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2016年7月18日 (月)

少年の秋

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・補作詞:佐藤春夫、作曲:渡久地政信、唄:三浦洸一

1 わがふるさとの南国も
  祭すぎての夕風は
  肌ここちよい秋袷(あきあわせ)
  君が窓の灯(ひ)なつかしく
  口笛吹いて行きかえり

2 眼はきよらかに色白の
  おさななじみは丈(たけ)のびて
  御船祭(みふねまつり)の行きずりに
  もの云いかけたおもかげを
  慕わしとする少年の

3 君とその兄さそい来て
  王子ガ浜に月を見る
  心たのしいひと時も
  湧くもどかしさ紛らすと
  月夜の海に石投げて

4 熊野の川に遊びては
  水掛けあいし戯(たわむ)れの
  おさなきころの無邪気な日
  みかんの花が咲いていた
  甘く酸っぱい思い出よ

5 離郷のときに別れにと
  君にもらいしお守りも
  今では悲し初恋の
  淡き思いの心かよ
  紀南の郷(さと)の秋のこと

《蛇足》 NHKラジオ歌謡の1つで、昭和34年(1959)11月9日から6日間放送されました。
 作詞は詩人の佐藤春夫。佐藤春夫の詩に曲をつけた歌曲はいくつかありますが、注文を受けて大衆歌謡の歌詞を書いたのは、この曲が最初で最後ではないかと思います。未確認ですが。

 この作詞をしたいきさつについて、佐藤春夫は、『詩の本』(昭和35年〈1960〉、有信堂発行)収録の『少年と秋―歌謡と唱歌』と題する短文で、次のように語っています。以下、原文を新漢字・現代仮名遣いに直して記載します。
 なお、
『定本 佐藤春夫全集第2巻』(臨川書店)巻末の解題によると、この文章は『詩の本』のために新たに書き下ろしたもののようです。

 NHKの人が来て相なるべくは口語で歌謡を一つ書け、歌う時間の関係で、五行二聯の長さが適当だという。
 十月中ごろに歌う予定で、テーマはわが旧作「少年の日」のようなものが好もしいと聞いたので、それではと「少年の日」のなかの秋の一聯

    君が瞳はつぶらにて
    君が心は知りがたし
    君をはなれてただひとり
    月夜の海に石を投ぐ

 というものを歌謡体に歌い直してみることにして「少年の秋」という題を設けた。「少年の日」のなかの四行に歌謡らしい水を増してみるのである。詩情はおのずと淡くなろうが、わかりよく一般に親しまれる趣をと心がけて初恋の歌というようなものを試みたものである。
 歌謡には何よりも歌い出しの一句が大切と聞き及んでいるが、こんなことではどうであろうか。

(ここに作った歌詞、すなわち上の1~3番が入る。1番3行目の秋袷が初袷になっていますが、これは著者の勘違いだろうと思われます)

 これで詩と歌謡との説明しがたい微妙な区別がわかってもらえたらうれしい。

 (以下省略)。

 歌詞は当初3聯でしたが、詩人自身により2聯つけ加えられました。この補作詞がNHKの依頼によるものか、詩人の意思によるものかは不明です。
 しかし、2聯、とくに第5聯の追加によって、魂のふるさとともいうべき少年時代への懐旧の思いが一段と強まっています。
 大衆向け歌謡ということで、高踏派的性格は抑えられていますが、それでも何か所かそうした傾向を感じさせる表現があり、それがこの歌の格調を高めています。

 この歌は佐藤春夫が生まれ育った紀州・新宮を舞台としていますが、少年時代をどこで過ごしたかに関わりなく、「昔少年」の胸を熱く揺さぶるのではないでしょうか。
 佐藤春夫が少年期を送った明治30~40年代と、私の少年期の昭和20年代とは、時代が大幅に違いますし、
生まれ育った場所の地形や環境もずいぶん異なっています。
 にもかかわらず、幼友達と野山をのたくり遊んだ日々や、同級の美少女に心を躍らせたことなどは同じです。

 TBSラジオの長寿番組だった『小沢昭一の小沢昭一的こころ』で、小沢昭一が「夕方、好きな女の子の家の窓明かりを見るだけで胸がどきどきした」と語っていたことを思い出します。小沢昭一は、生まれも育ちも東京です。

 渡久地政信の曲がまたすばらしい。洗練された短調のメロディーは、少年時代への追憶の思いを倍加させ、初恋とはいえないほどの少女へのほのかな憧憬を思い起こさせます。

 不思議なのは、歌詞・曲ともすばらしいこの歌が人びとの記憶の網からすっぽり抜け落ちていることです。昭和2,30年代にヒットしたラジオ歌謡やラジオ歌謡ではない抒情歌は、何人かの歌手によってカバーされています。
 それらに勝るとも劣らないこの曲は、ざっと検索してみたところでは、だれもカバーしていません
(平成28年7月18日現在)。この名曲に光を当ててくれる歌手はいないのでしょうか。

 ところで、佐藤春夫の少年時代は、自伝的小説『わんぱく時代』に生き生きと描かれています。自伝ではなく、自伝的小説なので、かなりの虚構が入っているようですが、新宮時代の佐藤春夫の生活をうかがい知ることできます。
 児童向け文芸全集の偕成社文庫に入っていますが、児童向けに書かれた小説ではありません。
 昭和32年
(1957)10月20日から朝日新聞の夕刊に144回にわたって連載された新聞小説です。文芸評論家の吉田精一は、「新聞小説としては、風変わりといってよいほど読者におあいそのないもので、それだけに気品のあるもの……」と評しています。

 この小説は、昭和61年(1986)に大林宣彦によって映画化されました。舞台を監督の故郷・尾道に移し、タイトルは『野ゆき山ゆき海べゆき』となっていました。このタイトルは、『少年の秋』の発想源となった詩『少年の日』の冒頭の1句から取ったものです。そこで、最後にこの名詩を挙げておきましょう。

    少年の日

     1

野ゆき山ゆき海邊ゆき
眞ひるの丘べ花を敷き
つぶら瞳の君ゆゑに
うれひは靑し空よりも。

     2

影おほき林をたどり
夢ふかきみ瞳を戀ひ
あたたかき眞晝(まひる)の丘べ
花を敷き、あはれ若き日。

     3

君が瞳はつぶらにて
君が心は知りがたし。
君をはなれて唯ひとり
月夜の海に石を投ぐ。

     4

君は夜な夜な毛糸編む
銀の編み棒に編む糸は
かぐろなる糸あかき糸
そのラムプ敷き誰(た)がものぞ。

(二木紘三)

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コメント

懐かしい詩です。この歌があることを全く知りませんでした。作詞に合ったメロディですね。昭和34年に聴いていたら忘れられない歌になっていたと思います。小さい時から知っていた近所の2歳年上の少年が出会うたびにじっと見つめてくれていました。恥かしいので私はいつも下を向いていました。黒目がちの美少年でした。彼が自転車の上から抱えていた本を落とした時、拾い上げて「どうぞ」というと「ありがとう」と答えてくれました。10年ぐらいの間に話したのはそれだけです。京大へ進学されたと人ずてに聞きました。彼を思い出すたびにこの詩を思い出します。
 春夫のこの詩の「夏」の聯の「あたたかき 真晝の丘べ」「花を敷き あはれ若き日」の部分が昭和27年発刊の伊藤信吉「現代詩の鑑賞」では「なやましき 真晝の丘べ」「さしぐまる 赤き花にも」になっています。
「さしぐまる」の意味が私は理解できていませんが・・・

投稿: ハコベの花 | 2016年7月19日 (火) 12時26分

ハコベの花様

文学好きの少女でいらっしゃったのですね。佐藤春夫の詩に二通りあることは、ネットに質問と解答があり、解答されたかたによると初出の殉情詩集(1922年)には「さしぐまる」、佐藤春夫詩集(1926年)には「花を敷き」になっていて、作者による改訂とのことです。「さしぐまる」は「君を思うと涙が出る」の意かと推察します。「孝女白菊の歌」が日本の近代詩の源にあることをこの二木様のブログで初めて知りましたが、ハコベの花様が少女時代に親しまれた「孝女白菊の歌」や佐藤春夫の詩には、現代の詩が失っている何かがあるように感じます。ハコベの花様のご投稿に接するうち、お住まいの近くの浜名湖への慕情が湧きました。「おうみ」「とおとうみ」と琵琶湖と併称された湖は、北部は琵琶湖の北部同様のひなびた味わいがあるのですね。「かえり船」「月がとっても青いから」などを作詞した清水みのるさんは浜名市出身で、「わが浜名湖」という詩集も出しておられますね。いつか浜名湖をハコベの花様の恋物語をしのびながら旅したいと思います。

投稿: 加藤 | 2016年7月19日 (火) 21時33分

はじめて聞かせていただきました  こみ上げてくる感傷と得もいえぬ悲しみ 涙ぐまずにはおられない旋律 また歌われたのが三浦洸一さん  素晴しい曲を紹介していただき 涙してきいております  二木先生ありがとうございます  
 
 佐藤春夫さんが 新宮の出身だったとか  全く曲も知らず佐藤春夫さんの詩も文章もあまり読んでいない僕のような者が 書くべきでないとも思うのですがーー
 
 唐突にこみ上げるものがあり 指を動かしています

 私的すぎて 皆さんには どうでもいいことですね
 僕の祖父母の四人のうち 二人が和歌山出身 残る二人が神戸です  ですから 大好きな高校野球の応援も 一
に兵庫 二に和歌山 三に大阪 という具合でした
  
 尾藤監督率いる箕島高校の活躍 どれほど胸踊ったか
 いろんな場面が 思い出されます  東尾からはじまり
 島本講平 春夏連覇の石井.島田兄のバッテリイ 懐かしさだけでも泣けてきます   島田兄が主将で捕手で一番   一番打者.捕手.主将は 他では見たことがありませんでした また ストライクは必ず一球目から振る
 尾藤野球の真髄だったのでしょうね   また連覇することとなる夏の県予選で勝った後 甲子園出場までの間に 島田兄の遭遇した箕島のコレラ事件  ほんとうにいろいろなドラマがありました  春の優勝戦の相手は あの浪商の牛島.香川だったのです (敬称略させていただきました)

 箕島 すばらしかったです

 でも これからが本論です

 新宮ときいて 一番に思い浮かべたのは この投手の名前でした  県立新宮高校の左腕 前岡投手です  右 左の違いはあれ 沢村栄治二世と称され鳴り物入りで 阪神へ入団した方です  何故まだ幼なかった僕の記憶に残ったのかは わかりません  もちろんプロで成功しなかったのは知っておりました
 でも 今になってはじめて 入団してすぐ肩を傷めるような場面があったことを知りました  あまり言い過ぎるといけないので 前岡さんのことはこれくらいでーー
 元気にされていることを 願うばかりです

 二番に思い出したのは 相撲の久島海関です 新宮高校の三年間 高校選手権で優勝 大学は日大にすすみ 四年生のときは 優勝を逃がしますが 三年生までは 学生横綱でした  現在までで もっとも輝かしい成績で角界に入門しています  しかし 最高位が前頭筆頭どまりで 周りの期待まで届かず また 若貴全盛の時代で 貴乃花のヒールとまでいわれました  番付の上げ下げにも相撲界の汚点ともいえる事実が残っています  でも 精進して親方にはなられましたが 弟子をこれからーー というところで早世されています
  
 
 南紀新宮は 神のおられるところ なのに何故か不遇をかこった方々が偲ばれ涙する 満月前夜です 

投稿: 能勢の赤ひげ | 2016年7月20日 (水) 00時59分

いい歌です。まったく知りませんでした。三浦さん渡久地さんと言えば「踊子」が有名になりすぎたので陰にかくれてしまったのでしょうか。

投稿: Hurry | 2016年7月20日 (水) 06時26分

ハコベの花様 差し含まる は涙ぐむ の古語かと思いますが

投稿: 夢見る男 | 2016年7月20日 (水) 08時45分

加藤様、夢見る男様
「さしぐまる」をお教え下さって有難うございました。中学生なって一番初めに暗唱したのが、「千曲川旅情のうた」2番目が「少年の日」でした。その時、「さしぐるま」と覚えてしまったのでこの欄の「さしぐまる」に驚いてしまいました。古語なのですね。始めて知りました。花を挿した車だと思っていました。加藤様が仰る「遠つ淡海」はもう昔の面影はないかも知れません。年に何回かは行きますが、東名高速が南にも、奥浜名湖のほうの北にも通り、ひなびた感じが消えています。彼の君の思い出だけが心にあります。

投稿: ハコベの花 | 2016年7月20日 (水) 10時53分

「さしぐまる」は「さしぐむ(差し含む)」の未然形「さしぐま」に助動詞「る」(自発)がくっついたものということでしょうかね。 味わいのある言い方ですね。
 漢字表記になってれば、ハコベの花様も間違ってお覚えになることはなかったでしょうにね。でも、ご提起によって勉強になりました。  そういえば、カール・ブッセ 上田敏訳「山のあなたに」に 「涙さしぐみ かえりきぬ」とありましたね。 中三の現国でした。

投稿: かせい | 2016年7月20日 (水) 14時40分

この歌は、1959(昭和34)年11月のラジオ歌謡で放送されたそうですが、知りませんでした。この時期、わたしは大学5年(留年)で就職先が未だ決まらず、落ち着いた生活をしていませんでしたし、寮の部屋にはラジオなんてありませんでしたから、知らなかったのも当然ですが。驚きなのは、『上海帰りのリル』や『お富さん』など演歌・歌謡曲のヒットメーカー渡久地政信(とくちまさのぶ)の作曲だとは。優れた作曲家は、抒情歌でもその才能を発揮しているということでしょうか。
 残念なことに、こんな綺麗な歌がヒットしなかったようですが、なぜでしょうか。考えられることは、三つあるように思います。
①渡久地政信のメロディは確かに優しく綺麗なのですが、高音部と低音部の上がり下がりに急なところがあり、歌唱力に自信がないと、歌いにくい面があります。とくに、3行目から最終行にかけて。
②佐藤春夫の歌詞は、さすが高名な詩人だけに、大衆歌謡の歌詞としては洗練されていますが、それが仇になっている面があるように思われます。この『少年の秋』の歌詞も、抒情詩として鑑賞するには適しているのでしょうが、歌謡詞としては、同じ詩人でも西条八十の方が練れているように思われます。
③歌謡曲(抒情歌も含めて)がヒットするには、その歌に適した社会環境があるのではないでしょうか。たとえば、オリンピックのときには、明るく楽しいリズミカルな歌が適しているように。この『少年の秋』が放送された1959(昭和34)年の11月は、第2次岸内閣による新安保条約が締結される前夜で、全国的に社会騒然とした空気が漲っていた頃ですから、このような文芸歌謡が受け入れられる環境になかったことも一因かと思われます。
 以上、音楽に門外漢のわたしが、臆面もなく愚論を申し述べましたが、お許しください。
 敢えて付言しますが、わたしはこの歌を優れた抒情歌と思っています。その後もカバー曲が出されていないようですが、何とか歌い継いでいって欲しいという思いは強いです。佐藤春夫の地元新宮市では、歌い継がれているのでしょうか。ご当地ソングとして歌い継ぐというと、佐藤春夫に叱れるでしょうか。
 

投稿: ひろし | 2016年7月20日 (水) 14時51分

「差し含む」・・・はじめての漢字です。上田敏「山のあなた」はよく聞きましたが、そのことだったのですね。ありがとうございました。このブログ?はそういう意味でもとても含蓄のあるものです。
 時間のあるときはよく見ています。

投稿: 今でも青春 | 2016年7月20日 (水) 21時11分

 『少年の秋』は、明確に初恋の歌です。島崎藤村の『初恋』を思いだし、比べてしまった。荒々しい熊野灘に面し、神々のいます熊野を背景に歌われた南紀の水辺の詩。雪深い信州の澄んだ空気の下に乙女の姿を歌いあげた林檎畑の詩。風土を溶かした二つの初恋の詩は、心に響きます。藤村の詩には思慕の素直さを感じ、春夫の詩には少年のもつ羞恥心の深さを感じます。三文評論です・・

 佐藤春夫といえば、『好(よ)き友』という文章をまず思いだします。新宮中学、12歳頃の出来事を回想して書いたものです。
 体育の授業が雨で中止になり、先生が紙を配って「自分の友達の名前を5,6人書きなさい」という。思春期の子どもにとってはなやましい問題だ。出し終わった後も、誰の名前を書いた、誰は書かなかった・・が話題になった。
 一人の学生が春夫のところに来て「あんたは誰を書いた」という。春夫は、父親が医者で、名士のお坊ちゃま的存在、成績も優秀で、敬して遠ざけられる存在。春夫の高踏的な性格も加わって、ひとりも友達がいない。
春夫は、体育の先生が時間つぶしに出した課題だと見切っている。いいかげんに自分の座席の周りの学生の名を書いた。春夫の座席の真後ろの学生が「あんた誰書いたんな?」と聞いてきた。
 
ーーここから原文です。
「おれはあんたの名前を書いたんぢゃ」
その答へとともに、彼のはしゃいでゐた顔は一刹那にがらりと変化した。しばらく無言だった彼はやっと私に言った。ーー
「こらへとおくれよ。なう、わあきあ、あんたをわすれたあつた。わあきあ、ぎやうさんつれがあるさか」
 二十年を経た今日、彼のその言葉をそつくりと田舎訛のままで思ひ出す。さうして私は彼の正直な一言に無限の友情を見出すのです。ひよつとするとと、これが私のうけた第一の友情ではないかとさへ思はれるくらいです。・・・

--この学生の田舎訛りの詫びの言葉を、佐藤春夫は文語調で訳しています。「恕せ友よ、余は君を失念しゐたり。余は多くの友を持つが故に」
何度読んでも、『好き友』は私にとって名文です。
 

投稿: 越村 南 | 2016年7月22日 (金) 12時25分

元の詩の「少年の日」に曲が付いていたらもっと感動した人が多かったような気がします。短い詩の中に思いが凝縮しますから。
ところで今の若い人にラブレターを貰った事があるかと聞いてみたら一人もいませんでした。メールになってしまって字など書かない時代になってしまったのですね。それと道路が広くなってしまってすれ違っても顔を近くで見る事もない上に、車の中では路地の小径で出会うこともないのでしょう。すれ違った時のドキッとする感覚は何にも代えがたいものなのですが・・・恋の前段階が今の人には無くなってしまっているのでしょう。その前段階が一番美しい思い出になっているのですが、何にか勿体ないですね。叙情と情緒が無くなってしまったようです。山茶花の白い花の咲いていた小径で本を拾って手渡したのですが、彼も覚えていてくれると思います。

投稿: ハコベの花 | 2016年7月22日 (金) 17時59分

ラジオ歌謡は良い歌が多く、1曲の放送期間は短かったのですね。

「少年の日」佐藤春夫の詩による「5つの歌曲」
 作曲 西出次郎 があるのでは?
佐藤春夫 作詞の歌は沢山あるのですね。
http://www2.jasrac.or.jp/eJwid/main.jsp?trxID=F00100

http://home.u05.itscom.net/soujutei/comp_ni.htm


ママさんコーラスの県大会で「秋の女よ」を唄ったことがあります。
作詞 佐藤春夫 : 作曲 塚谷晃弘

投稿: なち | 2016年7月22日 (金) 19時19分

なち様 やはり『少年の日』の曲があったのですね。なちさんならご存知かもと思っておりました。やっぱりでした!曲が聴けないのが残念です。思春期の頃の自分が戻ってくるようです。、
加藤様 旅情を削いでしまうような事を書いてしまいましたが浜名湖を私が見慣れているから昔よりつまらなくなったと思うだけで、初めての人には素晴らしいと思われる所もあります。でも旅は出会った人とか一緒に行った人との思い出のほうが風景より心に残りますね。浜名湖の橋を東名高速や新幹線で通る時に素敵な少女が貴方を見つめていると思って下さい。勿論、貴方も「野ゆき山ゆき」の少年です。

投稿: ハコベの花 | 2016年7月23日 (土) 12時22分

ハコベの花様
浜名湖の旅について優しいお言葉をありがとうございました。私は実は米国に7年間住んでおりまして、二木先生のこの歌物語のブログを、故国の心にふれる最高のよすがとして、ありがたく拝聴拝読いたしております。米国は日本よりはるかに広いですが、日本もかなり広いと思えるところがあります。この歌物語から感じることですが、日本には山があり谷があり、その場所ごとにいろいろな村がありいろいろな町があり、それぞれの土地の歴史や伝統があり、石仏もお祭もあります。ご先祖たちの涙や情愛が、風に土に混じり、今の人たちを見守ってくれているように思えます。ハコベの花様の示唆くださいますように、日本を旅する事は、眼前の景色を味わうこともありますが、目に見えぬ過ぎし日の人の心にふれる事でもあると思います。琵琶湖畔と浜名湖畔は遠い昔の巨大な銅鐸が出る所で、淡海から遠つ淡海へ銅鐸の文化を持つ人々が移動したと思われます。そのような昔に思いを馳せ、私の大好きな「ふるさとの燈台」の歌(この歌物語で知った歌です)を作詞された、浜名湖畔で育った清水みのるさんをしのび、ハコベの花様と彼の君がかつて浜名湖でボートに乗られたことをしのび、古い歴史と哀しく美しい歌のある日本を味わいたいと思います。

投稿: 加藤 | 2016年7月23日 (土) 21時00分

うた物語をしばらく振りで開いてみて、びっくり。 「少年の秋」が瞬間的に目に飛び込んできたのです。
時代が変わり、詩情貧しき、今の人たちには歌われず、消え去った歌、楽しんでいるのは我一人と思っていました。私が高校生から大学生のころ、ラジオ歌謡をよく聞いていました。歌詞は新聞に小さく載っていましたのでそのスクラップが残っています。しかしメロデーは55年も経ってうろ覚えです。聞きたいラジオ歌謡をリストアップしてNHKのラジオ深夜便にお願いしたのですが、梨の礫で受け入れてもらえませんでした。
ラジオ歌謡の歌詞は抒情が豊かであり、曲もすばらしく、歌手の歌い方も声も何年経っても耳に残してくれます。
すばらし歌の文化と思っております。思い出に残る歌の数々がたくさんあります。その中で一番 私の好きな
歌が「少年の秋」でした。 二木紘三先生は素晴らしい、解説も素晴らしい。いつもありがとうございます。
因みにNHKへ放送依頼をした歌は少年の秋(三浦洸一)/木陰の夢(福本泰子)/山あじさいの歌(楠トシエ)/夏への挽歌(ビショップ節子)/それは秘密(中原美紗緒)/バラは見ていた(ビショップ節子)/今は秋(柴玲子)/街(高英男)/秋の思い出(ビショップ節子)/微風と街路樹(芦野宏・中原美紗緒)/早春のベープメントで(武井義明)/アネモネ(ザ・ピーナッツ)/春とお嬢さん(山本四郎)/いつの日あえる(フランク・永井)でした。


投稿: 田中一郎 | 2016年7月24日 (日) 10時25分

ハコベの花様、先の私の投稿をおわび致します。ハコベの花様の大切な思い出にさわるようなことをしてしまいました。いつもハコベの花様の、詩や歌へのお言葉に共感させていただいたり、女心に疎い者として、女心について教わったり、ご投稿をありがたく拝読いたしてまいりました。これからもいつまでもお元気でとお祈り致します。

二木先生もいつまでもお元気でこのすばらしい歌物語を続けていかれますようお祈り致しますとともに、この歌物語に集う皆様いつまでもお元気でとお祈り致します。

先の投稿で、清水みのるさんの出身地浜松市を、浜名市と誤記しました。
この佐藤春夫の詩や三木露風の「ふるさとの」などの詩を、中学か高校で読んだのですが、恋の詩の味わいは、失恋とか、ああすれば良かったのではと後でわかるとか、いろいろを経て年をとればとるほど深まるのではと感じております。

投稿: 加藤 | 2016年7月26日 (火) 04時29分

加藤様 実は清水実の生家は昔は浜名郡だったのです。浜松市が浜名郡を併合し、何年か前に浜北市も(昔はここも浜名郡でした)そして今は広範囲を寄せ集めて政令都市の浜松市になってしまったのです。私たちは清水実は浜名郡伊佐地生まれだと今でも思っています。浜名湖に面したひなびた田舎でしたよ。何といっても浜名郡は、水泳の古橋選手で有名ですね。うなぎでも有名です。穏やかで良い所です。私は浜松駅の近くで生まれ育ちましたが、今は昔、浜名郡だった半分、田舎に住んでいます。所々に田んぼが残っていて夜になるとカエルの合唱が聴こえます。雨が静かに降ってきました。青い稲の上を燕がスイッと飛ぶときもあります。水路には大きな鯉が泳ぎ、鴨も泳ぎます。もう戦後ではない証拠に捕まえて食べようとする人がいなくなりました。昔の少年たちはここで泳いだそうです。目に見えるような気がしますね。時々、この歌を聴いて少年や少女に戻ってみましょう。心は自由です。

投稿: ハコベの花 | 2016年7月26日 (火) 14時03分

ハコベの花様

お優しいお言葉ありがとうございます。この歌の少年が、思いを寄せる少女から優しい言葉をかけてもらったかのようです。

投稿: 加藤 | 2016年7月26日 (火) 14時16分

”少年の秋”という歌名ですが、私は”夏”を思い出します。夏休みに入り盆が近付きますと、田舎ではよく都会から帰ってきた家族を見かけました。

ある夏の日、そんな都会から来たらしき少女に出会いました。少女雑誌から抜け出してきたような少女でした。どんなきっかけだったのか思い出せないのですが彼女と少し話すことができました。彼女は「’しんし’って字書くことできる?」と私に問って、棒きれで道に”紳士”と描いて見せました。

彼女と話せたそのひとときの楽しさが忘れられず、その後数日間、彼女を見かけたその通りを何度も行き帰りしたのですがもはや彼女と会うことはできませんでした。

小学生の頃、夏が来るたびにその甘酸っぱい記憶が思いだされ、今年の夏は彼女と会えるかもしれない、との淡い期待を抱いたものです。忘れられない幻の少女と夏でした。

投稿: yoko | 2016年7月28日 (木) 19時10分

佐藤春夫といえば
「海辺の恋の儚さはこぼれ松葉の云々」が好きで、高校時代に暗唱したものです。
少年の秋も叙情的で心に染みる詩ですね。二木先生ありかとうござます、
初めて知りました。
ハコベの花様と加藤様の交換日記風なコメントも微笑ましい限りです。
NECのWindows7を10にアップしたのが触ったのが立ち上がらなくなり、点検入院中です、
今宵はスマホで此処にお邪魔致しました

投稿: りんご | 2016年7月28日 (木) 19時57分

 中学生の頃、いいなと思う女の子の家に近づくだけで胸がさわいだ。彼女の家を間近に見るとか、のぞくということはなかった。それをやったら昔なら出歯亀、今ならストーカーだ。過度の興味、過剰なる関心は、日常の平安をそこなうものであります。ま、それは後の講釈でありまして、当時の私は、今にもまして、女性に対し小心でした。
 この詩にある「君が窓の灯 なつかしく 口笛吹いて行きかえり」の心情は、おおいにうなづけばす。
<蛇足>に紹介されている小沢昭一的こころの「夕方、好きな女の子の家の窓明かりを見るだけで胸がどきどきした」の言葉も、素直に同感します。
梶光夫の歌に「流れる雲よ 城山に のぼればみえる 君の家」があり、
石橋正次の歌にも「鉄橋渡れば 君の家が見える」がある。
家や窓を見て、少女のイメージをふくらませ、陶酔を深めようとする詩人の心か、単なるのぞき根性の延長なのか・・おそらく半々ではなかろうか。聖俗あわせもつ人間のやることだから。聖俗一如という言葉もあります。

投稿: 紅孔雀 | 2016年8月 1日 (月) 11時07分

「青春の城下町」もこの歌と同じ、青春の入り口を思い出させる良い歌ですね。大好きです。温かな日だまりにいるような優しく甘酸っぱい気持ちで胸が一杯になります。
もう一度その時代に戻れたら、その人に「ありがとう」と手紙を書いて送りたいですね。それとも少しだけ一緒に並んで歩いて見たい気もします。夢の中のほうが良いかも知れませんが・・・


投稿: ハコベの花 | 2016年8月 2日 (火) 00時26分

 
 小学4年の 夏ごろ 神戸から西宮に越してから

 どう考えても 二回だけ 浮気をしたようですが

 散髪するのは 時間をとって 阪急今津線の甲東園にある  
   ---理髪店に行く

 僕が10才のときから かわらず そこの主人に
   頭を整えてもらっている

 阪神大震災のときは 新幹線の橋梁が崩れたり
  甲東園は 大変な被害をうけた地域だった

  ---理髪店が心配で 地震後 訪ねた
 もちろん そろそろ 髪を切る時期だったのだが
 大将が テント張りで 頑張っておられるのに
  出会わせ  涙が出て とまらなかった

 年月は  流れていくものである

 昨日も 大将と つもる話をしながら
  小一時間  頭を整えていただいた
 髪の毛も 極端に減り  10分もかければ
 終えることができるように思えるがーーー

 ゆっくり  話しながら  対応していただけている

 だいたいは  その地域の変化と
    野球が話題となる

 高校野球なら   報徳  が話題となり
  プロなら  阪神 である

 以前には  阪急の 西宮球場もあり
  甲子園より近かったが
 
 それは昔 今は 甲子園球場しかない

  報徳は 監督がかわり どうも 調子がわるい
 家内の友人の孫が プロからスカウトされる可能性のある選手だが 
   どうだろうか

 阪神の F についての話が主となった
 イップスで話題になっている 君である

 阪神の選手は 近在での もて方は 半端ではない
 そのため  道をはずす選手の多いこと

 この 少年の秋 に書かせていただいたことのある
 元 阪神の投手のことをも  考えながら

  流れ行く 年月に思いをはせている


 頭は ちぢに乱れ  この 世情 とても気になる

  <朝日新聞、強烈記事!>「過去にないウソつき政権」
  よく云った   拍手喝采だ

 

 

投稿: 能勢の | 2018年5月13日 (日) 17時37分

能勢の赤ひげさん?の投稿のお蔭で、
三浦洸一さんの歌がYouTubeで聴けました。
どうもありがとうございます。

投稿: なち | 2018年5月13日 (日) 19時06分

なちさま

   ご無沙汰いたしております

  お役にたったようで  とても嬉しいです

 いつも 教えていただいたり よいアドバイスを
  いただいたりでしたからーー

  結果的に 役に立ったようで よかったです


 五月にはいり  神戸のことをおもうことも多く

  また  何十年かぶりに 海星病院を訪れる機会にも
 恵まれました   
  昔 手術の助っ人で いったこともあり
  祖母の手術をしていただいた ところでもあり
    なつかしい 思いがこみあげてきていました
   もちろん 新しい建物にはなっておりましたが

  そのあと 母校にもよれましたしーー
 そのとき  上野地区のだんじり祭りにも遭遇
  五十年余り前の 一瞬間にもどれたような
    微妙な気になりました

  「好きな町」 岡本 敦郎

 いつも 頭のどこかで 奏でられています

  有り難うございます

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年5月13日 (日) 19時41分

麗らかな今朝の日和です。

篠突くような雨と霧の六甲を下山した翌朝の 気だるい疲労感を、香しい一杯のマンデリンと 懐かしい遠い日を想起させてくれるような「少年の秋」が、癒してくれます。

二木先生の名解説とコメントを寄せられた同好の方々の貴重な体験と思い出に、今まで出会えてなかった佐藤春夫の詩情溢れる詩の世界の一端を味わうことができ、幸せな気分に浸っています。

野ゆき 山ゆき した山村での少年時代のことは、今でも 懐かしく 楽しく 悲しく 切なくなるような感情で、不意に蘇ってくることがあります。

戦禍を逃れてたどり着いた山村の修練所という横長の長屋形式の母子寮、四畳半と六畳くらいの部屋で、母と妹二人の四人で過ごした貧しい少年時代のことが、不思議と鮮明に又 懐かしく思い出されます。

3~4軒離れたところに 私と同年代小学校2年生くらいの幼い二人の聾唖の兄弟が、仲良く肩を寄せ合うように暮らしていました。
近くの裏山で 雀を捕るための仕掛けや罠を上手に作っている姿を見て、何とかして友達になりたいと思い、少しずつ近づきましたが、腕白盛りの私のことを警戒されてか、なかなか友達にはなれませんでしたが、ある日 材料に使えそうな竹とぼろぼろの麻ひもを持って近づき、身振り手振りで話しかけ、やっとのことで友達として気を許してくれました。
幼い筈の兄弟でしたが、兄の弟に対する優しさと気遣いは今、思い出しても泣けてくるくらい羨ましく、妬ましいものでした。
10才違いの兄貴とは、遠く離れて住んでおり,生まれてこの方一緒に暮らした記憶のない私にとって、二人のあまりの仲良し振りは、羨ましいと同時に腹立たしいものでした。

ある時、物言えぬ身で二人して苦労して作り上げた雀捕りの仕掛けを、私は わざと骨身の竹を半分に折り壊してしまいました。思わず泣き叫ぶ弟を抱きかかえ、涙目で必死に身振り手振りで訴えてきた聾唖とはいえ、聡明そうな兄の悲しみと怒りに満ちた顔を 私は今でも忘れることが出来ません。

勤めから帰ってきた彼らの母親が、焼き芋を手に私の家に来て、”仲良くしてやってね”と、優しく語りかけてくれた
言葉は、折角仲良くできた筈の私の幼い心を 激しく責め苛みました。

どうやって、どんなかたちで和解できたのか、はっきりとは覚えていませんが、彼らの信用を取り戻すには、かなりの時間が掛かったように思いますし、やっと以前より 二人ではなく三人で心を寄せ合うことが出来るようになって、間もなく、この優しく聡明な兄弟の親戚の叔父さんらしき人と一緒に修練所を出ていくことになりました。
物言わず泣きながら見送る私に、同じ思いのこもった涙を流しながら、荷馬車の上から手を振って行った仲良し兄弟の姿が、今もまざまざと目に浮かびます。

なんとはなく、カミさんにも子供達にも封印をしていたような罪悪感に満ちた、少年時代の痛みをやっと吐き出して
胸のつかえが取り除かれたような気持ちです。


投稿: あこがれ | 2018年5月14日 (月) 14時28分

 切なくて胸が熱くなってしまいました。小学生の心うちは何があっても切ないですね。よく子供は残酷だといいますが、それだけ心の動きに正直なんでしょうね。大人に成ってしまうと、いろいろな面での純な心を忘れてしまいます。まだ社会性のない子供の心を抱きしめたくなります。切ないですね。
 

投稿: konoha | 2018年5月14日 (月) 15時17分

三浦洸一さんの歌では、「落葉しぐれ」(S28)、「東京の人」(S31)、「大阪の人」(S33)など、好きな歌が多いですが、 この「少年の秋」という歌は、初めて聴くような気がします。聴くほどに、その良さが分かってくる歌のようですね。
  この歌が出たころは、私は大学2年生で、東京で寮生活を送っていて、その頃の色々な歌謡曲にも出会ったはずなのに、どうしてこの歌に出会わなかったのだろうかと、あれこれ思いを巡らせていましたら、逆のようなケース、つまり、当時よく歌っていた三浦洸一さんの歌で、その後ずっと忘れていた、また、耳にすることがなかった歌を思い出しました。
  思い出した歌詞をもとに、NETで調べたところ、「純愛」(東哲子 作詞、渡久地政信 作曲 S33)という歌でした。♪桜の花のほろり散る 丘の墓標 ここに私の愛する女(ひと)が 静かに、静かに 眠ってる。♪という出だしで、歌詞を一所懸命に憶えたものでした。そのお陰で、今も歌詞の大部分を諳んじて口遊むことができます。物語風の歌詞で、前半が短調、後半が長調の構成になっているところに新鮮さ・ユニークさを感じていたように記憶しています。

投稿: yasushi | 2018年5月14日 (月) 15時24分


あこがれさま

   こんにちは

 人生  生きてくると
   これだけは  人にいえない  というような
   恥ずかしいこと  悪いことが

   知らぬ間に  増えてきます

   また   あの 地域には行かない 
        あの 建物は見たくない
     というような 狭小な気持ちの日もありますね

  その 一こまを 述べていただき 感動ものです


  この  「少年の秋」  の調べをきいていると

  日々の ごつごつ こだわったいる気持ちが
    奇妙に 安らぎ

  マネーロンダリングで 金銭が浄化されるように

  いろいろな 思い出が  抑揚なく 平坦化され

  こんな過去もあったでしょう
    でも  それが あなたの経験 
     だから  今のあなたが あるのですよ

  と 言い聞かせてくれているような 
    不思議な気持ちにさせていただける  
       すばらしい曲です


  
  りんごさま
  
    こんにちは

   この間の りんごさまの古都逍遥
    いかがでしたか

   また  お聞かせください

   あこがれ先輩 ともども首をながくして待っております

   越村 南さまの  いわれた
     生の終焉をどう考えるか

   難しい 人生の大命題ですね

  こういうことに 心を配ることのできる現実 
   に感謝して  謙虚に 足るを知る
   という 言葉の味をかみしめたいと思います

  この 日本の社会を覆う 真っ黒い 粘着質のアメーバのような   
   連中に 聞かせてやりたいですね   
  謙虚  正直  誠実  正義  平等  公正  公平    
      などの言葉も 

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年5月14日 (月) 15時35分

あこがれ様
思わず泣きました。
能勢の赤ひげ様もおっしゃるように長い人生人には言えないようことが誰にでもありますね。私にも思い当ることがあり涙を流すことがあります。

古都逍遥 さくらを追いつ追われつで喫茶店巡りも
果たせませんでした。普段はドアツードアで運動不足の身が毎日1万数千歩。2週間の滞在中は快適だったが帰郷後
の環境の変化に適応できず苦戦。やっと調子を取り戻した次第です。娘の知人が俳句に夢中で私も大津義仲寺の吟行例会に誘われ参加致しました。芭蕉の墓もあるなかなか風情のある寺でした。常連には90歳の方も桂から参加。また奈良橿原神宮からも後期高齢と思しきご夫妻の参加。10名で和やかな吟行会でした。
久しぶりで大阪の兄を訪ね、兄夫妻と野崎観音に参りました。桜が満開で久しぶりの兄妹を祝福してくれました。痛風で山登りも止めたという兄もめっきり更けて老境の寂しさが込み上げました。
高校の同級生とは奈良博物館の仏像群を拝し敬虔な思いに胸を打たれました。中学の幼馴染とは祇園、清水寺などを散策、満開の桜を堪能して再会を約束いたしました。宝が池を一人静かに散策、京都の奥深さを肌で感じました。帰郷前日は東本願寺別邸渉成園、見事な枝垂桜に迎えられました。
上洛直後は母娘の旅で伊勢神宮、鳥羽水族館など二泊で回りました。鳥羽水族館は日本でただひとつ絶滅危惧種のジュゴンを水槽で飼育。30年になります。穏やかな草食動物のジュゴンに癒されました。
沖縄の基地移転の近くの海にジュゴンの生息が確認されたそうですね。ジュゴン訴訟の差し戻し審理がアメリカで6月28日の予定、数カ月後に判決が出るか可能性もあるそうですね。鳥羽水族館の穏やかなジュゴンの姿が甦り判決の成り行きが気がかりです。

投稿: りんご | 2018年5月14日 (月) 18時53分

konoha 様
能勢の赤ひげ 様
りんご 様

少年時代の苦く辛かった思い出を、少しずつ思い出しながら書いている時は、さほども思いませんでしたが、皆様からのコメントを読ませて頂きながら、改めて自分のコメントを読み返している内に、貧しくても、どんなにハンデがあろうとも 懸命に生きていた幼い兄弟二人の姿と、目に一杯の涙をためて訴えてきた 弟思いの聡明な感じのする兄ちゃんの顔を思い浮かべ、今頃になって止めどなく涙が溢れてきました。

その日その日を、力の限り生きんとしている弱い人間の希望や夢を打ち砕く行為は、決して許されないことですし、そんな自分を恥じる気持ちが、カミさんや子供達への封印となっていたのでしょう。

明日からのカミさんの入院を前にして、改めて人の優しさに触れ、何十年も引きずってきた己の贖罪の念を、場も弁えず吐露させて頂けた充足感で、今夜は ぐっすり眠れそうです。

ありがとう ございました。

投稿: あこがれ | 2018年5月14日 (月) 20時48分

りんご様
 俳句をなさるとか。小生も4,5年前から続けています。俳句もなかなかいいもので、句友も何人かできました。昔で言う同級生です。市の公民館の講座で参加したおかげです。この歌は昭和34年に放送されたということですが、この年は中学校を卒業した年です。ラジオは普及していましたが、テレビが家庭に入ったころではないでしょうか。
 この歌ははじめて聞きますが、いい感じです。

投稿: 今でも青春 | 2018年5月14日 (月) 21時58分

今でも青春様
私もこの歌は初めて知りました。昭和34年は小学卒業の年でした。

楽しい句作の日々と推察いたします。
いまでも青春様の健吟をお祈りしております。

正直言って私は吟行は苦手なのです。
苦し紛れの義仲寺の拙句
義仲寺の句碑に零るる花馬酔木

馬酔木や紅梅、ハクモクレンなど満開でした。

(義仲寺は巴御前が木曽義仲を弔った尼寺、また俳聖芭蕉の墓、たくさんの句碑があります。
大阪で亡くなった芭蕉を彼の遺言通り義仲寺まで船で運んだとの由)

投稿: りんご | 2018年6月15日 (金) 19時57分

りんごさま
「少年の秋」のリクエストありがとうございました。
実はこの曲は初めて聴きます。
こんなに素晴らしい曲があったとは知りませんでした。
この曲が世に出たのは昭和34年・・・思い出しております。
私が社会人となって初めて仕事に就きスタートした時でした。
何も知らずに飛び込んだ世界・・・いろんなことがありました。
今現在では、後期高齢者・・・でも未だに現役で「宅配業務」で頑張り中・・・
少年時代のころを想い出すと、歳月の流れはともかく、人間的にこんなに変わるものだとは思ってはみませんでした。
しみじみと懐かしんでいます今日この頃です!

投稿: 一章 | 2018年6月15日 (金) 21時58分

私がその青年に会ったのは55歳、青年は新卒で22歳、証券会社に勤めて初めて外に出た日でした。話をすると、今までに出会ったことが無い、素直で真面目な青年でした。2時間ぐらいおしゃべりをしました。結婚したい青年だと思いました。今でもずっとそう思っています。あれから23年が経ちました。よく考えてみると私の初恋の少年に性格が似ているのではないかと思います。真面目さがぴったりでした。黒目がきれいで秀才型、私が初恋をずっと引きずっていることに気が付きました。ただ見つめるだけの幼い恋でしたが、代わりに30年後に若い青年が現れたのです。その青年とは、元気かどうかメールで確かめるだけの間柄ですが、それでも多少緊張はします。来世の婿殿と呼んでいます。やっぱり初恋は良い人との出会いだったと思っています。仄かに思うことは人生に潤いを与えてくれています。

投稿: ハコベの花 | 2018年6月15日 (金) 23時18分

今年の5月にPCを開いた時「少年の秋」をうた物語で初めて知りました!
そして主人公である、少年の切なさを見事に表現した、佐藤春夫の歌詞をメロディを聴きながら、夢中で何度も読み返しました。

2:眼はきよらかに色白の
  おさななじみは丈のびて・・・

特に上記2番の歌詞は、この少年が密かに心をよせてきた少女の面影が、まるで浮かんでくるかのようです。

そして蛇足の>渡久地正信の曲がすばらしい。洗練された短調のメロディは、少年時代の追憶の思いを倍加させ、初恋とはいえないほどの少女へのほのかな情景を思い起させます。
真にそのとおりで、聴けば聴くほどに切なさが迫ってくるメロディで、これほどまでに私の心の琴線をふるわせる曲に出会えるとは思ってもみませんでした。

渡久地正信が作曲した歌では、フランク永井の「夜霧に消えたチャコ」「俺は淋しいんだ」や、松島アキラの「湖愁」そして三浦光一の「踊子」などを私は好んでカラオケで歌ってきました。
あと津村謙の「上海帰りのリル」青江三奈の「池袋の夜」「長崎ブルース」大津美子の「東京アンナ」三沢あけみの「島のブルース」そして春日八郎の「お富さん」など、少年の頃から鼻歌でよく歌ってきた好きな曲が多くあります。
厳格そうないでたちで写真に写る渡久地正信の曲作りの才能を、今改めて認識させられます。

秀作「少年の秋」のメロディを聴きながら、皆様からよせられた貴重なコメントの数々を拝読する度に、胸を温くする自分がいます。

投稿: 芳勝 | 2018年6月24日 (日) 23時39分

芳勝さまのコメントを拝読しまして、
 「眼はきよらかに色白の おさななじみは丈のびて 御船祭の行きずりに もの云いかけたおもかげを 慕わしとする少年の」
これはそのまま感性のナイーブな芳勝少年がたたずんでいる景色が視えてきそうです。いつも心情豊かなコメントで優しさが伝わってきてとても楽しみにしています。

草笛の方はいかがですか?私はいまお休み中です。と申しますのは、三橋美智也の声はどうしてこんなに心に響いてくるのか、また民謡がこれほどまでに親しみ易く身近に感じられるのは何故か、そして例えば「達者でな」、「夕焼けとんび」ほか沢山の持ち歌が民謡になって聴こえてくるのは何故か、そこが知りたくて三橋美智也漬けになっています。

三橋美智也の歌う、横井弘作詞の「みれん山唄」がどうして未発表になってしまったか、不思議です。とても良い歌なのにです。

投稿: konoha | 2018年6月25日 (月) 21時41分

konoha様

いつも心優しいコメントを頂戴し、大変嬉しく思っています!

「少年の秋」最近ではこのメロディに深く魅せられた自分がいて、PCを開けた時、必ず一度はこの曲を聴くようになりました。
そうしていると2018年1月22日に私が「小さな日記」に投稿した時の、KNさんの姿を想い出すことがあります。もう50年も前のことなのですが、自分が少年の頃にもどって行くような、そんな感じがして何か不思議なものがあります。

三橋美智也の「みれん山唄」この歌、konoha様が仰るとおりで本当に良い歌ですね!またあくまでも余談なのですが、この歌の動画によれば1997未発表となっていたので、確証は全くないですが、1996年には三橋美智也が他界しているので、そのあたりが事情として関係してないのでしょうか?

ところで草笛なのですが、時間もずいぶん経っているのに、思った以上に苦戦していまして、音がなっても、その音がどうしても長く続かないのです。少し力みすぎなのかも知れません。今そんな状態です。

これから本格的な夏がやって来ますので、お身体にはくれぐれもご自愛下さい!
私はいつもkonoha様のご投稿コメントを楽しみにしています。


投稿: 芳勝 | 2018年6月26日 (火) 00時52分


今日は  historiaさまの 初恋(石川啄木)へのコメントから
      二木 ワールドを彷徨いだしました

 しょうちゃんさま の書かれた 啄木・光太郎・賢治
     皆様  奥州に関係する方々
  また 業平橋 のことに言及されていたり

  何故か 少しでも 自分と接点のある 
    人 物 事 土地 が書かれていると 
      気が惹かれてしまいます

  花巻 平泉 北上の流れ
   もう一度 ゆっくり 歩きたいものです
    桜一杯の束稲  毛越寺の庭  夢ですね

  芦屋の 業平町 よく通ります
    安保の時代の 女性とのやりとり
    芦屋川沿いを いい風景です

  テニスの沢松家の 歴史あるお家がありますね
   神戸には 飛び込み の馬淵家も
   同じスポーツを 家系として 三代も四代も
   続けておられる 素晴らしいことです

  遠き昭和の…   に書かれた
 
   墓深く 埋めたき苦き 記憶あり
   老い惚ゆれども 消えず残れる

  つくづくと 考えさせられます
   苦き 記憶 恥ずかしき事 がどれほど多いことか

  生きているということ
    ほんとうに 難儀なことです

 今日 知人が 和歌山を 周って帰ってきました
  台風の影響下 豪雨に遭いながら
    道の駅で 車中泊をしながら
  今日は 素晴らしい 那智の滝を見物できたそうな

 日本人の余裕のない旅 
  一つ間違えば --- 無事 目的達成 
     良かったですが

 温暖化による 酷い天変地異 
    命あっての物種  ですよね


 僕の 那智の滝を背景にとった一枚の写真を
   思い出しています
  昭和45年 8月 ほぼ 半世紀前ですね
  御坊の 叔父叔母に連れていってもらった旅
   その叔母もなくなり
    つい このあいだ 線香をあげに
    久しぶりに 御坊まで

  その帰りに 大変なことがおこりーーーーー

  いやいや 日々 何がおこっても仕方のない
   時間に突入していることを 強く認識させられた
   次第です

  少年の秋 の物寂しいメロディーをききながら
   しみじみ 自分の辿った道に思いをはせています


  

投稿: 能勢の赤ひげ | 2019年9月23日 (月) 22時02分

「少年の秋」二年あまり前にこの唄をここで初めて知りましたが、私は今でも気がつくとふとこのページを開いてしまっています!

佐藤春夫の秀逸とも云える各一聯毎の詩をじっくりと噛みしめながら、静かにこのメロディを聴いていくうちにそれぞれの詩の情景が自分の脳裏には浮かんできます。
前奏後半にもありますが、特に三聯と四聯の「間奏」前半のメロディを聴いている時、まるで高級マリンバを思わせるような、その流れるような音の響きは究極で、それを聴いている時の愁いにも似た私の感情は最高潮に達します。

本家三浦洸一や緑咲香澄歌唱でもこの唄を聴きましたが、確かにそれぞれに魅力的な双方の歌声でした。
しかし、佐藤春夫の秀逸の詩と渡久地政信の究極のメロディを最大限に活かし、こんなにも素晴らしい唄があったのかと、私の心に芯から思わせてくれたのは、紛れもなく二木先生のアレンジ力を駆使した演奏力の賜ではないかと、私は心からそう思っています。

想えば昭和40年、私が佐賀県の田舎に住んでいた11才のころですが、私のことを勝くんと呼んではいつも私の傍にいた一人の少女がいました。その子はお父さんが炭鉱離職のため福岡県の久留米に引っ越していきました。
このページにきてこのメロディを聴いていると、不思議なことに必ずその少女の姿が私の脳裏には浮かんできます。
色白で健気そうな瞳・いじらしかったそのしぐさの一つ一つを、55年の月日が経った今でも私は忘れることがありません。

「少年の秋」泣きたくなるようなこんなに素晴らしい唄を知ることができた私はつくづく幸せ者だと思います。


投稿: 芳勝 | 2020年7月12日 (日) 16時00分

この歌を聴いていると始めて憧れた少年の瞳を思いだします。同じクラスで隣同志で並んだ彼の眼は黒くて大きくて見つめられると吸い込まれる様な気がしました、親切で優しくて、いつもクラス委員をしていました。我が家の前に時々、じっと立っていることがありました。少女の私はその意味が理解できなくてそのまま話をすることも無く別れました。中学が違ったので、道で2,3度すれ違った事はありますが、それ以後、会う事もありませんでした。少年の秋は少女の秋でもありました。あれから68年が経ちました。生きて居られるでしょうか。遠い日の夢の様な思い出です。

投稿: ハコベの花 | 2020年7月13日 (月) 22時11分

こんにちは 
この歌物語を毎日聞いてます。 少年の秋から 歌物語が始まります。 少年の秋は聞き始めまして 4年くらいになりますか73歳になりましても 響くものは 響くものですね。ありがとうございます。

投稿: 伊藤光春 | 2020年11月10日 (火) 12時33分

「少年の秋」と言う題名がいいですね。すすきの向こうに大好きな少年の姿が見える様です。少女はやはり春がいいですね。美しい色を咲かせる花々、明るい春の日差しが少女です。秋は愁いを誘われます。やはり、何かを考えている少年の姿が素敵です。「少女の春」どなたか詩を作って下さいませんか。

投稿: ハコベの花 | 2020年11月19日 (木) 22時06分

 ハコベの花さま

  こんばんは

   硬膜下血腫からの ご生還
    おめでとうございます
       何よりも  良かったです

  この曲は ほんとうに 心を和やかにしてくれる
    素晴らしいものですね

  旋律もしかり 言葉も 新鮮な少年におこる
    もの悲しい情景を映しだしてくれます

  僕の 南国和歌山の故里というべきところは
    御坊 日高美浜町の煙樹ヶ浜 近くです

  大学のころ 休みにはよく行きました
    あま酢っぱい思い出 怖い思い出
      いろいろ ありました

  後に水泳の日本記録をだすことになる 従弟と
    開放されていた中学のプールで泳いだことも
  このプールは 中学には珍しく50mプールでした
    懐かしい思い出です
  そのころは 従弟もまだ水泳に打ち込む前だったかな
    普通の子だった

  いろいろ 記憶の壺を開けると どこまで
    ひろがっていくのやらーー

  何を 書き出すのか??? ですので
      深呼吸をして

  少年の秋 少女の春ですか
      意味深長

  現在が 一番の時期 人から必要とされている自分が
    いる と考え胸を張りましょうか

   また 明日からがんばります

  ハコベの花さま 有り難うございました

投稿: 能勢の赤ひげ | 2020年11月20日 (金) 00時15分

能勢の赤ひげ様 お見舞い有難うございます。それにしても最近の歌番組の歌は、歌詞が分からないものが多いですね。ですから歌がつまらなくて殆ど聴きません。大勢の女の子たちが歌っている歌には詩情と言うものが全くありません。あれは歌番組ではなくて見世物だと思っています。心にジーンと沁み混んでくるものがありません。歌詞が聞き取れないのです。何とかならないのでしょうか。私は詩情あふれる美しい歌を聴きたいのです。日本語から美しいものが消えていくのが悲しいのです。夕日が沈んでいく空、枯れ葉の落ちる音を、静かに聴いて涙ぐむ少女、いつの間にか消えてしまっています。ガサガサ、ガツガツした日本は嫌いです。淋しいですね。心の冬は悲しすぎます。

投稿: ハコベの花 | 2020年11月20日 (金) 21時30分

今「少年の秋」にはまっています。後期高齢者がこんな青春歌をと思われるかもしれませんが・・・。
 この清らかな遠慮しがちな詩は藤村の「初恋」に匹敵するものと思い込んでいます。「北の藤村」「南の春夫」の初恋歌だと思います。
 この曲を聴いて以来、やや奥手の主人公を昔の自分に置き換え、必死になって練習しているのですが一向に歌詞もメロディーもマスターできません。
 古風な歌詞が原因かとおもいますが、この古風さがこの曲の魅力でもあり、毎日挑戦していますが、上達しないので家内にはあきれられています。
 この詩の舞台は私もよく知ったところですので、初心な紀州の少年の感情にはらはらさせられる気分で歌っています。
 さてこの恋のその後はどうなったのか、多分めでたしめでたしにはならなかったであろうと想像しながら人前で披露できるよう頑張ります。

投稿: 伊勢の茜雲 | 2020年12月28日 (月) 21時56分

 このブログではじめて知った曲ですが、渡久地政信のメロディーが実にいい。少年時代を思い出させるような、静かなしかしはっきりとした旋律で、繰り返し聞いても、不思議にあきがこないです。
それに佐藤春夫の歌詞に、浮ついた調子がなく、上品で理知的で、温和な少年の性格がうかがえます。
 この曲は昭和34年にできたので、私は10歳で知りませんでした。名曲とよんでもいいくらいのすばらしい曲なのに、皆さんあまりご存知ない様子でしたね。やはり「紀州の新宮」では「東京の人」「大阪の人」のようにはいかないのかな。あるいは、ネタとして、幼年時代の思い出は恋愛感情に勝てないのかな。
地理的には、近畿圏の神戸や大阪の人にとっても、和歌山県の東部は本当に遠いところです。
 
 この曲の初め発表された3番までの歌詞で、地名らしきものを探すと「南国」「御船祭」「王子が浜」だけです。
これだけで、佐藤春夫ファンでもない限り、この地が和歌山の新宮だといいあてるのは難しい。
そこで、<蛇足>によれば後に4番5番の歌詞が追加されたといいます。すると「熊野の川」「みかんの花」「紀南の郷」と出てくるので、和歌山南部と絞られてくる。でも新宮とはよほどの人でないとわからないですね。
いやあ、和歌山の新宮ってよほどの人でないと、知らないんじゃないかな。熊野神宮に参った人とか・・
 神戸の私でも大阪から電車で、紀伊田辺、白浜、串本、勝浦とそこまでしか行ってない。那智の滝を拝観するためにです。そこから大阪まで帰ったのですが、特急を使わなかったので往復するので1日がかりでした。

 コロナ禍が落ち着いて、日本に行ったら、奈良県の大和八木から新宮まで約6時間半のバスがあるというので、楽しみたいと思っています。紀伊半島って大きすぎる日本一の半島ですから、これもひとつの楽しみ方だと思います。


投稿: 越村 南 | 2021年6月13日 (日) 22時38分

渡久地政信の作ったこのメロディー、なんとやさしく胸にしみてくるものか。最近毎日のように聞いていますが、飽きるということがない。佐藤春夫の歌詞も格調高く、少年の日のことが「あるあるその体験、私も」と同じ気持ちでしみじみ思い返される。
特に1番の
「君が窓の灯(ひ)なつかしく
  口笛吹いて行きかえり」
と3番の
「心たのしいひと時も
  湧くもどかしさ紛らすと
  月夜の海に石投げて」
の詩には天才の感性と才能を感じる。すごいなー。まいったなー。うますぎる。
でもこういう歌は大ヒットはしないものなんですね。そいうものなんですね。
4番、5番を追加してくれた二木先生に大感謝です。

投稿: 越村 南 | 2023年9月 1日 (金) 21時22分

「少年の秋」五年四カ月前、最近のコメント欄にこの歌のタイトルが、このブログの常連の方々のお名前で埋め尽くせられていた時、先ずはそのことに興味を強く抱いたのが、私がこの名曲に巡り合うことになるそのきっかけでした!

何気に私がここで初めて聴くことになる究極のそのメロディは、即座に私の心の中を感動の渦に巻き込みました。その日の私はその余韻を残したまま何度も繰り返してはこの曲だけをただ一途に聴いていたことを今でも想い出します。

五年前の私の投稿文面にも記していますが、

<蛇足>『・・・渡久地政信の曲がまた素晴らしい。洗練された短調のメロディは、少年時代の追憶の思いを倍加させ、初恋とはいえないほどの少女へのほのかな情景を思い起こさせます。・・・』という、二木先生のまさに図星のこのご感想に感銘を受け、この歌がそれからの私にとってはより尊い作品になったことも事実です。
また、愚かな見識しか持ち合わせていないそんな私の認識で大変恐縮なのですが、昭和三十四年にNHKのラジオ歌謡の一つとして6日間だけ開放されたというこの歌は、世間一般の方々にはあまり浸透せず、当時は一部の方々にしか知られていなかったのではないのか、それから長年の時を経た中でこの歌の良さをこのブログで感じられた方々が多いのではないのか、思うにこの歌こそがまさに隠れていた名曲の極みなのでは、私はこの歌に関してそのように捉えています。

「少年の秋」詩人:佐藤春夫と作曲家;渡久地政信という、この名人たちの手によって作成されたこの作品に、この珠玉のブログで偶然に巡り合えたその喜びと幸せを、ここで二木先生の名演奏を聴く度に益々実感させられてしまう自分がいます。

投稿: 芳勝 | 2023年9月10日 (日) 17時44分

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