大阪ぐらし
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:石濱恒夫、作曲:大野正雄、唄:フランク永井
1 赤い夕映え 通天閣も |
《蛇足》 昭和39年(1964)6月にビクターから発売。
昭和36年(1961)にリリースされた村田英雄の『王将』と同じく、伝説の棋士・坂田三吉とその妻・小春を歌った作品。
坂田は阪田とも書かれますが、どちらが本名かは不明。歌や戯曲、映画などでは坂田と書かれることが多いようです。また、三吉の吉は、口の上が士ではなく、土が正しいとされています。
生涯無筆で、3、4文字しか知らなかったそうです。
小春という名前は、坂田三吉の生涯を描いた戯曲『王将』の作者・北条秀司の創作で、実名はコユウといいました。コユウは別の男性と結婚しましたが、三吉が惚れ抜き、その離婚を待って結婚しました。
上の歌では、1番と2番が小春の、3・4番が三吉の心情を描いています。
小春は、さまざまな困苦のなかで三吉を支え続け、臨終の床で、「お父ちゃん、あんたは将棋が命や。どんなことがあっても、アホな将棋は指しなはんなや」と三吉にいったと伝えられます。三吉は、コユウの遺骸をいつまでも抱くようにしていたそうです。
上の写真は、昭和44年(1969)、大阪市浪速区の新世界町会連合会によって通天閣下に建てられた坂田三吉の顕彰碑。
(二木紘三)
コメント
フランク永井さんの低音とゆったりしたメロディーで落ち着いて聴ける歌ですね。
同じ 石濵恒夫 大野正雄 コンビで フランク永井さんの歌では、
ABCホームソング「こいさん恋唄」「こいさんのラブコール」があります。
「月の法善寺横町」の歌碑の傍に「大阪ぐらし」の歌碑があります。
投稿: なち | 2018年12月16日 (日) 10時21分
ほのぼのした心地になれますね。
大阪には 幼馴染、高校の級友、次兄夫婦がいます。
(彼らは今ではすっかり大阪人になりきっています)
上洛の度に会う友人と比べて地元に居ても何年も合わない
級友たちもいます。
投稿: りんご | 2018年12月16日 (日) 12時46分
「大阪ぐらし」私の一番好きだった歌手フランク永井のこの唄には、数少ない父との忘れられない想い出があります!
頑固者で無口で一徹、我が家の父はそんな感じを絵に書いたような人で、幼少のころからとても怖い存在でした。ただ将棋の強さだけは抜群で、それが私の自慢でもありました。私はまだ一度も将棋の勝負で父が誰かに負けたことを知りません。そのことは近所でも有名でした。それを聞きつけた将棋好きで自信家と評判の役場の助役さんが、父に挑戦!と公民館で一戦交えましたが、父は難なく退けたこともありました。
その影響もあってか、我が家では母を除いては兄姉弟みんな全員将棋を指します。
父は家で私と一戦交える時は、必ず飛車角抜きにしてくれましたが、それでも私の力は父の足元にも及ばず私は必ず負けました。ある日父から言われた、持ち駒が何の役にもたっとらん!この一言は私にとって大変強烈だったことを憶えています。
そんな幼少のころの父との想い出もあり、坂田三吉を題材にし、そして幼いころに描いていた情緒ある大阪のイメージを彷彿させてくれる、この「大阪ぐらし」は特に私の好きな唄です。まだバブルのころですが当時、スナックのカラオケではマイクを持つと大好きだった「大阪ろまん」とならんで、この「大阪ぐらし」を必ず歌っていたことも今では懐かしいです。
現在、愛知県瀬戸市から久々に生まれた将棋界のヒーロー「藤井聡太君」の活躍で、全国のちびっこ将棋ファンが大勢増えています。この現象が私にとっては嬉しい限りです。
投稿: 芳勝 | 2018年12月16日 (日) 15時01分
お恥ずかしい限りです。
お手つきコメントでした。
阪田三吉と小春の哀切なまでの夫婦愛を下地に書かれたものなのですね。
投稿: りんご | 2018年12月16日 (日) 21時50分
《10年住めば地の人》と、いいますから、私などはさしずめ道頓堀川にどっぷり浸かった大阪人、とでも言うのかも知れませんが、これだけ大阪でお世話になりながら、いまだに阪神タイガースを応援しきれない大阪不幸者ですが・・・。
でも、不思議に東京に出張しても2日で大阪に帰りたくて仕方がなくなります。関東平野の真っ黒い土を見ていると、関西の赤土がなんとも懐かしく、商売の都といいながら、人情味に溢れた大阪の町が恋しくて、電車の中などで聞こえてくるズーズー弁まじりの関東弁が、妙に腹立たしくなったりしたものです。(昔、東京に憧れた者のひがみ根性か?)
《とんぼり人情》気質なのか、新世界の串かつやどて焼きの味、通天閣や、お初天神界隈の雑踏の雰囲気は、大阪独特のもので味わいがありますね。
住めば都 《大阪ぐらし》も、いいものですよ!
投稿: あこがれ | 2018年12月16日 (日) 21時52分
また、懐かしい歌が一つ甦りました。
この歌が出た当時、私は、社会人2年生で、関西での生活にも、大分馴れてたきた頃でした。その頃、大阪を謳った歌では、「大阪の人」(三浦洸一 唄 S33)、「こいさんのラブコール」(フランク永井 唄 S33)や、この「大阪ぐらし」をよく聴いたように思いますが、「大阪ぐらし」の歌詞1番の末尾の、♪花も茜の 夾竹桃(きょうちくとう)♪、にあります”夾竹桃”が、なぜか、私の心を捉えたように思います。
夾竹桃という花があることは、子供の頃から知っていましたが、故郷(北陸)や東京郊外(学生時代)では、実際に目にした記憶がなかったのです。ところが、就職して、関西に移り住んでみますと、身近なあちこちで、夾竹桃を見かけたのです。何と、勤務先の工場があった尼崎市では、”市の花”=夾竹桃でした。ついでながら、ピンクの花をつける夾竹桃が多いですが、たまに、白色や深紅色の夾竹桃も見かけます。
このような訳で、大阪を謳った歌に”夾竹桃”が登場するのを見て、”さもありなん”と、納得している自分がいます。
投稿: yasushi | 2018年12月17日 (月) 14時54分
yasushi様 30年ぐらい前まで夾竹桃はあちこちで見られましたが、今、私たちの住んでいる地域には殆どみられなくなりました。理由は夾竹桃にはオレアンドリンという強いい毒性があって、危険なのです。木にも葉にも根にも周りの土にも毒があり、子供が葉を誤って食べると死に至ると聞いたことがあリます。
青酸カリの致死量は
150~300ミリグラムに対し
オレアンドリンの致死量は
0・3ミリグラムだそうです。
かなり恐ろしい植物です。子供さんは近づかない方が無難ですね。
投稿: ハコベの花 | 2018年12月17日 (月) 16時16分
ハコベの花様には、拙コメントをご閲覧のうえ、コメント下さり、有難うございました。大変参考になりました。
確かに、美しいバラには棘があったり、可憐なスズランやコバイケイソウ(高山植物の一種)が有毒物質を持っていたり、美味しいジャガイモも、その芽には毒があったりと、美しいもの、美味しいもの裏面のことを忘れてはいけませんね。
それにしても、美しいもの、美味しいものには、つい、心が惹かれてしまいます。
投稿: yasushi | 2018年12月19日 (水) 10時26分
私の家から車で15分の所にある大阪府営服部緑地公園(広さは甲子園球場の約33倍)内の墓地に、1946年7月23日76歳で死去し10年後に建立された『王将阪田三吉之墓』があります。
以前には墓に削られたような痕があちこちにありましたが、最近は無いようです。
当公園は「日本の都市公園100選」に選ばれており年中賑わっていますが、特に桜の季節はバーベキューや健康関連のグループや家族で大賑わいです。一度検索されてご覧ください。
投稿: 尾谷光紀 | 2018年12月19日 (水) 11時44分
浪速のエッフェル、通天閣の脚もとにある坂田三吉翁の顕彰碑のそばを何度も通ります。このあたりは、私の酒場放浪の縄張りです。写真を見れば、また行ってみようという気持ちになります。この近くには、高くて旨いは当たり前のこととして、低料金・高品質で薄利多売をめざすお店があります。じつに尊い心掛けです。
坂田三吉の「銀が泣いている」という名セリフがありますが、悲しいかな素人にはわかりません。しかし貧しさの中で、励まし、支え、励まされ、支えられた夫婦愛には、心があたたまります。
歌詞に「意地かけまする、願かけまする、世話かけまする、夢かけまする」とありますが、世話かけまするが難しいような気がします。意地や願や夢は人に迷惑をかけないからです。
投稿: 越村 南 | 2018年12月19日 (水) 16時35分
旅行好きとはいいながら、関西の方ではもっぱら京都で、大阪のことはよくわかりません。ただ京都とはぜんぜん違う雰囲気ですね。そういうのを、京の夢大阪の夢、っていうんですってね。
記憶にあるのは、梅田の近くの神社の境内に、とてつもなく美味しいオデン屋がありましたし、南の方の繁華街の中に、これまたとてもおいしいウドンがありました。東京ではもっぱらソバと冷や麦ですが、このうどん屋さんのお蔭で、ウドンにも手を出すようになりました。
私は囲碁の方で、将棋の方はあまりくわしくはなく、駒の進め方ぐらい。しかしニュースで見ますが、藤井君はすごいですね。彼にしろ羽生君にしろ、いったいどんな脳みそをしてるんでしょうかと思います。物理や化学の世界に入っていたら、ノーベル賞ぐらいは取れるんだろうか。
囲碁の、藤沢里菜ちゃんも快進撃中です。
ずいぶん昔、王将一代という映画がありました。それより前、阪東妻三郎だったかの、王将という映画があった記憶があり(見てませんが)、この王将一代を見てみました。坂田三吉という名前はその時はじめて知りました。
将棋のことも、将棋の世界のことにも疎いのですが、大変面白く感じた記憶があります。辰巳柳太郎や田中絹代の演技がまさに鬼気迫るという感じだったように思います。
娘の香川京子が、あるとき三吉の打った或る手はインチキや、と怒っていたのが記憶にありますが、もちろん私にはなんのことやらわかりませんでした。読みで打ったんではなく、相手を幻惑するような手段だったのでしょうか。
さて、この坂田三吉の将棋の手にかかわるお話で、銀が泣いてる、というのがあります。一体どういうことなのか、上記の芳勝さん、よろしかったら教えていただけませんか。
投稿: 田主丸 | 2018年12月19日 (水) 21時09分
「大阪ぐらし」皆様のコメントを拝読しながら、二木先生演奏のこの曲をここのところ何度も聴いています!
田主丸様コメント末文に私へのご質問があり少し驚きました。実は坂田三吉の「銀が泣いてる」の意味は私も知りませんでした。しかし興味が深くなり、いろんな諸説を調べた中で、私なりに納得した解説をここに記させてもらいました。
>大正2年に行われた宿敵、関根金次郎と対局。この対局において、関根金次郎の挑発的な手に対して、坂田三吉は銀将を動かします。坂田としてはその銀を関根に取ってもらうことで香車を動かして攻めに転じようという腹でした。ところが関根がその意図を読んでいて、取ってくれない。銀は「取ってくれ。いっそ殺せ!」と叫んでいるのに、敵は殺してくれない。それで彼は「銀が泣いている」と言ったのでした。
>この対局で坂田の銀が負担になってしまう展開になり「銀が泣いとる」とつぶやき負けを覚悟したらしいのですが、関根がその役に立っていない「銀」と桂馬を交換するというミスを冒して坂田が逆転勝ちしたそうです。
ある説では「銀が泣いてる」はどうしても負けられなかった坂田自身の心の叫びなのでは、ともありました。
頑固一徹で無口、大酒飲みで母にも大変な苦労をかけたまま私が19才の時に亡くなったとても怖い父でしたが、将棋の勝負だけは誰にも負けなかったという想い出を私に残してくれました。
こうして「大阪ぐらし」を聴いていると今度父と一戦交える時は、せめて銀将抜きくらいでの勝負を挑みたかったと思ってしまう自分がいます。
投稿: 芳勝 | 2018年12月20日 (木) 01時14分
芳勝さん、ありがとうございました。
よくわかりました。
これからの、将棋の試合、頑張ってください。
投稿: 田主丸 | 2018年12月20日 (木) 17時02分
「銀が泣いている」の謎が解けました。50年近い謎でしたから晴れやかな気持ちになりました。芳勝様のおかげです。ありがとうございました。
<坂田としてはその銀を関根に取ってもらうことで香車を動かして攻めに転じようという腹でした。ところが関根がその意図を読んでいて、取ってくれない。銀は「取ってくれ。いっそ殺せ!」と叫んでいるのに、敵は殺してくれない。それで彼は「銀が泣いている」と言ったのでした>
長年の疑問が解けた名解説でした。田主丸様の質問をうけて約4時間後に、しかも「銀は泣いている」の意味もあまり知らなかったのに、調べて答えられた芳勝様の手際のよさにも、たいへん驚きました。
投稿: 越村 南 | 2018年12月20日 (木) 23時20分
「大阪ぐらし」を取り上げて頂き様々なコメントを読んで楽しんでいます。さすが大高卒の石浜恒夫さんだけに古き良き大阪を的確に表現していると思います。ミナミ以南は詳しくないのですが、難波宮もあった上町台地、四天王寺界隈の由緒ある土地、高級住宅地の帝塚山と夕陽丘から見る大阪湾に沈む夕日、それを囲むディープな大阪と言うべき庶民の町、今は外人の多い新世界通天閣や極め付きはガタロ横丁等々が網羅されてます。夾竹桃については関西の高速道路の分離帯には夾竹桃が多く、悪環境に強い花なんだと聞かされてきました。芯の強い娘を表すのに好適だと思います。恥ずかしながらガタロ横丁は固有名詞だと勘違いして探したりもしていました。夫婦春秋の「九尺二間」のイメージなんですね。最近TVで見ましたが通天閣劇場が5年ぶりに再開したそうですね。歌姫叶麗子さんは引退したままですが。
投稿: しょうちゃん | 2019年1月 4日 (金) 17時42分
大阪は昔、中学校の同級生が多く就職した町です。年賀状も大阪、東京、名古屋や、知多と書いた記憶があります。大阪は数年前に同窓会が大阪で開かれ参加しました。泊まるのはおそらく初めてだったと思います。
昔はよく3年しないと故郷に帰らないという習慣があり、成人式に出ていたように思います。その時が同窓会の時でした。
服は、自分であつらえていたと思います。
投稿: 今でも青春 | 2019年1月 6日 (日) 17時49分
りんご様は投稿1で「ほのぼのした心地になれますね」、投稿2で「お恥ずかしい限りです。お手つきコメントでした。阪田三吉と小春の哀切なまでの夫婦愛を下地に書かれたものなのですね」とお書きになっておられますが、卑下される必要は全くないと思います。何せ題名が「大阪ぐらし」。これは「“坂田三吉の”大阪ぐらし」を指しているはずはなく、「大阪ぐらしのほのぼのした味」をテーマにしていると思われます。そうでないと、1番の「意地をかける娘」や2番の「願をかけるおなご」は、坂田三吉とどういう関係があるのか、ということになります。3番に坂田三吉が出てきますが、これは坂田三吉の夫婦愛に「大阪ぐらしをしている俺(私)」も泣く、とつなげて、1番、2番と同様に大阪の情を歌っている、と見るべきでしょう。
しょうちゃん様が「恥ずかしながらガタロ横丁は固有名詞だと勘違いして探したりもしていました。夫婦春秋の「九尺二間」のイメージなんですね」と書いておられましたが、私も恥ずかしながらがたろ横丁を法善寺横町やジャンジャン横丁のような固有名詞と思っていたので、あわててネットで調べてみました。「『夫婦善哉』の織田作は上町台地の通称『ガタロ横丁』と呼ばれる長屋で育った」「『ガタロ横丁』とは『がたろ長屋』のことで、表通りに面した家主の家の横に、奥に通じる路地(私道)を作り、その奥に賃貸用の長屋を作ったところをそう言う」「もうほとんどの『ガタロ横丁』はなくなり、普通の路地になって、よく探さないと見つけることはできない」などの記述がありました。
「がたろ」というのは大阪弁で河童(川太郎→がたろ)のことのようで、つまりは河童横丁でしょうか。村田英雄が坂田三吉を歌った「王将」に「生まれ浪花の八百八橋」という一節があるように、大阪は堀割の多い所、河童が身近だったのかもしれません。
私はフランク永井の大阪物の中でこの「大阪ぐらし」が一番好きです。特に4番の「夕は夕凪、夕凪千鳥」の部分。作詞者は、柿本人麻呂が造語した「夕波千鳥」という美しい言葉を意識したのではないか、と勝手に推測しております。
投稿: Kちゃん | 2019年2月26日 (火) 21時29分
kちゃん様
交流掲示板をご覧ください。
投稿: りんご | 2019年2月27日 (水) 16時45分