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2017年12月 5日 (火)

山の吊橋

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:横井 弘、作曲:吉田矢健治、唄:春日八郎

1 山の吊橋ぁ どなたが通る
  せがれなくした 鉄砲うちが
  話相手の 犬つれて
  熊のおやじを みやげにすると
  鉄砲ひとなで して通る
  ホレ ユーラユラ

2 山の吊橋ぁ どなたが通る
  遠い都へ 離れた人を
  そっと偲びに 村娘
  谷の瀬音が 心にしむか
  涙ひとふき して通る
  ホレ ユーラユラ

3 山の吊橋ぁ どなたが通る
  酒がきれたか 背中をまるめ
  のんべェ炭焼き 急ぎ足
  月をたよりに 枯れ葉のように
  くしゃみ続けて して通る
  ホレ ユーラユラ

《蛇足》 昭和34年(1959)9月、キングレコードから発売。
 
この年、私は高校2年で、高校3年の夏過ぎまで、最も野放図に遊び、本を読み、映画を見まくった時期でした。

 この年は、日米安全保障条約の改定を巡って社会は騒然とし始めており、皇太子の成婚パレードが行われ、伊勢湾台風で5000人あまりが亡くなり、水俣病に怒った漁民たちが新日本窒素水俣工場に突入した年でもありました。

 『少年サンデー』『少年マガジン』が創刊され、「大学生がマンガを読むとは……」と非難・嘲笑される素地ができました。マンガやアニメが日本文化の1つになった今では、マンガを読む大学生が当時なぜ非難・嘲笑されたかわかる者はほとんどいないでしょう。

 『山の吊橋』の歌詞は、鳥獣の数や生態を調べるために設置された定点観測カメラの映像を見るかのようです。
 その映像には、朝、吊橋を渡っていく猟師、昼、恋人を偲びにやってきて涙を流す村娘、夜、酒を買いに渡ってくる炭焼き……そんな光景がたまたま映っていたといったふうです。

 1番の「せがれなくした」から、息子は戦死したというイメージが浮かんできます。敗戦から14年経っているのに、歌にはまだ戦争の影が尾を引いているようです。

(二木紘三)

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コメント

毎回楽しませて戴いております。
春日八郎の「山の吊橋」、嬉しく聴いております。ワタシの町へドサ営業に春日さんがいらっしゃったのは東京五輪前の事でした。当時小学校入学前のワタシは、三橋美智也と春日八郎ならば「なんでも唄える」という自称?天才少年でありました。春日さんの白いタキシードが目にも眩しい凛々しい立ち姿を今でも記憶しております。その夜の町の銭湯では男湯と女湯で、入浴客による八ちゃん限定歌合戦でありました。「赤いランプ」「あんときゃ土砂降り」「お富さん」「一本杉」、そんな中でワタシが唄ったのがこの「山の吊橋」でありました。
良く響く浴場で朗々と唄った「それ、ゆ~らゆ~ら」、その後湯当りでゆ~らゆ~ら、になってしまったのでした。
さてさて、もう一回聴きましょうかね。

投稿: 東志郎 | 2017年12月 5日 (火) 21時30分

春日八郎の持ち歌のなかで、私はこの「山の吊橋」が一番好きです。
横井弘の詞が最高ですね。猟師、村娘、炭焼きの三人の様子が、目に見えるようです。 吉田矢健治の曲調も本当に聴き心地いいですネ。
 翌年に横井弘は三橋美智也の「達者でナ」を作詞しますが、私にとってこの2作はなんだか姉妹詞のような気がします。
 高度経済成長期へ向って、まっしぐらに突き進んでゆく日本が忘れて来てしまった風景をこの歌に見るような‥‥。

投稿: かせい | 2017年12月 5日 (火) 23時27分

先生が高校2年なら私は中学2年でした。コメントしたい事は「かせい様」が全て書いて下さいましたので、またの機会にします。それにしても「江梨子」宜しくお願いします。

投稿: 海道 | 2017年12月 6日 (水) 08時35分

 「あざみの歌」も横井弘なんですね。
三橋美智也のあのピンと糸を張ったような高い歌い方が好きで、「うた物語」に三橋美智也の歌がどのくらいあるのかと、探してみました。すると三橋美智也が歌っている歌は横井弘作詞が多いのです。そこでウイキペディアで横井弘の作詞を調べてみました。すると68曲のうち三橋美智也が34曲歌っていました。

 横井弘の詞は琴線に触れてきますので、その響きに三橋美智也のあの哀愁漂う高く張った声質が合ったのでしょうね。(偏見と独断です。)横井弘は演歌の作詞家というより詩人ですね。(これも偏見と独断です。)
 この「山の吊り橋」は、ウイキペディアで調べた時、良い詩だなと思い、どんな曲なのか聴いてみたいと思っていました。

 二木先生ありがとうございます。曲を聴いていると、私も吊り橋になったようで、次は誰が通るのかなと想像してしまいます。

 「おはなはん」、「ラッコは海の子」、「心の窓に灯を」、「川はながれる」、「下町の太陽」など横井弘作詞なんですね。彼は詩人ですね。「裏町のピエロ」の詩がいいので書いてみました。

   1 涙隠した三角帽子  そっとのぞくはプラタナス
     町のピエロの悲しい胸を 知っているのは 知っているのは空ばかり
   
   2 雨のベーブで拾った恋も 消えて儚い虹の恋
     残る思いをせつなく吹けば クラリネットも クラリネットもむせび泣く
   
   3 更けて屋台でしんしん酔えば 空にピエロの眉の月
     どうせこの世は 芝居じゃないか 浮かれて浮かれて  浮かれて浮かれて明日もまた

  なんだか中原中也を思い出しました。 

投稿: konoha | 2017年12月 6日 (水) 10時42分

この唄は私がニキビ華やかなりし高校生の頃に世に出たのですね。当時の私のようなオクテの高校生に流行っていたのは村田英雄「人生劇場」や水原 弘「黒い花びら」で、休み時間に級友と大声で唄っていたものでした(高校生がダミ声でも歌いやすかったからでしょうか)。ただ、「山の吊り橋」はそのころの記憶にありません。この唄が気になり始めたのはずっと後の中年になってからでした。この唄を聴きたいばかりに、(私には)高価な春日八郎CD全集を買い求めたりしました。しみじみした歌詞と、どこかヒョウキンなメロディーのマッチング(ミスマッチング?)も独特の良さですね。また、山の吊り橋の上の定点観測カメラ(今風にいえばドローン?)の俯瞰の目線も本当にユニークですね。

そして、私を一番引き付けるのは、「せがれをなくして犬が話相手の鉄砲打ち」「遠い東京に離れた恋人を偲びに来た村娘」「月夜に枯葉のように背中を丸めて通るのんべ炭焼き」のような、いわば「小さき人たち」への暖かい「まなざし」が強く感じられることです。当時の日本の社会には、まだそのような「世相」が残されていたのでしょうね。(そういえば、曽根史郎「若いお巡りさん」もこのころでしたね) 昨年の津久井やまゆり園での障害者大量殺人、先日の座間での自殺志願者大量殺人などを聞くと、この60年で日本と日本人はすっかり変わり果ててしまったのではないかと、改めて愕然としています。

投稿: Snowman | 2017年12月 6日 (水) 14時17分

昭和34年の3月は中学卒業でした。田舎の学校で校庭で行われました。その年は現天皇の御成婚の年でもあり、学校が休みになりました。寮でテレビを観たことを覚えています。
この歌は後年、カラオケがありある先輩が「高音があるから、この歌は難しい」と言っていた覚えがあります。歌はいいのですが、あまり歌った覚えがありません。
歌詞は面白いです。諸氏の書いておられるとおりです。

投稿: 今でも青春 | 2017年12月 6日 (水) 15時45分

懐かしい歌をありがとうございます。
春日八郎の高音の美声と不動の姿勢が甦ります。
(昭和34年の3月は小学校の卒業式でした)
調子のよい曲だけが身に沁みついて歌詞は全く
心に残りませんでした。周囲に吊橋や猟師の存在がなく、どこか遠い昔話のようなイメージでした。
改めて歌詞に込められた哀愁を追認しております。
ある年齢までは  別れの一本杉、赤いランプの終列車が好きでした。
~還暦以後好きになったのは
雨降る街角、別れの波止場
苦手なんだよ。

還暦以前も以後も 好きなのが長崎の女です。

投稿: リンゴ | 2017年12月 6日 (水) 19時02分

りんご 様

すみません!
お年を間違えて、私の妻と同級生だなんて言っちゃいまして・・・。もっとお若い方でしたのに・・・( ̄◆ ̄;)。

投稿: あこがれ | 2017年12月 6日 (水) 21時30分

昭和34年は社会人となった最初の年でした。
仕事を覚えるのと同時に職場の人間関係の難しさに悩まされたのを、今では懐かしくさえ思えます。
そんな日々の中、時折ラジオから流れてきた春日八郎の胸のすくような美声で歌う「山の吊橋」に感動したことを思い出しています。
私のSP盤コレクションの中に・・・ありました!ありました!
やはり蓄音機で聴く春日節はいいものですね!感慨無量です!
また、昭和34年のSP盤コレクションの中には、ペギー葉山の「南国土佐を後にして」・三波春夫の「大利根無情」・三橋美智也の「古城」・こまどり姉妹の「浅草姉妹」などがあり、改めてその当時のことを懐かしく想い出しております。
♪いつもながら感じることですが、二木オーケストラの軽快でリズム感溢れる素敵な演奏には感服あるのみです♬ ありがとうございます♪

投稿: 一章 | 2017年12月 6日 (水) 22時41分

 春日八郎ファンの皆様ごめんなさい。只今YouTubeで春日八郎、山の吊り橋を聴いてみました。横井弘の歌詞とに「ん??〜ん?」
 Snowmanさまの『マッチング(ミスマッチング?)も独特』、 なんと感想を述べたらよいのでしょう。

 二木楽団のほのぼのした演奏が歌詞の雰囲気に合っていて、「ホレ ユーラユラ」と吊り橋が揺れてきます。歌詞の持つ温かみが楽団の演奏によって感じられてきて、まさに山の吊り橋の雰囲気ですね、と思いました。

投稿: konoha | 2017年12月 7日 (木) 11時59分

 二木先生の「定点観測カメラ」の解説に、まったくその通り!の気持ちです。同じ横井弘の作詞である『川は流れる』の2番にも定点観測法を感じます。

思い出の 橋のたもとに
錆びついた 夢のかずかず
ある人は 心つめたく
ある人は 好きで別れて
吹き抜ける 風に泣いてる
 失恋で傷ついた人を見つめ続ける優しくもクールな眼があります。
 
 ところでこの歌の出た時、私は10歳、小学校5年生。『少年サンデー』『少年マガジン』の発行が驚天動地の大事件だった。えっ毎週連載の漫画が見れるの、と天にも昇る気持ちだった。もちろん我が家で買ってもらえるあてはなく、友達に見せてもらうつもりでしたが・・
 この年のヒット曲を検索してみました。当時ガキの私がいいなとおもったのは、ペギー葉山の「南国土佐を後にして」ザ・ピーナッツの「情熱の花」「可愛い花」スリーキャッツの「黄色いサクランボ」です。
春日八郎や三橋美智也の高い声がなぜかいやで、ラジオで流れるとまたかという気持ちで聞いていました。そして「山の吊橋」「別れの一本杉」「達者でナ」で歌われるテーマ自体が理解できませんでした。何が面白いんやろか、です。私は田舎を知らない神戸育ちのシティボーイいやシティガキだったのです。
後年、ピーマン嫌いの少年がピーマンの美味しさに目覚めるように、春日八郎や三橋美智也の歌の渋さに気づきました。とくに横井弘には師匠級の敬意をもつようになりました。そして春日八郎や三橋美智也の歌は、高度経済成長期に故郷を離れて都会で働く人々の心の慰めになった歌なんだと気がついたしだいです。田舎を持たない私の心には届かないという歌の限界性にも気づきました。

投稿: 越村 南 | 2017年12月 7日 (木) 22時40分

ほれゆ~らゆ~らの心地よいリズムに
歌詞に含まれた愛別離苦には理解の及ばなかった
田舎娘も71歳になりました。酸いも甘いも噛みしめました。
二木先生の心地よい演奏を聴きながら当時のことなど
思い出しております。吹雪の吹き込む寝床、とろとろと燃える囲炉裏火。飼い猫と共に炭火の炬燵にまるまってラジオから流れる春日八郎、三橋美智也に酔いしれていました。

シテイボーイの越村さまと比べれば同じ日本とは思えない暮らしぶりでした。

あこがれ様
お気になさらないでください。
ちっともかまいませんことよ(#^^#)

 

投稿: りんご | 2017年12月 8日 (金) 10時52分

越村様の投稿を読んで実は、ほっとしました。同じ感性の人がいたのを知ったからです。三橋、春日、村田さんたちの歌が好きになれなかったのです。都はるみが出た時はラジオを消しました。許せない歌い方でした。何故なのか嫌な気持ちがしたのです。最近分かったのは私が民謡を全く聴いて育たなかったからだと気が付きました。声の出し方がちがうのですね。音楽には無知なので言えなかったのですが、民謡を聴きなれて居たら嫌いにならなかったでしょうね。
「東京の人」のようなさっぱりした歌がすきです。シティガールではないのですが・・・

投稿: ハコベの花 | 2017年12月 8日 (金) 13時40分

この歌がリリースされた頃は自分は小6でした。今年70才ですが愛唱歌のひとつです。でも、一番の歌詞の"倅亡くした鉄砲撃ち"については単なる逆縁の不幸を唄ったのだと今の今まで思っていました。

でも、二木先生のおっしゃるように、息子の戦死そして続く老後の愛犬との語らいと熊猟と考えると、断然思い入れも違ってきます。これからは、そういうイメージで唄います。

現在の世情もなんだか雲行きが怪しくなってきたように思います。こういう悲しみは流行歌の中だけにしておきたいものですね。そう祈りながら心を込めて唄います。

投稿: ザジ | 2017年12月 9日 (土) 00時14分

 ハコベの花様のご意見、ごもっともです。民謡の発声、歌い方、こぶしに慣れていないから春日八郎や三橋美智也の声に嫌悪感を感じたと私も思います。都はるみも同感です。♪アンコ~だより~は~アンコ~だよりは アアン ア アッ アッ ア というところ、「なんでそんなに力まないとあかんの!さらっと歌えや」と反感を持ってました。「臭い歌い方や、くさや並みの臭さや」とラジオを切りはしませんが、しぶしぶ聞いてました。私は過激ではありませんから(笑)体制順応派ですから。(冗談ですヨ)
 村田英雄や三波春夫は『皆の衆』とか『チャンチキおけさ』は、くさやの歌でしたが、『人生劇場』『大利根無情』は好きでした。それは父の聞くラジオの浪曲につき合わされていたからではないかと思います。
 中学3年の時、吉川英治の『宮本武蔵』や『三国志』にハマッタのも、浪曲を聴きなれて自分の中に人物伝を吸収する素地ができていたからだと今になって思います。
また作曲家の佐々木俊一は「浪曲には大衆の好むものが潜んでいる」と言ったそうですが(このブログの『涙の渡り鳥』の<蛇足>より)含蓄のある言葉だと思います。
 それにしても父の趣味がクラシックだったら、私の人生とか教養の中身もずいぶん変わっていたような気がして少し悔やまれます。

投稿: 越村 南 | 2017年12月 9日 (土) 09時40分

越村さま
いえいえどういたしまして
私  活字と言えば地方紙一紙(周囲では新聞購読もままならない家が普通の純農村地帯)昭和30年前後。
表紙の有る本と言えば教科書のみ(その教科書も兄姉の、おさがりの子や、隣のクラスの友人から借りる~中学,教科別)子もいた環境。当然我が家にはハーモニカも木琴もなく、ラジオから流れるのは父の趣味である浪花節  歌謡曲が音楽環境。
その私  中学の音楽の授業で初めてのクラシック鑑賞がドボルザークの新世界。魂に触れる程の感動でした。
卒業式の講堂に流れていた バイオりンの名曲
ドルドアの思い出やタイスの瞑想曲には胸が締め付けられました。
親の趣味の如何に関わらず我が求めるもに呼応するものと信じています。かのマエストロ、小澤征爾は若かりし頃
海外の公演の合間に 美空ひばりにむせび泣いて故国を偲んだと~服部公一著  クラシックの喫煙室で読んだ記憶があります。
音楽は精神のし好品  食に通じるものがあるというのが
私の経験上の持論です。
パン、ご飯も、ラーメンも日本蕎麦も良い。
フランス料理、中華、イタリアン、和食
漬物。おにぎり  それぞれの味わいがあるものです。音楽も左様なものと思っています。

投稿: りんご | 2017年12月 9日 (土) 21時35分

指揮者でパーカッショニストの岩城宏之も、美空ひばりが大好きで、ヨーロッパ(オランダだったと思いますが不確か)の
クラシック系パーカショニストたちと飲んだとき、美空ひばりの「柔」を聴かせて悦に入っていたと書いたエッセイを読んだことがあります。

投稿: さすらい人 | 2017年12月 9日 (土) 22時12分

明治の半ばに生まれた私の父も浪花節しか知らなかったようです。ラジオで良く聴いていましたが、8人の子供は誰も浪花節を聞きません。学校で教えて貰う以外音楽とは無縁でした。時代が良くなり私の姪たちの何人かはピアノを弾きます。クラシックも聴きます。やはり時代の影響も大きいですね。ただし好き嫌いはその人の脳の違いではないでしょうか。好きな音の好みだと思います。クラッシックも演歌も関係なく、好きな音と嫌いな音があるのだと思います。この「山の吊り橋」をクラシックの歌手が歌ったら私は大好きになるだろうと思います。歌詞が素晴らしいからです。越村様と好みが似ているかも知れませんね。

投稿: ハコベの花 | 2017年12月 9日 (土) 23時31分

 りんご様の文章を読むと昭和30年代の農村の多感な少女の学校生活が目に浮かび、音楽にうっとりするおさげ髪まで勝手に想像してしまいます。
そうですね。職業に貴賎なし、人間に貴賎なし、そして音楽に貴賎なしですね。おっしゃる通りです。
どんな歌や音楽にも歴史性があり、人間の魂を慰める力があります。民族性や逆の世界性(コスモポリタニズム)というテーマもふくんでいます。
メロディを楽しむか、歌詞を吟味するかという音楽の味わい方の違いもありますね。私はどうしても歌詞に力を入れて評価します。その点でハコベの花様と似ているように思います。

 「クラシックにもっと幼い頃に触れていたら、感じ方も違っていたのではないか」という前回の投稿は、週刊誌を百冊読んでも確かな古典一冊の充実感、喜びには及ばないという意味であり、クラシックは世界性を勝ち取った音楽であるという評価でもあります。まあ若い頃のコンプレックスです。今はクラシックも歌謡曲も浪曲も素晴らしいという気持ちと矛盾することなく、両方の考え方が同居しています。

 美空ひばりの歌の素晴らしさをりんご様もさすらい人様もあげておられますが、私もベトナム永住を決めて日本を離れた時、ひばりのCDだけは荷物の中に入れました。ひばりは国民性、民族性を感じさせる特別な歌手だと素人ながら思います。熱帯モンスーンの国で『越後獅子』を聞くと静かに望郷の思いが湧いてきます。逆に宮川泰の『恋のバカンス』は旧ソ連を中心に息の長い有名曲になっています。(二木先生の<蛇足>で勉強しました)こちらは世界性を感じます。
だらだら書きましたが、歌や音楽は深くて広くて楽しい世界、またそれを通じて淡く交わるこのブログも楽しい世界ですね。


 

投稿: 越村 南 | 2017年12月10日 (日) 00時47分

歌の好き嫌いは、素質、育ち、食わず嫌いなどの要因もあってそれぞれだと思います。うた物語は歌詞と演奏だけで楽しめ、嫌いな歌手を介在せずにすみますので素晴らしいアイデアですね。

ちなみに私は次のものが嫌いです。

村田英雄、美空ひばり、あの上から目線の振り付けが嫌い。
三波春夫、あの満面の笑顔が嫌い。
都はるみ、あの媚びた姿態と押し付けのこぶしが嫌い。
歌舞伎、オペラ、あの大振りな動作と、甲高い絶叫が嫌い。
能、三味線、民謡、あのうなり声と三味線の音色が嫌い。

嫌なものを上げればきりがありません。小学校の音楽で「五木の子守唄」を習ったときなんて陰気でつまらない子守唄だろうと思いまし。西洋音楽へのコンプレックスを感じました。しかし、後年その歌詞の内容を理解した時愕然とし考えが180度変わりました。この詩は西洋音楽では表せないないと・・・

嫌いな曲も歌詞とその物語を理解できないとだめですね。

「山の吊り橋」の歌詞で好きなところは、「話相手の犬つれて」と「のんべェ炭焼き 急ぎ足」です。サラリーマン時代に、本当はこんな仕事したくない、人里離れた山の中でヤギを飼って暮らしたい、とか炭焼きをして暮らしたい、などと夢想していたこともありました。そんな気持ちを癒してくれる歌ですね。春日八郎の歌を聞くよりも二木先生の演奏と歌詞のみの方が私には癒しになる曲です。


投稿: yoko | 2017年12月10日 (日) 09時50分

「山の吊り橋」に寄せる皆様のコメントに<そうなんだ。なるほどね。>と思いながら読ませていただきました。音楽のジャンルには関係なく、ハコベの花さまの口調(?)をお借りすれば、「いいものはいい」。

 人それぞれに感性のあり方も百通りも(大いに跳び越して)千万通りもあります。元々私はクラッシック音楽をよく聴いていました。子供たちが大きくなって彼らの好むサウンドが耳に入ってくるようになると、「お!なかなかいいじゃないの」とおもったりしていました。子供がカナダに留学しているとき、帰国するたび向こうのCDをかけていました。それを耳にしているうちに「Queen、 Stevie Wonnder、 などなど」もいいなあと思いました。そしてかって、NHKBSの「世界のアメージングボイス」に登場する各国の音楽や歌い手が素晴らしかったです。

 思うに、その人の心に素直に響いてくる音が素晴らしいということです。
「Louis Armstrong」の「Kiss of Fire」のあのだみ声が私の琴線に触れてきます。

投稿: konoha | 2017年12月10日 (日) 11時05分

yoko様の投稿を読んで思わず喜んで笑ってしまいました。私が嫌いな歌手が全部並んでいたからです。美空ひばりはラジオで流れた子供の時から嫌いでした。何故嫌いなのか説明が出来ません。大人になって、感情が入り過ぎる演歌が多くなって歌謡曲を聴かなくなりました。特に泣きながら歌う歌手は嫌です。気持ちが悪いのです。歌っている人が涙を流すのは観ていて良いものではありません。歌で勝負するべきだと私は思います。それにしても歌詞の質が落ちていると思いませんか。日本の歌から詩情が失われてしまっています。残念です。

投稿: ハコベの花 | 2017年12月10日 (日) 12時11分

昨日、投稿してから、ひばりファンの人の気分を悪くさせしまったと後悔しました。おそらくひばりファンは沢山いらっしゃることと思います。私たちの年代の人は全員がひばりファンだと思われるのが心外で一言断っておきたかっただけです。ご理解していただきたいと思います。

投稿: ハコベの花 | 2017年12月10日 (日) 22時12分

ハコベの花さま ひばりちゃんの件は気になされないほうがよろしいかと思います。
私は「ひばりちゃん」の歌は嫌いではありませんが、特にデビュー当時の「ひばりちゃん」は可愛くて歌のうまさは抜群だと思っていましたが、人それぞれ好みがあるようですね!
ちなみに、私の好きな歌手では、今思い出すところでは「松平晃・藤山一郎・田畑義夫・岡晴夫・青木光一・渡邊はま子・松原操・藤原亮子・高峰三枝子・二葉アキ子」さんたちの唄が心に迫ってくるようです。
その中でも特に、高峰三枝子の「南の花嫁さん」を蓄音機で聴く彼女の歌声は天使のような美声で心に染み入ります。

投稿: 一章 | 2017年12月10日 (日) 23時23分

一章様
有難うございます。実は昔、ひばりが嫌いとか、裕次郎に興味が無いとか、プロ野球なんて全く興味がないと言っただけで半年仲良しだった人に無視されたり、嫌味を言われたりで不愉快な思いをしたものですから、ファンというものは恐ろしいものだと身に染みていました。
特にひばりファンは多いので、このプログを嫌いにさせてしまったら申し訳なく思ってお断りをしたのです。春日八郎も良い声なのですが、山の吊り橋の歌詞があまりに素晴らしいので、どなたかクラッシック調で歌ってくれないかなという願望を書いてみました。一章様のやさしさに感謝です。

投稿: ハコベの花 | 2017年12月11日 (月) 00時11分

私の祖母は歌番組では”三波春夫”、”村田英雄”、相撲では”大鵬”、テレビドラマでは”次郎物語”が大好きでテレビの前に正座してかじり付いてみていましてた。私はそれが面白くなくて散々悪態をつき「チャンネル変えて!」と要求していました。おばあちゃんには可哀そうなことをしました。おばあちゃんごめんなさい。
それにしても、私の好み、半世紀たっても変わっていないようです。

投稿: yoko | 2017年12月11日 (月) 13時40分

 yokoさまのコメントからふうと浮かび上がった思い出があります。
下村湖人の『次郎物語』の映画を小5か6の時に学校から見に行きました。私は母から屁理屈ばかり言って強情っぱりな子だと言われていました。そのような具合でしたので、実母に対しての次郎の屈折した気持ちが子供心にも響いてきたようです。映画が終わり会場が明るくなったとたん、我に返ったのでしょう、私は席に座ったまま号泣してしまいました。

周りの友達が驚いて先生を呼びにいったのを分かっていたのですが、自分でもどうすることもできなく、ただただ泣いていました。そばにきた先生は、「なあーんだ」と言って、そのまま泣かせてくれました。やっと泣き止んだ私を見て「大丈夫か?」と言われたのを覚えているのですが、今思うとその後どうやって学校に戻ったかは記憶にありません。

「山の吊り橋」とは全く関係ないことを書いてしまいました。不思議です、皆様の寄せられるコメントからすっかり忘れていたものが、記憶の底から浮かび上がってきます。一時期、自分史を書くということが流行りましたが、改めて自分史を書くより「うた物語」で人生を振り返って書いている思いがします。


投稿: konoha | 2017年12月11日 (月) 18時24分

主語の位置が
1番 B、2番D、3番C とそれぞれ違っているのは珍しいと思います。

1 A せがれなくした B 鉄砲うちが
 C 話相手の D 犬つれて
E 熊のおやじを F みやげにすると
  鉄砲ひとなで して通る
  ホレ ユーラユラ

2 山の吊橋ぁ どなたが通る
 A 遠い都へ B 離れた人を
 C そっと偲びに D 村娘
 E 谷の瀬音が F  心にしむか
  涙ひとふき して通る
  ホレ ユーラユラ

3 山の吊橋ぁ どなたが通る
 A 酒がきれたか B 背中をまるめ
 C のんべェ炭焼き D 急ぎ足
 E  月をたよりに F 枯れ葉のように
  くしゃみ続けて して通る
  ホレ ユーラユラ

投稿: hurry | 2018年1月 2日 (火) 21時21分

 昭和34年は、中学の卒業でした。それから、一年休学してまたやり直し、地元の大学に入り県内を回り続けました。この歌もその年に世に出たのですか。知りませんでした。
 「春日八郎」の名前は知っていたと思いますが、もう記憶の彼方になっています。
 この歌の高音に惹かれています。

投稿: 今でも青春 | 2018年3月29日 (木) 08時06分

 konoha 様
 「裏町のピエロ」の歌詞がよいと、お書きになった気持ちがよくわかりました。心に訴える言葉がちりばめられているからだと思いました。「涙」「そっと」「悲しい胸」「ばかり」「はかない」「せつなく」「むせぶ」「しんしん」「どうせ」等です。
 ネットで見たのですが、ただひとつ2番の「雨のベーブ」は「雨のペーブ」というそうですが、その意味がよくわかりません。
 でも、こういう歌は最近見ないので歌詞のよさに惹かれるのは誰も同じだと思います。

投稿: 今でも青春 | 2018年3月29日 (木) 20時13分

雨のペーブメント(舗道)のことと思われます。 

投稿: 寒崎 秀一 | 2018年3月29日 (木) 20時30分

今でも青春さま
 「ペーブ」の打ち間違いですね。ありがとうございます。You Tubeで若原一郎が歌う「裏町のピエロ」を聴きました。最初に聴いた時、詩文から受けるイメージと曲とに「あれ?」と感じたのですが、2番3番と聴いているうちに、ピエロ特有の自虐的な心持ちを、またそれをピエロが得意とする軽妙さを醸し出した曲に感じました。若山一郎がサラッと歌っていて、卑屈にならない(ピエロの心)良い曲だと思いました。
 横井弘作詞の歌はあざみの歌、ポップスは別にして、三橋美智也(達者でな他)、春日八郎(山の吊り)、若山一郎(裏町のピエロ)しかまだ聴いていませんが、私は詩がなんともいえず心に響いてきます。ただの作詞家ではなく文学者の土壌をもった歌謡曲の作詞家ではないかと思っています。

寒崎 秀一さま
 最初は間違えてブーベと思っていましたので、ブーベの恋人ではないしなあ、でも拾った恋だからねえ、と思っていました。意味が通じました。ありがとうございます。

けんさま
 4月14日は土曜日でした。雨天の場合でも開催されるのでしょうか?

投稿: konoha | 2018年3月29日 (木) 22時50分

 寒崎様、ありがとうございました。
 konoha様、コメントありがとうございます。いろいろ考えさせることを書いていただき、思うところ大であります。

投稿: 今でも青春 | 2018年3月30日 (金) 09時04分

konoha様

 >4月14日は土曜日でした。雨天の場合でも開催されるのでしょうか? 
 曜日を間違えてお知らせしていたらゴメンナサイ。
 主催者から「4月14日(土)正午~午後3時30分頃まで」と連絡がありました。「鎌倉まつり」の初日にあわせ開催してきたが、当日はたくさんの催事が重なり、前回から日程を変更して八幡様のお世話になり開催します。
 雨天の状況にもよりますが、演奏者は茨城、埼玉、栃木、東京、神奈川などから集まりますので小雨なら行われると思います。雨天時の実施の有無のご連絡はできないと思いますのでご容赦をお願いします。

 本年の参加者は首都圏各地のイベントに参加する人が多く20人位です。私にとっては独奏できる曲が多くなるので喜んでいます。

 公園の高台に上がり練習しています。眼下には吊り橋はありませんが、石神井川に沿った起伏のある道路を老若男女が通ります。
 こどもを自転車に乗せて急ぐお母さん、車いすに乗ったご主人を押す年配のご婦人、可愛い犬を何匹も連れて散歩する有閑(?)マダム、手を繋いで夢中になっている若いカップル、立ち止まって草笛を聴いてくれる方、恐る恐る近寄ってくる子供達、ランニングしている若い女性、ダッシュを繰り返す中年男性、リハビリで歩いている人、買い物袋からネギやゴボウなど長物がみえるなど・・。

投稿: けん | 2018年3月30日 (金) 10時05分

けんさま
 おはようございます。曜日間違いではありません。私のおっちょこちょいがなせる業です。こちらこそご心配をおかけしてしまいました。雨天のご連絡ありがとうございます。
 
 ことしの桜は早いです。今日の風で花吹雪になり、葉桜模様です。けんさまのお住まいの石神井川の花筏はさぞ綺麗でしょうね。板橋区の元加賀藩下屋敷跡である公園の側を流れる石神井川沿道の桜並木は隠れた名所で、川幅は広くないので、花筏が毎年なかなかの眺めです。ここは中山道の板橋宿です。参勤交代で江戸入りをするとき、この下屋敷で休憩し身なり、体裁を整えたそうです。

 能勢の赤ひげさま所の桜はもう直きですね。東京の桜はもう咲いたと思ったら、すぐ満開、そして今日の風で葉桜気味です。なんだかあっという間に過ぎようとしています。もう少し楽しみたかったと思います。でも葉桜も好きなのでいいかな・・・

投稿: konoha | 2018年3月30日 (金) 11時09分

 2017.12.6 konohaコメントの中で、横井弘作詞68曲としましたが、代表作の数字でした。今回三橋美智也の歌を聴いていたところ、三橋美智也は56曲ほど、横井弘作詞の歌を歌っていました。また横井弘は春日八郎の曲もかなり書いていました。高音で張った声が好みなんですね。

投稿: konoha | 2018年6月17日 (日) 16時25分

吉田矢健治は「山の吊橋」の他に「夕焼けとんび」など作曲していますが、しみじみとした名曲です。北関東の竜王峡(栃木)や竜神峡(茨城)は観光名所です。
6月中に梅雨明けという統計開始以来の異常気象で全国的に猛暑続きですが、芋焼酎愛好家の一章様、けん様と「うた物語」を通して乾杯!です。
(東京大衆歌謡楽団)http://www.youtube.com/watch?v=T42sSNCBm6g
(竜神大吊橋)http://www.youtube.com/watch?v=2XeaYxvIz3M

投稿: 焼酎 | 2018年6月30日 (土) 12時28分

炭焼きはお酒を手に入れることができたのでしょうか。夜は酒屋も閉まっているだろうし、とずっと気にしていたのですが、知り合いの家に借りに行ったのかもしれませんね。

投稿: hurry | 2018年9月18日 (火) 15時25分

 炭焼きはお酒を買いに村に行くところではなく、村の飲み屋で呑んで、山の小屋へ帰るところだと、私は子供の頃からずーっとそう思ってきました。
 「酒がきれたか」は、身体から酒がぬけてきたということで、酔いが醒めかかり、身体が冷えてきたのでくしゃみを連発してるのだと……。
 
 春日八郎は三橋美智也と並んでキングレコードの看板歌手でしたね。
この年昭和34年は、三橋美智也は夏にあの大ヒット曲となった『古城』をリリース、春日八郎はめぼしいヒット曲がなかったので、この『山の吊り橋』に手応えを感じていたキングは、これを春日に唄わせようと思ったのでは…と、私の勝手な想像です。
この年の紅白では、春日八郎は、リリース後まもない『山の吊り橋』ではなく、その前に出していた『東京の蟻』(これも横井弘作詞ですが‥)を唄い、翌年ヒットした後、満を持して紅白で『山の吊り橋』を唄い上げることになります。 昭和34年に、春日八郎にほかにヒット曲が出ていたら、もしかしたら三橋美智也の『山の吊り橋』が聴けたかもしれないなぁ…と、妄想してしまうのです。

投稿: かせい | 2018年9月18日 (火) 18時49分

かせい様
なるほど。全く考えていませんでした。3人とも山奥に入って行く、というほうがきれいですね。私は、在庫?切れだと思い込んでいたのですが効き目が切れた、とも言いますね。ありがとうございます。

投稿: hurry | 2018年9月18日 (火) 20時15分

 HURRY様とかせい様の「さけがきれた」のふたつの解釈、たいへんおもしろいですね。私は、はじめはHARRY様の「酒がなくなったので、買い足しに行く」の解釈でしたが「酒が抜ける時、くしゃみがでる」という論証に、なるほど~と、かせい様の解釈に考えが変わりました。
 そういえば「急ぎ足」も家路を急ぐという言葉も浮かんできます。「背中まるめて」も、酒を買い足しに行く往く道なら、寒い中にも、どことなく勢いがあります。(酒好きの私にはわかりますよ)寒い夜道に一筋の光明を求めて歩く往く道にするよりも、帰り道にしたほうが、たらふく飲んだのんべえの自業自得の図になり、丸めた背中も活きてくるように思います。

 HARRY様とかせい様のやりとりは大人の対応で、さわやかな印象をもちました。

投稿: 越村 南 | 2018年9月19日 (水) 14時57分

 hurry様と越村南様の「買いに行くところ」という解釈、私の「家に帰るところ」という解釈、もしかしたら上戸と下戸の違いの解釈によるのかもしれませんね。 くしゃみをしながらも、「何が何でも買いに行くんだ」という飲ん兵衛の強い執念もあるかもしれませんし、どちらの解釈も有りなのでしょう。 3年前に88歳で亡くなった横井弘は上戸、下戸どちらだったのでしょうか。たぶん前者でしょう。 師事したという藤浦洸も好きだったでしょうから。
 それにしても、越村 南様の「たらふく飲んだのんべえの自業自得の
図」という表現、まさに吊り橋を渡っている炭焼きの危なかっしさが目に見えるようですね。 お酒好きの人ならではの表現だと感心しました。 下戸の私はhurry様や越村南様が羨ましいかぎりです。

投稿: かせい | 2018年9月19日 (水) 17時09分

 20年以上昔の話ですが、和歌山県の紀ノ川でスケッチをしたことがあります。南海電車の鉄橋が川に架かり、その橋げたの影になる河原の一角に腰掛けて、絵を描いていました。私の後ろ、背中の側にまっすぐのびた小道があり、私の座っている位置から左前方に折れて、道は緩やかに下って川沿いに続きます。
しばらくするとお爺さんの声が近づいて聞きました。「今度入ってきた農協の女職員じゃが、無愛想な態度でなあ、あれじゃだめだ」
 私はスケッチに集中し、振り返らず背中で聞いていました。(農協の職員の悪口か、いかにもローカルな話題だなあ)(聞き手のあいづちの声がないのはなぜかな)(声が大きいのは、どちらかの耳が悪いのかな)などと漫然と思いました。
 やがて、彼らがおしゃべりを続けながら、私のそばを通り過ぎて、河原に降りていきました。その時、はじめて彼らの姿が視野に入りました。老人と大柄な飼い犬の散歩姿でした。
 老人は愚痴めいた話を、なおも絶え間なく犬にしゃべっていました。犬には難しすぎる話を。
 その時、犬がたまたま私のほうを見たので、私は大きく手を振りました。(おおい、がんばれよ、話し相手になってやれよー)犬は不思議そうに、何度かこちらを振り返りました。お爺さんは、何もわからなかったようで、時おり後ろ向きになろうとする犬の首をリードで強く引っ張って、前を向かせていました。遠ざかっていく一人と一匹に、またしても人生の味を知らされた思いでした。 

 この歌の歌詞「話し相手の 犬つれて」から思い出したできごとです。

投稿: 越村 南 | 2018年9月19日 (水) 18時34分

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