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2019年2月22日 (金)

女のブルース

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:石坂まさを、作曲:猪俣公章、唄:藤 圭子

1 女ですもの 恋をする
  女ですもの 夢に酔う
  女ですもの ただひとり
  女ですもの 生きて行く

2 あなたひとりに すがりたい
  あなたひとりに 甘えたい
  あなたひとりに この命
  あなたひとりに ささげたい

3 ここは東京 ネオン町
  ここは東京 なみだ町
  ここは東京 なにもかも
  ここは東京 嘘の町

4 何処(どこ)で生きても 風が吹く
  何処で生きても 雨が降る
  何処で生きても ひとり花
  何処で生きても いつか散る

《蛇足》 昭和44年(1969)9月25日に発売されて大ヒットした『新宿の女』に続く2枚目のシングル。昭和45年(1970)2月5日にRCAのレーベルで日本ビクターから発売。すぐにヒットし、オリコンチャート1位を獲得、売り上げは公称110万枚を記録しました。
 同年7月5日に発売されたアルバム『女のブルース』も、オリコン1位を16週連続で維持しました。

 演歌には陽の演歌と陰の演歌とがありますが、藤圭子の歌は典型的な陰の演歌です。
 陰の演歌は、悲嘆、未練、寂しさ、失意、あきらめ、傷心、愁い、孤独、怨みといった陰の感情を表現したもので、演歌の主流といってよいでしょう。

 陰の演歌にかぎりませんが、作曲家は歌詞から浮かんだ曲想を形にし、歌手は歌詞や曲を自分の感性で解釈して表現します。作曲家が作詞家の意図を正確に理解するとはかぎらず(作曲が先の場合も同様)、歌手の歌い方も、作詞家や作曲家の意図と多少ズレていたりします。
 こうした"美しき誤解"の積み重ねが相乗効果を発揮すると傑作が生まれ、各段階のズレが相互に打ち消し合ったりすると駄作になります。

 藤圭子も、歌手としてそうした役割を果たしてきたわけですが、彼女の歌唱は、作詞家や作曲家が意図した以上のズレを生んでいたような気がします。すなわち、インストゥルメンタルで聴けば普通の陰の演歌なのに、彼女が歌うと、陰の度合いが急激に深くなるのです。

 彫像などのデッサンでは、明るい部分から暗い部分へとなめらかな階調で描く人と、影の部分を極端に濃くし、中間調が非常に少ない、ほとんど2階調で表現をする人とがいます。
 前者は見る人に安定感を感じさせますが、後者は一種の不安感を与えます。

 藤圭子の歌は後者です。藤圭子は普通に歌っているつもりでしょうが、表現される情趣はきわめて濃密で、重いのです。その深い影に潜んでいるのは悲しみなのか、苦悩なのか、自己否定なのか……彼女自身も気づいていなかったであろう深奥の制御しがたい情動が、あの独特の歌唱を生んだのではないか。
 私は、レコード・デビュー曲『新宿の女』以降、彼女の歌を聴くたびに、そう感じてきました。夜の盛り場を浮遊する少女を歌った『圭子の夢は夜ひらく』では、とくに強くそう感じました。

 藤圭子という"物語"を読み進めてきて、奇行の末に自死というエピローグに到ったとき、彼女の歌唱における比類ない情念の表出は、訓練や練習によって獲得されたものではなく、天与の資質によるものだったと納得しました。

(二木紘三)

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コメント

二木先生の演奏に耳を傾けながら
蛇足の名文に酔いしれています。

投稿: りんご | 2019年2月22日 (金) 17時16分

「女のブルース」私が藤圭子の大ファンになっていった最初のきっかけは、15才の時に大ヒットしていたこの曲を聴いてからでした!

初めてテレビ映像に映る彼女の歌う姿を見た時、まるで日本人形のような美しさを感じたことを鮮明に憶えています。
そして忘れられないのは、瞬く間にスターになり一世を風靡していた、藤圭子主演の映画「我が歌のある限り」でした。この映画は、藤圭子の生い立ちをモチーフにした作品ですが、彼女の少女期を10才の子役、速水栄子ちゃんが演じましたが、その顔や姿はまるで本人を思わせるかのように似ていて驚きました。またスクリーンで見る藤圭子のセーラー服姿も印象に残っています。

4 何処で生きても 風が吹く
  何処で生きても 雨が降る
  何処で生きても ひとり花
  何処で生きても いつか散る

この「女のブルース」の上記の詩には、都会に出てきた若い女の娘がすでに人生の苦さを知り、その淋しさとどうしようもない苦悩のはてに、仄かな悟りを匂わせるものがあり、私にはこの唄が藤圭子本人の若かりし頃を歌ってるように思えてきます。まさに彼女の唄には怨歌という文字が合うように思えます。
また私が18才の時、貴重な小遣いから思い切って初めて買ったLPレコードは、藤圭子の「オリジナルゴールデンベストヒット曲集」でした。購入できた時のその嬉しさは今も忘れられません。
彼女の数あるレコードの中に、昭和45年に開演した藤圭子の渋谷公会堂のライブを収録したアルバムがありますが、特にその中の「カスバの女」「出世街道」「池袋の夜」は絶品です。

彼女は華々しい頃に早期結婚と早期離婚を経験したり、そしてまたその晩年は淋しいものがありました。
しかし彼女はその遺伝子でスーパースターの宇多田ヒカルをこの世に授けました。
藤圭子という歌手は、YouTube視聴などにより、様々なジャンルの唄をその抜群の歌唱力で歌って、今現在も私の心を癒してくれている、いつまでも心に残る大切な歌い手です。

投稿: 芳勝 | 2019年2月23日 (土) 02時35分

 藤圭子が自殺したというニュースを聞いた時、大変な衝撃がありました。
藤圭子のファンというのではなかったのですが、大学生の頃、その曲をよく耳にしたなつかしい歌手でした。
古いフイルムを巻き戻して見るように、今、彼女の歌を聴き直しています。
彼女の心象風景を探るような気持ちで、鎮魂の思いで聴いています。
藤圭子があまり好きでなかったのは、彼女が歌うと全て陰々滅々とした歌になって、気が沈むからです。逆にいえば、それだけ歌がうまかったということでしょう。
当時、学生の私は
<楽しいことなら何でもやりたい ・・・悲しい人とは会いたくもない 涙の言葉でぬれたくもない>(井上陽水『青空、ひとりきり』)という心境でした。日常生活に暗いことがいっぱいあるのに、歌を聴いてまで、暗い思いをしたくないという心理です。
さびし歌、哀しい歌は、昔も今も好きです。さびしい歌、哀しい歌と陰々滅々の歌はちがいます。

4番の
どこで生きても ひとり花
どこで生きても いつか散る
ですが、
生きるも一人、死ぬも一人という、藤圭子の人生を象徴しているようです。
ですが「わかりきったことを詞の結句にもってきてどうするんですか、石坂まさを先生!気持ちが沈むだけでしょ」と言いたい気持ちです。

投稿: 越村 南 | 2019年2月23日 (土) 15時56分

藤圭子さんが自殺したのは西新宿のマンションでした。成子坂下という十二荘から熊野神社あたりでしょうか。その頃は中野坂上に住んでいましたので土地勘があります。50年前とは様変わりしていると思います。一度歩いてみたいです。その頃は彼女は錦糸町の花壇街でギターを抱えて流しのお姉さんだったようです。「今日はぁー一曲いかがですか」という飛び込みのスタイルです。ギターのコードは三つしか知らなかったということです。たぶん私は西新宿か新宿ですれ違ったことがあるのでしょうかと思ったりしますがそれは神のみぞ知ることでしょう。彼女は人の経験する一生を何回分も経験してしまったのではないかと思います。陽気な人は何回目の青春かと、人生いたるところに何回でも青春ありかと喜ぶ人もあれば、シーシュポスの神話のごとく苦難の繰り返しかと思う人もあるのだと思います。ようやく山の上に持ち上げた巨岩が遥か山のふもとに転げ落ちて、またそれを山頂目指して転がし持ち上げるその永遠の繰り返しが人生なのだと、やめてはいけない、やめられない、その繰り返す行為こそ神の望みにかなうことなのに。魔が差したのでしょう。確か8月22日か23日でしたかその日は覚えています。

投稿: プラトン | 2019年3月11日 (月) 22時18分

「女のブルース」この唄は50年近くが過ぎた現在の今、何度聴いてみても、やはり藤圭子本人自身を歌っているように、どうしても私には聞こえてなりません!

この唄がまだヒットしている最中にも関わらず、もうすでに次の新曲「圭子の夢は夜ひらく」がまたヒットし、人気順位ランク一位を続けて行き、第一回日本歌謡大賞を受賞するなど、まさに飛ぶ鳥を落とすかのような人気で華々しかった当時のことが思い出されます。
あと彼女のデビュー5曲目になる「さいはての女」という唄も、やはり藤圭子自身を歌っているように私には聞こえてきます。
また、冷静にデビュー当時の彼女を振り返ると、瞬く間に人気絶頂になった藤圭子に与えられたプロモーションイメージを演じることこそが、当時の彼女の宿命でもあったような気もします。
某テレビ局のインタビューで、現状況の心中を問われた藤圭子は、デビューからの成り行き状、今はこの路線で私はお客様を喜ばせることが必要だと、以外にも彼女は客観的に答えています。
そして彼女は後年になっても、その沁みついた強烈なイメージを壊すことが出来ず、苦しんでいたようにも思えてなりません。特に30代の藤圭子の歌い方を映像で観ると、そのイメージを打破しようとしているように伺えますが、私にはあまり身動きせずに歌っていたそれまでとは違い、手足の動きを大くしたり、歌詞をずらして歌う彼女のテレビ映像は魅力を感じず、正直あまり見たくありませんでした。
それでも時は過ぎ、1998年には、娘の宇多田ヒカルのアルバム「ファースト・ラブ」が脅威的な700万枚のセールスを記録するなど、15才で世界の歌姫となり成功した娘を見て、彼女の人生が順調にいってるようで、ファンだった私としては良かったと思った時期もありました。
しかし2013年8月22日に彼女が自ら命を絶ったニュースを知った時、不思議なのですが、やはり藤圭子は何かに満足できていなかったのかとの思いが、一瞬私の頭を過りました。
人前で歌い、喝采を浴びることこそが、唄をこよなく愛した彼女の望みだったのではと、この唄「女のブルース」を聴くと私にはそう思えてなりません。
私が思春期の頃に大ファンだった歌手藤圭子のその人生には、光と影を感じてしまいます。

投稿: 芳勝 | 2019年3月12日 (火) 17時20分

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