死のうと急いで行くと、水音がむせび泣くように物寂しく響いた。
大空を帰る雁も、笹やぶを吹き渡る風の音も、
逃げる少女の心には、追っ手としか聞こえないだろう。

橋のたもとに隠れて、自分が来たほうを眺めると、
遠くの村の小野に、かすかな灯火が見えるだけだった。
橋の下を流れる川水の、意味まではわからないが、
なんとも悲しげなその音は、少女を死へと誘っているようだ。
命は惜しくはないが、私が死んだと聞かされたそのときは、
父はどんなに嘆くだろう、兄はどんなに悲しむだろう。

父上お許しください、兄上お恨みくださいますな。
私はこの世を先だって、母の許でお待ちするつもりでございます。
南無阿弥陀仏と言い終わって、川に飛び込もうとすると、後ろから、
待てと呼んで引き留めたのは、どんな人だろうか。
おぼろ月夜で光が弱く、はっきりとはわからないが、
何年も思い慕ってきた兄だと、少女にはわかった。

夢か現実か幻か、思いが千々に乱れる夜中に、
村の子どもが慰みに吹く笛が、遠くから聞こえてくる。
これまでのことやこれからのことを、訊いたり訊かれたりしながら、
一晩語り明かしたが、それでも話は尽きなかった。
故郷恋しさに、急いで帰ろうと、
野越え山越え歩いて行くと、霞がたなびき花も咲く春になっていた。

何日も歩き、雨に濡れて、旅の着物はみすぼらしくなったが、
家に帰り着いたのは、五月ごろだったと思われる。
山ではホトトギスが盛んに鳴き、門辺では橘が香っている。
茂る夏草を踏み分けて、軒下に近づくと、
昔を偲ぶ忍ぶ草の露が散って、袖にかかるのもしみじみ心に染みる。
板戸を開けて中をのぞき込むと、不思議なことに父がいらっしゃった。

子どもたちはどんなに驚いたことだろう、父もどんなに嬉しかったことだろう。
父上様ご無事でと訊けば、お前たちも無事であったかと答えた。
詳しい事情を聞くと、父もかわいそうだと思ったのだろう、
兄の勘当を許し、妹の貞操を褒めたのだった。
親子三人が集まり、昔のことなどを語り合いながら
酌み交わす酒の杯には、喜び合う姿も映るだろう。

私は誤って谷底に落ち、登る方法もないので、
木の実を拾い、水を飲んで、何か月も過ごした。
ある朝起きて、頂上のあたりを見上げたところ、
藤かずらが上から長く垂れ下がっており、上のほうで猿が鳴き叫んでいる。
その鳴き声がなんとなく意味ありげに聞こえたので、
これは神の助けと藤かずらをよじ登り、やっと谷の上に出ることができた。

やれ嬉しとあたりを見渡すと、先ほどの猿の姿はどこにもなく、
木の生い茂った山陰から、蝉の声が聞こえるだけだった。
世間にはよくあること、ありふれたこととはいうものの、
人には情がすっかりなくなり、それが獣に残っているのは感慨深いことだ。
父の言葉を聞いている二人の気持ちはどんなだったろう。
嬉しいと兄が立って舞えば、楽しいと妹も歌うのだった。

末永く仲良く暮らそうと何度もいいながら、ともに喜んでいると、
後ろの山の松の枝に、夕日が掛かって、鶴が鳴く。
(終わり)

(二木紘三)

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コメント

この歌がこんなに長いとは驚きました。いかに落合直文の美文調の新体詩とはいえ、全部を読み切るには、かなり骨が折れますが、現代語に訳されていれば、すんなり頭に入ってきます。二木様のご尽力に頭が下がります。改めて感謝申し上げます。
 井上哲次郎によって書かれた、この歌の原文は漢詩だそうですが、新体詩(従来の漢詩や和歌・俳句にとらわれない新詩型)運動のリーダーだったかれが、どうして漢詩にこだわったのか不思議ですが、この歌(原文)を作った当時の、かれの感情の動きと関係があるのかもしれません。東大の文科を卒業したかれは、すぐに欧州留学を希望しますが、その希望は受け入れられません。憤懣やるかたない時に作られたのが、この歌だったというのです。とすると、まだ新体詩運動が緒についたばかりで、かれにも自信がなかったのかもしれません。また、この歌が長いのは、明治政府に対するかれの恨みや怒りが、それだけ強かったことを表しているとも言えそうです。もっとも、政府はかれの才能を高く買って文部省に入れ、その数年後、留学させるのですが。
 この歌が明治中期から昭和初期にかけて広く愛唱され、国民道徳の育成に相当な効果があったことは、明治末期に生まれた、亡き母が口ずさんでいたことからも分かります。しかし、母がこの歌を最後まで知っていたかどうか。多分、話の筋は知っていても、とても全部を記憶していたとは思えません。今日は、明治41年生まれの母の誕生日です。

投稿: ひろし | 2016年6月 7日 (火) 11時04分

 ひろし様のおっしゃっていた通り、長くて読むのにかなりの根気がいりました。
「この歌が明治中期から昭和初期にかけて広く愛唱され、国民道徳の育成に相当な効果があったことは、明治末期に生まれた、亡き母が口ずさんでいたことからも分かります。」の文に励まされ、二木先生のご苦労を思いつつ読みました。
これは孝女の話というよりも、家族の関係、つまり父、母、息子、娘それぞれが時間の流れとともに変わってゆく人間関係みたいなものを感じます。親子関係って10年、20年、30年・・と経てば、驚くほど変化します。私などは子どもの中に、他人以上の距離を感じることがあります。

この歌ですが、
父は、西南の役に賊軍として参加し、敗れて帰ってきた。時代の波が読めない古いタイプ。また狩りに出て長く帰らないのも、家をかえりみない性格のようだ。
母は、白菊の野辺に捨てられていた赤ん坊を拾ってきて、娘として育てた古い優しい女です。
兄は父に勘当されていたのだが、父の堅苦しいほどの真面目さもあったような気がする。
白菊はしっかりと父や兄をたより、尽くす立派な心の持ち主。あまり立派な女の人は、私はちょっと苦手ですが・・。

父は、娘が猿の声で谷からの登り道をみつけたので「人には情が少なくなったが、獣には残っている」と時勢を嘆く。それは違うやろうといいたいところだ。新しい時代の流れに反発するタイプだ。
たとえ時代の流れに乗り切れなくとも、国や親への道徳心(忠誠心、孝行など)は忘れるなという教えだろうか。やはり明治の頃の教えですね。

投稿: 越村 南 | 2021年3月27日 (土) 18時10分

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