(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:Hans Fritz Beckmann、作曲:Hans Otto Borgmann、
日本語詞:門田ゆたか
1 小夜更けて 懐かしのタンゴ 遠く響けば 胸は躍る 若き日の 我が喜びの 夢を偲びて くるうばかり 時は流れ 花の色香も うつろう時も 甘き香り とこしえに 変わらぬ夢を 風に乗せくる 夜の調べ
2 紫の 夜のみそらに 星がまたたき 交わす頃よ 遙かなる 我が憧れの 夢はさやかな 月のごとく 闇をてらし 今も昔も 心にかげる 雲をはらす 夢のように うたかたならぬ 夢を乗せくる 夜のタンゴよ
Tango Notturno
Ich hab' an Dich gedacht Als der Tango Notturno, Zwischen Abend und Morgen Aus der Ferne erklang. Mein Herz ist aufgewacht, Weil der Tango Notturno, Eine zärtliche Kunde Deiner Liebe mir sang. Daß du mein Schicksal bist Hab' voll Glück ich empfunden, Als in einsamen Stunden Ich vor Freude geweint. Ich hab' an Dich gedacht Als der Tango Notturno, Mit dem Zauber der Töne Unsere Herzen vereint. Wie die Liebe wirklich ist Das könnt' ich euch erzählen, Denn ich kenne sie sehr gut, Ich weiß daß, sie schön ist Und weiß, wie weh sie oft tut. Ich hab' manchen Mann geküßt Und hab' ihn dann vergessen, Weil ein andrer mich begehrt, Bis einmal der Zufall Den richt‘gen Mann mir beschert. Ich hab' an Dich gedacht Als der Tango Notturno, Zwischen Abend und Morgen Aus der Ferne erklang. Dass du mein Schicksal bist Hab' voll Glück ich empfunden, Und in einsamen Stunden Ich vor Freude geweint. |
《蛇足》 ナチス支配下の1937年に作られたドイツ映画『夜のタンゴ(Tango Notturno)』の主題歌。
ドイツ映画なのに、notturnoというイタリア語を使っているのは、タイトルに外国語を入れると、ちょっとかっこいいかも、といった感覚でしょうか。
notturno(ノットゥルノ)はnòtte(夜)の形容詞形で、「夜の、夜間の」の意。名詞としては、宗教用語の「夜祷」、音楽用語の「夜想曲、ノクターン」を意味します。ここでは、もちろん形容詞。
曲はコンチネンタルタンゴの名曲の1つで、主演のポーラ・ネグリも歌っていますが、世界的に有名になったのは、アルフレッド・ハウゼ楽団の演奏によるところが大です。
日本では、淡谷のり子、松島詩子、美輪明宏、菅原洋一、鮫島由美子など、非常に多くの歌手が、それぞれの日本語詞で歌っています。
上の門田ゆたかの歌詞では、因幡晃などが歌っています。
映画は、幸福な結婚をしたはずの人妻が、愛児の病死など、いくつもの不幸に見舞われ、さらに夫にあらぬ疑いをかけられて失踪、麻薬におぼれ、娼婦に身を落とす。やがて、自分のまちがいに気づいた夫が救いに来るが、生きる力を失った彼女は自殺してしまう――といった、少々やりきれないメロドラマ。上の写真はその1場面です。
主演のポーラ・ネグリ(1897-1987)は、ポーランド生まれで、ドイツの映画界で人気を博し、1922年にハリウッドに招かれました。そこでも人気女優となり、チャールズ・チャップリンやルドルフ・ヴァレンティノと浮き名を流しました。
しかし、ヴァレンティノの葬儀でのオーバーな悲しみ方やポーランドなまりの英語が嫌われて、人気が低下したため、ドイツの映画界に戻ってそこで再び活躍するようになります。
ヒトラーに気に入られ、プロパガンダ映画への出演を執拗に求められました。それを嫌ってフランスへ移住、ナチス・ドイツがフランスに侵攻すると、アメリカに戻りました。数本の映画に出演したものの、あまり振るわず、晩年は、裕福な女性の友人に誘われて、テキサス州サンアントニオに移住、そこで満90歳の天寿をまっとうしました。
(二木紘三)
コメント
青春時代の想い出の曲のアップありがとうございます。
私が独身時代、社交ダンスの教授所通いと好きなイージーリスニング・クラシックレコードを求め楽器店に日参していたことを懐かしく想い出しています。
この曲「夜のタンゴ」は、私が生まれる前のドイツ映画の主題歌とは知りませんでした。
これまでは、アルフレッドハウゼ・マランド・スタンリーブラック楽団等での演奏の記憶がありますが・・・
この度の二木先生の素敵なアレンジと心に染み入る演奏に数々の当時の懐かしい想い出とともに何度も繰り返し聴きいっています。
ゆったりとしたタンゴのリズムに、特に展開部でのピアノラインがメロディー全体の中に鮮やかに浮かび上がり心を揺さぶります。
一日の疲れをいやす至福のひと時となっております。
ありがとうございました。
投稿: 一章 | 2017年9月21日 (木) 23時32分
二木様
語るべき思い出の一つもありません。
すばらしい演奏と解説にただただありがとうございます。
投稿: 岩下 | 2017年9月22日 (金) 17時07分
私はこの歌を始めて聴きました。歌詞もメロディも美しいので、YouTubeで色々な歌手のこの歌を聴いて見ました。
一番良いと思ったのは淡谷のり子の歌でした。あまり強弱をつけないできれいな声で歌っています。それがかえって恋する心の強い思いや悲しみが聴くものに伝わってくるようです。恋のイロハを知り尽くした人の歌ですね。恋は素敵!恋心をなくさないでいましょう。
投稿: ハコベの花 | 2017年9月22日 (金) 22時09分
若い頃からダンス練習曲として馴染んできたタンゴです。コンチネンタル・タンゴだとは知っておりましたが、ナチ勃興・隆盛期の映画音楽とは吃驚。
ドイツ語の歌詞なのに曲のタイトルがイタリア語なんですね。調べてみるとNachttangoやTango der Nachtとかもありますので、違いを強調したかったのでしょうか。
時代的には『マロニエの木蔭』や『夜のプラットホーム(I'll Be Waiting)』の頃と被ります。通底するなにか(etwas)があるような気がします。
投稿: ザジ | 2017年9月23日 (土) 01時29分
タンゴには優美で華麗ウキウキするような社交ダンスをイメージします。今では笑い飛ばせるような話ですがかってダンスで落ち込んだ思い出があります。ダンスを観るのは好きですが、ダンスはいまでもできません。
大学一年の時、ダンスパーテイへのお誘いのチラシを受け取りました。私はついフラフラと申込みました。高校までの私を知る級友であれば、「オマエ、気は確かか?、止めとけやめとけ、オマエにできることじゃない」と忠告してくれたでしょう。しかし私には今までの私の殻を破りたいという変身願望もありました。
ダンス初心者への三日間の講習会がありました。プロのダンサーの模範演技を見て目を丸くしました。そのとき不安がよぎりました。嫌な予感がしました。
パーティの開演当初は問題ありませんでした。多くの参加者の中に紛れていて私もただ立って見て楽しんでいました。しかし時間が経つにつれ、それぞれがパートナーを得て踊りだしたり、数人ずつ集まってテーブルにつき歓談し始めました。私はひとり残され、所在なくションボリと立ち尽くしているだけでした。
きらびやかな会場の壁は大きな鏡となっており、等身大の私の姿も映っていました。私はそれを見て、なんてみすぼらしくみっともない男だろう、と感じていました。アンデルセン童話の”醜いアヒルの子”って俺のことだなぁ、と思いました。
会場の熱気はまだまだこれから、という頃、わたしは会場をこっそりと抜け出しました。会場の外へ出た時の記憶が鮮明に残っています。
パーティは始まったばかりで、外はまだまだ明るかったです。空気が新鮮で爽やかで美味しくかんじました。しかし奇妙な感覚がありました。街がいつもと違って嫌に静かなのです。人も歩いているし車もいつもと同じように走っているのに何故か音が小さく感ぜられました。視覚の世界と聴覚の世界が遊離しているような感じでした。
しばらく街を歩いて、喫茶店に入りました。店にはタバコの煙がもうもうと充満していました。一張羅の背広にタバコの匂いが付く・・・、と嫌な気がしたのですが、とにかく休みたかった。コーヒーを飲んで一休みし、やっぱり喫茶店はいいなぁと思っていると、疲れと眠気が一気に襲ってきました。喫茶店で少し眠ったかもしれない、と思い出します。
投稿: yoko | 2017年9月23日 (土) 10時09分
社交ダンスやダンスパーティーとは無縁な人生でした。昔、男ばっかりの地方大学(工学部)にいた頃、地元の女子短大とダンスパーティーがよく開催されていたようですが、何しろ我々風采の上がらない男どもは蚊帳の外でした(ヨダレを流しながら横目に見ながら麻雀するのが関の山でした)。
もともと任侠演歌系なものですからタンゴとかダンスには無縁で、40ン年前に今のカミさんと見合いしてから趣味という趣味は皆無で酒だけの空しい人生です。駄文で大変失礼しました。
投稿: 焼酎 | 2017年9月23日 (土) 11時55分
社交ダンスは優雅でロマンチックで大好きですが自分ではできません。ダンスはyoutubeで見ています。最近では次のようなものを見て楽しみました。よろしければどうぞ。
● フレッドアステアのビギンザビギン
街に出て踊りたくなりますね。
https://www.youtube.com/watch?v=DWW6QeeVzDc&list=RDDWW6QeeVzDc#t=0
● ジーンケリーの雨に唄えば
ジーンケリーが街路灯の取り付け台に軽々と飛び乗るのを見て高校二年の時の体力測定、垂直跳びを思い出しました。僕は21cmでしたがクラスで僕の前の席のH君は64cmでした。スゲーッと驚きました。今ネットで調べると男子高校生366人の平均は62cm、最低31cm、最高82cmというデータがありました。驚く(あきれる)べきは僕の21cmの方でしたね。
https://www.youtube.com/watch?v=7c2vwVubrCQ
● チャプリンの名作ライムライトからテリーのテーマ
若きバレリーナ、テリーことクレアブルームさんは現在86才だそうですね。いつまでもお元気で・・
https://www.youtube.com/watch?v=A9H3EdB85Ps
● こわらべの江津湖音頭
文句なしに可愛すぎます。
https://www.youtube.com/watch?v=bv0_AvkZmY0
投稿: yoko | 2017年9月27日 (水) 10時59分
私にはダンスにたいするトラウマがあります。女子校の中学に入った1年から週に1回ダンスの授業がありました。ダンスと言っても体操に近く,バレーのダンスではありませんでした。この30を過ぎた女教師はヒステリーの傾向があって、些細な事でもヒステリックな声を上げて怒鳴り散らすので本当に苦痛な授業でした。高校もダンスはその女教師でした。本当に6年間不幸でした。卒業したらこの教師の小説を書いて発表してやろうと思って我慢していました。この教師の声を聞きたくないので、ついに高校3年の時、授業のある日は休む事にしました。仕返しの小説を書こうと思っていたのですが、この女教師が結婚をした相手は私を可愛がってくれた英語教師でした。それでついに小説は書けませんでした。でも、意外に早くその女教師は病気で亡くなりました。多くの女生徒をいじめたバチが当たったのだと友人たちと話しました。60年経った今でもヒステリックな大声が聞こえるような気がしてゾッとします。
投稿: ハコベの花 | 2017年9月28日 (木) 00時09分
恋に恋するのが初老の男では見るに堪えないと思いますがタンゴを聞いているとそんな気になります。嬉しさと悲しみ、人の感性の全て。昔々こんな高揚感があったと思います。子供や孫のことは暫く忘れてもう一度と思ってもカミさんに応ずる気配はなく、結果を忘れて原因に戻るバカがどこにいると・・・
あゝ何処の空の下にお暮しですか。永遠の乙女様は。
投稿: 岩下 | 2017年9月30日 (土) 11時45分
昨日の誕生日で70才。振り返ってみると、わが人生も強弱の強いタンゴ曲のようにあっちに流れこっちを彷徨いの過去。後悔とか無念とか忸怩たる気持ちに幾度陥ったことか。
岩下さん(↑)が言うような青春時代のような高揚感を追いかける元気はもうありません。しかし、タンゴを聴くと、永遠のマドンナを求めて『明眸皓歯 今いずくにか在る』の想いを胸に憧れの旅に出たい衝動に駆られます(実際は、夢は枯野を・・・のようにあの世への旅ほうが間近い現実なのですが^^;)。
今更に脚捌きのむずかしいアルゼンチン・タンゴを習おうなんて思いません。でも、『タンゴに失敗なんてないさ。人生とは違う。簡単さ。失敗して足が絡まっても踊り続ければいい』という映画の台詞のように心して余生を送るのだと誕生日を機に意を強くしました。
どんなふうに生きたって、それぞれの人生。『彼も人生、此も人生』。
投稿: ザジ | 2017年10月 1日 (日) 01時55分
夜も更けてユー・チューブで音楽を聴いていましたらたまたま行き当たりました、上記の台詞。
アル・パチーノの映画です:https://www.youtube.com/watch?v=F2zTd_YwTvo
『夜のタンゴ』とは趣きが違いますが、踊りは映画のワンシーンとしては上出来かな。
投稿: ザジ | 2017年10月 4日 (水) 01時39分