愛ちゃんはお嫁に
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:原 俊雄、作曲:村沢良介、唄:鈴木三重子
1 さようなら さようなら 今日限り |
《蛇足》 昭和31年(1956)5月、テイチクより発売。
大ヒットしたので、日活が映画化しました。公開は翌年の4月10日。
「愛ちゃんは俺らに嘘ついた」とありますが、このあたりは微妙ですな。はっきり心変わりされたという場合もありますが、好感を示したにすぎない言葉を、「好きだ」と受け取ったという場合もあります。若いときほど、早とちりしがちです。
ウチの次女も"愛ちゃん"です。大学を出て2年目に、勝手に相手を見つけて、とっとと嫁にいってしまいました。その娘も、すでにアラフィフ。
「おーい、愛ちゃ~ん、帰ってきてもいいんだよー」
(二木紘三
コメント
小学生の頃を思い出しています。
私事で恐縮ですが、当時から自分は音程が確かなほうで、春日八郎さんの「別れの一本杉」とか色々な大人の流行歌を、いわゆるボーイソプラノで 歌の意味もわからぬままに歌っていた記憶があります。
この歌はとくに自分が好きなわけでもなかったのですが、今聴いてみて、二木様の演奏に合わせて全部歌えましたよ。
懐かしいものです。あの頃 私たち家族は今とは別の家でしたが皆んな揃って、平凡ですがそれなりに元気で仲良く、暮らしていたのですよ・・。
投稿: 福田 健治 | 2018年2月11日 (日) 23時25分
「愛ちゃんはお嫁に」を二木先生が「うた物語」でアップされビックリしました。
私は中学生になりたての頃、よく歌っていました。私は一応 硬派ぶっていましたので女の子への「好き」の意思を心の中にしまい、無関心を装っていました。
20歳半ばごろでしょうか。「仲人さん」から「息子さんにピッタリのいいお嬢さん」のお話が母の元に届きました。
仲人さんは出しゃばり?だったかどうか わかりませんが、よく家に来ていました。私は見合い結婚しました。
私の一人娘が大学時代、しかも私は4回目の単身赴任中に 1枚のFAXが届きました。
「お父さん この度 〇〇 〇君と結婚します」
突然娘から初めて聞いた「結婚・相手の名前」。まさに晴天の霹靂でした。 その後 相手さんのご両親を交え6人で食事会をしました。
今 その娘も2人の子供を持つ母親になりました。
私も二木先生と一緒に「愛ちゃ~~ん お父さん 待ってらっしゃるよ」を!(父親の心境 分かる気がします)
投稿: けん | 2018年2月12日 (月) 09時37分
今年古希のお祝いで小学校の級友が集まることになりました。
可愛い愛(子)ちゃんとは家も近くにありながら幼稚園、小学校、中学校と話したことなかった。
この歌が流行っていた時、僕だけでなく、皆、愛子ちゃんのことを思い浮かべていたに違いありません。
愛ちゃんには田舎を離れてからも会ったことありません。
彼女、出席するだろうか。楽しみだなぁ~。
その他何人かの女の子の顔が浮かびます。
懐かしいなぁ~。
投稿: yoko | 2018年2月12日 (月) 09時53分
うちは息子2人(ともに所帯持ち)だけなので、二木先生、けん様のようにお嬢さんがいる親御さんの気持ちは外野から想像しかできないですが、お嬢さんを嫁にやるというのはさぞ寂しかったことと思います。
見合い結婚だったうちのカミさんからは女心が判らないただの酒飲みとしか評価されていないのが寂しい限りです。秘書兼運転手を足蹴にして全治何カ月だかの傷害事件を起こした猛女(元国会議員)もいましたが、その親御さんはどういう気持ちでいるんですかね?本曲に直接関係ない駄文投稿失礼しました。
投稿: 焼酎 | 2018年2月12日 (月) 11時13分
本当に帰って来て親をこき使う娘さんだったらどうします?不用意に言わないほうが無難でしょうね。
お父さんが大金持ちで好き勝手させる事が出来れば「帰って来いよー」と言っても良いのですが、大半の奥様方が実家にお帰りになってしまうでしょう。ああ、私も帰りたい!!愛ちゃんでないのが残念です。
投稿: ハコベの花 | 2018年2月12日 (月) 12時04分
離婚した娘に帰っておいでと言ったら、昨年の春に16歳、12歳、10歳の子連れで戻ってくることになり改築してから我が家は6人家族になりました。同居し始めたころ、勤めている娘が大変だろうと思って、色々手を貸そうとしたのですが、余計なことをするなと、きついお達しがありました。(反面教師だったのかな〜)なのでこき使われてはいませんが、それはそれでちょっと寂しい気がしないでもありません・・・ 私も年々、歳を取っていきますので、これでいいのかもしれませんね。
投稿: konoha | 2018年2月12日 (月) 13時58分
原俊夫という差出人で、ある日テイチクに「きつねの嫁入り」という童謡が投稿され、その素朴な題材を気に入った作曲家:村沢良介が手をひねり、曲をつけたという、愛ちゃんはお嫁に♪、幼少の頃には、この歌がラジオからよく流れていました!
「ひと雨キツネの お嫁入り」の歌詞が、仄かな童謡の面影を感じさせてくれます。
我が家では、長男と次男に恵まれた後、8年が経ってから、愛娘を授かりました。予期しなかったその嬉しさに、私は心の中で、神に感謝した事を覚えています!
その娘が3才の頃、一緒に行ったコンビニで、チョコのお菓子を買ってあげ、娘がレジのおじさんに、これちょうだい!と渡した時、娘を私の孫だと思ったそのおじさんは、今日はイイネ~お爺さんにチョコ買ってもらって~と笑顔で言った時、娘は少し、怒った顔になり、大きな声で、ちがうよ!お父さんだよ!と言って、そのおじさんをチョッピリ睨んでいました。傍にいた私の方は、そう見られても仕方ないのかなあ~とは思っていましたが、口を尖らしたままの娘に、おじさんはマゴマゴしながら、ゴメンネと何度も平謝りをしていました。そんな娘を見て、少し嬉しかった時の、その光景が、懐かしく思い出されます。
そんな娘も、愛する人とめぐり合い、昨年、横浜へ嫁いで行きました。今年の正月に夫婦そろって、我が家に訪ねて来た時、妻の家事支度を手伝ったりしている、人の嫁になった娘のふるまいや、しぐさを見ていても、私が、仕事から帰り、晩酌する時には、必ず膝に乗せていた頃の、幼く可愛かった娘の姿が、頭からは離れていませんでした。そして我が家に宿泊し、翌日、明るい笑顔で帰って行った、幸せそうな娘の姿を見て、ほんの少し安心しました。
投稿: 芳勝 | 2018年2月12日 (月) 15時22分
小学生の頃に山を5つも6つも越えて行った山に母方の親戚があり、そこの18歳位のお姉さんが「愛ちゃん」という名前だったので、本人の前でこの歌を唄い捲ると愛ちゃんは顔を真っ赤にさせて「はずかしいわ」と言っていました。懐かしい思い出の歌です!
投稿: 行本博史 | 2018年2月12日 (月) 17時59分
皆さま、いきなり失礼ですが
多くのコメントを拝見し、何か懐かしく感無量です。それにしてもホントに様々な思い出や出来事があったんですね!
実際 この歳まで生きてくると、多くの体験や出来事が記憶に蓄積し、しかしその割には 我々はその色んな事をいちいち思い出し考え込むでもなく、これまで過ごして来たんじゃないでしょうか?
戦後復員してきた多くの若者(我々の父親たち)が一斉に所帯を持ち、私もその例に漏れず 生まれた訳ですが
いやはや、あの頃は街のそこかしこに同じような年頃の少年少女がひしめいていましたね。あれは戦後日本の始まりの時代。 とくに昭和30年代、よかったですね。懐かしいです。
投稿: 福田 健治 | 2018年2月12日 (月) 19時12分
嘘ではないです!勝治さん。
嘘ではない・・・、決して嘘ではない。
あなたも分かってるくせに・・。
でも・・、でも・・、
どうしようもなかった。
ごめんなさい。本当にごめんなさい。
さようなら、勝治さん。さようなら。
投稿: maveric | 2018年2月14日 (水) 14時36分
「愛ちゃんはお嫁に」は少々茶化すような曲想の中に 実は哀しい真実が見え隠れする・・当時は何かそんな風に受け流しつつ、むしろ毎日の生計を立てるために、おとな達は無心に働いていたんでしょう。そんな世相だったんですね。
では mavericさんの詩作には程遠いですが、私も・・
昭和っ子の桂子ちゃん
あれから元気にしていたのかな
今になって 昔のことを思い出させて、ごめんね
あの頃はどうにも出来なかったこと
きみも 憶えてるでしょ?
でも さようならもきちんと言わなかったし
知らん顔したままで、本当に、ごめんね。
投稿: 福田 健治 | 2018年2月14日 (水) 19時00分
この歌は、あの頃の世相をよく表していると思います。男女、特に男は今よりももっと、好きなのにはっきり言い出せない。そのうちに愛ちゃんは知らずに、いや、うすうす感じていたのにちっとも言ってくれないから、私に気が無いのだと思って結婚を決めてしまう。あの頃は見合い話を持って来てくれる親切な(出しゃばりな)おばさんがいましたよね。今は、少しはそんなおばさんが居てくれればいいのにと思っている男女もきっといると思います。特に、今は当たり前のようになっている三十過ぎの娘や息子を持つ親はそうでしょうね。
そして、奥手な田舎の素朴な男性が、あの頃は多かったように思います。
お父さんは、所詮娘には弱いから、そして無責任に愛するから、いつまで経っても「帰ってこいよ~」って言いたいんですよね~。
投稿: 吟二 | 2018年2月14日 (水) 21時11分
いつだったか、オジサンが父の家に遊びに来ていて父と世間話をしていたとき、父がふいにオジさんが羽織っていたカーディガンをみて「それ良いね・・・」と言ったところオジさんは「M子が買ってくれた」と言ってニタリとしました。オジさんはさらに追い打ちをかけるように、「M子はこのネクタイも買ってくれた」と言いました。オジさんの勝ち誇った嬉しそうな顔、片や父のしょんぼりとした情けなさそうな顔。父は「女の子は良いなぁ、うちは男だから・・・」と呟いていました。
Mちゃんは僕より一才年上の明るくてかわいい女の子でした。少年時代の僕のあこがれの女の子でした。今年も年賀はがきをおくりました。
投稿: yoko | 2018年2月19日 (月) 11時39分
yokoさん 素敵な思い出ですね。
>Mちゃんは僕より一才年上の明るくてかわいい女の子でした。少年時代の僕のあこがれの女の子でした。今年も年賀はがきをおくりました。
yokoさんの あこがれの人いつまでも明るく可愛く!
古希の祝いで愛子ちゃんはじめ懐かしい級友にお会い出来たらいいですね。
焼酎さん
娘が生まれて半年くらいの頃、或るイベント会場で娘をみた知らないシニアのおばちゃんが「あら 可愛らしい坊ちゃん」と言いました。
若気の私は「この子は女の子です」とムキになって言い返しました。「女の子だから可愛い」と言って欲しかった。あとで声をかけてくれたシニアのおばちゃんに悪い事を言ってしまったと・・・と反省しました。
化粧品のセールスで活躍した先輩から 可愛い赤ちゃんを褒めるにはまず「可愛いですね。女のお子様ですか?」と言うのが無難なセールストークだと教わりました。
その子が「男の子」だったら「女の子のように可愛らしいですね。上手に育てられましたね。」と褒めまくれと。
焼酎さん スミマセン。女の子は母親になっても親父の私からみれば可愛い娘です。
投稿: けん | 2018年2月19日 (月) 20時24分
けん様 >女の子は母親になっても親父の私からみれば可愛い娘です
よく分かります。年齢や未婚/既婚を問わず、お嬢さんがいる家庭は大抵そうだと思います。
うちでも五十近い息子二人は親父から見れば今でも可愛い?はなたれ小僧です。
投稿: 焼酎 | 2018年2月19日 (月) 23時45分
ハコベの花様のコメントで思い出しました。
私の母が一人暮らしをしていたとき話していたことがあります。
〇〇さんは90才を過ぎていらしたけれど一人暮らしされていた。
娘さん夫婦が心配だからということで戻ってきて同居されたそうなのですが、なぜか大喧嘩になって娘さん夫婦は追い出されてしまったのだそうです。
こんな元気なお爺さんになりたいものです。
そこで毎日階段を歩く練習を続けています。
投稿: yoko | 2018年2月20日 (火) 14時40分
大正末から昭和初めの方は、そりゃ凄いでしょうね。なにしろ終戦時に20歳前後だったんですから。
考え方も体験したことも何もかも 戦後生まれとは全然別物、そこへもってきて我々は戦後日本の常識だけで、しかもその価値観に自信持ってる訳でしょ? だからその2世代の発想の違いが、親子といえども組み合わせによっては相当に食い違うケースもあるんでしょうよ。
90歳過ぎのご老人がかんかんに怒る・・そして「出ていけ!」と。 凄いな・・遂に堪忍袋の緒が切れたんでしょうね。気骨稜々たるご老人は、すでに覚悟を決めておられたのかもしれませんよ。平和を貪ってきた我々も、何か見習うべき事があるような気がしますが。・・
投稿: 福田 健治 | 2018年2月26日 (月) 23時47分
「あら 可愛らしい坊ちゃん」と言われた娘が二児の母親となり 数年ぶりに広島から我が家の近くに引っ越してきました。
ジジとババ人だけのユックリした生活をしていました。
マンションの内装で風呂取り付けで3日間を要することになりました。
「3日目は新装なったお風呂にはいれる。2日間は どうしよう」と物忘れの多くなった頑固な頭で数日考えていました。「近くの温泉施設に行こうか。いや日中は業者が作業しているので家を空けられない」、「夜、銭湯に行くのは寒いし、心臓に悪い・・」、「娘の家に風呂を貰いに行こうか」と。
偶々買い物の途中で立ち寄ったアラフォーの娘に話したところ、娘曰く。
「2日間のお風呂は 1日だけ我慢して、後 1日は朝風呂にしたらどお?」と。なるほど 朝風呂は温泉旅行で入るものと思っていた私の頭の頑固さに気づきました。朝風呂は血流がよくなり 健康にもよさそうです。
義母の法事の前日 極寒、寒風で出かけようかどうか迷っていた時、娘は私達に代わり「お墓の清掃」に行ってくれました。
娘の2人の子供にはTVより読書を薦め、携帯も高校生になるまでは買い与えていないようです。娘も家族がありその家族の生き方に私達も口をはさまないにしています。
「スープの覚めない距離」までなら・・・大歓迎。
然し 娘家族は近々 外国勤務になるようです。
投稿: けん | 2018年2月28日 (水) 09時57分
「愛ちゃんはお嫁に」私はこの唄が大好きなので時々このページを開いては、けん様・焼酎様・yoko様のコメントをあえて読み返すことがあります!
今日も皆さまから寄せられたコメントを拝読していて、微笑ましいのと同時に、私もふとあることを想い出しました。
それは数年前のある日ことですが、現在横浜に居る当時独身だった娘のことを妻と話している中で、そろそろあの子も年ごろだから彼氏でもできるといいのだけれど?と私は余裕で妻に話したことがあります。
するとその数日後のことですが、いつもは妻にかかってくることがほとんどなのですが、その日は娘が私に用事だとのことで、何だろうと思って私が電話に出たところ、娘が口にしたのは今度お父さんに会って欲しい人がいるので、二人で家を訪ねたいという言葉でした。
電話を切ったあと私を襲ってきたのは一体どんな男性を連れてくるのだろう?という強烈な不安でした。情けない(笑)
当日、娘が連れてきた初対面の男性から緊張気味に挨拶をされた私が思わず最初にかけた言葉は、娘をよろしく頼みます!という言葉でした。その瞬間の娘たち二人の安堵の表情は今でも憶えています。
後日妻に聞いた話ですが、実は妻は何度かその男性に逢ったことがあり、私が逢えば必ずその男性を気に入ってくれると確信していたとのことで、私には内緒にしていたそうです。そんなこととは少しも知らずに只々心配していたのは私だけでした。(笑)
その娘が今日の友人の結婚式出席のため、昨晩遅がけに一人で我が家に泊りがけできていますが、娘の元気そうな顔をみるとやはりホットします。今夜は久しぶりに娘と一緒に夕食を囲みます。
もうじき三十路になる娘ですが、保育園のチュウリップ組の参観日に私が唯一初めて参加した3才だった時の娘の姿を今でも想い出してしまいます。
「愛ちゃんはお嫁に」この唄は主人公太郎の悲しさと切なさを唄っていますが、そのメロディには幼い頃にこの曲を聴いていたそのころの懐かしさと、また何処かにほのぼのさを感じさせるやさしい雰囲気があります。
投稿: 芳勝 | 2020年6月27日 (土) 16時02分
私の娘の名は「愛ちゃん」ではありませんが大学を出てあっという間に職場結婚してしまいました。孫は双子の女の子でしたが男には負けたくないとすぐに職場復帰しましたので保育園の迎えはバイトを終えた家内が毎日東京まで通っていました。今大学生ですが声が娘そっくりになって来て家内でも聞き分けが付かないと言い出したのでLINEにしました。毎日3人で40分喋っています。何を喋る事があるのか言いたくなりますが、これも女性蔑視か。男が霞んで行くようで・・・イギリスの鉄の女だって余計な事は喋らなかったと思うが?
投稿: 海道 | 2021年5月 2日 (日) 19時17分