おおブレネリ
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
スイス民謡、日本語詞:松田 稔、補詞:東大音感合唱研究会
1 おおブレネリ あなたのお家はどこ 3 おおブレネリ わたしの腕をごらん 4 おおブレネリ ごらんよスイッツランドを (原詞:Zyboeri)
(英語詞) (注:各聯1行目にあるprayは「どうぞ」の意) |
《蛇足》 敗戦後、キャンプやハイキングなどの際に歌われ、歌声喫茶での愛唱曲の1つとなり、音楽の教科書にも載ったので、たいていの人が知っていると思います。
日本では代表的なスイス民謡とされていますが、本国での位置はかなり曖昧です。
ツィベリ(Zyboeri)というスイス国民軍の中尉が、古いスイス民謡に新たに歌詞をつけた"O Meiteli, liebs Meiteli(オオ メイテリ、リープス メイテリ)"が原曲。
ツィベリは1910年、この曲をシートミュージックとしてルツェルンで出版しました。しかし、ほとんど売れず、レコーディングもされませんでした。第一次大戦中に国境を守る同僚に贈ったところ、兵士たちに愛唱されたという話が伝わっている程度です。
原詞はドイツ語で書かれていますが、スイスのドイツ語は標準ドイツ語(高地ドイツ語)とは相当異なっています。日本でいうと、標準語と鹿児島弁ぐらい違っている感じで、読むのに苦労します。
タイトルのMeiteliは、Meit(娘)に指小辞の-eliがついたもの。指小辞は、「小さい」と「かわいい」のニュアンスが重なった接尾辞で、標準ドイツ語の-chenや-leinに当たります。
ですから、Meiteliは「娘さん」で、O Meiteliは今風にいうと「おーい、カノジョォ」ということになりましょうか。
たまたまこのシートミュージックに目をとめたアメリカ人が故郷に持ち帰りました。それが歌詞・曲とも何度か改作された末、"O Vreneli(オオ ブレネリ)"というタイトルで、ガールスカウトの歌集"Ditty Bag(小曲集)"に収録されました。
以後、ガールスカウトのみならず、さまざまなレクリエーションの場で歌われるようになりました。
Vreneliは、スイスの伝統的な女性名Vreni(フレニ)に指小辞の-eliがついたもので、フレニちゃんといった感じになります。
Vはドイツ語では「フ」なので、フレネリとなるはずですが、日本にはアメリカから入ってきたので、ブレネリで定着したのでしょう。
英語版の歌詞について見てみましょう。1番には、原詞の意味がかろうじて残されていますが、2番、3番はいくつかのヴァースが省略されて意味が取りにくくなっています。
これは、訳詞者が、原詞の2番、3番は少年少女が歌うにはふさわしくないと判断したからでしょう。
たとえば、2番の「私は輜重兵(しちょうへい)のラッパ手に初めての喜びをあげたのよ(do ha-n-is der erste Freud im Traengtrommpeter gschaenkt)」は、あからさまにいえば、処女を捧げたということでしょう。女性が自ら身を捧げたかのようになっていますが、古代から現代に至る軍隊の女性に対する所業を考えると、「……された」というのがほんとうのところでしょう。
そういったことが感じられるので、あえてマザーグースのような意味不明な歌詞にしたのだと思われます。
なお、英語詞でも、上のものとは別の、意味の通る歌詞がいくつかあるようです。
この歌が日本に入ってきたのは、昭和24年(1949)です。このころ、日本リクリエーション協会の会長を務めていた松田稔は、アメリカのYMCAからリクリエーション指導のために派遣されてきたR.L.ダーギン(Russel.L. Durgin)から1冊の歌集をもらいました。その歌集に、『おおブレネリ』が掲載されていたのです。
これはすばらしい歌だというので、松田稔が1番だけに日本語詞をつけて発表したところ、すぐにリクリエーションの集まりや歌声喫茶で歌われるようになりました。さらに、NHKラジオで放送されて、多くの人たちに愛唱されるようになったのです。
1番だけにしたのは、2番、3番は意味不明で訳しにくかったからでしょう。そのころは、"超訳"といった概念もなかったでしょうし。
このあたりの事情については、ワイズメンズ国際協会東日本区の会報"Historian's View No.10"に吉田明弘氏が詳しく書いています。ワイズメンズクラブとは、YMCAと連携して奉仕活動を行うキリスト教系の国際団体です。
松田稔が作ったのは1番だけでしたが、その後東大音感合唱団が3聯付け加えて、4番までとなりました。
付け加えられた部分は、一見童謡風ですが、このころ盛り上がっていた「うたごえ運動」の趣旨、主張がはっきり読み取れます。
うたごえ運動は、シベリア抑留中に共産主義の洗礼(洗脳?)を受けた人たちを含め、左翼系の活動家たちによって進められた大衆的政治運動・社会運動で、ロシア民謡(歌謡)や反戦歌、革命歌、労働歌などがよく歌われました。
そうした歌の1つに『民族独立行動隊の歌』(きしあきら作詞、岡田和夫作曲)があります。
1番は「民族の自由を守れ/決起せよ祖国の労働者……民族の敵、国を売る犬どもを……」となっています。
当時日本は連合国、実質的にはアメリカの占領下にあり、GHQ(連合国軍最高司令部)とそれに追従する政府への闘いを呼びかけた歌でした。その趣旨を童謡風にしたのが、ブレネリの2番以下と見ることができます。
いっぽう、スイス民謡ということで、14世紀初頭にオーストリアからの独立を勝ち取るために戦ったヴィルヘルム・テルなどの活動を歌ったものではないか、という人もいます。そうだとすると、おおかみはオーストリア代官のゲスラーということになりましょうか。
日本でもアメリカでもよく知られた歌ですが、本国のスイスではどうも非常に影が薄いようです。
昭和44年(1969)、スイスのケルンザー少年合唱団(Kernser Singbuebe)が日本で公演することになった際、日本側から『おおブレネリ』がリクエストされました。
ところが、スイスではこの歌を知っている人が見つからず、レコードもなかったので、大変困ったそうです。
たぶんこの歌だろうと思われた歌を一生懸命練習して、本番で歌いましたが、日本人が知っているブレネリとは大幅に違っていたので、不評だったといいます。
私も、こんな経験をしました。昭和54年(1979)の夏、私の一家は友人の一家とヨーロッパに3週間旅行しました。ルツェルンに滞在していたとき、友人の取引先のスイス人W氏が、マイクロバスでやってきて、ルツェルン周辺の景勝地を案内してくれました。
その車中で、うちの子ども2人と友人の子ども2人(いずれも小学生)、妻2人が『おおブレネリ』を合唱しました。W氏への感謝のつもりだったのでしょう。
W氏の反応は意外でした。「スイスのブレネリとはずいぶん違うな」というのです。
私は、メロディの一部分が違っている程度だろうと思いましたが、彼はどうもケルンザー少年合唱団と同様、日本で歌われている『おおブレネリ』は知らなかったようでした。
最近調べたところ、スイスには"Mir alli heisse Vreneli(みんなわたしをフレネリと呼ぶ)"など、フレネリの付く歌がいくつかあるようです。
ケルンザー少年合唱団の日本公演から約50年、私たちの旅行から約40年、スイスでは日本・アメリカ風の『おおブレネリ』は歌われるようになったでしょうか。スイス在住の方がいらっしゃったら、教えていただきたいものです。
なお、ケルンザー少年合唱団は、現在では日本やアメリカのとほぼ同じ『おおブレネリ』をレコーディングし、歌っています。
(二木紘三)
コメント
二木先生
こんにちは
なつかしい曲ありがとうございます
中高のころは 集まりがあると
必ず 歌ったと記憶しています
ヤッホ ホトゥラララ
ヤッホ ホトゥラララーーー
ほんとうに 懐かしく 楽しくなります
あぁ こんな時もあったのだなぁーーと
みんなで 楽しく 気持ちよく
このような曲を 何の屈託もなく大きな声で歌えるような
そんな時代になってほしいですね
投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年3月 2日 (金) 12時48分
こんばんは。この歌は私が大学2年頃です。従姉妹の子が中学生だった頃に、この歌を歌いました。私は知らず「これ、何」と聞いたものです。きっと「この大学生、知らないな。こんなところに行かないぞ」と思ったことでしょう。その子は私とは違うところに行きました。今なら「おおブレネリだ」と言えたと思います。
投稿: 今でも青春 | 2018年3月 3日 (土) 21時01分
はじめまして。
私のブログにローレライの歌詞を使わせていただきました。日本語訳とドイツ語訳の対比が大変面白いと思ったものですから。
ついでといってはなんですが、「おおブレネリ」は私が30年以上住むドイツでも、過去に10年間住んだスイスでも、知られておりません。歌詞をうろ覚えだったので、メロディーと、レフレインのところだけ歌いましたが、誰も知らないようだったので不思議に思っていました。
今回ご説明を読んで、初めて納得したしだいです。
投稿: みちこ | 2018年7月19日 (木) 20時19分
長崎のsitaruです。「おおブレネリ」は、小学高学年の頃、音楽の教科書に載っていて知りました。明るく軽快なリズムが好きで、今も小鳩くるみさんの歌唱などでよく聴きます。
ところで、この歌の訳詞の中の言葉には、他のほとんどの歌唱には見られない言葉が使われています。それは、そんなに特別な言葉では無く、私たちが日常的に使っている言葉で、二番の歌詞、
おおかみ出るので こわいのよ
の「ので」です。「ので」は、文法的には「原因・理由を表す接続助詞」に分類されます。この「ので」は、実は歌唱曲にはほとんど使われず、同意味の「から」が圧倒的使用率を誇ります。私は長いこと歌唱曲を聴いて来ましたが、これまで「ので」を使った歌唱は、数曲しか見出していません。この「おおブレネリ」のほか、これも外国曲の訳詞ですが、「フニクリ・フニクラ」の、
登山電車が出来たので 誰でも登れる
さらに、戦後の新童謡の「やぎさんゆうびん」の、
仕方がないので お手紙書いた
を見付けました。流行歌となると、見出すのが一層困難で、わずかに、さだまさしさんの「雨やどり」(1977)の中の歌詞、
仕方がないので 買ったばかりのスヌーピーのハンカチ貸してあげたけど
でもさわやかさがとても素敵だったので そこは苦しい時の神頼み
の2例のみです。もちろん、私の収集力には限界があり、1990年代以降の流行歌はあまり聞いていませんので、まだほかにも用例はあると思います。それにしろ、日常語と歌唱曲とのこの大きな相違は争えません。それは何故なのか。原因・理由を表す接続助詞「から」と「ので」は、よく似てはいますが、用法に違いがあります。よく知られているのが、「ので」は、それが接続する前の部分(これを「前件」と言います)と、後に続く部分(これを「後件と言います」に客観的な内容が来ることが多く、「から」の場合には、特に「後件」に主観的な内容が来ることが多いという説明です。例として、
明日は日曜日なので、学校へは行かない。
明日は日曜日だから、町へ遊びに行こう。
を挙げましょう。後ろの例のように、「後件」に意思、推量、勧誘、禁止、命令などの表現(この例の場合は意思)が来ると、「から」になり易くなります。歌唱曲の場合は、歌い手の心情や願望を表現する歌詞となっている場合が多いので(ここは「ので」ですね)、「から」が使われ易いということでしょうか。
このように、歌唱曲は、様々な歌い手による歌唱そのものを楽しむことが第一ですが、歌詞の中の言葉に着目して、「この表現は他の曲ではどうなっているのだろう」という関心の持ち方をすると、それまであまりか好きでなかった曲、知らなかった曲も調べてみようという気が起こりります。みなさんも、是非この観点から、様々な歌唱曲を聴いてみて下さい。
投稿: sitaru | 2020年8月22日 (土) 20時21分
長崎のsitaruです。前回、原因・理由を表す接続助詞「ので」は、歌唱曲に現われにくいというお話しをしましたが、その後また例外を見付けました。たまたまネット動画で見つけた、高田美和さんのセカンドシングル「アロンスイー雨の街」(1965年5月)の一番の冒頭、
恥ずかしいので 怒って見せる
という例です。私はこの曲を全く知りませんでした。大ヒットした曲しか聞いて無い所があり、まだまだ用例は見つかりそうです。見付けられた方は、ご一報いただけると幸いです。
投稿: sitaru | 2020年8月29日 (土) 00時09分