遠き昭和の…
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作詞:高田ひろお、作曲:杉本眞人、唄:小林 旭
1 あの人 この人 あの顔 この顔 2 あいつに こいつに あの恋 この恋 3 あの歌 この歌 あの夢 この夢 遠き昭和の 灯りが恋し |
《蛇足》 平成22年(2010)4月21日発売。
"Those were the days"の日本版というか、演歌版という感じ。
仲間と酒を飲み、笑い、大いに歌い、議論し、喧嘩もした昭和の青春時代。つらい恋もした、大きな夢もあった。仕事やら何やらにかまけているうちに、あの光に満ちた多感な日々は、いつの間にか遠く過ぎ去ってしまった。
後悔することも多かったけれども、あれは、紛れもなく宝石箱のような『されどわれらが日々』(柴田翔)だった。
中村草田男「降る雪や明治は遠くなりにけり」の明治を昭和に変えて、秋ならば鰯雲を見上げたりしながら、一句か二句、独りごちてみたらいかがでしょう。
季語はやはり秋か冬のもの。「時雨るるや昭和は遠くなりにけり」とかなんとか。
昭和を思い出させる人物、あるいは先だった友人の名前を入れて、「樺忌や昭和は遠くなりにけり」「××逝きて昭和は遠くなりにけり」なんてのもいいかもしれません。
「樺忌……」は、すでに何人もが詠んでいそうです。
あの体制への激しかった異議申し立てのあと、若者の多くは体制に組み込まれて企業戦士となり、ごく少数の人が反抗の精神を貫き通したわけですが、そのいずれもが、今、順次”戦士の休息”に入りつつあります。
昭和を懐かしむのは、おおむね還暦過ぎの人でしょう。どっぷり"昭和"に浸かろうじゃありませんか。
(二木紘三)
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コメント
この歌は初めて聴きました。平成22年発売ですか。
遠い昔の思い出や、幼馴染みを思う歌が頭の中にいっぱい浮かんで来ました。
1日々と年を取り、歩いて来た道を振り返りながら歩く私です。
「反省はするが後悔はしない」じゃなくてもまぁ良いかと。
♪あの頃その頃楽しい夢の日・・みんな良かったみんな良かった
投稿: なち | 2019年9月 4日 (水) 07時20分
「後悔することも多かったけれども、あれは、紛れもなく宝石箱のような『されどわれらが日々』(柴田翔)だった。」
「どっぷり"昭和"に浸かろうじゃありませんか。」
振り返れば恥多き日々の連なりでしたが、『蛇足』に諸手を挙げて賛同です。
投稿: konoha | 2019年9月 4日 (水) 11時52分
歌と蛇足の言葉が胸にしみます。
あの人 この人 あの顔 この顔
みんなどうして いるんだろう
つらい恋もした、大きな夢もあった。
あの光に満ちた多感な日々は、いつの間にか遠く
過ぎ去ってしまった。
投稿: yoko | 2019年9月 4日 (水) 12時48分
昭和とは どんな眺めぞ 花遍路
知らないうちに 多くの先輩たちが幕引きされていたのですね。子供のころから謝りたかった方々がいますが、どう考えるのでしょう。「されどわれらが日々」の終章の印象が残ったまま、青春小説は読んでいません。
投稿: 樹美 | 2019年9月 4日 (水) 13時06分
「遠き昭和の・・・」杉本眞人の哀愁誘うメロディを聴きながら<蛇足>を読んでると、懐かしさの数々が走馬灯のようにかけ巡ってきます!
昭和という時代を振り返ると、私は最も恵まれた昭和の時期を生きてきたという実感がします。
私の幼い頃は、戦後の名残りも消えて、高度成長期が始まり、学校では先生を敬い、警察官を信頼し、そして何よりも親の苦労の有難さを直に感じとることができました。
また、成人になり職に就いた時は、怠けず懸命に働けば何とか道が開けるという望みのある社会がありました。
そして、人の情けに触れたり、また逆に触れたくなったり、そんな思いも日常茶飯事だったような気がします。
「遠き昭和のまぶしい時代」・・・番末のこの歌詞にはいろんなことが想い出されてきて、胸に迫るものがあります。
投稿: 芳勝 | 2019年9月 4日 (水) 20時41分
私には、昭和がそんなに遠く感じられるようには、どうしても思えない。
というより、思いたくないのかも知れません。
戦後レジームからの脱却もできず、どこまでも昭和を引きずったまま、昨日70代最後の日に六甲の山を下り、今日からは人生の最終章となるであろう80代の人生がスタートする。
fbには、いろんな人達からのメッセージが入ってくるが、正直とまどっているというのが本音です。自分的には、80才がぴんとこないし信じられない思いですので・・・
たしかに、遠き昭和の 灯りが恋し いことには、違いない。
青春時代のバイブルとでもいうべき「されどわれらが日々」「青春の蹉跌」「青春の門」や、♪ああ 上野駅、 ♪高原の駅よさようなら、 ♪旅の夜風 等々を読んだり聞いたりするたびにわけもなくセンチメンタルになったり、たまらなくノスタルジアを感じたり・・・「風と共に去りぬ」「ローマの休日」「サウンド オブ ミュージック」「王様と私 」等々、 いずれも昭和時代の宝物、昭和世代の青春そのものをどこまでも懐かしんだりと、昭和の歌や映画や本には、色艶があり人生がありますよね。
「うた物語」にUPされている曲、それに二木先生の名解説(蛇足)は、とりもなおさず昭和を象徴した素晴らしい私達へのプレゼントのように思えるのですが・・・。
「遠き昭和の・・・」作詞者が、♪およげたいやきくん の 高田ひろお とは知りませんでした。
投稿: あこがれ | 2019年9月 9日 (月) 11時49分
私の昭和は軍艦マーチから始まったと思います。ラジオから軍艦マーチが流れると父は「日本が勝った」と喜んでいました。
そのうち防空壕が掘られ、サイレンが鳴ると防空壕に入り、空襲が激しくなって、山奥に疎開、敗戦、町に帰ると一面の焼け野原、バラックから流れる♪カムカムエブリボディ♪貧しかったけれど自由がありました。兵隊も国防婦人会も無くなっていました。学校も無くなって青空教室、泥棒も多かったですね。自転車泥棒を皆で追いかけたのも面白かったですね。皆、一生懸命働きました。
バブルの頃は面白いほど儲かりました。白髪が増え、皺が増え昭和が終わってしまいました。あっという間でした。
私たちは昭和の子です。人間のピンからキリを学んだ世代だと思います。
投稿: ハコベの花 | 2019年9月 9日 (月) 22時13分
墓深く 埋めたき苦き 記憶あり
老い惚ゆれども 消えず残れる
投稿: しょうちゃん | 2019年9月10日 (火) 09時14分
しょうちゃん様
800度の熱で焼かれしその時に
悪しきことなど天に消えゆく
人は亡くなると大体800度で焼かれるそうです。その時。綺麗な煙になって嫌な事、悪かった事などが薄く白い煙なって天に登って行くのだと思います。美しい物だけがお墓に入るのです。明るく元気で生きましょう。
投稿: ハコベの花 | 2019年9月11日 (水) 23時02分
ハコベの花さま 有難うございます。心して「もう少しだけ生きてみ」ます。この歌の3年前、NHK「ラジオ深夜便」の毎夜3時からのコーナーで「深夜便の歌」があり、小林旭さん作詞、作曲の「折り紙人生」が3か月流れました。内容はこの歌に似ていますが流石にこのプロの作詞作曲は違うなと感じました。厚労省の簡易生命表によれば、80歳の平均余命は男9.06女11.91だそうです。平成30年の平均
寿命男81.25女87.32からみるともうおまけの人生に差し掛かっています。いくつもの震災を経験しながらも戦争は幼児の頃で復興、成長と前を向いていた昭和を懐かしみ、企業戦士だった誇りと悔いを抱いて、子供や孫に良い時代のプラットホームを残してやりたいものです。
投稿: しょうちゃん | 2019年9月14日 (土) 22時25分
昭和、昭和、昭和の子供よ、僕たちは、
姿もきりり、心もきりり、
山、山、山なら冨士の山、
行こうよ行こう、足並み揃え、
ラララ、ラララ、ラララララ。
このページに入ってメロディーを聴いておりましたら、突然この歌を思い出しました。 この歌は昭和十九年、私が国民学校一年生のとき、学校で教わったものです。
(二番以下があったかどうかは記憶にありません)
今思えば、この歌は、大正生まれの方々が戦地で戦っていられるとき、昭和の少年たちよ、銃後で頑張れよと鼓舞する目的のものだったようですが、熱烈な愛国少年だった私たちは、この歌や、「われは海の子」「若きもの、朝日の如く・・・」などを歌いながら、武道の稽古、訓練に明け暮れておりました。
しかし今思うに、この「きりりとした姿、きりりとした心」は、軍国とかには関係なく、いつの世でも望ましい人間の姿勢なのではないかと思われます。(冨士の山、がでてくるのは、「端正な姿」を表わすものでしょうか)
そして、この昭和の時代に(昭和二十年以前を含め)、この「きりりとした姿、きりりとした心」が、日本人の容から失われてしまったように思われるのです。
かつて、あの高慢な英国人をして、この国はとてもじゃないが植民地にはできないであろうと思わせた、日本人の聡明さ、勤勉さ、恥の心、そして強い愛国心、それらがこの昭和の時代に、日本人の精神から失われてしまったように思います。
そして、日本人が古くから大切に保持し続けてきた憐みの心、弱者に対する惻隠の情、これが日本人の心から消え果ててしまいました。
藤原正彦先生が「国家の品格」で嘆いておられますが、日本という国は、国家としての尊厳を失ってしまったのです。
私が漫画家ならこのような一こまを描くでしょう。 「札束を敷き詰めた上で、ええじゃないか、ええじゃないか、ヨイ、ヨイ、ヨイ、ヨイ・・・と乱舞する人々」
私には、昭和とはそのような時代であったと思われます。
投稿: 田主丸 | 2019年9月18日 (水) 20時43分
田主丸様 私はキリリとした国民が良いとは思っていない人間ですが、何よりも良かったのは戦争が終わって、男女平等の憲法が出来た事です。まだ平等とは程遠い男性が多くて困っている女性は沢山います。それでも憲法に明記された事は女性にとってとても良い事でした。そして、公共の福祉に反しない限り何人も自由になった事です。貧しい人には福祉年金がでます。政治に意見が言えることも良い事ですね。軍隊が隊列を組んできれいにさっさと歩く姿を見るより、街中をぶらぶらと楽しんで歩く姿の方が好きです。自由と平等があってこその人間の社会です。こうして自由にモノが言える社会を作った昭和こそ素晴らしいと思えるのです。災害が発生すれば大勢のボランティアが集まるではありませんか。情も暖かさも日本には沢山あります。優しい若い方たちに有難うとお礼を言いたいと思います。
投稿: ハコベの花 | 2019年9月18日 (水) 23時02分
田主丸様のご意見を深く敬聴させていただきますとともにハコベ様のご意見にも同調いたします。街中をぶらぶらと楽しく歩いているのはまさに今の毎日の私の姿であり、年金でこのような生活ができるこの社会に感謝せざるを得ません。
少年は思春期ともなりますと、その生まれか育ちに関わらず能力、才能、品格、心の在り方に差が生じてきます。より良い社会を作るため、そのような一部の少年を選別し、社会の指導者としてのエリート教育は必須だとだと思います。
しかし、自由、平等、人権などの普遍的な価値を訴えるだけではこのような選別とエリート教育は困難でしょう。キリリとした心や国家の品格に対する敬意は生まれないと思います。
他国の特許を盗んで商売するとか、他人の論文をコピーして資格を得るとか、何をかいわんやです。このような社会風土からノーベル賞が生み出されるはずがありません。
私は生まれてこの方組織の長になったことはありませんが、生まれ変わったら心をキリリと改め、て志を持った国を思う組織人として頑張ってみたいと思います。
そして大正生まれの父母、戦死された方々について・・・
よくぞ日本を護って戦ってくださったと感謝いたしたいと思います。
投稿: yoko | 2019年9月19日 (木) 21時11分
昭和、平成、令和、三代を生きてきたけれど、このサイトの方々はやはり青春を過ごした昭和が一番懐かしいと思います。私は大東亜戦争が勃発した1か月前に生まれました。ところで、この場合、戦前生まれとは言わないんでしょうね。では戦中派でしょうか、それとも戦後派なんでしょうか。やはり少年期青年期を過ごした戦後派というべきなんでしょうね。
小林旭のこの歌は、作詞も良いけれど、作曲の杉本真人も良いですね。さすがです。哀感のこもった良い歌だと思っていたけれど、もう9年も前の歌になったんですね。二木先生が取り上げる歌は幅が広いですね。
投稿: 吟二 | 2019年9月19日 (木) 21時27分
すこしぎこちないトランペット・ソロのような小林旭の歌い方がこの歌に似合っていると思う。流暢にカバーされたものより吶々と歌うアキラ節の方が好きだ。
歌詞のように色々のことがあった訳ではないが、それなりに頑張った昭和を想い、来年のクラス会でこの歌を、機会があれば、歌いたいと特訓中です。音感の鈍いわたしはなかなか上手に歌えませんが、むかし、アキラのズンドコ節を練習した時を思い出してやっています。
この歌を教えて下さった管理人さんありがとう。
投稿: 太郎 | 2019年11月26日 (火) 11時31分
「遠き昭和の・・・」昨年の9月4日にこの曲がアップされて以来、私はこのページを時々訪ねては昭和時代の良き想い出を探したりするようになりました!
この令和2年は今も尚コロナ禍一色で、何もかもが予想だにしない、また先が見通せない状況が続いており、現実には夢の見にくい世知辛い時代を予感させられるような日々が続いています。
そんな時だから、もしかするとなおさら私は活気に満ちていた昭和のまぶしい時代を本能的に懐かしんでいるのかも知れません。
思えば私は訳あって今思うと想像を絶するような極貧の生活を強いられ苦しみのどん底を味わう少年時代を過ごしました。しかし成人になって社会に出てからは、自分でも信じられないほどのチャンスを与えられ、そしてあらゆる人たちからの恩恵を受けることとなり、そして家族を持ち現在の満足感のある暮らしになりました。そんな自分自身の経緯も今思えば、戦後の昭和時代を過ごせたからだと今では実感できるものがあります。
先日近所の本屋で私が手に取った音楽雑誌のページには、現在の日本歌謡界において私の認識ではおそらく実力も実績もトップに位置するだろうと思っている歌手の五木ひろしが、小林旭サイドの了承を得た上で、デビュー50周年の記念曲として10年ぶりにこの曲「遠き昭和の・・・」をカバーして先月に発売したいう記事が載っていました。どうやらこの唄の魅力をもっと色んな人たちに知ってもらいたいという五木ひろし本人の意図があったようですが、その情報を知り私は少し嬉しくもあり、そしてその思いに納得させられるものを感じました。
「遠き昭和の・・・」哀愁めいたこの素晴らしいメロディを聴いていて私がしみじみ思うのは、厳しさの中にも情のある人たちとの多くの出会いがありそして信頼関係が芽生えて行った。昭和時代の秩序のある日本のそんな恵まれた社会の中で私は懸命に生きてこれたからこそ今の自分があるような気がします。最近はそんなことを少し思うようになりました。
投稿: 芳勝 | 2020年8月13日 (木) 22時17分
五木ひろし、森進一、八代亜紀らが昭和を懐かしむ様な歌を唄っています。それはそれでいいのですが詞が「西條八十」「佐伯孝夫」「横井弘」らが書いたような昭和っぽい詞の歌も欲しいと常々思って聞いています。戦後の高度成長でもそこに付き添った歌があったのだからその時代を懐かしむ心が後期高齢者には何処かに潜んでいます。その頃の殻から何時までたっても脱皮出来ない人種と言われようともです。カラオケの我慢もそろそろ限界です。
投稿: 海道 | 2021年6月 8日 (火) 08時00分