野風増(のふうぞ)
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お前が二十歳(はたち)になったら |
《蛇足》 昭和55年(1980)、作曲者の山本寛之が自らのコンサートで創唱しました。歌詞は、山本が伊奈二朗に依頼して作ってもらったそうです。
伊奈二朗については、経歴や業績など、いっさいわかりませんでしたが、なちさんのお知らせ(下記投稿欄参照)で、意外な事実が判明しました。
伊奈二朗は本名、塚本定男で、驚いたことに岡山県警の警官だったそうです。現職時代、勤務地での防犯イベントで、自作の防犯ソングなどを歌い、"歌うおまわりさん"として有名だったようです。
昭和59年(1984)1月、この歌のレコード化の話が持ち上がり、作曲者も含め、河島英五、レオナルド熊、芹沢博文、出門英(ヒデとロザンナ)、財津一郎、橋幸夫、デューク・エイセスらによる競作となりました。
このように多くの人が歌ったわけですが、現在では、ほとんどの人が河島英五の持ち歌として記憶しているのではないでしょうか。
歌のうまい・下手ではなく、歌詞や曲調が酒と男っぽさという河島英五のイメージと強烈に結びついているからでしょう。
男の子が生まれたときか、それがやんちゃ盛りになったときか、あるいは反抗期になって手を焼いているときかわかりませんが、息子が二十歳になったらいっしょに酒を飲もう、そのときにはこんなことを言おうと、楽しみにしている父親の気持ちがダイレクトに伝わってきます。
タイトルと歌詞に出てくる野風増は、作詞家・作曲家の出身地である岡山県とその近隣県で使われている「のふうぞ」という方言で、生意気とか勝手気まま、傍若無人といった意味だそうです。
「のふうぞ」の語源については諸説あるようですが、こうした意味と「のふうぞ」という音から、野放図が方言化したものと見てまちがいなさそうです。いつごろかはわかりませんが、一般の言葉が方言になる際によく見られる音韻転化が起こったのでしょう。
多くの方言がそうであるように、「のふうぞ」も、日常の使用では表記法はとくに意識されず、書く場合はひらがなが使われたはずです。それに「野風増」という漢字を当てはめた作詞者のセンスはすばらしい。
野原を吹き渡る風のように、自由に、思うがままに生きる青年の姿が生き生きと伝わってきます。ひらがなの「のふうぞ」では、そうしたイメージは湧きませんし、野放図では詩の言葉になりません。
自分が思うようにものを言い、行動していると、しょっちゅう摩擦が起こるだろう、だが、そういう経験を通して自分のアイデンティティが定まってくるのだから、恐れずに堂々と生きろ――息子の成長を見ながら、そんなことを思っていた父親は多いのではないでしょうか。
(二木紘三)
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コメント
将棋の芹澤博文九段が歌っていたのを覚えています。エイのひれは大好物です。脈絡なくてすみません。
投稿: hurry | 2018年8月29日 (水) 19時37分
この歌はNHKの歌番組の橋幸夫さんの歌で知りました。
「野風増」は岡山県の方言と紹介していたので、
ふるさとの歌が増えたと思っています。
昭和60年9月5日発売になっています。
http://yumenet.or.tv/
山本寛之さんと橋幸夫さんの歌があります。
https://www.youtube.com/watch?v=hcz1L7BP9DQ
投稿: なち | 2018年8月29日 (水) 19時59分
二木先生「野風増」のアップありがとうございます。
兄が逝きました。76歳ですが早生まれのため、私とは三学年違っていました。兄は一浪して早大に入りましたので、もしかしたら二木先生と同期かもしれません。
妹思いの優しく良い兄でした。酷暑の中、何度かお見舞いに行き、そして今日明日というときの26日に妹と私が駆けつけましたが、すでに意識はなかったのですが、私たちの声掛けが分かったみたいでした。27日未明3:45息を引き取りました。まるで私たちを待っていたようでした。(こんな話すみません。)
兄の思い出に耽っていて「うた物語」を開けたら「野風増」でした。メロディを聴きながら歌詞を読んでいたら、父と兄がお酒を酌み交わした様子を思い出しました。明治生まれの父は妹と私に一度も怒ったことはなかったのですが、第一子で長男である兄にとても厳しく接していました。子どもだった私はどうして兄に厳しいのか分かりませんでした。
それが兄が大学受験で落ちた日の夜、父は兄を呼んで、お酒を酌み交わしたのです。私は襖を少し開けて覗き見したのです。父はうなだれている兄に黙ってお酒をすすめていました。初めて見た光景でした。
「野風増」の歌ありがとうございました。
投稿: konoha | 2018年8月29日 (水) 22時12分
konoha様
konoha様の尊敬される大好きなお兄様のご逝去のことを拝読しビックリしました。
>・・、ほとんどの人は河島英五の持ち歌と記憶しているのではないでしょうか。
歌のうまい・下手ではなく、歌詞や曲調が酒と男っぽさという河島英五のイメージと強烈に結びついているからでしょう。
私も河島英五さんの男らしく家族思いで最後まで貫かれた不器用な生き方大好きでした。
妹思いでお父上に厳しく育てられたお兄様の旅立ち、人の世の常とは言え ほんとに寂しいですね。妹さんと病院にかけつけお二人の愛に満ちた声かけがお兄様に分かったみたいでよかったですね。そのうち天国のお父様とお兄様は また酒を酌み交わされていらっしゃるかもしれませんね。
ご長兄のご冥福を心からお祈り申し上げます。
けん
投稿: けん | 2018年8月30日 (木) 06時00分
作詞者が気になり検索していたらありました。
伊奈二朗こと塚本定男さんで、新見署に勤務されており・・
http://murakami-shin.jugem.jp/?eid=1639
続けてすみません。
投稿: なち | 2018年8月30日 (木) 06時52分
konoha様
このところ、konoha様のコメントに 少し元気がないような感じで拝見しておりましたが、敬愛なさっているお兄様のことが、気がかりになっておられたのですね。
76才は、まだまだ早すぎます。
お元気ならば、もう10年は ご兄妹仲良く、楽しく過ごせたであろうに・・・と、思わず、涙が溢れてきました。
konoha様は、私の家内と同じ 昭和19年生まれの申年と存じておりますが、いつも知的レベルの高いコメントを寄せられ密かに楽しみにしておりました。
生老病死は避けることが出来ませんが、悲しみは共有できます。
襖の影からそっとのぞき見された時の、お父上とお兄様の姿を思い浮かべながら、この曲を静かに聞くことが、せめてもの鎮魂になるなら・・・と、思ってます。
投稿: あこがれ | 2018年8月30日 (木) 08時23分
けん様 あこがれ様
お優しく心しみるいるコメント、誠にありがとうございました。昨日無事野辺送りが済ました。男性の平均寿命には届きませんでしたが、長患いをせず逝くことができ、本望だったと思います。私は兄と同じ高校でした。あこがれ様の言われるように生老病死は避けることができません。兄の金魚のふんのようにくっついていた私を兄の高校時代の親しい友人達は仲間に入れてくれました。でも友人一人残してみんな逝ってしまいました。
「うた物語」の皆様と仲間意識で結ばれていることをとてもありがたく思っております。この歳になって大勢の仲間が出来、とても幸せです。いつまでもお元気なコメント発信され続けてくださいね。楽しみにお待ちしております。
また一つ「野風増」は父と兄を結びつける歌になりました。歌は物語を呼びますね。ありがとうございました。
投稿: konoha | 2018年9月 1日 (土) 01時04分
我が家を背景にして替え歌にしてみました
********
お前が七十歳になったら スシ屋で二人で食いたいものだ
その時僕は百二歳 君の年金も完納するさ
君が七十歳になったら 思い出話で食いたいものだ
熱いお茶で乾杯して 君の七十歳を祝うのさ
いつか母さんから 会社に悲鳴の電話が来た
知らない街で 君が保護されていると
野風僧 野風僧 そんなことも懐かしい
君が七十歳になったら 女の話もできるといいね
君の部屋でみつけた女性の写真(アイドルのプロマイド)
思い出しては苦笑い
君が七十歳になったら 遊びの話もできるだろうか
僕も遊びは苦手だ気にするな 君の七十歳を祝うのさ
いつか夜もふけて マンションの前で君を待った
もう二度と会えないかと 怖くて震えたよ
野風憎 野風憎 帰ってくれてありがとう
君が七十歳になったら 旅に出るのもいいじゃないか
子供の頃から電車がすきで 全国の路線を知ってたね
最近の君は 母さんのマネして生意気だ
夜も更けると パソコン止めて寝ろと僕に言う
野風憎 野風憎 僕の息子でありがとう
野風憎 野風憎 僕の息子でありがとう
*******
息子は言葉が遅く永く会話もありませんでしたが今では応答もしっかりしてきて会話もできるようになりました。
投稿: yoko | 2018年9月28日 (金) 23時08分
yoko様の投稿、胸に染みました。
投稿: ふーにゃん | 2018年9月28日 (金) 23時36分
yokoさまの野風増、素敵ですね。
投稿: konoha | 2018年9月29日 (土) 07時24分
孫、8歳
まだ、言葉が与えられてません。
優しさと希望 yoko様 ありがとう!
投稿: あこがれ | 2018年9月29日 (土) 08時34分
先ほどNHKの朝ドラの最終回「半分青い」をみていました。
すずめ 「りつの傍にいたい」
り つ 「すずめをしあわせにできますように」(りつの願い)
その後 野風増の曲を聴きながら 声をだして野風増の歌詞を読みました。
yokoさんのコメントも声を出して読みました。
・・途中から声が出なくなりました。目には涙が溢れてきました・・
野風増 野風増 yokoさん 102歳迄 お元気で
野風増 野風増 息子さん 70歳迄生意気に ♪♪
投稿: けん | 2018年9月29日 (土) 08時51分
野風増の曲を聴きながら、yokoさまのコメントを拝読いたしました。
思いやりのある会話を交わすたびに・・・胸の中に深く染み込みました。
感動に感動でした。ありがとうございました。
投稿: 一章 | 2018年9月29日 (土) 09時36分
yokoさん の優しいお心が伝わり胸にじんときます。
お体ご自愛してその日に備えてくださいね。気持ち~
投稿: りんご | 2018年9月29日 (土) 09時50分
塚本さんとは、新見警察署で、風営法の届け出書類を、一緒に作成したことがありました。まだ初めのころで内容が定まっておらず、2人で思案したおぼえがあります。その時の雑談でのふうぞがヒットしそうなんだと話されていました。でも公務員だから、名前が出せないから、いなじろうのペンネームで、出すからと、言われていました。なぜか急に思いだしたのですが、塚本さん今も、お元気ですか?
投稿: 小田弘人 | 2021年10月30日 (土) 01時07分
「野風増」の作詞家、作曲家とも知人の紹介で会ったことがあります。
二人ともにたいへん心やさしい方です。気になっているのですが、今もお元気にされているのでしょうか?!
投稿: 神野弘 | 2022年4月 9日 (土) 19時46分