波をこえて
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 大波をこえて さあ行こうよ 2 コバルトの 海原にひとすじ 3 はてもなく広がる この海の Sobre las Olas 作詞:Pedro Infante En la inmensidadde las olas flotando te vi Si dentro de mi dolor tu refugio llegara a turbar Y del relámpago en duro fragor Mi suspiro es mi ideal o mi acervo dolor En la inmensidad de las olas flotando te vi |
《蛇足》 メキシコの作曲家でヴァイオリニストのフベンティノ・ロサス(Juventino Rosas 1868-1894)が1884年(諸説あり)に発表したワルツ。楽譜の発売は1888年。
これがヨーロッパに伝わり、ドイツやオーストリア、スペイン、フランスなどのダンスホール、公園、市場などで盛んに演奏されました。ヨーロッパでは、ヨハン・シュトラウス2世あたりが作ったウインナ・ワルツだろうと思っていた人が多かったようです。
実際、この曲はあまりメキシコ音楽ぽくなく、ヨーロッパのセミクラシック音楽の特徴が認められます。
1893年にロサスがバンドを率いてアメリカ各地を巡業したことから、アメリカにも広まりました。
原題の"Sobre las olas"は「波の彼方へ」とか「波を越えて」といった意味ですが、それをそのまま英語化して"Over the waves" というタイトルで、ジャズやブルーグラス、カントリー・ウエスタンなどに編曲されて演奏されました。
わが国では、『波涛を越えて』というタイトルで親しまれています。
原曲は器楽曲でしたが、のちに各国でさまざまな歌詞がつけられました。1890年代の前半にスペイン語の歌詞がつけられましたが、作詞者は不明です。
上のスペイン語詞は、メキシコの俳優で歌手のペドロ・インファンテ(Pedro Infante 1917-1957)が1954年に作ったもの。
これも含めて、各国でつけられた歌詞のほとんどが恋歌です。
いっぽう、上の日本語詞は童謡のようです。それもそのはずで、この歌詞はNHK『みんなのうた』のために作られたものです。編曲した服部公一が、「きた・ひろし」というペンネームで作詞し、昭和37年(1962)7月に、東京少年少女合唱隊の歌で放送されました。
大人向きの日本語詞はないかと探しましたが、見つかりませんでした。
フベンティノ・ロサスは、驚くべき音楽的才能に恵まれる一方、悲運にも見舞われた人物です。
フベンティノは、グアナフアト州サンタ・クルスの貧農の子どもとして生まれました。父親は音楽的才能があり、軍楽隊で演奏したこともありました。彼は、兄にはギター、姉にはハープ、フベンティノにはバイオリンを教え、彼自身はハープを弾きました。どの楽器もごく粗末なものでした。
子どもたちがある程度弾けるようになると、バンドを組み、民族衣装を着て、州内各地で催される祭や市を演奏して回りました。
フベンティノが7歳のとき、一家はよりよい生活を求めて、400キロ離れた首都のメキシコシティまで歩いていきました。フベンティノは、この頃すでにヴァイオリンを完全にマスターしていたといわれます。
一家が腰を落ち着けたのは、メキシコシティのなかでも最も悪名高い一角で、小さな家が密集し、通りは悪臭に満ち、悪徳と犯罪がはびこっていました。
そんな場所でも、フベンティノは急速に才能を伸ばしていきました。代表作の"Sobre las olas"を作曲したのは16歳のとき。18歳のときには、ビッグバンドのリーダーを務めるまでになっていました。国立劇場でソロ演奏をしたこともありました。
名声を得る一方で、いくつも苦難に出会っています。父と兄・姉を早くに亡くし、一家の生活のためにかさんだ借金の返済に追われました。手ひどい失恋も味わったようです。
借財を返すために、フベンティノは作品の権利を一括して、ヴァグネル&レビエン(A.Wagner y Levien)社に譲渡しました。代金はわずか45ペソ。同社は、作品の楽譜を販売することで10万ペソを得たといわれます。
芸術的才能と経済的才覚とのなんという落差。過去、多くの天才が味わってきた悲劇です。
フベンティノは、1894年7月9日、滞在先のキューバで亡くなりました。わずか26歳半の人生でした。
しかし、故郷の人びとは、彼の業績を忘れませんでした。生地のサンタ・クルスは、現在サンタ・クルス・デ・フベンティノ・ロサスが正式名称になっています。
(二木紘三)
コメント
私もウィンナーワルツとばかり思っておりました。ワルツはクラシック音楽に分類されることも多いようですが、19世紀に大流行したことがあって、今日でいうポピュラーに近いものがあるようです。
二木先生は『異邦人』の蛇足の中で「歌い継がれる1曲は、すぐに歌われなくなってしまう大ヒット10曲に勝ると思います」と述べられています。『波を越えて』の他に『ダニューブ河の漣』(イヴァノビッチ)など、ただ1曲だけを後世に残した作曲家がいます。シュトラウス親子によるものが殆どという印象のワルツの中で『波を越えて』や『ダニューブ河の漣』は珠玉の名作ですね。
投稿: Yoshi | 2016年7月 4日 (月) 12時35分
【すみれ】と共に【波をこえて】を弾きます。大好きな曲で夢中になって弾いていると、森が近いので空の上から小鳥の声がしてきて、ピアノに合わせてピーピー反応するのです。小鳥と会話ができたと思うと幸せ気分で楽しくなります。♪小鳥はとっても歌が好き♪ 多分南の国から来たのね。
投稿: 細川 和代 | 2022年10月22日 (土) 10時39分