待ちましょう
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:矢野 亮、作曲:渡久地政信、唄:津村 謙
1 待ちましょう 待ちましょう 2 待ちましょう 待ちましょう |
《蛇足》 昭和28年(1953)10月にキングレコードから発売。
津村謙は、昭和23年(1948)の『流れの旅路』でいきなり花形歌手になりました。その後、昭和26年(1951)の『上海帰りのリル』、昭和30年(1955)の『あなたと共に』(吉岡妙子とのデュエット)などのヒットを飛ばしますが、昭和36年(1961)に一酸化炭素中毒により37歳で亡くなってしまいました。
以前、「待つことには一種の喜びがある」と書いたことがありますが、それは待つのが長くとも数時間で、しかも待つ相手との心の交流があるレベル以上になっている場合にかぎられます。
老女になるまで待たされたソルヴェイグが、"待つ喜び"を数十年間維持できたとは思えません。誓いを守るの一心で待ち続けたのではないでしょうか。
めったにないことですが、待たせることにより得られる喜びもあります。これも、待たせる時間や相手により、まるで違う結果になります。
むか~し昔、ある女性との待ち合わせに、寝坊をして、1時間ほど遅れたことがあります。さすがにもういないだろうな、と思いながら約束の場所に行ってみると、ちゃんと待っていてくれました。そのときの喜びは、今も鮮明です。
池袋でのことでしたが、彼女は覚えていないだろうなあ。
ポケベル、ガラ携、スマホがなかった時代のことです。
(二木紘三)
コメント
津村謙の歌で一番有名な曲は「上海帰りのリル」、次はこの「待ちましょう」と思います。後者は私が10歳の時、前者は12歳の時に発売されたので、私はずいぶん子供の時から歌謡曲が好きだったんだなと、自分のことながら思います。その頃は美空ひばりが爆発的に売れ始めた頃で、1^2年遅れて春日八郎、さらに2^3年遅れて三橋美智也がヒットを飛ばし始めました。私はこの3人が好きで、ほとんどの歌を今でも唄えます。家族がいないときは一人で家の中でアカペラで唄っていました。それなのに音楽の成績はそんなに良くありません。歌は下手じゃなかったと思いますが、唱歌と演歌は違うんですね。
投稿: 吟二 | 2019年5月 5日 (日) 00時08分
美しい声の歌手でしたね。何故か何年か前にこの歌を思い出してYouTubeで何回も聴いていました。「そよ風に 逃げてゆく夢の後追いながら 待ちましょう 待ちましょう 胸のうつろを抱きしめて」この作詞者の心の中を覗いて見たいと思いました。津村謙が亡くなった時、自殺ではないかと言われていましたね。胸のうつろを味わうたびにこの歌を思い出します。
投稿: ハコベの花 | 2019年5月 5日 (日) 12時51分
昔、北陸線の入善駅に急行が停車する度に、ここが津村謙の故郷なんだな、と思ったものです。ビロードの声って言われてましたよね。ときどきカラオケDAMの映像で唄っている立ち姿を見ることあります。
『待ちませう』(=昔はこう書いたような)はテンポの良い名曲と思うのですが、今は流行りませんかね。私も唄うのですが、昔ふられた恋人を思うと今でも万感迫ってきて涙声になることも・・・(笑)。故事に女を待って溺れ死んだ尾生という人の話(尾生の信)がありますが、みたいにならなくって却って幸いだったかも。
ほんと、盛年重ねて来たらず、歳月は人を待たず、ですね。胸の虚ろを抱きしめ乍に己は待っておっても、時は無情に過ぎて行くってな感じ。
投稿: ザジ | 2019年5月 5日 (日) 14時58分
森昌子ほかが歌っている「涙の桟橋」中「(一言聞ければ…)私いつまでも待ちます」というくだりがあります。この歌昔、故郷近くの港からも小さな貨客船が運航している時があり懐かしいのですが、今では、待ちましょうと約束すると、かえって双方大変ではないかと思われます。高校三年の英語の最終の授業で女先生が「ロッキーに春が来れば」という歌を歌ってくれました。春がくれば俺は帰って来るぜ、という内容ですが、綺麗な歌です。この歌が、人々の共感を得るのは再会して愛を持続して、成就さすのは難しい、しかし根っのところで、応援したい願望のようなものを持っているからと思います。思い出(のため)に生きる。優しい言葉ですが、現実では厳しいかもしれません…
投稿: 樹美 | 2019年5月 5日 (日) 19時00分
ビロードの声の歌手 津村謙の芸名は「愛染かつら」の主人公 《津村浩三》と主役を演じた《上原謙》から頂いたものだそうですが、「待ちましょう」「上海帰りのリル」「流れの旅路」「東京の椿姫」といい歌が揃っており、もっと長生きしてたらまだまだ良い歌を歌ってくれたのでは・・と、若くして亡くなったことが惜しまれますね。
ところで、この歌の内容をよく見ますと、1番では “そよ風に吹かれて逃げてゆく夢のあとを追いながら、それでもまだ、やがて来るその日まで待ちましょう~~” と、多少の希望が見えるような感じですが、2番では、“二度と来ぬさだめ・・”と、淡い希望も完全に断ち切られていく様が見えます。
それでも、胸のうつろを抱きしめ、星に呼びかけながらでも待ちましょう・・と、随分酷なことをおっしゃるけど、さて いつまで待てるものやら・・と、諦めのよい、辛抱しきれない弱い男からすれば、いささか理解しきれない詩の内容ではあります。
にも拘わらず、この歌を聞いたり歌ったりする時は、そんなことお構いなしに いい歌だな~と感じ入っているのですから、曲(メロデイー)の持つ力というのも大変なものだと思います。
投稿: あこがれ | 2019年5月 6日 (月) 02時20分
人は相手が亡くなったとわかっていても,なぜかどこかで会えるのではないかという希望を持っているものだと思います。
別れた人に無性に会いたくなることはありませんか。振って別れた相手なのに急に恋しくなって会いたくなったり、まして、この時代、戦死の知らせを受けた奥さんは、夫がどこかで生きているのではないかという希望をいつもを持って居られたと思います。夢は永遠の希望ではないでしょうか。生きる糧になります。今、そよ風が通り抜けていきました。初夏です。
投稿: ハコベの花 | 2019年5月 6日 (月) 11時56分
はこべの花 様
《夢は永遠の希望》ではないでしょうか・・。
すっと、出てくるところがハコベの花さんと私のちがい。
ボキャブラリーの差なのかな~?
投稿: あこがれ | 2019年5月 6日 (月) 19時05分
昔は男女の付き合いは秘密でした。今は人前でもキスする時代です。どっちがいいかと考えれば、色々な要素がありますが、ズバリ言えば私はやっぱり昔がいいと思います。
年を取ったらますます「純情」が美しいと思うようになりました。
高齢者同士の恋のキーワードは純情だと思います。でも「若き日の恋ははにかみておもて赤らめ 壮子時の恋は世の中にかれこれ心配れど 墓場に近き老いらくの恋は怖るる何ものもなし」と詩った住友総本社常務理事で歌人でもあった川田順も、やはり「相触れて帰りきたりし日のまひる天の怒りの春雷ふるる」とうたいました。私はこの気持ちは哀切だと思います。そしてこの気持ちがわかることが若さを維持するもののように思います。
いつか駄目になるより、友達でいる方がいいかもしれませんね。
投稿: 吟二 | 2019年5月14日 (火) 22時12分