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2017年5月17日 (水)

夕焼け雲

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:横井弘、作曲:一代のぼる、唄:千昌夫

1 夕焼け雲に 誘われて
  別れの橋を 越えてきた
  帰らない
  花が咲くまで帰らない
  帰らない
  誓いのあとの せつなさが
  杏(あんず)の幹に 残る町

2 二人の家の 白壁が
  ならんで浮かぶ 堀の水
  忘れない
  どこへ行っても忘れない
  忘れない
  小指でとかす 黒髪の
  かおりに甘く 揺れた町

3 あれから春が また秋が
  流れていまは 遠い町
  帰れない
  帰りたいけど帰れない
  帰れない
  夕焼け雲の その下で
  ひとりの酒に 偲ぶ町

《蛇足》 昭和51年(1976)3月20日、徳間音楽工業から発売。

 敗戦後から高度成長期にかけて、多くの若者が地方から東京などの大都会に出てきました。その多くが、懐郷の思いに胸を熱くし、心を寄せていた故郷の女性に思いをはせました。
 この歌や、『別れの一本杉』『丘にのぼりて』『帰ろかな』なども、
そうしたセンチメントをテーマとしています。

 夕焼けはきれいですが、夕暮れは赤ん坊と老人を不安にさせます。
 赤ん坊のなかには、生後3か月あたりから、毎日、夕暮れ時になると、泣き出す子がいます。
どこかが痛いとかおなかがすいたなど、はっきりした理由がないのに、ほぼ決まった時間に泣き出すのです。うちの長女がそうでした。
 これを「黄昏泣き
(コリック)」というそうです。

 黄昏泣きの理由はよくわかっていませんが、私は、すぐに来る夜という未知の時間への不安からではないかと思います。

 老人も、人生の黄昏時にはよく泣きます。赤ちゃんは声を出して泣きますが、老人は心の中で息を潜めて泣きます。泣いているつもりはなくても、よくわからないモヤモヤを感じているときとか、わけもなく寂しいときは、実は黄昏泣きしているのです。
 これも、来たるべき"長い夜"への不安がそうさせるのでしょう。私も、黄昏れ泣きが多くなってきました。黄昏泣きというより、夜泣きというべきでしょうか。

 赤ちゃんの場合は、10時間ほどで朝が来て、それを繰り返すうちに夜に慣れます。いっぽう、老人に遅かれ早かれ訪れる"夜"は、明けるのか明けないのか全然わからず、それゆえ、それに慣れる機会がありません。死んだ人に訊くわけにもいきませんしね。

 ま、夕焼けを見ても、不安を感じることなく、ただ美しいと感じていた遠い青春時代を思い起こして、心を慰めましょう。

YouTube=https://youtu.be/vzTJ6MUkAx4

(二木紘三)

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コメント

二木先生の演奏に涙、そして蛇足にも涙が込み上げました。
そういえば私の孫  長男が/激しく黄昏泣きをしていました。
先月 最寄りの文化センターで
千昌夫さんのコンサートがありました。
トークに笑い歌に泣きました。
「夕焼雲」「星影のワルツ」に涙が込み上げました。

懐かしい曲をありがとうございます。

投稿: りんご | 2017年5月18日 (木) 14時11分

いつもながら、二木先生の演奏と蛇足には、感動・感動の連続です。
ありがとうございます。
この歌が流行ったころは、私が結婚4年目の頃・・・長男・長女の誕生と重なり子育てに振り廻されていたころを懐かしく想い出しております。
時折、ラジオから流れる千 昌夫の「夕焼け雲」に、どれだけ励まされたか分かりません。
翌年の「北国の春」も大ヒットしましたが、私のハーモニカ演奏の十八番となっております。

投稿: 一章 | 2017年5月18日 (木) 23時15分

いい歌をアップしていただき感謝します。
私は「夕焼け」が好きで、夕焼けの絵葉書を集め、転勤先の様々な夕焼けを見るのを楽しみにしていました。

赤ん坊や老人の「黄昏泣き」の言葉は管理人さんの解説ではじめて知りました。
長女が生まれて間もない ある日の夕方、突然長女が泣き始めました。私たちは抱っこしたり、あやしたりしても長女は近所にも聞こえる大きな声でただ泣くだけでした。
私達は故郷を離れ身寄りのない関西の山間部の市営アパートに3人で住んでいました。タクシーに乗るお金の余裕もなかったので、長女を抱っこして約1時間ほど歩き病院に行きました。山間部なので家もまばら、砂利道を走る車はほとんどなく静かで星空が綺麗な夜でした。
泣き止まない長女は大病に罹っているのでは?などの不安から 親の私が泣きたいくらいでした。腕は疲れてくるし私たちにも不安が広がってきました。

やっと病院に到着。病院の小児科のお医者さんは泣き止まぬ長女をみて「あ、これは ゴンタ泣きです。大丈夫です。」といわれ拍子抜けしました。

私たちは「ゴンタ泣き」の言葉をはじめて聞きました・・
その「ゴンタ泣き=黄昏泣き」が同じ意味のようです。

投稿: けん | 2017年5月19日 (金) 10時50分

この歌は歌詞も覚えやすく親しみ易いのですぐに歌えるようになりました。ですが友人とよく行くカラオケで私は歌ったことがありません。友人の中に歌が上手いのがいてそれがまたこの歌が気に入って十八番にしているからです。だいたい上手い人から順番に歌うので彼が歌ってしまいます。悔しい悔しいと思っていました。このたび図らずも二木先生の演奏でいつでもこの歌が聞けるようになり、嬉しい限りです。これからは「夕焼け雲が」私の独り占めとなりました。先生に感謝感謝です。

投稿: 林 滋 | 2017年5月19日 (金) 11時01分

名曲のアップ有難うございました。この頃の詞は今の詞と比べ引き込まれる物がありますね。甘えついでに次の2曲のアップもお願いします。
   アメリカ橋(狩人)  江梨子(橋幸夫)

投稿: 海道 | 2017年5月19日 (金) 16時40分

二木先生の胸に染みる演奏を聴きながら、この歌詞をなぞると
実らなかった恋の思い出が想像されます。
「二人の家の白壁が
並んで浮かぶ掘の水
忘れない~」切ない恋の記憶は今
甘美な思い出となって老いの日々を彩ってくれるのですね。殿方にとっての初恋は女性とは比べくもないほど神聖なものと思われます。
中勘助の「銀の匙」を愛する殿方の心理に共通するものと
推察しております。
私事ですが、彼の初恋に激しく嫉妬した記憶が甦りました。彼女の転校で思い出に変わったという初恋は嫉妬するに充分な材料でした。何とも愚かだった自分が哀れにも愛らしくもおもわれてなりません。
演奏を聴きながら淋しさに酔うのもいい心地です。

投稿: りんご | 2017年5月19日 (金) 21時03分

先日のラジオ深夜便「日本の歌・心の歌」で目がさめました。耳に入ってきたのは夕焼け雲です。昭和35年の発表とアンカー。この歌を聴くとき、作者はどこでこれを詠まれたんだろうかと、いつも気になります。どこかの城下町と武家屋敷の白い壁?でもなさそうです。場所は、信州の更級か埴科あたり、白壁の家が点在するあんず畑からの夕焼け空と信じています。この唄に登場する若いお二人のその後の幸せを祈っています。

投稿: 亜浪沙(山口功) | 2017年9月 1日 (金) 13時43分

二木先生  北上夜曲の拙コメントで
「黄昏泣き」の記憶があいまいであったことをお詫びいたします。やはり先生の蛇足で知った「黄昏泣き」でした。

当地は一雨ごとに秋の深まりを実感するこの頃です。
今日はとても美しい夕焼けで地元テレビ局では夕焼けの映像を放映。ちょうどのタイミングで「夕焼雲」に山口様がコメントをされたので参りました。いい曲ですね。しみじみと胸に染みて黄昏泣きを誘発されました。

投稿: りんご | 2017年9月 1日 (金) 19時53分

当西九州地方では、日中は気温30度が予測され、日々に秋が近づいているように思えます。
山口さま・りんごさまに誘われてお邪魔します。
この曲、何度聴いても飽きません。さすが名曲ですね。
二木オーケストラの流れるような素敵な演奏に「夕焼け雲」が重なり、しばし心地よい夢の花道へ迷い込んだようです。
ありがとうございまし。

投稿: 一章 | 2017年9月 2日 (土) 09時20分

二木先生の演奏を聴きながら蛇足にある「黄昏泣き」を誘発されます。朝なのに~人生の黄昏泣きです。
今朝は長期療養中の長兄の容体が急変とて駆けつけました。15歳で奉公にでて三年後に農業を継ぎ働きづめに働いて13年前に脳梗塞で倒れそれっきり言葉を失い車椅子の生活。やがて施設に入寮 先月病棟に異動。
辛い人生でした。真っ正直で、快活で働き者だった長兄に
こんな末路が待っていようとは。神は耐えられない苦しみは与えないと聞くが十分苦しみました。私たち弟妹にとっても切ない年月でした。もうお迎えが来て楽になって欲しいと祈ってます。

東京大衆歌謡楽団の弟分?空、風楽団を時折楽しんでいます。弟の藤井風君はイケメンで  又の名をピアノの奇行子と言われユーチューブで人気上昇中。貴公子の間違いではありません。夕焼け雲はお兄さんの藤井空君が演奏しています。

https://www.youtube.com/watch?v=yG2wRdMWZQA

投稿: りんご | 2018年9月 3日 (月) 12時46分

「夕焼け雲」この唄は私の住む蒲郡駅の近くで小料理屋を営んでいる大将を想い出させます!

その人は、岐阜県出身で、高校卒業後名古屋の国鉄宿舎にいる時、昭和60年頃の国鉄民営化に伴う希望退職に応じたあと、心機一転で板前を志し各地を転々としながら、蒲郡の温泉街に修行にきたそうです。
初めて私の行きつけの居酒屋でその人に会った時からすぐに意気投合し、私は知人経営のカラオケスナックに誘いました。
私が強く印象に残っているのは、店のママさんの誘いでその人が歌った唄がこの「夕焼け雲」でした。最初は歌が上手いなぁと思いながら聴いていたのですが、3番に入ると突然声が上ずり出して途中には嗚咽に変わり涙を浮かべていました。
歌い終えた彼にどうしたの?と私が尋ねると、その人は20年ほど岐阜の実家に帰っていない事や、両親兄弟にも逢っていない事を私に打ち明けました。格好がつくまでは帰らないと誓ったまま、ここまで嫁も貰えずズルズルと40歳まで過ぎてしまった、何としても一旗揚げたいとまた涙ぐんでしまいました。

3 あれから春がまた秋が 流れていまは遠い町
  帰れない 帰りたいけど帰れない 帰れない
  夕焼け雲のその下で ひとりの酒に偲ぶ町 ♪♪♪

今改めて上記の歌詞をみると、その人が歌いながら涙した当時の気持ちが私にはよくわかります。
あれから25年が経ちましたが、その大将は12年前に念願の小料理屋を開店し、その年には晩婚ですが、好きな人が見つかり籍を入れたそうです。今も二人で店を切り盛りしていて、そこそこ繁盛しているようです。

「夕焼け雲」この唄も名称横井弘の詩ですが、

2 小指でとかす黒髪の かおりに甘く揺れた町 ♪♪♪

特に上記の詩は私の堪らなく好きなフレーズで、何と素晴らしい表現なのかと思ってしまいます。


投稿: 芳勝 | 2019年1月14日 (月) 15時19分

 歌の持つ心情に、どうしょうもなく感情が揺すられてしまう時があるんですね。誰でも一つは、心の中のものに否応なしに呼応してしまう歌があるんですね・・・・・

投稿: konoha | 2019年1月14日 (月) 22時43分

りんごさんの2017年5月18日 (木) 14時11分投稿から 芳勝 さんの投稿までのコメント( 2019年1月14日 (月) 15時19分)十数点が夕焼け雲のよせられていますね。二木先生の解説とあわせ、改めて精読させてもらいました。すべてにじーんと胸に迫るおもいです。
お互い、黄昏泣きの身となりました・・・ねエ。津軽平野から南西に遠望するお岩木山の稜線に夕焼けを視るたびに、山にかかるあかね雲が遠い九州の田舎で老いを重ねている母親の顔にみえて、帰りたくともかえれない哀愁のときをすごしたことをおもいだします。

投稿: 亜浪沙(山口功) | 2020年4月16日 (木) 15時04分

私は先生より2年下なので黄昏泣きの経験はありませんか最近独り身になって家にいると相手が枕元にたってしまうので朝早くから外に出たり、より所として県人ではないが信州はいい所だからと長野県入会に入会される方が増えています。ハコベの花様はじめ名文を書かれる皆様の投稿が減っています。文章はメタメタですが投稿を続けさせていただきます。

投稿: 海道 | 2022年5月31日 (火) 09時31分

海道様 有難うございます。ここ2年ガクンと体力が落ちて、皆様の投稿は読ませてもらっていたのですが、その日の家事で疲れ果ててロマンが遠のいてしまっていました。
また夏が巡ってきましたね。私には海の思い出が若さを取り戻す薬になります。浜名湖の水の青さ、たった二人だけの海の静けさ、ボートを漕ぐ彼の腕の逞しさ、あれは夢ではなかったかと思う時があります。今、思い出しても胸の鼓動が早くなります。アメリカへ3年ほど行きたいという彼の帰りを待つ余裕がないと言って彼を泣かせてしまいました。見送った彼の目にあった涙、今も忘れられません。
気持ちはずっとあの時の22歳です。恋ってすばらしいものですね。その時は恋心に気が付いていませんでした。
明日からこの想い出が私の元気の元になってくれるような気がします。海道様有難うございました。

投稿: ハコベの花 | 2022年6月 1日 (水) 22時27分

 先日、BS朝日「人生歌がある」で千昌夫・吉幾三のお二方がこの歌を歌うビデオが流れました。吉さんが千さんの振り真似をしたのには腹を抱えて笑いましたが、同時に苦労人のお二人の仲の良さ、信頼関係が感じられて嬉しくなりました(動画がアップされないかあ・・)
 イントロは、ウルトラセブンのオープニングのような出だしが曲への期待を、それに続く高らかなトランペットは彼方の夕焼雲と、遠くなった故郷への距離を感じさせます。
 曲調も夕焼け空、郷愁、やるせなさ、しかしまだある期待を見事に表していると思います。
 歌詞を見ると・・。1番と3番の、主人公の立場と心の変化。1番の、決意を彼女に告げた時の光景。出色なのは2番で、うだうだと説明しなくても、最初の1行で二人の生い立ち・育った環境・馴れ初めが目に見えるようにわかる。さらに彼女への思慕の感覚、「白壁」と「黒髪」の色の対比など、さすがにプロの作詞家は凄いなあ、と思いました。
 いやあ、名曲ですね。作詞の横井弘氏の曲に同じテーマを扱った「虹色の湖」があります。(虹色の湖)=(夕焼雲)=「都会、おそらく東京(への期待)」。「虹色の湖」の主人公の心が諦め・後悔なのに対し、この歌の主人公は曲調や2番の「どこへ行っても・・」から、境遇を嘆きながらもまだまだ諦めてない、そういう風に感じましたが、いかがでしょうか。

投稿: ソルト・ロード | 2025年2月11日 (火) 15時31分

「夕焼け雲」最近の私はこの歌のページにくると<蛇足欄>末尾に張り付けてある『URL』を開き、YouTube望郷の歌1「夕焼け雲」を必ず視聴するようになりました!

そこには、数々の素晴らしい風景映像とともに、二木先生の名演奏が流れてきますが、演奏終了後の画面に表示される『下記の詩』を読みながら、今ではこの名曲の余韻に心地よく浸れるようになったからです。

どれほど多くの若者が、恋するひとの名を
あるいは そのひとへの愛の言葉を
木の幹に刻んだことだろう。

木が成長し 彫った名前や言葉が
薄れるころには
そのときの気持ちを 忘れてしまう者もいる。
木も自分も老いてさらばえてなお、
何一つ忘れないでいる者もいる。

きつい別れをした者ほど、
記憶が鮮明に残るようである。

「夕焼け雲」横井弘氏はこの唄の歌詞を作成するにあたり『単なる望郷ものではなく、何等かの理由で故郷に帰ろうとしない人の心情を歌った詞』を書いたと云います。この三聯の歌詞にはそれが実に見事に表現されています。それも作詞の大家と評される所以でしょうか、流石という他ありません。

投稿: 芳勝 | 2025年2月15日 (土) 16時59分

この欄の過去の自分のコメントに
風楽団と書いてあり懐かしさの余り、みなさまに一言お伝えしたくペンを取りました?
この風とは今や世界の藤井風と言われる藤井風さんのことです。
紅白歌合戦でニューヨークから中継したイケメンシンガーソングライターです。
まさか今日の活躍ある事は想像しておりませんでした。岡山の片田舎のユーチューバー、
ちゃんと網を広げて観ている方おられてのですね。敏腕マネージャー氏に発掘されてあれよあれよと言う間に世界の藤井風。
異常な寒さ、皆様乗り越えてください。

投稿: りんご | 2025年2月18日 (火) 15時08分

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