五番街のマリーへ
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 五番街へ行ったならば |
《蛇足》 昭和48年(1973)10月25日に発売された日本のバンド、ペドロ&カプリシャスのシングル。同年3月10日に発売された『ジョニイへの伝言』に続く大ヒットとなりました。ヴォーカルは、両方とも高橋まり。
高橋まりは昭和53年(1978)にペドロ&カプリシャスを脱退し、髙橋真梨子(髙は"はしごだか")としてソロ活動を開始、現在も旺盛な音楽活動を行っています。
『ジョニイへの伝言』も『五番街のマリーへ』も、1960年代以前のアメリカン・ポップスのテイストを感じさせる作品。
五番街は、Fifth Avenueまたは5th Avenueと表記され、ニューヨーク市の中心、マンハッタンをほぼ南北に走る4~8車線の大通りです。とくに34丁目と59丁目の間は、パリのシャンゼリゼ通りなどと並ぶ世界最高級の商店街になっています。世界各地にある五番街と呼ばれる通りやショッピングセンターの本家です。
詞は、昔同棲していた恋人のようすを探ってきてほしいと友人に頼む内容です。自分で訪ねていかないのは、何か会えない事情があるか、あるいは別れたからには、あとを引いたりせず、きっぱり絶縁するという気持ちがあるからでしょう。
しかし、恋の記憶は脳の深いところに保存されていて、折に触れて表に出てきます。その都度、彼女が今幸せに暮らしているか、困難な状況にいたりはしないかと気になるのです。そこで、消息を調べてきてほしいと友人に頼んだわけです。このへんのところ、身に染みますねえ。
五番街は約12キロメートルもある長い通りですから、マリーの家が五番街のどのあたりにあるのかわかりません。私は、南の起点、ワシントン・スクエア公園の近くではないかと想像しました。
『ワシントン広場の夜は更けて』でも少し触れましたが、この公園を含む一帯はグリニッチ・ヴィレッジと呼ばれ、1950年代までは、東海岸におけるビート・ジェネレーションやカウンターカルチャーの中心地で、若いミュージシャンや作家、詩人、美術家が多く住んでいました。
私は、『五番街のマリーへ』の2人が、この時代にグリニッジ・ヴィレッジのどこかで同棲していたら絵になるな、と思ったのです。
グリニッジ・ヴィレッジは、その後、高級化が進んだため、アーティストたちはソーホーなどに移動しました。そのころから、ビート・ジェネレーションやカウンターカルチャーはエネルギーを失い始めました。
『五番街のマリーへ』がヒットしたころ、そのメロディラインがスコットランド民謡『ロック(ロッホ)・ローモンド』に似ていると話題になりました。確かに、真ん中の「マリーという娘……気がかり」を除けば、かなりよく似ています。
私は、『五番街のマリーへ』の歌詞を『ロック・ローモンド』のメロディに合わせて歌ってみましたが、あまり違和感なく歌えました。都倉俊一作曲『五番街のマリーへ』との情感のずれもほとんどなかったように思います。
(二木紘三)
コメント
この歌の出現に驚きました。といいますのは数年前私は”うた物語”で知り得たこの曲を繰り返し聴いていたことを思い出したからです。この曲はもうすでにうた物語に登録されていたはずでは、と思いました。
丸一日考え込み、やっとその原因に思い至りました。きっかけは”赤い靴”でした。”赤い靴”の二木先生の蛇足にある”麻布10番商店街”をネット検索しているうちに不意に”懐メロカラオケ 五番街のマリー”に遭遇していたのです。その曲に惹かれてこのカラオケを何度も繰り返して聴いていたことを思い出しました。
この曲のような恋は羨ましいものですが、経験のない私は疑似体験するしかありません。そこで、マリーを私の妻、マリーの様子を知りたがっているのはマリーのお母さん、に置き換えます。
「お義母さん、大丈夫ですよ。マリーちゃん幸せですよ」と思いながら私は亡きお義母さんに歌います。
「お義母さん、大丈夫ですよ。マリーちゃんしあわせですよ」、と私は妻を横目にニタニタしながら歌います。もちろん妻はうた物語を全く知りません。知られたら大変(パニック)ですからね。
”赤い靴”での大場光一郎様のコメントには感動しました。今でも大場様のブログは時折拝見させていただいております。
投稿: yoko | 2017年10月 9日 (月) 13時46分
昔、「まり子」という知り合いが引っ越しをしました。同僚が「行く先を知ってますか」と聞いたので、「マリーは」と言ったら、聞いた人が「マリーは5番ですね」と言ったような記憶があります。その人も知っていたのですね。五番街のマリーにはそういう話を覚えています。いろんな意味で心に残る歌です。
投稿: 今でも青春 | 2017年10月 9日 (月) 17時22分
初めて聴く歌です。軽いテンポのメロディで曲だけ聴いていると佳いですね。『蛇足』にありましたように「ロック・ローモンド」と同じメロディラインがひょこひょこと顔を出しますね。
でも歌詞は頂けません。なんですか、置き去りに(?)した彼女をそっと見てきてほしいって。幸せに暮らしているのなら寄らずに帰ってきてくれだって。じゃあ不幸にしてみじめに暮らしていたら、手を差し伸べるというの? まさかね、あなたはそんな男ではないでしょう。
女側からいうとふざけないでと言う所ですかね。
恋の終わりの感傷に耽る歌は数々ありますが、この歌詞はだめですね。男の無責任さで恋の思い出に耽っているだけです。もう一つ嫌いな歌詞があります。都はるみの「北の宿から」です。着てもらえぬセーターをなんで寒さをこらえて編まなければいけないのでしょう。まったくブーイングもいいところです。
反対に山口百恵の「プレイバックpart2」の歌詞はいいですね。「・・・馬鹿にしないでヨ・・・・・女はいつも待ってるなんて・・・」 小気味良くていいですね。さすが阿木耀子さんと思います。
因に私はこんなみじめな恋はご免こうむります。
投稿: konoha | 2017年10月10日 (火) 16時26分
確かに若い時に心を寄せた相手の事は、高年齢になっても気に掛かります。折に触れ幸せに暮らして居られるだろうかと思いを馳せます。私はその人がどんな家で育ったのだろうかと気になっておりました。パソコンのグーグルマップを知った時、一番に検索しました。山と川のある静かな山村、思いがけないほどの大きな家で驚きました。どの部屋が彼の部屋だったのだろうか、あの窓の向こうで彼は私に手紙を書いたり、本を読んでいたのだろうか。有島武郎の『星座』に心を惹かれて手紙をくれましたね。
私は貴方の家から貴方と一緒に家を出て歩きます。今日はどこまで行きましょうか。橋を渡り大きな樹木に囲まれた神社の前を通り小川の中を覗きます。白い雲を眺め貴方の好きな野菊を手折り安保闘争の話をします。
ああ、ひょっとしたらこんな生活を送ったかも知れない。もし今もお元気だったら一度こんな散歩をして見たかった。夢でも会えたらどんなに幸せだろうか。夢の中で私を貴方の故郷に連れて行って下さい。貴方は今日78歳になりましたね。生きていて欲しいと願っています。
投稿: ハコベの花 | 2017年10月10日 (火) 16時42分
konoha様
歌詞からだけだと一方的に男を断罪することはできないとおもうのですが・・・
女性が住んでいたところから男が追い出された(すなわち振られた)とも思えますし、女性の両親に反対された、あるいは女性に新たな恋人ができたのかもしれません。
<悲しい思いをさせた
それだけが気がかり>
これも、未練のある女性に対する男の常套句、言い訳ともとれます。
<五番街は近いけれど
とても遠いところ>
おそらく男は彼女に会いたいのだけれど彼女はあってくれない、のですね。彼はストーカーではないですね。彼女にまとわりつくような男ではないですね。影ながら彼女の幸せを願う良い男のように見えるのですが・・・
・・・・・・・
ハコベの花様のお気持ちがよくわかります。学生時代に好きだった女性(交際したことはありません)がまだ結婚されていないことをかなり以に知りました。彼女の近況を知りたいなぁ、デートしたいなぁ、などと時折思います。ただ、空想だけにとどめています。
投稿: yoko | 2017年10月11日 (水) 00時07分
yokoさま
そうですね、おっしゃりたい気持ちは分からないでもありません。諸々のことがあって別れざるを得なかったことは理解出来ますが、最初のフレーズ 「マリーの家へ行き、どんな暮らしをしているかを見てきてほしい」、そして 「・・・悲しい思いをさせた・・・今が幸せなら寄らずにほしい」
ここに引っかかりを覚えたのです。彼と別れたあと、マリーは立ち直って彼女なりの生活をしていると思えます。この歌が出来たのは『蛇足』によりますと、昭和48(1973)年で,米国人を想定したとしてもまだまだ女性の経済力は男性には及ばなかったと思います。ウーマンリブ(女性解放運動)は1970年代でした。そのような時代背景を考えると、最初のフレーズに男の身勝手さが透けてきてしまいました。
まあ私がこの歌詞に文句をつけたかったのは、そのようなことを思った訳です。
ハコベの花さま
私の場合はちょっとふざけていますが、やはりどんな所に住んでいるのか知りたいと思った思い出があります。
高校を入学したてのころ、私の教室は2階で、時たま、下のベンチに座って話をしている生徒がいました。よく見ますので友達と顔が見たいねと、彼が座っている時、上から物を落としました。見上げる彼にドキッとしました。・・・(・・・は私の気持ち) 都電通学でしたが、なんと彼も同じ都電でした。ある日彼と乗り合わせて、友達と彼が降りる駅までいってみようとなり、彼が降りたあと2停留所先まで行ってから、折り返し彼の下車駅で降り、彼の住む町を散策しました。
心を寄せた人はどんな所に住んでいるのだろうと気になりました。
投稿: konoha | 2017年10月11日 (水) 11時44分
世の中には悪い男もいて、悪い女もいます。騙されて家屋敷や田畑を取られた人を何人も知っています。退職金をそっくり取られた男性は、死ぬまで「あの女は悪くない」と奥さんに言い張ったそうです。狂うということは恐ろしい事です。狂った本人は幸せだったのでしょうね。何が良いのか悪いのかは本人しかわからないようです。
投稿: ハコベの花 | 2017年10月11日 (水) 15時20分
konohaさんは、おそらく幸せな交際に続いて幸せな結婚生活を送り、幸せな老後を送っていらっしゃる方だと推察いたします。一度も辛い別れを経験したことがない人には、恋人と別れてからずいぶん経っても、その身を案じる男の気持ちはわからないと思います。私も、恋というほどのものではなく、高校のとき1年ほどつきあった人と別れたぐらいの経験ですが、こういう男の気持ちはよくわかります。
投稿: 釣り人コマツ | 2017年10月12日 (木) 00時35分
釣り人コマツさま
ありがとうございます。まず幸せ論はあちらにおいて、マリーのお話をします。私はマリーの気持ちになりました。
彼とマリーの間はいい時もあり、そうでなかった時もあったと思います。でも結局はひとりは残り、ひとりは出て行きました。男の優しさから出た「悲しい思いをさせた」は百歩譲りましょう。
残されたマリーはとても悲しくみじめで後悔もし、己れのだめさ加減をいやっと言う程思い知ったことでしょう。ひとり残され、悲しみの中でどうすることもできない波紋が次から次へと生まれては広がっていき、それが限りなく続いているような時期があったとおもいます。
やがてどの位の月日が流れていったでしょうか、最後に残った小さな悲しみの雫が音もなく落ちてゆき、静かで薄くなった波紋がすうーと広がって消えていったでしょう。
それからのマリーは自分を取り戻し、マリー自身の生活が始まり、歳月が経ちました。でもマリーの経済は大変だったかも知れませんし、病気をしたかも知れません。そのような生活を送っていたかも知れないし、それこそ幸せな暮らしをしているかも知れません。
でもずうーと「5番街にいる」と思うのは、彼は一緒に暮らしたマリーの性格や生活振りを知っているのだと思います。だからマリーのことが気になるのでしょう。ですが、マリーにとってそれは迷惑なんです。せっかく立ち直って穏やかに暮らしているのに、彼の感傷から発露した気持ちだけで、マリーは自分を訪ねてきてほしくないと思う訳です。
一つの見方かも知れませんが、これは男と女の違いだと思うのですが、どうでしょうか。
さて幸せ論ですが、幸せは十人十色で人様が決めるものでもありません。幸せの度合いは上を見たらきりがなく、下を見てもきりがありません。気の強い女は折れやすいのです。
かって私は両刃の懐刀を持っていました。ですから返す刀で自分も傷つけてしまいました。因果な性格です。歳とともに刃こぼれをおこし、今はすっか両刃のないまあるい懐刀になってしまいました。それこそ幸せなのかもしれませんね。
マリーも彼も甘いも酸いも解る高齢になって、かって深く愛し合った二人が再会する時がくるやもしれません。そしてまた二人で生活を始めるかも知れませんね。
投稿: konoha | 2017年10月12日 (木) 11時02分
これだけのセリフの中からでは、どうだったなんてくみ取れません。多分二人の間には、色んなわけがあったのでしょう。でも男性の愛を感じます。この曲が成り立っているのは、彼女の愛も感じられるからです。それは今でもそこに暮らし、その場所を否定していないからです。
投稿: junko | 2017年10月12日 (木) 13時16分
なるほど・・・
何らかの理由で彼は出て行った。しかし彼女はいつか彼が帰ってくると信じ五番街のアパートで待っている。そして月日が経ち彼は帰って来た。五番街の近くまで来て彼はためらっている。もし彼女が結婚して幸せになっているのなら逢わずに黙って去ろうと考えている。
この構図ですとなんだかハッピーエンドが予感されますね。
投稿: yoko | 2017年10月12日 (木) 17時03分
そうですね。マリーと彼は5番街のあのアパートで、とも白髪で穏やかで素敵な愛に包まれて暮らしているかも知れませんね。
投稿: konoha | 2017年10月12日 (木) 17時21分
この歌はハッピーエンドで終わっては歌になりませんよね。桃太郎さんではないのですから、もっと厳しい結末でなければ余韻を残す歌にはならないと思います。最低の結末になってこそこの歌の意味があると思います。それぞれの心で考えたらいかがでしょうか。
投稿: ハコベの花 | 2017年10月12日 (木) 19時32分
yoko様、konoha様 上手くまとめてくださいました。幸わせにしてくださってありがとうございます。 でもマリ-はまだ白髪ではないのです。今でも髪の長いかわいいマリ-なのです。
投稿: junko | 2017年10月12日 (木) 20時00分
外国の哀しいお話より、戦後の焼け跡の子供のほうが私には悲しみが身近に感じられます。結核、肺炎、疫痢、日本脳炎、などなど栄養失調のためにどれほどの子供が命を落としたことか、戦後に生まれた方々には理解できないと思います。それ以上に戦火で焼かれた子供のほうがもっと多かったと思います。運よく生きながらえましたが、何回か私も風邪がもとで死にそうになりました。子供の命が断たれないような国になって欲しいですね。マリーさんは大人ですから最低でも飢えてなくなる事は無いと思います。
投稿: ハコベの花 | 2017年10月12日 (木) 23時52分
マリーが元恋人であるとは、内容からは必ずしも断定できないですよね。
一緒に住んでいた彼女の子どもかもしれません。
彼女と喧嘩をするなどで、悲しい、あるいは怖い思いをさせたので、ちゃんと成長しているか、あの可愛いマリーが嫁に行ってるかどうかが気になる(複雑な感情がある)という受け取りかたも可能でしょう。
投稿: 通りすがり | 2017年10月13日 (金) 09時40分
1979年に一年間ニューヨークにいて、コロンビア大学で英語を学んでいました。フイールド・トリップでワシントン広場に行きました。同行した日本人の若者(私より10歳ほど若かった)は「ワシントン広場の夜は更けて」を知らなかった。構わずに歌ったことでした。
投稿: 江尻陽一 | 2017年10月14日 (土) 06時07分
マリーに背を向けて出て行った彼は、ワシントン広場を襟を立てて歩き、「黒い落ち葉がただひとつ 風の吹くまま舞っている ・・・男心を誰が知る」
投稿: konoha | 2017年10月14日 (土) 06時39分
この欄のコメントが「五番街・・・」で10人分埋まることを期待しています。歌詞のことはあまりコメントしたことがありませんが、ときに参考になることがあります。作者が思いをこめた時はよく伝わります。この歌は男の人が昔の女の人を思いやったと思っています。
投稿: 今でも青春 | 2017年10月15日 (日) 10時51分
junko様の、マリーが今も同じ場所に住んでいることに彼女の愛が感じられ、それがこの歌を支えているというお考えを拝読し、歌への理解を深める事ができました。
阿久悠さんの歌詞の「悲しい思いをさせた」の所を心に沁みる美しい歌詞と感じ、男の共にくらした女に対する普遍的ないたわりの結晶のように感じます。(たとえ別れなどと無縁なカップルでも、わがままや不如意やいたらなさで悲しい思いをさせることがあると思いますから)
投稿: kazu | 2017年10月16日 (月) 02時01分
「五番街のマリーへ」を聴くと、美しいメロディに乗せて、遠い昔に別れた女性に対する男性の切ない思いが伝わってきて、昔から現在につながる長い時の流れを思い起こさせます。昔愛した女性が(何らかの理由で恋愛が成就せずに別れた)、現在、この空の下で、元気で幸せに暮らしているだろうかと思う男性側の心情は、一男子として、そのようなこともあろうと、共感できます。男性側の身勝手、あるいは、思いあがりでしょうか。
なお、「五番街のマリーへ」のメロディが、スコットランド民謡「ロッホ・ローモンド」とかなり似ていることにつきましては、確かに、聴くたびに多少は気にはなります。思うに、欧米の原曲に日本独自のタイトル・歌詞を付けた、例えば、「故郷の空」や「冬の星座」は聴いても、歌っても何ら違和感がありませんが、その違いは、メロディが100%同じではないというところにあるのかも知れません。
投稿: yasushi | 2017年10月16日 (月) 10時49分
別れた理由は人によっていろいろあると思いますが、Yasushi様が言われたように長い年月、彼が私の事を心の片隅ににとどめて置いてくれたら、それだけで本当に幸せな事だと思います。恋するということは永遠なのですね。
いつも元気で生きていてほしい。素敵なお嫁さんを貰ってほしい、そればかり思っていました。私が哀しい時「大丈夫だよ」と言ってくれているようでどんなに慰められたことか。別れてもいつも私の心の中にいてくれた人、貴方に出会えたことで生きていられました。感謝しています。
投稿: ハコベの花 | 2017年10月16日 (月) 21時35分
この曲をきくと
ある友人の人生を考えてしまいます
ドイツに十数年暮らし 正真正銘マリーと恋をし
結果 日本に帰り 親の薦める結婚をした彼です
ドイツで哲学を 学び 教え 家のことを考えず
そのまま 教員としての生活を選択しておればーー
彼には 小市民的幸せが永遠にあったのでしょう
でも その決断はしなかった
華麗なる一族に匹敵するほどの名家 その唯一の男子の後継者 親の病気のタイミングで 社長業をつぎ 日本に帰る決心をした 40年ほど前に ある病院で初めて出会った 関西ではもっとも高級病院で オーブンシステム (患者さんが好きな主治医を他の医療機関からつれてこれる 手術も高名な尊敬できる医師にしてもらえる) ここは全室個室なので 誰かどこにはいっているのかもわからない
部屋代は 一泊4.5万円 保険診療は適応されない 医療費は 自費 でした
一人が二三週間入院すれば 当時 BMW を一台買えるくらいかかったでしょう
僕とほぼ同い年の患者さんが 部屋からちらっと見えたりして ここな病院にこんな若い方がおられるのが不思議でした 気になって カルテに目を通したりはしていたのですが 主治医でもなく 何も手を出せず 傍観者だったわけです 翌日の勤務帰り 先輩の外科の部長が 彼 電解質が可笑しくなって痙攣していたのですよ なんておっしゃり 自信なげなので 明日から僕が診ますといって 主治医になりました みてみると 炎症が強く 虫垂炎と右尿管結石の同時発生と診断し 手術をしたのです
一般の方は わからないですね
虫垂の手術と 尿管結石の手術では腹を切開はしますが
創部へのアプローチが異なります
虫垂の手術は僕が主に 尿路系手術は 奈良医大の前助教授が執刀しました 術後二日目 腹部のレントゲンを見ると なんと ガーゼが一枚腹部に残りうつっているではありませんか レントゲンの位置から 写っているのは尿路系のほうで 僕の責任は少ないとは思えましたが 誰ががきっちり謝り できるだけはやく除去しないとどうなるか心配ですので 僕が行きますと いい
謝り ガーゼ除去をさせていただきました
そのときの 僕の態度に共感・信用いただき そのご絆のつよい友人となっていきました
その後 彼が社長となり 約二年(従業員一万人ほどの大会社)ほどして 詳しくはわからないし 真実はわかりませんが 銀行融資をストップされ あれよあれよというまもなく 倒産 500億の倒産劇でした
彼が何とか 満足できるだけの生活・地位にもどれないかと いろいろ骨を折ってみましたがーー 世の中 思うようにはいかないものですね 人間関係にも あらぬところからもひびが入り 友情崩壊 マリーを聞くたび
過去の平穏な明るかった若い時代を思い出し 涙します
投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年1月 8日 (月) 17時24分
この曲は昔から大好きで、マリーがどんな女性なのか想像を巡らせていました。イメージしていたのは小柄で白みがかった金髪でセーター姿がよく似合う人です。二木先生の解説を読むまで私はてっきり外人の作詞作曲と信じ切っていました。それがなんと私が尊敬している阿久悠先生の作品だったとはー。改めて曲を聞いてみますと日本人好みの曲想があります。5番街は4半世紀ほど前、団体バスで通り抜けしたことがあり、古いビルが立ち並んでいたという、うっすらとした記憶があります。バスの窓から撮った写真もあるはずなのですが、残念ながら見つかりません。 マリーはこんな街に住んでいたのだな、と曲を聴きながら改めて感傷的になっている私です。現実の私には大昔それとなく思いを寄せてくる保母さんを振った思い出があり、曲と重なっているかもしれません。二木先生、本当にありがとうございました。今後も曲の解説、よろしくお願い申し上げます。 清雅坊
投稿: 松本洋光 | 2018年12月29日 (土) 16時29分
ちあきなおみの黄昏のビギンを聞いてから、You Tubeでちあきなおみの歌を毎日聞いています。「五番街のマリー」も歌っていました。それもとても懐かしげに柔らかく歌っています。
ちあきなおみの歌を聴いていたら、(男を)許しちゃおうかな、と思ってしまいました。何だか初老に近い男が若かしり時の恋をとても懐かしがり、<マリーはどうしているかな、元気でいるのかな、あって見たいな、でもね・・だけで会って見たいな>という感じで歌っています。
<マリーはもう許してくれているかな、気になるし、どんな顔してドアをノックしたらいいのかな〜>
こんな情感を柔らかく懐かしげに優しく歌っています。成人した恋の思い出ですね。
<美味しいコーヒーを立てるから、積もる話をしましょうよ ・・・・・>
投稿: konoha | 2019年6月 8日 (土) 10時45分
そうですね。別れてしまった彼女。
もう一度会って、何か一言、告げてみたいですね。
どんな一言、言えるかなぁ~。
投稿: yoko | 2019年6月 8日 (土) 21時56分
昨晩、うつらうつらと夢の中、
彼女のことを考えていました。
・・・このもう戻すことのできない人生で、
君と僕、一瞬の出会いがありましたね。
そのとき君は〇〇才で、そのとき僕は〇〇才だった。
投稿: yoko | 2019年6月 9日 (日) 07時17分
昨今の、konoha様、yoko様のコメントに触発されて、改めて、「五番街のマリーへ」を聴いてみました。
都倉俊一さんによるメロディが美しいことは言うまでもなく、阿久悠さんによる歌詞も、同性として、大いに心に響くところがあります。
思えば、若い頃、人並みに恋をして、そして、別れ。長い年月を経て、今残っているのは、僅かな数の写真(妻には内緒)と、デートしたときの会話の切れ端、声色、表情など、よい思い出ばかりです。
老境にある今、時々、無性に、彼女は今も生きているだろうか、幸せに暮らしているだろうかと思うことがあります。
さて、歌詞1番で、友人(知り合い?)に、♪どんなくらししているのか 見てきてほしいい…♪と頼んでいますが、本当は、自分自身で出かけて、様子を見てきたいという思いを間接的に表しているのではなかろうかと、自己流に、想像しております。
そして、末尾に、♪今がとてもしあわせなら 寄らずにほしい♪とありますが、これも、”幸せそうなら、会わずに帰ろう”と、自分自身に言い聞かせているのであろうと思うのです。
つまり、離れて住む昔恋した人が、今どのように暮らしているかを、遠くからそっと眺めて、幸せそうなら、会わずに帰ろうという、男性の心情を謳っていると捉えるのです。
本当は会いたいところを抑えて、”会わずに”というところが、美学であろうと思います。お互いに今の生活があることだし、”会って”、双方で心を乱すのでは、大人げないということでしょう。
でも、”万一、会った”とき、私が一言話すなら、”幸せにお過ごしでしょうか”の他には考えられません。
投稿: yasushi | 2019年6月 9日 (日) 10時14分
「五番街のマリーへ」静かにコーヒーを飲みながら、緩やかに流れるようなこのメロディを聴いていると、この詩の情景が私の脳裏にかすかに浮かんできます!
そして、改めて二木先生の解説及び皆様から寄せられたコメントの数々を読んでるうちに、私が自然に感じてしまったのは、
恐れながら、yoko様・konoha様・yasushi様・の文章力とともにコメント内容から滲みでるその感性の素晴らしさです。
また、ペドロ&カプリシャスの数ある唄の中でも、阿久悠が書いた「ジョニーへの伝言」と「五番街のマリーへ」この二曲にはそのストーリー性により魅かれるものを感じます。
40年以上前に購入したこのグループのLPレコードやカセットテープは、今も大切にしていますが、ボーカルの高橋真梨子は1993年に彼女のシングルヒット曲「はがゆい唇」のころから、ソロとしてのキャリアを積み重ねながら、彼女のその魅力はさらに増して行き、ビッグアーチストになりました。現在チケットを手配するのが困難なプレミアがつくほどの人気歌手ですが、私はぜひとも彼女のディナーショーへは行ってみたいと思っています。
「五番街のマリーへ」がヒットしていたころは、私が二十歳前後のころですが、長年を経て意味がより心に沁み込むようになった今聴いていると、この唄がより素敵な作品に思えてきます。
投稿: 芳勝 | 2019年6月 9日 (日) 13時11分
高橋真梨子、阿久悠、共に大フアンです。
中でも五番街のマリーへは大好きですが、素人が生意気ですが、もしも嫁に行って今がとても幸せなら寄らずに の部分が一番好きです。阿久悠の優しさが感じられます。
ただそのフレーズを一番最後にもってきたら、もっと素晴らしいものになってた気がします。
投稿: 宮崎 文雄 | 2019年6月24日 (月) 18時50分
懐かしいの一言です。
平凡ながら雑多な日常に追われていたあの頃の自分を異次元に誘ってくれる歌でした。
能勢の赤ひげ様のコメント再読しては心境が忖度されます。
皆様の胸にも様々な物語が思い浮かぶでしょうが。赤ひげ先生のコメントからは一編の小説が?
百田尚樹、五木寛之などがふさわしい書き手と思われます。
投稿: りんご | 2019年6月25日 (火) 09時19分
前コメント(2019年6月 9日)、ぼやかさないではっきりと言い直します。
「そのとき君は4才で、そのとき僕は3才だった・・・」。
その彼女とは、「初恋(石川啄木)」でコメント(2014年7月28日 (月))したかずこちゃんのことです。彼女は僕のことを”坊やちゃん”と呼んでいた、と母は言いました。彼女のお婆さんが僕のことをそう呼んでいたので、彼女もそう呼んでいたのだそうです。
お寺の山門に上る階段で幼稚園の先生が「彼女は遠くに行った」と言ったとき、僕は「いつ帰る?」と聞きました。先生は「ひとつきくらいして」と答えました。僕は今でもその時の先生と僕の階段の立ち位置を覚えています。先生も写真をみればきっと特定できます。僕は嬉しくてその日の夕飯時に「ひとつきくらいって何?」と母と祖母に聞きました。祖母は「どうしてそんなことを聞く?おかしなことを言う子だね」と言いました。以来僕は彼女のことについては心に秘めて誰にも何も話しませんでした。
彼女を探して歩きまわっているとき、女の子たちが数人でゴム飛びをして遊んでいる情景や僕が半ズボン姿であることが思い浮かびます。
大人(50才も過ぎ)になって彼女のお母さんに彼女の写真を一枚見せていただいたときお母さんは「もう一枚ありますけど見ますか?」と私に聞かれました。私はなぜかその時、「いいです」とお断りしました。そのことが以来ずっと心残りで悔やんでいます。本当は見たかったのです。けれどもなぜかその時見たいと言えなかったのです。
投稿: yoko | 2019年6月25日 (火) 22時36分
ヨーロッパ言語研究のasianX智楊君こと石山智男です。五番街という表現は田舎ではない場所を抽象的に表したものです。ニューヨークの5thのことだけではなく、地方の若者が憧れる場所であり挫折の場所のシンボルです。五番街=都会でしょう。博多で言えば天神近くの今泉公園あたりです。マリーはキリスト主義から生まれた献身的な女性のようです。その別れは彼がいつとはなしに五番街を去った時です。他の女性と出て行ったようです。ジャニスジョップリンのボビーマギーの世界観ですね。
投稿: 石山智男 | 2021年4月 3日 (土) 14時09分
『五番街のマリーへ』が流行したのは1973年ですので、まだ海外旅行はごく限られた人達の贅沢で、一般庶民は五番街と言ってもそれが何処にあるのかさえも知らず、せいぜいテレビや映画の画面から想像する程度だったと思います。1980年代に入って、我が国は空前の好景気に沸き、ボーイング747という、大量輸送が可能な航空機も登場して、安価な航空券が入手可能になり、空前の海外旅行ブームになりました。
私が初めてニューヨークを訪れた時もバブル期でしたので、五番街でも日本人観光客を多く見かけました。五番街はニューヨークのメインストリートで、主な観光の名所や高級店が集中しています。セントパトリック協会の石段に腰かけて五番街を行き来する様々な肌の色の人々を眺めているだけでも面白かったです。折しも『ニューヨーク恋物語』という、ニューヨークで暮らす日本人達を主人公にしたドラマが放映されていました。すべて海外ロケで作られた作品で、製作費も巨額に及んだと思います。
その後、バブルの崩壊を経て、我が国は不景気の時代に突入し、景気は回復することなく今日に至っています。先日久し振りに『ニューヨーク恋物語』を観てみましたが、こういう時代もあったのだと、感慨に耽りました。
投稿: Yoshi | 2021年4月 4日 (日) 12時39分
7,8年ほど前から諸先輩方の投稿を拝読しております。
還暦も過ぎ、投稿しても良い年齢になったかなと思い初投稿します。
歌詞を読み込んでいくと、自分のことを書いているんじゃないかと思うことがあります。
喧嘩をしたわけでもなく嫌いになったわけでもないのに、別れはやってきます。
あれから40年以上の時が流れましたが、初めて会った時のこと、「結婚しよう」と言った時のあなたの言葉、その声までも鮮明に覚えています。
元気でいるだろうか、どうか幸せになってほしい。
とても素敵な人とお付き合いができたことを誇りに思います。
もう一度会うことができたなら、別れの時に言った言葉をもう一度言います。
「ありがとう、本当にありがとう」。
投稿: 12月の旅人 | 2023年5月 4日 (木) 21時29分
「男はロマンに生き、女は現実に生きる」余命を指で数えられる今日この頃、納得し自戒の言葉として受け止めています。敬愛する阿久悠(敬称略)は当時の世の潮流もあり、新しい女性像を表現しようとしたと、どこかで読みました。この欄で過去にkonaha様が言われたように身勝手な男を描き、決然とした女を歌っていると思います。まだ取り上げて頂いていませんが、「ジョニーへの伝言」との関連(アンサーソングではないでしょうが)を見ても、女は2時間だけ待って振り切って西でも東でも自分の意思で去ってゆく、男は振った女を未練がましく様子を窺う、といったところでしょうか。「津軽海峡冬景色」でも黙って「さよならあなた」と自ら別れを告げる、男は古くは「あいつ」のように別れた女の様子を友人に探らせあわよくばという魂胆のように見えます。この流れからすればkonoha様のお嫌いな「北の宿から」も着ては貰えぬと分かって編むセーターは別れを密かに自分に納得させるものでしょう。作者は違いますが「雪椿」の女も「そんな男に惚れたのだから私がその分頑張ります」と自立した姿です。ほんの少しの染色体の差が脳の働きを変えるんですね。皆様の夢にいちゃもんをつけるようですみません。
投稿: しょうちゃん | 2023年5月 5日 (金) 21時42分
しょうちゃんさま
「天城越え」から「北の宿」へと、女の情念が怖いです。私も女なのにね。
投稿: konoha | 2023年5月 6日 (土) 07時30分
「マリーという娘と 遠い昔にくらし 悲しい思いをさせた」この箇所に来て胸にじーんと来ない男は、男じゃないと思います。妻であれ恋人であれ母であれ祖母であれ、男が女を愛することは「悲しい思いをさせた」と思うことであり、そう思わない男は男じゃないと思います。(そんなことはない、と言われれば、反論できませんが。)阿久悠さんのこの歌詞をとても美しいと感動し讃嘆します。
投稿: kazu | 2023年5月 9日 (火) 12時25分
先の投稿は興奮して書きましたため、意味不明で不快な点があったと思い、補足説明をいたしたいです。この歌には説明モードの所と詩モードの所があると思います。説明モードの所は人にものを頼む所で、そこもしみじみして良いと思うのですが、私が感動するのは詩モードの所、「マリーという娘と 遠い昔に暮らし 悲しい思いをさせた」の所です。「長い髪をしてた」もそこです。そこは、いたわる気持ち、申し訳ないと思う気持ち、彼女の幸せを祈る気持ちが、理屈を超えた叫びのように胸を突く形で現れ、男の女への愛の普遍的な核心のようなものが「悲しい思いをさせた」に表れているように思いました。この歌の投稿欄をずっと拝見していますと、説明モードの所へのご意見が多く(「この男はけしからん」とか)詩モードの所を讃えるご意見があまり見えず、それは残念で、先の投稿をしました。私はこの詩モードの所を讃嘆いたします。中島みゆきの「この空を飛べたら」にも説明モードの所と詩モードの所(人は昔々鳥だったのかもしれないね) があり、私は詩モードの所を聴きたくてその歌全体を聴きます。この歌もそうです。
投稿: kazu | 2023年5月12日 (金) 00時35分