星降る街角
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作詞・作曲:日高 仁、唄:敏いとうとハッピー&ブルー
1 星の降る夜は |
《蛇足》 昭和47年(1972)1月、中井あきらの唄でポリドールから発売、続いて同年10月、「ハッピー&ブルー」名義でテイチク(ユニオンレコード)から発売。
昭和52年(1977)には、「敏いとうとハッピー&ブルー」と、リーダー名を頭につけたグループ名でトリオレコードから発売されヒットしました。
敏いとう(本名:伊藤敏)は元獣医。作曲家遠藤実の愛犬を診たのがきっかけで芸能界に入ったそうです。
作詞・作曲の日高仁(まさし)は、かつて有楽町にあった日本劇場、通称日劇がステージ・エンタテインメントのメッカ(映画も上映)だったころの演出家。日劇退社後は、テレビや舞台の歌謡ショー・バラエティの演出・構成も手がけました。
この曲の快調なリズムや大衆受けするメロディーは、そうした経歴から生まれたものでしょう。
(二木紘三)
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コメント
作詞・作曲の日高さんの経歴ありがとうございます。一瞬、夜風、夜霧、夜霧、と読み違え、芸がないな、と感じたのですが、かぜ、きり、つゆ、だったのですね。軽快で楽しい曲だと思います。
投稿: Hurry | 2016年12月26日 (月) 15時24分
この歌は、合いの手入りで良くみんなで歌われますね。「あ~あ恋の夜夜夜夜長い夜」とか、「ふ~たりはわわわ輪が三つ」とか。そして、「あ~の街角角角角曲がり角、五かけて、六かけて、七かけて、八(や)っぱりお酒はやめられない」で終わるのです。
替え歌になっている歌はいくつかありますが、こんな歌い方ができてみんなで盛り上がる歌は、あんまりないですね。難点は、結構歌うとき伸ばすタイミングが難しい点だと思います。
投稿: 吟二 | 2016年12月27日 (火) 22時54分
本曲は「高橋勝とコロラティーノの中井がソロ転向時のデビュー曲…“敏いとう盤”は52年の発売…ラテンタッチ…歌謡曲の感覚でなくポップス感覚で書かれ…昭和40年代にあっては新しすぎたといえるかもしれない…」(ユーキャンムード歌謡ベストコレクション歌詞集から抜粋)という曲目解説があります(参考まで)。
なお、本曲リリースの昭和52年は内藤国雄『おゆき』も大ヒットした年でした。大山康晴から王位、中原誠から棋聖を奪取した将棋A級棋士の歌手デビューが話題になったものです。北関東方面の当時のカラオケスナック店内では『星降る街角』も『おゆき』もよく聴こえてきたものです。
投稿: 焼酎百代 | 2016年12月28日 (水) 11時34分
焼酎百代さま 前述のコメントを拝読しながらパソコンに向かっています。
お元気のご様子安堵いたしております。
ところで、ご自宅の般若さまもお変りございませんか。
私の住んでいる街でも、この歌が流行った頃は、バーやキャバレーに飲みに行った時などでは、ダンスがよく踊られていました。
私が行きつけの店では、ダンス「ジルバ」を踊るときは必ず、この曲「星降る街角」をリクエストしていました。
特に、パートナー二人と私と三人で一緒に踊った時などでは両腕に力が入り最高に盛り上がりました。
二木オーケストラの軽快な演奏を聴きながら過ぎ去った若き日々のことを懐かしく想い出している今日この頃です。
投稿: 一章 | 2017年4月11日 (火) 23時44分
一章様
痛風持ちが深酒するとたまに般若の顔を見せるカミさんともども、何とか日々暮らしております。お気遣い有難うございます。同じ戦前生まれ、健康に留意しながら、『うた物語』を聴きながら、残りの人生を送りたいものです。
浪花節的人生を送ってきたため残念ながらダンスは見るだけです。一章様はよくダンスをされるそうですが、ダンスのことはよく分からないながらジルバは『星降る街角』にぴったりと思います。
投稿: 焼酎百代 | 2017年4月12日 (水) 07時21分