江の島悲歌(エレジー)
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:大高ひさを、作曲:倉若晴生、唄:菅原都々子
1 恋の片瀬の 浜千鳥 |
《蛇足》 昭和26年(1951)5月、テイチクから発売。
同年6月1日公開の大映映画『江の島悲歌(エレジー)』(小石栄一監督)の主題歌で、菅原都々子のヒット曲の1つ。
この映画には、もう1つ主題歌があります。この歌と同じ大高ひさを作詞、倉若晴生作編曲による『片瀬夜曲』で、眞木不二夫が歌いました。
『江の島悲歌』が女性の恋情を歌っているのに対して、『片瀬夜曲』は男性の立場から歌った曲で、いわばアンサー・ソングです。歌詞も曲も映画のテーマに合ったいい作品でしたが、『江の島悲歌』ほどにはヒットしませんでした。
下に歌詞を掲載しておきます。
映画は引き揚げ船で知り合った男女が紆余曲折の末結ばれるという筋書きで、久我美子が演じたヒロインは神奈川県片瀬の病院で働く看護婦という設定。
ついでながら、久我美子は旧華族、久我(こが)侯爵家の長女で、女子学習院本科後期1年在学中に東宝の第一期ニューフェイスに合格して女優になりました。戦前だったら、ちょっと考えられないことです。
戦前から戦後の昭和20年代にかけて作られたメロドラマには、ヒロインが看護婦という作品が多いですね。戦前の大ヒットメロドラマ『愛染かつら』(主題歌は『旅の夜風』)をはじめ、戦後の『高原の駅よさようなら』『月よりの使者』など。白衣がロマンチックなイメージを増幅させるのでしょうか。
もっとも、近年は白衣を着ない看護師が増えているようですが。
片瀬は神奈川県藤沢市の南東部に位置する地区で、江の島はその一部。風光明媚で宿泊施設も整っていたこの地区には、明治初期以降、多くの外国人が訪れるようになりました。彼らによってヨーロッパ式の海水浴が日本に広まったとされています。
片瀬夜曲
1 別れともない 別れのなぎさ
君は片瀬の さくら貝
かもめよかもめ 泣くじゃない
男心も 涙こらえて
ああ 行くものを
2 なまじ逢わねば 夢見る瞳
心静かに いた君を
ゆるせよ我は 旅の鳥
命かぎりと 泣いて泣かれず
ああ 忘られず
3 想いあふれて また振り返る
恋の片瀬よ 江の島よ
月影あわき しずむ夜も
越えていつまた めぐり逢う日の
ああ ありやなし
(追記:菅原都々子は「漁り火」を「いざりび」と歌っていますが、古くはこう発音されていたようです)。
(二木紘三)
コメント
二木先生 こんばんは
いつも 勝手な文章を 推敲もせず はりつけてきて
困った奴だと 思われているでしょうね
思われついでに よし という気持ちで書き出しました
もちろん 昨日の相撲による 昂ぶりも続いているのですがーー
大好きな 江の島悲歌(エレジー)の演奏 発表していただき 有り難うございました
真白き富士の根 にはじめてコメントさせていただいて ほぼ10年
何故か 憧れのある?? (負い目?)三浦半島のあたりから 鎌倉 小田原 にいたる相模湾ぞいには 思うところは深いです
私事ですが
鎌倉(唱歌) 真白き富士の根 とこの 江の島悲歌
は 歌うときは 必ず そのうち2曲はうたいます
最高で 数時間かけて 49曲歌ったことの有る 変わった奴です
この曲で頭にうかぶのは
坂田山心中 と 天城山心中なのです
二宮の 日野原先生が設立されたホスピスに友人??を見舞ったこともあります そのご 亡くなられて大磯?の 大きな霊園にも参りました 鎌倉を知人??と 江ノ電でめぐったこともーー
時間の流れは 残酷です
みなさまが 幸せにつつまれるよう 祈っております
投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年3月27日 (月) 19時52分
30年ほど前、定年退職していたかどうかの頃、九州から初めて江の島に行きました。東京に就職していた娘を訪ねた時のことです。鎌倉から江の島を案内してもらいました。
妻と三人で江の島駅から大勢の観光客にもまれながら江の島に向かって歩きながら、私が「江の島エレジー」を鼻歌まじりに歌っていたところ、娘から「変な歌うたわないで」とヒンシュクを買ったのを思い出します。
好きな歌ですが、日中の人込みには似合わなかったのでしょうか。
投稿: 周坊 | 2017年4月12日 (水) 22時10分
薬を服用しても 眠れぬままに
江の島悲歌(エレジー)を聞かせていただいています
本年三月末に この曲に書かせていただいて ほぼ四ヶ月余しか経っていないのですね そのときに 天城山心中のこと 日野原先生のピースハウスのことに触れていました
その後 二木先生が 御身を愛す を6月 1日 (木)にアップされ 愛新覚羅慧生さんのことを綴られ
次に 僕が 親友T君の死のことを 北帰行 に書くと すぐ 日野原先生の訃報が7月18日 (火)にあり 越村 南さま りんごさま あこがれさま けんさま それぞれの 日野原先生の死に対する想いが のべられましたね
何か しみじみとした 気持ちになっています
二木先生のブログとは 糾える縄の如く 近寄ったり遠ざかったりしながらも 繋がっているのだと 今更ながら痛感させられた次第です
偶然なのか 縁(えにし)なのか 何なのでしょうね
初めて 先生のページに遊び 僕の大好きな 真白き富士の根 は 収録されているのかな と感じ 最近の記事 に目を移すと その一番上に
真白き富士の根 があったのですからねーーー
ゆかしき縁 なのでしょうね
この十年 長いような短いような --
私事ですが よくやりました
他の誰もしない経験をいたしました
日記をつける人ではないので 先生への投稿を 時系列的に見ることができれは 自分の その一瞬の状態 考え がわかり また 考えなどの変化も知り その世情に対する自分の立ち位置もわかり 反省材料としても 使えるのでしょうね 一度 反省の気持ちを持って 全コメントを調べてみましょうか
恥ずかしい 言わずもがなの投稿も多いのでしょうね
おかしいです 書きながら 涙です
さぁ 明日から また 一週間の始まりです
新しい方たちとの出会いも あるでしょう
初心にもどってーーー
投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年7月31日 (月) 01時36分
信州の小谷村に疎開していた頃、この歌を村の若い衆が歌っているのをよく聞きました。雪深い村でも流行り歌はよく歌われて、「泣くな小鳩よ」とか「南から」など今でも耳の底に残っています。それで、この歌の舞台は江の島ですが、この歌から浮かんでくる風景は村の中を南北にはしる県道、その両側に軒を連ねる萱屋根の家並のなのです。2歳で東京から母の実家に疎開し、11歳まで。物心ついた時目の前にあったのは小谷村の風景なので、私の故郷が東京というのには実感が湧きません。
江ノ島エレジーは私にとっては望郷の歌なのです。にもかかわらず、菅原つづ子さんの声を平べったくして細かなビブラートを利かせた歌唱には少し違和感があり、好きとは必ずしも言い切れない歌でした。
ところが数年前、水森かおりさんのカバー曲を聴いてこの歌の美質に触れた気がしたのです。それ以来私の大好きな歌となりました。カバー曲とは元歌のポテンシャルを開示し、その魅力を深め拡大するものだと思いますが、その好例だと思います。
投稿: 中川秀夫 | 2020年10月 1日 (木) 18時20分
過日の投稿に補足させて下さい。
「江の島悲歌」という映画は全く知りませんが二木先生のご説明では「引き揚げ船で知り合った男女が紆余曲折の果て結ばれる」ということでハッピ-エンド物語のようです。しかし私はこの歌の歌詞から死のイメージを感じてなりません。
1番 今宵嘆きの桟橋の月に崩れる我が影よ
2番 哀れ夢なき青春を海の暗さに散らす夜/君ははるけき相模灘漁火よりも遠き人
3番 南風の潮路の流れ藻に明日は真白き花と咲け
恋愛とは青春の異名。失恋し青春を失い、悲嘆の果てに、哀れ、夜の海に入水、沖合遙か流れた人に「明日は真白き花と咲け」と再生を祈る。あたかも日本武尊の命が死んで白鳥となって飛び立ったように。
この歌にはそんな入水死のイメージが漂っているように感じられてなりません。
ハッピーエンドらしい映画にどうして斯様な主題歌があるのか私には理解できないのですが、この歌に死のイメージを抱き、死の匂いを感じるのは私の誤解でしょうか。
投稿: 中川秀夫 | 2020年10月 5日 (月) 13時33分
全く同感です。海の事故かなんかで恋人か幼なじみを失った女性が、江の島の海を眺めながら耐えて偲ぶ唄と思っていました。小生、70歳ですが、大好きな曲です。
投稿: 中林茂 | 2021年1月31日 (日) 17時46分
「江の島悲歌(エレジー)」私がこの唄を初めって知ったのは、昭和50年に発売された「森昌子・十六歳の演歌・他人船」というLPレコードに収録されていたこの曲を聴いた時でした!
そのアルバムのB面一曲目に収録されている「潮来花嫁さん」を聴き終わり、そして二曲目のこの「江の島悲歌」を聴き終わった瞬間、私は思わず即座にステレオの針をリターンさせて、再度その二曲を聴きなおしたほどで、特に16歳の彼女が歌うその二曲には感情移入したことを憶えています。
私にはそんな想い出のあるこの唄ですが、ここで『蛇足』での解説を読みながら、今こうしてこのメロディを聴いていると、当時とはまた違うより深い哀切さを感じる自分がいます。
「江の島悲歌」今では大変有難いことに、大好きだった森昌子歌唱のこの曲を、当時のレコードジャケットの表面と裏面を飾っていた、彼女のスナップ写真映像とともに、ファンの方がYouTube動画にアップしてくださっており、私はそのころを懐かしみながら今もその動画を時々視聴しています。
投稿: 芳勝 | 2021年2月 4日 (木) 18時08分
この曲は存じませんでした。私より上の世代の馴染みの曲でしょうか。
江の島は、現在藤沢市に属しますが、元々は鎌倉との繋がりが強い地です。片瀬の海岸から橋を渡ると、弁財天のある山(岡)の上へ向かって階段が続き、両側には土産物屋や飲食店、遊興施設が並び、温泉地の様な賑わいがあります。山を越えて島の反対側まで歩くと岩屋の洞窟があります。洞窟の奥は行き止まりになっていますが、柵の先にもトンネルが続いています。そのトンネルは富士山の裾野の鍾乳洞に繋がっているという伝説(都市伝説)があり、実際トンネルの奥から風が吹いて来ます。
看護婦が白衣の天使と呼ばれたのは、随分と以前のことです。かつての看護婦の姿はナイチンゲールのイメージが強いと思います。私が研修医の頃、看護婦はキャップを被っていましたが、その後清潔ではないという理由から廃止になりました。そして男性も参入して看護師と呼ばれる様になり、更にスクラブという制服を着るようになりました。スクラブはアメリカの看護師が着始めて世界に広まりました。『ごしごし洗う』という意味で、色も様々です。最近は医師もスクラブを着用します。
医師の白衣(ガウン)は現在も使用されますが、看護婦のスタイルは全く変わりました。
投稿: Yoshi | 2022年6月22日 (水) 14時42分