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2016年6月 9日 (木)

悲しい酒

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:石本美由起、作曲:古賀政男、唄:美空ひばり

1 ひとり酒場で 飲む酒は
  別れ涙の 味がする
  飲んで棄てたい 面影が
  飲めばグラスに また浮かぶ

    (セリフ)
    「ああ 別れたあとの心残りよ
    未練なのね あの人の面影
    淋しさを忘れるために
    飲んでいるのに
    酒は今夜も私を悲しくさせる
    酒よどうして どうしてあの人を
    あきらめたらいいの
    あきらめたらいいの」

2 酒よ心が あるならば
  胸の悩みを 消してくれ
  酔えば悲しく なる酒を
  飲んで泣くのも 恋のため

3 ひとりぼっちが 好きだよと
  言った心の 裏で泣く
  好きで添えない 人の世を
  泣いて怨んで 夜が更ける

《蛇足》 昭和41年(1966)6月10日に発売。

 別の歌手のために作られた曲でしたが、さっぱり売れず、その後何人かの歌手がカバーしたものの、ヒットすることなく終わりました。
 美空ひばりは、カバー曲だと知らされずに歌ったそうですが、発売後すぐ売れ出し、145万枚を売り上げる大ヒットとなりました。『柔』『川の流れのように』と並ぶ、美空ひばりの代表曲です。

 昭和41年の発売時には、セリフはありませんでしたが、昭和42年(1967)3月、コンパクト盤『美空ひばりの悲しい酒』に収録された際に、セリフが入れられました。だれのアイデアだったのでしょうか。

 古賀政男作曲の失恋歌であることから、『影を慕いて』の戦後版といわれましたが、私には、同じ古賀政男の『酒は涙か溜息か』の戦後版のように思われます。『影を慕いて』には、酒は出てきませんしね。

 近年は、若い女性が、グループではもちろん、ひとりで酒場に行くのも普通になったそうですが、昭和40年代には、ひとりで行く女性はまだ少なかったのではないでしょうか。
 このころ、私は盛んに飲んでいたので、ひとりで飲んでいる若い女性を見ると、(何かよほど辛いことがあったんだろうなあ)と想像を巡らしたものでした。実際には、単に酒が好きだっただけかもしれませんが。

 酒と縁が切れてから、20年ほどになります。父は酒が一滴も飲めませんでした。その体質を受け継いで、私も弱いくせにやたら飲んでいたので、ほぼアル中といった状態になってしまいました。仕事にも人間関係にも差し障りが出るようになったので止めたのです。何度も元に戻ってしまい、自己嫌悪に苛まれました。

 酒でさえ、止めるのにあんなに辛い思いをするのに、薬物だったら、どんなに大変だろうと思います。K君、がんばってね。

(二木紘三)

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コメント

ひばりが歌う前、何人かの歌手がカバーしたのにちっとも売れなくて、ひばりが歌ったら爆発したのですか。ちっとも知らなかった。有名歌手だし、ひばりの境遇をみんな知っているから、よけい聞く側の思いとマッチしたのかもしれませんけど、やっぱりひばりはすごいのでしょうね。

K君の思いが二木先生には分かるので優しい言葉をかけておられますが、私も本当にわかります(と思います)。私は先生とは違ってたばこです。やめる前は50本くらい吸っていました。55歳の区切りでついにやめましたが、その前後、何回も失敗しました。友達には「禁煙なんか簡単さ。俺なんか何回もやめたよ」なんて冗談を言いますが、やめた後、1^2年ごとについいたずら半分に吸い、また半年吸い続けてはやめる、自分の意志の弱さが嫌になりました。まして、もっと強い覚せい剤ですから、これは大変ですね。本当に、意志の力でやめられれば、K君は本当に大した人だと尊敬します。ぜひ、そうなって欲しいです。

投稿: 吟二 | 2016年6月 9日 (木) 19時40分

ひばりちゃんの「悲しい酒」、久し振りに聴きました。
ありがとうございました。
ひばりちゃんの持ち歌だと思っていましたが、違っていたんですね。でも、心に残る逸品だと思います。
私が独身時代、仕事で嫌なことがあった時など、行きつけの居酒屋によく飲みに行きました。
当時は、店内に有線放送が流れていた記憶があります。
私も、当時は「タバコ」を2箱近く飲んでいましたが、今ではキッパリと縁を切り30年近くなります。
私にとっては、歌詞にあるように「悲しい」雰囲気ではなく、私を元気つけ励ましてくれ、今でもひばりちゃんの唄声が耳元に残っているようです。
それにしても、この曲「悲しい酒」は、ひばりちゃんとともに古賀正男の傑作中の一曲だと思っています。

投稿: 一章 | 2016年6月 9日 (木) 21時38分

 昔は、気にもとめなかったひばりの歌ですが、年をとると不思議なほどに価値を増してくる。歌が上手いというのもあるが、情感こめた歌い方が他の歌手をよせつけない。私のような歌オンチにも、その天才性が伝わってくる。個人的には「津軽のふるさと」「越後獅子」「お島千太郎」などがいい。
 「悲しい酒」を聞いた時、小林旭との短い結婚生活が頭をよぎったのですが、小林旭のインタビュー番組をみていると、「世情、人情に疎い売れっ子スターが、嵌められて、世間の注目を集めるための結婚イベントを実行しただけのこと」という趣旨の言葉が印象的でした。
 じわじわ人気の出た曲といえば、「昔の名前ででています」もそうでしたね。

投稿: 越村 南 | 2016年6月 9日 (木) 22時46分

美空ひばりは「涙」を自由に操れる歌手だったそうです。そういえば、この歌を唄うときの彼女には、常に目に涙を溜めていた印象があります。「涙」は、それだけインパクトが強いのです。レコードの売り上げがミリオンセラーを記録した中には、「涙」の効果がかなりあったんでしょうね。
 ところで、別の歌で「涙」は女の武器にはなるが、男の場合は、むしろマイナスに働くのではないか、といった《蛇足》の解説があったように記憶しています。この歌のオリジナルは、男性歌手だったそうです。そのときは売れずに、カバー曲であることを伏せてひばりに唄わせたら、ミリオンセラーになったと言うのですが、どうしてでしょうか。もちろん歌唱力の問題はあるでしょう。五木ひろしや森進一のような上手な歌手が唄ったら、ヒットしたかもしれません。しかし、はたしてミリオンセラーになったかどうか。最大の要因は、彼女が「女の武器」の「涙」を最大限に活用したからでしょう。オリジナルの男性歌手がどのように唄ったかは分かりません。しかし、かれが「涙」を流しながら唄ったとは、とても思えません。まだまだ男が人前で「涙」を見せることは、芸人といえどもタブーの時代だったからです。
 この歌には、間奏のところでセリフが入っています。このセリフを入れてくれと要求したのが、他ならぬひばりだったというのですが、天下の作詞家と作曲家を相手に我儘を要求するとは「さすが演歌の女王」と感心される方も多いと思いますが、わたしはカバー曲を隠してレコーディングさせられた(騙された)ひばりの抵抗ではなかったか、と思っています。もっとも、そのセリフ部分が「涙」の源泉にもなるのですから、お二人も敢えて反対はしなかったのでしょう。私見では、セリフはない方がいいと思います。森進一もこの歌をカバーしていますが、セリフはありません。 

投稿: ひろし | 2016年6月11日 (土) 15時19分

 女心の悲哀の唄を男性歌手が歌ってもヒットした例があります。『氷雨』(佳山明生1977年、日野美歌1982年)。永く歌い継がれたのは、日野美歌の歌唱が大いに与っていたのではと想像しますが、なにしろ、女心の唄ですから。

投稿: 槃特の呟き | 2016年6月12日 (日) 00時12分

昨夜、他のサイトを、お宅の物と間違ってメール送ってしまいました。深くお詫び申し上げます。お騒がせで御免なさい。

投稿: たまママ | 2016年6月22日 (水) 10時02分

古賀政男の曲はほとんどが気が滅入ってしまい、特にこの悲しい酒には酒でも飲まなくてはやりきれなくなってしまいます。
まして、あのセリフと極端にゆっくりと唄う歌唱にはこころがブルー(憂鬱)になってしまうのです。
生前にひばりは原曲を壊さないで歌うことを主張していたように思いますが、この歌に関してはひばりは自分の主張を変えてしまったようで残念です!

投稿: ゆく | 2016年6月29日 (水) 18時41分

こんばんは   悲しい酒  何ともいえず遣る瀬無い気持ちにさせてくれる 素晴しい曲です

 越村 南 さまの書かれたように

 昔は、気にもとめなかったひばりの歌ですが、年をとると不思議なほどに価値を増してくる。歌が上手いというのもあるが、情感こめた歌い方が他の歌手をよせつけない。
その天才性が伝わってくる

 素晴しい分析 適確な表現  自分が感じていても 表しえなかったもどかしさを完全に消しさっていただけました  有り難うございました  ほんとうに ひばりさんは そういう方です                  皆様の認める 日本一の国民歌手なのですね

 ひろしさまの書かれている

 美空ひばりは「涙」を自由に操れる歌手だったそうです。そういえば、この歌を唄うときの彼女には、常に目に涙を溜めていた印象があります。

 その記載にも思い出すことがあります

 1968年暮れの紅白のトリ 涙をポロポロ落としながらうたわれたのでした  そのときは まだ若かったためか その泣かれていることだけ印象にのこったのです  曲名も知らず その歌詞も残らず その映像のみが記憶に沈んだのです   それから何十年が経ち ひばりの特集記事などから その曲は 熱祷(いのり)と知りました  詞に 死 と云う言葉が使われています    死 が詞のなかに使われた曲は いくつもあるでしょう  江梨子 絶唱  など

 でも この 熱祷の 死 のことばほど情念のもつれあうような凄まじい使い方はないように思えます  ひばりさんだから歌えた曲かな  ヒツトしていないと思うのですが 如何でしょう なちさま 二木先生からなら答がいただけるかも知れませんね
 死を扱ったので あまりヒツトしなかった
 紅白に準備されたものだった  いろいろ考えられます  

 また この曲のせりふは 何ともいえません
   人生の極みの言の葉です

 こういうせりふを言わずとも伝わってくる そうゆう心をもつ方をさがす旅に出ましょうか   
 悲しい酒  も  熱祷  も 僕の涙歌です

 この場を お借りして なちさま いつも疑問に答えていただき ほんとうに有り難うございます 花の街でもしかり 今回の高校野球でも なちさまの知識力には感服いたしております  僕の デジタル対応の拙さへの反省も含めて

 先生 元気に日々過ごしております  また ときどき書かせていただくかもしれません  炎上等には留意しながらーー よろしくお願いします

 りんごさん 有り難うございます  
いろいろ考え 書き出したらとまらなくなりそうです  僕と山形との唯一の接点 は 夜汽車にコメントしております  大昔の失敗談です  今後ともよろしくお願いいたします 

投稿: 能勢の赤ひげ | 2016年7月 3日 (日) 21時48分

能勢の赤ひげ 様
 お久しぶりのコメントうれしく拝見しました。お元気にお過ごしとのこと何よりです。そして、以前と少しも変わらぬこころやさしいコメントの中身に癒されます。いつも患者目線で施療にあたっておられる、あなた様のお人柄が偲ばれて、こちらまでやさしくなります。これからも折にふれてコメントされることを期待しています。
 
 先日、朝日新聞の別紙The Globeに、中東のドバイが医療先進都市を目指して、優秀な医師を世界中から集めているという情報を伝えていました。成功すると今までの数倍の収入があるというのです。しかも自由診療ですから、公的医療のような規制に束縛されることを嫌う医師には魅力的でしょうね。日本からも“ドバイ行き”の医師が出てくるんでしょうか。ただ、わたしのような酒好きの方は要注意ですね。酔っぱらって警察のご厄介になると「悲しい酒」になりかねませんから。

投稿: ひろし | 2016年7月 6日 (水) 12時15分

「悲しい酒」私は趣味でギターを弾き始めてから50年になりますが、数ある古賀メロディの中でも、ギターを手にした時、この曲だけは必ず爪弾く私の最も好きな一曲です!

作詞者の石本美由紀は古賀政男から「酒は涙か溜息か」の現代版書いて欲しいと頼まれ依頼された。「酒は・・」は石本の師匠・高橋掬太郎の不功の名作でこれを超す傑作となると中々書けず、迷いに迷って二十日間ほど酒場に通って詩想を練った。ところが横浜駅西口の行きつけのスナック「コロ」で逢ったホステスの身の上話がヒントになった。夫と別れ、夜の勤めをしながら子供を育てているという話を聞いていたら、ふと「一人酒場で飲む酒は 別れ涙の味がする・・・」のフレーズが浮かび、あとは一気に書き上げたそうです。「精選・美空ひばりの世界より」

思えば、ひばりさんは戦後間もないラジオの時代に国民的大スターになり、そしてテレビ時代に移る20代では、すでに歌の女王と言われるほどの名声と巨万の富を得ました。しかしその反面では取り巻き関係者に公演料の大金を持ち逃げされたり、またプライベートでは結婚をして直ぐに離婚、さらに後年には最愛の母を亡くし、さらには弟二人を続けて亡くすという辛く寂しい経験もしています。
人前でそのゆるぎない貫録を見せてはいても、ひばりさん自身に押し寄せてくるその孤独感は相当なものだったと思います。またそれを紛らわせるために悲しい酒を飲むことも多分にあったのではないかと私は想像します。
テレビで観た美空ひばりは、この歌のセリフを語るときには必ず瞼に涙を浮かべていました。それは様々な体験からくるその孤独感が、ひばりさんの脳裏に一気に蘇ってきたのではないでしょうか。

「悲しい酒」この歌は埋もれてしまう運命だった作品を、人生悲哀、孤独感を見事に表現したひばりの歌唱力で、名曲としてよみがえらせたのである。という、作詩者石本美由紀の言葉にも私は素直に頷けます。
そして何と云っても一番が終わったあとの間奏メロディは特に素晴らしいものがあり、このフレーズにセリフを入れたいと強く願った、またこの歌を自分だけのものにしようとした、そのひばりさんの気持ちが、私には今解るような気がします。


投稿: 芳勝 | 2020年1月21日 (火) 18時55分

歌は「悲しい酒」ですが、今回は<蛇足>への感想です。題をつけるなら「悲しい酒飲み」ですね。
6年前に、二木先生の人生録のような文章を読み、えーっ、お酒やめて20年って・・すごいなー、えらいなーという衝撃を受けました。愛酒家の私ゆえにお酒をやめる難しさを知っているからです。私も30代、40代、50代に1か月断酒とか百日断酒とか自分で決めて守れなかったり、やり遂げてもその後継続できなかったり・・お酒をやめる難しさが身に染みてわかりました。私はお酒もタバコも覚せい剤も「危ない薬」で同じものだと思っています。意志の力はほとんど無理だろうなとも思っています。
また「酒は百薬の長」という言葉は新(西暦8年~23年)の王莽が酒を国家の管理化に置き、生産流通販売の統制から発生する利益を独占するために作ったもので、酒税を集めるための美辞麗句です。徒然草第175段にも「百薬の長とはいえど万(よろず)の病(やまい)は酒よりこそ起これ」と注意書きがあります。

ところで私は今2021年の9月以後毎晩の晩酌をやめています。風邪をひいた日とか熱がある日以外は原則的に40年ほど晩酌を続けていました。でも体にアルコール分が残っているんですね。だからしんどい、1日やめてみよう、・・おっ体が楽だ、2日やめたらどうかな、・・もっと楽になった。こんな調子で3週間ほどしたら9月18日に脳出血になり、緊急入院。医者は酒はダメよと言いました。妻の厳しい管理下で食生活を送っていますがまあ年なんでしょうね、はいわかりましたと応じる自分に驚きです。先生の後を追いかけている私です。酒がなくなれば人生が寂しくなると思っていた私ですが、おおいに間違ってました。酔ってない時間が多いとたくさんのことが丁寧にできる、感じ取れるものです。それにお米や野菜がめちゃくちゃ美味しいんです。お酒をやめたなんて人さまにいうことじゃないんですが、先生への報告です。それによって、断酒がより長く続くことを祈っています。

投稿: 越村 南 | 2022年5月26日 (木) 08時23分

お二人とも悲しい酒ですね。私は体質的に飲めなかったので(付き合い上は飲みましたが)そう言う苦労は理解出来ませんが、祖父が曾祖父の貯めた金を全て飲んでしまい、ある夜は飲んで帰って来て表戸を開けお勝手を通過して裏戸を開け竹やぶの中で一晩過ごした言う事を祖母に聞いた事があります。あの世に行くまで飲んでいました。「酒なんて大嫌いさ、夜がクスクス笑うから飲めるふりして飲んでるだけさ」こんな歌で耐えて下さい。

投稿: 海道 | 2022年5月26日 (木) 14時35分

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