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2016年11月29日 (火)

美しき天然

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:武島羽衣、作曲:田中穂積

1 空にさえずる 鳥の声
  峯より落つる 滝の音
  大波小波 鞺鞳(とうとう)
  響き絶えせぬ 海の音
  聞けや人々 面白き
  此(こ)の天然の 音楽を
  調べ自在に 弾き給(たも)
  神の御手(おんて)の 尊しや

2 春は桜の あや衣(ごろも)
  秋は紅葉の 唐錦(からにしき)
  夏は涼しき 月の絹
  冬は真白き 雪の布
  見よや人々 美しき
  この天然の 織物を
  手際(てぎわ)見事(みごと)に 織りたもう
  神のたくみの 尊しや

3 うす墨ひける 四方(よも)の山
  くれない匂う 横がすみ
  海辺はるかに うち続く
  青松白砂(せいしょうはくさ)の 美しさ
  見よや人々 たぐいなき
  この天然の うつしえを
  筆も及ばず かきたもう
  神の力の 尊しや

4 朝(あした)に起る 雲の殿
  夕べにかかる 虹の橋
  晴れたる空を 見渡せば
  青天井に 似たるかな
  仰げ人々 珍らしき
  此の天然の 建築を
  かく広大に たてたもう
  神の御業(みわざ)の 尊しや

《蛇足》 日本で最初のワルツといわれています。

 明治35年(1902)、佐世保鎮守府(させぼちんじゅふ)に勤務する将校たちの子女教育のために、私立・佐世保女学校(長崎県立佐世保北高等学校の前身)が開設されました。鎮守府は海軍の根拠地。
 同校の校長は、当時佐世保鎮守府の軍楽長を務めていた田中穂積
(ほずみ)に音楽教師就任を要請、受諾した田中穂積が教材用に作曲したのが、『美しき天然(下記注参照)』です。

 詞は、『花』(春のうららの隅田川……)の作詞者として今日まで名が伝わっている武島羽衣。田中は、小山左文二・武島又次郎が著した普及舎刊『新編 國語讀本 高等小學校兒童用巻二』(明治34年6月28日発行)で、この詞を知ったようです。

 武島作詞・田中作曲のこの作品は、樂友社の雑誌『音楽』8巻6号(明治38年〈1905〉10月10日発行)に掲載されたこと、および海軍の催しでよく演奏されたことから、広く国民に知られるようになりました。
 昭和20年代初めまでは、音楽教科書にも載りました。

 とくに無声映画上映時の小楽団やチンドン屋、サーカスの呼び込み等の演奏で頻繁に使われ、ジンタとして庶民には親しまれました。
 ジンタは、ワルツやポルカ、行進曲など欧米音楽の演奏がジンタッタ、ジンタッタと聞こえたことから遣われるようになった言葉です。

 戦後も、昭和3、40年代ぐらいまでは、チンドン屋の演奏で耳にすることがよくありましたが、現在ではその数も激減し、この曲を懐かしく思う世代も消えつつあります。

 歌詞について少し。3番にある「横がすみ」は、辞書には「横にたなびく霞」としか出ていませんが、私は、この歌では「遠くに見える満開の桜並木、もしくは横に広がった桜の森」だろうと思います。
 その根拠は、横がすみにかかっている「くれない匂う」という修飾句。「匂う」は、『朧月夜』や『夏は来ぬ』でも述べましたが、「匂いや香りがする」ではなく、「鮮やかに映えている」という意味。
 ドイツ民謡のメロディに日本語詞をつけた『霞か雲か』でも、「かすみか雲か/はた雪か/とばかり匂う/その花ざかり」と謳っています。

 同じく3番の「うつしえ(写し絵)」は写生画のことですが、自然の驚異を美しく映し出すという点で、私は、幻灯、すなわちスライド映写機を思い浮かべました。幻灯機は、1671年にドイツ人のA.キルヒャーが発明したもので、日本にはオランダとの交易を通じて伝わりました。
 西欧の幻灯機は、静止画を映すだけのものでしたが、日本では三笑亭都楽
(本名:亀屋熊吉)が画像が動くように工夫し、説経節・義太夫節や口上をつけて芝居風に上映しました。
 動くといっても、今のアニメのように動くわけではなく、画像の位置が移動するだけでしたが、「描いた絵が動くとはキリシタン・バテレンの魔術ではないか」と江戸庶民を驚かせ、熱狂させたといいます。

 明治20年代までは、盛んに上映されましたが、無声映画が入ってくると衰退しました。といっても、まるっきり消えてしまったわけではなく、私の子どものころ(昭和20年代)には、子供会などでよく上映されました。

(注)この曲のアップロード時には、『美しき天然』に「うるわ(しき)」とルビを振りましたが、各種文献には「うつく(しき)」と「うるわ(しき)」の2種類があり、「うつく(しき)」のほうが優勢であること、およびJASRACのデータベースには「うつく(しき)」で登録されていることから、「うつく(しき)」を正題と改めます。(2016-12-03)

(二木紘三)

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コメント

「美しき天然」UPありがとうございました。初耳だったのは、1 この曲が「日本最初のワルツ」だということ。 2「うるわしき天然」(「うつくしき天然」だとばかり思っていました。3 「ジンタ」は「ジンタッタ」に由来するということ。坂本九の「ズンタタッタ」を思い出すと、曲の聞こえ方が明治と昭和では違っているのですね。、

投稿: 富井雅郎 | 2016年11月29日 (火) 20時51分

『美しき天然』は、日本の美しい自然を謳った名曲だと思います。
 若い頃は、どちらかというと、メロディの美しさ、軽快さに惹かれて聴いたり、口遊んだりしていましたが、老境に達した今では、歌詞の一節、一節を心にかみしめて、楽しんでおります。
 なお、私も恥かしながら、これまでずっと、『美(うつく)しき天然』とばかり、憶えておりました。

投稿: yasushi | 2016年11月30日 (水) 12時54分

小学校の低学年の時から2番までの歌詞だけは読んで知っていました。春と秋の彼岸に浜松の鴨江観音の縁日が始まるとサーカスがテントを張ってこの音楽を大音響で流していました。ああ、この歌かと「美しき天然」はすぐわかりました。口上で「可哀想はこの子でござい、親の因果が子に報い・・」とろくろく首の娘の絵をチラッと見せたりしていました。私はサーカスよりも沢山の店が並んでいる、その、タンカ売の口上が大好きで一人でよく聞きにいきました。美しくて涙が滲むような歌なのに、タンカ売の口上も一緒に思い出すのは申し訳ないようにも思います。

投稿: ハコベの花 | 2016年12月 2日 (金) 10時20分

『美しき天然』こそ日本の自然の情景を詠う最高の歌だと思いますが、2007年文化庁が世代を超えて歌い継ぎたい歌として発表された『日本の歌百選』から漏れているのがとても不満です。
幼少の頃から慣れ親しんだこの歌の詳細を《蛇足》で知り、作詞・作曲者の思いに触れつつ口ずさみながらの晩秋の野山は、数倍も感動を発見させてくれるのではとルンルン気分です。

投稿: 尾谷光紀 | 2016年12月 4日 (日) 11時37分

「美しき天然」この美しい音色を耳にしていると故郷の村の祭りを思い出します。
稲の収穫の終わった秋から冬にかけてサーカス興行があったように記憶しています。
白足袋に下駄をはき 着物姿にマフラーを「まち子巻き」にしたオシャレなお姉さんを思いだします。

> とくに無声映画上映時の小楽団やチンドン屋、サーカスの呼び込み等の演奏で頻繁に使われ、ジンタとして庶民には親しまれました。

広場におおきなサーカス小屋が建てられます。そのサーカスの呼び込みは 感情に強弱行程をつけて「今 サーカスのショーをみないと一生悔いが残りますよ」と言わんばかりでした。
サーカス興行の期間中、小学校で同級生が呼び込みのモノマネをするので先生からよく叱られていました。 

喜寿の祝いをする時、その同級生の歌う「麗しき天然」を聴いてみたいものです。


投稿: けん | 2016年12月 4日 (日) 15時11分

悪乗りついでに今の子供は知らないタンカ売の売り方を、主に瀬戸物売りが一番面白かったので・・・「これでも買わんか、貧乏人め!えぃ、もう一枚おまけだ!」と言いながら座っているお尻をちょっと上げ、右手で積んである皿を1枚さっとお尻の下から、後ろに隠します。、同時に左手で横のお皿を売る皿の上に積むのです。その手早さはよく見ていないとわかりません。そして最後にどの売り手も「持ってけ、泥棒!」と言いました。手品よりよほど面白かったですね。ああ、もう一度子供に帰って見て、聞いてみたいですね、あの口上を。終戦後すぐの頃でした。寅さんの口上より乱暴でしたが、もっと熱気がありました。思い出すだけで笑えて来ます。

投稿: ハコベの花 | 2016年12月 7日 (水) 11時28分

皆さんのコメントを拝見しますと、この歌はサーカスや見世物小屋のジンタと結びつき、幼い日の思い出を懐かしむメロディになっています。「昭和は遠くなりにけり」で、わたしの場合もそうなのですが、この歌が、日本から遥か離れた中央アジアに住む民族の“郷愁”の歌になっていることをご存知でしょうか。
 10年程前、NHKの番組を見ていたときのことです。突然、予期せぬ『美しき天然』のメロディが流れ出たのです。記憶力が日一日と衰える年齢ですので、細かな部分は全く忘れていたのですが、「日本人以外にも、このメロディが唄われている」というわずかな記憶は残っていたようです。そこでネットで調べてみました。
 この番組は2007年に放映されたNHKスペシャル、新シルクロード・激動の大地をゆくの「第4集 荒野に響く声――祖国へ」の中で、出て来た1シーンだったことが判りました。
 中央アジア、ウズベキスタンのタシケント州に住む高麗人(コリョサラム)は、かつての故郷を懐かしんで、よくこの歌(『美しき天然』)を唄うそうです。高麗人とは、かつて朝鮮半島からロシア(ロシア革命後はソ連)の沿海州に移住した朝鮮族の総称ですが、日本が韓国(大韓帝国)を併合した1910年前後から多くなり、その数およそ40万人だったと言われます。かれらは、そのころから入って来た『美しき天然』を祖国の歌と思いこみ、「故国山川」という題で唄っていたそうです。そのかれらは、まだ苦難の道を辿ります。日本のスパイ活動に利用されることを怖れたソ連のスターリンによって、1937年、約20万人が6,000kmも離れた中央アジアに、強制移住させられたのです。慣れない土地で、しかも農業用水に乏しい、荒れ果てた大地を切り開いて、ようやく安住の地を得たかれらに、またまた歴史は皮肉な展開をみせます。ゴルバチョフによるペレストロイカ(改革)で、帰郷が許されるようになったのです。でも、苦心の末に手に入れた生活の基盤を捨ててまで、いくら恋しい故郷とはいえ、何の躊躇もなく帰ることができるでしょうか。悩み葛藤の末、多くの高麗人が中央アジアに残ったのです。そのかれらの唄う「故国山川」が、『美しき天然』とは異なる、“郷愁”のメロディとして聞こえるのは当然かもしれません。
 この1年、下手なコメントにお目を通していただきありがとうございました。二木様はじめ「うた物語」のファンの皆様、どうぞよい年をお迎えください。

投稿: ひろし | 2016年12月30日 (金) 14時07分

ひろしさん、二木紘三さん、みなさん  こんにちは

中央アジアの朝鮮族が、「天然の美」を「祖国の山川」として歌っていることを、ラジオ深夜便で聴いたことがあります。

語り手は
姜 信子(きょう のぶこ、1961年 - )という在日韓国人三世。 東大出身です。

『日韓音楽ノート する旅人の歌を追って』岩波新書 1998
この本の中で、日本の歌が朝鮮半島で歌われている例をいくつかあげていましたが
「天然の美」は見つからなかったそうです。

ところが、彼女に、「天然の美」ならカザフスタンにいる朝鮮族の人たちが歌っているよ、と教えてくれた人がいるのです。

そこで、彼女はカザフスタンに飛び、かの地で歌われている「天然の美」が日本の歌であるとは知らずに歌われていることを知ります。

『追放の高麗人 「天然の美」と百年の記憶』石風社 2002

かつては、ネットで、姜 信子 本人のサイトで、このことを解説していたものがあったのですが
今はなくなってしまったようです。

別の人のサイトですが、ここには関連のことが述べられてあります。
http://www010.upp.so-net.ne.jp/keinaka/asia/asia_20.html

「追放の高麗人」によると、シベリア鉄道で中央アジアへと運ばれていくときに不満を洩らして銃殺された高麗人の若者が死を前にして歌ったのもこの歌とありますが
私がある在日の方から聞いた話は
強制移住に対してクレームを訴えた朝鮮族のリーダーたちは
帰らぬ人となって、その後誰も姿を見たことがないそうです。

ひどい話だと、その在日の方は顔を曇らせて、私に語ってくれました。

スターリンは朝鮮族を強制移住させたが
同じようにドイツ系住民も、ナチスのスパイになることを恐れ強制移住させました。

ソ連に長く住んでいたドイツ系移民も、古くはエカテリーナ女帝の時代からロシア人たちとともに住んでいたそうです。

投稿: みやもと | 2017年4月22日 (土) 16時15分

ひろしさま と みやもとさま のコメントを読ませていただきながら この  美しき天然 を聞いています

 民族浄化ともいえる 歴史があるのですね

 朝鮮の方たちも これ以上ない悲劇にあわれたのです

 日本が 明治維新の後 日清 日露 第一次世界大戦の勝利から 他国に与えた悲しみ苦しみ これも大いなるものです

 世界の歴史を紐解けば 戦争の歴史は すべて ホロコースト・民族浄化につながるのでは と思われます

 ユダヤ クルド は 現在も存在しますが 歴史には語られても 消え去った種族 民族もあります
 第二次世界大戦の際の ポーランド バルト三国の残酷ななされ方  ロシア革命後 ほとんどのコサックと称する方々も 強制移住という名のもとに消えてしまわれましたね  中国でも 漢民族と少数民族との確執

 人間はいつまで 愚かな行いを続けるのでしょう
 現在の日本もしかりです

 宗教 思想の違いを許容しあう  チトー大統領が ヨーロッパの火薬庫といわれた バルカンで 種々の 民族 宗教をまとめ ユーゴスラビアという国を維持繁栄させた  歴史には 学ぶところが沢山あると思います

 人の奥深くにある このメロディを聞くと必ずゆすぶられる 清らかな真心を持ち続けたいものです

投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年4月22日 (土) 22時16分

 1995年の映画「アンダーグラウンド」があります。紛争の残虐性、悲惨を扱った映画は沢山ありますが、この映画はそれを逆手にとって旧ユーゴスラビア動乱時代に地下生活を50年間送った人々の狂騒的な姿を滑稽さをもって描いています。

 この「アンダーグラウンド」はカンヌ国際映画祭でパルムドール受賞作品です。ラストシーンが印象的で、とても抽象的な意味が込められていると思いました。振り返って考えると、このラストシーンのバックミュージックに「美しき天然」がピッタリではないかと思います。

投稿: konoha | 2017年4月23日 (日) 08時59分

 この数年間の自然災害で美しい日本の風景が傷つけられてしまいました。
二木先生の演奏を聴きながら、じっくりと歌詞を読んでいますと、今更ながら「詩とメロディ」が相まって切なくなるほど、自然の美しさが呼び起こされてきます。

 若い頃はただ、練り歩くチンドン屋が奏でる曲、木下サーカスの曲ということだけでした。この歳になって改めて聴いていますと、昔は感じ取れなかったこの歌の意味が心に沁みてきます。

 歩みの遅い台風5号が日本列島を縦断しています。皆々様の所の安全とご無事を心よりお祈りしています。

投稿: konoha | 2017年8月 7日 (月) 08時32分

幼いころ、姉からこの歌を教わりました。
なんと美しい歌詞と、メロディーだろうと思いましたし、また日本という国もどこへ行っても、美しい自然にあふれていました。
永い間外に出ていて、帰国してから日本中をドライブしたのですけれど、もうどこにも美しい風景が見られなくなってしまっておりました。美しい自然はすっかり消えてしまったのです。
本当に悲しく思いました。

投稿: 田主丸 | 2017年12月15日 (金) 19時38分

おはようございます。
 大阪を中心の大きな地震がありました。そちら近郊に皆様のお住まいは大丈夫でしょうか?このところ地震が多いので、どこで起きても不思議ではありませんので心配です。お見舞い申し上げます。

能勢の赤ひげさま
 −5の震度ではなかったかと思われますが、大丈夫でしたでしょうか?
お大事にと申し上げましてもこればかりはどうしようもありません。どうぞお気をつけください。

投稿: konoha | 2018年6月18日 (月) 09時48分

  konohaさま

   気にしていただき ありがとうございます

  能勢は 今回は 震源ではなかったようです

   能勢の 南東の 茨木 箕面 高槻 枚方
    大阪市北区 がもっともきつかったようです

  クリニックでは 小さなものが 数個倒れたくらいでした

   他の地域の方の被害が少ないことを祈るのみです

  阪神大震災のときは クリニックが倒れる恐怖心がおこりましたが  
    今回は 少し軽かったです

    気を 遣わせました
     申し訳ありませんでした

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年6月18日 (月) 12時35分

konoha様 今朝の地震のお見舞い有難うございます。

 私は15日から大阪へ行き、昨日17日夜「のぞみ」で帰京しました。16日大阪の母方の実家で叔父の50回忌、叔母の7回忌の法要が執り行われました。東京・横浜・高槻・広島等から親戚が泊りがけで集まりました。
 今朝のラジオの「大阪周辺の地震のニュース」にビックリしました。早速 大阪で法要を執り行った本家に電話をかけましたが固定電話・携帯電話共に不通でした。昼過ぎ 電話が通じ仏壇の中のものが飛び出したり、額が落ちたりしたが人的被害はなかったそうで安心しました。
 高槻の小学4年生の子供さんはじめ亡くなられた方のご冥福をお祈りします。また火事、倒壊など予期しない災害に見舞われた方々にお見舞い申し上げます。
 私も帰京が半日遅れていたらと思うと・・。
 政府の発表ではこれから1週間位 注意が必要だそうです。四面環海、地震大国といわれる日本に住んでいる以上「災害の怖さ」を忘れないようにしたいと思います。

投稿: けん | 2018年6月18日 (月) 13時54分

今朝の地震、皆さんの周りは大丈夫ですか?
台風も温帯低気圧に変わり、ほっとしていた時の出来事。
阪神地震を思い出す大きな揺れでびっくりしました。
何時もラジオだけで、テレビは夕食後から観るのですが、
今日は直ぐにテレビをつけました。
まだ「美しき天然」ならぬ「夜半の追憶」の心境です。

投稿: なち | 2018年6月18日 (月) 14時04分

なちさんこんにちは
初めての投稿です
このコーナー・いつも楽しませていただいています
二木先生に感謝
わたくし大阪寝屋川の出身(現在の住まいは千葉)
今朝の地震・早速親戚に・連絡人的被害はありませんでした

「天災は忘れたころ・・・」(寺田寅彦)は最早通用しません

日本国中平等になりましたね・・・

投稿: サブじい | 2018年6月18日 (月) 16時03分

豊中・箕面・吹田・池田市は、殆ど震度6弱でした。
我が家も、棚の中のグラスや食器類が破損して室内に散乱、冷蔵庫やテレビは約10cm移動、PC上の本棚や書類棚は落下、ガスは停止(すぐ復旧処置しましたが・・・)、電話は、朝から親戚・友人・教会・会社・家内の踊り関係等々、振り回されています。
大方の片付けは終わりましたが、今だにぼちぼちと片付けしてます。
おまけに、ご近所の高齢者の方々が、すぐ我が家に来られその対応と(私も高齢者なのに・・・)、勘弁してよ!というところです。
天災は忘れた頃に、やってきます! 
心構えだけは、しておきましょう!

投稿: あこがれ | 2018年6月18日 (月) 17時59分

あこがれ様
御見舞い申し上げます。
私の娘も京都、兄と親友が大阪なので今日は疲れました。
伏見区も震度5強で怖かったと娘からのメールでした。
大阪市の親友宅は部屋に物が散乱して大変とのメール。
兄宅は大東市なので被害なしとこと。
あこがれ様宅はかなりの打撃でしたね。おまけに近所の高齢者の駆け込み寺的存在とはご苦労が偲ばれます。
くれぐれもご注意ください。

投稿: りんご | 2018年6月18日 (月) 19時45分

りんご 様

有り難うございます。

京都もかなり大変でしたね。友人が山崎と長岡京にいて、怖かったと言ってました。
今朝のは、前震でこの後、本震がくるとかで、今夜~明朝が注意!とも言ってますので、救急救命袋とリュックサックに、いろいろ詰め込んで準備してます。
阪神淡路大震災にも、耐えてきたぼろ家ですから、大丈夫だとは思いますが・・・。

杞憂に終われば、いいのですが・・・。

投稿: あこがれ | 2018年6月18日 (月) 22時05分

関西に住んで居られる皆様、被害はありませんでしたか。
こういうことがあると何だか家族のような気がして心配になります。あこがれ様、奥様はお元気になられましたか。ご無事をお祈りしております。

投稿: ハコベの花 | 2018年6月18日 (月) 23時13分

あこがれさま
この度の大阪北部震災お見舞い申し上げます。
突然のことでさぞビックリなされたと思います。
仕事の途中でラジオを聴きながら大変なことが起きてしまったと以前の阪神淡路大震災のことを思い出しました。
その当時、私の兄が大阪(新大阪駅近く)のマンションに住んでおり家の中はどんでん返しの大変な被害を被ったようでした。
今現在では、豊中市のマンションに転居しておりますが、メール・電話等での連絡で大変でした。
ご無理なされませんように。
今後の余震等について収まりますようお祈りいたしております。

投稿: 一章 | 2018年6月18日 (月) 23時50分

はこべの花 様
一章 様

皆様 ご心配頂きありがとうございます。

昨夜は、さすがに緊張感もあり、なかなか寝付けませんでしたが、外が明るくなってくると緊張感も段々解けてきて、かみさんも今頃になって頭から布団をかぶって“おやすみになっておられます“・・・やれやれ!  と、いったところです。(まだ、安心はできませんが・・・)

「美しき天然」が、「怖ろしき震災」になり、申し訳ありません。

投稿: あこがれ | 2018年6月19日 (火) 09時45分

大阪高槻を中心に近辺にお住まいの皆々さま
あこがれさま
 
 この度の地震では幼気なお子さんほか3名の方々の犠牲が伴われたしまいました。心から哀悼の意を表します。またお怪我をされた皆様の一日も早いご回復を心よりお祈り申し上げます。過去何度も大きな地震や豪雨に見舞われた日本、美しい自然に恵まれて当たり前のように過ごしてきました。それが各地で爪痕として残ってしまいました。
心からこの「美しき天然」の日本が損なわれませんように祈らずにはいられません。

投稿: konoha | 2018年6月19日 (火) 10時29分

先般、当地で開かれました「サーカス」に久し振りで行きました。惜しいことにこのジンタはなかったように思います。あったかもわかりません。サーカスと言えばこのジンタが必ずつきものでした。
 小さい頃何度か行きましたが、「ヒヤーツ」とした感じは今でも忘れません。
 

投稿: 今でも青春 | 2018年6月19日 (火) 11時46分

東日本大震災では北関東は震度5強でしたが食器棚等はL字金具で柱固定のため被害ゼロでした。L字金具や突っ張り棒で固定が重要です。
東海地震(+東南海+南海で南海トラフ地震、150~160年周期)の名付け親の地震学最高峰・石橋克彦氏(神戸大名誉教授)が、日本列島は地震活動期に入ったと言っており、前回1854年(安政東海地震/南海地震)から164年経っているので用心に越したことはないです。
「南海トラフ西日本巨大地震」
http://www.youtube.com/watch?v=ffq_90T6qH0

投稿: 焼酎 | 2018年6月19日 (火) 12時26分

konoha 様
焼酎 様

皆様の暖かい励ましの言葉に、感謝 感謝です。
関西在住の先輩諸氏と共に、お礼申し上げます。

本当に、「この美しき天然の日本が損なわれないように祈ります」というkonoha様の心が、皆様の共通の思いを代弁されていると思っています。 感謝!!

投稿: あこがれ | 2018年6月19日 (火) 13時32分

美しき天然

殊に 日本の四季の移り変わりほど素晴らしい国はないだろう

 「錦繡」 なんて 素晴らしい 美しい言葉なのだろう

 しかし 温暖化の因もあり 転変地異が凄まじくなってきた
  この能勢でも 台風 豪雨と続いた夏には 被害は大変なものだった

  災害に崩されていく自然 辛い 辛いものである
 しかし この 抜けたような 幹のしっかりしていない
 この日本の政府で 大丈夫なのか
  修理補修の必要な人工物の多い この日本
  災害は 自己責任  そういう国なのか

  外交の A とか自己満足して 外遊すれば いろんな
  理由をつけ 寄付(借款 ODAなど)をしてくる
   相当な額に上っている 
   これには 全部バックリベートがある

   権力をにぎるとは こういうことだ

  北海道地震の補償 復旧にも政府は出し渋っているような

   恐ろしい人たちだ

  一面でみると 日本の宝を 二束三文でうり払おうと
  しているようだ 自分たちだけ巨額の富をつかめばよい
   そう 行動しているように 思える

 
  話は変わるが 

  最近 欧米でも日本でも
   学習障害を含めた 自閉症の子たちの数が
    うなぎ上りのようだ
   不登校の素養のある子は 10人のうち 1人にも
    なっている

  何故に こういうことになってきているのか
   単に一つの原因ではないだろう

  アメリカでは 
  自閉症の原因を ワクチンの防腐剤に使われた水銀による  
   と被害者側は主張していたが
  アメリカの厚生省は全否定 聞く耳もたず
  今は 三種混合ワクチンの方から攻めています
   権力者は 黒でも白と言い繕いますからね

  自閉症 不登校 これらは 
  利便性のみを追い 化学物質 NOX を垂れ流しだしたころから 
   増加傾向にあります 
      環境汚染です

  黄砂に含まれた微粒子の毒もしょっちゅう飛んできますしね

  関東では 放射性物質の蓄積も隠されています
  あと しばらくすると 子供の甲状腺癌増えてくるでしょうね

  この 美しき天然 をききながら

 この 美しい日本の行く末を 案じています

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年12月13日 (木) 22時46分

 『美しき天然』は、日本の美しい自然を謳った名曲だと思います。

9月の声を聞くと、暑さも勢いを減じ、”暑さ寒さも彼岸まで”の秋分の日も遠からず、の昨今です。
地球温暖化のせいか、最近、気候のリズムが乱れていますが、それでも、日本は春夏秋冬の季節がバランスよく分かれていて、季節感あふれる、自然豊かな国だと思います。

さて、歌詞を眺めていて、心に留まったことを述べたいと思います。
まず、歌詞1番では、”鳥の声”、”滝の音”、”海の音”と、自然界の音について謳っていると捉えます。
自然界の音に対して豊かな感受性を持つ日本の人々が、自然を愛でる情景が浮かびあがります。
なお、自然界の音といえば、風の音も存在感が大きいと思います。絶妙な季節感を謳った、次の歌が思い出されます。
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」(藤原敏行)
次に、歌詞2番では、春夏秋冬の季節の代表的な美しさを謳っていると捉えます。
とは言え、登場する順番は、春-秋-夏-冬と、季節の順番とは違います。
なぜでしょう?植物が萌え出ずる、命輝く春の美しさ、 植物が(冬)枯れる前に一瞬輝を放つ秋の美しさが、格別であるからだろうと、自問自答しております。

投稿: yasushi | 2021年9月 4日 (土) 13時31分

どうもジンタをを思い出してしまいますが、本当は、荘厳で厳粛な歌ですね。
各歌詞の末行が、「神の創造の業の尊さ」を歌っており、讃美歌にも取り入れられています。
ブログ・ハーモニカ演奏の伴奏に使わせていただきました。ありがとうございました。

投稿: ゆるりと | 2021年10月15日 (金) 05時18分

美しい大和の国を描く美しい歌、いい詩です。
そしてメロディーがこの詩文を引き立ててゐます。
私がこの歌を覚えたのは、小学校(国民学校)にあがる前後、四つ上の姉が、歌の好きな母からいろいろな歌を教えられていた時、そのお相伴にあずかっていたのでした。

軍国少年だった私は盛んに軍歌を歌っておりましたが、むしろいつも口にしていたのは、この歌と、「七里ヶ濱哀歌」そして「眞珠」だったという記憶があります。 特に「七里ヶ濱哀歌」は母が一番好きな歌で、いつも台所で姉と一緒に歌っており、私もそのまま覚えこんだのでした。

昭和19年国民学校へ入学。 姉は歌が上手くて音楽の先生と仲がよく、毎年學藝會で独唱をしていましたが、この年音楽の先生と陰謀をめぐらせ、秋の學藝會に私にこの「美しき天然」を歌わせようと謀ったのでした。

私は歌は好きだったけれど、いつもは剣道柔道に打ち込む武人(のつもり)でしたので、人前で歌を歌うなどとてもじゃないが嫌だと思っておりました。
音楽の先生は巧みにささやきます。 「お姉さんと同じによか声しとるとよ、歌うたらよかとに。 ほかの先生方も期待しとるけんね。」
ブタもおだてりゃ木に登る、の喩えあり、舞い上がった私は暫く指導を受けたのち、意気揚々と舞台に上がったのでした。

どのように歌えたかは全く記憶にありません。
誰も誉めてくれなかったことだけは記憶しております。
参観の母と姉はニコニコ笑っているだけ、先生は「うん、よかよか」と一言のみ。
私は思いました「一生懸命歌とうたっじゃけん、もうちっと誉めてくれたっちよかじゃろもん」

懐かしい思い出です。


<蛇足>
実はこの歌については続きがあり、そちらの方がむしろメインなのですが、縁起でもない話になりますので来月以降に稿を改めます。

投稿: 田主丸 | 2022年1月15日 (土) 20時49分

 この歌を聴くと小学校の学芸会を思い出します。白い水兵服を身に着けた同学年の女性徒数名が舞台で踊った姿が今も目に焼き付いています。その中の一人に何とも言えない憧れの気持ちを抱いていました。
 「蛇足」に『明治35年(1902)、佐世保鎮守府(させぼちんじゅふ)に勤務する将校たちの子女教育のために、私立・佐世保女学校(長崎県立佐世保北高等学校の前身)が開設されました。鎮守府は海軍の根拠地。 同校の校長は、当時佐世保鎮守府の軍楽長を務めていた田中穂積(ほずみ)に音楽教師就任を要請、受諾した田中穂積が教材用に作曲した』とあります。佐世保北高は大学受験をひかえて受験指導を受けた学校でもありなつかしくてたまりません。
 ところで投稿者の田主丸さん、貴殿のコメントを見て九州の肥前あたりのご出身かと思いました。「お姉さんと同じによか声しとるとよ、歌うたらよかとに。ほかの先生方も期待しとるけんね。」は私の田舎のことばそっくりですよ!
 島津亜矢さんの「帰らんちゃよか」もそうですたい!

投稿: 亜浪沙(山口 功) | 2022年1月22日 (土) 15時16分

能勢の赤ひげさま

  初めまして、「美しき天然」を今心に取り戻しております。40年近く前転勤で佐世保に参りました。その折駅頭のどこかからこの音楽が聞こえました。
それからは、
この曲詩の書かれたと思われる、烏帽子岳を目指しての日々でございました。確かに佐世保という地は素晴らしい景色と風の柔らかな地でありました。

土地の人々も大変良い方たちでした。関東からの私に色々と教えて呉れました。今も宝になっています。あれから何十年幾たびか転勤先も変わりましたが、やはりあの駅頭で聞こえて来た「美しき天然」の曲は忘れられません。

投稿: かずえ | 2022年2月24日 (木) 11時20分


かずえ さま こんばんは

 いい思い出を お持ちなのですね

いい思い出は 何か事あるごとに思い出され
  弱りそうな自分の よすがとなり
    助けてくれるものです
 僕には 二つの 送別会が 懐かしい懐かしい
  いい思い出ですーー
  何か負の事柄が起こった時 その送別会の
   ことを 思うと 元気になれます

 世の中 うまくいくことなんて 少ないですからね

 最近 コメントしてないので
    何を 書き出すか???ですが

 やはり ロシアの 狂ったようなウクライナ侵攻
  狂気のプーチン 何をする
 海を隔てた 狂気のトランプは プーチンを褒めてたようです
 また 日本の嘘つき男A と 大阪の言いたい放題
  の弁護士Hが 御用チャンネル8<大阪なら8>で
  ウクライナ侵攻に引っ掛けて 核装備必要論を
   くだまいたとか  狂人何をする

 美しき天然 を 守るため
  何をなすべきかを 考えなければいけない
    昨日今日ですね
 

投稿: 能勢の赤ひげ | 2022年3月 1日 (火) 00時36分

能勢の赤ひげ様

  確かに今のロシアそれに今朝中国の習何とか、最近新聞テレビは其のこと一色でごございますね。
結果は分かって居る事いつまでこの棒弱無人をあまたの国や人たちは許すのでしょうか?全く世情に乏しい私には赤ひげ先生の文字を読みふけりよすがとしております。
ついでにとは失礼ですが大阪(西宮住い)に転勤の折に香雪記念病院、能勢甲東園逆瀬川と懐かしい地名出かけた場所でもあります。美しき天然をしかと心に刻み後世に残したく思います。まだ診療はなさっておいでですか?
お元気で暗い社会を照らして下さる一条にとおいのりいたします。

投稿: かずえ | 2022年3月 1日 (火) 11時12分


かずえ さま
暖かいお返事 有り難うございます

  あとは 掲示板の方に
    書かせていただきます

投稿: 能勢の赤ひげ | 2022年3月 1日 (火) 19時35分

かずえ さま 今日は。
 投稿: かずえ | 2022年2月24日 (木) 11時20分を拝読いたしました。烏帽子岳を目指しての・・・の記述に接し、昭和31年木風・藤原町に寄寓していたころを思い出しています。
 その頃、烏帽子岳に登ったことがあります。佐世保の港を眼下にその先に点在する島々(九十九島)の景色は見事なものでした。頂上には大きな岩が点在して北の方には伊万里湾を目にしました。そのさらに北には我がふるさと唐津となりますが見えるすべもありません。
 当時流行していた大津美子さん唄う「ここに幸あり」を鼻歌まじりに下山の途につきました。

投稿: 亜浪沙(山口 功) | 2022年3月 4日 (金) 13時28分

亜浪沙(山口 功) さま

 懐かしいお便りです。嬉しい限りで御座います。中々烏帽子岳をお分かりいただけませんのに、頂上から見る桃源郷の様な九十九島を制覇されて眺められたこと本当に宜しかったですね。彼の地で「美しき天然」がと思いますと、、、、
涙が出て参ります。鹿子前から海賊船に乗って島めぐりも致しましたが、やはり烏帽子からの眺めの方が「美しき天然」の地で御座いましょうね。
唐津がふるさととの事、唐津焼を捜しに参りました事が昨日の様に思い出されます。

投稿: かずえ | 2022年3月 4日 (金) 14時01分

昨秋秋、一人の友人が逝った。

それより更に一年ほど前この友から呼び出しがあった。彼の方から呼び出すのはあまりない事なので、さてはとの思いがあった。
彼の用は、もう車の運転ができないので、日本の中の見ておきたいところへ連れて行ってくれということだった。
余計な言葉は不要である。 彼が訪れてみたいというところをあちこち廻った。
(コロナ禍の最中でも動きや宿泊には困らなかった)

最後に三保の松原を訪れた。 ここからの富士の眺めは素晴らしい。 残念ながら白砂ではない。 流木をみつけて腰を下ろし、二人並んでずっと富士を眺めていた。

つと訊いた。
「どこなんだ?」
「、、、膵臓だ」
それは殊につらかろうと思った。 なんとなく座ったままではいられなくなり、つと立ち上がって彼から離れ、波打ち際で小石で波を打ったりしていた。

暫くして彼は口ずさむように歌を唄いだした。 「美しき天然」。
なんだおい、突然女の子の歌など、と思ったが、私とて嫌いな歌ではない。 また腰をおろし一緒に歌いだした。 大の男が並んでみっともないが、、、
この歌は彼の(亡き)奥方が特に好きだったのだそうだが、彼がそれを口にのぼせたのは ふとということではなかった。 これまで廻ってきた日本の美しかるべき諸所の光景の無惨なありさまを歎いてのことだった。
彼は言う、この歌の歌詞だけではない、同じ作詞家の「花」は勿論日本の唱歌の数々の歌詞はいずれも実に美しく素晴らしい、それは何故か、詩文に潤いがあるからだ。 その潤いを含んだ歌詞を書き得るのは、自然豊かな美しい国土に育まれた日本人の才なのだ。 そして今その美しかった日本の国土がすっかり荒廃してしまったのだと。

私自身は武人で無骨だから潤いという言葉は使えない。 詩心もない。 だが彼の言う意味は良く解った。
「詩とは情を詠むものである」とは、葉室麟が廣瀬淡窓に言わせた言葉である。 今やその情を育むべき美しい潤い豊かな国土が消えてしまっているのだ。美しかるべき国土を守れない人々に、美しい情感を期待し得べくもない。

日本人は変わってしまった。
さりながら上記の葉室麟は詩文のごとき美しい文章を書いていた。 俵万智は巧みに現代語を使いこなす。 日本語の行く末にはまだ多少の希望はあるのだろう。

昨年秋彼は身罷った。彼は私に葬式はいらないから遺骨は三保の海に流してほしいと言っていたが、葬儀は生きている遺族の為に行うものだから死者の意には添えない。 私は遺族に頼んで分骨をしてもらった。といって本葬があるのに海葬もというわけではない。わたしはそれを奈良の花のお寺に納めさせて貰うことにした。そこには日本の自然を愛した紀貫之の花の碑がある。 小さな骨壺の中に、この「美しき天然」の歌詞と彼が好きだった歌一首を書いて納めた。

  ひさかたの光のどけき春の日に
           しづ心なく花の散るらむ    (友則)

投稿: 田主丸 | 2022年3月21日 (月) 22時54分

田主丸様

掲示板をご覧下さい。

投稿: りんご | 2022年3月22日 (火) 07時41分

この曲が流れると思い出すのは決まって「キグレサーカス」と書かれた大きなテントがある二つの光景だ。季節は春と秋、時刻はどちらも夕暮れ時。
小学校高学年だった春、生家の海のそばの高台の広場。大きなテントの周りには小さなテントがいくつかあって、そこかしこでカラフルな衣装の男女が思い思いに、優雅ともアクロバテックとも思える動きをしていた。馬がいて猿がいる。興行初日の前日だったと思う。
陽はまだ茜色に残り風も凪いで穏やかな夕刻。
海に面した一隅から突然アコーデオンのメロデイが流れ、途中から賑やかな太鼓やサックスが加わる。周辺とは異なった絵空事のような世界がそこに生まれたようだ。
心奪われた。それなのに僕はその世界に入り損ねてぼんやり突立ったままだった。
「美しき天然」という曲の名はその夜母に教えてもらった。

翌日僕らのクラスに転校生がきた。転校43回目と担任が紹介した。細身の背の高い少女で、体が柔らかく、苦も無く両足開脚で前に向けた額が地についたのには皆驚いたものだ。
机を並べた期間は短かったと思う。すぐに周りに溶け込む少女だったが2つ年下の妹を気遣って休憩時間には何度かそのクラスまで様子を見に行っていたな。

それから3~4年後、転校先の東西に山脈が走る関所で有名な城下町で、友人宅からの帰り道のことだった。あの春の時と同じジンタの「美しき天然」が遠くから聞こえ、思わず足を向けた川縁の高台に「キグレサーカス」と描かれたテントの集団があった。
その日まで見に行こうとも思わずにいたのだが、この地にサーカスが来ていることは知っていた。
秋の陽は山の端にかかり、周りの樹木や建物の濃い陰と、射し込むような赤い陽の帯が斑になってテントを覆っていた。
多くのサーカスの団員が忙しげに動いている。曲芸用の大玉がゴロンと転がっている。
煮炊きをしている匂いもする。先で馬のいななきが聞こえる。小走りに通り過ぎた小柄な女性のあでやかな衣装の肩口に、ほころびというか裂けたところがあった。
北国の秋の淡淡(あわあわ)とした夕暮れ・・・

その時期、僕らのクラスに転校生は来なかった。
市内にはいくつも中学校がある。別の中学かもしれない。ぼんやりとそう思った。

投稿: 日月 明 | 2022年3月29日 (火) 15時03分

「くれない匂う」というのはまさに二木先生のご指摘の通りと存じます。私は刀剣の世界からこのことを知りました。刀剣は焼き入れをすると鋼の一部がマルテンサイトという構造になり極めて固くなります。この部分は研ぐと白く輝くようになります。これが波紋ですが、この輝きに「沸え(にえ)」と「匂い」があり、まさに光り輝いていることを意味します。この意味をしったときにはじめて万葉集の「春の苑くれない匂う桃の花、下照る道に出で立つおとめ」の意味が判りました。蛇足の蛇足でした。

投稿: 丁子 裕 | 2022年7月19日 (火) 21時14分

今日は、秋分の日。
”暑さ寒さも彼岸まで”で、夏の暑さから解放されて、秋の涼しさの到来を歓迎するとともに、歌の世界では、日本の四季の移ろいを謳った『美しき天然』を思い浮かべます。

地球温暖化のせいか、最近、気候のリズムが乱れているようで、今後の気象推移が気になるところですが、それでも、世界的視野で見れば、日本は春夏秋冬のバランスに恵まれた、自然豊かな国だと思います。
日本の美しい四季・自然が永久に続くよう、願わずにはいられません。

投稿: yasushi | 2022年9月23日 (金) 17時09分

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