落葉しぐれ
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 旅の落葉が しぐれに濡れて |
《蛇足》 昭和28年(1953)9月、ビクターから発売。三浦洸一の最初のヒット曲で、かなり長く歌われました。
三浦洸一は、『弁天小僧』から『踊子』『東京の人』まで、幅広いジャンルの歌を歌いましたが、どんな歌でも、歌い方を崩さず、端正に歌いました。歌う姿勢も、いつもビシッとしていました。
歌謡曲には、うらぶれてさすらう、といったテーマがよく出てきますが、その原因のほとんどが失恋です。この歌もそうですね。
しかし、実際には、うらぶれてさすらうことになった原因は、失恋より、失職とか何か社会的な失敗、家庭の不和ないし崩壊、酒や賭博・薬物の中毒、または破滅型の性格などのほうが圧倒的に多数です。
けれども、そういった現実につきすぎた歌は、生々しすぎて歌う気にはなれません。やはり、死に別れも含めた失恋が原因という歌のほうが、素直に心に沁みてきます。深刻すぎない失恋を経験したことがあれば、歌の主人公を我が身に置き換えて歌うこともできますしね。
『旅の終りに』でも触れましたが、私には、かなり若いころから、"落魄した人生"というものに惹かれるところがありました。あくまでも頭で描く意匠としての"落魄"にすぎませんが。
上昇志向一辺倒の人、人生で失敗したことが(ほとんど)ないという人は、私は苦手です。そういったタイプは概してパーソナリティに陰翳が薄く、底の浅い感じがします。
(二木紘三)
コメント
三浦洸一さんの端正な歌い方は幼心にも魅かれたものです。時流ゆえに一線から遠ざかったのは残念です。
ユーチューブでよく聞いています。
二木先生の蛇足にもあるようにお姿も端正で好感が持てました。先生の演奏を静かに聴きたいと思います。
投稿: りんご | 2017年12月27日 (水) 20時53分
この当時はギター弾きがいたのでしょうね。
投稿: hurry | 2017年12月27日 (水) 23時29分
私は、吉田正の作曲作品の中では、この「落葉しぐれ」が一番好きです。
吉川静夫の「七・七・七・五」の歌詞も上手いですねぇ。
そして、三浦洸一の端正な歌唱法も聴きほれます。
小学低学年の頃よりラジオで聴き、高学年の頃より姿勢よろしく歌う姿をTVで観て、三浦洸一の真摯な人柄に憧れました。ギターの切ない爪弾きが何とも言えない哀愁感を醸し出しますねぇ。 ギター流しの身を案じて声をかけたくなります。
余談ですが、「有終の美」を飾った「キタサンブラック」の馬主でもある、北島三郎が『NHKのどじまん』に出場して挑んだのが、この「落葉しぐれ」。 残念ながら『鐘2つ』だったそうです。
投稿: かせい | 2017年12月28日 (木) 00時54分
昭和20年代末期から30年代にかけて「落葉しぐれ」(と「お富さん」)が町なかでよく聴こえてきたものです。吉田正のヒット曲の中では本曲と「夜霧の第二国道」が代表曲でないかと、ギター弾き歌謡では本曲と「ギター仁義」(北島三郎)が双璧でないかと思う今日この頃です。
↓NHKスタジオ公開・中年期の三浦洸一歌唱
http://www.dailymotion.com/video/x2hvayj
投稿: 焼酎 | 2017年12月28日 (木) 11時39分
私が9歳の時の歌ですが鮮明に記憶しています。昔の子供は暇だったのでしょうか。熟なんて物はないし。でも私のこのみは都会に憧れていたころ流行った「東京の人」です。
投稿: 海道 | 2017年12月28日 (木) 12時24分
心待ちしていました名曲「落葉しぐれ」の登場、大いに歓迎です。
この歌が世に出た昭和28年、私は中学生で、田舎の小さな集落に住んでいました。そこで、一緒に遊んだり、家業を手伝ったりしていました3歳年上の従兄は、仕事をしながら、当時の流行歌をよく口遊んでいました。その後、私は高校進学とともに集落を離れましたが、後に聞くところによりますと、集落の”若い衆”である従兄は、「落葉しぐれ」で、そのころ、近隣のあちこちの町村で開催されていた”のど自慢大会”に挑戦していたようです。
「落葉しぐれ」に対する第一印象は、やはり、三浦洸一さんによる丁寧な、きちんとした歌い方であろうと思います。学校音楽に一脈通じるものが感じられます。歌詞・メロディとも秀逸で、短からず長からず、もし歌謡曲を歌うことを学ぶなら、「落葉しぐれ」こそ、第一の候補に挙げるべき名曲だと思います。この歌をちゃんと歌えたら、合格点が与えられましょう(あくまで私見です)。
カラオケで、今は亡き従兄を偲んで「落葉しぐれ」を歌うことがありますが、3番の♪螢光燈の…♪のところ来ますと、時の流れを感じます。”歌は世につれ”、或いは、”歌は時代の鏡”とも言われます。街灯のLED電球化が進む昨今、もし、今の時代に新たに作詞する場合、”螢光燈” の代わりに何と表現すればよいのだろうかなどと、思い巡らしたりしています。
投稿: yasushi | 2017年12月28日 (木) 14時36分
三浦洸一の歌はとても良い歌が数々ありますが、この歌は作られた哀愁ではない素朴な曲調で、それが歌手の律儀な歌い方と美声に合って、いつまで経っても飽きない魅力があると思います。私は中学1∼2年生でしたが、𠮷田正作曲の歌が大好きでした。鶴田浩二もそうでしたね。
三浦洸一はたしかお寺の子だと思いましたが、環境と教育が彼の律儀さを生んだんでしょうか。私は、このような真面目な人が歌謡曲界にいるのかと見直しました。でも後年、このようにまじめな人でも、何か裏の部分はあるはずだとも思いましたが、どうなんでしょうか。
投稿: 吟二 | 2017年12月28日 (木) 20時53分
<蛇足>の「深刻過ぎない失恋を経験したことがあれば、歌の主人公をわが身に置き換えて歌えますものね」の文に思わず苦笑。深刻過ぎない失恋・・確かに!
中途半端な恋、中途半端な失恋。まあそれでこそ平穏な日常生活が破れることなく守れますから、それでいいんでしょうが・・
とことんつきつめた恋をして大失恋をした人は、失恋の歌を聞けば、古傷をズキズキとうずかせる忌まわしい歌として耳をふさぐかも知れません。
このサイトの『愛のために死す』で紹介された高校の女性教師と生徒との恋(ガブリエル事件)はつきつめた恋の典型で、激しい恋は女性教師の自殺で終わりました。恋愛の本質に迫るような話で、2017年一番の感銘を受けました。
しかし石橋を叩いて渡るような小市民タイプの人々にとって、そんな激しい恋は、手の届かない高嶺の花です。手の届かない理由がわが身にあることに気づかないで、激しい恋にあこがれる。そして失恋の歌を聞いては、わが中途半端な失恋の体験を重ねて、楽しんでいる。人間ってそんなものですね。それでいいんですね。
投稿: 越村 南 | 2017年12月29日 (金) 16時36分
この歌を今の演歌歌手がねっとりした声で歌ったら、聴くに堪えなかったと思います。きれいな声できちんと歌われたから誰にも愛された歌になったのだと私は思います。
死にたくなるほどの恋に憧れはしましたが、実際はわが身が可愛くて、そこまで相手を愛することは出来ませんでした。相手の欠点を許せないと恋は成就しませんね。いつもどこかに冷めた目があって、駆け引きしてしまう人間には死にたくなるほどの失恋はないでしょう。そして年月を経てその失恋を楽しむなんて無礼な事かも知れませんが、それが普通の恋のような気がします。
昭和30年代には街中でながしの人を見ていました。本当に歌が好きでないと流しは出来ませんね。今でもどこかの酒場でギターをつま弾いている人がいるかもしれません。私は「湯の町エレジー」を聴いてみたいです。
投稿: ハコベの花 | 2017年12月29日 (金) 21時31分
私が山陰のとある町から関西へ就職した際、職場の先輩がこの歌をよく歌っておられました。三浦洸一さんや津村謙さんといった歌を今はなつかしいと感じる歳になりました。
投稿: 国境の春 | 2017年12月31日 (日) 20時05分
三浦洸一さんの「落葉しぐれ」をアップしていただき、ありがとうございます。三浦さんはことし御年90歳を越されたとか。三浦さんのこの歌は昔、必ずと言っていいほどNHKののど自慢で歌われ、当時小学生だった私もこの歌の響きに魅せられて、覚えてしまいました。端正な歌唱法・セミクラシック調で歌われた三浦さんのこの歌は、時々テレビで若手歌手が披露しますが、勉強不足で聞くに堪えられません。彼らに三浦さんの爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいです。私はカラオケの際には必ずこの大好きな「落葉しぐれ」を出して自己満足で歌っています。三浦さんのお元気な姿をまた拝見したいです。
投稿: 光男 | 2018年1月 8日 (月) 17時57分
8人程度しか座れない酒場の60半ばのママさんが、私が歌う「落葉しぐれ」を気に入って、帰り間際にもう一回聞かせてと頼まれて歌った唄でした。月に何度としか行かなかったけれど、行くと待ってたかのようにこの唄を頼まれました。
私の人生も相容れるものがあり、「裏町人生」「男の純情」が好きなように、裏側を歩いて表舞台に立ったことがないサラリーマン生活でした。歌っていてもその味を含んでいたのかも知れません。
この唄には、人生のほろ苦さ、哀愁を、「行間を読む」様な味わいがありますね。いろいろな人が座り、飲み、酔って帰って行く後ろ姿を酒場の女から見ていると、むしろ男だけでない人生の彩りを見えるのでしょうね。
ある夜のこと、常連ではなかった初老の人が、直接私にこの歌を歌ってくれと頼まれ、素人が歌う歌なのに、終わるとこんどは自分が歌うので添削してくれと頼まれました。後で判ったことでしたが、ママさんが私が来ない時の代人として、この70歳近い人でしたが頼んでいたのでした。そうまで好きだったのかと、ならもっと通って上げれば良かったと悔悟するのでした。女が歌えない曲なのよ……と、うっとりと聞いていた、この人は今は亡き彼方で、広島・流川の小さな物語でした。
投稿: 崇 | 2018年2月 1日 (木) 16時57分
崇さまがコメントされた「行間を読むような味わいがあります」、心を引かれる歌にはそのような趣きがありますね。また「女が歌えない曲なのよ・・・」と話されたママさん自身にも行間を覚えてしまいました。切なくなるほどの崇さまの歌声にママさんの世界が広がっていったのですね。
投稿: konoha | 2018年2月 1日 (木) 17時54分
「女が歌えない曲なのよ・・・と、うっとりと聞いていた、この人は今は亡き彼方で、広島・流川の小さな物語でした。」
昭和30年代 三浦洸一,青木光一、若原一郎、曽根史朗、 藤島桓夫 等々の若々しい歌声と懐かしい広島の町並みが目に浮かびます。
流川ですか・・・通う前に広島を離れちゃいましたけど、ネオン街には憧れましたね。
投稿: あこがれ | 2018年2月 1日 (木) 22時17分
〽旅の落葉がしぐれに濡れて 流れ果てないギター弾き・・・灯(ほ)かげもさみし螢光燈の・・・TV普及前の昭和20年代末期、名調子が各家庭のラジオから聴こえてきたものです。
二木先生の本曲解説「"落魄した人生"というものに惹かれるところがあり・・・上昇志向一辺倒の人、人生で失敗したことが(ほとんど)ないという人は、私は苦手です」に全く同感です!いくら功成り名を遂げようが蓄財しようが、名声や財産をあの世に持って行ける訳もなく、全ては“泡沫(うたかた)”です。(昔使っていたHNの)“アル中”人間のザレゴトで失礼しました。
(3601100…さん提供)http://www.youtube.com/watch?v=-QoTKcC-fvw
投稿: 焼酎 | 2018年11月 8日 (木) 12時37分
楷書の歌い方と言われる藤山一郎と三浦洸一、いずれも「真面目が背広を着て歩いているような人」ですが、この歌には人生の深いところの味わいが漂っているようで、胸に響いてきますね。
二木先生の解説がまたいい~。落魄した人生・・・まるで私の人生の一時期のうらぶれ感を投影しているような感じで、聞くほどにしんみりとしてきます。
決して かっこいい人生ではなかっただけに、やけに身に沁みます。
♪旅の落ち葉が~・・・♪
飲めない焼酎でも、ためしに飲んでみょうかな? ご同輩!
投稿: あこがれ | 2018年11月 8日 (木) 16時37分
意味もわからないままにこの歌に惹かれていました。五木寛之著、我が人生の歌がたりにも、鼓舞するような勇ましい歌よりも哀愁深い歌に人は励まされるという一節があります。貧しい子供時代ラジオから流れるこのうらぶれ感に慰められたものです。
歌と並んで素晴らしいのは二木先生の名解説です。
「上昇志向一辺倒の人、人生で失敗したことが(ほとんど)ないという人は、私は苦手です。そういったタイプは概してパーソナリティに陰翳が薄く、底の浅い感じがします。」先生の蛇足に唸りました。
投稿: りんご | 2019年8月23日 (金) 15時39分
「落ち葉しぐれ」昭和28年にヒットしたこの曲をその翌年に生まれた私が好きな歌だというのも何だか不思議な気がしています!
三浦洸一で、私が子供のころからずっと感じていたのは、当時大ファンだった横綱柏戸と顔がそっくりだと思っていたことでした。三浦洸一の顔に関取の大銀杏の髷をのせれば、もっと似ているような気がしていました(笑)。
この曲を作った𠮷田正はあまりにも有名な大作曲で知られていますが、この歌を作詞した吉川静夫は、私が26年前に購入した昭和の流行歌の別冊本の解説によると、20代で北海道の某小学校の校長になり、日本一若い校長として話題になったこともあった。紅陵、駒沢、立正の各大学で文学、哲学を専攻し、そのいずれも主席で卒業した。しかも文武両道で、剣道は5段の腕前だったそうです。
そして、私が知っているヒット曲だけでも、岡晴夫の「青春のパラダイス」津村謙の「流れの旅路」をはじめ「島のブルース」「女のためいき」「長崎ブルース」「池袋の夜」などがあります。
蛇足に載っている「弁天小僧」「踊子」「東京の人」もそうですが、昭和50年頃に毎年放送されていた懐メロ歌謡番組の常連で、上記の歌などを姿勢正しくして歌う三浦洸一の姿をテレビでよく観ていたことを想い出します。
「落ち葉しぐれ」この歌詞には1番から3番まで、夜の流しのギター弾きが出てきます。
長年、ギター愛好家の私ですが、ここで二木先生の奏でるメロディをじっと聴いていると、私が幼い頃に、流しを目指していた当時中学生の長兄を想い出したりして、この歌が深く心に沁み込んできます。
投稿: 芳勝 | 2019年8月24日 (土) 12時50分
りんごさま 芳勝さま コメント拝読いたしました。
共感しきりでした。ありがとうございました。
昭和28年9月は、私が中学一年になった年でした。
時折、ラジオから流れるこの歌を聴き流していましたが、回を重ねるうちに三浦洸一の美声とともにメロデイーと歌詞に引かれ覚えるようになり、いつしかしみじみとしたこの歌が心に深く染み入るようになりました。
時は流れ、独身時代、仕事でいやなことがあった時などは、よく行きつけの居酒屋に飲みに行ったものでした。
当時は現在のカラオケ時代ではなく、流しのギターやアコーディオン、数名の方々と懇意になり、3曲1,000円時代でしたが、リクエストをしたり、流しの方に誘われてこの曲「落葉しぐれ」を歌ったりしたものでした。ちなみに他に歌った曲では、「かえり船」「旅姿三人男」などでしたが、今、このコメントを投稿しながら、流しの方々の歌声が耳元に聞こえてきそうで懐かしく思い出しながら胸に熱いものを感じている次第です。
二木先生の蛇足、そして名演奏の素晴らしさには感激あるのみで感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。
投稿: 一章 | 2019年8月24日 (土) 19時35分
一つ質問させて下さい
2番にあります
♪あの日も君も かえらぬものを
呼ぶな他国の 夜のかぜ
ここの「呼ぶな他国の 夜のかぜ」は、どういう意味になるのでしょうか
よろしくお願いします
投稿: 崇 | 2020年2月28日 (金) 06時54分
わたしは故郷を遠く離れた土地で、ひとり夜風に吹かれている。そしてまたもや思い出している、あの幸せだった日と、去って行った人を。ひょっとして大声で読んだら、あの日とあの人がもう一度帰ってこないものだろうか。しかし過去は二度と帰っては来ないのだ。人生の現実はこの夜風のように冷涼なもである。だから、帰ってと、呼んではいけないんだよ、わたしの心よ・・・・・。
投稿: Bianca | 2020年2月28日 (金) 15時55分
崇様の「呼ぶな他国の 夜のかぜ」の『他国』とは、多分ギター弾き(主人公)の生まれ故郷のことではないでしょうか!
それは、ずいぶん昔、私はご年配の方に、あんたは何処のくに(故郷)の生まれ?と尋ねられたことがありました。
『夜のかぜ』については、先のBianca様のコメントに、故郷を離れてきたギター弾き(主人公)の辛く切ない心情が、より巧く表現されているように思います。
「落葉しぐれ」この唄を聴いていると、歌詞の中の情景が仄かに浮かんできて、そしてこのギター弾きの心情を思うと、このメロディが私の胸には深く沁み込んできます。
投稿: 芳勝 | 2020年2月28日 (金) 17時40分
有難うございます
Biancaさん
芳勝さん
ご両人の解説から、ほのかに、この部分のイメージが湧いてきました
「他国」が邪魔をしてたようです
かつて良き想い出、夢を懐いていた、希望をかなえられる、今の自分のなりふりからみると、あの良き地であった処を振り変えさせないでくれ……、風が運んでくれるかもしれないが、思い出して、よけいに辛くなるから
このままにしておいてくれ……
でも、気持ちが残っている、忘れられない
と、このような含みがあるんだなー、
いよいよ、心に染み入る唄と、大切にします
つたない理解ですが、お礼を申し上げます
少しばかり、気持ちが軽くなりました。
投稿: 崇 | 2020年2月28日 (金) 22時18分
暑い夏が過ぎ、落ち葉が目立つような頃には、この心に沁みる哀愁深い「落ち葉しぐれ」を歌っていました。
今朝の新聞に三浦洸一さん(97歳)の訃報が掲載されています。正統派の歌い方が好きでした。
ご冥福をお祈りいたします。
投稿: けん | 2025年1月22日 (水) 09時04分
今朝、新聞を見ていましたら、三浦洸一さんの訃報が載っていました。”三浦洸一さん死去 97歳、「落葉しぐれ」”とありました。
私にとっても、三浦洸一さんといえば、やはり、先ず『落葉しぐれ』 を思い浮かべます。まだ、中学生でしたが、折り目正し歌声を聴きながら、歌うなら、このように歌いたいなあと思ったものです。
その後、東京での学生時代には、寮生活の中で、夜ともなれば、蛮声を張り上げて仲間と良く歌いました。懐かしく思い起こします。
『東京の人』(佐伯孝夫 作詞、吉田 正 作曲、三浦洸一 唄 S31)
『大阪の人』(佐伯孝夫 作詞、吉田 正 作曲、三浦洸一 唄 S33)
『純愛』(東哲子 作詞、渡久地政信 作曲、三浦洸一 唄 S33)
『桜の園』(喜志邦三 歌詞、大野正雄 作曲、三浦洸一 唄 S34)
三浦洸一さんのご冥福をお祈りし、感謝の気持ちを捧げたいと思います。
投稿: yasushi | 2025年1月22日 (水) 10時24分