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2018年5月15日 (火)

若者よ恋をしろ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:関口峭市、作曲:仁木他喜雄、唄:中島 孝

1 若者は恋をする
  身分やお金はないけれど
  恋すりゃ希望も湧いてくる
  此の世のパラダイス
  どんなに苦労があったとて
  くよくよするなしわがよる
  泣きっ面には蜂がさす
  笑って生きようぜ
  何がなくてもしわのない
  若さと恋がありゃ
  辛い浮世も 楽しく生きられる
  若者よ 恋をしろ
  身分やお金はなくっても
  恋すりゃ希望も湧いてくる
  此の世のパラダイス

2 若者は恋をする
  身分やお金はないけれど
  恋すりゃ希望も湧いてくる
  此の世のパラダイス
  どんなに苦労があったとて
  若い時代は二度と来ぬ
  腰が曲がっちゃ仕方がない
  元気で生きるのさ
  若さと恋がありゃ
  此の世に敵はない
  歌と笑顔で楽しく生きられる
  若者よ 恋をしろ
  身分やお金はなくっても
  恋すりゃ希望も湧いてくる
  此の世のパラダイス

  どんなに素晴らしい
  此の世の宝より
  素敵な素敵な若さと恋の味
  若者よ 恋をしろ
  身分やお金はなくっても
  恋すりゃ希望も湧いてくる
  此の世のパラダイス

《蛇足》 昭和29年(1954)7月1日にコロムビアレコードより発売。
 その3日後の7月4日に公開された東映の青春現代劇『若者よ恋をしろ』
(佐伯清監督)の主題歌。

 些末なことですが、Webで見ると、歌・映画ともタイトルの「若者よ」のあとに感嘆符が入っているものといないものとがあります。
 歌については、JASRACのデータベースでは、感嘆符なしが正題となっています。
 映画については、一般社団法人日本映画製作者連盟のデータベースでは、タイトルに感嘆符はついていないし、映画ポスターにもありません。もしかしたら、映画本編のタイトルには感嘆符がついていたのかもしれません。

 「恋をしたいなあ」という声をよく聞きますが、勉強や仕事と違って、恋は「さあやろう」と思ってもできるものではありません。恋は、いつとは知れず、心の中に小さな灯が点ることから始まりますが、その灯を点すのは自分自身です。
 いいかえれば、まず自分が誰かに心をときめかすこと、あるいは憧れることが必要です。誰かが小さな灯を点してくれる
を待っていたのでは、いつまでたっても恋は始まりません。

 実際、青春時代に恋をすると、世の中が違って見えてきます。世界は光に満ち、通行人や木々、草花までが自分に笑いかけているように感じます。
 その代わり、恋を失うと、プラス100点だったものがマイナス100点になってしまいます。合計200点のダメージを受けるわけです。
 若いころは、心の揺れ幅がやたら大きいものです。というか、心の揺れ幅の大きい人生の一時期を"青春"と呼ぶのでしょう。

(二木紘三)

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コメント

私はこの歌をエノケンが歌っているのを最初に聴いたような気がします。何かのドラマか、映画だったのか定かではありません。面白い歌だとおもいました。
私が最初に恋をした相手は雑誌、中学時代のグラビアに載っていた、ゲインズバロの青衣の少年でした。なんと美しい人だろうと毎日眺めていました。上品できりっとしていてこんな少年に出会いたいと思っていました。初恋かも知れません。それから2年後、憧れの美青年が現実に私の前に現れました。ただ見つめるだけでした。この世はパラダイスとはいきませんでした。相思相愛になるのには子供過ぎました。見つめるだけの恋も良いものです。彼は永遠の青衣の少年で私の心の中に棲み続けています。

投稿: ハコベの花 | 2018年5月15日 (火) 22時28分

この歌は、昔々、良く歌いました。
昭和29年といえば、中学校2年生でした。
心の揺れ幅が小さくなっても仕方がない年頃ですが、いまだに何かを求めて あがいているような気がします。
少しは揺れ幅が大きくなりますかね~・・・。

そろそろ「あこがれ」から、卒業しなければいけませんね。

投稿: あこがれ | 2018年5月17日 (木) 08時55分

「空遠く君はありとも」と高校の時合唱部の友人が歌っていました。その時「あこがれ!」とひらめきました。憧れは私をいつも挫折から救ってくれたように思います。高校で両親を亡くした私がいつも見つめていたものは「空のかなたのあこがれ」でした。友人に夢見る夢子と笑われていましたが「あこがれ」がなかったら今ここに生きていなかったかもしれません。今、この年になっても空を見あげるとあこがれがそこにあるように思われます。あこがれ様 私の夢を無くさないで下さい。永遠に心は若いのです。若者でなくても恋は永遠です。

投稿: ハコベの花 | 2018年5月17日 (木) 11時54分

はこべの花 様

はこべの花様の素敵な想いや夢に水をさすようなことを言って、すみません。

最近の自分のコメントを思い出しながら、何となく夢や憧れがうすれてきたな~と、嘆息していましたので、ふっと、 おこがましいHNを返上しょうかな~と、思っていました。

”憧れは私をいつも挫折から救ってくれた・・・"  
"いつも見つめていたものは、空のかなたのあこがれでした"
Beautiful Dreamer(はこべの花様)の乙女時代からの夢を紡いでいく責任を感じながら、同級生の生き方を見習って 私も もう少し頑張らなくちゃ~と、励まされました。

はこべの花様、konoha様、りんご様 トリオの三者三様の時宜を得た素敵なコメントや
一章様、yoko様、芳勝様、焼酎様の優しさに触れ、能勢の赤ひげ様、越村様、yasusi様の含蓄に満ちたコメント、救急隊長 なち様 等々 多彩な皆様から学ぶことは一杯です。 改めて、「ありがとう 歌ものがたり」と、叫びたい心境です。  

投稿: あこがれ | 2018年5月18日 (金) 11時14分

あこがれ様
私より年上のあこがれ様のコメントにはいつも
気付きと励ましを得ています。
一章さま以下の文章は私の思いそのものです。
救急隊長の名を賜ってなち様も面映ゆいのではと忖度しております。けだし、名言です。
あれも、これも二木先生の人格あらばこそです。
蛇足は勿論、時折のアクシデントまがいのコメントにも真摯に毅然と向き合い、何より文章の卓越さに胸を打たれます。ネットの世界ながら二木先生とのご縁を得たことは
我が老境の最大の救いです。

投稿: りんご | 2018年5月18日 (金) 17時14分

大事な書き洩らしの為続投をお許しください。
あこがれ様
おくさまの経過良好の由ホットいたしました。
能勢の赤ひげ様のお見立てとは正に二木先生に連なるご縁ですね。私信も交わす間柄になられたとの由、日々の励みになりますね。
尚ご自愛ください

投稿: りんご | 2018年5月18日 (金) 17時22分

続けてのコメント お許し下さい。

リンゴ 様  カミさん(という言い方は、何となく関東風で、関西人には馴染みませんが・・・)の、こと、お気遣い有り難うございます。
ついでに、能勢の赤ひげ先生は、私の思った通りの方でしたよ! 私の人生に また一つ 大きな財産が与えられたと
確信しました。

投稿: あこがれ | 2018年5月19日 (土) 09時36分

 初めて知った歌です。お年寄りの若者への親切なアドバイスですね。
言われた若者はどう反応するか。
まあ年寄りの言うことを聞かないのが若者の若者たるところ。
それに恋というものは、ハッパをかけられて始められるものでもありません。
あるいは「そんなことを言うおじいさんは、どんな素晴らしいパラダイスを経験をしたの、それを聞かせて」とツッコミを入れてくるかもしれない。
 この歌からは、自分の人生をふりかえって、もっとパラダイスを味わうべきだったと悔やんでいる老人の姿が浮かびます。老人は若者にではなく、古い自画像によびかけています。
恋には苦渋や悔恨もある。二度と振り返りたくない思い出という部分もあるはず。パラダイスではないと思います。
どこか若者を甘く見ているような歌詞です。しかし、老人の多少無責任な煽り意見を許容している分、この歌の歌われた時代は、牧歌的というか、敬老精神のあふれた時代であったように思います。

投稿: 越村 南 | 2018年5月20日 (日) 12時55分

越村様、確かに恋には良いことばかりではありません。喜びと絶望とどちらが多いかと言えば絶望の方が多いかもしれません。それでも恋をした時の喜びは大金を手に入れるより幸せを感じられると思います。(年を取ると大金の方が良くなるかも知れませんが・・・)絶望の悲しみは月日が経てば薄れていきますが、恋した時の喜びは生涯の喜びになります。それは素晴らしい財産になります。私は22歳の時、彼が駅の改札口で私を待って立っている姿を思い出すと今でも胸が張り裂けそうな喜びで一杯になります。写真がないのでその時の彼を描いてお財布に入れて持っています。絶望した時のお守りです。22歳の私に戻ります。次の日、私にほかの人と結婚することを告げられて彼は絶望の淵に立ったと思いますが、アメリカへ行くという夢に向かて頑張れたと思います。あの頃のアメリカは遠く、夢だったのですから、これで良かったと思っています。私は大きなものを失ったと今でも思っています。でも恋がなかった方がつまらない人生だったと強く感じています。

投稿: ハコベの花 | 2018年5月22日 (火) 22時19分

 ハコベの花様
 いつもながら恋のすばらしさを、ぶれることなくお伝えくださって、恋愛論の達人、恋愛論の女王のように思っています。青春の多感な時期に、すれ違った「良き人」との思い出を大事になさっているのですね。
そういう思いは、むしろ男のほうであるような気がします。同窓会で初恋の女性に会うと、もはやおばあさんであってもドキドキするとか・・。相手の女性はすっかり忘れているのに。
女性は、よくいえば柔軟、悪く言えば、現実的だと、経験則的に理解しています。ハコベの花様は、失礼ながら、むしろ男性的な気質なのではないでしょうか。
私は女性的な性格かも知れません。恋人を熱愛するという行為は、若い頃特有の、のぼせ上がった、血迷った精神状態にすぎないと思っています。人間は、ある程度の範囲の人なら(ストライクゾーンともいいます)誰でも好きになることが出来るわけで、結局は誰でもよかったのではないかと思います。人間は、人口の少ない小さな島で恋人を見つけることも、人口過密の大都会で見つけることもできます。結局は同じことです。まあ、誰でもいいのです。

 そして、どんなに惚れぬいた人と一緒になっても、一緒になった時から、苦渋の二人三脚の人生が始まります。「もう飽きちゃったよ、あなたには」という人生です。しかし、そこからその人の真価が試されるように思います。

投稿: 越村 南 | 2018年5月27日 (日) 01時43分

星由里子さんがお亡くなりになりました。
僕の少年時代の憧れの人でした。

いつどこで星由里子さんを知ったのだろうと考えるのですが、我が家は男兄弟で母も祖母も本を読んでいる姿を見たことがありません。当然ながら女性誌も、芸能誌も、ファッション誌も我が家にはありません。全く女性の香りのない、うるおいのない家でした。ただ、母が取り寄せていたデパートの分厚い商品カタログがありました。女性の香りに飢えていた暗い少年はそのカタログに載っている女性のモデルさんをみつめて’可愛いなぁ’とか’綺麗だなぁ’とか呟いていました。

星由里子さんについてはテレビとか、友達の家で芸能誌”明星”などを盗み読みして知ったのかもしれません。それと映画の看板などでも見ましたね・・・。商品カタログのモデルさんよりももっともっと美しいと思いました。ただ、加山雄三と星由里子さんの映画は一つも見たことありません。あんな映画くだらない、と思っていました。おそらく嫉妬でしょう。星由里子さんの身長がもう10cm低ければよいのになぁ、と思っていました。彼女の身長(164cm)は高すぎます。自分でも自分をくだらないかすのような男と自覚していた僕は残念ながら諦めるしかありません。

”燃えるような恋”の経験はない人生でしたが、次のセリフには全く同意します。

  恋すりゃ希望も湧いてくる
  此の世のパラダイス

本当にその通りですね。

星由里子さん、ご冥福をお祈りします。
寂しいです。

投稿: yoko | 2018年5月27日 (日) 09時09分

越村南さま
 ちょっと失礼して割り込みますがごめんなさいね。越村さま、コメントを拝読してふたつ、それは違うんじゃないのとおもいました。
 
一つ目、「女性はよくいえば柔軟、悪く言えば現実だと、経験則的に理解しています」女性が現実的になるのは子供を生むからだと思いますよ。ならざるを得ないのです。それを一刀両断に「女性は現実的』と切り捨てるのは、(言い過ぎかな?)女性を知らなさ過ぎるのではと思います。
 
10年以上も前から脳科学の進歩により、脳に関する本や新聞のコラムによく脳科学者が連載することがありました。その中のひとつで「地図を読める男、地図を読めない女」と言う本が話題になりました。読んだ方もいられると思いますが、簡単に説明します。男女別のグループに出発点から目的地までの地図を渡します。最初は一般的な地図です。結果は道に迷ったのは女性のほうが多かったです。次に渡したのは一般の地図ではなく、曲がり角にはこんな目印があり、あんな目印がある。また真っ直ぐに行った所に植え込みがあって像が立っているので、それを左折するという具合の地図でした。結果は男性のほうが道にまよいました。
 
 何故か、一般的に言われている女は地図が読めないということではなく、男女の脳の働きによるものだと書いています。旧世紀、男性は周りを見ず遠くまで獲物を追い、帰巣本能の強い男が生き残り、また女性は子を生み育てるため周りの危険を察知、どこにどんな木の実があるかを常に見極めて暮らします。
 
 さて先のグループ別で、2回目の実験で男性が道に迷ったのはどうしてだとおもいますか。「真っ直ぐに行ったところに像が立っている」という説明のところから男性は迷い始めました。「像が立っている」これを男性は大きい立像と解釈してしまった結果、迷ったのです。女性のほうはと言うと、ぱっと見たところ像は見当たらないので、周りを見ました。すると植え込みの所に小さな立像がありました。
 
 つまり私の憶測と独断で結びつけると、女性のほうがより現状がどうなっているのかを見極める能力が高いとおもうわけです。ゆえに女性は現実的となるわけなのです。(三段論法になってしまいましたが)(笑)

 二つ目、「ある程度の範囲の人なら(ストライクゾーンともいいます)誰でも好きになることが出来るわけで、結局は誰でもよかったのではないかと思います」これですね、男性ならばそうなのでしょうね。しかし女性の場合は
たぶん大半は違うとおもいます。まず女性は受け身の性です。自分の身体に触れられるのですよ。妥協なんてできません。女性の性の喜びは脳(感情)と密接に結びついていると思っています。いくら言いよられようが、己の気持ちが最優先になります。
 
 まあ女性も人によってはある程度のところで妥協する人もいるでしょう。そういう女性はさらに現実的な人かもしれませんね。(独断と偏見です。ごめんなさい)

 「苦渋の二人三脚の人生」これは越村さまは極端におっしゃっていると思っています。娘が結婚したとき渡したものがあります。「相手は鏡、あなたが笑うと鏡も笑う。あなたが怒ると、鏡も怒る」を書いて小さな額に入れて渡しました。彼女はそれをトイレの中に置いていました。 ・・・  時を経て3人の子持ちのシングルマザーで帰ってきました。

つれづれに長いコメントを書いてしまいました。越村 南さま、面白かったです。ありがとうございました。

投稿: konoha | 2018年5月27日 (日) 10時59分

konoha様と私は同じ女性群に入りますが彼女は物事を論理的に考える人、私は感情で思う人だと思います。何事もいい加減できちっとしている人を恐れるところがあります。
男性も同じだと思います。好きだと思う人に欠点を見られるのが嫌なのでいい加減な男性と結婚してしまったのです。後悔はありますが、結果はそう違わないと思います。
私の言い訳は「恋は別れた後の方が本物の恋になる」です。別れた人は永遠の人です。結婚した夫はぼろ雑巾みたいなものです、使い勝手は良くなりますが、汚くなります。成就しなかった恋ほど美しく輝くものはありません。
失恋をされた男性諸氏、貴方はかっての女性の心の中で今も美しく輝いています。いつもきれいにしていてください。私も頑張ります。越村様 恋ほど素敵なものはありませんね。

投稿: ハコベの花 | 2018年5月27日 (日) 11時48分

この歌を知らないのに、割り込んで二木様お許しください。
いつもハコベの花さまのお話は、体験に基づくゆるぎない迫力があり感心しています。
「成就しなかった恋ほど美しく輝くものはありません」は至言です。
でもでも…この度のご発言には、いくら物の例えとはいえ配偶者の方がお気の毒になってしまいました。
たぶんハコベの花さまは、ご立派な奥様なのだと思いますが、反対に、「結婚した妻はぼろ雑巾のようなものです。使い勝手は良くなりますが、汚くなります…」と言われたら傷つきませんか…?
恋って、どこか独占欲を含んでいませんか?
私は高校生の時、一人の女生徒と読んだ本などについて、よく話していました。
それが、友情のままであればまだ良かったのですが、その人は心のうちで次第に私を理想化して私ではない私を作り上げ、独占しようとしました。
毎日重くて苦しくてたまらなくなり、私は肺炎になって長期欠席をすることになり、結果的にその人から逃れました。『草の花』を読んだとき、ふっとそんなことを思い出しました。
私はあらゆる人間関係に臆病で、恋には無縁の人生ですが、本や音楽や植物を友として生きています。

投稿: nobara | 2018年5月29日 (火) 19時40分

nobara様 貴女の言われることはよくわかります。多分男性から「ぼろ雑巾はひどい」と言われると思っていました。我が家の夫はそれが当たり前になっていて;右耳から左耳に抜けていくだけで、夫の脳には残らないようです。それは私にとっては虚しいものです。まあ、いつも酔っ払った状態で、40歳で死ぬから好きなだけ遊ばせてくれと言って遊び惚け、78歳まで遊び、まだ好き勝手に遊んでいます。嘘もこれだけ付くとぼろ雑巾以下です。夫は、そう言われて暮らしているほうが気が楽なのでしょうね、真面目でしっかりした夫を持ちたかったと今も夫に言ったばかりです。あまりに情けなくて悲しい時はいつも『草の花』を読んでいました。この本にどれほど救われたかわかりません。夫は不良という人種なのでしょうね。

我が家はこれで55年暮らしてきました。いつ壊れてもおかしくない家庭でしたが、何とかまだ壊れずにいます。私は56歳の時、理想の人に出会えて来世の婿に決めてあります.彼はその時23歳でした。夫にも言ってあります。人から愛されることは不安もあります。けれども希望もあります。人生が豊かになるように思います。その人のために美しくなりたいと思います。たまにお元気ですかとメールするだけです。相手には何も望みません。それが本当の恋だと思っています。簡単に「好き」だけでいいのではありませんか。構えない事ですね。残り少ない人生です。楽しく暮らしたいと思っています。

投稿: ハコベの花 | 2018年5月29日 (火) 21時12分

「若者よ恋をしろ」昭和29年7月に公開された映画の主題歌であるこの曲をここで初めて聴いたとき、その詩の内容は対照的で異なりますが、その曲調は同年の3月に公開された、あの木下恵介作品「女の園」の主題歌メロディとあまりにも似かよっていたので、私は少しばかり驚いた記憶がありますが、しかし。いずれの主題歌も素晴らしい唄であり、私の大好きなメロディであることに毛頭変わりはありません!

今日久しぶりにここへ来て、2018年5月15日から29日の短期間に集中して寄せられている、皆様からの貴重なコメントを改めて読み返してみましたが、そのコメントのどれもが皆様の本音の意図が垣間見えるものばかりで、そしてまた私の胸を打つものばかりでした。

<蛇足>に記された『・・・実際、青春時代に恋をすると、世の中が違って見えてきます。世界は光に満ち、通行人や木々草花までが自分に笑いかけているように感じます。』今思えば、私の数少ない恋の経験をおもむろに振り返ってみても、まさにそのとおりでした。

「若者よ恋をしろ」

身分やお金はなくっても

恋すりゃ希望も湧いてくる

此の世のパラダイス♪ ♪ ♪

なんと素晴らしい詩でしょうか!

投稿: 芳勝 | 2023年1月14日 (土) 15時57分

芳勝様 投稿有難うございました。5年前に私が書いた文を読み元気で威勢が良かった自分にびっくりしました。
すっかり書いたこと忘れていました。70代の私にまだ元気があった事に驚きました。人間は年をとっても変わらないと思っていましたが、80歳を過ぎた頃から変わって来ています。恋心がスッカリなくなって来ています。希望も萎んでしまい、平穏無事に過ごせます様にと願うばかりです。ちょっとした病気にかかり、9キロガクンと痩せた顔を鏡で見て恋心などどこかに飛んで行ってしまったのです。いっぺんに30歳年を取った様なしおれた顔になって仕舞っていました。『ああー』と言う声しかでませんでした。やっと5キロ元に戻りましたが、皺は半分残っています。もう光っていた18歳には戻りません。「若者よ恋をしろ」と応援をすることにしました。「でも心は私も40歳位かな・・・」明るい気持ちで過ごしたいと思っています。

投稿: ハコベの花 | 2023年1月19日 (木) 22時48分

ハコベの花さま

この度のお便り感慨深く拝読させていただきました!

これまでハコベの花さまが『うた物語』に投稿されてこられた数々の興味深いコメントを拝読するのは現在の私の楽しみでもあります。
私は仄かにハコベの花さまの恋心が垣間見える「青春日記」や「ニコライの鐘」などのコメントは今でもあえて再読するほどです。
ハコベの花さまの切れ味のあるご投稿コメントを待ちわびておられるご同好の方々はたくさんおられると私は思います。
ご健康にはくれぐれもご留意の上、これからもハコベの花さまのご投稿コメントを楽しみにしております。

「若者よ恋をしろ」恐れながら、やはりハコベの花さまには恋が似合うと思います。この唄の詩にあるような若者の恋とは、また一味も二味も違う素敵な恋心をいつまでも持ち続けて欲しいと私は思っています。乱文をお許しください。

投稿: 芳勝 | 2023年1月22日 (日) 15時58分

解散する前のキャンディーズに「春一番」という曲があり、その歌詞のなかに「恋をしてみませんか」という一節がありました。またいま聞いているこの「若者よ恋をしろ」もそうなのですが、「そもそも論」を言えば「恋」は「してみよう」として、あるいは誰かに使嗾されて「する」もの「出来る」ものなのでしょうか。これとはまた別にフォークソングかなにかのなかに「思い出作ろう」という一節をふくんだ歌もあったように記憶します。「思い出」は「作ろう」として作るものなのでしょうか。ずっと疑問を抱き続けています。意地悪ですか。

投稿: 半畳亭 | 2023年1月22日 (日) 20時15分

追記 ちゃんと管理人さんの「蛇足」を先に読めばよかったのに、題名だけ見て積年の「反発」が先に立ち、上のようなコメントを書き込んでしまいました。しかし、おかげで自分の感懐が期せずして管理人さんと同じであったことを知り、意を強くしました。

投稿: 半畳亭 | 2023年1月22日 (日) 20時21分

この歌は兄貴が当時18歳の時に出た歌で好きで、よく歌っていたので私も13歳ながら「いい歌だな」と思って覚えました。この頃、兄貴が「お富さん」や「瓢箪ブギ」、ディックミネの「雨の酒場で」などを、家の中でよく歌っていました。
当時流行っていた歌はその他に、コロンビアローズの「哀愁日記」、若原一郎の「裏町のピエロ」や「吹けば飛ぶよな」、菊池章子の「春の舞妓」、美空ひばりの「ひばりのマドロスさん」、鶴田浩二の「裏町ポルカ」等々がありました。

翌昭30年には、春日八郎の名曲「別れの一本杉」、白根一夫の「次男坊鴉」、大津美子の「東京アンナ」、高田浩吉の「白鷺三味線」、三橋美智也の「おんな船頭唄」、三浦洸一の「弁天小僧」、宮城まり子の「ガード下の靴磨き」、島倉千代子の「りんどう峠」、藤島恒夫の「帰りの港」、青木光一の「小島帰りの郵便船」等々、数えればきりがありません。振り返ると、あの頃が歌謡曲の全盛前期から中期ぐらいだったでしょうか。懐かしいです。ちなみに、私は今でも上記の曲は全曲歌えます。…昨日のことも忘れてるのに。

投稿: 吟二 | 2023年1月23日 (月) 21時34分

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