待ちましょう(J'attendrai)
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:Louis Poterat、作曲:Dino Olivieri、
唄:Rina Ketty、日本語詞:菅 美沙緖
花びらの色褪せ ともしびも消える 待ちましょう J'attendrai Les fleurs palissent J'attendrai J'attendrai, le jour et la nuit, |
《蛇足》 第二次大戦中から戦後にかけてヨーロッパ中で大ヒットしたポピュラー・ソング。ラーレ・アンデルセンが歌った『リリー・マルレーン(Lili Marleen)』のカウンターパートともいうべき作品で、フランスの歌であるにもかかわらず、ドイツでも愛唱されました。
『待ちましょう(J'attendrai ジャタンドレ)』は、普通の恋の歌でしたが、ヨーロッパの空に戦雲が重く垂れ込めると、恋人や夫が戦地から無事に帰ってくるようにという思いを込めて歌われたといわれます。
1940年6月にフランスがドイツに降伏してからは、連合軍、とくに自由フランス軍が祖国を解放してくれる日をじっと待ちましょう、という願いも加わって、盛んに歌われたようです。
兵士の側からいうと、自分を待っていてくれる人(人びと)がいるという歌になるわけで、苦しい戦闘を戦い抜く勇気を得るとともに、癒やしにもなったことでしょう。
『待ちましょう』を創唱したのはリナ・ケティ(Rina Ketty)で、1938年にレコードが発売されると、またたく間にフランス中に、さらにヨーロッパ各国へと広まっていきました。
リナ・ケティはイタリア人ですが、フランス語が第二言語として使われるフランス隣接地域で生まれたこともあって、フランスでシャンソン歌手として活動していました。
リナ・ケティに続いて、各国で何人もの歌手がレコーディングし、1945年にはビング・クロスビーも、別の歌詞で録音しています。
この歌の人気は大変なもので、いくつものエッセイや小説で言及されています。エーリッヒ・マリア・レマルクの『凱旋門』にも出ていたというかすかな記憶があったので、今回読み直してみました。
ありました。ラヴィックがジョアンの豪華なアパルトマンに呼ばれていったとき、アメリカ製の蓄音機からこの曲が流れていたという場面、もう1つは、仇敵ハーケがきているかもしれないというモロゾフの知らせでロシアン・ナイトクラブ「シェーラザード」に行ったとき、オーケストラがこの曲を演奏していたという場面。
『待ちましょう』はオリジナルではありません。イタリアで大ヒットしたカンツォーネ『帰ってきて(Tornerai)』にルイ・ポテラがフランス語の歌詞をつけてできたものです。
元歌の作曲者は、作曲家で指揮者のディノ・オリヴィエーリ(Dino Olivieri )で、これにニーノ・ラステッリ(Nino Rastelli)が詞をつけて名作ができあがりました。オリヴィエーリは、プッチーニのオペラ『マダム・バタフライ』のなかのハミング・コーラス部分からひらめきを得てこの曲を創ったといわれています。
『帰ってきて(Tornerai)』 は、1936年にラジオで公開、翌年レコードが発売され、各国でヒットしました。
ドイツでは、『帰ってきて(Komm zurück)』というタイトルで歌われましたが、これが元歌のTornerai と同じことから、フランスのシャンソンがそのまま受け入れられたというより、元歌をドイツ語版にしたといったほうが正確かもしれません。曲は同じなので、大した違いはありませんが。
リナ・ケティは、ドイツ軍がフランスに侵攻したとき、フランスでの歌手活動を中断、スイスでのみ舞台を務めました。枢軸国イタリアの出身であることから、目立つことを避けたのです。
1954年にカナダに渡り、細々と歌手活動を続けたのち、1965年にフランスに戻り、歌い始めましたが、空白の時間が長すぎたためでしょうか、昔日の人気は取り戻せませんでした。
しかし、1976年にダリダ(Dalida)が『待ちましょう』をダンスポップ・アレンジでリバイバル・ヒットさせたのを機に、彼女の再評価が行われ、知名度が回復しました。
『待ちましょう』は、ホセ・しばさきの日本語詞で淡谷のり子が歌っています。その歌詞を挙げておきましょう。
哀しきは 女の人想う心よ
捨て去りし男に 捧げる思い
窓を打つ風にも
君帰りきしかと 高鳴るこの胸
ジャタンドレ 待ちましょう
何時までも 愛しい人を
何時か帰る 喜びを胸に
恋こそは 生きる力 女の生命
君よ ジャタンドレ 永遠に
ジャタンドレ 待ちましょう
愛の夢 胸に抱いて
君が帰る 喜びの夜を
君こそは 愛のすべて 私の生命
君よ ジャタンドレ 永遠に
(二木紘三)
コメント
「待ちましょう」≪J'attandrai ≫
巻き舌の力強い発音が耳の奥によみがえります。解説を見ると、戦地から恋人が帰ってくるのを、戦争のあと平和になるのを待とうという、意味なんですね。日本語版の「待ちましょう」が、じっと耐え、ついには静かなあきらめの境地に至りそうなのと対照的。レジスタンスに励みつつ、積極的に待とうという気持がこういう力強い歌いかたになるのでしょうか。
「凱旋門」の中に出てくると聞いて、あの暗く悲劇的な、くすんだような印象のある小説が急に親しみ深く生き生きと感じられるようになりました。
投稿: Bianca | 2019年6月16日 (日) 01時44分