玄海ブルース
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:大高ひさを、作曲:長津義司、唄:田端義夫
1 情け知らずと 嘲笑(わら)わばわらえ |
《蛇足》 昭和24年(1949)11月にテイチクより発売。
昭和14年(1939)の『大利根月夜』、同15年(1940)の『別れ船』、同28年(1953)の『ふるさとの燈台』と同じく、長津義司の作曲。
バタヤンの愛称で多くの人びとに親しまれた田端義夫は、その長い歌手人生のなかで、古びたギターを晩年まで大事に使い続けました。
『玄海ブルース』の玄海は、玄界灘の別称。すなわち、玄界灘=玄海ですから、1番にあるように玄海灘とするのはまちがいなのですが、実際には玄界灘と玄海灘が混用されています。
灘は、沖合の波が荒く、流れが速い場所。
玄界灘は、九州北西部、対馬海峡から響灘に至る海域で、有数の漁場。玄界灘に面したところに玄海町(げんかいまち)があり、全国にある宗像(むなかた)神社の本宮である宗像大社があります。
玄海町は、平成の大合併により宗像市の一部となりました。
(二木紘三)
コメント
この曲がアップされようとは!
ありがとうございました。
私のSP盤コレクションの中の1枚ですが、改めて蓄音機で聴いてみました。
やはり「バタヤン」の唄には独特の味があり、心をひきつける魅力があると思います。
投稿: 一章 | 2016年8月24日 (水) 20時32分
バタヤンのヒット曲の中でも『大利根月夜』と『玄海ブルース』は特に好きな曲で、『玄海ブルース』は長津義司には珍しく軽快な曲です。なお、バタヤンは福岡出身とばかり長年思ってましたが、三重松坂出身とは意外でした。
www.youtube.com/watch?v=WhlYFOQPv3o
北関東在住で九州とは無縁なので、頭の中で玄界灘も玄海灘もごっちゃになってましたが、二木先生の解説「『玄海ブルース』の玄海は玄界灘の別称…玄海灘とするのはまちがい…実際には玄界灘と玄海灘が混用」を読んで納得したしだいです。地理的名称は一筋縄ではいかないものです。
投稿: 焼酎百代 | 2016年8月28日 (日) 18時59分
この曲は、長年、例えば一番なら「どうせ俺らは玄界灘の…」のところを、高音に引き上げて歌っており、それが正しいと思っていましたが、近年、下へ引き下げて歌うのが正しいと知りました。
しかし、バタやんなら引き上げて歌う方が良いように思いました。歌の出だしを少し下げれば、一般の人も高音部分は歌えると思いますが、どうなんでしょうかね。
投稿: 吟二 | 2016年9月 4日 (日) 09時05分
バタやんの「船」関連の4~5曲目でしょうか?
歌手の中で終始一貫同じキーで歌っていたとの伝説は事実で、晩年に聞きましたらキーを変えたらギターのポジションも変えなければならず、カポタストは邪魔臭いので・・・とおっしゃってました。
「ふるさとの灯台」は数回夜逃げをした苦労のはてに哀愁が漂い男を泣かすロマンを秘めていていつも感動します。
投稿: 尾谷光紀 | 2016年9月 7日 (水) 21時49分
どちらかといえば長調の歌が好きな私にとって、軽快に歌い上げる「玄海ブルース」は、好きな歌のひとつです。
歌詞は耳学問で覚えましたが、これまで、1番の、♪波に浮き寝の♪の部分は、自分なりに、♪波に浮き根の♪とかけて解釈して、楽しんでおります。
他に、田端義夫さんの歌では、調子よく歌える「大利根月夜」がお気に入りです。
投稿: yasushi | 2017年4月23日 (日) 10時51分
大好きな歌の一つです。この歌の雰囲気は田端義夫しか出せないでしょうね。駆けだしの頃の美空ひばりがこの歌を歌っていましたが、気持ち悪いぐらい上手です。
投稿: 朝風呂 | 2017年4月24日 (月) 05時21分
北九州船乗りの唄「玄海ブルース」は長津義司の曲と相まって大高ひさを作詞〽どうせ俺らは玄界灘の波に浮き寝のかもめ鳥・・・唸るほど名調子です。
↓バタヤン映像の字幕には玄海灘でなく玄界灘と出ており、テレビ東京?の字幕担当者?は北九州方面出身か?、または二木先生解説の玄界灘=玄海という“地理常識”があり?字幕作成時に無意識?で玄界灘としたのでないかと…。本曲映像再生の次は大利根月夜の自動再生です↓
http://www.youtube.com/watch?v=IiTtvota3co
投稿: 焼酎百代 | 2017年8月23日 (水) 18時46分
「玄海ブルース」は、「大利根月夜」「チャンチキおけさ」の長津義司作曲でバタヤン歌唱、名コンビ御当地曲です。玄界灘は九州北部漁師の漁場(りょうば)、鹿児島や高知あたりのカツオ一本釣り漁師の漁場は遠洋です。
↓赤道直下の一本釣り(某市の市制40周年記念記録映画)
http://www.youtube.com/watch?v=Zyw9xicr9JQ
投稿: 焼酎 | 2018年9月15日 (土) 23時53分
この曲がアップされた時も早速コメントをいたしましたが、焼酎さまもこの曲が好物のようですが、私もバタやんが唄うこの曲は明るくてリズム感がありいつ聴いても元気と勇気が湧いてきます。
焼酎さまご紹介の「赤道直下の一本釣り」の動画、拝見いたしました。「かつおの一本釣り」にご苦労と知恵を出し数度にわたって挑戦する姿には胸が熱くなるほど感動いたしました。(動画の途中で「さつま白波」の姿と数度出会いましたが・・・美味しそうでした)
ありがとうございました。
投稿: 一章 | 2018年9月16日 (日) 09時59分
「玄海ブルース」がうた物語に登場した2年前に一番乗りされた一章様の投稿の通り、実に明るくてリズム感あるバタヤン会心曲です。家族を残し遠洋航海カツオ一本釣り漁師が釣りたてのカツオで飲む「さつま白波」は美味いはずです!
一章様宅の庭に彼岸花が咲いたとの由、気象庁が災害級と認定?した猛暑も終わり秋だなーと思う今日この頃です。なお、りんご様が「交流掲示板」で紹介されていた松川ダルマは昔から仙台の縁起物ダルマです(某民放番組「〇〇の県民ショー」で高崎ダルマ贔屓の地元出身芸人が松川ダルマをクサしてましたが)。
投稿: 焼酎 | 2018年9月16日 (日) 11時00分
レーダーまかせの今と違い、雲の切れ間にキラリと光る 星が頼りの人生さ いい詩ですね。
投稿: toyo.f | 2019年1月10日 (木) 16時53分
「玄海ブルース」この唄を聴いていると、私が幼い頃に父がほろ酔い気分で、よく口にしていた自慢話を想い出します!
長崎県の海のそばで生まれ育った父がよく言っていたのは「俺は玄海灘の海を島から島へ3キロほど泳いで渡ったことがある、泳ぎなら誰にも負けん」そんな時は鱶に襲わないように金吊りに4メートルぐらいの長さの布をつけていたそうです。
そんな父はバタヤンの「玄海ブルース」がラジオから流れてくるといつもご機嫌でした。
田端義夫は1954年に銀座ヤマハで購入(ナショナルギター社)したギターを2013年の60年間にわたり現役最後まで使い続けました。
当然何度か補修をしてきた訳ですが、塗装をし直すなどの補修で、ギターの音色が変わる事を恐れ、最低限の修理に止めていたそうです。
テレビ出演時はほとんどこのギターを用いたが、地方公演などは別のギターをすることがあったとあります。
田端義夫がトレードマークと云われる傷だらけのそのギターを如何に大切にしていたのか、私にはその気持ちが痛いほど解る気がします。私のギター歴は50年ほどですが、今手元にあるのは3本です。その中でも10年ほど前に長男の形見として譲り受けた一本の大切なギターがありますが、その古いギターは多分70年は過ぎていると思えます。
私の宝物とも云えるそのギターの表面板には無数の小さい傷、そしてフレット(指板)部分には指押さえ跡、そして少し錆がかった鉄弦、今でも時々そのギターを見ると、兄が中学の時に人から譲り受けて、「ふるさとの燈台」や「かえり船」などを、幼い頃の私に聴かせてくれた光景を想い出すことができます。
若い頃はさほどでもなかったのですが、60代になり二木絋三のうた物語に巡り合えてからは特にバタヤンの唄を聴くことが多くなりました。
そしてまた多くの曲の想い出と魅力を蛇足とともに感じることのできるこのサイトを運営し存続されておられる二木先生には感謝の気持ちでいっぱいになります。
今日は久しぶりにバタヤンの曲を5曲聴きましたが、やはり「ふるさとの燈台」「かえり船」そして「玄海ブルース」この3曲には私にとっては特別なものがあります。
投稿: 芳勝 | 2019年1月10日 (木) 19時13分