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2017年8月 3日 (木)

瀬戸の花嫁

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:山上路夫、作曲:平尾昌晃、唄:小柳ルミ子

1 瀬戸は日暮れて 夕波小波
  あなたの島へ お嫁にゆくの
  若いと誰もが 心配するけれど
  愛があるから 大丈夫なの
  段々畑と さよならするのよ
  幼い弟 行くなと泣いた
  男だったら 泣いたりせずに
  父さん母さん 大事にしてね

2 岬まわるの 小さな船が
  生まれた島が 遠くになるわ
  入江の向うで 見送る人たちに
  別れ告げたら 涙が出たわ
  島から島へと 渡ってゆくのよ
  あなたとこれから 生きてくわたし
  瀬戸は夕焼け 明日も晴れる
  二人の門出 祝っているわ

《蛇足》 昭和47年(1972)4月10日、ワーナー・パイオニアから発売。

 平成29年(2017)7月21日に亡くなった平尾昌晃が、作曲家として油が乗り始めた70年代初めに放った大ヒット曲。前年の4月に発売された『わたしの城下町』とともに、どこに行ってもこの曲が聞かれました。また、結婚披露宴の定番ソングでした。
 第3回日本歌謡大賞の大賞と第14回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞。『わたしの城下町』とこの曲によって、小柳ルミ子はスター歌手として地歩を固めました。

 島の段々畑というフレーズから、島倉千代子の『逢いたいなァあの人に』を思い出しました。なかなか島に帰ってこない幼馴染みを待つ女心を歌った曲です。
 切ない歌ですが、この女性は不幸せではありません。思う相手、待つ相手がいる人は、自分ではそう思わなくても、実は大変幸せなのです。思う相手、待つ相手が誰もいない人の気持ちを考えれば、それがよくわかります。

 翻って、『瀬戸の花嫁』は、何の屈託もなく、幸せを享受しています。別れを悲しむ弟や見送る人びととの別れに涙を流しても、それは幸せの涙です。自分を待っている人の島へ着いたら、その幸福感は何倍にも膨れあがるでしょう。
 幸せの形もいろいろです。その場、そのときに感じる幸せもあれば、何年、何十年も経ってから、「ああ、あのときは実は幸せだったんだなあ」と気づく幸せもあります。

(二木紘三)

(写真:「小豆島せとうち感謝館」より)。

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コメント

二木先生
「瀬戸の花嫁」の演奏に感無量です。
蛇足でも書いておられるように何の屈託もない
明るい別れの歌ですね。
先生の演奏を聴くにつけ懐かしく甦るのは
37年前の甥の結婚式場の一コマです。
別コメントでは4年生の長女と間違えたが3年生でした。
式場いっぱいに流れた娘のエレクトーン演奏の「瀬戸の花嫁」
あの頃は  日本はまだまだずっと良くなるとの希望のみがありました。娘に楽器を習わせ 貧しかった自分自身の少女時代の代行者のように夢を重ねていました。
輝かしい未来が待ち受けていると信じていました。
思いもかけない展開であったと寂しく振り返る昨今です。

投稿: りんご | 2017年8月 3日 (木) 17時02分

りんごさま 
  こんにちは

 そうですね 
   思いもかけない  世の中になっていきそうですね
 
 この 蛇足は読まずに わたしの城下町にコメントして   隠れ里から帰り読ませていただくと 島倉さんのことも書かれていてーーー  また その偶然に 驚くこと

 この曲も ほんと よくはやりましたね
  清々しい 気持ち 何ともいえないものでした

 私事になりますが 家内も 一応 瀬戸内の海に面した家に生まれ育ち 瀬戸の花嫁 ということにはなります
 船にゆられて 島からお嫁入りというシチュエーションではなかったのですがーー

 故 何か惹かれる曲です

 今治は義父の郷になります   その地で 常識外のことが 起こってきている事実 もり も かけ も
 いい加減にしてほしいです
 
 政治家 官僚 公務員 (十把一絡げにすると いけないのですがーー) の正義はなんでしょうね

 少しでも 明るい兆しが見えてこないと おかしい
   と 歯軋りをしている この頃です

  
 

投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年8月 3日 (木) 18時10分

二木先生 今晩は!
マッテマシタ!「瀬戸の花嫁」アップ誠にありがとうございます。
先生のいつもながらのアレンジと見事な演奏で心がウキウキするようです。
この曲が流行ったころは、小生はまだ独身でした。
当時、私を取り巻く周辺では、素敵なカップルが続々と誕生し、披露宴等でもこの曲が新郎新婦を結わっていたようです。
それから数年後、小生も見事、この曲に肖り「瀬戸の花嫁」を迎えることができました。(花嫁は瀬戸出身ではありませんでしたがが)
私共カップル(現在ではお互いに後期高齢者ですが)も、時折、この曲を想い出し、当時の若き日のことを懐かしく想い出している今日この頃です。

投稿: 一章 | 2017年8月 3日 (木) 23時58分

おはようございます。

二木先生「瀬戸の花嫁」を素敵にアップしていただき有難うございます。
りんごさんの「明るい別れの歌」、能勢の赤ひげさんの「清々しい 気持ち何とも言えない」、一章さんの「先生のいつもながらのアレンジと見事な演奏で心がウキウキ」など素晴らしいコメントを拝読しますと、この歌を待っていた自分の気持ちに気づきました。

海のない山育ちでしたので穏やかで綺麗な瀬戸内海に憧れて育ちました。
中高生の頃吉永小百合似といわれた妹は瀬戸内海に面したところにお嫁に行きました。
その妹は「人生山あり谷あり」を経験しているようですが、明るくお世話好きの性格は子供の頃と一緒で安心しています。
静かで爽やかな朝にこの曲を聴いていますと 懐かしい昔を思い出し、今の「生かされている幸せ」に手を合わせたくなります。有難うございます。

投稿: けん | 2017年8月 4日 (金) 06時41分

少年期から青年期にかかる多感な時代に、瀬戸内海に面した広島の南端で牡蠣の筏を眺めながら過ごしましたので、「瀬戸」という言葉に敏感に反応してしまいます。

陽の光を浴びてキラキラと輝く穏やかな波間に浮かぶ小さな島々、その間をゆったりと行き来する何艘かの小舟を眺め、海沿いの高台を「瀬戸は日暮れて 夕波小波 あなたの島へ お嫁にゆくの~ 」と口ずさみながら車を走らせた岡山ブルーラインでの思い出が、つい この間のことのように懐かしく思い出されます。
夕暮れ近くなると、西の方から真っ赤に染められた波間に薄暗くぽつんぽつんと小さな島々の影が浮かび、まさに「瀬戸は日ぐれて 夕波小波~」のシーンそのものです。

帰路、日生(ひなせ)の五味の市(魚市場)で新鮮な魚を買い、途中道の駅で地元特産の巨峰や二十世紀、白桃などを買い込んで「瀬戸は夕焼け 明日も晴れる~」なんて歌いながら、四国~岡山の出張を終えて帰りました。=おわり=

投稿: あこがれ | 2017年8月 4日 (金) 17時17分

あこがれ様に現地を案内していただいたような
臨場感あふれるコメントでした。
よい所でお育ちになられたのですね。
半年近くも雪に埋もれて暮らす身には羨ましい限りです。

能勢の赤ひげ様
「思えば遠くへ来たもんだ」ではないが
何処へ行く日本丸ですね。
武田尾を検索したらとても魅力的なところのようですね。

一章さま  けん様のコメントにも心洗われる思いがいたしました。皆様  二木先生を慕い 演奏に耳を傾け
足跡を残してゆかれる  またとないサイトに出合えた
喜びが伝わってきます。

明日から孫たちが来宅 怒涛の日々となりしばらくコメントもお休みさせていただきます。
ただし  皆様のコメントは拝読させていただきます。

二木先生はじめ同好の皆様  ご自愛くださいませ。

投稿: りんご | 2017年8月 4日 (金) 19時24分

「瀬戸は日暮れて ゆうな~み こなみ」を歌うと「ゆうや~け こやけ の赤とんぼ」が潜在意識の底から呼びだされ、共鳴しているような気がする。大波小波や夕焼け小焼けは昔から聞くが、夕波小波は新しい造語でしょうか。素晴らしい歌詞です。
『潮来花嫁さん』という歌がすでに東日本にはありました。この歌を聞いた時、西日本の花嫁の歌ができたと思いました。
 純情可憐な小柳ルミ子が、その後、大澄賢也との電撃年の差結婚、1億円慰謝料離婚・・イメージがどんどん変わってしまった。最近は、プロポーションは維持しながらも、毒々しい妖艶な容姿になった。あの時のルミ子ちゃんはどこへ行ったの!諸行無常を感じるしだいです。

投稿: 越村 南 | 2017年8月 6日 (日) 15時24分

高齢となり昭和30年代の歌とか、吉田正さん作曲の歌が特に懐かしくなり聞きたい曲です。

投稿: 杉本一良 | 2017年8月17日 (木) 11時23分

待ってました。この歌、大好きです。穏やかで、優しくて、愛があって、幸せがあって・・・。日本に生まれてよかったぁ~、と思います。

しかし私が生まれ育った日本海側はそうはいきません。夕波小波の季節もありますがたいていは日本海、波高しです。家から50Mも出ると海岸で、砂浜を100M進めばもう波打ち際です。都会から来られた我が家の宿泊客には波の音が気になって眠れなかったとおっしゃった方が何人もいらしたそうです。私も幼いころ津波に襲われる夢を何度か見ました。

古くは元寇あり、日本海海戦あり、日本漁船の拿捕、韓国による日本人漁民への拷問、密航船あり、最近では日本海を舞台とした北朝鮮への拉致がよく知られています。

仮に花嫁さんが日本海へ出航するとして、それが幸せへの門出の象徴であるなどとはとてもいえないですね。やはり”瀬戸の花嫁”です。・・・ただ、日本海の夕日は美しかったですね~。

これは私の勝手な想像ですが、四季折々に日本人の心を揺さぶる美しい日本の歌の多くは日本海からは離れた穏やかな地域から生まれてきたのではないでしょうか?長野、群馬、茨木、福島、・・・など。

日本は自然災害の多い国と言われています。しかし世界的に見れば、歴史的に、災害は、自然災害よりも(戦争を含む)人的災害の方が圧倒的に多いように思えます。

地続きの国境では紛争が絶えません。自国の誇りと利益のため、相手国を支配するため、あるいは自国民族と文化の継承をかけて戦います。

海に囲まれている日本はなんて幸せなことでしょう。日本には大自然の祝福がありますね。日本の安全とともにうた物語も永遠に継承されていくことを祈ります。

投稿: yoko | 2017年8月17日 (木) 15時26分

 この歌は仕事に就いて三回目の職場に行った頃流行りました。若い人がこの歌を歌いながら飲み会をしたことを思い出します。
 多くの方の投稿を拝読しながら、歴史や、地理を踏まえ、且つ最近の社会情勢の分析をされているのを見て、とてもついていけないような気がします。
 それでも、書きたいという願望があります。拙稿を寄稿致します。

投稿: 今でも青春 | 2017年8月17日 (木) 21時16分

故人生幸朗も多分取り上げていないと思いますが、私は、この歌、嫌いなのです。とくに「若いと誰もが心配するけれど、愛があるから大丈夫なの」が、大嫌い。と言うより、その、現実から浮遊した、軽薄な決まり文句の危うさを、「歯が浮く」ように感じます。「愛」なんて気安く言うようなものじゃない。そんな若さで、甘っちょろいこと言ってたら必ず後悔するぞ、と聞くたびにつぶやいています。

投稿: 半畳亭 | 2018年1月21日 (日) 16時17分

この歌は本当に温かく、ほのぼのとする曲だと思います。歌詞もメロディーも正にそのとおりで、人々の心を潤すのでしょう。また、小柳ルミ子がとても可愛く、花嫁にふさわしい印象を与えたと思います。
余談ですが、昭和47年当時、私は某テレビ局の政治部記者として、野党を担当していました。ある日、公明党(その当時は野党)幹部との夜の会合があり、各社の記者に混じって私も参加しました。
会合はやがてなごやかな雰囲気になり、誰ともなく歌い始めたのです。もちろん、酒も飲んでいました。すると、ほどなくして、党政審会長のMさんがこの『瀬戸の花嫁』を歌い出したのです。
Mさんは謹厳で硬い感じのする人ですが、実におおらかに楽しくこの唄を歌いました。実は私もこれを歌いたかったのですが、先を越されてやめました(残念!)。しかし、『瀬戸の花嫁』が多くの人に愛されていることを実感したのです。この歌が大ヒットしたのは当然かもしれません。

投稿: 矢嶋武弘 | 2019年10月 1日 (火) 14時44分

人それぞれに、歌に対する想いや忘れられない思い出みたいなものがあると思いますが、私にとっての「瀬戸の花嫁」は2年前にも投稿した岡山ブルーラインでの風景です。

高台を瀬戸内の海沿いに走り抜けるブルーラインは、まさにこの歌のもつ雰囲気をそのまま写したような景観で、この沿線沿いには旅好き(ドライブ好き)な人には結構魅力的なスポットが多いところです。
ブルーラインを車で走りながら、窓外に目を移すと紺碧の瀬戸の海に数々の小島が点在して、誰もが思わず「瀬戸の花嫁」を連想しそうな眺めですが、日生漁港の牡蠣筏、それに目の前の鹿久居島は結構な小島ですが、住民はたった一軒ペンション《みかんの郷》だけ、そのほかには古代体験《まほろば》があるのみです。さすが瀬戸の魚の豊富なところで、みかんの郷では、新鮮なメバルや鯛の煮付けや刺身、それに茹でたシャコ等が出され瀬戸内の海の幸を存分に味わえました。今は、フェリーに乗らなくても、日生から橋ができて車で自由に往来できるようになったようですが…。

頭島の民宿《川崎》の魚介料理には、感動しました。
大きな茹でたワタリガニが、でんっと大皿に盛られ一人あたり二匹くらいは十分に味わえましたし、伊勢えび、牡蠣料理、牡蠣ご飯と贅沢三昧でした。

ブルーラインを走りきると、夢二の実家やそこから30分ほどで、東洋のエーゲ海と呼ばれる《牛窓》に行けて、目の前の小豆島も手を伸ばせば届きそうな感じです。
牛窓も洒落たホテルやペンションがあり、瀬戸内の夕日を浴びながら海峡を通りぬける船を眺めてゆったりとひと時を過ごせるところです。

私は、ブルーラインの高台から眺める瀬戸の小島や牛窓の小高いオリーブ園から眺める夕映えの瀬戸内海が、この歌の原点のような気がしてなりません。

♪ 瀬戸は日暮れて~ 夕波小波~ あなたの島へ お嫁にいくの~ ♪

明るくて、ほのぼのとする歌ですね。

投稿: あこがれ | 2019年10月 4日 (金) 22時38分

 昨年、2020/8 急ぎ足で岡山往復をした目的は 大原美術館でしたが コロナで休館残念、小豆島観光バスに急遽変更も、珍しくみゆきさんと連絡がとれて、岡山の朝ごはんごちそうさま、岡山駅の発車メロディが 瀬戸の花嫁 きゃあ なつかしか曲やわ 甥っ子の結婚式に兄が歌ったわ 大ヒット曲でした
岡山駅を利用するみなさんの耳にいつまでも!

投稿: 真弓です | 2021年6月14日 (月) 20時00分

「瀬戸の花嫁」思えばこの曲がヒットしているころの小柳ルミ子は、まさに絶頂期でそしてまた可憐な魅力がいっぱいでした!

この曲には私が18歳のころの大切な想い出があります。それは当時交際していたガールフレンドとデートした日の事ですが、そのころはお互いに勤労学生で何かと慌ただしい日常生活を過ごしており、月に一度会えれば良い方でしたので、二人にとってその日はとても貴重な日でした。当日のデートは二人で美術館に行き、その後は名古屋駅に隣接する名鉄百貨店の屋上で時間をつぶすことにしました。
そよ風が心地よく吹くその屋上のベンチに腰掛けて、美術館で絵画を見た感想などを、夢中で楽しく話していたそんな中、小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」のさわやかな歌声が聴こえてきました。それを聴きながらこの曲本当に良いね!と、お互いに語り合ったことを憶えています。

そしてその日の帰りには、二人で名古屋駅地下街にあるレコード屋さんに入り、私が小柳ルミ子ファンだと知っていたガールフレンドは、ささやかなプレゼントだけど受け取って欲しいと言って、この「瀬戸の花嫁」のレコードを私のために買ってくれました。音楽好きな私がレコードを誰かにプレゼントされたのは、後にも先にもこのレコードたった一枚きりでそれは今でも私の宝物です。

「瀬戸の花嫁」そのガールフレンドは、本当に頑張り屋さんでもありました。やむなくご家族のご事情で学校卒業を待って九州の実家へと帰って行きました。二人の交際期間は約一年間でしたが、私にとってはとても心に残るものでした。私はこの曲を聴く時、やさしくて愛らしかったその当時の彼女の笑顔を今でも想い出します。

投稿: 芳勝 | 2021年6月15日 (火) 20時56分

 長崎のsitaruです。芳勝様の心温まるエピソードを拝読し、微笑ましくも、また少し羨ましくも感じました。

この歌は昭和47年夏の大ヒット曲ですが、私は当時高校三年生でしたから、芳勝様とほとんど同世代ということになります。そろそろ受験を考えていた時期で、毎日家と学校の往復だけの生活でした。その味気ない時期の潤いと言えば、好きな童謡・唱歌と歌謡曲を聴くこと、好きだった女性のことを考えること位でした。しかし、童謡・唱歌、歌謡曲は何とでも聞けますが、異性のことはそうは行きません。今のことばに引っ掛けて言えば、「イケざるメン」であった私は、女性にもてたことは一度もなく、好きな女性を遠くから見守っていただけでした。

その代償だったのか、私はアイドル歌謡の幕開けとなった昭和46年頃からアイドル歌手に夢中になり、特に天地真理の大ファンでした。「瀬戸の花嫁」流行の時期、天地真理の「ひとりじゃないの」も相当ヒットしたのですが、売り上げにはかなりの差があり、ディスカバー・ジャパンの波に乗り、世の中「瀬戸の花嫁」一色だったように思います。

歌詞もメロディーも素晴らしい曲ですが、当時の私はさほど興味がありませんでした。育った環境が違いすぎたからかも知れません。確かに「瀬戸の花嫁」にも「だんだん畑」ということばが出て来ますが、一年中山の中を生活圏としていた私は、海に対する現実感も無ければ、憧れもありませんでした。熊本に住んでいた頃、職場の同僚に天草出身の人がいて、島の暮らしを色々と話してくれましたので、「ああ、海も島も子どもの頃たくさん経験してみたかったなあ」と思うことがありましたが、ドライブと言えば、相変わらず阿蘇や九重の山ばかり行っていました。

 小柳ルミ子の歌は、その豊かな声量の故か、ドラマティックなものが多いのですが、私は「春のおとずれ」「花のようにひそやかに」「恋にゆれて」のような、声量に余裕を残しての爽やかな歌い方の方が好きです。

 また、カヴァー歌唱も素晴らしく、特にフォークソングの「若者たち」「この広い野原いっぱい」「今日の日はさようなら」「花嫁」などのカヴァーは、見事と言うほかはありません。
<文中敬称略>

投稿: sitaru | 2021年6月16日 (水) 02時32分

香川県の庄内半島にある紫雲出山標高352m何と此処は浦島太郎の伝説の山で浦島太郎が玉手箱を開け出た白煙が紫の雲になってこの山に架かった事から名付けられました。頂上から眺める瀬戸内海の島々は絶景山を取り囲む海も美しい。山頂一帯に弥生時代の中期の高地性集落の遺跡群が有ります。ニューヨークタイムスが2019年に行くべき52ケ所の旅行先として第7位に選出した日本唯一にランクインした瀬戸内の島々の代表の写真が紫雲山の夕暮れの桜でした。新聞記事より

投稿: 細川 和代 | 2023年4月28日 (金) 14時39分

高校生の時に大ヒットした曲です。
その頃は独身であり(あたりまえですが)、結婚へのあこがれを抱いた年齢でもあり、当時を懐かしく思い出します。
あれから数十年を経て、私も婚姻し、いまあらためて聞いてきますと、本当に素晴らしいメロディー、歌詞と思います。
別れのつらさもありますが、新たな結婚生活への夢が描かれています。
実際の結婚生活は、愛だけではやっていけませんが、これからの結婚生活を迎える内容であり、夢も希望もある曲です。
寂しさもあるけど、明るく流れていく曲です。
作曲者、作詞された方に感謝の思いです。

投稿: カトレア | 2023年9月24日 (日) 14時13分

この時期思い出すのが小柳ルミ子ちゃんの【瀬戸の花嫁】の懐かしい優しい歌です。可愛かったルミ子ちゃんにぴったりの歌でしたね。夕日に染まるころはことさら泣けてきます。岡山駅で快速マリンライナーに乗り換えて瀬戸大橋に差し掛かるころ美しい海と小島の絶景を眺めながら心地よいメロディが聞こえてきます。♪瀬戸は~日暮れて夕波小波~♪やっと田舎に帰ってきたなとホットします。又その逆に両親と別れて大阪に帰る時は涙が込み上げてきて仕方が有りませんでした。心に残る永遠の歌を残してくださった平尾昌晃さんも素敵な作曲家でしたね。いつまでも残る名曲とルミ子ちゃんに感謝を致します。

投稿: Kazuyo | 2023年12月19日 (火) 08時13分

娘が2月の3連休に広島で披露宴を上げます。
乾杯を頼まれたのですが、何か余興的な要素を取り入れたいと思い悩んでいたら、ふと「瀬戸の花嫁」を思い出しました。
海沿いのホテルでそれも夕方にかけての式なので、頑張って最初と最後のフレーズを歌いたいと思います。
綺麗な夕焼けになるといいなぁ。
おめでとうね。

投稿: Gucciミノル | 2025年2月18日 (火) 09時52分

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