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2017年8月18日 (金)

雨(三善英史)

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:千家和也、作曲:浜 圭介、唄:三善英史

1 雨にぬれながら たたずむ人がいる
  傘の花が咲く 土曜の昼さがり
  約束した時間だけが 体をすりぬける
  道行く人は誰一人も 見向きもしない
  恋はいつの日も 捧げるものだから
  じっと耐えるのが つとめと信じてる

2 雨にうたれても まだ待つ人がいる
  人の数が減る 土曜の昼さがり
  約束した言葉だけを 幾度もかみしめて
  追い越す人にこずかれても 身動きしない
  恋はいつの日も はかないものだから
  じっと耐えるのが つとめと信じてる

  約束した心だけが 涙によみがえる
  見知らぬ人があわれんでも 答えもしない
  恋はいつの日も 悲しいものだから
  じっと耐えるのが つとめと信じてる

《蛇足》 昭和47年(1972)5月25日にビクターエンタテインメントから発売。
 三善英史
(みよし・えいじ)のデビュー曲ですが、それがいきなり大ヒット。第14回日本レコード大賞・新人賞、新宿音楽祭・銀賞、第3回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞と、いくつもの賞を獲得しました。

 なかなか来ない恋人を待ちながら、同じように誰かを待ち続けている人を見ている、といった光景です。
 どういう人をどんな状況で待つかによってかなり違いますが、人を待つことには一種の歓びがあります。

 私は、遠方から来るひとを、御茶ノ水駅前で立ったまま2時間近く待ったことがあります。今か今かと待つその一瞬一瞬が甘美なときめきに満ちていました。
 諦めて下宿に帰ると、「鉄道事故で行けない」という電報が来ていました。旧国鉄の戦後5大事故のうち、5番目が起こった日でした。

(二木紘三)

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コメント

東京地方はこのところ雨続きだそうですね。さぞ欝陶しいこととお見舞い申し上げます。当山陰地方はそれと裏腹に、晴れて暑い日が多いです。さてこの「雨」は日本人の、じっと内に秘めて耐えるという心性にピッタリなのでしょうね。彼の風貌と声もそれにあっています。デビュー当時から三善英史がTVに出るとうれしくなるのでしたが、最近かれのある側面について知り「なるほど!そうであったか」とわが意を得た思いです。
「待つ」ということの快楽について語られていますが、かつて待ちぼうけを食わせた罪悪感が少し薄らぎました。

投稿: Bianca | 2017年8月18日 (金) 19時37分

Bianca様

「最近彼のある側面を知り、なるほど!そうであったか」とわが意を得た思いです」という文章が気になります。どういうことなのか教えて下さい。

三善英史はいわゆる一発屋だったのでしょうか。そうであったとしても、この歌はやっぱりいい歌ですね。戦後の名曲のひとつだと思います。  

投稿: 吟二 | 2017年8月18日 (金) 20時33分

ゴシップに類することを上品な雰囲気のこのブログで出すのもどうかと遠慮しました。しかしすでに10年前に本人がTV番組で告白しているので私だけが知らなかった公然の秘密なのでしょうか。ご存じでなければ検索して下さい。

投稿: Bianca | 2017年8月19日 (土) 08時31分

「三善英史」の出自は以前、ある新聞社から出された本で知りました。担当者が「この話はいい。」ということで公になったそうです。この歌は耳についていましたが、この話は後日目にしました。
「雨」は多くの人の心に響いたのだと思います。 

投稿: 今でも青春 | 2017年8月19日 (土) 09時09分

二木先生、心に染み入る名曲のアップありがとうございます。
原曲とは一味違う、流れるようなメロディーラインに乗ってリズムセクションが追いかけるようで素敵な曲に忘れ去った日々を想いだしております。
独身時代のある日、知人の紹介で一人の彼女を紹介され、数ヶ月お付き合いをしましたが、彼女に彼氏がいることが判明し身を引くことに・・・。
それから暫く行き付けの居酒屋に通うことに・・・当時は、日本酒のコップ酒を、(現在では、焼酎百代さまと同様の薩摩芋焼酎愛用)飲みました。
そんなある日,居酒屋を出るとあいにくの小雨が・・・暗い夜道を一人寂しく家路へ向かいました。
改めて、二木先生の名演奏を聴きながら、当時のことが懐かしく想い出される今日この頃です。

投稿: 一章 | 2017年8月19日 (土) 21時03分

うた物語所収・北の旅人の弦哲也と同じく浜圭介は元々歌手だったそうですが、本曲を始め石狩挽歌、そして神戸、終着駅、折鶴、舟歌…などまさにヒットメーカーでした(Wikipediaから抜粋)。昭和50年ごろ入り浸っていた、地方のカラオケスナックでも雨、石狩挽歌、そして神戸…などよく聴こえてきたものです。
一章様と同じく昔は日本酒(地酒)中心でしたが、今は薩摩芋焼酎をたまに飲むかたわら千円でおつりがくる1升紙パック入り安焼酎中心です。なお、一章様の独身時代の思い出「暗い夜道を一人寂しく家路へ向かいました」を読んで、北島三郎が昭和38年NHK紅白で唄った名曲ギター仁義↓の一節“〽雨の裏町とぼとぼと…”を思い出したしだいです。
http://www.youtube.com/watch?v=ndDy-QLdRVg

投稿: 焼酎百代 | 2017年8月19日 (土) 22時39分

焼酎百代さま 今晩は、夜分に恐れ入ります。
百代さまも以前は日本酒党だったの由、酒飲みには(失礼)色々変遷があるようですね!
私も、当時は地元の日本酒の地酒を好んで飲みあさりました。
サブちゃんの「ギター仁義」ありがとうございました。
若かったんですね!画面を見てサブちゃんの若々しい顔をひさしぶりに見ました。それに、遠藤実さんの姿を拝見し懐かしく思いました。ありがとうございました。
お互いに、身体をいたわりながら好きなお酒と末永くお付き合いしたいものですね!
コメントありがとうございました。

投稿: 一章 | 2017年8月20日 (日) 00時10分

一章さまのコメントに映画の一コマを観るような思いに誘われました。二木先生の演奏を聴きながら何度も読み返しては涙が込み上げました。
焼酎百代様のコメントでも触れている同じく浜 圭介作曲の「折り鶴」に通じる抒情性があり引きこまれます。懐かしい 昭和歌謡の名曲ですね。

投稿: りんご | 2017年8月21日 (月) 08時26分

吟二さま
奥歯にものの挟まったような表現をしたことをお許し下さい。こういう嫋々たる歌詞と歌唱法に触れると私はつい想像をたくましくするのです。初めて聞いた時から何十年に亘ってそうでしたが、まだはっきり言葉に出せない状況を悲しく思います。それから三善英史が「一発屋」であるなどと誰かがくさしているのでしょう。
変な二作目三作目を聞かされる方がつらいです。

投稿: Bianca | 2017年8月21日 (月) 23時43分

「雨」をうたった名曲がわが国では何故か昔から数多くつくられて来たように思います。和歌や俳句から近代の童謡や歌謡曲、演歌に至るまで、数え切れないくらい。年間の降雨量が適度で、降りかたも激甚ではないせいではないかと、したがって、情緒的にも雨に心を寄せやすい自然環境が存しているように感じます。今後、地球温暖化の影響でこの辺の事情が悪化しないことを念ずるのみです。

投稿: 槃特の呟き | 2017年8月23日 (水) 00時02分

初めて投稿させていただきます!このサイトに出会えた事を大変嬉しく思っています。昭和47年には思い出があります。事情があり働きながら夜間高校へ行っていた私には家への仕送りがあり、自分の小使いはあまりありませんでした。ただ音楽が大好きで、ある楽器屋さんにはいつも買えないけど行っていました。ある日親切な楽器屋さんのご主人が、欲しかったレコードプレーヤーを月々500円の支払いでいいよと口約束の月賦扱いで、品物を先に渡してくれました。そのおかげもあり二枚のレコードが買えました。三善英史さんの雨と牧村三枝子さんの少女は大人になりましたの二曲です。どちらも浜圭介さんの傑作だと思います。

投稿: 芳勝 | 2017年10月18日 (水) 01時07分

もう、45年ほど以前の話ですが、長崎市内の喫茶店でバイトしていた頃の話ですが、経営者が洋楽が好きで午後10時過ぎて帰りますとチャンネルを替えて歌謡曲に変更していましたら11時位になるとこの曲がよく放送されていました。悲しい曲に帰宅する時間がオーバーラップしておりました。

投稿: 有線放送 | 2018年12月 3日 (月) 21時17分

この曲がヒットした昭和47年の秋、勤務会社の慰安旅行で和歌山県の勝浦温泉一泊旅行に参加しました!
当時の観光バスにはカラオケ機器はなかったので、バス内ではガイドさんの歌を聴くのがほとんどでしたが、旅行帰りにはお酒でほろ酔い気分になられた、私の直属の上司がみんなの手拍子で陽気に「お富さん」を歌い終えた直後、急にこれは上司の命令だ!と笑顔でマイクを手渡され、私は弱ったあげく緊張の面持ちながらアカペラで歌ったのが、私がレコードを持っていたこの曲 雨♬でした。どうにか歌い終えた後バス内の人たちが大きな拍手をしてくれて嬉しかったことを憶えています。
振り返ると、この上司の方は仕事のご指導を初め、夜学に通う私をいつも励まして下さり、プライベートに於いても大変可愛がって下さいました。またこの雨♬ は人前で流行歌を初めて歌ったという経験の曲でもあり、46年が経った現在でもこのメロディを聴いていると、その当時のことが懐かしく想い出されます。

投稿: 芳勝 | 2018年12月 4日 (火) 20時02分

どんよりと重たい雲に覆われて、降ったり止んだり・・・じとじとと陰気くさい“土曜の昼下がり?”です。

昔から傘をさすことが嫌いで、一年中で一番苦手な梅雨時期ですが、それでも雨に濡れて色鮮やかな紫陽花やバラの花、梔子や花菖蒲などを目にすると、梅雨もまた良しか・・という気になってきます。

昔、高校2年生の夏、海水浴に行った親しい同級生SH君が、ボートから飛び込んでそのまま浮いてこなかった悲しい出来事があり、校庭の隅に両親が植樹された梔子の花が翌年見事に開花し、それをテーマに「くちなしの花」という作詞をしました。(渡哲也より随分前にですが・・・)
それを見た音楽部の後輩の女の子が、自分の母校(G中学校)の音楽の先生に頼んで作曲をして頂きましたが、それがそのまま G中学校の生徒達に数年間歌われたと聞かされたこともありました。
あいにく、楽譜は探しても見つかりませんが、詞は今でもはっきりと覚えていますので、純情無垢な高校2年生の詩として笑って見てください。

 庭に一輪咲いた花 その名もゆかし くちなしの
 風のそよぎに ゆらゆらと 揺れてはかなし白い花

 夕陽に映えて咲いた花 その名もゆかし くちなしの
 想いみだれて ゆらゆらと揺れてなつかし白い花

 夜露に濡れて咲いた花 その名もゆかし くちなしの
 涙浮かべて ゆらゆらと やがて散りゆく白い花

というものですが、あとで考えてみると、くちなしの花を一輪というのもちょっと変かな?と、何年も思い続けていました。
折角の詞も、メロデイが私のイメージと違ってて、あまり好きになれませんでしたけど・・・・。63年も前のささやかな思い出です。一昨年、65年間の付き合いを今も続けている中学時代の親友と母校を訪れてみましたが、新校舎や校庭も全然変わり、昔の姿 今いずこ?でした。

雨は、あまり好きではありませんが、いろんなことを思い出させます。多分に悲しかった思い出のほうが多いかもしれませんが・・・♪♪ 恋はいつの日も 悲しく はかないものだから~♪♪

投稿: あこがれ | 2020年6月13日 (土) 16時22分

「約束した時間だけが体をすりぬける」この歌詞が「円山花町母の町」を想像させたのですが、蛇足、皆さんのコメントを何度も読み返して「純粋に待つ事」だと理解出来ました。雨と言えば梅雨は嫌いですね。テレワークもあるから北海道に移住しろって。いやいや冬もあるんですよね。

投稿: 海道 | 2021年7月13日 (火) 12時57分

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